93 / 104
出立
5
しおりを挟む
家に帰り着いたのは午後10時近くだった。
車で送ってくれた秀一さんと一緒に玄関に入ると、母がそわそわしながら迎え出た。
「お父さんが待ってるわよ」
母は秀一さんを気遣いながら、客間へと案内する。
彼と一緒に戻るのを父は予測したようだ。秀一さんと座卓を挟んで向き合うと、単刀直入に訊いてきた。
「島さん、返事を聞かせてください」
秀一さんがしっかりと顎を引く。もう迷いはなかった。
「私は薫さんと結婚します。許していただけますか」
父は母と顔を見合わせ、姿勢を正した。私は反射的に、膝の上で握りしめる彼の手に手のひらを重ねた。
「承知いたしました。薫を、よろしくお願い申し上げます」
両親は揃って、秀一さんに頭を下げた。そして、秀一さんも私も。
「ありがとうございます」
これまで生きてきた中で、最高に幸せな瞬間だった。
(幸せなのに、泣くなんて)
両親は私の涙に気づいて、呆れ顔になる。
「今からそんなことでどうするんだ」
「そうよ、薫。結婚式で号泣なんかしないでよね」
「わ、分かってます!」
横からハンカチが差し出された。秀一さんが優しく微笑み、私を見守っている。
「あ、ありがとう」
お日様の匂いがするきれいなハンカチ。微かに油絵具の香りもする。彼が近づくたびに、どきどきした香りだ。
(あなたを好きで、大好きすぎて、どうしようもありません。私、幸せです!)
秀一さんを見送った後、親子三人は居間で向かい合った。
彼のハンカチを握りしめたままでいる私に、母はほっとした顔を向ける。
「とにかく良かったわ。お父さんがあんなこと言うからびっくりしたけど」
「あんなこと? もう一度よく考えてなさいと言ったんだ」
「ねえ、お父さん」
私は父に訊きたいことがあった。
「何だ?」
「秀一さんが今日、結婚という言葉を使わなかったこと、気づいてた?」
「う……ん」
父は少し困った様子になる。
「気づいてたよ。島さんが、亡くなられたご両親の墓前に薫と一緒に報告をしたいと言ったが、何を報告するのか、その部分が抜けていた。しかも、どこか苦しそうに見えたんだ」
その場面を思い出そうとするが、私の記憶には残っていない。父はどれだけ集中して彼の話を聞いていたのかと驚き、感心する。
――父親というのは凄い。娘の幸せを、この世の誰より願ってる。
秀一さんの言葉が実感となって胸に迫った。
「お父さんって、変なところで細かいのよねえ」
母があっけらかんと言うので、父は苦笑する。
「どうせ俺は細かいよ。大雑把な母さんが羨ましくてしょうがない」
「まあ、失礼しちゃう。大らかって言ってよ」
私たちは笑った。今日初めて、朗らかに笑い合った気がする。
「何はともあれ良かった良かった。そうだ、これからは具体的に話を進めなきゃね。薫、早め早めにやんなさいよ」
「母さん、島さんは逃げないよ」
「そうだけど、何だか落ち着かないもの。ああ、そわそわする」
「お前が嫁に行くわけじゃあるまいし」
父と母が結婚について話すのを聞きながら、私はあらためて緊張を覚える。
島先生と結婚。夢が現実になるのだ。
喜びに震えながら、彼のハンカチをしっかりと握りしめた。
車で送ってくれた秀一さんと一緒に玄関に入ると、母がそわそわしながら迎え出た。
「お父さんが待ってるわよ」
母は秀一さんを気遣いながら、客間へと案内する。
彼と一緒に戻るのを父は予測したようだ。秀一さんと座卓を挟んで向き合うと、単刀直入に訊いてきた。
「島さん、返事を聞かせてください」
秀一さんがしっかりと顎を引く。もう迷いはなかった。
「私は薫さんと結婚します。許していただけますか」
父は母と顔を見合わせ、姿勢を正した。私は反射的に、膝の上で握りしめる彼の手に手のひらを重ねた。
「承知いたしました。薫を、よろしくお願い申し上げます」
両親は揃って、秀一さんに頭を下げた。そして、秀一さんも私も。
「ありがとうございます」
これまで生きてきた中で、最高に幸せな瞬間だった。
(幸せなのに、泣くなんて)
両親は私の涙に気づいて、呆れ顔になる。
「今からそんなことでどうするんだ」
「そうよ、薫。結婚式で号泣なんかしないでよね」
「わ、分かってます!」
横からハンカチが差し出された。秀一さんが優しく微笑み、私を見守っている。
「あ、ありがとう」
お日様の匂いがするきれいなハンカチ。微かに油絵具の香りもする。彼が近づくたびに、どきどきした香りだ。
(あなたを好きで、大好きすぎて、どうしようもありません。私、幸せです!)
秀一さんを見送った後、親子三人は居間で向かい合った。
彼のハンカチを握りしめたままでいる私に、母はほっとした顔を向ける。
「とにかく良かったわ。お父さんがあんなこと言うからびっくりしたけど」
「あんなこと? もう一度よく考えてなさいと言ったんだ」
「ねえ、お父さん」
私は父に訊きたいことがあった。
「何だ?」
「秀一さんが今日、結婚という言葉を使わなかったこと、気づいてた?」
「う……ん」
父は少し困った様子になる。
「気づいてたよ。島さんが、亡くなられたご両親の墓前に薫と一緒に報告をしたいと言ったが、何を報告するのか、その部分が抜けていた。しかも、どこか苦しそうに見えたんだ」
その場面を思い出そうとするが、私の記憶には残っていない。父はどれだけ集中して彼の話を聞いていたのかと驚き、感心する。
――父親というのは凄い。娘の幸せを、この世の誰より願ってる。
秀一さんの言葉が実感となって胸に迫った。
「お父さんって、変なところで細かいのよねえ」
母があっけらかんと言うので、父は苦笑する。
「どうせ俺は細かいよ。大雑把な母さんが羨ましくてしょうがない」
「まあ、失礼しちゃう。大らかって言ってよ」
私たちは笑った。今日初めて、朗らかに笑い合った気がする。
「何はともあれ良かった良かった。そうだ、これからは具体的に話を進めなきゃね。薫、早め早めにやんなさいよ」
「母さん、島さんは逃げないよ」
「そうだけど、何だか落ち着かないもの。ああ、そわそわする」
「お前が嫁に行くわけじゃあるまいし」
父と母が結婚について話すのを聞きながら、私はあらためて緊張を覚える。
島先生と結婚。夢が現実になるのだ。
喜びに震えながら、彼のハンカチをしっかりと握りしめた。
0
あなたにおすすめの小説
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
俺から離れるな〜ボディガードの情愛
ラヴ KAZU
恋愛
まりえは十年前襲われそうになったところを亮に救われる。しかしまりえは事件の記憶がない。亮はまりえに一目惚れをして二度とこんな目に合わせないとまりえのボディーガードになる。まりえは恋愛経験がない。亮との距離感にドキドキが止まらない。はじめてを亮に依頼する。影ながら見守り続けると決心したはずなのに独占欲が目覚めまりえの依頼を受ける。「俺の側にずっといろ、生涯お前を守る」二人の恋の行方はどうなるのか
ルピナス
桜庭かなめ
恋愛
高校2年生の藍沢直人は後輩の宮原彩花と一緒に、学校の寮の2人部屋で暮らしている。彩花にとって直人は不良達から救ってくれた大好きな先輩。しかし、直人にとって彩花は不良達から救ったことを機に一緒に住んでいる後輩の女の子。直人が一定の距離を保とうとすることに耐えられなくなった彩花は、ある日の夜、手錠を使って直人を束縛しようとする。
そして、直人のクラスメイトである吉岡渚からの告白をきっかけに直人、彩花、渚の恋物語が激しく動き始める。
物語の鍵は、人の心とルピナスの花。たくさんの人達の気持ちが温かく、甘く、そして切なく交錯する青春ラブストーリーシリーズ。
※特別編-入れ替わりの夏-は『ハナノカオリ』のキャラクターが登場しています。
※1日3話ずつ更新する予定です。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
私の大好きな彼氏はみんなに優しい
hayama_25
恋愛
柊先輩は私の自慢の彼氏だ。
柊先輩の好きなところは、誰にでも優しく出来るところ。
そして…
柊先輩の嫌いなところは、誰にでも優しくするところ。
ボクとセンセイの秘密
七町 優
恋愛
高校2年のボクと24歳のセンセイの秘密を描いたストーリーです。
タイトルで分かるとは思うのですが、恋愛ストーリーです。
一応登場人物たちのいる学校は関西という設定です。
なので関西弁での会話が多くなります。
ボクとセンセイの濃いような淡いような恋愛ストーリーをお楽しみください。
フローライト
藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。
ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。
結婚するのか、それとも独身で過ごすのか?
「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」
そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。
写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。
「趣味はこうぶつ?」
釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった…
※他サイトにも掲載
強引な初彼と10年ぶりの再会
矢簑芽衣
恋愛
葛城ほのかは、高校生の時に初めて付き合った彼氏・高坂玲からキスをされて逃げ出した過去がある。高坂とはそれっきりになってしまい、以来誰とも付き合うことなくほのかは26歳になっていた。そんなある日、ほのかの職場に高坂がやって来る。10年ぶりに再会する2人。高坂はほのかを翻弄していく……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる