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大切な仲間たち (カウンタークルー 泊留美佳)

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 留美佳は高校に入ってからもクラスに馴染めなかった。
 もともとグループで動くより、ひとりでいる方が気楽なこともあって、中学時代もマイペースにひとりで動く方だった。だから英司に憧れた時も、自由に行動できたし、クラスの誰にも知られることなく英司のコンサートに行くこともできた。
 高校に入って英司と再会した後も、誰にも知られないようこっそりと英司と会った。それは英司自身もそう望んだからだったが、英司がうまく計らったために、いまだに高校の人間には知られていない。ただひとり森沢富貴恵もりさわふきえをのぞいて。
 富貴恵は不思議な少女だった。
 あの型破りで、人懐こい性格は、入学初日から目立った。人を笑わせたり、和ませたりしているうちにたちまちクラスの人気者になった。彼女の前では誰もが幸せになる感じがする。
 しかし富貴恵は、クラスのどのグループにも属さなかった。みなに声をかけあちこち飛び回っているものだから、一つのところに定着しない。落ち着きのない小鳥のようだった。そんな富貴恵が、ふと好奇心に駆られて飛び降りたのが留美佳のところだった。
「あら不思議、ここには別の世界があるみたい」
 富貴恵はどぎまぎする留美佳の顔を覗き込んだ。それが富貴恵とのつきあいの始まりである。四月の終わりころのことだった。
 やがて富貴恵は、英司との付き合いに気づいた。英司が出て行った後の音楽室から、そっと顔を出すと、そこに富貴恵の笑顔があった。
「チミもミーハーちゃんだねえ。かっこいい男が好きなのかえ?」
 顔を真っ赤にする留美佳を、富貴恵は再び音楽室の中へ押し込んだ。
 音を断たれた部屋の中で、富貴恵はまだ興奮冷めやらぬ留美佳の下半身に手を差し入れ、潤いの度合いを推し量ると、信じられない指の動きで留美佳を絶頂に導いた。
 留美佳は五分もしないうちに大きな喜びの声を上げていた。
 その唇を吸い、留美佳の興奮を鎮めると、富貴恵はそっと耳元に囁いた。
「お友達になろうよ」
 以来、倒錯の世界に導かれることもなく、単純なお友達の関係が続いている。留美佳は何でも富貴恵に相談することができた。彼女がいなかったら、英司との複雑な関係を続けつつ、精神の安定を維持することはできなかっただろう。
 クラスの友達は富貴恵だけで十分だった。富貴恵はあちこち飛び回り、いつも留美佳の傍にいるわけではなかったが、留美佳がいてほしいと思うときは必ず傍にいた。
 英司の彼女とされる瀧本あづさを傍で観察するためにクイーンズサンドのアルバイトに応募を考えていた時も、富貴恵が「一緒にやろう」と言ってくれた。
 応募者が多いので二人揃っての採用は難しいかもと考えていた留美佳の予想を覆し、二人は見事にカウンタークルーの七人の中に残った。
「ほら、大丈夫といったでしょ、けっけっけ」と富貴恵は笑った。
 何か特殊な手段を使ったのかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。夏休みも富貴恵と一緒に動ける。彼女と一緒だと何でもできる気がしてくるのだ。
 そうしてはじめたクイーンズサンドでのアルバイト。生まれて初めてのアルバイトは留美佳にいろいろなことを教えてくれた。
 人とのふれあい。
 ひとりでいることが多かった留美佳は、必要に迫られて客と対峙することになった。店には老若男女あらゆる人種が現れる。時にはオーダー業務だけで終わらないこともある。
 慣れないお年寄りには、虫眼鏡を用意してメニューの絵を見せたり、中身は懇切丁寧に説明した。耳が遠い人にはゆっくりと大きな声で話す必要があった。こちらの意思が伝わると、彼らは例外なく留美佳に感謝の言葉を述べ、偽りのない笑顔を向けてくれた。
「孫の嫁に来んかね」と言われたことすらある。真っ赤になって隣のクルーと顔を見合わせたものだった。
 小さな子供とのふれあいもはじめての経験だった。
 留美佳の家のまわりにはもう小さな子供はいなかった。学校と行き帰りしているだけでは、子供と話をする機会などない。彼らと対峙する時は、自分が子供だった頃を思い出し、何をしてもらったら嬉しかったかを考えた。母親が教育のために子供にオーダーをさせる場合も、時間を気にすることなくゆっくりと対応できるようになっていった。
「おもちゃはどれがいいかなー」と、ディスプレイをすべて子供の目の前に並べ、触らせてみたこともある。後で遅いと叱られることもあったが、幼い子供のあどけなく笑う顔を思い出すと良かったと思うことができた。
 仕事に対する責任も思い知らされた。ミスが多かったためにクレームがマネージャーに入る。時には江尻店長が客の自宅まで謝りにいくこともあった。ミスをして叱られるのは自分だが、客に謝るのはマネージャーたちだった。彼らは自分が犯してもいないミスのために平身低頭して客に謝らなければならなかった。その姿を目にすると涙が出そうになる。
 自分が犯したミスで客が不快な思いをし、もう二度と店に来なくなったとしたら、と考えると悲しくてしようがなかった。
 向いていないと思って、何度やめようかと考えたか数知れない。
 そういう時いつも励ましてくれたのが、クルーの仲間だった。
 留美佳は、この店で仲間の大切さを教えられた。
 それまで留美佳はまともに部活動をしたことがなかった。中学時代は茶道部にいたこともあったが、スキルアップに精進するというところではなく、のんびりとした雰囲気でお茶を楽しむという部活だった。そのため留美佳は誰かと一緒になってひとつのものごとに熱中したという経験がなかった。
 つらい時、大変な時は、仲間同士でお互いをフォローする。特に不器用で、パニックになるとミスを連発する留美佳には、年上の仲間が常に後ろで支えてくれた。蒲田美香かまたみかと瀧本あづさには特に世話になっている。彼女らには自分が守るべき存在に見えるのだと留美佳は感じた。そこには何の打算も思惑もない。純粋に心のおもむくままに動いている。
 留美佳は自分が恥ずかしかった。
 はじめは瀧本あづさのことを知りたくて、彼女をどうにかして英司から遠ざけることができないかと考えて、このバイトを始めたのだ。いっそのこと自分と英司とのつながりを暴露しようかとさえ考えたことがある。しかしその考えが愚かだと思い知らされた。
 今留美佳はあづさに対して何の恨みも嫉妬も感じない。むしろ尊敬の念すら感じる。彼女は決してちゃらちゃらした女でもなく、英司にしがみ付いて汁を吸っている性悪女でもなかった。今まで自分が抱いていた彼女のイメージを思い出すと、顔から火が出るくらい恥ずかしかった。
 彼女には英司と別れて欲しいとは思うが、できるだけ彼女の傷が少なくて済む方法はないかと考えているくらいだ。しかしそんなことができるだろうか。
 ここで留美佳は自分が蒔いた種のことを思い出した。間の悪いことに、留美佳は英司とあづさが別れるための手を、すでに一つ打ってしまっていたのだ。あづさにくびったけだった前沢裕太まえざわゆうたに、あづさの彼氏が英司であることを教えてしまっている。彼はおそらく英司についてあれこれ調べるだろう。そしていずれ自分と英司との関係に行き着くかもしれない。それをあづさに喋られたら、自分は終わりだと留美佳は考えた。
 あづさは英司に引導を渡し、そして、自分もあづさに軽蔑の目で見られる。あづさのことを好きになってしまった今の留美佳にとって、それは耐え難いことだった。
 どうにかならないものだろうか。
 それを富貴恵に打ち明けると、彼女はあっけらかんと言った。
「それは、綱渡りだわにー。ユウタには、あいつが別の女といちゃついている現場をおさえさせるしかないべーか」
 そんなことができるのと聞くと、富貴恵は顔の前で人差し指をくっくと振った。
「人を駒のように動かすしかないのよ」
 その時ほど富貴恵を頼もしいと感じたことはなかった。
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