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前向きになった留美佳(カウンタークルー 泊留美佳)

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 泊留美佳とまりるみかはようやく吹っ切れた思いになっていた。
 御木本英司があづさに対する拉致、強制わいせつ、強姦未遂の容疑で逮捕され、現在保釈中の身とはいえ、起訴は必至と言われている。彼が中身のないチンピラのような男だったことは周知の事実となってしまった。彼に対して憧れる気持ちはすっかり薄れていった。しかし、それでいて留美佳はしばらく自分に自信がもてなかった。もし彼が帰ってきて自分を抱いたとしたら、自分はまた彼の魅力に取り付かれ、全く彼のものとなってしまうだろうと。
 それを吹っ切らせてくれたのが、親友である森沢富貴恵とチーフの松原康太だった。
 特に松原康太は、留美佳に、英司ばかりが男でないことを教えてくれた。それまで留美佳は英司以外には、英司の仲間とされる男ひとりにしか抱かれたことがなかったが、その男の抱き方があまりに稚拙であったために、英司がこの世の男の中ですべてだと思い込んでしまったのだ。彼なしでは自分は生きていけないだろうとまで留美佳は思い込まされた。その誤解を解くために、松原チーフが一役買ってくれた。松原に抱かれたことで留美佳の誤解は完全に解けた。
「ちょっと経験をつめば男はだれでもこのくらいできるよ」と松原は言った。
 その言葉を信じて、今留美佳は前向きになり、外へ目を向けるようになった。考えてみれば自分はまだまともに恋をしたことがない。特に中高生がその年頃に経験する歳相応の甘く切ない恋というものに留美佳は憧れた。それを口にすると富貴恵は冷やかすように笑った。
「それは簡単なようで難しいわよ。なかなかそういう相手は見つからない。男というものは、純情にスケベにできているんだから」
 富貴恵のことばは、留美佳の耳には特に難解に響いた。富貴恵はその幼い容姿と奇抜な行動とは裏腹に、百年以上も生きてきた魔女のような雰囲気を持っていた。彼女にかかれば十歳年上の松原もまるで子供のように扱われるのだった。
 夏休みで、まだ学校が始まっていない留美佳にとって、身近な男性とはQSクイーンズサンドのスタッフしかいない。そこに自分と釣り合う男性を求めようとすると、なかなか適当な人間は見当たらなかった。
 一番歳が近い田丸誠は、同じ高校の同級生であるが、クラスも異なる上に、話し辛い相手だった。誠と留美佳は互いに口数の少ない方だったので、この二人が居合わせても何の話題も出てこない。
 その上彼は、どうやら二年生の高見澤神那たかみさわかんなに執心しているようだった。
 キッチンの仕事が落ち着いて暇が少し出てくるようになると、必ずレジカウンターの方に顔を出すクルーがいる。西がいた頃は西が最も多く顔を出し、何やらギャグを言っていたようだが、留美佳には難しすぎて、それが理解できなかった。次に頻度多く顔を出すのが小野田晃一で、やはり大学生ともなると高校生の女の子と話をすることに抵抗がないようだった。富貴恵はすっかり鼻であしらうようなこともあったが、それでも晃一がやって来ると楽しそうにしていた。
 そういうたびたび顔を出してくる男子クルーとは違い、田丸誠はひたすらキッチンにこもっているタイプだったが、唯一神那がレジにいる時にだけ、ほんの少し用事を作って出てくるのだ。そのことに気づいた留美佳は、誠が神那のことを好きなのだと確信した。一時あまりに頻繁に神那の顔を見に来る西を、嫉妬のこもった目で睨んでいたこともあった。こういうタイプは留美佳はまるで苦手だった。
 伊堂寺つばさは、百八十超えの長身痩躯の高校三年生だったが、どことなくなよなよとしたところがあり、ハスキーな声がオカマのように聞こえるので、女子クルーの間では男として見られていなかった。ただ古木理緒が溺れた時の彼の救出劇を見た美香、富貴恵、留美佳、そして柚木璃瀬トレーナーなどは、彼の潜在力を知らされているので、もう少し男らしくしたら良いのにと応援する気持ちは持っていた。当のつばさは理緒を気にかけているようだった。
 理緒を好きになるとは趣味が良いと留美佳は思う。理緒は一見クールな美少女、話をする時は男のようにさっぱりとしてはっきりものを言うタイプ、中身は実は感情の起伏が激しく涙もろい女の子、という三重構造をしている複雑なキャラクターで、最近ようやくそのことに気づいた留美佳の最もお気に入りの女の子だった。今やすっかりファンになっている。
 つばさと理緒が釣り合うかどうかはわからない。というより、正直なところ釣り合わない気がする。つばさのアドバンテージは長身と一つ年上というだけで、通っている学校の偏差値、前向きな姿勢、人を惹きつける魅力、てきぱきとした動きと判断力、どれをとっても理緒の方が上回っているように見えた。伊堂寺つばさには申し訳ないが、理緒にはもっと理想的な相手が出現して欲しいと願いたいところである。
 このように人を観察するのは面白いことだと留美佳は思うようになった。初めて外の世界に目を向けることができるようになった気がする。きっと一つ成長したのだと留美佳は自分を褒めてやりたかった。
 だから伊堂寺つばさが「ちょっと相談があるんだ」と留美佳に言ったとき、留美佳はてっきり理緒との仲を取り持つための一役買うものだと思ったのだった。
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