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37 当日
しおりを挟むエントランスホールでアイリスを見た時、レナルドはうまく声が出なかった。
今日の建国祭の舞踏会の為に仕立てたドレスは、今までに見たどのドレスよりもずっと似合っていたし、贈ったエメラルドの首飾りもその輝きがかすむぐらいアイリスは輝いて見えた。
ただレナルドの支度が終わっていつやってくるかと待っているだけなのに、何故だか神秘的で美しいものに見えて、声を掛けられないくらいその姿を目に焼き付けた。
なぜこんなに心がざわつくのか、それは、きっともうすぐ彼女には嫌われるだろうと最近レナルドはそんなことばかり考えているからだった。
本当は今日という日だって来ない方がいいと思っていた。
しかし、今日という日が来てしまったからこそ、アイリスの美しいドレス姿を見ることができて、それと鬱屈とした気持ちは相殺されるような気がした。
けれども、逆にレナルドは、こんなに美しい妻である彼女が惜しくて惜しくてたまらなくなった。
今日が終わればレナルドは隠しきれずに話をするだろう。
周りの貴族から、言われるかもしれないし、大方を察するかもしれない。
……それに、革命の時の事はやはり俺は間違っていた。アイリスはすでにそのことに気が付いていると思う。
セオドーラ様に会った時から彼女は、何か目的意識を持って動いているように見える。
大方、伯爵家の損害をどのように王家に賠償してもらうかということについて考えているのだろうと思う。
レナルドだってそばで話を聞いてきて、つまり土地をつかさどる魔法をもつ一族はこの国の脅威になる自然の管理者だったのだと理解できた。
そんな彼らにコルラード国王陛下は、目に見える成果を出していない者たちに、国家予算を割く必要性はないと、彼らに長年出されていた大きな自然災害を押さえるための維持管理費を打ち切った。
だからこそ王族に見捨てられた彼らはそれぞれ、大きな森や商業に向かない土地を抱えて金策に走るほかなくなった。
その結果、クランプトン伯爵家は多大なる借金をすることとなり、アイリスは、売り払われるような形でレナルドの元へと嫁に来た。
そうなったのは、王族のせいで、正しさだけを問題にして革命の件を考えれば、レナルドは正しくない行いをした。
王族が原因でおおくの魔獣の被害を出し、消えた命は数知れない、その責任を望まれたのが革命だったのだ。
それを阻止したレナルドが誰にも称賛されないなんて当然のことだ。
そして、それはアイリスにも言えることだろう。
彼女はそのことに気が付いて、爵位を継いだ妹のナタリアと協力して正しく自分たちの被った不幸を主張しようとしている。
きっと今は、もちろんレナルドも協力してくれるはずだと思っているに違いない。
しかしそこで聞くはずだ。
レナルドは、衝動的にウィリアムを助けてしまった。
そもそも人を助けることにいい悪いがあるのかという理由は置いておいて、レナルドは、殺されそうになっているウィリアムにどうしても我慢ならなくて後ろから革命の最中、同じ護衛騎士であった同僚を切った。
護衛騎士にまで革命派が広まり、ここまで来たら革命は国民の総意だ。
国民の気持ちは完全に王族から離れてしまって責任をとるときが来た。
しかしレナルドはそれをわかっていて、そちら側に父と母がいて話を聞いていたのにもかかわらず、己の力に任せて、彼らを殺した。
同僚たちとは、ウィリアムよりも長い付き合いで、見習い時代からの友人だって数名いたのだ。
それなのにレナルドは衝動的に動いて、目の前にいる子供の命を優先してしまった。
助けたといえば聞こえはいい、しかし大義もない状態でレナルドはたくさんの人を殺した。正しい殺人などないが、明確に、間違いであったと思う。
殺した彼らには家族があって、小さな子供が彼らにもいて、守るべきものがある。
それなのにレナルドはただ目の前の命を救いたくなって剣をふるったのだ。
それは紛れもない、罪だ。どうしようもなく衝動的で、正当性のないただの人殺しだ。
そんな、レナルドの事を知って、アイリスはレナルドと協力できるか。
答えは聞かなくてもわかっている。
王族のせいでアイリスはつらい思いをした。そんな彼らをなんの合理性もなく助けて、未だに関係性が深いレナルドはアイリスからすれば敵も同然。
衝動的に人殺しをする人間なんて、アイリスのそばにはふさわしくないだろう。
レナルドは、立ち尽くしてそうして考え事をしながらしばらくアイリスの横顔を眺めていた。
……このままアイリスをさらって、誰も知らない土地に行ったら、君を俺は幸せにできるかな。
ぼんやりとそんなことを思った。
しかし、ふとアイリスはレナルドに気が付き、その表情を花が開くように愛らしくほころばせて、振り向いた。
「レナルド様、いらっしゃっていたんですね」
信頼を含んだ優しい笑みに、鈴がなるような心地のいい声。
きっとレナルドが攫って見知らぬ土地に連れて行ったら、こんな風に笑うこともなく、優しい声を聴くことはできない。
それはとても、人を殺すよりもずっと罪深い事だろうとレナルドは思う。
「うん。エントランスホールにいる君が、綺麗すぎてつい声をかけるのを忘れて見惚れてしまったよ」
「……はい。……あの、ドレスとそれからティナのおかげで今日の私は、見違えるぐらい綺麗にしてもらいました」
言いながらアイリスは後ろに控えているティナを振り返って目線を交わしつつ、レナルドにドレスを見せるように裾を軽くつまんでその場でくるりと一周した。
「このドレス、とってもきれいで、私も着せてもらいながら何度も見惚れてしまいました。レナルド様の気持ち、とても分かります」
「……」
嬉しそうに目を細めて、控えめに笑う彼女にレナルドは、胸の奥が酷く締め付けられて苦しいぐらいだった。
そしてその信頼を今から失うのだと思うともう、息もできない。
しかし、それまでの短い時間だけでもアイリスとそばにいてエスコートをして話をしていたい。
その欲求に駆り立てられるようにレナルドはアイリスの手を取って用意された馬車の方へと向かっていく。
「ドレスだけじゃなく、それを着た君がとても俺は綺麗だと思うよ、アイリス」
心からそう言うとアイリスは、すこし頬を染めつつもレナルドに身を任せるように少し寄りかかってきて、その若干の腕に伝わる重みがなにより心地いい。
「さぁ、行こうか」
「はい」
軽く言葉を交わしてから、アイリスとレナルドは馬車に乗り込んで、王宮へと向かったのだった。
舞踏会は表面上は朗らかな雰囲気で行われた。
コルドーラ国王陛下の代わりにセオドーラ様が開会の宣言し、例年通りの華やかな貴族の交流の場所となる。
毎年この舞踏会を開催する大ホールはうつくしい花に囲まれていて、灯りをともしている大きなシャンデリアの輝きは今年も変わらずだ。
うら若い令嬢たちの話をする軽やかな声と、端の方にいる楽師たちの演奏が織り交ざって会場を華やかに彩っていた。
しかし、多くの貴族がいるこの状況では、やはり多くの好意的ではない視線がレナルドに向けられている。
公の場なので表立って文句を言ったり、食って掛かってくる人物はいないが、良い雰囲気ではない事は確かだった。
「……私、こんなに盛大な舞踏会に参加したのは初めてです」
けれどもそんな中でもアイリスは、レナルドに笑みをむけてきょろきょろと物珍しそうに周りを見ている。
彼らの視線に気が付いているのかどうかはわからないが、無理をしている様子ではなさそうだったことが唯一の救いだろうか。
「国で一番のお祭りのメインイベントだからね。王族もこの舞踏会だけは何としても成功させたいと思っているから」
「そうですよね、今日はここに来る間の城下町の人々も楽しそうでしたし、特別感がありますね」
少し興奮気味に言う彼女は中心でダンスを踊っている貴族たちの方へと視線を向ける。
その様子に一曲ぐらいは気を抜いて音楽に身を任せてもいいだろうとレナルドは考え、二人で彼らの中に混ざりゆったりとしたひと時を過ごした。
その後、アイリスは妹の元に行ってくると、レナルドの手元を離れていく。
それを止めることなどできるはずもなく、レナルドはアイリスから手を離した。
しかしいつまでもその後ろ姿に未練を残して、見えなくなるまで見つめ続けたのだった。
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