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第二章 なぜ私ではないのか

『お前がどういう男かはわしがよく知っている』

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 アリバが積み荷の最終確認を済ませ手を振ったことで一同の緊張が解かれた息を吐いた。

 それから荷を馬車に積み準備がすべて完了し、あとは出発の時刻を待つだけとなるその早朝、ジュシは遠い故郷の方角に目をやっていた。

 あの日からジュシは同じことばかりを思っている。なにか異変が起こっている、と。この季節に来るのは有り得ない。

 記憶をいくら探ってもそのような話は出てこない。あれは決まった時期に現れるものであるのに、よりによってこんな季節に?

 不意打ちを狙いタイミングを外したことで村を抜けてもこの先にある砂漠の海はこの季節はあたかもいわば大海原となり、流砂によって奈落へと呑み込もうというのに。

 もしかして違うのでは? そういうものではなく違う揉め事が起こり戦いが……も可能性が低い。

 そもそもツィロ自らが買い出しにくる時点で事態の切迫感がはっきりと分かってしまう。

 今すぐに、必要だということを。毎日延々と繰り返す思索に耽っていると毛深く馴染み深い手がジュシの肩を掴んだ。

「おいなんだお前? ぼうっとしていないで早く準備をしろ」

 半ば怒っているアリバの顔を見ながらジュシは困惑した。準備ってもう終わっているのに、何を準備するというのか?

「もう荷作りは終わっていますよ」

「お前のだよ。なんだ、行きたくないと言うのか?」

「いっ行きたくないというか、行ってはいけないのですよね?」

「誰がそんなこと言った?」

「ツィ……客人が」

「わしはそんなことは命じてはおらんぞ」

 アリバはこういう時に冗談やおふざけを行う男ではない。となると本気で自分を連れていくのかとジュシは立ち上がりアリバと対峙した。

 だが身長はジュシの方が高いというのにアリバはいつものように気圧されることなく改めて告げる。

「わしはお前を連れて行く。早いところ支度を済ませろ」

 嫌だっと心がまず叫んだが口が開かずにいた。行きたくないというのなら叫べばいい、逃げればいい、そんなことは容易にできるはずなのに。

「アリバさん。客人は私が山に登ることを厳禁しましたが、その約束を破るというのですか?」

「お前は箱の中に入れそのまま運ぶ。そうすれば足を踏み入れたことにはならんからな」

「あのですねトンチ合戦ではないのですよ。もしもこのことがバレましたらツィロのことだ、間違いなく契約破棄となりますよ。そうした大損で」

「お前が出て来る場合は、危機の時だ。そしてその危機とは、襲撃だ」

 咄嗟に意味が分からずにジュシはアリバの顔を首を捻って見ていたが、その意味が分かった途端激しい衝動で足元が揺れた。

「私の故郷のものはそんなことをしない! あんたはいったい何を言っているんだ!」

「お前を追い出したのにか?」

 アリバの一言で襟にまで伸びた手が止まりジュシは全身の温度が一気に下がった。

 そうだ私はあの世界から、拒絶されたのだ。もう無関係なのだ。

「故郷を悪く言われて怒るのは無理はない。むしろ美点だ。だがわしはこう判断する。わしはあの客人やその村には信用が無い。まずお前がいてはいけない理由はこう考えるお前みたいな強いものがいては事を仕損じるからではないかと。あっちはお前がどのくらい強いのかぐらいはよく知っているだろうしな」

「けれどアリバさん。いままでこんなに警戒をしたことはそうそうないじゃないですか。アリバさんのチームは腕の立つものばかりだしそこまで警戒するのも」

 ジュシの訴えにアリバは顔を横に向け声を小さくして言った。

「だからお前を追い出した連中だからだ。今までお前が自分から出たか追い出されたかは聞かなかった。そんなこと聞いてもしょうがないからな。だがあのやり取りで大体を察した。お前は追いだされた、しかもお前の意思に反してな。そういうことをする連中をわしやみんなは好意的には見ん。だからこういう対応をする。まぁ到って普通の対応だろう?」

 だがジュシは反感で心が一杯であり、アリバを見据えている。だが、なにのために庇うのだろうか?

「俺は、追い出されても仕方のない男でした。俺が自ら望んで追放を望んだんだ」

「お前がどういう男かは砂漠の旅でよくよく知っている」

 アリバも睨み返してくるがジュシは更に語気を強めた。

「私はアリバさんの思うような男ではなく、追放されるに値する呪われた身だ」

「お前がどういう男かはわしがよく知っている! わしの目に狂いがあるとでもいうのか小僧が! お前は追放される男なんかではない!」

 二つの叫びは昇って来る朝日の光りで蒸発し天に召されるかのように辺りから綺麗に消えていき、その場には深い沈黙だけが横たわり、やがてジュシが震える声を出した。

「では言わせていただきますが。ツィロはあなたが思うような男ではありません。彼は自分の役目に忠実なだけです。俺はそれをよく知っています。だから……だから」

 アリバの声もまた怒りを滲ませずさっきまでの怒鳴り声が嘘のように平静そのものであった。

「わしにはそうは見えんかったが、お前がそこまで言うのなら少しだけ信用してやる。まぁ全然嫌な予感は拭いきれんがな。それでどうなんだ?」

 なにが?とジュシの心の声を聞いたようにアリバは答えた。

「行くのか、行かないのかだ。お前はずっとそのことを明言していない。客人が何かを言ったからではなく、わしはお前はどうするのかと聞いているんだぞ。こうも不信感を抱いているわしらをそのまま行かせるのか、それとも頑なに故郷の連中を信じ切るのか、卑怯な言い方かもしれんがいまはそう言わざるをえない状況だ」

 そうだ何故自分ははっきりと言えないのだと。行かないと簡単に言えばアリバは引き下がる、だがそれが言えない。

 これは啓示であり、なにかが告げているのだろうか? 行かなくてはならないと? 村人からの襲撃など絶対に有り得ない、取り越し苦労だ。だがこのアリバの異常な警戒心は?

 勘だけはずっと鋭いアリバがここまで構えるだなんて……なにがあるのだといえば、なにかが来るのだとしたら。

「……御同行いたします。不明な点がありましたら俺に何なりとお聞きください」

 ジュシの態度の急変にアリバは面喰うもすぐに嬉しそうに笑った。

「そうか、良かったこれで一安心だ。まぁ何にもなければそれに越したことはないんだからな。お前も久しぶりに故郷の空気を吸うのもいいだろう」

「アリバさん、どうかご油断なく。ですが襲撃の可能性は極めて戦いです」

 あまりの一変ぶりにアリバは口を利けない状態となった。

「それはですね、村からの襲撃は断じてなく、山には獣がいましてねそいつらの襲撃を警戒しなければなりません」

 そういうことかとアリバは落ち着いた。

「なるほど客人も獣用の罠をやけに気にしていたが、しかしそこまで見境なく襲ってくる獰猛な獣がいるのか? わしの故郷はそういう獣は熊とか虎と呼んだが」

「俺の故郷では脅威となるそのような存在はただひとつであり、一つの名で呼んでいます『龍』と」

 アリバはジュシが故郷の言葉を使ったために何を言ったから分からなかったがその発音は何かに似ている気がした。

 こちらでは決して使わず、またアリバの故郷でも使わない言葉であるも、砂漠の果てに行くと頻繁に聞く、その響き。

「その名は、あれだな。東の国では王様を意味するものと似た発音なんだな。龍だっけな?」

 アリバの不思議そうな顔を見てジュシもまた同感の思いを募らせた。東の果てとはまるで逆の世界だったなと。

『龍』の名が出てくるとこちらは身構えるというのに、あちらではむしろ歓迎する名であり世界を統べる聖なるものの名だとは、まるで鏡の世界だと。

 あの異常な世界を見てもジュシはこうも思った。はたしてあのような世界に自分は住めるのかと?

「あっはい、そうです。偶然同じように聞こえますが逆でしてね。こちらの龍は聖なるものどころか悪そのものでして村を襲い破壊しにくるのですよ。けれどもそれは獣の出産周期というのでしょうか必ず同じ季節で、ああそうだ砂漠の海が渡れるようになるあの時期と一緒です」

「なら季節外れだといえるな。客人の話では今これからそいつらが出るって話なのだから。相当に手強いのだろうな」

 尻込みしだしたアリバの心を無視しジュシは龍を思い出しながら語る。

「龍は必ずまず眷属を放ちます。それが来たからツィロは慌てているのではないかと。こいつらがある程度出てきた後に、必ず一匹の龍が現れここからが本番です。ですから急ぎましょう」

 自分のせいで遅れていることを意識せずにジュシは歩きだし装備をとりに行く。

 鎖帷子と剣をとる間にジュシは身の軽さを思い出した。まるであの頃に戻ったように、三年という月日が消えたように、

『龍が来る。だから俺は帰らなければならない』

 ジュシは故郷の言葉を口ずさみながら。
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