上 下
169 / 313
第二章 なぜ私ではないのか

極悪な隊長さ

しおりを挟む
 北上する龍の護軍はとある地点で足を止める。そこには看板があり中央の言葉が書いてある。

 字が読めるものはもちろん、読めぬものもその意味を誰もが分かっていた。だから行進の列の真ん中が開き馬に乗るバルツが一番前に到着する。

 それが意味することがなにであるのか、どうして将軍がここに来るのか、誰もがその姿に固唾を呑んで見守るなかで、バルツは馬の足を止め、振り返り一同に向かって叫んだ。

「諸君! 我々はこれから中央に進出する! 決戦に向かう!次にこの地点をまたぐ時は帰郷の時、それのみだけだ、進め!」

 演説による昂りをその胸に宿しながら最前列の兵がその一線を超える。北上し続ける龍の護軍がついに中央入りを果たしはじめた。

 長きに渡る孤軍奮闘が積み重なった損害の多い東西のムネとオシリーの両軍ら再編成が完了してから合流という事が決定され、先遣隊としてのバルツによる護軍が中央入り一番乗りを達成した。

「そういえば俺は中央に入るのは生まれて初めてだな」

 報告後の雑談でバルツは思い出したかのようにそう言った。

「去年の今頃はまさか来年このように入れるだなんて想像すらしていなかった。あの頃は南下に南下を重ねてソグ撤退に夢中になっていたというのに、今はこうして北上からの北上によって中央の中心に進んでいるとはな」

 半ば独り言なバルツの言葉に参謀一同は感慨深く頷いている中でルーゲンが微笑みながら尋ねた。

「これは運命ですよ。バルツ将軍が龍身様と出会ったことによりこの道が開かれ龍を先導する軍の指揮を執ることとなった。そして今回はしくじらないように来年の話をいたしましょう。バルツ将軍は来年の今頃はなにをなさっているでしょうね。鬼は笑うでしょうがお構いなく、どうぞ」

 するとバルツは瞼を閉じ瞑目する姿勢となってから呟いた。

「……来年の俺は中央の線を跨いでシアフィルに帰り、その地で生活を再開する。俺らしくするのならばこれだ」

「それ以外は考えられませんね。さすればあなたは伝説となる。シアフィルの独立自治を龍と共になした史上初の英雄としてです」

「俺の生涯の悲願は故郷の独立自治を龍身様に保証してもらうことであったが、それがいまでは龍身様と新しい世界の秩序を築くための戦いに身を投じているとは、人の運命とは分からないものだな。だがまだ油断してはならん。最低でもあと一戦は敵と干戈を交え最後の雌雄を決しなければならないのだからな。負ければ今の話など全てがお笑い草として後世に語られてしまう。どうかみんな俺を完全無欠なピエロとせぬようフォローしてくれ」

 バルツの冗談に参謀一同は笑い出した。それは快活とした笑いであり友と思えるものたちの声である。ただ一つを除いては。

「聞きかえすようだが、そのルーゲン師は来年の今頃はなにをなさっているとお思いかな? あなたのことですから既に予定を汲んでいるでしょう」

「御恥ずかしながらその通りです。僕は、ですね……僕は龍のお傍に侍りたいものです」

「それはいまでもそうでは?」

 当然とも思えるバルツの問いに対してルーゲンは聞いていない様に一人恍惚に浸っているようにして言葉を繋いだ。

「もっとです。もっともっと傍に……誰よりも近くに」

 先の三軍による戦い以後は大々的な戦闘は起こらず、龍の護軍の中央進出後は日々予定通りのスピードで中央の中心へと進軍していた。

 あまりにも順調すぎる進み方に当初は楽観的に喜んでいた兵隊たちも次第に不安と不気味さに囚われだし、休憩時間中は確認するかのようにあちこちで噂の花を咲かせていた。

「斥候の話ではこの先で中央軍が待ち伏せをしていて俺達を呑み込もうとしているって聞いたぜ」

 ブリアンがぼんやりしながらそう言うとノイスが否定した。

「それは嘘だ。待ち伏せどころか中央軍はもう降伏勧告を受け入れたとこっちは聞いたぞ」

「二人とも悲観論と楽観論が酷いですね。噂に尾鰭がつくととんでもないところにまで泳いで仕方がないってところで。中央軍は待ち伏せも降伏もしていません。ただ再編成のために中央に戻り次の一戦に備えているんでしょう」

「アルの言葉は推定だろ? 物事がそう合理的に思うように進むかどうか分かんねぇだろ。俺のは噂だが、納得できるものだ。ここまで無抵抗に進軍できるなんておかしいだろ。これぐらい考えて進んだ方が安全なんだよ」

 隊員一同が目に見えぬ不安について激論を交わしている後ろでジーナは黙って食べていると横に誰かが座った、キルシュだ。

「お前か。こんなに無理して前線に帯同せずに中間地から後方に回っても良いのに」

「この間も隊長はあたしにそう言ったしブリアンもそう言っていたけど、さては、ほほぉん。あたしがいなくなったら男らしい悪さでもするつもりなのかね。駄目だよ隊長そんなことしちゃ。あたしはね前線の事務担当とは名ばかりの龍身様から御指名の監視員でもあるからさ。悪事は逐一報告しちゃうよ。特に第二隊は元罪人が多いんだから監視の眼は厳しいよ。こうして横でご飯食べちゃうぐらいに拘束が激しいってわけさ」

 ジーナが息を吐くとキルシュも鼻で笑い出した。

「自分から監視員と話す監視員というのも面白いな。まぁ悪さと言えばうちの隊は軍律違反者が少ないからな。これは不思議ではなく考えてみるとそれはごく普通のことでな、罪を消すために志願しているのにわざわざ増やそうとなどはしない。それだったら素直に牢屋に入っている方が良いし脱走した方が良い。どこか遥か遠くにな。だが志願しいまも従軍しているからには元の社会に戻りたいからというある意味で前向きな隊員しか残らない。自分は戦いに生き残りこの先は幸せな人生を過ごす権利を持っている、と美しく純粋な願いを抱いている。だからかみんな罪人っぽさがあまり感じないぞ。お前の恋人も少しもそうには見えないからな」

 キルシュは笑い声を出さなかったが代わりに表情は笑みを湛えながら頷いた。

「まぁねブリアンは捕えられた英雄だからさ。それに隊長も罪人にはなんか見えないよね」

 陽気なキルシュの声がジーナの意識は深いところに沈めていき、海底から声があがった。

「……私はとても罪深い男だ」

「ハイネのことなら本当にそうだね。極悪。そこを客観視しているのならまだ人間味が残っているね」

 あっさりと返されたどころか意味不明なことも言われたためにジーナは水面へ一気に浮上した。

「えっ? そこ?」
「ああああ、なんでもない忘れて、はい忘れた。そうだハイネと言えばあれだよあれ、なんだと思う?」

「何を言っているのかよく分からない。あれとはなんだ?」

「とぼけちゃってからにこの、極悪。あたしが知らないとでも思っているの? ちゃんとネタは上がってんだよ。あれだよあれ、手紙。ハイネ宛の手紙だよ旦那さん」

「誰が旦那だ誰が。読んだってあれは先週の便でタイミングが合わないような」

「到着したその日に読んでそれから出発したんだよ。それはもう大忙しさ、あんたさんのせいでさ」

「なんで私のせいなんだ? どこも私と接点がある話に見えないが」

 ジーナがごく自然にそう言うとキルシュの表情は不自然なほど縦の伸び眼は見弾かれ顎は外れそうになっていた。

 それを見ているジーナの肩に突然渾身の掌底が入ったが、大して揺れなかったが、キルシュは泣き声を出した。

「なんでそんなこと言うんだい、酷い、嫁に言いつけるよ! あんたの旦那はあたしという親友を侮辱したってさ」

「嫁って誰だよ……侮辱もなにもなんの話か私にはさっぱりとわからない」

「叩いたつもりだったのに全然動じないし逆にあたしの掌の方が痛いし、暴力では男に敵わないな。ほんと男は言わなきゃ分からないからしょうがないね」

「今の話は女が聞いても分から無いと思うが」

 ブツブツ文句を言いながらキルシュは自分の分の果物をジーナに与えてから首を一回りさせてから気合いなのか息を強く吹いてから、振り向いた。

「あの手紙、ハイネは超喜んでたからね」

「なんで私の手紙で喜んでいるんだ?」

「極悪……」

「えっ? またなんて?」

「ううんなんでもないよ。そう、喜んでた。あの子はあたしの出発の準備をしてくれていたんだけど、折悪しいタイミングで手紙が届いてね。ハイネは普段なら準備が済み終わってから手紙の確認をするんだけど、その時は第六感でも働いたのかね、すぐさま手紙箱から封筒を取り出すと、そのまま完全停止状態さ。あんまりにも動かないからあたしは訃報とかと思って声を掛けたらね……どうしたと思った?」

「うん? 感動していた、とか?」

「どうしてそう思うんだい?」

「いや、話の流れからしてそれ以外とは思えなくて。まさか泣いてなんかいやしないよな?」

 問いに対してキルシュは急に真顔に戻り数秒の沈黙で以って答えた、つもりなのかジーナの追求が来る直前に話を進めた。

「ハイネがこれ、これ、というから見たら隊長の名前と字でさ、あたしはああとうとう遺書が届いてしまったのかと少し覚悟を決めてから読みはじめたらさ、あんたなんだよあの内容は、ルーゲン師とお酒呑んでグダグダ話をした、ことを手紙に書いて面白いとでも思ってるのかい? あれ酔っ払いながら書いただろ?うん面白かったよ」

 当たり前な感想に申し訳なさを感じジーナはとりあえず頭を下げた。

「ルーゲン師の提案でその場の勢いで書き出してしまってな。あの手紙を書いた後もひと話しがあってルーゲン師が酩酊寸前になって意味不明なことを話しだして、慌てて店を出て帰ることにしたんだが、師が僕は酔っていないと繰り返し言って手間がかかって仕方がなかったよ」

「酔っ払いって必ずそう言うからね。まぁ第一通はそんな勢いとノリでもいいえけどさ二通目はもうちょっと、こう、ハイネのことを考えながら書いてあげなよ。そうしたらもっと喜ぶよ」

「とはいえハイネを喜ばしても」

「隊長って普段優しいのに突然冷酷になるってどういうことなんだろうね。人格でも入れ替わっちゃうの?」

 確かに、とジーナはキルシュの心配そうな顔を見てそう思った。

 そうキルシュはハイネとは違ってごく普通の感性を持っているはずでありその言葉を信じていたために自らに対して首を捻った。

 扉に留め具がありそれが引っ掛っているために扉が閉まらず開かずの中途半端な状態であるかのように……

「まっここで話を戻すけどさ、ハイネと手紙を読み出して感想を言いあってそれからあの子が何をしたと思う? すぐさま手紙を書き出したんだよ、手紙。男に対してすぐに返事を出すんじゃないと言ったら、あれはそういう尋常な感性の男じゃないの、って言われてさ。時間が無いのにもっと時間が無くなって本当に大変だったんだよ。隊長のせいだよ隊長のあのタイミングで手紙を出したせいで準備がハチャメチャになってさ。呼び出しの催促の声が来るわハイネは手紙に夢中だわあたしはわめきながら荷物を詰め込むわで日常生活における阿鼻叫喚だったよ。どう? 想像できる?」

「想像したくはないが大変だったな。でも私のせいとは思えないから謝らないが……手紙?」

 呟くとキルシュは勝ち誇った顔でジーナをニヤニヤ見始めた。おかしな沈黙が二人の間を通り過ぎジーナは何も言えずにいた。

 ハイネが手紙を書いた、つまりそれはいまここに?

 思いながら瞬きをすると何かが通じたのかキルシュも瞬きで返し、そちらが口を開いた。途中までの会話が完了済みのように。

「読みたい?」

「だって私宛のものだろ?」

「預かり持っているのはこのあたしだよ。渡すのも渡さないのもあたしの自由」

「そんな自由は、ない」

「受取人がこの手紙に相応しくないと判断したらこのまま預かりっぱなしでもいいとハイネが言っていた気がするんだけどなぁ」

 そんなこと言うはずがないと思いつつキルシュを見ると期待に満ちた目をしている気がした。この目は何かを言ってもらいたいときの眼だと。

「なんか隊長ってハイネに冷酷だから別に手紙を読みたがらないし正直どうでもいいよね。今度帰ったら本人に返すよ。隊長は手紙を読みませんでしたって」

「……読みたい」

 キルシュの眼が笑い光るが、口元は緩まない。

「そんな、無理しなくていいよ。それは義務的にそう言っただけであって本心じゃないよね? 忙しいのは分かっているから、返すよ」

「いやいや返したらあっちが拗れて、後日会った時にめんどうなことになりそうだし」

「そういう保身的な態度で仕方なく読みたいだなんて増々渡す気になれないね。あれだよね、もうハイネと関係が無くなったとなれば手紙とか読まなくていいとか思ってるよね、きっとそうさ」

 こんな最悪な郵便人がかつていただろうか? どこまでも悪い方に捉えて引きのばす癖に、結局渡したいという意思がありありな態度……その粘りにジーナは屈服した

「分かったどうすれば渡して貰える」

「ええぇ? 取引しようというの? あたしそんなつもり全然無かったんだけど隊長がどうしてもというのなら仕方がないから応じるよはい応じると約束しましたこれでそれは無理とか言ったら手紙は絶対に渡さないから決定ね」

 早口に圧倒されるなかキルシュは鞄から手紙を取り出し素早くジーナに差し出した。

「取引をするのなら返信はハイネに気遣ってもらいたいんだ」

「気遣いとは、なんだ?」

「隊長的にそれは良い質問だね。えらいえらい。要するにあの子に配慮というか労りというか優しさというか、そういう温かい人間味のある感情を文章に現して欲しいんだ」

「そんな簡単はことをか? それなら普段でも私は」

「そんな簡単なことができていないから要求しているんだよ、いい加減にしてもらいたいさこの御仁。普段があれなら次のはもう六割増しぐらいにして」

「多すぎじゃないのか? 手紙に書ききれなくなる」

「文章の長さのことを言っているんじゃなくて心だよ心。少なすぎるの。態度や言葉で表せないならせめて文章でやって。できるよね、隊長」

 できない、とジーナはまず頭の中で思うもののキルシュの真剣な眼差しに瞼を閉じ、考える。優しく、か。頭の中で何かがぶつかる音がした。

 それは扉が止め具みたいなものに当たる不快な音に聞こえ、考えるたびに音が鳴り、閉まらない扉がイメージされた。

 閉じない、だが同時に完全に開きもしない、閉じず開かず、その止め具とはなにであるのか? そしてもしも閉じたり開いたりするとしたら……

「分かった。可能な限り、気を遣って書くことにする」

 答えるとキルシュの表情が崩れ笑顔となった。

「さすが隊長だね。期待しているよ、じゃあ読もうか」

 と手紙を開いて手渡した。読むとは、ここで?
しおりを挟む

処理中です...