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第3部 私達でなければならない
妾が導いてやる
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扉を閉めると、闇。
そこは冷たくもなく熱くもなく、また広さもなく狭さもなく、そして高くもなく低くもない、闇だった。
ジーナは自分さえも見失った。手すら、見えない。
印の力は闇の中である程度目が利くようになるというのに、ここではその力は働かなかった。
一切の闇の中でジーナは歩き出した。手探りではなく無警戒のまま歩き出す。
何も見えず何も聞こえず何も匂わず、床を踏む感覚も失われ歩くたびに足が動いているという実感すら次第になくなっていく。
いまはもう歩いているのか止っているのかも分からなくなり、自分が今どこに向かっているのかも不明のままジーナは、そのあるべきところを目指して進んだ。
進んでいるのは、なんだ? 身体か意識か、それとも……何もかもが、そこで止まる。動いている一切の全てがそこで停止した。もちろん自分の意思も。ジーナは下を見る。闇があるだけ。
そうではない、とジーナは思った。そんなはずはない。だから言葉を声を出した。
「ヘイム様」
呼びかけるも言葉は闇に吸い込まれていく。
「ヘイム様、来ました、ジーナです」
だが声や言葉は闇の底へと虚しく沈んでいく。
まさか間違えている? とジーナは闇を見つめるも、すぐにそうではないと気づいた。
でも、突然とある忌々しいことを思い出し、そうすることにした。
そこでなぜか緊張感を覚え咳払いをし息を吸う。不快さが胸に湧くものの堪えた。
なんでこんなことを……しかしジーナはこれは懐かしい感覚だなとも思った。
まさかここでこんな思いをするとは……とも思いつつ言った。
「ヘイム、私が来ました」
すると闇が震えた。笑ったのだなとジーナが感じると同時に笑い声が聞こえた。
よく知る、声。知っていたその、声。ジーナは何も返さずにそれを聞いた。聞き続けて、消える。
「のぉ慇懃無礼という言葉を知っておるか? そなたはずっとそうだな。だがそれでいいぞ、それでな。この場合にはとても相応しくお似合いだ」
闇は闇のまま姿を見せずにいるなかでジーナはそこへ手を差し伸べた。
いま、ヘイムは座っている。床にではなくきっと椅子に。だからその位置にその角度に手を伸ばす。
「手をどうぞ」
「……ほぉ?」
私のぶんの椅子は、無い。見えない、感じ取れない。だから座れない。あなたは立つしかない、とジーナはいつものように、かつてと同じことをする。
椅子を勧めないということは、立たせろという合図だということ。
「分かるのか?」
「分かりますよ」
「ふ~ん」
すると、指先に冷たい何かが触れジーナは首を振った。
「そうではありませんよね」
「これは簡単すぎるか、ではこれは?」
「違いますって」
今度は固い何かに指に当たり、その次もそのまた次もそうであり、その度にジーナは首を振る。
「勘で言っているだけではないのか? 妾が本物を出さないと思ってな」
「違いますよヘイム。見えなくても、分かります。分かるというのは見えることとは違うのですから」
「一丁前なことを偉そうに言いおってからに、ならこれでどうだ?」
またしばらく違うものが来てそれからヌルっとしたものが一瞬怯えその隙を狙ったかのように次にきたものに対し、ジーナは掴みそして言った。
「これが、あなたです」
ヘイムの右手。変わらぬその熱にその形。ジーナは手を取ったまま、待った。次に来るであろうヘイムのその反応を。
しかしなにも返っては来ない、またもや沈黙。もしかして、間違えたとか? まさか、そんな、またこれか?
「あの、これはヘイムの右手で、いいのですよね?」
「ああそうだが、なんだその声は? なにを怯えておるのだこの男は?」
「いえ、手を取ったのに何も言われないので」
「正しい時に正解だと答える取り決めなどした覚えなどないぞ。だいたいが、な。手をどうぞと言われて手を出したが、それ以上のことはなにも聞いておらぬし、こちら側から気を利かせて、ああこれをしたいのか、ならそうしてやろう……なんてことは妾はせんぞ。言葉にしてきちっとそなたの口から言え」
そうだ、とジーナは安心した。この人は、この人なのだと。いつものようにこの人で、変わらぬ命がここにある。
「あの、歩きませんか?」
「そうだな。歩くとするか、妾も座りっぱなしであったからそろそろ歩きたかったところだ、立つぞ」
言われ素直にヘイムが立ち上がるのを手の中で感じながらジーナはその横に立った。見えなくてもそこにはヘイムがいる。
変わるはずもない、変わることなどないのだ。
「一回り程、しようではないか、行くぞ」
ヘイムが歩き出したので共に歩き出すも、見えるものなど一切ない闇。あるのは手の感覚に声に言葉。それが彼女のいまある全て。
「あのヘイム、私は何も見えない状態なのです。闇ばかりで。だから案内や途中で何かあったら教えて貰えませんか」
「呆れた……それでよくもまぁ歩こうなどと言えたものだな。微かどころかまるでときた。こんな頼りない介助人も初めてだ」
「まぁヘイムが私の介助人になればことは解決するわけですよ」
「おいおい信じられぬことを……この男は……どこまでも困ったやつだ」
見えないまでもジーナはその声の感じからヘイムの表情を想像する。眉間を寄せ口元は笑みの形をする。どうやるのか分からぬそれ。
ヘイムの矛盾を現したその表情を私は何度見たことだろうとジーナは思い出す。私はそのどちらを受け取ったのだろう。
その時々で、どちらが正解かは示されずに、私は受け止めてきた。それもある意味で見えていない、闇のようなものであって……
「説明するがここは広めな空間であってな、真ん中には階段がある。下りではなく、上りのだ」
祭壇用のか、とジーナは見えない暗闇に目をやり探す。見つかるはずもないその動きを見たのかヘイムは笑い、言った。
「そんなに上りたいのなら、上ろうとするかのぉ」
「いや、そんなことは一言も言っていないのだが」
「いまの動作はそう言っておるであろうに。一周ぐるっとまわるだけではつまらぬではないか? それにな、思い出してみよジーナ。妾とそなたは階段を下がったことは数限りないが、上ったということは数えるほどではなかったか?」
言われジーナはソグの館を思い出す。その手を取った初回。階段を下がり降りて跳んだ、その時。
以後二度目、三度目と次々と甦り回数を重ねるごとに消えていく記憶を辿り続けるが、そこには共に降りていく限りなき記憶があった。
「だいたいほとんどが芝生地で散歩しているとシオンが戻って引継ぎをお願いしましたし。私はそこで今日の任務は終わり帰路に着きます。だから私と共に階段を上ったというのはおそらく一度ぐらいでしょう」
そうだあの時はかなりぎこちなくうまくはいかなったと再生される記憶のなかジーナが答えるとヘイムの鼻息が聞こえる。闇の中ではヘイムは満足げに頷いているのだろう。
「そうであるよな。だからそなたは階段の下りを得意だが、上りが苦手であったな。それはいけないよのぉ」
「いや、階段を上るのは私は不得意なはずがなく得意と言えますよ。不得意なのはヘイムの方では」
「何を言っておる。妾はシオンと階段を上るのは得意であるぞ。そなたと上るととても苦手になるであろうから、そなたが下手で苦手で不得意なのだ? 分からぬのか?」
奇妙な理屈を言うヘイムの顔はきっと妙なふてぶてしさと開き直りが混在し浮かぶ不思議なものであったろう。
この理屈に付き合っていいのか? とジーナは思いすぐ首を振る。
「つまり我々二人が苦手と言うことでは」
「違う! なにがつまりだこのたわけが! 自分が下手であることを認めたくないばかりに妾まで巻き込むな! 百歩譲って妾が階段を上るのが下手な方だとしよう。しかしそなたが上手であったら妾だって上手となれる。妾ばかりのせいにするではない」
こっちが見えないのをいいことに言いたい放題だなとジーナは思う想像する。いま絶対にヘイムは笑っていると。
声が震えているのだから、確実だと。
「分かりました。私が上手にそして得意になります」
「おっ今日はいつもと違って聞き分けが良くてこっちが助かるぞ。頭が良いぞ。そなたはとことん……頭が悪いからのぉ。聞き分けが悪く頑固で理解力が低くて意味不明なことばかり言ってな。妾が賢くて察しがよくて慈悲深くてその時の機嫌が良いからよかったものの、本来なら出会ったその日のうちに打ち首獄門であったのだぞ」
ヘイムは見上げながら言った、とその姿をジーナは想像する。
その瞳はこちらに向けられている。たったひとつの瞳が自分に注がれる。ひとつの手を握りながらそれを受ける。
それはあの日から始まった。扉を開き一目見たあの時から。瞳の熱はきっと変わらない、それは自分もきっと同じであり、それは永遠に近く……
「そうでしょうね」
ヘイムは吹きだす音を立てた。
「なんだ、おい。今日は賢いだけでなく素直と来たか。だが、いいぞその調子だぞジーナ。それでどこが中心で階段があるか、見つけたか?」
「いいえまだ全然。なにせ、見えませんからね」
「見えぬし分からぬし下手だしどうしようもないな、そなたは」
ヘイムがそう言うとジーナは自分の手を引っ張られ、足が勝手に動かされた。
「ついてこいジーナ。妾が導いてやる。闇であっても怖いものなど何もないぞ。妾がいるのだからな」
そこは冷たくもなく熱くもなく、また広さもなく狭さもなく、そして高くもなく低くもない、闇だった。
ジーナは自分さえも見失った。手すら、見えない。
印の力は闇の中である程度目が利くようになるというのに、ここではその力は働かなかった。
一切の闇の中でジーナは歩き出した。手探りではなく無警戒のまま歩き出す。
何も見えず何も聞こえず何も匂わず、床を踏む感覚も失われ歩くたびに足が動いているという実感すら次第になくなっていく。
いまはもう歩いているのか止っているのかも分からなくなり、自分が今どこに向かっているのかも不明のままジーナは、そのあるべきところを目指して進んだ。
進んでいるのは、なんだ? 身体か意識か、それとも……何もかもが、そこで止まる。動いている一切の全てがそこで停止した。もちろん自分の意思も。ジーナは下を見る。闇があるだけ。
そうではない、とジーナは思った。そんなはずはない。だから言葉を声を出した。
「ヘイム様」
呼びかけるも言葉は闇に吸い込まれていく。
「ヘイム様、来ました、ジーナです」
だが声や言葉は闇の底へと虚しく沈んでいく。
まさか間違えている? とジーナは闇を見つめるも、すぐにそうではないと気づいた。
でも、突然とある忌々しいことを思い出し、そうすることにした。
そこでなぜか緊張感を覚え咳払いをし息を吸う。不快さが胸に湧くものの堪えた。
なんでこんなことを……しかしジーナはこれは懐かしい感覚だなとも思った。
まさかここでこんな思いをするとは……とも思いつつ言った。
「ヘイム、私が来ました」
すると闇が震えた。笑ったのだなとジーナが感じると同時に笑い声が聞こえた。
よく知る、声。知っていたその、声。ジーナは何も返さずにそれを聞いた。聞き続けて、消える。
「のぉ慇懃無礼という言葉を知っておるか? そなたはずっとそうだな。だがそれでいいぞ、それでな。この場合にはとても相応しくお似合いだ」
闇は闇のまま姿を見せずにいるなかでジーナはそこへ手を差し伸べた。
いま、ヘイムは座っている。床にではなくきっと椅子に。だからその位置にその角度に手を伸ばす。
「手をどうぞ」
「……ほぉ?」
私のぶんの椅子は、無い。見えない、感じ取れない。だから座れない。あなたは立つしかない、とジーナはいつものように、かつてと同じことをする。
椅子を勧めないということは、立たせろという合図だということ。
「分かるのか?」
「分かりますよ」
「ふ~ん」
すると、指先に冷たい何かが触れジーナは首を振った。
「そうではありませんよね」
「これは簡単すぎるか、ではこれは?」
「違いますって」
今度は固い何かに指に当たり、その次もそのまた次もそうであり、その度にジーナは首を振る。
「勘で言っているだけではないのか? 妾が本物を出さないと思ってな」
「違いますよヘイム。見えなくても、分かります。分かるというのは見えることとは違うのですから」
「一丁前なことを偉そうに言いおってからに、ならこれでどうだ?」
またしばらく違うものが来てそれからヌルっとしたものが一瞬怯えその隙を狙ったかのように次にきたものに対し、ジーナは掴みそして言った。
「これが、あなたです」
ヘイムの右手。変わらぬその熱にその形。ジーナは手を取ったまま、待った。次に来るであろうヘイムのその反応を。
しかしなにも返っては来ない、またもや沈黙。もしかして、間違えたとか? まさか、そんな、またこれか?
「あの、これはヘイムの右手で、いいのですよね?」
「ああそうだが、なんだその声は? なにを怯えておるのだこの男は?」
「いえ、手を取ったのに何も言われないので」
「正しい時に正解だと答える取り決めなどした覚えなどないぞ。だいたいが、な。手をどうぞと言われて手を出したが、それ以上のことはなにも聞いておらぬし、こちら側から気を利かせて、ああこれをしたいのか、ならそうしてやろう……なんてことは妾はせんぞ。言葉にしてきちっとそなたの口から言え」
そうだ、とジーナは安心した。この人は、この人なのだと。いつものようにこの人で、変わらぬ命がここにある。
「あの、歩きませんか?」
「そうだな。歩くとするか、妾も座りっぱなしであったからそろそろ歩きたかったところだ、立つぞ」
言われ素直にヘイムが立ち上がるのを手の中で感じながらジーナはその横に立った。見えなくてもそこにはヘイムがいる。
変わるはずもない、変わることなどないのだ。
「一回り程、しようではないか、行くぞ」
ヘイムが歩き出したので共に歩き出すも、見えるものなど一切ない闇。あるのは手の感覚に声に言葉。それが彼女のいまある全て。
「あのヘイム、私は何も見えない状態なのです。闇ばかりで。だから案内や途中で何かあったら教えて貰えませんか」
「呆れた……それでよくもまぁ歩こうなどと言えたものだな。微かどころかまるでときた。こんな頼りない介助人も初めてだ」
「まぁヘイムが私の介助人になればことは解決するわけですよ」
「おいおい信じられぬことを……この男は……どこまでも困ったやつだ」
見えないまでもジーナはその声の感じからヘイムの表情を想像する。眉間を寄せ口元は笑みの形をする。どうやるのか分からぬそれ。
ヘイムの矛盾を現したその表情を私は何度見たことだろうとジーナは思い出す。私はそのどちらを受け取ったのだろう。
その時々で、どちらが正解かは示されずに、私は受け止めてきた。それもある意味で見えていない、闇のようなものであって……
「説明するがここは広めな空間であってな、真ん中には階段がある。下りではなく、上りのだ」
祭壇用のか、とジーナは見えない暗闇に目をやり探す。見つかるはずもないその動きを見たのかヘイムは笑い、言った。
「そんなに上りたいのなら、上ろうとするかのぉ」
「いや、そんなことは一言も言っていないのだが」
「いまの動作はそう言っておるであろうに。一周ぐるっとまわるだけではつまらぬではないか? それにな、思い出してみよジーナ。妾とそなたは階段を下がったことは数限りないが、上ったということは数えるほどではなかったか?」
言われジーナはソグの館を思い出す。その手を取った初回。階段を下がり降りて跳んだ、その時。
以後二度目、三度目と次々と甦り回数を重ねるごとに消えていく記憶を辿り続けるが、そこには共に降りていく限りなき記憶があった。
「だいたいほとんどが芝生地で散歩しているとシオンが戻って引継ぎをお願いしましたし。私はそこで今日の任務は終わり帰路に着きます。だから私と共に階段を上ったというのはおそらく一度ぐらいでしょう」
そうだあの時はかなりぎこちなくうまくはいかなったと再生される記憶のなかジーナが答えるとヘイムの鼻息が聞こえる。闇の中ではヘイムは満足げに頷いているのだろう。
「そうであるよな。だからそなたは階段の下りを得意だが、上りが苦手であったな。それはいけないよのぉ」
「いや、階段を上るのは私は不得意なはずがなく得意と言えますよ。不得意なのはヘイムの方では」
「何を言っておる。妾はシオンと階段を上るのは得意であるぞ。そなたと上るととても苦手になるであろうから、そなたが下手で苦手で不得意なのだ? 分からぬのか?」
奇妙な理屈を言うヘイムの顔はきっと妙なふてぶてしさと開き直りが混在し浮かぶ不思議なものであったろう。
この理屈に付き合っていいのか? とジーナは思いすぐ首を振る。
「つまり我々二人が苦手と言うことでは」
「違う! なにがつまりだこのたわけが! 自分が下手であることを認めたくないばかりに妾まで巻き込むな! 百歩譲って妾が階段を上るのが下手な方だとしよう。しかしそなたが上手であったら妾だって上手となれる。妾ばかりのせいにするではない」
こっちが見えないのをいいことに言いたい放題だなとジーナは思う想像する。いま絶対にヘイムは笑っていると。
声が震えているのだから、確実だと。
「分かりました。私が上手にそして得意になります」
「おっ今日はいつもと違って聞き分けが良くてこっちが助かるぞ。頭が良いぞ。そなたはとことん……頭が悪いからのぉ。聞き分けが悪く頑固で理解力が低くて意味不明なことばかり言ってな。妾が賢くて察しがよくて慈悲深くてその時の機嫌が良いからよかったものの、本来なら出会ったその日のうちに打ち首獄門であったのだぞ」
ヘイムは見上げながら言った、とその姿をジーナは想像する。
その瞳はこちらに向けられている。たったひとつの瞳が自分に注がれる。ひとつの手を握りながらそれを受ける。
それはあの日から始まった。扉を開き一目見たあの時から。瞳の熱はきっと変わらない、それは自分もきっと同じであり、それは永遠に近く……
「そうでしょうね」
ヘイムは吹きだす音を立てた。
「なんだ、おい。今日は賢いだけでなく素直と来たか。だが、いいぞその調子だぞジーナ。それでどこが中心で階段があるか、見つけたか?」
「いいえまだ全然。なにせ、見えませんからね」
「見えぬし分からぬし下手だしどうしようもないな、そなたは」
ヘイムがそう言うとジーナは自分の手を引っ張られ、足が勝手に動かされた。
「ついてこいジーナ。妾が導いてやる。闇であっても怖いものなど何もないぞ。妾がいるのだからな」
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