俺と幼女とエクスカリバー

鏡紫郎

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第一章 剣になった少年

第25話 それなら俺を叩き折れ

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(もういいって、まさか……諦めるのか? ナベリウスのこと)

 俺の質問にためらうことなくシャーロットは頷いた。そんな彼女の返答に、なぜだか俺は怒りがこみ上げてきていた。

 あれだけ一方的にやられ、なおかつ死の淵までさまよったのだ、恐怖の一つや二つ体に染み付いていたとしても何ら不思議ではない。おれだって怖くないって言ったら嘘になる。

 それでもシャーロットなら、彼女なら毅然きぜんとした態度で怖気づく俺に、「バカ」、「大丈夫」って言って、何事も無かったように、あのナベリウスにもう一度立ち向かっていくと、そう思っていたんだ。

 だからこんなに弱りきって、まるで立場が逆転したかのような彼女の態度が、俺にとっては悔しくて仕方がなかったのだ。

 わかっている、これは俺のエゴだ。本当の彼女がどんな娘なのか俺はまだ理解していないのに、俺の理想を、俺が長年憧れとしてきた騎士の姿を、彼女に重ねて押し付けているだけだって、心の中では理解しているんだ。

 それでもやっぱり俺は、今の彼女のその死んだ魚のような目を、いつまでも見てはいられなかった。耐えられなかったのだ。

(なあシャーロット、やっぱりもう一度やろう)

 だから俺はそんな彼女に説得を試みた。

(俺、頑張るからさ。シャーロットの足を引っ張らないように精一杯努力して頑張るから)

 今ここで、君のそんな死んだような瞳は見たくない、君の笑顔がみたいんだ。なんて、ちょっとキザっぽいけど、そんな素直な言葉を伝えられたらどんなに楽なことだろうか。その言葉は感情を押し殺されている今の彼女にとって負担でしか無いのはわかっている。だから俺の心がそれを願っていたとしても、言葉にすることはできなかった。

(次こそは君を支えてみせる。怒りに呑み込まれそうになったら絶対俺が止めてみせるから、だから)

 本当に言いたい言葉を押し殺しながらも、彼女に前を向いて欲しいと声をかけ続ける。しかし元高校生程度の語彙力の無い安い言葉では、やはり彼女の心を揺り動かすことはできそうにない。

 このまま本当に彼女が戦うことを諦め、これからの一生を静かに暮らすというのなら、今の俺の、剣としての俺の存在意義は無いに等しくなってしまう。戦うことを求めるなんて間違ってると思うし、野蛮なのは俺も嫌いだ。それでも、剣として生きるというのなら剣としての使命を全うしたい。あくまでも、目の前にいる彼女のために。

 それは渋々ながらも彼女と交わした誓い、でも今はとても大切な絆だから。

 だから振るわれることもなく、こんな目をした彼女をただ見守りながら生きていくぐらいなら、それならいっそ俺は……。

(君がこのまま全てを諦めるというのなら、今ここで俺のことを叩き折ってくれ)

 心から自然とそんな言葉が漏れ出していた。

 それは逃げだったのかもしれない。彼女がここで俺を叩き折れば、彼女が自分の意志で全てを諦めたということになり、俺が彼女の説得を諦めたということではなくなる。つまり俺は、彼女を暗闇の淵から救えなかったという失態と責任から逃げ出したかったのだ。そしてそんな自分勝手な思いとは裏腹に、彼女ならこの試練を乗り越えてくれる、そう信じたいという気持ちも確かに存在していた。

 そうだ、今俺は彼女を試している。心身ともにズタボロに引き裂かれた彼女の意思を試そうとしているのだ。

(言っただろ、俺は君の剣になるって。君の心が本当に刀折れ矢尽きているというのなら、君の思いと共に俺もこの場で朽ち果てよう)

 俺の言葉を聞いて、彼女の瞳が微かにだが揺れていた。俺はそれをチャンスだと思ってしまった。

(俺達は一蓮托生、そう思ってるのは俺だけかもしれないけど、君の心が戦うことを諦めるというのなら、俺という剣の存在に価値はない。だから今、ここで、君に折って欲しい。君の心ごと、君の最後の希望になってやれなかったこの俺という存在を)

 傷ついた彼女を瀬戸際まで追い詰め、彼女の優しさと良心に付け込んで心を揺り動かし、そして最悪の場合全ては自分のせいじゃないと彼女に責任を押し付けようとする。

 自分がここまで最低のクズになれるなんて思いもしなかった。心の奥底が鈍く痛んだ。しかし、もう言葉にしてしまった以上取り下げることはできないし、彼女がこれでどんな結論を出そうと覚悟を決めるしか無い。泣き言は無しだ。

 シャーロットがベッドから飛び降り、ゆっくりとした歩調で俺に近づいてくる。そして弱々しく柄を握りしめると、そのままの体勢で黙り込んでしまう。

 長い沈黙に俺の精神が徐々に乱れていく。覚悟を決めたなんて言ったけれど、死ぬかもしれないというのはやはり怖かった。

「……ない……できない……よ」

 一時間にも一日にも思えた長い沈黙を破ったシャーロットの言葉に目線をあげると、そこには両目を真っ赤に腫らし、涙をボロボロと流す彼女の泣き顔があった。

 本当に叩き折られてバッドエンド、彼女が戦う意思を取り戻して抱きしめてくる。そんなところまでは考えていたが、まさか目の前で大泣きされるなんてこと思いもしなかった。

(あ、えっと、あの、その、シャ、シャーロット……さん?)

 そんな不測の事態に俺の思考は完全に真っ白になっていた。普通に女の子に泣かれるのだってどうしたら良いのかわからないのに、まさかシャーロットが大泣きするなんてこと、考えたこともなかったのだ。

「……一緒……いたい」

(それはその……俺と一緒にって……こと?)

 その質問に頷く彼女の真意は定かではないが、それでも一緒にいたいという言葉は素直に嬉しかった。

「……がんばる……から」

 ついには捨てられた子犬のような表情を向けるまでに至ったシャーロットに、俺はもうどうすることもできなかった。

(わ、わかった、わかったから。折ってくれとかそんなこともう絶対言わないから、ずっと一緒にいるから)

 何やらずっと一緒にいるとかいう、解釈の仕方によっては地雷と受け取られかねないような発言をした気がするのだが、そんなことを気にしていられる冷静さすら、この時の俺の頭のなかには残されていなかったのだ。

「……ほんと?」

(ああ、約束する。だから、なっ。もう泣かないでくれよ)

 俺のその言葉を聞いて、両手でゴシゴシと涙を拭うシャーロット。その両手を目元から離した次の瞬間の彼女の表情を見て、俺はゴクリと息を呑んだ。

 あの無表情なシャーロットがにこやかな笑みを浮かべていたのだ。その不意打ちにおれの鼓動は高鳴りを覚える。

 しかし次の瞬間には、まるで魔法が解けてしまったかのように、彼女の表情はいつもの無表情に戻っていた。その表情のあまりの変化の速さに、まるで彼女に手のひらの上で転がされているような錯覚すら覚えてしまう。

 しかし彼女にかけられている呪い? のことを考えれば、一瞬でもそれを跳ね除けて、感情が表に出るぐらい本気で俺に向き合ってくれているということになるのだろうか。なにはともあれ、彼女の瞳には生気が戻り、いつもの彼女に戻ってくれた。それだけで今の俺の心の中は、大はしゃぎしたいぐらいに安堵と喜びで満ち溢れているのだ。

 そんな思いを噛み締めていると、つんつんと、柔らかな感触がリズムよく俺の刀身を叩いていることに気がついた。視線を上げてみれば、まるでほっぺをプニプニと突くかのように、シャーロットが俺の刀身を優しく突いていたのだ。剣なんて硬いだけで、皮膚みたいに気持ちよくないと思うけど、とりあえず可愛らしいので、彼女が満足するまで突かせておくことにした。

 一分ほど楽しそうに俺を突き大変満足したのか、急に立ち上がると、今度はバルカイトが収納ボックスの上に置いていった手紙へと興味を示したようだ。まだ本調子でない指を一生懸命に動かし、なんとか封を開くと、その中には一枚の白い紙が入っていた。折りたたまれたそれを開き読み始めるシャーロット。その額からは何故か汗が流れていた。

(シャーロット、なんて書かれてるんだ?)

 その問いかけにシャーロットは俺の方へと向き直ると、紙に書かれた文面を見せてくれた。

 ああそうだ、すっかりと忘れていた。その手紙はソイルが握っていたもの。つまりナベリウスが送りつけてきたものだったということを。

 内容を簡単にまとめると、こんなことが書かれていた。超パワーを得られる鉱石を我々は発掘することに成功した。一週間だけそれを使わないでいてやる。それを過ぎたら手始めにこの辺り一帯を焦土に変えてやるので覚悟しておくように。ということらしい。

 ようするに一週間だけチャンスをやるから力を蓄えてかかってこいという、いわば俺達への挑戦状である。一週間……それだけの猶予で俺達はやつに勝つことができるだろうか。いや、やるしかないのだ。ここで怖気づいたら、それこそ俺はシャーロットを焚き付けただけのただの嫌な男になってしまう。何にせよ、シャーロットの体が本調子になるまで待つしか無いか。

 それからどうするべきかなど色々と考えをめぐらしていると、何かを思いついたのか、シャーロットが突然たどたどしい足取りで歩き出し、部屋を飛び出した。
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