その夜、“誰の女でもない”と決めた──名前を脱いだ私の舞台

nana

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誰にも呼ばれずに、拍手をもらった日

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その日は突然だった。
「今日の公演、あなた、立って」
演出家の男がそう言った。

台本もない。セリフもない。
役名すらない。
ただ、名前を持たない演者の一人として、私は舞台に出ることになった。

「この人、なんて紹介すれば…?」
スタッフの女性がそっと聞くと、演出家は即答した。

「紹介しない。“いる”だけでいい」

その言葉に、背筋が震えた。
“いる”だけでいい。
それは、演じるでも、見せるでも、媚びるでもない。
存在することだけが、許されている状態。

私は、楽屋で化粧を落とした。
普段のナナではしないくらい、顔が素に近づいた。
下着は白を選んだ。飾りもレースもない、ただの布。
靴もヒールじゃない。ペタンコの黒いバレエシューズ。

舞台袖に立ったとき、全身から汗が滲んでいた。
なのに、心は静かだった。
「見て」とも「見ないで」とも思わなかった。
ただ、立つことに集中していた。

照明が落ち、わずかな明かりのなか、私は舞台へと歩み出た。

拍手はなかった。
誰も私を歓迎しない。
でも、その沈黙が、何より温かかった。

私は舞台の中央に立ち、呼吸を整えた。
目の前には客席。見えない顔たち。
でも私は、その全員に、“ナナ”としてではなく、“私”として存在していた。

ふいに、何かが解けた。
肩の力も、顎の緊張も、内腿のこわばりも。
私のすべてが、「見せよう」とする力から解放されていった。

拍手が起きたのは、終わって袖に戻ったあとだった。
誰も名前を呼ばなかった。
誰も「よかったよ」と言わなかった。
けれどその拍手は、誰かの“期待”ではなく、ただの“共鳴”だった。

私は初めて、
誰にも呼ばれずに、拍手をもらった。

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