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三柱の世界

乙女心と男心

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 数日が経った。
 ルークスさんはブランチ食べてから仕事に出掛けて、夜帰ってきたら晩ご飯を食べて我が家に泊まるという、完全ヒモ男になっている。
 いや、働いてるし帰ってくるときは必ず手土産くれるし、お花までプレゼントしてくれるから完全なヒモ状態ではないけどね。
 でもまあ私の家に同棲中なかんじあるよね。アザレアさんが居るけど彼は家族みたいなものだから。

 女帝との謁見は一週間後に決まった。
 世界一でかい国とかいうこの帝国のトップと一介の市民が会うだけなのに、やたらと調整が早かったように思う。
 きっと日程調整してる人が優秀なのね。ご苦労様です。どこの馬の骨とも分からぬ異世界人の小娘一人の戯言に振り回されて、中間管理職は大変ですね。
 何か手土産でもと思いつつ、只今、怪物退治した後に寄港したあの港町をぶらぶらと歩いて物色なう。

 ちなみにこの港町の名前は青水の港町アスルオーというらしい。
 どこで知ったかというと、なんと『町の総合案内所』なるものがあった。
 インフォメーションセンターみたいなものだけど、これが町の食堂の一角にあった。食堂と兼業していて、ご飯食べに来た旅人に案内しているわけだ。これは見つからん。てか盲点だったわ…。
 ちなみにそこに地図もあった。がーん。あんなに探した時は見つからなかったのに、ここであっさり見つかっちゃうとは…。
 地図はこの港町のと帝国全土の地図がある。世界地図は無い。一枚青銭五十枚で売られてた。バカ高いな。一家四人一日の生活費よりも高い。
 まあ、一枚一枚が手作りでまるで工芸品のように精巧だから、この値段は適正価格なのだろう。紙も貴重品だし。私は港町と帝国の地図を一枚づつ買った。黄銭一枚を食堂兼案内所のおじさんに渡す。

「ようこそ青水の港町アスルオーへ。デートなら海風公園がお勧めだよ。お土産にゃ日持ちする干物が売れ筋だね」

 ほくほく顔のおじちゃんは、訊いてないのにデートスポットまで教えてくださる。私が尋ねたのはお土産品のことだけなのに。
 デートだと推察されたのは多分、隣で手を握ってくる金髪碧眼ナイスハンサム野郎がいるからだと思われる。
 …おかしいな。私の格好は異世界人が町歩きに欠かせないダサい麻のローブ姿だというのに、これがデートするようなおしゃれ着に見えるかね?
 隣のルークスさんは開き直ったのかなんなのか、ローブ姿をやめて普通に素顔を晒してる。モテ男の顔面を晒してるわけだ。しかもバッチリ決めた軍服姿である。
 最初に船上で会った時の姿だね。町中だと相当に目立つんだけどいいのかなあ。
 目立つと言えば、ルークスさんの首にある処刑人の証。その刺青も目立つ。
 怪我はもう治ってるから包帯は巻いてないし、今は軍服で詰襟に隠してるけど、これ、首を晒したらめっちゃ目立つと思うんだ。まあ、この人はそんなこと気にしなさそうだけど。

「ハツネ殿、海風公園に行こう。そこで愛の鐘を鳴らそう」
「別にいいですけど、愛の鐘ってなんですか」
「昔、就航してた木造船で使われていた鐘が飾ってあるんだ。その鐘を二人で一緒に鳴らすと必ず結ばれるらしい」

 ああ、よくある人寄せ都市伝説みたいなものだね。
 カップルでアヒルボート漕いだら沈むとか別れるとかいうのも地元にあった。
 愛の鐘は、二人で鳴らすのが条件なら、男女じゃなくて男男でもいいわけだ。それでカップル成立しちゃったらもはや呪いだけどな。
 そんなことを口に出したらルークスさんが複雑な顔をした。
「私はハツネ殿とがいい」となんだかヘソ曲げたみたいになったので、握ってた手をギュッと握り返した。
 その行為にルークスさんはやたらと感動したらしく、更に繋ぎ合ってた私の手の甲にキスをしまくり、ついでに頬ずりしまくってくる。

「ひ、人のいるとこではやめてくださいな」
「ハツネ殿は恥ずかしがり屋さんだな。そういう奥ゆかしいところも…好きだ」

 ギャーーー!愛の言葉を耳元で囁くなあああああ
 ほんと人の目あるからね、自重してちょ。もしここが日本だったら周りでヒソヒソそしてドン引きだよ。なにあのバカップルって顰蹙ものだよ。
 どうやらこの国の人たちは外での愛情表現には寛大らしく、「あらあら若いっていいわね」な雰囲気で見守ってくれてるけど、恥ずかしいもんは恥ずかしいわ。

 さっさと案内所を出て目的地へ行こう。
 アザレアさんとは後で待ち合わせてある。アザレアさんもショッピングを楽しんでくるらしい。
『だーって、ふたりの邪魔しちゃ悪いでしょーお』なんてムフフ顔で言われた。
 お気遣いありがとうございます。私もディケイド様が処刑されないよう頑張るから。早く二人が再会できるといいな。

 一週間後に女帝と謁見するから、その前日あたりには帝都へ着いてなくちゃならない。
 アザレアさんに乗って行けば、あっちゅーまに着けるから出発は六日後の予定だ。
 それまでの間、時間があるからこうして港町まで来ているわけだけど…。

「近いです」
「ああ、くっつけば温かいからな」

 ベンチに座って公園の入り口付近にあった屋台でテイクアウトしたクレープもどきを食べていると、なぜか膝を寄せられめっちゃくっついてきたルークスさん。

「だからってゼロ距離はないと思いますけど」
「私たちは恋人同士なんだから良いだろう」

 そう言って私の食べかけクレープもどきを横から齧ってくる。中身はハムチーズである。この世界に甘味は無いので惣菜系が主流らしい。
 クレープもどきは、皮の端っこ部分がパリパリしていて中の方はもっちりとした生地に、簡単なお惣菜を巻いたB級グルメっぽい食べ物である。
 一番人気はハムチーズだったのでそれにした次第。他にも卵サラダとか挽肉を焼いたそぼろみたいなのを挟んであるのも見た。どれも美味しそうである。

「人の食べてるものとるなんてお行儀悪いですよ」
「君にしかしないから大丈夫だ」

 なにが大丈夫なのか知らんが、肩を抱かれて唇まで寄せられてしまえば自然とキスするしかなくなる。
 ちゅっちゅと啄んでから深いキスもして、またバードキスを繰り返してとやっていたら熱々とろけたチーズが冷え固まったんだけど、どうしてくれよう。

「もう一個買ってください」
「お安い御用だ。ついでにアイスも食べよう」

 果汁百%甘さ控えめ(甘味が足りないともいう)柑橘系のアイスキャンディも買ってもらって、再びベンチに腰掛けて食べた。
 また横からアイスを齧られたけど予定調和ですな。今度は仕返しとばかりに私の方からキスを仕掛け、だんだんヒートアップしちゃって気づいたらアイスが溶けてた。
 色ボケにもほどがあるだろう私。

 愛の鐘とやらは海風公園から港を一望できる、ちょっとした小山があってそこの頂上にあった。ピンク色した組紐を引いたらカランカランと鳴る仕組みだ。
 私たちの他にもチラホラとカップルたちの姿があったので、皆さんもれなく愛の鐘を鳴らしたことだろうと思う。なんてことない鐘だけど、左右に揺れて澄んだ鐘の音を聴いていたら、やっぱり結婚を意識してしまうよね。そういう魔法にかかっちゃうんだと思うよ極自然に。今は祝福してくれる招待客が空飛ぶカモメくらいしかいなくても、いつかこの人と結婚できたならと乙女は考えるわけだ。まあ、私も考えちゃったね。小っ恥ずかしくてルークスさんに伝えることはしないけど。

 道を歩く。タイル石の歩道は歩きやすく、所々にモザイクで見たことない模様も描かれていて、ただ地面を見てるだけでも面白い。
 歩道は花壇や植え込みで区切られていて、花壇には季節の花々や塩害に強い植物が植えられ、風に揺れている。
 植え込みも丸型や円錐形、鳥の形や猫の形のものまで様々で見ていて飽きない。

 歩きながらルークスさんと手を繋いでいた。空は澄み切った青空だ。
 相変わらず二つの太陽が浮かんでいて、この世界が地球とは違うのだと再認識させられる。
 今まではあまり意識してなかったのに、突如、私の居場所はここじゃないと強く思ってしまった。
 地球は日本からいきなり異世界へ飛ばされ、寂しいと思う暇なくアザレアさんやミザリーさんといった友達ができて衣食住にも満たされているが、やはりこの世界は己が育った世界と違うので、どこか歪に感じているのだろう。
 その歪んだ部分が最初は小さかったけれど、時が経つにつれて大きくなって今や弾けそうなくらいに大きく膨らんでしまった気がする。

 満たされてるのに満たされていない、この虚無感。

 青空を仰ぎ見る。鳥が飛んでて雲は白い。
 黒い電線なんか一本もなくて空気だって爽やかだ。
 それでも故郷と違う空は私の心に負担をかける。

 ───帰りたい…。

「どうしたハツネ殿」

 ルークスさんにしがみついた。ルークスさんは優しく抱きとめてくれた。
 こういうところ、実に紳士だね。でも今は、もっと強く抱きしめてくれていい。

「ルークスさん、もし私にあの鳥のように羽があったなら、今飛んで行きたい気分です」
「…それは困るな」
「でしょう?だったらもっと抱きしめて、私を甘やかすべきです」

 抱き寄せて、腕の中に囲って、閉じ込めておくべきだね。
 じゃないと本当に私は、元の世界に戻るために、自由の翼を背中に生やしてしまうだろう。

 *

 海風公園を出たのは夕暮れどきだった。
 もっとも、この国は白夜なので時刻だけが夕暮れであって、空は昼間のままだ。
 町の広場でアザレアさんと合流した。アザレアさんは手に何か荷物を持っていた。
 聖霊ボックスがあるのに手で持っているなんて、どうしたことだろうと私はその手荷物に興味を引かれる。

「それ、どうしたんですか?」
『これね~ん。聞いてよ聞いてよ~』

 と、アザレアさんも何やら意味深な手振りで私を呼ぶものだから、アザレアさんの近くまで行って手荷物の麻袋の中を覗かせてもらった。

「ん?これって何のお肉ですか?」

 麻袋の中に入ってたのは何かの葉っぱに包まれた肉の塊だ。
 肉…。それも赤身。筋が多そう。大変ヘルシーそうである。

『聞いて驚くがいいわーん。これ、あの肉よ。あの怪物の、お・に・く』

 お肉を区切って強調するのは『ひ・み・つ』の言い方と似てるんだけど…。どうか気のせいであってほしい。

「あの怪物…?本当にお肉に加工されちゃったんですねえ」

 退治したからには食えとか港のおいちゃんたちに言われた覚えあり。
 本気で捌いてしまったのかおいちゃんたち…すげえな。
 どうやって斬ったのか、そこから疑問だ。
 あれから半月くらい経ってるし腐ってないかと失礼な疑問もわいたが、氷室で寝かしておいてくれたみたいで赤身のお肉は新鮮な度合いを誇っている。
 そういえば日本でも熟成肉とか流行ってた時期があったね。白黴が付着した表面を削り取ってから、分厚く切った牛肉を豪快に焼くというテレビ番組を観て涎垂らしたもんだ。

『それとね、お味噌も貰ったから、美味しい味噌漬け作ったげるん♪』

 弾む声でアザレアさんが告げる。てか、え、お味噌?!まぢ味噌?!
 私はアザレアさんが持っているもう一つの紙袋を覗き込み黄土色の塊を発見する。
 ほわあ~この芳醇な香りは、まさしくお味噌やーん。色合いからすると白味噌だ。
 お味噌を目にした私の瞳は、きっと潤んでたに違いない。だって半月ぶりの再会なんだもの味噌様と。
 それに、ついさっきまで故郷を懐かしんでいたわけだし、目の前に故郷の調味料があって匂いまで脳髄を刺激してくるもんだから…やっばい。涎めっちゃ出てきた。

「ありがとうございますアザレアさん!」

 感激のあまりアザレアさんにしがみつく。
 さっきルークスさんにしがみついた時より勢い良かったかもしれない。だってそれだけ感動感激してるんだもの。しょうがないよねキャホウ!今夜は味噌料理だよ!
 味噌があるってことは米麹があるということだ。てことは、お米も栽培してるってことだ。この世界のどこかに米はある。希望が見えてきたよ。

「は。味噌があるなら醤油もあるんじゃ…アザレアさん、この味噌どこで貰ったんです?」
『これはねえ、お肉くれた人の家に泊まりに来てた海南商人がくれたのよ。今日、港に到着したんですって』
「海南商人!まだいらっしゃるかなあ。醤油あるか聞きたい。あと、お米もあるか聞きたいよー!」

 今にも駆け出しそうにうずうずしてた私の手を、ルークスさんが握り込んだ。
 落ち着けということだろうか。ふとルークスさんの表情を読んだんだけど、読まなければ良かったとちょっと後悔した。なんか不機嫌そうだったから…。

『そんなに慌てなくても、色々と聞いてきたから私が教えてあげるわよお』

 ウインク混じりにアザレアさんも私を引き止める。
 聞けば味噌漬けのレシピも海南商人さんから教えてもらったそうな。
 さすがお料理研究家。すごいやアザレアさん!
 またもや大感激した私はアザレアさんに抱きつこうとしたのだが、それをルークスさんが私の腰を引っ張って戻す。

「はれ?ルークスさん怒ってる…?」
「君は無防備すぎる」
「ひあ?!」

 なんでケツ撫でたし?!さらに胸揉みまで追加?!

『そうねえん。ハツネちゃんて男心に疎いわよねえ。もうちょっと気を付けないと、ただでさえ執着心強そうなそこの男が嫉妬に煽られてめっちゃ束縛してくるわよ』

 え。まさか拉致監禁5秒前でしたか。あっぶないあっぶない。
 まだ胸もみもみしてくるルークスさんの手に自分の手を重ねて「ご…ごめんなさい…」と謝る。心からの謝罪である。それでもまだ足りない気がした。
 首を捻ってルークスさんの方を見やり、もう一度「ごめんなさい」。
 複雑そうな顔したルークスさんは「もういい…」と、私を抱きしめる腕の力を一層に強くした。

 ああ、これぐらい強く抱きしめてくれてたら、飛んで帰ろうなんて思わないから、大丈夫だよ。
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