現実異世界

海果

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増田千夏とは

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[ねぇ、ちーちゃん。ウチ、社会学落ちちゃってさ…。どんな問題出てたか教えてくれない……?]

 試験の合格者発表が学科の掲示板に張り出され、その確認に来た千夏のスマホに瑞希からのメッセージが表示される。

[私の今見に来たところなんだけど、もしかしてまだ学校内にいる?]

[いるよ!自習室3にいる]

[分かった。今から行くねー]




「それで向かったはいいけど、あの子、本当に何も覚えてないの。まぁ、一応私が覚えてた分は全部教えたんだけど……。そっから勉強するのかなって思ってたら、たまたま窓から見えた○○くんを見て、『経営科の□□さんと付き合ってるんだって』とかさ、ほんっとどーでもいい!経営科の人とかそもそも知らんし」

 開口一番に飛び出してきたのは、名前を言わなくても分かるあの子のことであった。大体の事情を把握している敦は、千夏が放つ言葉がそのまま映像としてはっきり思い浮かぶほどによく分かった。
 それでも一応、建前上は言わなければならないことがある。

「あのー……イライラが溜まるたびにバイト先に来るのやめてもらっていいですかね」

 千夏が来るのは決まって他のお客さんがほぼいない時間。どんなにイライラしていても周りへの配慮を忘れないのはすごいことだと思う。
 だったらあと一人配慮してくれる人を増やしてはくれませんか?と思うものの、千夏の口は全く止まる気配がない。

「自分が気になってる人とかならまだわからないこともないけど、彼氏いるんだよ?それに、『あの二人って、お互いに顔で選んでそうだよね。すぐ別れそう』とかさ、もうただの僻みやん。美男美女カップルでいいやん」

「うん、俺のことは無視ね。じゃあ、俺もその話無視していいっすかね」

「…………」

「分かったよ。ちゃんと聞いてるから!」

 無言の圧力により、千夏にいいように使われている敦は、洗い終わったカップを布巾で拭きながらため息をついた。

「だってさー、他に話せる人がいないの分かってるでしょ?私が仮に他の人にこの話したら確実に不仲説流されるじゃん」

「それで不仲じゃないのがびっくりだわ」

「仲いいつもりもないけど、これが一番目立たず平和に過ごせる形なの。でも、適度に発散しないと爆発しちゃう」

「うん。増田さんが爆発したらここ辺り一帯が更地になっちゃうからね」

「…………」

「はいはい、冗談ですよ。マジで怖いからその無言の圧力やめてくれよ」

 千夏は、まだ湯気が出ているコーヒーをひと口啜る。ほのかな苦みが興奮していた頭を冷静にさせる。

「ふぅ……。そういうわけで、自分と他人の恋愛に熱を上げ過ぎて本業がおろそかになっているあの子の目を覚まさせてあげたいけど、私の時間の無駄なので放置することに致しました」

「いいんじゃない。俺としては我慢の限界を迎えて本性をさらす増田さんもみたいけど」

「…………」

 仏の顔を三度までとは言うが、敦は千夏がこれくらいのことで怒るような人物ではないことを良く知っていた。
 無言の圧力など可愛いものだ。本当に怖い時を知っているからこそ。
 学校では常に真面目で、他人に話しかけられたら嫌な顔一つせずにちゃんと話を聞いてやる。そんな絵にかいたような優等生キャラが崩れ落ちる様は、なんとも面白いものだった。
 それだけ自分に対して心を開いてくれているということは重々承知の上なので、このことを他人に話すつもりは一切なかった。そして、敦がそう思っていることを千夏も良く理解しているのだろう。だから、敦の安易な挑発に乗って怒ったふりをし、謝らせるまでの一連のコントを日々繰り返しているのだ。
 人間の裏側なんて大層なものは分からないが、これまで他人を観察し、特性を理解し、自分に都合よく動いてくれるように仕向けてきた。そんな全くもって可愛くない子供時代を過ごしてきた敦にとっては、これも全てがエンターテインメントだった。情報屋とまではいかないが、少なくともクラスの半分の人間については何らかの情報を仕入れている自信がある。
 他人の愚痴ほど面白い情報が手に入れられるものはない。なんだかんだ言って、敦自身もこのやり取りを楽しんでいるのだった。
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