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嵐の夜に

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 鳥がさえずり、静かな人里離れた森の奥地。
 日中は何も変化の無いいつもの風景だったが、夕暮れ、それは一変する。
 ひっそり佇む大樹の下、ブラウンの洞窟の壁を壊さんばかりの勢いで木の破片や石、水飛沫みずしぶきが叩きつけられ、突如襲った荒れ狂う風と豪雨が人魚の森へも到達し、透き通るサファイアブルーの水に濁流が流れ込む。

 海と繋がる洞窟の水の中、押し寄せた濁流で渦潮が起こり、それまで優雅に泳いでいた人魚や魚達の悲鳴が響き渡り、一斉に避難の為泳ぎ回る。

「――パパ!早く!一旦、逃げないと巻き込まれるわ!!」

 ピンクカルサイトカラーの尾を動かし渦潮を上手く避け、深いルビーカラーの髪を持つ娘人魚が、大きな珊瑚の家に居る体格の良い父親の人魚に叫ぶ。

「っ、オーレリア、お前は先にバオバブの木の下、長老の家に行ってなさい。直ぐ追いつくから!」

「でも、」

「―――姉さん!!」

「…え…っ…」

 必死に伝える隣で、声が響いた。
 その声に思わず振り向く。

「姉さん!アルメリアがっ…アルメリアが流されてるっ!!」

「――――っ!?」

 視界に映ったのは、渦潮の水流に巻き込まれる、スカイブルーの尾にシルバーホワイトとディープブルーのグラデーションの長い髪を持つ人魚の姿だった。

「アルメリア!!!」

 アルメリアと呼ばれた人魚は、水流が強過ぎて息が続かないのか苦しそう。目は閉じられていた。
 早く助けなければ幾ら水中で生きる人魚であっても生命が危険である。
 咄嗟とっさにオーレリアは助けようと動く。
 ―――パシッ…
 しかし渦潮へ向って泳ぎ出した瞬間、左腕を掴まれた。

「姉さん、ダメ!」

「――放して!…っ放しなさい!!」

 掴まれた腕を解こうと必死にもがく。
 腕を掴んだのは、アルメリアが流されている事を伝えた人魚だった。

「このままじゃ、アルメリアが大事な私達の妹が流されてしまうわ。―――助けないとっ…」

「助けに行っても、姉さんも一緒に流されてしまう!それに、今は避難が先!!」

 アルメリアはオーレリアの実の妹だった。
 そして、今、腕を掴む人魚も同じく妹。
 アルメリアは三女、腕を掴むのは次女である。

「アルメリアっ…アルメリア――!」

 オーレリアは渦潮に右腕を伸ばすが、渦潮へは届かない。
 叫ぶ声もアルメリアには届かず、渦潮はアルメリアを飲み込んだ継進みだす。
 次女の人魚に思い切り腕を引っ張られながら、オーレリアは渦潮から離された。
 アルメリアは水と共に流れ、人魚の森から姿を消すのだった。
 


 ◇◇◇



「……思ったより、被害はひどくなさそうだな」

 嵐から三日後の夜。
 鬱蒼と草花が生い茂る山と山の間。
 古い遺跡の跡も所々残る―――此処は【竜の国】と呼ばれドラゴンと共に生きる魔力を持つ竜使い達が暮す場所。
 竜の国東方部に位置するこの場所は、青い竜が棲息する青い竜の王国ドラゴンブルーロワイヨムと呼ばれる。
 竜と同じく普通では見慣れない青い植物も多い。
 別名雄大な青い王国グランブルーロワイヨムとも言われてきた。
 人魚の森と同様に、この王国にも嵐が爪痕を残していたようだ。
 青い双頭の竜と湖の水辺の畔に立つ男性。
 レイヴァン・ル・アズュール。
 被害状況把握の為、双頭の竜と共に降り立った。
 夜の暗闇に持って来たランプを前方後方へとかざし辺りを見渡す。
 見渡した限りでは倒れた木々はあるものの、最悪な状態では無かった。
 確認作業中のレイヴァンを双頭の竜は大人しく待つ。
 レイヴァンの所有している複数の竜の中でも、双頭の竜は珍しい。
 王国内で双頭の竜を見掛ければ〈レイヴァンの竜〉と思われる位稀少度の高い竜である。
 そして、双頭の竜が認知されるのは、レイヴァンの容姿も理由である。
 鼻筋の通った整った顔立ち、襟足の長いラリマーカラーの髪、男性にしては肌の肌理が細かく、瞳はカイヤナイトの様な深い青。
 髪色と合わせているのか、胸元がV字に開いた七歩袖でラリマーカラーの少し変わった騎士服を身に纏っている。
 本人は至って自分が容姿端麗であるなど微塵も思ってない。―――が、印象は残るもの。

「レイヴァン、そっちの被害はどうだい?」

 エメラルドグリーンに近い青緑色の竜に乗り、レイヴァンと同じ形の騎士服を着た金髪の男性。
 乗って来た竜を脇に止め、レイヴァンに声を掛けた。

「……そこまで酷く無さそうだ。ルイ」

「なら、夜明けまでには片付けられそうだな」

「あぁ」

 レイヴァン達の声は夜の静けさに吸い込まれる。
 風は日中に止んだが、雨がなかなか止まず霧雨だった為、視界の安全を考えて完全に止んでから動いた。
 レイヴァンの回答を聞いて再びルイは自身の竜に跨った。

「隊長!」

 やっと追いついた!とでも言いたそうな表情を浮かべて、もう一人、竜に跨り短髪の赤毛にクリっとした目が印象的な小柄の男性が水辺に降り立ち、レイヴァンに顔を向ける。

「……ロベルト、遅かったな」

 レイヴァンを隊長と呼ぶ男性、ロベルト・ラ・トネールル。レイヴァンの後輩である。
 レイヴァンがロベルトに呟くと、ロベルトは口をあんぐりさせた。

「何言っちゃってるんですか!勝手に一人先に行かないでくださいよ!隊長の竜に追付ける奴なんて 王国騎士団うちには居ませんからね!!」

 蒼翼空竜騎士団――――王国直属の護衛部隊。
 それがレイヴァン達の席を置く場所。
 レイヴァンは第一部隊の隊長でもある。
 騎士団全体では大きく四部隊+騎士団専門医務小三部隊……計七部隊に分かれており、基本は国の安全部隊であるが、雑用も引き受ける事がある為仕事は案外幅広い。
 ロベルトが文句を言うがレイヴァンは眉一つ動かさず、湖に方に視線を戻そうと動かす。

「――レイヴァン」

 レイヴァンとロベルトのやり取りを黙って見ていたルイが苦笑いを浮かべて口を開いた。

「ロベルトの言葉もある意味当たってる。流石に一人行動は控えた方が良いぜ。仮にも次期国王陛下の身なんだから」

 ルイの言葉にレイヴァンは小さなため息を漏らした。
 王国の騎士団に属しながらも、現国王の息子である。
 国王である父親から命令されて騎士団に入った訳では無く、自分が背負う国の現状を自分で見てみたいと思った事から自ら志願し父親と話をつけた。
 勿論、トントン拍子に隊長になった訳ではないし、自分の父親が国王だからこそ勝手な妬み嫉みも多かった。
 だから、レイヴァン自身を信頼して評価してくれている環境と後輩を含む騎士団の者達には感謝している。
 しかし、騎士団に居る以上皆と同様に仕事はしたいし、次期国王だからと自分まで護って欲しいとは思っていない。
 ルイの言葉はレイヴァンには複雑であり、少々煩わしかった。
 いつかは国を背負わねばならない。
 分かっていても、隊長としての任務を全うする事が今の自分の役割だと……隊長になった日から心の決意だった。

「ロベルト、第二部隊にこっちは第一部隊が引き受けると伝えて来てくれ。」

「それとルイ、序でに碧鷹ヴェールフォーコンを二羽送ってくれ」

 結局、ルイの忠告に言葉は返さず、レイヴァンは目の前の嵐の被害の修復に取り掛かるべく指示を出した。
 碧鷹とは紺色の翼に澄んだ緑がかった宝石の様な眼と眼と同色の線が尾に入っている、騎士団所有の知能が優れた鷹である。
 各個人で所有してる者も多いが、団員全員が持ってる訳ではない為、仕事の時は騎士団専用に王宮で飼われている碧鷹が使われる。

「私はもう少し様子を見て行く」

「はいはい、了解でーす。」

「二羽で良いんだな?」

 不貞腐れた顔をしつつも、指示通りロベルトは竜と飛び立った。
 ルイも指示に従い、似合わないウインクを残して、一旦王宮へ戻る。
 残ったレイヴァンは、再びランプを手に夜の湖を見つめた。
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