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5章 辺境伯領 編
お兄様と呼びます
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皇都では、セレスの戴冠式が正式に執り行われた。
前皇帝による失政で困窮する民を慮り、式は華美な虚飾を廃し、最低限の儀式のみとされた。それでも、その簡素な式を嘲る者はなく、民は新たな皇帝の誕生に期待を寄せ、街には明るい声が溢れていた。
「お前に頼みがある」
セレスは、中央宮の皇帝の執務室にパトリシアを呼んでいた。
「俺は二年で、疲弊してしまったこの国を落ち着かせるつもりだ。そのために、お前にも手伝ってもらいたい」
セレスとパトリシアは表向き、これまで決して仲のいい兄妹ではなかった。実母であるミランダ皇后の言いつけもあり、パトリシアはセレスと距離を取らされてきたのだ。
とはいえ、皇后が娘として自分を愛してくれていたわけでもないことは、子供の頃から察していた。だから、父を同じくするたった一人の兄に、妹として見てもらえる日を願い、密かに慕っていた。
しかし、たまさか皇宮内ですれ違う兄は、いつもパトリシアのことなど見えていないかのように、冷たい目をして通り過ぎて行ってしまうだけだった。
兄妹らしい交流などあるはずもなかったが、それでも兄として慕う気持ちが消えなかったのは、たとえ半分でも血を分けた者への渇きだろうか。
ともあれ、パトリシアには兄からこうして声をかけてもらえることが、素直に嬉しい。
「私が何をすれば?」
「パトリシア、お前は皇后から言われて、皇位に必要なことはすべて学んでいたと聞くが」
セレスの声に、以前のような冷たさはない。皇后という、兄妹を隔てていた大きな閊えが消えたせいだろうか。
「はい。教師をつけられていました。なので一通りは学んでいます」
「ならば、せっかく学んできたものを生かしてみる気はないか? お前に明日より俺の補佐官を命じる。どうだ?」
パトリシアは、驚きに目をしばたたかせてセレスを見た。
「何を言うかと思えば……。でも、承知いたしました。陛下、そのお役目、有難く承ります。……ですが、少しお聞きしても?」
「なんだ?」
セレスの周囲には、宰相やヨハン卿、ジェイデン卿をはじめとする優秀な文官や武官が何人もいる。政治面でも武力でも漏れのない掌握が果たされているはずだ。そこにパトリシアが加わる意味があるとすれば、別の意図があるのかと勘ぐってしまう。
「陛下は私のことを……いえ、いくら皇后が失脚したとはいえ、これまで敵対する立場にあった私を、その役に起用するのは、いかがなものかと思うのですが」
「もう、皇后には何の力もない。だから互いを脅威に思う必要もないんだ。……妹よ」
初めてそう呼ばれて、パトリシアは聞き間違いかと思った。でもすぐに、そうではないことがわかった。
「争う必要のなくなった今、俺たちはただの兄妹となったんだ。何かを争う敵ではなく、な」
「では、……お兄様と呼んでも?」
「かまわないさ。お前の好きに呼べばいい。……ああ、なぜお前をその役につけるのか、説明しておいたほうがいいだろうな」
その後に続けられたセレスの今後の目論見を、パトリシアは驚きをもって聞いた。同時に、兄の幸せが叶うことを心から願った。
(私にできる限りのことをいたしますね、お兄様)
兄には二度と、大切なものを失ってほしくない。
そんな思いを胸に秘め、パトリシアは明日から始まる自分の役目を、兄の期待通りに果たせるよう、改めて気を引き締めた。
前皇帝による失政で困窮する民を慮り、式は華美な虚飾を廃し、最低限の儀式のみとされた。それでも、その簡素な式を嘲る者はなく、民は新たな皇帝の誕生に期待を寄せ、街には明るい声が溢れていた。
「お前に頼みがある」
セレスは、中央宮の皇帝の執務室にパトリシアを呼んでいた。
「俺は二年で、疲弊してしまったこの国を落ち着かせるつもりだ。そのために、お前にも手伝ってもらいたい」
セレスとパトリシアは表向き、これまで決して仲のいい兄妹ではなかった。実母であるミランダ皇后の言いつけもあり、パトリシアはセレスと距離を取らされてきたのだ。
とはいえ、皇后が娘として自分を愛してくれていたわけでもないことは、子供の頃から察していた。だから、父を同じくするたった一人の兄に、妹として見てもらえる日を願い、密かに慕っていた。
しかし、たまさか皇宮内ですれ違う兄は、いつもパトリシアのことなど見えていないかのように、冷たい目をして通り過ぎて行ってしまうだけだった。
兄妹らしい交流などあるはずもなかったが、それでも兄として慕う気持ちが消えなかったのは、たとえ半分でも血を分けた者への渇きだろうか。
ともあれ、パトリシアには兄からこうして声をかけてもらえることが、素直に嬉しい。
「私が何をすれば?」
「パトリシア、お前は皇后から言われて、皇位に必要なことはすべて学んでいたと聞くが」
セレスの声に、以前のような冷たさはない。皇后という、兄妹を隔てていた大きな閊えが消えたせいだろうか。
「はい。教師をつけられていました。なので一通りは学んでいます」
「ならば、せっかく学んできたものを生かしてみる気はないか? お前に明日より俺の補佐官を命じる。どうだ?」
パトリシアは、驚きに目をしばたたかせてセレスを見た。
「何を言うかと思えば……。でも、承知いたしました。陛下、そのお役目、有難く承ります。……ですが、少しお聞きしても?」
「なんだ?」
セレスの周囲には、宰相やヨハン卿、ジェイデン卿をはじめとする優秀な文官や武官が何人もいる。政治面でも武力でも漏れのない掌握が果たされているはずだ。そこにパトリシアが加わる意味があるとすれば、別の意図があるのかと勘ぐってしまう。
「陛下は私のことを……いえ、いくら皇后が失脚したとはいえ、これまで敵対する立場にあった私を、その役に起用するのは、いかがなものかと思うのですが」
「もう、皇后には何の力もない。だから互いを脅威に思う必要もないんだ。……妹よ」
初めてそう呼ばれて、パトリシアは聞き間違いかと思った。でもすぐに、そうではないことがわかった。
「争う必要のなくなった今、俺たちはただの兄妹となったんだ。何かを争う敵ではなく、な」
「では、……お兄様と呼んでも?」
「かまわないさ。お前の好きに呼べばいい。……ああ、なぜお前をその役につけるのか、説明しておいたほうがいいだろうな」
その後に続けられたセレスの今後の目論見を、パトリシアは驚きをもって聞いた。同時に、兄の幸せが叶うことを心から願った。
(私にできる限りのことをいたしますね、お兄様)
兄には二度と、大切なものを失ってほしくない。
そんな思いを胸に秘め、パトリシアは明日から始まる自分の役目を、兄の期待通りに果たせるよう、改めて気を引き締めた。
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