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4,怪異其の弐「地図に無い街」

4-20「勝利の代償」

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「本日は皆さんに、あの森での生配信の後に何があったのかお伝え致します」

 生配信動画を撮影しているスマホのレンズに向かって、ルミたんが神妙な面持ちで一礼した。
 ゆっくりと顔を上げると少し息を吸い、森で起きた出来事を語りだす。
 だが、そのが真実で無い事を視聴者達は知らない。
 そしてルミたん自身も、その物語が真実だと思い込んでいる。
 外界とは隔絶された呪われし森で起きた惨劇の記憶は、既に怪伐隊によって修正されているのだ。
 矛盾がなく合点のいくその言葉は、ヒカオや撮影スタッフの失踪を信じさせるには十分であった。

 間もなくして警察や捜索隊が動く事になったが、森からは何の手がかりも出ず、この一件は迷宮入りする事となる。怪伐隊の思惑通りに……。




「ふーん。確かあの森って応声虫の巣だった場所だよな?」と青髪の男が、スマホを手にしながらワインレッドのソファー越しに顔を向ける。

 後ろのバーカウンターに座る長髪の男は、振り返ることなくウイスキーの入ったグラスを口に付けた。
 ロックアイスが崩れる透き通った音の後に、ゴクリと喉が鳴る。

 青髪の男は返事が返ってくる事に期待出来ないと分かるや、ダーツを楽しむ青年に顔を向け「だよな?」と同意を求めた。

「応声虫? ……あぁ。あ? 全滅してなかったのか?」とバツが悪そうに顔をしかめる。

 青髪の男はその言葉を聞いて落胆混じりの息を吐く。

「おいおい勘弁しろよ。仕事はぬかりなくが俺達のモットーだろうが」
「悪りぃ悪りぃ」

 片手を前に謝る青年の頬には五芒星と髑髏どくろのタトゥーが入っている。
 バーカウンターに座る男がようやく口を開いた。

「例のモノは見つかったのか?」

 青髪の男が肩をすくめながらに言った。

「毎回ソレ聞くけどさ。そんな簡単に見つからないって。何百年探してると思ってる?」

 長髪の男が、回転椅子ごと身を翻し足を床に下ろした。
 立ち上がると持っていたグラスをテーブルに置き、鋭く冷たい目で二人の男をみやる。

「お前達も異変を感じているだろう。もう結界が持たない。早く例のモノを集め儀式を行う必要がある」
「間に合わなかったら天変地異が起こるってか? へへ、俺にとっちゃあソレはソレで面白そうだけどな」

「滅多な事を言うな」と長髪の男がタトゥーの青年を静かに叱咤した。

「じょ、冗談だって……」


 すると、長髪の男から二つ空いた席に、小学校低学年に見える女の子が座っていた。
 白髭を蓄えたマスターはそれを気に留める事も無く、グラスの水滴を拭いている。
 女の子はホットココアを飲むと、木の器に入っているカラフルな飴玉を指で掻き混ぜ、ピンク色の丸い飴玉を口に入れた。

「結界はワシらの命に代えてでも守り抜かんといかんのじゃ。その為にはどんな犠牲もいとわん。残された時間は一年を切った。何としても成し遂げねばならん」

 タトゥーの青年がダーツの矢を投げながら「つってもよ。先代の時から千年間も行方不明のモノを、この一年以内で見つけるとか奇跡に近いんじゃねぇの?」と皮肉混じりに言ったと同時に、ダーツの盤面が爆散した。

 弾け飛ぶ盤面の欠片の中に砕けた飴玉が見えた。
 女の子の右手が拳銃のハンドサインとなり、指先から白い煙が立ち上る。

「だったらさっさと動け。奇跡は待ってても来んぞ」
「わ、分かったって。取り敢えず首飾りから探してくるわ」

 そう言うとタトゥーの青年は店を後にした。




 鏡の首飾りが光ったかの様に感じ、桃眞は目を覚ました。
 ……目が回る。そしてここが何処かも分からない。
 視線の先に浮遊する光玉が、カーテンで仕切られた狭い空間を照らし、ようやくここが陰陽寮の保健室なのだと気付く。
 そして、自分はに意識を失ったのだと悟った。

 気を失って保健室で目を覚ますのは二回目だが、あまり心地の良いものではない。
 誰がここへ運んだのか? あの後に何があったのか?
 考えても分からない事に若干の苛立ちと不安を覚える。
 霞がかっていた意識が鮮明になるや、発作的に蒼季の最後の姿が脳裏に蘇り、心臓が締め付けられた。

 桃眞は痛みを堪えながら上半身を起こし、頭に巻かれた包帯を指先で確認した。
 まだ少しズキズキする。
 ゆっくりとカーテンを開けると通路を挟んだ障子窓の外は夜だった。

「夜……。てか今何時だ?」と言った時、隣の仕切られたカーテンの中から櫻子の鼻声が聞こえた。

「桃眞?」と言い、室内の通路に出てから桃眞のベッドへとやって来た。

「おぉ。櫻子。無事でよかった……」と声を掛けたが、黒い狩衣を纏う櫻子の顔は酷く泣き腫らしていた。

「櫻子……どうしたんだよ? てか慎之介は!?」

 その言葉が来る事を既に察していたのか、櫻子は言葉には出さずも桃眞に目で何かを訴え掛けた。
 それが自分を呼んでいる事だと気付いた桃眞は、嫌な予感を抱きつつも、ベッドから降りて隣のカーテンの中へと向かう。
 布団が掛けられている慎之介の意識はまだ戻ってはいなかった。
 頬に大きな絆創膏を貼り静かに眠っている。
 そして桃眞がゆっくりと、恐る恐る視線を下ろした時、櫻子の嗚咽おえつが耐え切れずに漏れた。

「慎之介の……慎之介の脚が……」

 その続きは言わなくとも分かる。
 桃眞は櫻子にそれ以上言わせまいと、頭を抱き寄せた。
 抱き寄せながら、慎之介の太腿から下の膨らみが無い光景を目に焼き付ける。

 もっと早く応声虫を倒していれば……。
 いや、あの森にさえ行かなければ……。と、後悔と自責の念が込み上がる。




 桃眞は櫻子と慎之介を残し、保健室を出た。
 廊下を抜け中庭を囲む回廊へと近づくと、大勢の人の気配を感じた。

 黒い狩衣を纏う寮生達が中庭で固まり、落涙らくるいする者、忍び泣く者、声を出して泣く者がひつぎを囲んでいる。
 それが任務中に殉職した黒栖 蒼季の柩だと桃眞は直ぐに察した。
 今がお通夜の後なのか? 葬儀が行われる前なのかは分からないが、次々に寮生達が柩に近づき別れの言葉を述べている。

 そこに皇や吉樹、教師達の姿は無かった。
 ただ、壱課意外の怪伐隊メンバーは殆どが揃っていて、蒼季が隊長を務めていた弐課のメンバーは柩の側にいた。
 彼らの表情は悲しみよりも悔しさの色が強い。
 その柩の最前列で崩れ泣いているのは弟の漣季。
 中庭に残響する慟哭どうこくが次第に怒りの震えへと変わった。

「鬼束ぁぁあああ」

 桃眞の姿を見つけた漣季が、怒りと憎しみを篭め睨みつけた。

「なんで兄さんを助けなかったッ!!」と叫ぶ漣季の言葉を聞いて、周囲の寮生達の疑念と非難の眼差しが桃眞に集まる。

 だが、桃眞は否定しなかった。
 もし否定出来るだけの事実があったとしても、そうはしないだろう。
 あの時、一瞬の躊躇いがなければ蒼季は助かっていた可能性が高い。
 地上から見上げていた漣季には、助けられたのに助けなかったと捉えられても仕方がないのだ。

 ――『呪うなら最後まで呪えボケがッ。殺す覚悟のぇ半端モンが。伊達に呪ってんじゃねぇ!!』

 怪伐隊壱課の村雨に言われた言葉を思い出す。
 半端な覚悟だったのかも知れない。
 調子に乗っていたのも確かだった。
 誰よりも早く無限連弾の次の技を体得したおごりがあった。
 どんな相手でも倒せる自信があったが、それがどれだけ愚かな考えだったのか。あの時の自分に言い聞かせたい。
 でも、どれだけ後悔しても事実は変わらないのだ。


 漣季の投げつけた呪符が桃眞の体を吹き飛ばした。
 回廊の壁を突き破り暗い食堂のテーブルをなぎ倒す。
 仰向けで倒れていた桃眞は起き上がろうとはしなかった。
 受けて当然の罰だと思っていたのだ。
 自分のしてしまった事を考えると抵抗する気すら起きない。

 壁に空いた穴から漣季が飛び込んできた。
 悲しみと怒りで破顔しながら桃眞に馬乗りとなり、血が滲む程に硬く握った拳を一心不乱に連打する。

「お前のせいで!! お前のせいで!! 助けられたのにッ!!」

 次の一撃の拳を春平が止めた。

「おいおい。やり過ぎや、このへんでエエやろ。死んでまうで」
「殺してやるッ!!」
「殺すなって。殺人者になってどうするんや? 兄貴がそれで喜ぶんかいな?」

 我を見失っていた漣季は正気を取り戻し、血で染まる拳を見つめると、その場に座り込みすすり泣いた。




 春平は顔が腫れた桃眞を背中で抱えながら男子寮へと向かっていた。
 治療の為に保健室へと行こうとしたが、桃眞が断ったのだ。
 桃眞は一言も話すことなく、ただ虚ろな眼差しを地面に向けていた。

「なんや聞いたで。おどれ、ワシが刀を刺されて倒れた時、キレてとんでもない力出したんやてな。ワシの為にそないな事してくれるなんてエエ奴やないかい」
「……………………」
「ま、まぁアレや。黒栖の兄貴はああ言う事になってもうたけど。ルミたんとオカルト好きの二人組は助けられたやんけ。任務としては全う出来たって事やろ」
「……………………」

「…………なぁ」と桃眞の今にも掠れ消えそうな声が聞こえた。

「なんや?」
「俺達……勝ったのか? 負けたのかな?」

 春平はその難しい問に顔をしかめながらも言葉を絞り出した。

「か、勝ったやろ。実質は……たぶん……知らんけど」
「……なぁ春平……」
「なんや?」
「俺……辞めるわ」
「何をや?」
「寮を……出る」
「はぁ? なんでやねん?」
「俺には誰かを救う資格はねぇ。もう良いんだ。……もう」

 今の桃眞にはどんな言葉も響かない。
 春平はそれ以上何も言わず、男子寮へと連れ帰った。




 高校の授業が終わり休み時間になっても、マナミとエリは黒板を眺めたままぼーっとしていた。
 ずっと得体の知れない違和感を感じていたのだ。
 その違和感の正体が一体何なのかが分からないでいた。

「なぁエリちゃん?」
「なに? マナちゃん」
「やっぱりなんか変やんなぁ?」
「まぁ、なんかポッカリと……と言うかしっくりとは来てないよね」

「アタシ等……何かあったような? 無かったような?」と二人は顔を見合わせると首を傾げた。

「んんー」とマナミは唸ると机の上に突っ伏した。

 そしておもむろにスカートのポケットに手を入れた時、何かが入っている事に気付く。
 手のひらを開けると、そこには一粒のラムネがあった。

「なんでラムネがウチのポケットに入ってるんや?」

 マナミとエリはそのラムネを凝視しながらまたも顔を見合わせた。
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