禁煙

ZERO

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禁煙

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人一倍神経質な彼は今日も朝からイライラしていた。
休日の午前7時過ぎ。

きれいに整理された室内には、コーヒーの良い匂いが漂っていた。
窓からはいくらかの湿度を含んだ風が流れ込んでくる。


「あぁ、イライラする。」


軽く舌打ちをしながら、彼は朝食の食器を片付ける。




彼の生活は規則正しい。それが仕事柄からなのか性格からなのかは定かではないが、毎日6時に起床し、7時に朝食。8時に出勤し、17時に帰宅。18時に入浴し、19時に夕食、歯磨きをすませ、必ず21時までには床につく。
しかしそれは平日の話だ。
休日はやることが少ない。
楽しみも用事も特に無いのだ。

誰にも左右されることのない生活。
彼には妻も子供もいない。
過去に何人かの女性と付き合ったことはあるが長続きせず、そうこうしているうちに40代後半になってしまった。
故に結婚願望はとうの昔に捨てている。


食器の片付けを終えた彼は慣れた手つきで一本のタバコをくわえた。
長年愛用しているライターを使い、しっかりと火がつくように丁寧に息を吸う。
先程までのイライラが嘘のように収まる。

「また吸ってしまった。」

彼はそうつぶやくと淹れたてのコーヒーを渋い表情で口に運んだ。
退屈な休日の始まりである。


タバコを吸いはじめてもう20年以上にもなる。
吸い続けているうちに食後の喫煙は習慣となり、マズイのかウマイのかさえも分からなくなってきた。
はっきりと分かるのは、少し胸が痛くなってきたことと、なかなか禁煙できないということだ。


禁煙には何回か挑戦してきた。
しかし人一倍神経質な彼は、生活のサイクルが一つ狂うだけでいてもたってもいられなくなる。
イライラして体がムズムズするのだ。
そのムズムズがたまらなく気持ち悪い。

様々な道具も試してみたがどれも効果がなく、いらだちが増すだけであった。
彼はそんな現状と自分の性格にも最近もどかしさを感じている。まさにお先真っ暗なのである。


コーヒーをおかわりした彼は何気なくテレビをつけた。
特に興味はなかったが、通販の番組でも見ることにした。
そこには常に笑顔の男性が映っていた。

しばらくいくつかの商品を見ていたがどれもあまりそそられない。

「そろそろお昼にしようか」

テレビを消そうとリモコンを手に取った。その時だった。


「いけませんよ!リモコンを手に取っては!」


彼はドキッとしてテレビの画面を見る。
声の主は通販の番組の男だった。
男は笑顔でこう言った。

「実は最後にとっておきの商品があるんですよ。テレビを消そうだなんて考えはお捨てになられてください。」

なんだ、偶然か。

「お客様、禁煙でお悩みですね?」

「なんだと?」

彼は画面の男に向かって答えた。

「中々辞められないタバコにイライラしていらっしゃいますね?」

「なぜそんなことを知っている。」

「表情を見ればそのくらいのことすぐに分かりますよ。」


そんな事はありえない。

なにせこの男はテレビの中にいるのだ。
こちらの表情なんかわかるはずがない。
すると男は続けてしゃべりだした。

「驚かれるのも無理はありません。なにせ私はテレビの中にいるのですから。ですが私にはお客様の表情がはっきりとわかるのですよ。」 

「なぜわかるんだ。君は番組の出演者なのだから私と対話し、かつ表情まで分かるわけがないじゃないか。」

「それが分かるのですよ。本当は機密事項なんですが…いいでしょう。このままじゃらちがあきませんのでタネをお教えしましょう。」

「もしや…盗撮か!?」


男はとんでもないと言わんばかりの表情を見せた。


「いやですねぇ、盗撮だなんて人聞きの悪い。
実は政府が国民の健康の改善を図る政策として、対象となる一部のご家庭に最新鋭の超小型衛星カメラを設置させて頂いたのです。
その政策の第一弾として、喫煙者の方が対象となっていらっしゃるんです。
もちろんこの番組も全国放送から回線が切り替わっておりまして、お客様専用番組としてお送りしてございます。
つまりお客様は全国から選ばれたとてもラッキーなご家庭なんですよ。
誠におめでとうございます。」

「なにがおめでとうございますだ。結局盗撮ではないか。
それで、どこにカメラがあるんだ?」

「それは残念ながらお教えできません。私のクビが飛んでしまいます。」

「知ったことか。盗撮されたままの生活なんかしたくないぞ。それにそんな嘘信じろという方が無理がある。」

「嘘なんかではございません。第一、こうやって会話されているではございませんか。」


男は作った笑顔のまま話をすすめる。 


「それに、私の話を聞いてくだされば速やかにご家庭のカメラの取り外しをさせて頂いておりますので、今後の生活のご心配をされる必要はございません。」

「本当に話を聞くだけでいいんだな?」

「左様でございます。」

「そうすればすぐに取り外すんだな?」

「もちろんでございます。」

「では、話を聞くとしよう。
いいか、聞くだけだからな。」


彼は割り切った表情でソファに腰掛けた。
この手の人間との押し問答については経験がある。
主張をぶつけあうほうが、かえって時間を費やしてしまうのだ。


「ありがとうございます。
それでは早速お話をさせて頂きますが、先程も言いましたとおり、禁煙でお悩みですよね?」

「そうだが。」

「そんなお客様にとっておきの商品がございます。それがこちらです。」

男がそう言うと、中に錠剤の入った大きめのビンを取り出した。


「なんだそれは?」

「名前をR-300といいまして、喫煙の習慣を改善してくれるお薬でございます。」


なんだ薬か。どんな怪しいものが出てくるかと思えば。
彼は拍子抜けした。


「ご利用方法はいたってシンプルです。
タバコを吸いたいなどのイライラした時に、このR-300を2錠ずつお飲みになるだけでよいのです。
我慢によるイライラを逆に楽しい気持ちにさせてくれますので、無理なく、楽しみながら禁煙することができるスグレモノなのです。」


イライラしないのではなく、イライラが楽しくなる?
少し興味が湧いた。


「本当か?もし本当だったら一度試したいとも思うのだが…そんなうまい話があるだろうか?」

「いえいえ、とんでもございません。
副作用などは一切ありませんので、お客様の様な敏感な性格の方にはもってこいの商品でございます。
諸外国ではすでに何千万人もの方にご愛飲頂いております。」


彼は楽しいイライラが気になってしょうがない。
なにより退屈な休日を過ごさなくてよいのだ。


「そんなにいい薬だったら試してみるか。
虫の良すぎる話のようだが、医学は日々進歩しているのだから、こんなに便利なモノができていても不思議ではないだろう。」


彼は自分自身に折り合いをつけた。


「さすがお客様、ご聡明でいらっしゃいます。
まさにこのR-300は科学の結晶とも言うべきものでございます。」

「それで、いくらするのだ?」

「1ビンで2万円になります。」


驚いた。


「2万円だと?高すぎやしないか?」

「技術の賜物でございますので。」

「ちなみに何ビンくらいで禁煙できるんだ?」


男は即答した。


「禁煙でしたら、1ビンあれば十分でございます。」

「そうか。2万円で禁煙できるなら安いものかもしれないな。
すぐに買うとしよう。」

「お買い上げありがとうございます。それでは明日、商品をお届けさせて頂きます。」

「そんなに早く届けてくれるのか。
幸い明日も仕事が休みだから、一番早い時間帯に届けてくれ。」

「わかりました。では明日の一番早い時間帯にお届け致します。
楽しみにお待ちくださいね。」


男は笑顔のままそういうとすぐに番組が終了し、間もなく『カメラの取り外しが終了しました。』という画面に切り替わった。

彼はR-300のことが楽しみでしょうがなかったせいか何の疑問も抱かずテレビのスイッチを消した。 



翌日。彼のもとにその薬と、販売元である会社の商品カタログが届き、すでに朝食を済ませていた彼は早速2錠飲むことにした。

白いごく普通の錠剤で、糖衣で覆われているのだろうか表面が少しテカテカしている。


彼は期待に胸を踊らせながら薬を飲んだ。


するとどうだろうか。イライラという言葉の意味も分からないくらいに楽しい気分になってきた。
自然と表情も笑顔になる。
今なら何でも出来そうな気がする。
もしかしたら結婚相手も見つかるかもしれない。
そうだな、黒髪ロングのおだやかな相手がいいな。

脳内をたくさんの幸福感が満たし、嫌な事など何も感じなくなった彼は、薬を手に取って感激の眼差しでビンを見つめた。
良い買い物をした。


そして12時になった。


昼食を済ませた彼の表情からは、笑顔が消えている。
どうやら薬の効き目が切れたらしい。 

再び薬を飲む。
すると一回目と同様、幸せな気分になり自然と笑顔になった。 


このような生活が一週間続いた。
彼の部屋からは灰皿が消え、ライターもなくなっていた。


しかし最近妙に薬の効き目が短くなってきている様に思う。彼は多少の不安を抱いていたが、そんなものは薬が忘れさせてくれた。



薬を飲みはじめて一ヶ月くらいになるだろうか。ついに残りの錠剤が底をついた。

「ついに禁煙に成功したぞ。
体も以前より健康になった気がする。
しかし、これを飲んだときの幸福感を味わえないとなると少し寂しい気もするな。」
彼はそうつぶやいた。


日に日にその感情は強くなっていった。
初めはふとした時に思うぐらいであったが、いつの間にかまたあの薬が欲しくなり、徐々にその欲求はエスカレートしていった。 




「あぁ、イライラする。」




イライラした時に薬を飲むことが習慣になっていた彼は薬を飲めない事にいらだっていた。

すると、彼はある事を思い出した。

薬と一緒に届いたカタログの事である。

彼はすぐにそのカタログを開き、販売元の会社に電話をした。

電話口から聞こえてきたのは、楽しげなトーンで話す女の声だった。

「毎度ありがとうございます。ご注文を承ります。」

「R-300を1ビン欲しいのだが。」

「かしこまりました。ではご住所とお名前をお聞きしてもよろしいですか?」

彼は住所と名前を答えた。

「それでは明日お届けさせて頂きます。ごきげんよう。」



その翌日、届いた薬をすぐさま飲んだ彼は再び幸福感と笑顔を取り戻したのだった…。
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