タグ・アンソロジー ~異世界恋愛の人気タグを元にした、ひとひねり短編集~

卯崎瑛珠

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タグ1 婚約破棄

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 ノーフォーク公爵は、王家の血筋である。その誇りを持ち、幼少時から行われる教育はハイレベルであり、マナーから政治に至るまで淑女になるべく育ったのが、長女のドリアーテだ。見事な金髪で水色の瞳を持つ、十七歳の令嬢である。
 両親と楽しく触れあった記憶は、ほとんどない。
 厳しい家庭教師や執事の元、言葉遣いから指先の動かし方に至るまで、毎日緊張して過ごしてきた。
 
 
 そんなドリアーテがやってきたのは、毎年国王主催で開かれる、社交界デビューを果たす貴族の子女のための夜会である。豪奢なシャンデリアがいくつも下がる王宮のダンスホールに、彼女は立っていた。
 ノーフォーク公爵夫妻は、隣国の王女の誕生会に招かれていて欠席。それでも婚約者のエスコートがあれば、と思っていたのだが、現実は違っていた。
 
 同い年で、幼いころから婚約者と定められた王太子ヘンリーは、ドリアーテではなく別の令嬢をエスコートしているからだ。
 ドリアーテは、貴族学校に共に通う彼が、婚約者の自分よりも子爵令嬢であるマリベルに夢中なことを当然把握していた。
 
 とはいえ婚約というのは家同士の政治であり、契約である。さすがに国王主催の大夜会で、ヘンリーがやらかすとは思ってもみなかった。
 
「ヘンリー殿下。今、なんとおっしゃいましたか?」
「僕は、真実の愛を見つけた! ドリアーテではなく、マリベルと結婚する!」

 どよめく会場のあちこちで、自分をニヤニヤとあざ笑う女性たちの顔と家名を脳裏に焼き付けながら、ドリアーテはまた質問をする。

「どうやって?」
「そなたとは、婚約破棄だ!」
「……念のためお聞きしますが、殿下の一存でできることなのですね?」
「僕が言えば、父上が何とかするに決まっているだろう!」

 す、と冷めた目で壇上を見てみれば、その父上――国王は頭を抱えている。

「なるほど。ではマリベル嬢に質問します」

 びく、と華奢な肩が震え、顔の半分以上をヘンリーの背中に隠すようにしている。この時点ですでに失格な対応だが、あえて見逃す。

「この王国の主要産業三品目と、交易国それぞれの外交大臣、並びにその夫人のお名前を仰って」
「そ、んなの、わかるわけがありません!」
「そう。なら慣例として王太子がになう外交に同行するのは難しいですわね」
「僕が分かっていればいいだろう!」
「ご夫人の誕生花やお好きな茶葉もです」
「……これから、学べばいい!」
「マリベル嬢の学校での成績はご存じ? 何度も先生に呼び出しを」
「やっぱり、いじわるだわ! ずっとわたくしを叩いたり、悪口言ったり……うわああああん!」
「まぁ。そんなデタラメ。よくもスラスラと言えたものですわね」
「黙れドリアーテッ。誰か、誰かあれを即刻退場させろ!」
「はあ。誰の手も煩わせませんわ。自分で歩けます」

 凛とした姿勢で、ドリアーテは玉座を見上げる。

「陛下。正式な手続きは両親とお願いいたしますわ」
「っ……」
「ではみなさま、ごきげんよう」
 
 美しいカーテシーを披露してから、ドレスの裾を少しも乱すことなく、ドリアーテは会場出口に向かって足を踏み出す。
 氷の令嬢だ、感情はないのか、これで殿下は幸せになれる、などと無遠慮な言葉が投げかけられる。
 それらにも全て微笑みを保ったまま、しずしずと退場した。
 

 会場を出て、裏庭の噴水近くまで来ると――ドリアーテはようやく体の力を抜き、ぼろぼろと号泣しだした。

 
「嫌いな勉強も、マナーも、役割だと思って、無理してがんばってきたのにいいいいい」
 
 もう誰も見ていない。誰もいない。
 ぐしゃぐしゃに泣いたっていい。がんばらなくても良いのだ、と思うと、涙が止まらなくなった。

「結局男って、おっぱい大きくておばかな子が、好きなのよねええええええええ」
 
 ベンチに腰掛けると、ドレスのパニエが乱れたがもう気にしない。上質なサテンの手袋を乱暴に脱いで、それで涙と鼻水を拭く。
 
 十七年間の努力が、一瞬ですべて否定されてしまった。自分はこれから、何を目標に生きていけば良いのだろう。
 もちろん、仕草も言動も残念なヘンリーと添い遂げることに、疑問がなかったわけではない。ただ公爵令嬢とは『こうあるべき』と思っていただけだ。

「もうやだ」
 
 一瞬にして、アイデンティティを失った。
 これからは『婚約破棄された哀れな女』と後ろ指を差されて生きていくしかない。

 ドリアーテはどんどん自分で自分を追い詰めていく。
 いつだってこの国のレディの手本となるべきだと、誰とも深く交わらず、弱音を吐くこともなく、公爵令嬢を演じてきた。家族と団らんしたことすら、記憶にない。
 
「友達も、好きなものも。結局なんにもないわ……あーあ」
 
 素手の手のひらは、何も持っていないように見える。

「なら、我が国に来るが良い」
「!?」

 ドリアーテは、驚いて顔を上げる。いつの間にか、噴水の向こうに黒髪の男性が立っていた。
 やや年上で、一目で武術をたしなむと分かる体つきに、鋭く赤い目をしている。ドリアーテはその姿に、見覚えがあった。

「リガリア皇国が皇子、アロンツォ」
「アロンツォ殿下……」

 泣きはらした目でぼうっと見つめた後で、ハッと立ち上がりカーテシーをしようとするドリアーテを、アロンツォは手で制した。
 黒い詰襟フロックコートの胸ポケットからハンカチを取り出し、噴水の水に浸して渡してくる。

「これで目元を冷やせ」
「っありがたく、存じますわ」
 
 素直に受け取ると、苦笑される。
 
「俺が怖くないか?」
「いいえ、まったく。お優しいとは思いましたが」
「この見た目と魔力で『呪われ皇子』と呼ばれている」
「ただの遺伝ですわ」
「いでん、とは?」
「人の目や髪の色と言うのは、先祖代々いろいろ掛け合わされた結果で、持って生まれるだけです。なにより、黒と赤ってかっこいいじゃないですか」
「ふははははは」
 
 心底おかしそうに笑うアロンツォを見て、ドリアーテも微笑む。

「お、泣き止んだな。……そんなに愛していたのか?」
「まさか。わたくしだって、あんな脳みそがくるみの中身みたいな人、御免です」
「くるみの、中身!」
「殻は無駄に固いくせに、中身すっかすかですことよ」
「いかん、あの顔を見たらくるみが思い浮かんでしまうではないか」
「なら、侮辱罪は同罪ですわね?」
「我が国でなら、罪にはならんぞ」
「あら、本気ですの? こんな、はしたなく泣くような女ですわよ」
「むしろ良いではないか。表では凛として、俺の腕の中では泣く」

 ニヤ、と呪いの皇子は笑う。

「さて涙が引いたなら、戻ろう」
「え?」
「あんな自分勝手な婚約破棄が許されるなら、俺の婚約も許される。だろう?」
「まあ!」

 側に立つと、アロンツォはエスコートのために手を差し出した。
 
「ところで、魔法は怖くないか?」
「リガリア皇族の血統に受け継がれるのですわよね。むしろ羨ましいですわ。あのご令嬢ご自慢のプラチナブロンドを、真っ黒こげにしてやりたいですもの」
「やってやろうか」
「お気持ちだけで充分」

 ドリアーテは、頬を赤らめながら自信満々のアロンツォの手を取り――


 
 ◇

 

 ――それで? 隣国に嫁いで溺愛されて幸せになりました、だとぅ?

 
「んなわけ、あるかっつうの」
「っ、誰だ」

 アロンツォが警戒心を剝き出しに、俺に対峙する。

「また夢見ちゃったんですね、ドリアーテ様」
「いいじゃない、リューゲ。あ、わたくしの侍従ですの」
「……無礼な」
「殿下。わたしはドリアーテ様の護衛です。他国の皇子に誘拐されそうになったと判断しています。ですからこれは、正当防衛にあたります」
「誘拐などと!」

 激高する皇子に、俺は冷めた目線を投げる。

「ほら、気が短い。リガリア皇国の呪われ皇子って、脳筋で有名でね。魔法も剣の腕もすごいけど、それって城じゃ何の役にも立たないんですよ」

 語りながら、さくっとドリアーテ様の前に立ちふさがる。

「ドリアーテ様の賢さに、今は惚れたかもしれませんけどね。まあ数年は溺愛されて幸せかもしれないですねえ。でも国が安定して年取ったら、手のひら返してうるさい年増だとかいって、若い令嬢に入れあげるんです」
「なんだと!」
「体鍛えてる人って、いつまでも『若い』って自負がありますからね~。でも残念、おっさんになびく女の子って欲しいのは金だけだから。それで国庫圧迫してドリアーテ様激おこで、離縁されて国は傾いて~ああ最悪のシナリオだ」
 
 アロンツォは、拳を握りしめてぶるぶると震えている。

「侮辱が過ぎる」
「侮辱と感じるということは、その未来が想像できるってことです。ありえないなら、鼻で笑って一蹴されればよいだけのこと」
 
 俺の背後で、ドリアーテ様は息を呑んでいる。

「だいたい、弱っている女性に付け込むのが許せない」
「!」
「ドリアーテ様と婚約したいなら、勢いで既成事実を作るだなんて言語道断です。きちんとした段取りを踏んで書簡を寄越してください。やってることはあの王子と全く同じですよ」
「んまあ! ほんとだわ!」
「うぐ」

 それから、あからさまに呆れた態度でもって、はあと大きく息を吐いてやる。
 
「たかが侍従の私ごときに反論できないあなた様に、わが国随一の才媛を嫁がせる? 冗談ではない!」
「な! うぐぐぐ」
「ってわけでドリアーテ様。あのクソ王子から一生分の慰謝料もらって、俺と暮らしましょうね。縁談がきたら、このようにちゃんと精査した上でご婚姻を進めますので」

 ぐい、と華奢な手首をつかんで強引に引っ張ると、素直についてきた。
 ロレンツォはそれを、呆然と見送る。追いかける気概もないのか、とあきれ果てる。イキって出てきた割に退場が早すぎないか?

 
 だいぶ離れたところで、ドリアーテ様がくすくす笑い始めた。
 何事かと振り返ると、にっこりと微笑まれる。天使のようだ。
 
「んふふふ。やったわ!」
「え?」
「リガリアの呪われ皇子にすら臆することなく、わたくしを守る。そのような殿方、他にいないわ。それにリューゲったらわたくし以上に賢く、騎士団長より強い。ないのは身分だけ。でしょう? やっと証明できるわ!」

 それはその通りだが、この王国で男爵子息でしかなかった俺が身分を得るのは、不可能である。

「慰謝料の代わりに、わたくし侯爵位を賜るつもりよ! そして、リューゲと一緒にノーフォークの分家となるの。女侯爵を、支えてね? お父様、喜ぶわぁ」
「ええとその……ええ? あっ! もしかして俺、はめられましたか!?」

 

 ――いたずらっぽくぺろりと笑うドリアーテ様に、俺は一生敵わない。
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