同棲契約

森川圭介

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#1同棲契約

いやな上司は同居人

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今日は待ちに待った引っ越しの日。荷物は纏めてある。
賃貸契約の書類を持って、マンションに向かった。
値段のわりに綺麗で、独り暮らしの女子にもってこいのスーパー、コンビニ、駅に近く安全。
部屋数も通常より一つ多い。安いのは若干駅から遠く、都会から遠いかららしい。
まずは、手荷物を部屋に入れてから大屋さんに挨拶に行かないと。扉の前に誰かが立っている。隣人さんだろう。
背後から声をかけた。
「こんにちは、今日からここに引っ越してきた浅田由佳といいます。」
振り返った男性は見覚えのある顔だった。
「相沢さん」
「浅田か。どういうことだ。」
クールというより鬼上司。一瞬で血の気が引いた。
今一番会いたくない人だ。昨日は書類の作成ミスで説教された。
「俺も今日からここに越してくる予定なんだが、鍵が開かなくて。賃貸契約の紙を見せてくれ」
紙を見ると同じ部屋になっていた。
「管理会社に電話をかけてみる」
相沢さんは電話をかけて、みるみる顔色がいつもの仏頂面に戻っていく。暫くして切った。
「あっちの手違いだと。申し訳ございません、と謝られただけだ。どちらか片方がまた別のマンションに行くしかないようだな。」
早々に気分が滅入ってきた。
「立ち話もなんだ、部屋に入れてくれ。お前が正しい方の鍵を持っているんだろう。俺のは、多分押し入れのじゃないか」
なんだかんだで二人で部屋に入った。
楽しい引っ越しのはずだったのに。
「それで、どうする。ここは職場から近いし安い割には綺麗で便利だ。お前は勿論、俺もここに住むつもりでいたからそう簡単に納得は出来ん。確かに俺は男で五才以上も年上だが、ここでレディーファースト、大人の対応とはいかない。」
つらつらと並べられていく。
このままでは、私が出ていかないといけない。
「私も嫌です。起こったことは仕方がないので、話し合いをしましょう」
「勿論だ」
二人でいくら話し合っても埒が開かない。
それから三時間が経過した。その時、相沢さんが顔をあげた。
「わかった。じゃあ、俺とここで住まないか。
どちらかがよりいい物件を見つけたらすぐに出ていくことにしよう。或いは、結婚をして広い部屋に相手と住む為に引っ越すかもしれんしな。」
私は顔をしかめていた。
「相手なんていないですよ」
「生憎俺もだ。」
睨み合って更に話が進まない。
「とりあえず、二人ともここに泊まるしか仕方がない。諦めろ。明日、明後日も家賃は出るのにホテルで泊まるわけにはいかない。」
「分かりました。じゃあ、私があの部屋に行きます。」
私はツカツカと個室に入った。
数時間後、「浅田」の呼び声に部屋を出た。
「どうしました」
ダイニングに座っていた。向かい合うように、紅茶が置いてある。
「俺が持ってきた紅茶だ。飲みながら話そう。」
相沢さんが紙を机に置いた。
「明日からどちらかが出ていくまでのルールを作った。」
よく見る恋愛映画の序盤みたいになってきたな、と思いつつ紙をのぞいた。家賃は折半。光熱費も折半。
「相沢さんの方が倍くらいお給料高いじゃないですか。
ちょっとくらいまけてくれても」
「それは出来ない。あくまで他人と住んでる訳だからな。
給料なんて考慮出来ない。」
ラブラブになるわけないが、あまりにもかけ離れている。
一度は夢見た勘違いでのイケメンとの同居。
私は現実を突きつけられてうちひしがれた。
さらに、細かいことが全て書かれている。
お風呂は毎日六時半~七時が俺。俺は湯船には浸からない。
俺の入浴後に、お湯を張ること。
門限は十時半。それ以降は帰ってくるな。
「なんで門限がこんなに早いんですか。飲み会を途中で抜けないと駄目じゃないですか。」
「俺が十一時に寝るからだ。寝る間際にごちゃごちゃされてはかなわん。」
部屋の鍵はいるときもいないときもずっと閉めておくこと。
洗濯は交互に。自分の部屋に干すこと。
ご飯は各自で。全くの別居状態。
「ここまでとは。分かりました。」
「しかし、お手洗いが一つしかない。こればかりは仕方ない。会社のお手洗いとさほどは変わらないだろう。まだ、誰が使ってるかわかるだけマシだ。マンションに一つの共用トイレと比べてもいい。」
「それもそうですね」
ごみ捨ては朝早く出る方がやる。共用スペースの掃除は週替わりでやる。新婚かよ。
冷蔵庫に入れるものには名前を書いておく。
レンジやトースター、その他の家電は共用。
テレビのみ引っ越しで持ってきたものを部屋に置くこと。
最後に、守秘義務を守ること。
「しっかりと決めておくことで、トラブルを防げる。
確認したらここに印鑑を押してくれ。」
私が印鑑を押したこの日からギクシャクした同居人との生活が始まった。

恋なんてもうしない。彼氏に振られて私はそう決めていた。
つい先月別れたばかりだった。婚約破棄をされた。
目が覚めると、隣のキッチンで音がした。
薄く扉を開けると、スーツを着ている時とは違うTシャツ一枚の相沢さんがいる。
コンビニで買ったパンと持ってきたコーヒーメーカーで出したコーヒーを飲んでいる。
ノーメイク、そして昨晩も話し合いの後以来部屋にとじ込もっていて、顔を合わせていない。
お風呂には彼が出た後に入ったが、彼の部屋が閉まる音がしてからお風呂に向かった。全く生活リズムを合わせない。
キッチンとは別方向の洗面台で顔を洗い、部屋でメイクを済ませて、着替えた。
その頃、玄関が閉まる音がした。そろそろ出勤時間だ。
彼が出ていったのを確認してから家を出た。
鍵はお互いに持っているから、後に出た私が閉めなければならない。どうせ向こうでも会うのかと思うと気持ちが重い。
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