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00 彼が王子様を殺そうとした理由
「──紹介しよう。お前の兄になる、マティアスだ」
父の、やたらと響く声とともに、部屋の扉が静かに開き、子どもだったノアは母とともに豪奢な部屋へ足を踏み入れた。
深紅の絨毯、磨き上げられた白い大理石の柱、金と銀で装飾された調度品の数々。壁にかかる、幼いノアには読み解くことのできない絵画。
そして、窓際の光の中に立つ、少年――
(……綺麗)
第一印象は、それだった。部屋にある輝かしいもの全てが、その少年のためだけにあるように思われた。そこに立っていたのは、まるで精霊か、神様が創り給うた人形のように整った顔立ちの少年だった。
白銀色の髪は柔らかな輪郭を描き、窓から差し込む陽光を受けてきらきらと輝いている。その双眸は透き通るような、この世のどんな宝石よりも美しくて深い藍色だった。
すらりとした体躯は子供ながらすでに均整が取れており、纏っている服もまた一級品であることが一目で分かる。
彼はノアと視線が合うと、ふわりと微笑んだ。
「はじめまして。マティアスといいます。今日からよろしく」
凛とした声が静寂を破る。マティアスは笑顔のまま、ノアに向かって手袋を嵌めていない右手をそっと差し出した。
年齢は確かノアより5歳年上の12歳。彼の所作は既に洗練されていて、上品で、その指先まで完璧に美しい。
ノアはその手をじっと見つめた。この手をとるか迷ったのは、ほんの一瞬だ。
「僕はノアといいます。よろしくお願いします。マティアスさんを穢す訳にはいかないので、握手は遠慮させて頂きます」
その瞬間、ノアの母の肩がわずかに震えたのが分かった。不愉快に思われても構わなかった。だって目の前の少年は本当に神様の使いにしか見えないほど神々しいのだ。自分が触れていい存在ではないと思えた。
「……それは、どういうこと?」
マティアスは微笑んだままだったが、その美しい瞳の奥底に困惑の色が浮かんでいるのが見て取れた。
父から聞いてないのだろうか?
「そのままの意味です。僕の身体の中には、生まれつき忌むべき闇属性の魔力があるので、触れないよう注意してください。治そうと努力はしているんですが……難航していて……」
言葉は途中で途切れた。マティアスがノアの手を強く握ってきたからだ。突然の接触に驚いて息を呑む。
「痛かったり、熱かったりとかない?大丈夫?」
「あ、はい……大丈夫です。あの」
マティアスの予想外の行動にノアは戸惑うばかりだった。こんなにも不用心で良いのか。
彼は少しだけ屈むと、今度はノアの背に手を回して抱きしめてくる。ノアは硬直した。生まれてから一度も、こんな風に誰かに触れられた記憶など無い。
「ノアの魔力は禍々しいものではないみたいだし、俺はノアの魔力で穢れたりなんてしないよ。安心してくれ」
「でも」
「……大丈夫。君は穢れてなんかいないよ」
耳元で囁く優しい声に、ノアはなぜか泣きたくなった。
彼はノアの中に渦巻いていた恐怖を敏感に感じ取り、それをはっきりと否定してくれたのだ。その日、初めて会った兄は、そのままのノアを、怯えることも嫌悪することもなく受け入れ、抱き締めてくれた。
「ノアが家族になってくれて嬉しいよ」
ノアはその日、神様ではなく人間だったマティアスの言葉に救われた。大げさでなく、その瞬間彼は灰色だったノアの世界に彩りを与えてくれたのだ。
だから、兄に何か不幸なことがあれば、ノアが兄を救うのは当然のことだと思えた。それが、ノアのせいならなおさら。
たとえ、そのために自分の人生がめちゃくちゃになったとしてもだ。
***
マティアスとの出会いから10年後。
取調室、という名の薄暗い部屋の中で、ノア・オルコットは小さな机に両手を置いて俯いていた。両腕には魔術封じの手錠がかけられている。
蝋燭の灯がゆらぎ、壁に落ちる影だけが大きく揺れていた。
「……それでは、6 年前に君を庇って魔物に襲われて亡くなった兄のマティアス氏を生き返らせる為に、君は禁術に手を出したと。これについては相違ないか?」
無機質な声が問い掛けてきたので、ノアはゆっくりと顔を上げた。
正面の椅子にはアデリナ・ミュラーと名乗った魔法省の女性捜査官が座っている。彼女の名前には聞き覚えがあった。確か、アストレア学園の入学式での魔物襲撃事件を担当していた捜査官のはずだ。彼女の後ろには、記録係なのか若い男性捜査官が痛ましげにこちらを窺っている。
「……そう思っていただいて結構です」
「肯定するということか」
「事実とは多少異なるところもありますが、概ね合っていますので肯定します」
「……君は光属性の魔力の持ち主だったマティアス氏の魂を異界から呼び覚ます為に、同じく光属性の者の魂が対価として必要だと考えた。だからあの時、……建国記念祭の日に、光属性の魔術の使い手であるこの国の第二王子サミュエル殿下を狙った。これも間違いないか」
「はい」
禁術を使って王族を害そうとした罪。この国では最も重い罪を、少年は堂々と自ら認めてしまっている。通常ならば、極刑を免れることは出来ないであろう。アデリナは溜息をついた。
「君を唆せた奴は誰だ?誰が君に禁術について教えた?」
アデリナは膝の上で組んでいた両手を解きながら問うた。その口調は変わらず淡々としているものの、僅かに声量が増した気がした。
どうやら犯行に至るまでの過程が問題らしい。単独犯とするか、真の黒幕が居るとするか。
ノアは少し考えるそぶりを見せてから口を開いた。
「私個人の意思で行ったことです。召喚術の術式は、スペンサー博士の残された文献を参考に独自で研究しました」
クライヴ・スペンサー伯爵は、かつて宮廷魔術師であった人物であり、第二王子サミュエルの教育係でもあった。闇属性の魔術研究に勤しんでいたという彼は5年前、精神を病んで異常行動を起こし自らの研究成果に火を放った。現在は行方不明となっている。
「……スペンサー博士の闇属性の魔術に関する研究資料は禁忌扱いで、その貴重な資料も大半が灰になったはずだが、……何故君はそれを知り得ている?」
アデリナの鋭い質問に対しても動揺せず、ノアは静かに答えた。
「博士の関係者の方から提供していただきました。その方の名前は黙秘します」
「……なるほど」
どうやら、目の前の少年は全ての罪を自分一人で被ろうとしているらしい。アデリナはもう一度ため息をつくと腕を組み直し、額に皺を寄せた。何かを考え込んでいるようだ。その後ろでは若い捜査官が不安そうな表情で自分達二人のやり取りを見守っている。
沈黙の時間が流れる中、口火を切ったのは再びアデリナだった。
「……ノア・オルコット殿。……申し訳ないが、実は君に対する処遇は既に出ている。魔法省は今回の事件に関して、君は誰かに騙され、操られていた被害者にすぎないと判断することになっている。捜査は継続されるが、君が自分の意思ではなく操られて行動してしまったと認めれば、すぐにでも釈放されるだろう。暫くは自宅で謹慎し行動を監視されることにはなるが、いずれ学園にも復学できるはずだ」
「禁術を使って王族を襲った者を、無罪放免にするのですか?……それは、俺が公爵家に属する者だからですか」
ノアは僅かに顔を顰めると、責めるような口調で問いただした。
アデリナはゆっくりと首を横に振る。
「君はまだ未熟な学生で、守られる立場にある。……この判断に政府高官である君の父上や君の実家が全く無関係だとは言わない。だが、君が気に病むことではない」
「……俺は公爵である父と血の繋がりはありません。守られるべき存在ではない。……自分の行動に後悔はしていませんが、裁きは受けます」
彼の頑なな言葉に、アデリナは苦渋の表情を浮かべるしかなかった。
「……君に選択肢はないんだよ。最終的にこの決定をした一番の理由は、今回の事件の襲撃対象となったサミュエル殿下の意向に沿うものだ。彼は君を裁きの場に引きずり出すことを望まなかった。優秀な君を自分の近くに置くことで、利用価値があると考えたのだ。何を企んでいるのか理解不能だが……。とにかく、殿下のご意向を無視することはできない。君の意見は重要ではないのだよ」
成人とされている年齢になったばかりでまだ幼さの残るノアの顔には、複雑な感情が渦巻いていた。その美しいアイスブルーの瞳が不機嫌そうに細められると、相手を射抜くような鋭い光を帯びる。思わず身構えたくなる威圧感があった。
しかし彼の美貌や高貴な雰囲気のせいか、そこには不思議な魅力も感じさせた。
「……分かりました。指示通りに証言します」
意外にも素直に了承の意を示したことに安堵しながらも、アデリナは続けた。
「建国記念祭で、君がサミュエル殿下に危害を加えようとした現場を目撃した者は多数いる。その点については?」
「……『私は第二王子サミュエル殿下の姿を見て混乱し、正気を失っていました。あれは事故でした』とでも答えれば満足でしょうか」
「……それでいい」
少年は表情を変えずに返答すると、また目線を机に戻し唇を引き結ぶ。まるで話すことはもうないとでもいうように黙り込んだ。何を考えているのか分からない不気味さを感じながらも、アデリナはこれ以上時間を取るのは無駄だと判断した。
「……では一旦これで話は終わりだ。君への正式な沙汰が決まったら改めて連絡する。公爵家から迎えが来るまでここで待機しなさい。お疲れ様だったな」
その後部屋の外に出てドアを閉める前に振り返ってみても、少年は変わらず俯いたままでいた。アデリナは肩越しに小さく息を吐き出し、静かに部屋を後にした。
ノア・オルコットが学園に復学するのは、それから数ヶ月後のことである。
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