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2巻

2-2

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「おい、お前一人か? キノ王国の大切な聖女の出迎えに子供一人をよこすなど、バカにしておるのか!」

 ダージリ隊長が、騎士服の少年にすごんでみせる。

「いえ、滅相もございません。あちらに、聖女様のお供をさせていただく者が控えております」

 少年が示した場所には、見える範囲だけでも大きな馬車が五台も並んでいた。

「聖女様のお荷物を積み替えさせていただきたいのですが、荷馬車はどちらに?」

 少年の言葉に、ダージリ隊長はキノ王国側には二台しか馬車がないことを馬鹿にされたと受け取ったらしい。顔を真っ赤にして怒鳴った。

「ここから先は、ミーサウ王国が聖女様のすべての面倒を見る約束で、こちらで荷物を用意する必要があるなど聞いていない! それよりも、お前のような少年兵を代表に据えるなど、何を考えているのか」

 少年兵だと馬鹿にした言葉にも、少年は平然とした顔をして頭を下げた。

「聖女様、お許しください。動ける人間の中で、一番位が高いのが僕でしたので」

 少年がダージリ隊長ではなく、私に話しかける。
 見た目は十五歳くらいだけど、やりとりを聞いているともう少し年上にも感じる。サラサラの薄茶色の髪。意思の強そうな立派な眉と優しそうなこげ茶の瞳を持つ、美少年だ。
 無視されたような形になったダージリ隊長がさらに怒りをにじませ、少年にあざけりの言葉を投げた。

「はははっ、よっぽどミーサウ王国は人材不足と見える。こんな子供が、一番位が高いだと。これじゃあ、騎士全体の能力も知れたものだな! 聖女を遣わせてまで戦争を終わらせなくたって、そんな弱体化した国など――」

 うっわー、ダージリ隊長、いくら相手が子供だからって……

「ダージリ隊長、陛下のお決めになったことを批判するような発言はお控えになったほうがよろしいかと」

 マーティーがダージリ隊長の背後に回り、小さな声でささやく。
 そのタイミングで、私は聖女として挨拶あいさつをする。

「もう、聞き及んでいるかとは思いますが、私は聖女ではなく聖女候補です。こちらは私の補佐をしてくれるルーシェです。それから、私の護衛ナイトのマーティー」

 ルーシェとマーティーの紹介もしておく。あえて「護衛ナイト」と言ったのは、失礼なことを言ったダージリ隊長とは別であることを強調したかったから。
 なるべくミーサウとも仲良くできたらいいと思う。わざわざ憎しみや戦争をぶり返すような感情を出す必要はない。

「自己紹介が遅れ失礼いたしました。僕は、騎士隊長代理としてお迎えの任をたまわった、イシュル・ディウ・ミーサウと申します。イシュルとお呼びください」
「名前にミーサウが……」

 国の名前が名前に入っているということは……

「はい。第四王子ですので。兄が即位した後、王家を出て公爵家をおこせば名前からミーサウは外れますが」

 お、お、お、王子?
 びっくり仰天。王子がお出迎えにっ! マスクと眼鏡で顔が隠れていてよかった。もう、なんていうか、絶対驚きのあまり間抜け顔している自信がある。
 驚いたのは私だけではなかったようだ。
 さんざん子供子供とバカにした発言をしていたダージリ隊長が、真っ青になって震えている。

「では、行きましょう。聖女様、お手をどうぞ」

 イシュル殿下が騎士らしい美しい所作で手を差し伸べてくれた。
 身長は私よりも十センチくらい低い。キノ王国と同じであれば十五歳から騎士になれるはずだから、そのくらいの年齢ってことだよね。

「マーティーみたい」

 ふと、マーティーの顔を見て思い出し笑いをする。

「え?」

 マーティーが突然名前を出されて驚きの声をあげる。

「僕と、マーティーは似ていますか?」

 イシュル殿下も不思議に思ったのか、首を傾げる。

「ご、ごめんなさい。あの、マーティーも兵になりたてのころは、私より背が低かったんです。だけれど、一年でぐんぐん背が伸び始めて、今ではこんなに大きくなったなぁって感慨深くなってしまって」


 ガルン隊長のように、がっしりした体つきではないものの、身長はかなり高い方だ。首が痛くなるほど見上げないといけない。

「それは似てると言われて嬉しいです。マーティーのように背が伸びるかもしれないってことですよね」

 イシュル殿下が笑ってマーティーを見た。

「お、恐れ多いことです……」

 マーティーが困った顔をする。
 はい。私も恐れ多いです。目の前に差し出された王子の手を取るなんて……

「イシュル殿下。先ほども申しましたが、私は聖女候補ですので、聖女様ほど位は高くはなく……」

 それどころか、本当は聖女候補の影武者の下級巫女だからね。王族を前に言葉を発することすら、本来ならありえないことで……
 そう言うと、イシュル殿下は首を横に振った。

「一歩ミーサウ王国に入れば、聖女様です。我々にとっては、唯一無二のお方です」
「唯一無二……」

 イシュル殿下の言葉に、ルーシェがほおを染めた。
 あ、そうだよね。私じゃなくて、本当はルーシェのことを言っているんだもん。私があまり謙遜けんそんしすぎると、彼女の立場をおとしめることになるわけだ。反省です。
 ルーシェの身を守るには、聖女候補でも大切にされる必要がある。

「ありがとうございます」

 というわけで、素直にイシュル殿下の手を取り、国境を越えた。

「くれぐれも、キノ王国の大切な聖女……頼みましたよ」

 ダージリ隊長が含みのある言葉をかけてきた。単に最後に強がっただけなのか、それとも何か深い意味があるのか……
 イシュル殿下に手を引かれ連れていかれたのは、五台の馬車とは距離を置いて止められていた、通常の倍ほどの大きさがある馬車だ。今まで使っていたのは、向かい合って座る席があるだけの造りのものだったが、これは乗合馬車のように何十人か乗れそうなサイズ。
 その馬車のドアを、イシュル殿下が自ら開く。

「申し訳ない。よもや侍女を一人もお連れしていないとは思わず……。我が国で用意した侍女も、その……」

 殿下が言葉をにごした。その後に続く言葉は何なの? まさか……?
 距離を置いて止めてある五台の馬車を振り返る。なぜ、距離を置いているのか。
 なぜ、国境に殿下一人が迎えに来たのか。
 王都を出発した時には〝症状のなかった者〟がまざっていたとしたら……

「ルーシェ、行きましょう」

 五台の馬車に向かって歩を進める。

「あ、ハナみ……ハナ様!」

 ルーシェが慌てて付いてくる。

「ま、待ってください、そちらに行ってはいけません。聖女様、そちらの馬車には……っ!」

 イシュル殿下が止めるのも聞かずにずんずん歩いて行き、一番手前に止まっていた馬車に近づく。この馬車もまた、乗合馬車のような大きさだ。
 馬車のドアを開く。中の造りは簡素で、長椅子がいくつか設置されているだけだった。もともと乗合馬車だったのかもしれない。
 椅子の上と、椅子と椅子の間の隙間に、人が所狭しと寝かせられている。

「駄目です、聖女様にもやまいが……」

 殿下が追いつき、私の肩に触れた。

「聖女が、聖女の仕事をするだけです」

 にこりと笑って見せてから、馬車に乗り込む。
 殿下が馬車の入り口に姿を現し、見知らぬ私が乗り込んできたというのに、寝かされている人たちは何の反応も示さない。
 かなりひどい状態だ。でも、大丈夫。右手を一番手前の患者の胸に当てる。

「【いやし】を……」

 ふわりと、周りの空気が少し温まったような感じがする。
 手を当てている女性の顔色がみるみるよくなっていく。荒かった呼吸も落ち着き、ゆっくりと目を開けた。

「もう大丈夫ですよ」
「あ……の」

 女性の口からかすれた声が漏れる。いったいいつからこの状態だったのだろう。水も飲めていなかったに違いない。ちょっと振り返ると、馬車の入り口まで付いてきていたマーティーと目が合う。
 すぐに察したのか、マーティーが小さく頷いて動き始めた。大丈夫。必要なことは、王都でもいろいろと奮闘していたマーティーがやってくれる。私は、患者をいやすことに専念しよう。ルーシェも、一刻を争う患者にいやしをほどこし始めた。
 二人目、三人目と、手前の人から順にいやしていく。女性も男性も同じ馬車に寝かされていたが、分ける余裕はなかったのだろう。それとも、病状の進行具合で分けてあるのか。
 いやしたのは十名。うん。まだ魔力は大丈夫。
 高熱で息も絶え絶えになっていた者たちは、突然体が楽になったことに驚きを隠せないでいた。

「さぁ、次の馬車へ行きましょう」

 次の馬車も同じような感じだった。
 さらに十名をいやす。まだ魔力は残っているけれど、次の馬車に向かう途中でルーシェにいやしを頼む。

「ルーシェ、お願い」
「はい、ハナ様。【いやし】」

 よし。魔力が一気に回復した。
 イシュル殿下はもう止めようとせず、茫然と五台の馬車を移動する私たちを見ていた。

「聖女……様」

 イシュル殿下のつぶやきが聞こえる。勝手をする私に対するあきらめの声だろうか。
 はっと、我に返る。よく考えたら〝王子〟の制止を振り切っちゃったよっ。や、やばい? でも、病人ほうっておけないし……えーっと、うーんと――そう、罪に問われる時は私だけのせいにして、本当の聖女候補のルーシェは関係ないって主張しよう。
 五台目の馬車には、寝ている人はいなかった。まだ少しだけ体力に余裕のありそうな人たちが、馬車の壁にもたれて座ったり、椅子に座ったりしている。
 隣の人にもたれかかっている人もいることから、単にもう寝かす場所がないだけという可能性もある。二十名といったところか。
 そうしていやしたのは、全部で六十名。馬車の外にいた健康な人は、五名ほどしかいなかったから、ほとんどの人がはやりやまい罹患りかんしてしまったんだ。というか、六十名でお出迎えって……キノ王国は護衛が六名しかいなかったから、すごく多い気がするんですが。でもこれが普通だとすると、どれだけキノ王国にひどい扱いをされてたのかってことで……ルーシェが気の毒になる。
 最後の馬車での治療を終えて外に出ると、馬車の前には治療が終わった人たちが並んで膝をつき、頭を下げていた。
 うっわ、何これ。

「聖女様、ありがとうございます」

 先頭にしゃがんでいた、白髪しらがが目立つ男が口を開いた。

「ありがとうございます、聖女様!」

 すると、それにならい人々が口々にお礼を述べる。あの、いや、ええ?

「顔を上げてください。えっと、聖女ですから、人を治癒するのは仕事ですので……」

 聖女といっても、所詮は力の強い巫女だという認識しか私にはない。
 巫女の仕事は、下級だろうが、中級だろうが、上級だろうが……そして聖女だろうが、人をいやすこと。人を救うこと。それだけだ。

「聖女とは、王族専用の巫女様だと……そう聞かされていましたが」

 私の目の前に立つイシュル殿下の言葉に、ルーシェが小さな声で話し始める。

「確かに、我が国では巫女の力の強さによって勤務地が異なります……聖女は力が強いため、王都の要人のために城に配置されますので、王族専用と思われがちですが……」

 ルーシェが小さくため息をついて続ける。

「実際は、聖女といえどもいやせる人数に限りがあり、いざ王族に何かあった時に魔力切れを起こさないためにいやしを控えているだけなんです。もっと多くの人がいやせれば……いいえ、もっともっと多くの人を救っている人こそ、真の聖女。王族専用の巫女を聖女なんて呼ぶ必要などないのです。だけれど、ハナ様は違います。王族専用の巫女ではありません!」

 ルーシェが悔しさというか、自分の力不足にイラついているような顔をする。

「そうですね。王族専用の巫女ではなく、本物の聖女は……単なる役職ではない。聖女候補だと言っていたが……キノ王国は我らに本物の聖女を遣わしてくださったということですね」

 イシュル殿下がニコニコと笑いながら、膝を折る。ちょ、一国の王子が、私に対して膝を折るなんて! いや、今の私は聖女候補の代わりだ。ルーシェを大事にしてくれるってことなんだろう。イシュル殿下は、王族だからって権力で何もかも思い通りにしようとしない、いい子なのかな。

「ありがとうございます。皆を救ってくださり、どう感謝の気持ちを表せばいいのか……」

 殿下は、家臣のために頭を下げているんだ。いえ、国民のために。戦争の降伏条件として聖女を派遣してほしいと言ったのは、王族のためではなく国民のためということ?

「我々は、聖女様に心からお仕えしたいと思います」

 仕える? 殿下が? 違うよね、聖女が仕えるんだよね?
 混乱する私に殿下が頭を下げた後、後ろにいる女性に目配せした。

「はい、私も――聖女様のためなら何だっていたします。メイスーと申します。侍女として何なりとお申し付けください」

 私と同じ、二十三、四歳の落ち着いた雰囲気の女性だ。話しやすそうかな。

「ありがとうございます。皆さんよろしくお願いします。その……立ってください。早速出発しましょう」

 と、声をかけると一斉に皆が動き出した。馬車の中でぐったりしていた人たちだけれど、もともとは優秀なのだろう。きびきびと自分のすべきことをし始める。
 そうして、ガタガタと馬車に揺られて一時間。
 馬車の揺れ方が変わった。土の上から、石畳の上を走る揺れ方になったのだ。窓から外を見ると、街の中に入ったことが分かった。
 馬車から見える街並みは、キノ王国と少しおもむきが違う。ああ、異国に来たんだなと実感した。キノ王国では石造りの建物が中心だが、ミーサウでは白壁の建物が多い。壁に土を塗って作っていると聞いたことがある。
 しかし、こんなに大勢のお迎えが必要だったのかな? 私とルーシェが乗っている馬車の後ろには、五人の侍女が乗る馬車。その後ろに荷物の積まれた馬車が一台。三台で進むことになった。病人がいた五台の馬車は、置いていくようだ。
 私の乗っている馬車の前後左右に、それぞれ馬に乗った五名ずつの護衛。殿下も護衛にまじっている。残りの護衛はどこにいるのかな? 馬車の後ろ?
 窓の外から顔を出すのもはしたないかと思ったけれど、好奇心には負けました。
 少しだけ馬車の窓から顔を出して後ろを確認する。

「あれ? いない」

 となると、前?
 前方を見る。

「いた」

 かなり先の方で護衛たちが街の人たちに何か話をしている。
 え? 街の人たち? もう一度後ろを見る。通ってきた道に人の姿はない。
 ……護衛たちは、馬車が通るために人にどいてもらっているということ? まぁ、確かに子供が飛び出して馬車にひかれたりしたら大変だけど。それにしても、街道の脇に寄らせず、姿が見えなくなるところまで行かせるのはなぜ? 暗殺者の心配をしているとか?

「ねぇ、ハナ巫女……街の人たちの姿が見えないけど、どうしたんだろう」

 逆の窓から外を見ていたルーシェが尋ねてきた。

「うん、なんか護衛たちがずっと前の方で、街の人たちに道をあけさせてるみたい」
「道をあけさせてる? 隠しているわけじゃなくて?」

 隠すって? 私たちを? 聖女が通るのを隠すの?
 それとも、私たちから街の人たちを隠している……?
 もう一度窓から外を見る。ずっと先の護衛が、街の人を背負って横道に入っていくのが見えた。

「隠しているんだ……。ルーシェの言う通り……」

 窓から顔を出したまま思わず叫んだ。

「馬車を止めて! 止めてーっ!」

 馬車が止まると、イシュル殿下がすぐに近づいてきた。

「どうかされましたか、聖女様」

 どうしたもこうしたもない。ああ、怒っても仕方がないんだけど、とても嫌な気分だ。
 通行の邪魔になるといけないから、道からどいてもらうというところまでは分かる。だが、これはそんな理由ではなかった。
 ……人の姿が見えない……。それをこんなに怖いと思ったことはない。
 馬車の扉を開ける。

「イシュル殿下、街の人たちはどこですか? ……病気の人たちは? 神殿ですか?」

 そう問うと、イシュル殿下が首を傾げる。

「神殿? いえ、亡くなった者たちは街外れの墓地に運ばれます。司祭がそちらに向かって祈りをささげるので神殿にはおりません」

 は? 亡くなった者?

「亡くなった者ではなく、今やまいで苦しんでいる人たちは、どこにいるのか教えてください。神殿でなければ、どこに治療院があるのですか?」

 キノ王国では神殿、もしくは神殿に併設されるかたちで治療院がある。どの街もそれは同じだ。街のほぼ中央にあり、どこに住んでいても治療を受けに行きやすいようになっている。

「治療院は……ありませんので、それぞれが自宅で静養しているかと」
「治療院がない?」

 意味が分からず、唖然とすること数秒。なぜと尋ねようとして、ガルン隊長の話を思い出す。
 巫女が……巫女がいないからだ。まったくいないわけじゃないだろうけれど、地方の街にまで配置できるだけの巫女がいないんだ。
 だけど、巫女がいなくたって、怪我や病気の人に処置をする者は必要じゃないのだろうか。
 冷やせば楽になるとか、動かさないように固定したほうがいいとか、咳には大根をすりおろしてはちみつに混ぜたものを飲ませると楽になるとか……そういう、巫女のいやし以外の部分で患者にできることはいくらだってあるのに。
 それらの知識は、私は巫女見習いの時に神殿で教えられた。だから知っている。
 ……巫女がいないということは、いやしを行ってもらえないというだけでなく、こういう知識も継承されていかないということなの?

「殿下、私の顔、どう思います?」
「え? あの、聖女様の、その……」

 突然尋ねられて、イシュル殿下は返答に困っている。そりゃそうだろう。顔を覆う大きなマスクに、大きな眼鏡。髪の毛はひっつめて、見た目がよいとは言いがたい。

「マスクは、病気の罹患りかんを防ぐのに効果があります。鼻や口からやまいが入ってくることもあるので、患者を触った手でそこに触れないように。同じく目の粘膜から入り込むやまいもあります。うっかり目をこすってしまわないように、飛び散った血が入らないように……眼鏡が役に立つのです。多くの患者と接して巫女が罹患りかんし、それに気付かないまま別の患者にうつしてしまうことがないよう、このような姿をしています」

 とはいえ、実際ここまでしている巫女は少ないんだけどね。私の場合は別の理由もあるので……顔色が悪いのを隠すとか、目がかゆくなるのを防ぐとか……

「そうだったのですか! 失礼いたしました。その、顔を隠されているのは何か事情があるからなのだと思っておりましたが……そもそも隠しているのではなく、隠れてしまっているのですね。お恥ずかしながら、ミーサウ王国では過去のあやまちにより、巫女も、巫女の持つ知識までもが失われてしまいました。無知であることをお許しください」

 やはり、そうか。私たちが神殿で見習い巫女の時に教えてもらうようなことすら、伝わっていないんだ。

「ルーシェ、お願いできる?」

 ルーシェには、私が何をしようとしているのかすぐに伝わったようだ。

「もちろんです。ハナ様」

 一人じゃ無理。でも、ルーシェと二人ならば。

「街の中央に広場のような場所はありますか? 神殿はどこに?」

 私の質問に、イシュル殿下に代わって護衛の一人が答える。

「もう少し進んだところが中央広場です。神殿は広場の西側にあります」
「では、私とルーシェをそこに連れて行ってください。病人を広場に運んで、動けない人は連れて来るように。動ける人には広場に行くように言ってください。返事すらできない人もいるでしょう。息があれば助けられます。いえ、助けてみせるので、もう駄目だろうなんて判断せず、とにかく連れて来て!」

 なるべくたくさんの人に声が届くように大きな声を出す。
 すると、続けて殿下の声が鋭く飛んだ。

「聞いたか、すぐに動け。一班は北、二班は南、三班は西、四班は東、五班は中央。六班はそれぞれの連絡と街の人たちに触れて回れ」
「……恐れながら殿下、私の力には限界があります。この国の人たちすべてを救うことはできません。目の前にいる人しか救えないので……」

 苦しい。キノ王国であれば、この方法を伝えるだけで各地にいる中級巫女と巫女見習いがいやしを行えるのに。

「次に訪れる予定の街に先触れを。その周りの町々にも、病人にあらかじめ集まってもらうよう伝えてください……それから、巫女の力を少しでも持っている者はいませんか? 弱い力でも構いません」

 そう問うと、イシュル殿下が首を横に振る。

「弱い力であろうと、我が国には貴重な人材です。十歳で力があると発覚すれば、王都へ送られます。ですから、王都以外には……」

 思わず嫌悪感が顔に出てしまったのだろう。私を見て、イシュル殿下が申し訳なさそうに頭を下げた。

「確かに、王都にいる僕たち特権階級のみが、巫女のいやしの恩恵を受けていると思われても仕方がありません……」

 すると、近くに立っていた侍女のメイスーが慌てて口を開いた。

「ち、違います。確かに、王都に巫女の力のある者は連れていかれますけれど、それは巫女を守るためで……あの、私の妹もほんの小さな力ですが、巫女の力があると言われたので王都に行きました。行かないと……小さな力でも欲する、悪い人たちに誘拐される危険があるから」

 誘拐?

「巫女のいやしを商売にしている人たちがいて、小さな力だとしても、その……わらにもすがる思いで、人々は救いを求めて大金を積みます。いい稼ぎになるんです。そういう人たちに、巫女の力があると知られたら……だから、妹も王都に行きました。十歳で一人王都に行かせるのはかわいそうだと思って、私も付いて行ったんです」

 巫女を守るために……?

「さすがに王都の警備は厳重です。王都にいれば、守ってもらえます」

 そうか。巫女を王都へ連れて行くのは、守るという意味合いもあるのか。

「イシュル殿下、頭を上げてください。巫女が足りない現状で、いろいろと大変なことは理解できました。ですが……」

 静かに言葉を発しつつ、ごくりと小さく唾を呑み込む。
 今、私は、とても大それたことを口にしようとしている。聖女であれば、それほど問題ではないかもしれない。でも、後で偽の聖女だと分かったら、きっと罪に問われるだろう。王子に対して、ただの庶民が言っていい言葉じゃない。でも、言わなければ。

「どうやらミーサウ王国は、間違ったことばかりしているようですね」

 間違っているなど、国策を非難するようなことを言うべきではないとは思うけれど……。でも、このままではミーサウ王国の巫女たちがかわいそうだ。
 イシュル殿下を見れば、その顔には怒りではなく戸惑いの色が浮かんでいた。
 怒っていないことにひとまず胸を撫でおろす。

「病人たちが運ばれてきました」

 護衛兵の声にはっとする。そうだ、今は目の前の患者に集中しなければ。

「ルーシェ、行きましょう!」

 殿下に一礼して中央広場に向かうと、そこには多くの人が運ばれていた。

「意識のない人から先にいやします。患者を分けてください。意識のない人、幼い子供や高齢の者、意識はあるけれど自分では動けない者――自分で動ける人はあちらに。それから、ずいぶん飲み物を口にしていない者がいたら、水分を取らせてください。コップ一杯の水に塩を一つまみ、はちみつを半さじ。レモンがあれば絞って少し入れて、水は一度沸騰させて冷ましたものを。それを、大鍋で作って配ってください」

 治療院では当たり前に用意されているものだが、ここでは塩やはちみつの調達からしなければならないようだ。分量に関しても、今の説明では足りないかもしれない。

「ルーシェは分かる?」
「はい、もう学びました。指導してきます」

 ルーシェに任せよう。とにかく私は……


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