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3 怖いところに来ちゃいました(涙) ▲
◆怖いところに来ちゃいました(涙)
異世界に紫輝が転移してから一ヶ月以上が経つ。
その間、戦場へ出るための訓練を基地でずっと受けていた。
天誠を探し出して、元の世界に帰るため。そして帰るために必要な強い龍鬼…今は戦場にいるらしい、時雨堺に会うためだ。
腰を据えて将堂軍に在籍するべく。紫輝も今では、軍から支給された軍服を身につけている。
黒のタートルシャツに見えていたインナーは、実は革製の防具で、首回りと体幹を守るものだった。
トレンチコート型の上着とズボンは、吉木の嫌がらせのせいで鮮やかな紫色の生地で作られてしまったが。
まぁ名前に紫が入っているから、良いけど。
上着には本来、翼を通す穴が開いているのだが、紫輝の服はそこが閉じている。
靴は革のブーツ…軍靴というらしい。
ズボンの裾を靴の中に入れ込み、ひもで結んで固定する。
最後にライラ剣を背負い。準備完了だ。
紫輝は、空き時間はいつも、宿舎の裏にある広場で千夜と剣の特訓をしている。
千夜に、柄の握り方という基本的なことから。剣を扱うときの体の動かし方、剣筋、心構えなどなど、一から十まで教えてもらっているのだ。
以前の世界では、天誠が剣道を習っていた。
練習や試合で見せる、背筋を伸ばした美しい立ち居振る舞い。俊敏な動き。
天誠が剣を振るイメージが紫輝の脳内に残っていて…。
もちろん、それらは目にしただけで。基本を、紫輝が理解していたわけではないのだが。
天誠の動きを再現するつもりで真似をしていたら。意外と早く剣が振れるようになっていた。
なので、剣技も。なんとか見られる形にまで到達している。
練習のときライラ剣を使用しているが。もちろん、ライラが生気を吸うことはない。
千夜をいちいち気絶させるわけにはいかないからな。
ライラ剣は、軽いが大ぶりなので。剣さばきを会得するのが難しかった。
その方法も、千夜に指導してもらっているのだ。
紫輝はライラに、敵の生気を吸ってもらって戦闘不能にしようと考えている。
だが敵と味方を区別するのは、ライラには難しい。
なので剣を合わせた相手を昏倒させる、という決めごとを作った。
しかしそれが、案外大変なことだったのだ。
身軽で手練れの千夜は、紫輝に剣を合わせる隙を与えず、模擬剣を打ち込んでくる。
ちなみに模擬剣は練習用の剣なので、なまくら。
ライラ剣も生気を吸うためのものなので、なまくらである。
無論、紫輝は。ライラに人殺しをさせる気はないので、それで良いのだ。
剣を構えて、対峙する。
まずは、紫輝が千夜に斬り込んでいく。
しかし青い風のように、千夜は紫輝の懐に入り込み。体に模擬剣を当てる。
千夜の剣を何度も体で受けてしまい。紫輝の体は痣だらけになっていた。
模擬剣ではなく本当の剣だったら、紫輝は何度も死んでいる。
敵が手練れだったら、剣を合わせる間もなく斬り捨てられるだろう。
ライラは、紫輝が殺されそうになったら守ってくれるだろうが。
それでなくても、ズルをするわけだから。
ライラに甘えすぎてはいけないと、紫輝は思っているのだ。
だから手練れに会っても、一度は剣を合わせられるよう、ひたすら剣技を磨いていく。
「相手がどんな攻撃をしてきても、うろたえるな。大きく構えろ、刃先の軌道を計算するな、敵の呼吸を体感しろ。ほら、もう一度やるぞ」
紫輝が剣の練習を始めた日から、千夜は一切、手加減しなかった。
感覚と、場数で慣れろという指導法で。休みなく、次々と多彩な攻撃を繰り出してくる。
紫輝は無心で、千夜の剣にライラ剣を当てに行く。
ガチリと鉄が噛み合うにぶい音が響いた。
なんとなく、ライラは剣が当たったとき痛くないのかと思い。彼女に聞いたことがある。
「あのね、おんちゃんがぁ、リビングでぇ、ソファに寝そべって、テレビみながらポテチを食べていたでしょう? そんなかんじぃ」
つまりライラは、リビングのようなくつろげる場所で。テレビ観戦のように外の様子を見て。生気を吸った場合は食事になるので、ポテチ…そういうことらしい。
家の中にいて守られているような感覚なので、剣がぶつかる衝撃も感じない。
ということで。
思いっきり千夜に剣をぶつけてやった。
「おぉ、いいぞ。今の感じだ。さぁ、もう一度…」
剣を合わせることができたら、紫輝の勝ちだ。
今の感覚を忘れないよう、何度も模擬戦を反復して経験を積んでいくのだ。
千夜は現在二十二歳。
口は悪いが、面倒見が良く。班の中でも、組の中でも、一目置かれているリーダー的存在だ。
明るく、熱血で頼もしい彼が、紫輝は大好きだった。
ふたりで稽古をしていると、休憩時によく雑談をした。
この世界の常識に疎い紫輝に、千夜がいろいろ教えてくれるのだ。
将堂と手裏の関係性とか、軍内部の力関係とか。
紫輝は政治がよくわからないし。派閥とかも、生きるだけで精一杯とか思っているので。
あまり頭には入らなかったが。
ざっくり言うと、眞仲が言っていたような単純な領土争いだけではなく。
主義主張とか、誰がこの地を治めるのに相応しいかとか、いろいろと思惑が働いているということだ。
将堂軍の内部の話で言えば、家柄の良い者が才能ある者の足を引っ張るとか。
戦場に行かないで口だけ出すとか、そんなこと。
以前の世界でも『よくある話』というやつ。
手合せを終え、地べたにどっかりと座る千夜が話す今日の内容は。血脈についてだった。
将堂軍の中では、龍鬼はそれなりに重用されている。戦闘において目覚ましい活躍をするからだ。
それは、時雨堺が右将軍という幹部級に取り立てられていることからも垣間見える。
ただ仲間として認識されるかどうかは。別の話で。
龍鬼のフリをする紫輝が、疎外されるように。
廣伊も、今の地位になるまで相当苦労があったらしい。
その他の人々、龍鬼以外の話では。
血脈や出自などで、出世が左右されることがあるそうだ。
将堂で最も多い種は、小羽のハトがルーツの者だ。
そして大羽の者は数が少ないのだが。大羽の方が出世しやすい傾向がある。
それは元々好戦的な猛禽類の性格のせいで、手柄を立てる率が高い。という理由もあるが。
将堂家が、希少種を優遇し、保護したいと考えているからだった。
早く幹部に取り立てて、戦場から離すことで希少種の減少を食い止めたいのだ。
この世界で一番人口の多い種は、カラス。
だがカラス血脈の黒羽は、ほとんど手裏軍にいて。将堂では見かけない。
文鳥やインコ、スズメなどの小羽系は、ひとまとめにするとカラスよりも人口が多くなるが。
穏やかな性格で、農民や商人に収まる傾向にある。
紫輝はなんとなく、以前の世界で街中にいた鳥の分布に似ているなと感じた。
「俺たちの世界は、血脈に縛られている。種が違う者同士でも結婚はできるが。結婚相手は同じ種から選びがちだ。無意識に己の種以外の者を受けつけていないのだろう」
「龍鬼にも血脈の影響ってあるのかな? な、廣伊はなんの血脈なんだ? 緑の髪がキラキラしているから…インコかな? それともオウムか…」
紫輝は好奇心に瞳を輝かせるが。なにせ鳥に詳しくないものだから、有名どころの鳥しか思い浮かばない。
千夜は廣伊の姿を脳裏で見ながら、柔らかく微笑んだ。
「祖先はケツァールだって、前に聞いたことがあるぜ」
「けつぁーる? 聞いたことないな」
「そうか? ここいらでは一番美しい鳥だって言われているんだが。尾羽が長く、緑のキラキラだ。まぁ、個体数はそれほど多くないから。純血ではなく、掛け合わせているのだろうが。お相手は緑で統一してきたんじゃないかな。綺麗な緑色が、きっと一族の自慢だったのだろう」
「千夜の羽も青くて大きいな。希少種なのか?」
「青じゃねぇ。瑠璃色だ」
鼻息荒く、千夜が訂正する。
ピンと来ていない様子で、紫輝は唇が半開きのまま曖昧にうなずいて見せた。
青と瑠璃色の区別が、よくわからないが。
本人が違うというのだから、違うのだろう。
「俺の両親はオオルリとカモメだ。父の色と、母の羽の大きさ、良いとこ取りなんだぜ。まぁ、掛け合わせだから希少種ではない」
千夜はおもむろに立ち上がり、再び剣をひとりで振るい始める。
基本の型だが、千夜が軽やかに剣を振ると、まるで舞を踊っているかのようだ。
光沢のある瑠璃色の髪がなびいて、美しい。
紫輝は思わず見惚れた。
「大概の者が、自分の血脈を知っていて、先祖の…特に羽の美しさについて自慢する。今の俺のようにな。自分の羽は好きだし、祖先の誇りも感じている。だが俺たちは鳥じゃねぇから。有翼人種が血脈にこだわるのはどうかと思う。俺は、好きになった相手と愛しあいたい。翼の色を見るのではなく、その人柄を重視するべきだ」
水の流れのように、よどみない動きの剣舞をし。架空の相手を斜め斬りして、フィニッシュ。しばし静止したあと、模擬剣を鞘に戻す動作をする。
模擬剣だから鞘はないのだけど。そこまでがワンセットなのだろう。
立ち姿は格好良い。
そして千夜は、息も乱さずつぶやいた。
「それに、羽の色や翼の大きさで人の優劣を測る、今の風潮も嫌いだ。羽がなくても廣伊は優秀だろ? 彼はもっと評価されるべきなんだ。激戦組の二十四組にいながら一騎当千の剣技で、六年以上も生き抜いている稀有な存在だぞ。でもあとから入軍した、家柄の良い奴が廣伊の上官になっている。廣伊の功績は、幹部に取り立てられてもおかしくないものなのに…。羽がないだけで、優秀さを正当に評価してもらえず。いつまでも最前線で酷使されて。そんなの理不尽だろ?」
「そんなに熱く語るな。照れるだろ」
突然、全く照れた様子のない廣伊の声がした。
音も気配もなく、いつの間にか千夜の背後にいたのだ。
千夜は反射的に一メートルほど距離を取って振り返ったが。
その場で剣を体の横に置き。立膝で、かしこまる。上官に対する礼儀だ。
紫輝もすぐに、それにならった。
とっさに上官に頭を下げられるくらいには、紫輝もこの世界に馴染んでいた。
「俺の後ろを取るなんて…あんた、本当に嫌な奴だな」
背後を取られたからなのか、廣伊を手放しで褒めていたからか。
千夜が顔を赤くして怒っていた。
「味方相手でも油断するなと紫輝に教えているんだろう? おまえも油断していると…首が落ちるかもな」
廣伊が薄く笑う。
冗談だとは思うけど…ゾゾっと背筋になにかが走った紫輝だった。
だが、すぐさま廣伊は上官の顔つきになって。立ち上がった千夜と紫輝に告げた。
「すでに通達を聞いているだろうが、明日第五大隊はここを出て、将堂軍前線基地へ移動する。紫輝、心の準備はいいか?」
廣伊の話は、戦場に一番近いところへ行くという意味だ。
そうなったら、命令ひとつで戦いに出なければならない。
でもそこには、今一番会いたい人物。時雨堺がいる。
行かない、という選択肢は。紫輝の中になかった。
「はい、行けます」
軍にいる以上、戦場に出たくないとは言えない。
時雨にだけ会いたい、人が殺し合う場になんか行きたくない、それが紫輝の本音ではある。
心もとなく、剣になっているライラをギュッと握ってしまう。
けれど、時雨に会うために今まで頑張ってきたのだから。やるしかない。
「初めての戦場だ、わからないことも多いだろう。千夜、よく指導してやれ。毎日敵と対戦するわけではないから、気負わず。普段通り落ち着いて行動するように」
なんだか修学旅行前の先生みたいな助言だな、と紫輝が思っていたら。
廣伊が、紫輝の頭を軽くポンと叩いた。
忙しいはずの組長が、出立前に様子を見に来てくれたのだ。
廣伊の心遣いを感じ、紫輝の胸がジンと熱くなる。
上官として、廣伊は本当に信頼できる人物だ。感動した。
去っていく廣伊の背中を見送っていた千夜が、口を開く。
「初陣の兵みんなに、廣伊はああやって声をかけるんだ」
そして彼がしたように、千夜も紫輝の頭をポンと叩く。
「でも、これは特別だ。廣伊は自分から他者に触れることは…ほぼない」
「そうなのか? なんで?」
「触れて、ビクッとされたら傷つくだろ? でも、おまえはそういう反応しないから」
思い当たることがあり、紫輝は視線を落とした。
以前、長距離走中に転んだ兵がいて。
紫輝は、なんの気なしに、いつもやっているように手を差し伸べたのだ。
だが、彼は。触るなと言って怒った。
紫輝はとてもショックだった。
怒りではなく、悲しみに近い。心がガザガザと掻き回される不快感を味わったのだ。
そうして、拒絶され。自分がこの世界では忌み嫌われる存在であると思い知らされる。
おそらくそうした事を、これから何度も体験しなければならないのだ。
たぶん廣伊も同じようなことがあって。心を傷つけ。そして自分から手を出せなくなったのだ。
彼が拒絶された場面を見て、友である千夜もきっと自分のことのように傷ついただろう。
それが龍鬼の日常なのだと、紫輝は理不尽だと怒りつつも理解するしかなかった。
天誠は龍鬼として差別され、苦労していないだろうか?
紫輝は毎日、弟の身を案じている。
弟は機転が利くから、うまく回避できていれば良い。
もう本当に、将堂でも手裏でも、どっちでもいいから、軍の幹部に保護されて丁重に扱われていてほしい。
そうだったら、きっと天誠は苦しんでいないから。
紫輝はそう願わずにいられない。
このひと月、天誠らしき入軍希望者も、新たな龍鬼目撃情報もない。
そして廣伊以外の龍鬼と会う機会もなかった。
軍に入ったことで、紫輝は自分から天誠を探しに行くことができなくなっていた。
ただ情報を待つばかりで、じれったくて仕方ない。
廣伊と千夜がした、紫輝の頭をポンと叩く仕草は。
背の高い弟にもよくされた。
彼の柔らかい手つきを。紫輝は思い出す。
軽く手をはずませたあと、紫輝の黒髪を指で梳いた。
指先が耳たぶに触れると、くすぐったくて。
紫輝がクスクス笑うと、天誠も幸せそうな笑顔になった。
あのまぶしい日々が懐かしく。切実に、天誠の元へ帰りたくなった。
★★★★★
兵士としての訓練が終わったあと、就寝までは大体が自由時間だ。
その間に夕食を食べ、風呂に入り。班員と遊んだり(なんの遊びかわからないが、なんだかサイコロ振って盛り上がっているのを、よく見る)談話したり。上官は会議や報告書作成をしたりする。
でも紫輝は、すべてのことに難儀していた。
班員は、龍鬼と仲良くしてくれないし。
公衆浴場は、龍鬼立ち入り禁止だ。
お湯を少しもらって、濡らした手拭いで体を拭くしかない。
頭は井戸から水を汲んで、流している。
廣伊もそうしているとのことで。だったら、下っ端はなんも言えねぇ。
シャンプーなどないから、髪のゴワゴワに磨きがかかっていて切実にヤバい。
食堂も、最初は龍鬼立ち入り禁止だと言われ。お弁当というか。おにぎりをもらって、外で食べていた。
でも居合わせた千夜が怒ってくれて。彼が一緒のときは食堂で食べられるようになったのだ。
けれど基本、外でお弁当を食べている。
食堂では、みんなの視線が針のようにチクチクして、食べた気がしないから。
今日、千夜は。班長会議があって、夕食は遅くなるというので。
紫輝は食堂でお弁当をもらい、外へ出て行った。
兵舎の庭には木々が密集している場所が多々ある。
その木陰でライラと楽しい夕食タイムだ。
この世界は、闇が濃い。
街灯などないから、夜になるとちょっと先も見えなくなる。
月明かりが頼もしく思ってしまうほどだ。
なので、夜間の外出では必ず提灯を携帯する。時代劇でよく見る、アレだ。
高さ二十センチほどの提灯の光量は。蛍の光ほどにか細くて、心もとないが。
オレンジの火がライラの輪郭をちらちらと照らし。なかなか風情がある。
可愛いライラを眺めながら食べる夕食は、格別である。
ライラは、ここへ来てから一度もブラッシングをしていないのだが。白い毛は艶やかで、トリミングしたかのようにふさふさだ。
どこか神々しく感じる美しいライラの獣姿を、紫輝はうっとりみつめた。
「いいか、ライラ。俺が敵と剣を合わせたら…」
「生気を食べるぅ」
「そうだ。上手に覚えて、えらいなぁ。ちょっとだけだよ? 気を失うくらいだ。大丈夫だな?」
「あい」
ライラは褒められ、胸を張ってどや顔する。
長毛白胸毛をわしゃわしゃしたくなる。
「でも、いっぱいの人きたらどうするのぉ?」
「あぁ、うん。どうしようか?」
テヘッと紫輝が笑う。
考えなし、行き当たりばったりの紫輝の様子を見て、ライラは二本の尻尾で地面をビタンと叩いた。
砂埃が舞う。
「もう、おんちゃんはダメねぇ。いっぱいきたら、アイズして。いっぱい食べるわぁ」
「合図? いっぱいって…どのくらい食べるの?」
「やぁねぇ、おんちゃんのまわりの人、ゼンブよぉ」
丸い手を口元に当て、ライラはウフッと笑う。
言っている意味は、冷静に考えると怖いのだが。
紫輝の目には、ウフッと笑うライラがそれはもう愛らしく見えたのだ。
「もう、ライラは。どこまで俺を悩殺する気なんだっ。可愛い子ちゃんめ!」
紫輝はライラの首元にギュッと抱きつき、グリグリ頬擦りした。
「そうだなぁ…とりあえず、黒い服の人優先で吸うようにしてくれるか? それで合図は『ライラ、カミン』って言うから」
アメリカ人の母が、よく使っていたフレーズだ。
意味的には…来た来た、ライラちゃん可愛いでちゅねぇ、みたいな?
そんなに長くないけど。
母の目尻や、眉毛が垂れた顔つき、普段よりも高く優し気な声など、ニュアンス的にそんな感じだったのだ。
「それでいいわ。でも、おんちゃん。しっかりしてよねぇ」
ツンと、ピンクの鼻を上に向けるライラに。紫輝は謝った。
猫だけど。紫輝よりも年上で、間宮家の古株であるライラには貫禄があるのだ。
以前の世界でも、家庭内ヒエラルキーは彼女の方が上だった。
こちらでも、なにかとライラ頼みなので。彼女には頭が上がらない。
喜んで下僕と化していた。
そのとき人の声がして。
紫輝はライラを抱き寄せて、顔を巡らせた。
少し離れた場所にある渡り廊下を、同じ班の者が通っているのが見える。
千夜もいる。彼の青髪…いや、瑠璃色はよく目立つ。
「…あいつも、戦場に連れて行くんだろ? 俺は怖いよ。あいつの血を浴びちまったら、子供が龍鬼になるかもしれない」
歩きながら、班員のひとりが言っていた。
それは、紫輝と行動したくない、という。班長への訴えだ。
紫輝は、盗み聞きをしたくはなかったが。
今更、身動きできなくて。ジッとしているしかない。
「血液感染は迷信だ。龍鬼と全く縁のなかった地域から龍鬼が生まれているんだから。それに高槻組長がいる二十四組に在籍していて、血を浴びたらとかほざくんじゃねぇ」
「組長は化け物級に強いじゃないか。あの人が怪我するとか、ありえない。でも、あいつは新入りだし…」
「紫輝も充分強い。前に同じ班だった吉木が半殺しになった件は聞いているだろう? 紫輝は絶対に怪我をしないから、大丈夫だって」
へらへら笑いながら千夜は班員の肩を叩く。
そんなことより、千夜の言い草に引っかかってしまう。
ライラがちょっと生気を吸っただけなのに…半殺しなんて、盛って伝えないでほしい。
その場にいたくせにぃ。と、紫輝は胸の内で千夜に文句を言った。
「千夜が指導してんだ、そりゃ、それなりにはなってんだろうけど。組長は、絶対に大丈夫だって言い切れる。でもなにが起きるかわからない戦場で、新人のあいつに絶対はないね」
「馬鹿だな、よく考えろ。紫輝の後ろにいれば龍鬼の力で守ってもらえるぞ? おまえは死なないで済む」
聞こえたのは、そこまで。千夜たちはそのまま宿舎の中へ入っていった。
けれど。紫輝は動けなくなった。千夜の言葉に、頭を殴られたみたいな衝撃を感じたのだ。
紫輝が龍鬼ではないことを、千夜は知っている。
だが、ライラの不思議な能力のことも知っている。
ライラを盾にして、千夜は助かろうとしているのだろうか?
そのために友達のように振舞っているんじゃないのか?
そんな疑念が、胸に湧いてしまった。
★★★★★
六月。紫輝が所属する右第五大隊は、前線基地へと出発した。
目的地に到着するまで丸三日かかる。
将堂軍は大隊単位で、前線にいる兵士を毎月入れ替えている。
それは疲弊した兵士を休息させるためだが。
武器や防具、食料品などの補給をする意味もあった。
なので戦場へ赴く側は、大量の荷物を持っていかなければならないのだ。
機材を持って、丸三日。ひたすら歩く。
馬車も馬もあるけれど、使用できるのは組長以上の上官。下っ端が使えるわけもない。
今まで紫輝がいた基地は、将堂家の領地の中心部にある、いわゆる本部だった。
千夜たち二十四組は、リフレッシュ期間で本部にいたということらしい。
『紫輝が入軍するときに、廣伊が休息期間で本部待機だったのは、ものすごい幸運だな』と、千夜が言っていた。
そうして西へ向かって一日目。
紫輝は、アレを目にして…叫ばずにはいられなかった。
「アレって…富士山だよね??」
いわゆる山のてっぺんが平らで、青みがかっていて、山頂に雪が残って白く見える、あの富士山…にしか見えない山があったのだ。
紫輝は千夜に少し気まずい思いを持っていたが。
富士山を目にしたときは、驚きすぎて、思わず彼の青い軍服を引っ張ってしまった。
「ん? 山の名前か? あれはレーホーだ」
「レーホー? レーホー山っていうのか?」
「いや、山はいらない。ただのレーホーって呼んでる。あの下に前線基地がある」
この世界で生きるのに精いっぱいで。この頃、異世界についてあまり考えていなかったが。
富士山に似た山を見て、紫輝は悩んでしまった。
この世界は、日本がベースになっているのではないのか? と。
異世界転移の物語で、よくゲームの世界に入り込むというものがある。
紫輝はプレイしてないが、日本をベースに作られた、有翼人種が出てくるゲームがあったのではないか?
それならば言語や漢字などで苦労しないのも、辻褄があう。
「ちなみに、レーホーってどんな字を書くんだ?」
列になって歩いている最中だったので、千夜は少し迷惑そうな顔をしたが。
列を外れて、しゃがむと。地べたに指で霊峰と書いた。
なるほど、霊峰ね。
富士山も霊峰と呼ばれていたから、まぁまぁまぁ…アリか。
漢字を文字と言い、富士山を霊峰と言う。
ところどころ紫輝の世界と違いはあれど。似ている世界ではあるのだなと、紫輝は思った。
そして三日後、紫輝は前線基地に到着した。
ひと組には、およそ百人の兵士がいる。
大隊は、組×五で、五百人だ。
今回は第五大隊と第六大隊が入れ替わりになるので、約五百人の兵士がリニューアルする。
戦況によって異なるが、ひと大隊の滞在日数は一ヶ月から四ヶ月ほどだという話だ。
前線基地に駐留するのは、四つの大隊。約二千人の兵士が領地の境を守っていた。
二千人というと、紫輝が通っていた学校の、全生徒数と同じくらいだった。
エスカレーター式の学校で、幼稚舎から高等部まであるため、公立校より生徒数が多めではあるが。
ひとつの学校の、生徒総数しかいないと考えると。規模は小さいと思ってしまう。
しかし、この世界の総人口数がとにかく少ないのだ。
将堂軍の兵士は、全部で八千人ほど。手裏軍の兵士もほぼ同数。一万六千人が戦闘に関わっていることになるが、それは全人口の三割にもなるのだ。
決して少ない人数とは言えない。
例えば、将堂と手裏が相打ちになって、全人口の三割の、働き盛りの男たちが死んだら…人類滅亡の危機なのではないか? と、思い至ってしまう。
一億二千万もの人口であった、紫輝の世界でも。日本は少子化などと言われ、人口減少が問題視されていたというのに。
戦などしている場合じゃないんじゃね?
そうは言っても、底辺の一般兵が、将堂と手裏のお偉方になにか言えるわけもなく。
千夜に言っても『ふーん』ってなものだし。
紫輝がそわそわしたところで、戦は止まってくれないのだった。
紫輝は間近にある富士…のようなもの、を仰ぎ見る。
富士山にしか見えないので、心の中では富士山ということにした。
前線基地は富士のふもとの樹海(!?)の中にあるのだ。
あぁ、なんだか。
元の世界を思い出してしまうものが目に入ると。懐かしく、悲しくなってしまう。
戦、したくない。
第五大隊一行は、馬車が二台並んで進めるくらいの、整備された太い道を進んでいく。
樹海に入る手前、丸太で組んである塀に行き当たる。
四メートルくらい育った木々を、そのまま丸太に加工して、繋げたような、高い塀だ。
塀沿いに歩いていくと、門があり。
一行は中へ通された。塀の中に、将堂の前線基地があるのだ。
荷物を積んだ馬車や、紫輝たちが背負ってきた物資は、門前の広場に下ろす。
ようやく身軽になった紫輝は、千夜に基地内部をザッと案内してもらった。
兵舎は、日差しを遮るほどに鬱蒼とした木々に囲まれた、富士の樹海の中にあった。
他にも、食堂や公衆浴場などなど、いろいろな施設があるのだが。
奇襲を避けるという理由で、自然のままの広大な敷地に点々と建てられていて…紫輝は迷子になる自信しかなかった。
兵舎に入り、一室を割り当てられた九班の者たちは、まず荷解きをする。
そのあとは自由時間なのだが、三日間の行軍でみんな疲れていて、ほとんどの者は寝た。
だが紫輝は、廣伊の部屋をたずねるため兵舎を出た。
本部の基地では、組長専用の宿舎が兵舎からほど近い場所にあった。
しかし、前線基地の廣伊の宿舎は。紫輝がいる兵舎から視認できないほどに遠い場所に建てられていた。
キャンプ場によくあるような、ロッジ風の小さな木造の家屋だ。
扉をノックすると廣伊が出てきて。紫輝を中に招いてくれた。
長旅でも、廣伊の緑の髪はキラキラで麗しく頬もつやつやで、疲れを微塵も感じさせない。
「へー、寝室と仕事部屋、二部屋もあるんだ。いいなぁ」
一部屋十人で寝ている紫輝としては、うらやましい限りだ。
「普通、組長はふたり一部屋だ。だが私は特別。龍鬼だからな」
「優秀だから? 認められているからか?」
「…龍鬼と同室になりたくないからだ。まだまだ龍鬼としての自覚が足りないな、紫輝」
廣伊の優秀さを上は認めてくれているのだ。だから好待遇なのだ、と思ったのに。
悲しい理由で、紫輝はがっかりしてしまった。
「それで、私に何か用があるのか?」
廣伊に水を向けられ、紫輝は本題を思い出す。
「あの、俺、相談があって…」
『紫輝の後ろにいれば死なない』という千夜の発言を耳にしてから。紫輝は彼に対してわだかまりが消えず。困っていた。
この世界で、数少ない話し相手である千夜とぎくしゃくするのは。紫輝にとって苦しすぎる事態である。
この問題をすみやかに解決したくて。紫輝は、廣伊をたずねたのだった。
紫輝はすべてを打ち明けた。
生き残るために千夜が自分を利用しようとしているのではないか?
その想いに至った、渡り廊下での経緯も話したのだが…。
廣伊は小さく肩を震わせ。
やがて耐え切れなくなって、思いっきり笑った。
いつも冷静で表情を動かさない廣伊が、大爆笑である。
こんな廣伊を見たのは初めてで、紫輝は呆気にとられた。
「ははっ、なんだ、そんなことか…」
「そんなことって…俺、すごい悩んでいるのにっ」
「いやぁ、心配していたんだよ。紫輝は、楽しいことも苦しいこともわかりやすく顔に出るからな。ここ数日、紫輝は千夜を避けていただろう? つらそうなおまえを見て、まさかあいつも吉木みたいになっちゃったのかって、ちょっとだけ不安だったんだ」
眉尻を下げる困り顔の紫輝に、廣伊はしっかりと断言した。
「でも、紫輝の相談内容は私の危惧とは違っていて、安心した。紫輝は悩んでいるようだが、大丈夫だ。戦場に出れば、千夜がそんな男ではないとすぐにわかる」
千夜の姿を思い浮かべている、廣伊の、そのエメラルドの瞳は。彼を信頼していると語っていた。
でも、紫輝には。
それがまだどういう意味なのか、わかっていない。
ものすごい決心で廣伊に相談したのに。
たいした話ではないと片をつけられ。解決もしなくて。
紫輝は唇を突き出して、ただむくれた。
★★★★★
将堂の戦闘スタイルは、敵が攻めてきたときだけ応じるというものだ。
領地を広げるつもりは将堂にはないようだ。ただ、攻め入られるのはノーサンキュー。
わかりやすい。
逆に手裏側は、領地を増やしたい。
そして、強い者が弱者を率いれば良いと思っている。
まぁ、わからなくもない。
二家の思惑は、当面紫輝には関係ない。
関係があるのは、いつ戦場に出なければならないのか。その一点に尽きる。
手裏軍が平野に侵攻してこなければ、出撃はない。
駐留中のほとんどの日々。見回りや。敵と遭遇しても、威嚇くらいの小競り合いで済む。
そう、紫輝は廣伊から教わっていた。
しかし紫輝が前線基地に入った、翌日。
しばらく姿が見えなかった手裏軍が、将堂の最終防衛線である平野に現れたのだ。
敵が陣を敷き始めていると、偵察隊から報告が入り。
基地に駐在している全大隊に、出撃命令がくだされた。
千夜へのわだかまりを残したまま、紫輝は戦場に出ることになってしまった。
二十四組は一番はじめに敵と対する先鋒であり、最後まで戦場に残るしんがりを務める部隊だ。
隊列も、第五大隊の一番前に配置されている。
兵士の波に押されるようにして、紫輝は戦場に向かう。
一ヶ月以上の訓練を積み、剣の振るい方もそれなりに身につけた。
俊敏さにも自信があり、ライラの力も信じている。
大丈夫、心にそう言い聞かせた。
けれど、胸をうずうずと刺激する恐怖感をおさえることができない。
草木も生えぬ荒野に風が吹き。その砂埃の向こうに敵が見えると…足がすくんだ。
バサッと、音がする。
その音が、ひとつ、ふたつと増えていく。
戦闘態勢に入り、興奮する兵士たちが、翼を羽ばたかせていた。
煽るような羽音を耳にし、戦いの火ぶたが切られる瞬間が迫っているのだと、否応もなく紫輝はわからされる。
男たちの野太い雄叫びが周囲に響き渡り。兵士が前へ前へと進む。
紫輝は、なんとなく前面に押し出されたような気がした。
やはり、みんな龍鬼を盾にするつもりなのだ。
紫輝の胸に疑念ばかりが膨らんでいく。
手裏軍はカラスの種が多いので。敵は黒い翼の者ばかりだ。
羽の色に合わせ、軍服も黒の詰襟。
漆黒の大群が徐々に近づいてくる。
軍服の違いで、将堂の兵士とはひと目で区別がつくのだが。
その、ひと目でわかること自体が、もう、なんだか怖かった。
『この黒き者たちと殺し合え』と強いられているようで。
そのうち、そこかしこで剣が交わる音が聞こえ始めた。
怖い。
紫輝は、とうとう足を止めた。
訳がわからない。
なんで自分はこんなところにいるのか。
足が、がくがくと震える。
立っていられなくなって、その場に座り込んだ。
「おんちゃん、おんちゃん…」
剣から伝わるライラの不安げな声も。気合を入れて戦う、兵士の声も。
ずいぶん、遠くから聞こえるような気がした。
紫輝は膝を抱え、貝のように丸くなる。
誰にも気づかれたくなかった。
怖い。ここから逃げたい。
もう嫌だ、嫌だ、嫌だ…。
そんな想いしか浮かばない。
「立て、紫輝」
ぼんやりと歪む音。
遠くから、誰かが紫輝を呼んだ。
「紫輝っ、馬鹿っ、早く立て、この野郎…」
しかし、遠くの方から聞こえたと思った、その声は。
すぐ目の前で敵と交戦している、千夜のものだった。
顔を上げると、敵の刀を薙ぎ払い必死に叫ぶ千夜が見えた。
「ふざけんなよ、てめぇ…こんなところで怖気づきやがって」
これは、いったい誰だろう、と紫輝は思う。
千夜なのは、確かに理解している。
しかし、まるで別人のような気迫だった。
ふざけて笑い合ったときの千夜の印象は、微塵もない。
目を吊り上げ。瑠璃色の羽を、敵の返り血で赤黒く染めている。
やがて黒い翼の敵を倒した千夜が、冷たい目で紫輝を見下ろした。
「力を使えば、誰も殺さないでいられる。おまえ、そう豪語したよな? なのに、おまえはそれすらしないで座り込んでいる。だからこの男は死んだんだ。おまえが殺したんだよ、紫輝」
再び襲い掛かってくる別の手裏兵を、千夜は紫輝をかばいながら斬っていく。
「俺はっ、おまえのように高尚じゃねぇ、能力もねぇ、だから手裏を殺すしかない。手裏に支配されたくないから、攻めてくる手裏兵を斬る、そのために、ここにいる。だからおまえがそこに座っていると、邪魔なんだよ。戦えないなら、去れ!」
言葉を繰り出す合間も、千夜は手を止めずに手裏兵を斬っていた。
翼を汚し、青い髪を振り乱して。
自分よりも前へ前へと出て行く千夜を目にし、紫輝は自分が思い違いをしていたことに気づいた。
誰が、命惜しさに自分の後ろに回るって?
千夜は、友を盾にするような男じゃなかった。
彼を信じなかった己の愚かさを、嘲笑う。
紫輝は震える足を地につけ、ようやく立ち上がった。
敵と戦う千夜に、別の兵士が脇から斬りかかろうとしている。
紫輝は後ろ手に柄を掴むと、背に背負っていた鞘からライラ剣を抜いた。
兵士の刀に剣を合わせる。
ガンと来る衝撃に、また恐れが湧くが。
途端、敵は崩れるようにして倒れた。
打ち合わせ通り、ライラが生気を吸ったのだ。ライラはちゃんと自分を守ってくれる。
それを実感し、紫輝はホッとした。
「ごめん、もう大丈夫」
兵士を倒して、ひと息つく千夜に。紫輝は謝った。
「はぁっ? 聞こえねぇな。今日生き残れたら、もう一度聞かせろよ」
ニヤリと、自信にあふれたいつもの笑みを。千夜は紫輝に投げる。
そして再び挑んでくる手裏兵に対峙した。
確かに戦闘はまだ始まったばかり。一瞬も気が抜けないのだ。
紫輝は千夜にうなずき、敵の刀に己の刀を合わせていった。
自分にできること、ひとつひとつに集中する。
突き放すような言い方をされたが。その日、千夜は。ずっと紫輝のサポートをしてくれた。
★★★★★
夕暮れになり、戦闘終了のほら貝の音が双方の軍から鳴り響く。
戦闘中の兵は、どちらからともなく敵と距離を開けていった。
敵兵の動きを警戒しながら後退し。しんがりを務める二十四組も、交戦を終えた。
明日はどうなるのか、それは手裏軍の動き次第。
けれど一度陣を敷いたら、そう簡単に兵を引くことはないので、明日以降も戦闘は続く見込みだ。
夕日が富士山を紅色に染めるのを見ながら。紫輝は、帰路に着く。
基地にたどり着いた頃には、闇が辺りに垂れ込め、富士はすっかり見えなくなっていた。
紫輝は夕食後、再び廣伊の宿舎に向かった。
何故、千夜は紫輝の後ろにいればいい、みたいなことを班員に言ったのだろう?
彼には、そんな気もなかったくせに。
それが、わからなくて。
廣伊なら、千夜の気持ちも理解しているのだろうと思ったのだ。
扉をノックすると、入れと言われた。
部屋に入ると、廣伊は机でなにか書き物をしている。
それはなにかと問うと、幹部への戦況報告書で、毎日書くものだと教えてくれた。
学級日誌みたいなものか。
戦況報告書は、指揮官が戦闘可能人数や、手裏の動向を把握するために、必要な書類だ。
その内容によって作戦変更もありうるほど、重要なものである。
廣伊は書く手を止めず、紫輝に聞いた。
「で、初陣はどうだった?」
「ものすっごく、怖かった」
正直に告白すると、廣伊は薄く笑った。
「恐怖は、一番の防御だからな。その気持ちを忘れないようにしろ」
「…怖くて、いいのか?」
「当たり前だ。心がマヒして、戦場に立っても怖くなくなったら、すぐに命を落とす」
忠告にうなずきを返し。
紫輝は千夜との、今日の出来事を廣伊に話した。
「俺を盾にするまでもなく、千夜は強かった。けど、どうして仲間に『俺を盾にしろ』なんて言ったんだ? 彼の気持ちがわからない」
「千夜はおそらく、班員と紫輝をともに行動させたかっただけじゃないかな? おまえは…つらいことも多いだろうが、いつも笑顔で人懐っこいし。与えられた仕事をやり遂げる真面目さもある。そんな紫輝の良さは、一緒にいれば伝わるのだが。班員はまだ一歩引いているだろう? 千夜はまず、紫輝を班に馴染ませたかったんだろう。まぁ…言い方はまずかったようだが。あいつの口の悪さは治らない。勘弁してやれ」
その話を聞き、紫輝は。
弟といじめっ子を仲直りさせた件を思い出した。
天誠とクラスメイトの仲を取り持とうとした、紫輝と同じこと、きっかけ作りを、今千夜はしているのだ。
自分の事を彼は考えてくれている。
それがとても嬉しかった。
貴重な友人を持てたことを感謝し。もう二度と彼を疑ったりしないと、胸の内で紫輝は誓った。
廣伊の部屋を出て。兵舎への道を戻っていく。
千夜に会いに行こう。千夜を誤解していたのだと正直に彼に打ち明けよう。と、そう思った。
彼はきっと、許してくれるはずだ。
◆キス、しちゃいました(照)
紫輝は、廣伊の宿舎から兵舎への夜道を歩いていた。
だが、もう着いてもいい頃なのに兵舎の明かりが全然見えない。
実は、廣伊の部屋を出たとき提灯を借りなかったのだ。
まだ夕方だし、兵舎と廣伊の部屋を何度か行き来していたから。少しくらい暗くても、帰れると思って…。
街灯のない世界の闇を、完全に舐めていた。
敵のカモフラージュの意味もあって、樹海の中は整備されていない。
鬱蒼とした木々は、そのまま。道などあってなきがごとし。
さらに樹木が空を覆っているので。
月明かりも届かない。
そして、今どこにいるのかわからない。
認めたくないが…迷った、ね?
紫輝は辺りを見回す。
樹海の木々は不可思議に曲がりくねり、幹の節の加減で人の顔に見える。
いやいや、これは錯覚だ。そう、己に言い聞かせるが。
裂けた木の中が空洞で、その深淵に飲み込まれてしまいそうな…。
薄気味悪い、怖い、怖い。
だから、そう思っているからダメなのだ。
でも、なんだか誰かに跡をつけられているような気になってきた。
ヤバい、と思い。
紫輝は一旦廣伊の宿舎に戻ろうと決め、思い切って振り返った。
当たり前だが、誰もいない。
紫輝は安堵して、フッと息をついた。
ですよねぇ? 誰かがいるわけ、ないない。
ない、と思っていたのにぃっ。
風を切る音が突然耳元で鳴り。背後から、誰かが紫輝を羽交い絞めにした。
声も出せないくらい驚いていると、なぜか体が宙に浮き上がり…。
「え、えぇっ?」
不安な声が、紫輝の口から漏れた。
異世界に紫輝が転移してから一ヶ月以上が経つ。
その間、戦場へ出るための訓練を基地でずっと受けていた。
天誠を探し出して、元の世界に帰るため。そして帰るために必要な強い龍鬼…今は戦場にいるらしい、時雨堺に会うためだ。
腰を据えて将堂軍に在籍するべく。紫輝も今では、軍から支給された軍服を身につけている。
黒のタートルシャツに見えていたインナーは、実は革製の防具で、首回りと体幹を守るものだった。
トレンチコート型の上着とズボンは、吉木の嫌がらせのせいで鮮やかな紫色の生地で作られてしまったが。
まぁ名前に紫が入っているから、良いけど。
上着には本来、翼を通す穴が開いているのだが、紫輝の服はそこが閉じている。
靴は革のブーツ…軍靴というらしい。
ズボンの裾を靴の中に入れ込み、ひもで結んで固定する。
最後にライラ剣を背負い。準備完了だ。
紫輝は、空き時間はいつも、宿舎の裏にある広場で千夜と剣の特訓をしている。
千夜に、柄の握り方という基本的なことから。剣を扱うときの体の動かし方、剣筋、心構えなどなど、一から十まで教えてもらっているのだ。
以前の世界では、天誠が剣道を習っていた。
練習や試合で見せる、背筋を伸ばした美しい立ち居振る舞い。俊敏な動き。
天誠が剣を振るイメージが紫輝の脳内に残っていて…。
もちろん、それらは目にしただけで。基本を、紫輝が理解していたわけではないのだが。
天誠の動きを再現するつもりで真似をしていたら。意外と早く剣が振れるようになっていた。
なので、剣技も。なんとか見られる形にまで到達している。
練習のときライラ剣を使用しているが。もちろん、ライラが生気を吸うことはない。
千夜をいちいち気絶させるわけにはいかないからな。
ライラ剣は、軽いが大ぶりなので。剣さばきを会得するのが難しかった。
その方法も、千夜に指導してもらっているのだ。
紫輝はライラに、敵の生気を吸ってもらって戦闘不能にしようと考えている。
だが敵と味方を区別するのは、ライラには難しい。
なので剣を合わせた相手を昏倒させる、という決めごとを作った。
しかしそれが、案外大変なことだったのだ。
身軽で手練れの千夜は、紫輝に剣を合わせる隙を与えず、模擬剣を打ち込んでくる。
ちなみに模擬剣は練習用の剣なので、なまくら。
ライラ剣も生気を吸うためのものなので、なまくらである。
無論、紫輝は。ライラに人殺しをさせる気はないので、それで良いのだ。
剣を構えて、対峙する。
まずは、紫輝が千夜に斬り込んでいく。
しかし青い風のように、千夜は紫輝の懐に入り込み。体に模擬剣を当てる。
千夜の剣を何度も体で受けてしまい。紫輝の体は痣だらけになっていた。
模擬剣ではなく本当の剣だったら、紫輝は何度も死んでいる。
敵が手練れだったら、剣を合わせる間もなく斬り捨てられるだろう。
ライラは、紫輝が殺されそうになったら守ってくれるだろうが。
それでなくても、ズルをするわけだから。
ライラに甘えすぎてはいけないと、紫輝は思っているのだ。
だから手練れに会っても、一度は剣を合わせられるよう、ひたすら剣技を磨いていく。
「相手がどんな攻撃をしてきても、うろたえるな。大きく構えろ、刃先の軌道を計算するな、敵の呼吸を体感しろ。ほら、もう一度やるぞ」
紫輝が剣の練習を始めた日から、千夜は一切、手加減しなかった。
感覚と、場数で慣れろという指導法で。休みなく、次々と多彩な攻撃を繰り出してくる。
紫輝は無心で、千夜の剣にライラ剣を当てに行く。
ガチリと鉄が噛み合うにぶい音が響いた。
なんとなく、ライラは剣が当たったとき痛くないのかと思い。彼女に聞いたことがある。
「あのね、おんちゃんがぁ、リビングでぇ、ソファに寝そべって、テレビみながらポテチを食べていたでしょう? そんなかんじぃ」
つまりライラは、リビングのようなくつろげる場所で。テレビ観戦のように外の様子を見て。生気を吸った場合は食事になるので、ポテチ…そういうことらしい。
家の中にいて守られているような感覚なので、剣がぶつかる衝撃も感じない。
ということで。
思いっきり千夜に剣をぶつけてやった。
「おぉ、いいぞ。今の感じだ。さぁ、もう一度…」
剣を合わせることができたら、紫輝の勝ちだ。
今の感覚を忘れないよう、何度も模擬戦を反復して経験を積んでいくのだ。
千夜は現在二十二歳。
口は悪いが、面倒見が良く。班の中でも、組の中でも、一目置かれているリーダー的存在だ。
明るく、熱血で頼もしい彼が、紫輝は大好きだった。
ふたりで稽古をしていると、休憩時によく雑談をした。
この世界の常識に疎い紫輝に、千夜がいろいろ教えてくれるのだ。
将堂と手裏の関係性とか、軍内部の力関係とか。
紫輝は政治がよくわからないし。派閥とかも、生きるだけで精一杯とか思っているので。
あまり頭には入らなかったが。
ざっくり言うと、眞仲が言っていたような単純な領土争いだけではなく。
主義主張とか、誰がこの地を治めるのに相応しいかとか、いろいろと思惑が働いているということだ。
将堂軍の内部の話で言えば、家柄の良い者が才能ある者の足を引っ張るとか。
戦場に行かないで口だけ出すとか、そんなこと。
以前の世界でも『よくある話』というやつ。
手合せを終え、地べたにどっかりと座る千夜が話す今日の内容は。血脈についてだった。
将堂軍の中では、龍鬼はそれなりに重用されている。戦闘において目覚ましい活躍をするからだ。
それは、時雨堺が右将軍という幹部級に取り立てられていることからも垣間見える。
ただ仲間として認識されるかどうかは。別の話で。
龍鬼のフリをする紫輝が、疎外されるように。
廣伊も、今の地位になるまで相当苦労があったらしい。
その他の人々、龍鬼以外の話では。
血脈や出自などで、出世が左右されることがあるそうだ。
将堂で最も多い種は、小羽のハトがルーツの者だ。
そして大羽の者は数が少ないのだが。大羽の方が出世しやすい傾向がある。
それは元々好戦的な猛禽類の性格のせいで、手柄を立てる率が高い。という理由もあるが。
将堂家が、希少種を優遇し、保護したいと考えているからだった。
早く幹部に取り立てて、戦場から離すことで希少種の減少を食い止めたいのだ。
この世界で一番人口の多い種は、カラス。
だがカラス血脈の黒羽は、ほとんど手裏軍にいて。将堂では見かけない。
文鳥やインコ、スズメなどの小羽系は、ひとまとめにするとカラスよりも人口が多くなるが。
穏やかな性格で、農民や商人に収まる傾向にある。
紫輝はなんとなく、以前の世界で街中にいた鳥の分布に似ているなと感じた。
「俺たちの世界は、血脈に縛られている。種が違う者同士でも結婚はできるが。結婚相手は同じ種から選びがちだ。無意識に己の種以外の者を受けつけていないのだろう」
「龍鬼にも血脈の影響ってあるのかな? な、廣伊はなんの血脈なんだ? 緑の髪がキラキラしているから…インコかな? それともオウムか…」
紫輝は好奇心に瞳を輝かせるが。なにせ鳥に詳しくないものだから、有名どころの鳥しか思い浮かばない。
千夜は廣伊の姿を脳裏で見ながら、柔らかく微笑んだ。
「祖先はケツァールだって、前に聞いたことがあるぜ」
「けつぁーる? 聞いたことないな」
「そうか? ここいらでは一番美しい鳥だって言われているんだが。尾羽が長く、緑のキラキラだ。まぁ、個体数はそれほど多くないから。純血ではなく、掛け合わせているのだろうが。お相手は緑で統一してきたんじゃないかな。綺麗な緑色が、きっと一族の自慢だったのだろう」
「千夜の羽も青くて大きいな。希少種なのか?」
「青じゃねぇ。瑠璃色だ」
鼻息荒く、千夜が訂正する。
ピンと来ていない様子で、紫輝は唇が半開きのまま曖昧にうなずいて見せた。
青と瑠璃色の区別が、よくわからないが。
本人が違うというのだから、違うのだろう。
「俺の両親はオオルリとカモメだ。父の色と、母の羽の大きさ、良いとこ取りなんだぜ。まぁ、掛け合わせだから希少種ではない」
千夜はおもむろに立ち上がり、再び剣をひとりで振るい始める。
基本の型だが、千夜が軽やかに剣を振ると、まるで舞を踊っているかのようだ。
光沢のある瑠璃色の髪がなびいて、美しい。
紫輝は思わず見惚れた。
「大概の者が、自分の血脈を知っていて、先祖の…特に羽の美しさについて自慢する。今の俺のようにな。自分の羽は好きだし、祖先の誇りも感じている。だが俺たちは鳥じゃねぇから。有翼人種が血脈にこだわるのはどうかと思う。俺は、好きになった相手と愛しあいたい。翼の色を見るのではなく、その人柄を重視するべきだ」
水の流れのように、よどみない動きの剣舞をし。架空の相手を斜め斬りして、フィニッシュ。しばし静止したあと、模擬剣を鞘に戻す動作をする。
模擬剣だから鞘はないのだけど。そこまでがワンセットなのだろう。
立ち姿は格好良い。
そして千夜は、息も乱さずつぶやいた。
「それに、羽の色や翼の大きさで人の優劣を測る、今の風潮も嫌いだ。羽がなくても廣伊は優秀だろ? 彼はもっと評価されるべきなんだ。激戦組の二十四組にいながら一騎当千の剣技で、六年以上も生き抜いている稀有な存在だぞ。でもあとから入軍した、家柄の良い奴が廣伊の上官になっている。廣伊の功績は、幹部に取り立てられてもおかしくないものなのに…。羽がないだけで、優秀さを正当に評価してもらえず。いつまでも最前線で酷使されて。そんなの理不尽だろ?」
「そんなに熱く語るな。照れるだろ」
突然、全く照れた様子のない廣伊の声がした。
音も気配もなく、いつの間にか千夜の背後にいたのだ。
千夜は反射的に一メートルほど距離を取って振り返ったが。
その場で剣を体の横に置き。立膝で、かしこまる。上官に対する礼儀だ。
紫輝もすぐに、それにならった。
とっさに上官に頭を下げられるくらいには、紫輝もこの世界に馴染んでいた。
「俺の後ろを取るなんて…あんた、本当に嫌な奴だな」
背後を取られたからなのか、廣伊を手放しで褒めていたからか。
千夜が顔を赤くして怒っていた。
「味方相手でも油断するなと紫輝に教えているんだろう? おまえも油断していると…首が落ちるかもな」
廣伊が薄く笑う。
冗談だとは思うけど…ゾゾっと背筋になにかが走った紫輝だった。
だが、すぐさま廣伊は上官の顔つきになって。立ち上がった千夜と紫輝に告げた。
「すでに通達を聞いているだろうが、明日第五大隊はここを出て、将堂軍前線基地へ移動する。紫輝、心の準備はいいか?」
廣伊の話は、戦場に一番近いところへ行くという意味だ。
そうなったら、命令ひとつで戦いに出なければならない。
でもそこには、今一番会いたい人物。時雨堺がいる。
行かない、という選択肢は。紫輝の中になかった。
「はい、行けます」
軍にいる以上、戦場に出たくないとは言えない。
時雨にだけ会いたい、人が殺し合う場になんか行きたくない、それが紫輝の本音ではある。
心もとなく、剣になっているライラをギュッと握ってしまう。
けれど、時雨に会うために今まで頑張ってきたのだから。やるしかない。
「初めての戦場だ、わからないことも多いだろう。千夜、よく指導してやれ。毎日敵と対戦するわけではないから、気負わず。普段通り落ち着いて行動するように」
なんだか修学旅行前の先生みたいな助言だな、と紫輝が思っていたら。
廣伊が、紫輝の頭を軽くポンと叩いた。
忙しいはずの組長が、出立前に様子を見に来てくれたのだ。
廣伊の心遣いを感じ、紫輝の胸がジンと熱くなる。
上官として、廣伊は本当に信頼できる人物だ。感動した。
去っていく廣伊の背中を見送っていた千夜が、口を開く。
「初陣の兵みんなに、廣伊はああやって声をかけるんだ」
そして彼がしたように、千夜も紫輝の頭をポンと叩く。
「でも、これは特別だ。廣伊は自分から他者に触れることは…ほぼない」
「そうなのか? なんで?」
「触れて、ビクッとされたら傷つくだろ? でも、おまえはそういう反応しないから」
思い当たることがあり、紫輝は視線を落とした。
以前、長距離走中に転んだ兵がいて。
紫輝は、なんの気なしに、いつもやっているように手を差し伸べたのだ。
だが、彼は。触るなと言って怒った。
紫輝はとてもショックだった。
怒りではなく、悲しみに近い。心がガザガザと掻き回される不快感を味わったのだ。
そうして、拒絶され。自分がこの世界では忌み嫌われる存在であると思い知らされる。
おそらくそうした事を、これから何度も体験しなければならないのだ。
たぶん廣伊も同じようなことがあって。心を傷つけ。そして自分から手を出せなくなったのだ。
彼が拒絶された場面を見て、友である千夜もきっと自分のことのように傷ついただろう。
それが龍鬼の日常なのだと、紫輝は理不尽だと怒りつつも理解するしかなかった。
天誠は龍鬼として差別され、苦労していないだろうか?
紫輝は毎日、弟の身を案じている。
弟は機転が利くから、うまく回避できていれば良い。
もう本当に、将堂でも手裏でも、どっちでもいいから、軍の幹部に保護されて丁重に扱われていてほしい。
そうだったら、きっと天誠は苦しんでいないから。
紫輝はそう願わずにいられない。
このひと月、天誠らしき入軍希望者も、新たな龍鬼目撃情報もない。
そして廣伊以外の龍鬼と会う機会もなかった。
軍に入ったことで、紫輝は自分から天誠を探しに行くことができなくなっていた。
ただ情報を待つばかりで、じれったくて仕方ない。
廣伊と千夜がした、紫輝の頭をポンと叩く仕草は。
背の高い弟にもよくされた。
彼の柔らかい手つきを。紫輝は思い出す。
軽く手をはずませたあと、紫輝の黒髪を指で梳いた。
指先が耳たぶに触れると、くすぐったくて。
紫輝がクスクス笑うと、天誠も幸せそうな笑顔になった。
あのまぶしい日々が懐かしく。切実に、天誠の元へ帰りたくなった。
★★★★★
兵士としての訓練が終わったあと、就寝までは大体が自由時間だ。
その間に夕食を食べ、風呂に入り。班員と遊んだり(なんの遊びかわからないが、なんだかサイコロ振って盛り上がっているのを、よく見る)談話したり。上官は会議や報告書作成をしたりする。
でも紫輝は、すべてのことに難儀していた。
班員は、龍鬼と仲良くしてくれないし。
公衆浴場は、龍鬼立ち入り禁止だ。
お湯を少しもらって、濡らした手拭いで体を拭くしかない。
頭は井戸から水を汲んで、流している。
廣伊もそうしているとのことで。だったら、下っ端はなんも言えねぇ。
シャンプーなどないから、髪のゴワゴワに磨きがかかっていて切実にヤバい。
食堂も、最初は龍鬼立ち入り禁止だと言われ。お弁当というか。おにぎりをもらって、外で食べていた。
でも居合わせた千夜が怒ってくれて。彼が一緒のときは食堂で食べられるようになったのだ。
けれど基本、外でお弁当を食べている。
食堂では、みんなの視線が針のようにチクチクして、食べた気がしないから。
今日、千夜は。班長会議があって、夕食は遅くなるというので。
紫輝は食堂でお弁当をもらい、外へ出て行った。
兵舎の庭には木々が密集している場所が多々ある。
その木陰でライラと楽しい夕食タイムだ。
この世界は、闇が濃い。
街灯などないから、夜になるとちょっと先も見えなくなる。
月明かりが頼もしく思ってしまうほどだ。
なので、夜間の外出では必ず提灯を携帯する。時代劇でよく見る、アレだ。
高さ二十センチほどの提灯の光量は。蛍の光ほどにか細くて、心もとないが。
オレンジの火がライラの輪郭をちらちらと照らし。なかなか風情がある。
可愛いライラを眺めながら食べる夕食は、格別である。
ライラは、ここへ来てから一度もブラッシングをしていないのだが。白い毛は艶やかで、トリミングしたかのようにふさふさだ。
どこか神々しく感じる美しいライラの獣姿を、紫輝はうっとりみつめた。
「いいか、ライラ。俺が敵と剣を合わせたら…」
「生気を食べるぅ」
「そうだ。上手に覚えて、えらいなぁ。ちょっとだけだよ? 気を失うくらいだ。大丈夫だな?」
「あい」
ライラは褒められ、胸を張ってどや顔する。
長毛白胸毛をわしゃわしゃしたくなる。
「でも、いっぱいの人きたらどうするのぉ?」
「あぁ、うん。どうしようか?」
テヘッと紫輝が笑う。
考えなし、行き当たりばったりの紫輝の様子を見て、ライラは二本の尻尾で地面をビタンと叩いた。
砂埃が舞う。
「もう、おんちゃんはダメねぇ。いっぱいきたら、アイズして。いっぱい食べるわぁ」
「合図? いっぱいって…どのくらい食べるの?」
「やぁねぇ、おんちゃんのまわりの人、ゼンブよぉ」
丸い手を口元に当て、ライラはウフッと笑う。
言っている意味は、冷静に考えると怖いのだが。
紫輝の目には、ウフッと笑うライラがそれはもう愛らしく見えたのだ。
「もう、ライラは。どこまで俺を悩殺する気なんだっ。可愛い子ちゃんめ!」
紫輝はライラの首元にギュッと抱きつき、グリグリ頬擦りした。
「そうだなぁ…とりあえず、黒い服の人優先で吸うようにしてくれるか? それで合図は『ライラ、カミン』って言うから」
アメリカ人の母が、よく使っていたフレーズだ。
意味的には…来た来た、ライラちゃん可愛いでちゅねぇ、みたいな?
そんなに長くないけど。
母の目尻や、眉毛が垂れた顔つき、普段よりも高く優し気な声など、ニュアンス的にそんな感じだったのだ。
「それでいいわ。でも、おんちゃん。しっかりしてよねぇ」
ツンと、ピンクの鼻を上に向けるライラに。紫輝は謝った。
猫だけど。紫輝よりも年上で、間宮家の古株であるライラには貫禄があるのだ。
以前の世界でも、家庭内ヒエラルキーは彼女の方が上だった。
こちらでも、なにかとライラ頼みなので。彼女には頭が上がらない。
喜んで下僕と化していた。
そのとき人の声がして。
紫輝はライラを抱き寄せて、顔を巡らせた。
少し離れた場所にある渡り廊下を、同じ班の者が通っているのが見える。
千夜もいる。彼の青髪…いや、瑠璃色はよく目立つ。
「…あいつも、戦場に連れて行くんだろ? 俺は怖いよ。あいつの血を浴びちまったら、子供が龍鬼になるかもしれない」
歩きながら、班員のひとりが言っていた。
それは、紫輝と行動したくない、という。班長への訴えだ。
紫輝は、盗み聞きをしたくはなかったが。
今更、身動きできなくて。ジッとしているしかない。
「血液感染は迷信だ。龍鬼と全く縁のなかった地域から龍鬼が生まれているんだから。それに高槻組長がいる二十四組に在籍していて、血を浴びたらとかほざくんじゃねぇ」
「組長は化け物級に強いじゃないか。あの人が怪我するとか、ありえない。でも、あいつは新入りだし…」
「紫輝も充分強い。前に同じ班だった吉木が半殺しになった件は聞いているだろう? 紫輝は絶対に怪我をしないから、大丈夫だって」
へらへら笑いながら千夜は班員の肩を叩く。
そんなことより、千夜の言い草に引っかかってしまう。
ライラがちょっと生気を吸っただけなのに…半殺しなんて、盛って伝えないでほしい。
その場にいたくせにぃ。と、紫輝は胸の内で千夜に文句を言った。
「千夜が指導してんだ、そりゃ、それなりにはなってんだろうけど。組長は、絶対に大丈夫だって言い切れる。でもなにが起きるかわからない戦場で、新人のあいつに絶対はないね」
「馬鹿だな、よく考えろ。紫輝の後ろにいれば龍鬼の力で守ってもらえるぞ? おまえは死なないで済む」
聞こえたのは、そこまで。千夜たちはそのまま宿舎の中へ入っていった。
けれど。紫輝は動けなくなった。千夜の言葉に、頭を殴られたみたいな衝撃を感じたのだ。
紫輝が龍鬼ではないことを、千夜は知っている。
だが、ライラの不思議な能力のことも知っている。
ライラを盾にして、千夜は助かろうとしているのだろうか?
そのために友達のように振舞っているんじゃないのか?
そんな疑念が、胸に湧いてしまった。
★★★★★
六月。紫輝が所属する右第五大隊は、前線基地へと出発した。
目的地に到着するまで丸三日かかる。
将堂軍は大隊単位で、前線にいる兵士を毎月入れ替えている。
それは疲弊した兵士を休息させるためだが。
武器や防具、食料品などの補給をする意味もあった。
なので戦場へ赴く側は、大量の荷物を持っていかなければならないのだ。
機材を持って、丸三日。ひたすら歩く。
馬車も馬もあるけれど、使用できるのは組長以上の上官。下っ端が使えるわけもない。
今まで紫輝がいた基地は、将堂家の領地の中心部にある、いわゆる本部だった。
千夜たち二十四組は、リフレッシュ期間で本部にいたということらしい。
『紫輝が入軍するときに、廣伊が休息期間で本部待機だったのは、ものすごい幸運だな』と、千夜が言っていた。
そうして西へ向かって一日目。
紫輝は、アレを目にして…叫ばずにはいられなかった。
「アレって…富士山だよね??」
いわゆる山のてっぺんが平らで、青みがかっていて、山頂に雪が残って白く見える、あの富士山…にしか見えない山があったのだ。
紫輝は千夜に少し気まずい思いを持っていたが。
富士山を目にしたときは、驚きすぎて、思わず彼の青い軍服を引っ張ってしまった。
「ん? 山の名前か? あれはレーホーだ」
「レーホー? レーホー山っていうのか?」
「いや、山はいらない。ただのレーホーって呼んでる。あの下に前線基地がある」
この世界で生きるのに精いっぱいで。この頃、異世界についてあまり考えていなかったが。
富士山に似た山を見て、紫輝は悩んでしまった。
この世界は、日本がベースになっているのではないのか? と。
異世界転移の物語で、よくゲームの世界に入り込むというものがある。
紫輝はプレイしてないが、日本をベースに作られた、有翼人種が出てくるゲームがあったのではないか?
それならば言語や漢字などで苦労しないのも、辻褄があう。
「ちなみに、レーホーってどんな字を書くんだ?」
列になって歩いている最中だったので、千夜は少し迷惑そうな顔をしたが。
列を外れて、しゃがむと。地べたに指で霊峰と書いた。
なるほど、霊峰ね。
富士山も霊峰と呼ばれていたから、まぁまぁまぁ…アリか。
漢字を文字と言い、富士山を霊峰と言う。
ところどころ紫輝の世界と違いはあれど。似ている世界ではあるのだなと、紫輝は思った。
そして三日後、紫輝は前線基地に到着した。
ひと組には、およそ百人の兵士がいる。
大隊は、組×五で、五百人だ。
今回は第五大隊と第六大隊が入れ替わりになるので、約五百人の兵士がリニューアルする。
戦況によって異なるが、ひと大隊の滞在日数は一ヶ月から四ヶ月ほどだという話だ。
前線基地に駐留するのは、四つの大隊。約二千人の兵士が領地の境を守っていた。
二千人というと、紫輝が通っていた学校の、全生徒数と同じくらいだった。
エスカレーター式の学校で、幼稚舎から高等部まであるため、公立校より生徒数が多めではあるが。
ひとつの学校の、生徒総数しかいないと考えると。規模は小さいと思ってしまう。
しかし、この世界の総人口数がとにかく少ないのだ。
将堂軍の兵士は、全部で八千人ほど。手裏軍の兵士もほぼ同数。一万六千人が戦闘に関わっていることになるが、それは全人口の三割にもなるのだ。
決して少ない人数とは言えない。
例えば、将堂と手裏が相打ちになって、全人口の三割の、働き盛りの男たちが死んだら…人類滅亡の危機なのではないか? と、思い至ってしまう。
一億二千万もの人口であった、紫輝の世界でも。日本は少子化などと言われ、人口減少が問題視されていたというのに。
戦などしている場合じゃないんじゃね?
そうは言っても、底辺の一般兵が、将堂と手裏のお偉方になにか言えるわけもなく。
千夜に言っても『ふーん』ってなものだし。
紫輝がそわそわしたところで、戦は止まってくれないのだった。
紫輝は間近にある富士…のようなもの、を仰ぎ見る。
富士山にしか見えないので、心の中では富士山ということにした。
前線基地は富士のふもとの樹海(!?)の中にあるのだ。
あぁ、なんだか。
元の世界を思い出してしまうものが目に入ると。懐かしく、悲しくなってしまう。
戦、したくない。
第五大隊一行は、馬車が二台並んで進めるくらいの、整備された太い道を進んでいく。
樹海に入る手前、丸太で組んである塀に行き当たる。
四メートルくらい育った木々を、そのまま丸太に加工して、繋げたような、高い塀だ。
塀沿いに歩いていくと、門があり。
一行は中へ通された。塀の中に、将堂の前線基地があるのだ。
荷物を積んだ馬車や、紫輝たちが背負ってきた物資は、門前の広場に下ろす。
ようやく身軽になった紫輝は、千夜に基地内部をザッと案内してもらった。
兵舎は、日差しを遮るほどに鬱蒼とした木々に囲まれた、富士の樹海の中にあった。
他にも、食堂や公衆浴場などなど、いろいろな施設があるのだが。
奇襲を避けるという理由で、自然のままの広大な敷地に点々と建てられていて…紫輝は迷子になる自信しかなかった。
兵舎に入り、一室を割り当てられた九班の者たちは、まず荷解きをする。
そのあとは自由時間なのだが、三日間の行軍でみんな疲れていて、ほとんどの者は寝た。
だが紫輝は、廣伊の部屋をたずねるため兵舎を出た。
本部の基地では、組長専用の宿舎が兵舎からほど近い場所にあった。
しかし、前線基地の廣伊の宿舎は。紫輝がいる兵舎から視認できないほどに遠い場所に建てられていた。
キャンプ場によくあるような、ロッジ風の小さな木造の家屋だ。
扉をノックすると廣伊が出てきて。紫輝を中に招いてくれた。
長旅でも、廣伊の緑の髪はキラキラで麗しく頬もつやつやで、疲れを微塵も感じさせない。
「へー、寝室と仕事部屋、二部屋もあるんだ。いいなぁ」
一部屋十人で寝ている紫輝としては、うらやましい限りだ。
「普通、組長はふたり一部屋だ。だが私は特別。龍鬼だからな」
「優秀だから? 認められているからか?」
「…龍鬼と同室になりたくないからだ。まだまだ龍鬼としての自覚が足りないな、紫輝」
廣伊の優秀さを上は認めてくれているのだ。だから好待遇なのだ、と思ったのに。
悲しい理由で、紫輝はがっかりしてしまった。
「それで、私に何か用があるのか?」
廣伊に水を向けられ、紫輝は本題を思い出す。
「あの、俺、相談があって…」
『紫輝の後ろにいれば死なない』という千夜の発言を耳にしてから。紫輝は彼に対してわだかまりが消えず。困っていた。
この世界で、数少ない話し相手である千夜とぎくしゃくするのは。紫輝にとって苦しすぎる事態である。
この問題をすみやかに解決したくて。紫輝は、廣伊をたずねたのだった。
紫輝はすべてを打ち明けた。
生き残るために千夜が自分を利用しようとしているのではないか?
その想いに至った、渡り廊下での経緯も話したのだが…。
廣伊は小さく肩を震わせ。
やがて耐え切れなくなって、思いっきり笑った。
いつも冷静で表情を動かさない廣伊が、大爆笑である。
こんな廣伊を見たのは初めてで、紫輝は呆気にとられた。
「ははっ、なんだ、そんなことか…」
「そんなことって…俺、すごい悩んでいるのにっ」
「いやぁ、心配していたんだよ。紫輝は、楽しいことも苦しいこともわかりやすく顔に出るからな。ここ数日、紫輝は千夜を避けていただろう? つらそうなおまえを見て、まさかあいつも吉木みたいになっちゃったのかって、ちょっとだけ不安だったんだ」
眉尻を下げる困り顔の紫輝に、廣伊はしっかりと断言した。
「でも、紫輝の相談内容は私の危惧とは違っていて、安心した。紫輝は悩んでいるようだが、大丈夫だ。戦場に出れば、千夜がそんな男ではないとすぐにわかる」
千夜の姿を思い浮かべている、廣伊の、そのエメラルドの瞳は。彼を信頼していると語っていた。
でも、紫輝には。
それがまだどういう意味なのか、わかっていない。
ものすごい決心で廣伊に相談したのに。
たいした話ではないと片をつけられ。解決もしなくて。
紫輝は唇を突き出して、ただむくれた。
★★★★★
将堂の戦闘スタイルは、敵が攻めてきたときだけ応じるというものだ。
領地を広げるつもりは将堂にはないようだ。ただ、攻め入られるのはノーサンキュー。
わかりやすい。
逆に手裏側は、領地を増やしたい。
そして、強い者が弱者を率いれば良いと思っている。
まぁ、わからなくもない。
二家の思惑は、当面紫輝には関係ない。
関係があるのは、いつ戦場に出なければならないのか。その一点に尽きる。
手裏軍が平野に侵攻してこなければ、出撃はない。
駐留中のほとんどの日々。見回りや。敵と遭遇しても、威嚇くらいの小競り合いで済む。
そう、紫輝は廣伊から教わっていた。
しかし紫輝が前線基地に入った、翌日。
しばらく姿が見えなかった手裏軍が、将堂の最終防衛線である平野に現れたのだ。
敵が陣を敷き始めていると、偵察隊から報告が入り。
基地に駐在している全大隊に、出撃命令がくだされた。
千夜へのわだかまりを残したまま、紫輝は戦場に出ることになってしまった。
二十四組は一番はじめに敵と対する先鋒であり、最後まで戦場に残るしんがりを務める部隊だ。
隊列も、第五大隊の一番前に配置されている。
兵士の波に押されるようにして、紫輝は戦場に向かう。
一ヶ月以上の訓練を積み、剣の振るい方もそれなりに身につけた。
俊敏さにも自信があり、ライラの力も信じている。
大丈夫、心にそう言い聞かせた。
けれど、胸をうずうずと刺激する恐怖感をおさえることができない。
草木も生えぬ荒野に風が吹き。その砂埃の向こうに敵が見えると…足がすくんだ。
バサッと、音がする。
その音が、ひとつ、ふたつと増えていく。
戦闘態勢に入り、興奮する兵士たちが、翼を羽ばたかせていた。
煽るような羽音を耳にし、戦いの火ぶたが切られる瞬間が迫っているのだと、否応もなく紫輝はわからされる。
男たちの野太い雄叫びが周囲に響き渡り。兵士が前へ前へと進む。
紫輝は、なんとなく前面に押し出されたような気がした。
やはり、みんな龍鬼を盾にするつもりなのだ。
紫輝の胸に疑念ばかりが膨らんでいく。
手裏軍はカラスの種が多いので。敵は黒い翼の者ばかりだ。
羽の色に合わせ、軍服も黒の詰襟。
漆黒の大群が徐々に近づいてくる。
軍服の違いで、将堂の兵士とはひと目で区別がつくのだが。
その、ひと目でわかること自体が、もう、なんだか怖かった。
『この黒き者たちと殺し合え』と強いられているようで。
そのうち、そこかしこで剣が交わる音が聞こえ始めた。
怖い。
紫輝は、とうとう足を止めた。
訳がわからない。
なんで自分はこんなところにいるのか。
足が、がくがくと震える。
立っていられなくなって、その場に座り込んだ。
「おんちゃん、おんちゃん…」
剣から伝わるライラの不安げな声も。気合を入れて戦う、兵士の声も。
ずいぶん、遠くから聞こえるような気がした。
紫輝は膝を抱え、貝のように丸くなる。
誰にも気づかれたくなかった。
怖い。ここから逃げたい。
もう嫌だ、嫌だ、嫌だ…。
そんな想いしか浮かばない。
「立て、紫輝」
ぼんやりと歪む音。
遠くから、誰かが紫輝を呼んだ。
「紫輝っ、馬鹿っ、早く立て、この野郎…」
しかし、遠くの方から聞こえたと思った、その声は。
すぐ目の前で敵と交戦している、千夜のものだった。
顔を上げると、敵の刀を薙ぎ払い必死に叫ぶ千夜が見えた。
「ふざけんなよ、てめぇ…こんなところで怖気づきやがって」
これは、いったい誰だろう、と紫輝は思う。
千夜なのは、確かに理解している。
しかし、まるで別人のような気迫だった。
ふざけて笑い合ったときの千夜の印象は、微塵もない。
目を吊り上げ。瑠璃色の羽を、敵の返り血で赤黒く染めている。
やがて黒い翼の敵を倒した千夜が、冷たい目で紫輝を見下ろした。
「力を使えば、誰も殺さないでいられる。おまえ、そう豪語したよな? なのに、おまえはそれすらしないで座り込んでいる。だからこの男は死んだんだ。おまえが殺したんだよ、紫輝」
再び襲い掛かってくる別の手裏兵を、千夜は紫輝をかばいながら斬っていく。
「俺はっ、おまえのように高尚じゃねぇ、能力もねぇ、だから手裏を殺すしかない。手裏に支配されたくないから、攻めてくる手裏兵を斬る、そのために、ここにいる。だからおまえがそこに座っていると、邪魔なんだよ。戦えないなら、去れ!」
言葉を繰り出す合間も、千夜は手を止めずに手裏兵を斬っていた。
翼を汚し、青い髪を振り乱して。
自分よりも前へ前へと出て行く千夜を目にし、紫輝は自分が思い違いをしていたことに気づいた。
誰が、命惜しさに自分の後ろに回るって?
千夜は、友を盾にするような男じゃなかった。
彼を信じなかった己の愚かさを、嘲笑う。
紫輝は震える足を地につけ、ようやく立ち上がった。
敵と戦う千夜に、別の兵士が脇から斬りかかろうとしている。
紫輝は後ろ手に柄を掴むと、背に背負っていた鞘からライラ剣を抜いた。
兵士の刀に剣を合わせる。
ガンと来る衝撃に、また恐れが湧くが。
途端、敵は崩れるようにして倒れた。
打ち合わせ通り、ライラが生気を吸ったのだ。ライラはちゃんと自分を守ってくれる。
それを実感し、紫輝はホッとした。
「ごめん、もう大丈夫」
兵士を倒して、ひと息つく千夜に。紫輝は謝った。
「はぁっ? 聞こえねぇな。今日生き残れたら、もう一度聞かせろよ」
ニヤリと、自信にあふれたいつもの笑みを。千夜は紫輝に投げる。
そして再び挑んでくる手裏兵に対峙した。
確かに戦闘はまだ始まったばかり。一瞬も気が抜けないのだ。
紫輝は千夜にうなずき、敵の刀に己の刀を合わせていった。
自分にできること、ひとつひとつに集中する。
突き放すような言い方をされたが。その日、千夜は。ずっと紫輝のサポートをしてくれた。
★★★★★
夕暮れになり、戦闘終了のほら貝の音が双方の軍から鳴り響く。
戦闘中の兵は、どちらからともなく敵と距離を開けていった。
敵兵の動きを警戒しながら後退し。しんがりを務める二十四組も、交戦を終えた。
明日はどうなるのか、それは手裏軍の動き次第。
けれど一度陣を敷いたら、そう簡単に兵を引くことはないので、明日以降も戦闘は続く見込みだ。
夕日が富士山を紅色に染めるのを見ながら。紫輝は、帰路に着く。
基地にたどり着いた頃には、闇が辺りに垂れ込め、富士はすっかり見えなくなっていた。
紫輝は夕食後、再び廣伊の宿舎に向かった。
何故、千夜は紫輝の後ろにいればいい、みたいなことを班員に言ったのだろう?
彼には、そんな気もなかったくせに。
それが、わからなくて。
廣伊なら、千夜の気持ちも理解しているのだろうと思ったのだ。
扉をノックすると、入れと言われた。
部屋に入ると、廣伊は机でなにか書き物をしている。
それはなにかと問うと、幹部への戦況報告書で、毎日書くものだと教えてくれた。
学級日誌みたいなものか。
戦況報告書は、指揮官が戦闘可能人数や、手裏の動向を把握するために、必要な書類だ。
その内容によって作戦変更もありうるほど、重要なものである。
廣伊は書く手を止めず、紫輝に聞いた。
「で、初陣はどうだった?」
「ものすっごく、怖かった」
正直に告白すると、廣伊は薄く笑った。
「恐怖は、一番の防御だからな。その気持ちを忘れないようにしろ」
「…怖くて、いいのか?」
「当たり前だ。心がマヒして、戦場に立っても怖くなくなったら、すぐに命を落とす」
忠告にうなずきを返し。
紫輝は千夜との、今日の出来事を廣伊に話した。
「俺を盾にするまでもなく、千夜は強かった。けど、どうして仲間に『俺を盾にしろ』なんて言ったんだ? 彼の気持ちがわからない」
「千夜はおそらく、班員と紫輝をともに行動させたかっただけじゃないかな? おまえは…つらいことも多いだろうが、いつも笑顔で人懐っこいし。与えられた仕事をやり遂げる真面目さもある。そんな紫輝の良さは、一緒にいれば伝わるのだが。班員はまだ一歩引いているだろう? 千夜はまず、紫輝を班に馴染ませたかったんだろう。まぁ…言い方はまずかったようだが。あいつの口の悪さは治らない。勘弁してやれ」
その話を聞き、紫輝は。
弟といじめっ子を仲直りさせた件を思い出した。
天誠とクラスメイトの仲を取り持とうとした、紫輝と同じこと、きっかけ作りを、今千夜はしているのだ。
自分の事を彼は考えてくれている。
それがとても嬉しかった。
貴重な友人を持てたことを感謝し。もう二度と彼を疑ったりしないと、胸の内で紫輝は誓った。
廣伊の部屋を出て。兵舎への道を戻っていく。
千夜に会いに行こう。千夜を誤解していたのだと正直に彼に打ち明けよう。と、そう思った。
彼はきっと、許してくれるはずだ。
◆キス、しちゃいました(照)
紫輝は、廣伊の宿舎から兵舎への夜道を歩いていた。
だが、もう着いてもいい頃なのに兵舎の明かりが全然見えない。
実は、廣伊の部屋を出たとき提灯を借りなかったのだ。
まだ夕方だし、兵舎と廣伊の部屋を何度か行き来していたから。少しくらい暗くても、帰れると思って…。
街灯のない世界の闇を、完全に舐めていた。
敵のカモフラージュの意味もあって、樹海の中は整備されていない。
鬱蒼とした木々は、そのまま。道などあってなきがごとし。
さらに樹木が空を覆っているので。
月明かりも届かない。
そして、今どこにいるのかわからない。
認めたくないが…迷った、ね?
紫輝は辺りを見回す。
樹海の木々は不可思議に曲がりくねり、幹の節の加減で人の顔に見える。
いやいや、これは錯覚だ。そう、己に言い聞かせるが。
裂けた木の中が空洞で、その深淵に飲み込まれてしまいそうな…。
薄気味悪い、怖い、怖い。
だから、そう思っているからダメなのだ。
でも、なんだか誰かに跡をつけられているような気になってきた。
ヤバい、と思い。
紫輝は一旦廣伊の宿舎に戻ろうと決め、思い切って振り返った。
当たり前だが、誰もいない。
紫輝は安堵して、フッと息をついた。
ですよねぇ? 誰かがいるわけ、ないない。
ない、と思っていたのにぃっ。
風を切る音が突然耳元で鳴り。背後から、誰かが紫輝を羽交い絞めにした。
声も出せないくらい驚いていると、なぜか体が宙に浮き上がり…。
「え、えぇっ?」
不安な声が、紫輝の口から漏れた。
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