【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

文字の大きさ
10 / 159

番外 賢龍、安曇眞仲 1   ▲

     ◆賢龍、安曇眞仲 Ⅰ

 将堂家総帥の将堂金蓮が、前線基地で華やかな行進をしている頃。

 手裏が拠点にしている森の中で、手裏家総帥の手裏基成が、兵士をねぎらう宴会を催していた。

 頭から足まで覆う、黒のマントに身を包む、ふたりの龍鬼を従え。手裏基成は壇上に上がる。

 漆黒の大翼を、威圧するべく広げ。手裏の兵士たちに、檄を飛ばした。
「将堂は、あと一息で、我らにひざまずくだろう。金蓮の首を、我に差し出せ!」
 総帥の鼓舞に、地響きがするほど、兵士たちの歓声が沸いた。

 基成は、壇上を降り。
 部下に、兵士たちが宴席を満喫できるよう取り計らえ、と言い置いて。そのまま自室に下がった。
 わずらわしい人目から解放され、基成は息をつく。
 黒髪をさらりと掻き上げた、その手にはまる、腕輪の黒水晶がキラリと光った。

「一言で兵士たちを支配する、その手腕はさすがだな、安曇」
 続いて部屋に入ってきた、黒マントの人物。ふたりのうち、ひとりがフードを取り払い、言った。不破だ。

 手裏基成のふりをしていた、安曇眞仲は。不破に、不敵な笑みをニヤリと返し、黒マントを身につける。
 黒のマントは、手裏軍の中では、龍鬼の代名詞のようなものだ。

「だが、今回の攻撃は、ずいぶん腑抜けたものだったな? 真っ直ぐに当たり、なんの策もなく引くとは。悪戯に兵士を消耗しただけではないか。賢龍、安曇の戦略らしくない」
 それは、そうだ。紫輝が参加している将堂軍に、本気を出すわけにはいかない。
 と。内心、眞仲は思いつつ。
 それを一切、顔には出さないで、言い訳を繰り出す。

「次の戦に備えただけだ。手応えがなければ、そんなものかと、将堂軍は勝手に油断してくれるだろう? 隙を突くための流れだよ。連戦連勝じゃ、いずれ窮鼠猫を噛む…かもしれない」
 ネズミじゃなくて、鳥だけど…と。脳内で、眞仲は自分に突っ込んだ。

「そうか。まぁ、おまえのことだ。五手も十手も先を読んでの行動なのだろう。安曇の言うとおりに駒を進め、あとは将堂軍を壊滅させるのみ…というところまで来たのだからな。信頼しているよ」
 黒いマントをひるがえし、不破と、もうひとりの黒マントが、眞仲の部屋を出て行った。

 ふたりの後ろ姿を、眞仲は冷ややかな視線で見送る。

 今までは、仲間だった。
 でも、今は仲間じゃない。紫輝と再会してしまったから。

 紫輝。兄さん。俺の太陽。
 己の生きる意味は、紫輝を愛すること。ただそれだけだ。

 兄と再会するまで、とにかく長く、つらい日々だった。
 思い出したくもない、日々。
 だが、脳裏にいつまでもはびこる、忌々しい日々。

 ふと、眞仲は今までの軌跡を頭の中でなぞっていった。

     ★★★★★

 あの、大きな手に掴まれる以前。
 四月九日は、天誠、十七歳の誕生日だった。
 両親が渡米する前の、その日に。天誠は、紫輝に告白をした。

「僕は、兄さんが好きだ。恋愛の対象として見ている。だから。これから、父さんも母さんも、この家からいなくなるけど。兄を恋愛対象としている弟と、一緒に暮らせないと思うなら。兄さん、どうするか、選んで? 父さんたちと一緒に、アメリカへ行くか。それとも…僕が。寮生活や一人暮らしを考えてもいい。兄さんの望み通りにするよ」

 自分の部屋に紫輝を呼び、ふたりきりになったところで。天誠は紫輝に選択を迫った。

 両親が渡米したあとでは、養子である紫輝は、両親に遠慮して、身動きが取れなくなってしまう。
 邪な弟から離れたいなら、今しかない。
 兄さんが、心穏やかに過ごせない状況を作りたくないんだ。

 そのようなていを装いつつ。
 実際は、紫輝に意識させたかったのだ。
 隣にいるのは、狼だ。両親はもう守ってくれない。それでも、いい? いいよね? と。

 告白した天誠に、紫輝は。ちょっとだけ困った顔をして。それでもきっぱりと言った。
「天誠が、この家を出て行くのは、違うと思うし。俺、アメリカへ行く気ないし。そもそも、天誠と一緒に暮らせないなんて、思わない」

 うん。知ってた。
 兄さんは、そう言うだろうって。

 紫輝が、己を気持ち悪いと思い、一緒に暮らしたくないと言うなんて。天誠は欠片かけらも、思いはしなかった。
 ただ、確認しただけ。
 紫輝の目が、己にシカッと向いているか。
 紫輝の愛情が、確実に自分に向けられているか、を。

「告白の返事は…今すぐには、できないけど。あ、それとも、恋人じゃない俺とは、一緒に暮らせないか?」
「それは、ない。ただ、兄さんが僕のこと、気持ち悪いって思うかと…」

「子供の頃から、今までさんざん、好き好き言ってきた弟を、今更、気持ち悪いなんて思うかよ。バーカ」
 照れくさそうに、ほんのり頬を染め、唇をとがらせて言う『バーカ』。
 殺す気か?

「俺、ちゃんと、考えるから。おまえも、俺ばかり見ているんじゃなくて、いろんな人と出会って、選択肢を狭めないようにしてくれ。あと、一年。天誠が十八歳になるまでに、答えを出すよ」
 兄さんは、黒水晶がはめ込まれているかのような、キラキラした瞳で、真っ直ぐにみつめてくる。

 自分との仲を、真剣に考えてくれる兄さん。
 あぁ、可愛い。今すぐ抱き締めたい。

 十八歳まで、一年か。長いな。

 なんて、そのときは考えていた。
 まさか、それから。八年もの年月を、待たなくてはならないなんて、思いもせずに。

 ともかく、紫輝は天誠との生活を受け入れてくれ、両親は問題なく渡米した。
 たったの三日だけ、天誠と紫輝は、同い年になる。その数日を満喫し。

 そして、四月十二日。運命の、紫輝の誕生日がやってきた。

 天誠は、プロポーズの意味合いを込め、紫輝に腕輪を贈った。
 なにがあっても、紫輝のそばにいる。離れない。逃がさない。
 もしも自分の愛を、紫輝が受け入れなくても。
 天誠は、紫輝を誰にも渡す気はなかったし。紫輝の隣を、誰にも譲る気もなかった。

 男にも女にも、紫輝の愛情を、一片たりとも渡さない。
 だって、兄さんは。確実に、己を好いている。
 それは、デフォ。標準設定。当たり前。

 紫輝が、己の愛を受け入れないとき。
 それは、養子という恩情を盾にして、両親が強固に反対するときか。
 健全な兄の魂が、兄弟相姦という禁忌に引っかかり。さらに、それによって、天誠が不利な立場に追いやられるときか。
 どちらにしても、紫輝が、己への愛情を失うことなんかあり得ない。
 天誠は、そう自負していたし。どちらの場合でも穏便に解決できる自信があった。

 天誠が十八歳になるまで、と紫輝が期限を設けたのは。天誠を受け入れられない、という理由ではなく。おそらく紫輝自身が、十七歳の自分を、子供だと思っていたからだ。
 まだ学生である、両親に庇護された子供。責任感の薄い子供。性的にも未熟な子供。

 でも、十八になった紫輝は、そのすべてに考えを至らせている。

 もしも、天誠と恋人になったら。両親に激しい怒りを向けられても、最悪、家を追い出されても、なんとか生活できる自信があり。
 世の風潮である『彼氏、彼女』という浅い付き合いではなく、一生添い遂げるつもりで、天誠の人生に責任を持ち。
 性的な意味でも、天誠に身を任せる覚悟を持つ。
 ちゃんと、そこまで考えてくれている。

 そして天誠が十八歳になったときに、紫輝と同じく、愛情や責任や覚悟があるのかと、問う気だろう。

 余裕です。全く問題なし。
 だって、そんなことは、小学生のときから、考えに考え抜いて、確固とした信念をもって、覚悟済み。
 兄さんを嫁にする気、満々。
 生半可な気持ちで、兄のファーストキスを奪ったりしません。

 ファーストキス…といえば。
 唇にチュウは、実は六歳くらいからちょこちょこしていた。
 主に、寝ている兄さんや、寝惚けた兄さんに。
 でも、いつもライラに尻尾で邪魔されていたが。
 あの頃から、ライラには、兄さんの守護に特化した、猫又的な自我があったと思われる。
 恐るべし、ライラ。

 紫輝の意識があるときにした、いわゆるファーストキスは。兄さんが十歳の誕生日のときだ。
 その日は、紫輝が庭に突然現れた日と、同日で。
 天誠は、紫輝が来たときと同様に、突然消えることなく、五年が経ったことに、とても感動したのだ。
 そして、その気持ちのままに、キスした。
 大好きな兄さん。僕の前から消えないで。
 絶対に、いなくならないで。
 ずっと僕のそばにいて。
 そんな気持ちで。切実に。すがるような心持ちで。

 兄さんは、目がこぼれ落ちそうなくらい、大きく見開いて、驚いていたけれど。弟の、ちょっと情熱的なキスを拒んだりはしなかった。
 身長は、そのときはまだ、紫輝の方が大きくて。ちょっと格好悪かったけれど。
 自分の身長が伸びるまでなんて、待てなかったんだから、仕方がない。

 っていうか、一目惚れをした、幼さMAXの目んめが、大きくて。ぽやっとしていた、凶悪に可愛かった兄さんが。
 自分を柔らかく抱き止め、怒るのではなく、あくまで諭すように『兄弟で唇にチュウしちゃダメって、母さんが言っていたよ?』と優しく言うなんて。
 ちょっと大人びた兄さんの、愛らしさったらない。

 くらくらして、もう一回キスしようとしたら。
 今度は拳骨、飛んできたけど。

 まぁ、それはともかく。
 兄さんが十八歳まで待てと言うのだから。待つしかない。
 待つよ? 待つけど。
 恋人になったら、もう一度ファーストキスしてもいいかな?

 もう一度、ファーストキスって。日本語おかしいけど。
 恋人になってからのファーストって意味で、いいよな? うん。

 それまで、あと一年。
 兄さんが心移りしないように、しっかり監視はさせてもらうよ。

 兄さんはおそらく、両親との、円満な和解も狙っているのだろう。
 大人になった自分たちの意志を、尊重してほしい。と、話を持っていくつもりだろうな?
 だから、十八歳なのだ。

(でもね、兄さん。父さんも母さんも…俺の気持ちは、子供の頃から知っていると思うよ? 兄さんを養子にしてくれと駄々をこねた、あのときからね。『天誠の初恋は、お兄ちゃんだものね』って、母さん、よく言っていたしな…)

 腕輪を受け取った紫輝が『天誠、あのさ…俺…』と、なにかを言いかけて。
 その直後に、あの手に掴まれた。
 兄さんは、なにを言おうとしていたのかな?

 山の中にひとり放り出された天誠は。いつまでも。いつまでも。そのことを考え続けていた。

     ★★★★★

 二二九三年、四月。天誠は山の中、ひとりでタイムアウトした。
 当時は年号も、なにが起きたのかも。もちろん、わからなかったが。
 天誠は、紫輝がタイムアウトしたあとに取った行動と、ほとんど同じことをした。
 動かないスマホを確認したり、山を降りてみたり。そこで翼を持つ村人と出会い、龍鬼が出たぞと騒ぎ立てられ、石を投げられた。

 紫輝と天誠の違いは…助けてくれる人と、出会えなかったことだ。

 山に戻った天誠は、人と接触できず、食事に困窮して。飢餓状態で、行き倒れ寸前まで追い込まれた。
 そこを、当時、あの山小屋を住処にしていた、きこりに拾われる。

 きこりは、天誠を助けたのではない。
 天誠が身につけていた腕輪に目をつけ、同じものを作れと強要されたのだ。
 木製の足かせで、自由を奪われ。焚き木置き場だった掘っ立て小屋に、閉じ込められた。
 幸い、というかなんというか。革細工を作るキットが、鞄の中にあり。きこりの望む物を提供できた。
 革細工は、戦用品として需要があり、高値で売れたのだ。
 そんなことは、飼い殺しの監禁状態だった天誠に、知る術はなかったのだが。

 食事は与えられたが、微々たるもので。足を全く動かせないから、体力も落ちていき。
 生かさず殺さずで、一日中働かされる日々。
 きこりは、羽のない天誠を蔑み、口を利くのも嫌そうだ。
 ただ、金づるだから、死なない程度に食事をやり、臭くならないよう環境整備するだけ。

 家畜だって、もう少し丁寧に世話をされる。
 つまり、家畜以下の扱いだったのだ。
 そんな監禁生活が、五ヶ月ほど続き。

 天誠は、きこりや、こんな状況に己を追い込む世界を恨み。精神を病んでいった。

 ただ…この世界に紫輝がいるのではないか? と、それだけが心配だった。
 困っているのではないか?
 紫輝に会いたい。
 あの綺麗な黒い瞳で、またみつめてほしい。

 紫輝への思慕を抱くことで、天誠は命を細々と繋げていたのだ。

     ★★★★★

 転機は、九月。不破が、革細工職人の元を訪れたことだった。

 天誠を監禁したきこりは、粋な革製小物を作る職人として、名を売り始めていた。
 しかし彼を知る者は『あの男に、そんな繊細な物が作れるはずがない』と噂していて。
 そのうち、こそこそするきこりをいぶかしんで『龍鬼を飼っているんじゃないか』とまで言われていた。
 きこりはそれを否定する。龍鬼が作った物だと言ったら、売れなくなるからだ。

 不破は。最初は、手の傷を隠したくて。噂の革職人について、情報を集めていた。
 だがその中に『龍鬼を飼っている』という話があり。
 聞き捨てならない、その情報の真偽を、確かめずにいられなかった。

 龍鬼である不破は、龍鬼が冷遇されているのを見過ごせない性分だったのだ。

 不破に問いただされた、きこりだが。最初はしらばっくれた。
 しかし、倉庫と呼ぶのもおこがましいボロ小屋の中で、天誠を発見し。きこりを即座に捕縛した。

 そこで、天誠は。不破に保護されたのだ。

 すぐに足かせを外してもらい、立ってみる。
 天誠は。もし、紫輝が、あのきこりに捕まってしまったら、とか。ここから出られたら、すぐにも紫輝を探しに行くのだ、とか。考えていて。
 筋肉を落とさないよう、足上げや負荷をかけて、ふくらはぎを鍛えていたのだ。
 それでも、ずっと両足首を固定されていた天誠は、歩くことも、ままならなかった。
 自分をここまでおとしめ、人としての尊厳を踏みにじったきこりに、天誠は烈火の如き憤りを感じた。

「君が、こいつを処分するか?」
 不破は腰に差した刀をスラリと抜くと、つかを天誠に向ける。
 天誠に迷いなどない。
 刀を受け取るやいなや、躊躇なく振り下ろした。

 剣道をかじっていたので、基本の動作は備わっている。
 きこりは、助けてやっただの、世話してやっただの、ほざいたようだが。

 天誠の耳に届くわけもない。

 きこりを一思いに殺したあと。後悔はなかった。
 飛び散った赤い血が、うぜぇと思っただけ。
 ただ、紫輝になんて言えばいいか、と。それだけは悩んだ。

「それだけ消耗しているにもかかわらず。なかなか良い太刀筋だ。ところで、私は革細工の依頼に来たのだが、君が作り手なのならば、私の手甲てっこうを作ってもらえないか?」
 初対面の男が、いきなり人前で殺人をしたというのに。その相手に、何事もなかったかのように、革細工を依頼する。この男も、ぶっ飛んでいるな…と。天誠は思いつつ。刀を彼に返す。

 そのとき、天誠は見てしまった。
 男の手に、特徴的な傷がついているのを。
 それは天誠と紫輝とライラを掴んで、穴に引きずり込んだ、あの手と同じ。

 天誠は、この男が、自分たちをここへ連れてきた人物だと確信した。
 あの手は、紫輝に狙いを定めていた。
 もしかしたら、紫輝は、この男の元にいるのかも?

「貴方は、命の恩人です。俺で良ければ…貴方の役に立たせてください」
 素知らぬ顔で、天誠は、男の依頼を承諾した。
 彼がどういうつもりで、自分たちをここへ呼んだのか。理由がわからない。
 紫輝の命を脅かされないためにも、慎重に、事を進めなければならない。
 そして、うまく、この男に取り入らないと。

 天誠は頭の中で、緻密な計画を立てていった。

 ふたりは、これからのことを相談するため、きこりが住処にしていた山小屋へ、足を踏み入れる。
 そこには、天誠が作った革製品で儲けた、この世界の通貨や、上等な衣類や宝石が、乱雑に置かれていた。

「急に羽振りが良くなろうと、そうそう金は使えなかったようだな。ここにあるものは、君が貰ってしまえ」
「…いいんですか?」
「君が稼いだものだ。それで…君はどうしたい?」
 どうしたいもなにも。天誠は監禁生活が長く、この、翼の生えた人間が生活する世界のことが、なにひとつわからず。悩んでしまう。
 突然、大金が舞い込んできても、使用方法も通貨価値もわからない。
 まずは、ここがなんなのか、知らないと。
 そういえば、目の前の人物には、羽がない。

「あの…翼が、ないんですか?」
「あぁ、そうだ。私は龍鬼だからな」
「…龍鬼って、なんですか? あの、俺はずっと閉じ込められていて。なにもわからないんです」

 儚げな笑みを、浮かべて見せる。
 天誠は、己の笑みが、万人を魅了することを知っていた。
 まぁ、この羽なしに厳しい世界では、威力は半減だろうが。
 目の前の羽なし男には、効いたらしく。とても同情的な眼差しを返してくれた。

「そうか、幼い頃から監禁されていたのかな? もしかして、あのきこりは父親か? 色目は似ていないが」
「いいえ、赤の他人です」
 きこりが血縁と思われるなど、心底ゾッとする。
 速攻で、食い気味で、訂正した。

「…私は手裏軍の龍鬼、不破という者だ」
 手裏軍、ということは軍人、兵士か? 確かに、学校の詰襟のような衣服を着て、腰に刀を下げている。
 道理で、きこりを殺害しても、眉ひとつ動かさないわけだ。
 と、天誠は彼を観察しつつ、分析もした。

 年齢は、自分より上に見えるが…二十代くらいか。
 黒髪だが、紫輝が羨ましがりそうな、透き通る艶髪を長く伸ばしている。
 瞳は、ギョッとするくらいの、赤色。

「龍鬼というのは、我らのように、生まれつき羽のない者の俗称なのだが。龍鬼は、翼を持つ者から忌み嫌われていて。村で、普通の暮らしは難しいと思う。だが軍に入れば、それなりに暮らすことができる。どうだろう? 私とともに手裏へ行き、まず心と体を癒すというのは?」
「ぜひ、お願いします。不破さん」

 願ったりかなったりの提案に、天誠は安堵してうなずく。
 うまくいきすぎな気もあるが、紫輝に近づけると思えば、リスクのひとつやふたつ、なんとでもしてやる。

 とにかく、紫輝に会いたい。

「君、名前は? あるかな。もしかして、つけられていない?」
 不破の問いに、天誠は脳裏に考えを走らせる。
 もし、不破が。紫輝を望んで、手元に引き込んでいた場合。その周りの情報も、得ているかもしれない。
 間宮天誠という弟がいると、紫輝から聞いている可能性もある。
 そうしたら、警戒されてしまうかも。
 紫輝だけを手に入れたいのなら。自分ならそうする、と思い。天誠は偽名を名乗った。

「安曇眞仲と言います」

 安曇眞仲は、元の世界で、モデルのバイトをしたときに使った、芸名だ。
 紫輝の誕生日プレゼントは、自分で稼いだ金で贈りたくて。
 バイトは内緒だから、紫輝も、この名は知らないはずだ。
 彼がすぐにも気づく名前の方が、良いかもしれないけれど。
 素直な兄さんは、すぐ顔に出るからな? とにかく、不破に怪しまれない方が良い。

「では、安曇。いつまでも監禁場所にいるのは、落ち着かないだろうから、場所を移動しよう。もう、なにも心配しなくていい。私が守ってやる」

 山を降りたあと、不破は体力を消耗している天誠を気遣い、馬車を用意してくれた。
 不破の屋敷に着くまで、横になっていても良いように。

 天誠と紫輝を、ここに連れてきた、悪い奴だと思うのだが。
 不破はなんだか、人が好い。
 そうは言っても、天誠は油断する気はないが。

 馬車の中で横になった天誠は、これからどうなっていくのか、紫輝には会えるのか、そんな不安と期待に心を揺さぶられ。いつのまにか寝てしまった。

 油断した…。でも、仕方がない。体は、ほぼ骨と皮の状態まで衰え、体力もごっそりなくなっているから。
 大丈夫、すぐに回復する。

 回復して…紫輝をこの手で守るのだ。

     ★★★★★

 長く馬車に揺られて、到着した不破の屋敷からは、富士山が見えた。
 庭には、楓があり。楓の紅色と富士山の青と白、絶妙なコントラスト。これぞ日本の情景。

 天誠は、ここが間違いなく日本であると認識した。

 紫輝のように、ゲームの世界に入ったやら、異世界やら、脳裏をよぎったのは初日だけで。
 己が理不尽に貶められるこの世界が、リアルなのはわかっていた。
 なぜなら、紫輝がそばにいないから。
 魔王を退治? 勇者として国をお救いください? そんなことを言われたとしても、紫輝がいなければ、そんな気も起きない。
 魔法が使えるわけでもなく。誰かが迎えに来るわけでもなく。
 むしろ、羽がないと言われ、蔑まれる。
 ただただ虐げられた、この世界が。他者によって作られた、能天気な世界なわけがない。

 かといって、なら、この世界はなんだ? と言われると。天誠には、まだわからないのだが。

 しかし、その問題は早々にクリアできたのだ。
 不破が家庭教師をつけてくれたから。

 カラス羽根の家庭教師は、元は医者で、その倫理観ゆえか、龍鬼を差別しなかった。
 その教師のおかげで、この世界が、自分が過ごした世界の、およそ三百年後の世界だということを知った。

 なぜ有翼人種がメインの世界になったのか。
 現在、手裏家と将堂家が戦をしていることや、その経緯。
 龍鬼が差別される理由。貨幣価値、などなど。
 この世界で生きていくのに必要な情報を、ようやくゲットできたのだ。

 これで、紫輝と合流したとき、紫輝の力になれる。
 龍鬼として苦しめられていても、軍でこき使われていても、早々に紫輝を救い出し。兄弟水入らずの暮らしを確立してみせる。

 そうするうちに、年が明け。二二九四年になった。
 その頃には、体がほぼ正常…タイムアウト前の状態に戻っていて。
 手裏軍に入るため、不破と剣の稽古をしたり、真剣で打ち合ったりもした。

 不破の屋敷に、紫輝はいなかった。
 手裏軍に行けば、会えるか?
 あぁ、極めて健全で、善良な心根の兄さんを、戦に駆り出したりしていないだろうな? 心配でならない。
 だから、天誠は。早く、手裏軍に入軍したかった。

「冬の間は、戦闘しないんだ。春になったら、存分に役に立ってもらうぞ」
「手裏軍に、俺たち以外の龍鬼はいますか?」
「いない…のだが。いささか複雑で、な」
 歯切れの悪い不破の言い方に、天誠は焦れてしまう。
 その複雑な、というのは。紫輝のことなのか?

「実は、私の不破という名は、偽名だ。事情があって、本名では手裏軍に入ることができなかった。それで、手裏軍の龍鬼だった、不破という男の名を引き継いだんだ。この屋敷も、元は不破のもので。彼の死後、譲り受けた」

 彼の話によると。不破の親族のふりをして、手裏軍に入れたが。まだ、幹部との信頼関係が構築できていないので、龍鬼として要所で使ってもらえない。
 いわく。前、不破のポジションについているので、地位だけはあるが、窓際族扱い。というようなことらしい。

「俺が龍鬼として入軍したら、マントでもかぶって姿を隠しつつ、度々入れ替わって、手柄を積み上げていくのはどうだ? 上官が我らを、良い駒だと認識すれば、使ってみたくなるものだろう? ふたりで成り上がっていくというのは…俺の方が、より有益かな?」

 不破には、すでに地位があるので。天誠が不破のふりをして立ち回るというのは、必然、天誠もその地位で動くということだ。
 だから、天誠の方がメリットのある話。なのだが。

「素晴らしいな。私は、顔をなるべくさらしたくないから。その発案は、私にも有益だ。このままくすぶって、せっかくの能力を無駄にすることもない。手甲を依頼しに行った先で、私は有能な軍師も手に入れたようだ」

「貴方の役に立てることが、嬉しいですよ。では、そのように取り計らいます」
 天誠と不破は、がっちりと握手を交わす。
 このとき天誠は、手裏軍龍鬼の懐刀という地位を手に入れたのだ。

「ところで、下の名前を教えてもらえないのは、もしかして、考えていないからですか?」
「あぁ。不破の名前を聞く前に、彼が他界したので。勝手に名付けると、親族でないことが露呈する恐れがあるからな。まぁ、おおよそが苗字呼びなので、今のところ不都合はない」
「本名は?」
「それは、いくら家族同然の安曇でも、言えないな」

 今の話で、天誠は。不破の素性が、大体わかった。
 だが、天誠には特に関係ないことなので。これ以上追及する気も、興味もない。

 まぁ、弱味は握れたかもしれない。
 なにかがあれば、切り札にすれば良い。

 とにもかくにも、天誠の当面の目標は、まず紫輝と合流すること。
 そして、手裏軍での立ち位置を、盤石にすること。
 その足掛かりができたことを喜び。それに備えて、剣の稽古に励んだ。

     ★★★★★

 二二九四年四月、天誠は十八歳になった。
 手裏軍に入り、まず探したのは、もちろん紫輝だが。

 紫輝はいなかった。

 不破に、他に龍鬼はいないと聞いていたけど。本当にいないとは…。
 十八歳になったのに。

 紫輝に再会したら、すぐにも恋人にしてもらおう。そのためには、手裏軍での己の地位を確固としたものにして。紫輝を不自由なく養えるように、環境を整えておかないと。
 その意気込みで、天誠は不破のそばで、軍師として頭角を表していった。

 手裏軍に入って、気づいたのは。手裏に龍鬼がいるように、将堂にも龍鬼がいるということ。
 天誠は、不破が紫輝を囲っていると思い込んでいたので。将堂に紫輝がいることは、全く考えていなかった。

 だって、不破が紫輝を掴んだのは、確実なのだ。

 なぜ、不破は。紫輝を保護していないんだ? それは本当に謎だった。
 謎だが。なにかアクシデントがあって、紫輝は間違って将堂にいるのかもしれない。
 絶対とか、そのはずとか、決めつけない方が良い。

 広い視野を持って、とにかく一刻も早く紫輝を探し出さなければならない。

 情報によると、将堂の龍鬼はふたりだ。
 ひとりは、身長が高く、白髪で長い髪。
 短髪だった紫輝が、この短期間で長髪にはなれない。彼は紫輝ではない。

 もうひとりは、細身の体躯、短髪、と背格好は紫輝に似ている。髪色は緑だが。髪の色はどうにでもできるので、当てにならない。
 この目で見てみないと、判断できない。

 ということで、戦場に出ることにした。
 すでに初陣は経験済みなので、剣の力量や恐怖などの精神面も、問題はない。

 というか。将堂の兵士の力量が、低すぎる。
 それは、手裏の一般兵にも当てはまることなのだが。
 食い扶持を稼ぐために、入軍する若者が多く、いわゆる素人なのだ。
 天誠は幼少期から剣道を習っていたため、基本動作は身に沁み込んでいる。唯一、実戦で通用するのか、という懸念があったのだが。素人相手だから、なんとかなったな。

 それで、天誠は紫輝…かもしれない龍鬼を視認するため。不破に、出撃許可を出してもらおうとしたのだが。
「安曇…君を戦場には出せないよ」
 は? と言いそうになったが。
 かろうじて、声には出さず。
 戦略対策室…的な、天幕の中にいる不破を、天誠は見やった。

 ふたりは、黒い詰襟の形をした軍服の上に、黒マントを着ている。
 手裏軍では、黒マントイコール龍鬼という認識が、定着し始めていた。

 天誠の思惑通り、ふたりで入れ替わりながら、武功を上げ続けた結果。手裏の幹部も、龍鬼を手駒として使うことに、もはや遠慮がなくなっている。
 不破が、安曇が、ということは。取るに足りないことで。
 結果が出れば、上層部にはどうでもいいことなのである。
 不破の憂いは晴れ。不破の中の、安曇眞仲の株も上がった。

 そして、ふたりが実力を発揮していくことで、発言力が強くなり。
 手裏軍の龍鬼は、今では戦略対策に、なくてはならない人材にまでなっていた。

「安曇が強い兵士だということは、理解しているよ? でも、万が一、戦場で討たれたら。我が軍は、強力な龍鬼と軍師を失うことになる。君がそんな手駒を持っていたら、戦場に出す?」

 出しませんね。天誠は無言で苦笑いする。
 やり過ぎた。調子に乗って、手の内を披露しすぎた。
 というのも。
 この世界は、人口が少ない。全国民が五万人ほどなのだ。
 なのに戦争をしているのだ、この世界の人間は。

 馬鹿か。

 このままでは、本当に、なにもしなくても、人類は滅亡する。
 天誠にとっては、それは他人事で。
 異世界もどきの未来の世界が、どうなろうと、なんとも思わないのだが。

 つまり、人口が少ないということは。戦闘規模が小さい、ということなのだった。

 手裏二千騎、将堂二千騎が、平野でぶつかり合うという戦闘形態が多いのだが。
 地形を生かした奇襲作戦という、天誠の中では奇抜とも言えない案を出したところ。
 幹部連中は、余計な兵をさけないと、渋ったのだが。
 十騎だけ借りて…。
 たったの十騎で、天誠は奇襲を見事成功してしまった。
 そんな少ない数で、旗色が変わる。この世界の戦は、そんな戦なのだ。

 さらに、天誠は知略を巡らせ。小規模戦闘で、三連勝してしまい。
 当時戦力的に優位だった将堂軍を、青木ヶ原樹海へ追い込んで、そこから出て来られないくらい、容赦なく追い詰めてしまった。

 いや、だって…。
 自分の立場を盤石にするのに、勝利が必要だったし。
 二千騎同士と言ったら、壇ノ浦の闘いくらいの規模なのだ。平安時代だ。
 その平安時代の日本よりも、戦技術も武器の精度も劣る。

 やりようによっては、天誠ひとりの思惑で、戦況を変えることもできそうだった。やらないけど。

 ここで、手裏をひとり勝ちさせるのは、得策ではない。
 もしかしたら、紫輝が将堂にいるかもしれないからだ。
 紫輝がもし、己の戦略によって、命を落としたら…それは絶対にダメだ。想像しただけで怖気が立つ。ヤバいヤバい。
 その考えに至って以来、手裏が勝ち過ぎないように、戦場のパワーバランスをコントロールしている。

 しかし、時すでに遅く。
 手裏軍の幹部は『戦の神が降臨した』と諸手を挙げて天誠を歓迎し。あげく賢龍などという龍鬼の称号までつけられてしまった。
 龍鬼の能力なんか、全然ないのに。

「一回で、良いんだけど。ちょっと確認したいことがあるから」
「今後の作戦に関わることか?」
「…まぁ、そうだな」
 いや、紫輝を探したいだけ。
 だが、そうは言えないので。嘘をつく。
 天誠は、さらりと嘘がつけるタイプだった。

 兄さんは嘘が苦手だった。すぐになにかしらのサインが、顔に現れるから、カードゲームの類は、兄さんの全敗だったな。
 その素直なところが、愛らしい。
 でも全部勝つと、もう遊ばないって怒っちゃう。
 それも可愛いけど。遊んでもらえないのは困るので、たまに手を抜いたりした。内緒だけど。

 なんて、脳内で紫輝との思い出に浸り、良い気分になるが。
 天誠はそれらの感情を、表面上には一切出さず、神妙な顔つきを崩さない。

「手裏軍の軍師と…先ほどは言ったが。私は安曇のことを、弟のように思っている。作戦に関わるとはいえ、家族として。戦場に出すのは、心配だな?」
 ほぼ身長の変わらない、自分と同じような体格の不破をみつめ。
 天誠はポーカーフェイスを少しゆるめ…眉間にしわを寄せた。

「俺の兄さんは、ギュッと抱き締めたくなるような、可愛らしい人で。優しくて、真っ正直で…決して不破のような、胡散臭い、大柄な男ではない」

 不破と天誠は、お互いに素性を隠し、本音は決して見せない。
 しかし、半年ほど同じ屋敷に住み。
 龍鬼という、世間では蔑まれる同じ立場にあることで。それなりに仲間意識がある。
 天誠としては。紫輝が絡んでいないのなら、不破は命の恩人であるし。なにもわからなかった自分に、この世界の情報をもたらしてくれたし。手裏軍での居場所も用意してくれたので。
 彼の手助けくらいは、してもいいと思っている。
 それくらいには気心の知れた仲になっていた。
 すでに名前も呼び捨てで、軽口も叩ける。

「大柄はともかく、胡散臭いは、傷つくな?」
 全く、傷ついているような顔をしていない。
 むしろ、楽しげに見える。

 そういうところが胡散臭いのだと、天誠は思うのだった。

「というか、兄がいるのか? 今はどこに?」
「…俺があいつに捕まって、それ以後、離れ離れだ。行方がわからない」
 不破に、紫輝の話をしたのは。
 天誠にとっての兄は、紫輝だけである。それ以外は認めない。ゆえに不快である、という意思表示もあったのだが。
 不破が、本当に紫輝を知らないのか、見極めたい思惑があったからだ。
 本当に、自分が、紫輝の弟だと知らないのか?
 不破の表情の変化を、注意深く観察する。

「それは心配だな。私も、弟と離れて暮らしているので、寂しい気持ちはわかるぞ。私の弟は、容姿がとても美しいのだが、それ以上に心根が綺麗なんだ。兄さん、兄さん、と私の後ろをついて回って。私は弟に頼られるのが、嬉しくてな? 繊細な子だから、いつも心配しているよ。容姿が美しいのは、安曇も同様だが…私の弟は、君ほどふてぶてしく無い」

 胡散臭いを、ふてぶてしいで返された。
 天誠は、己の腹黒さを自覚しているので。不破にチクリとやられたくらい、なんでもない。

 というか、紫輝の話に触れてこない。
 まだ、不破の真意は掴めないか。
 互いに、兄弟賛辞がはなはだしいところには、引っかからない天誠だった。

「安曇が家族の話をしたのは、初めてだな。兄の他に家族は?」
「わからない」

 両親は三百年前。ライラは紫輝が抱いているから、きっと大丈夫。
 紫輝のそばに、ライラがいてくれたら。
 紫輝の心をライラが支えてくれていたら、少しは安心なのだが。

「俺を家族だなどと言って、引き留めようとするな。有益な持ち駒がなくなるのが嫌だと、率直に言われた方がわかりやすいぞ。ま、大事なことなので、戦場には出るが。その代わり、表に出るのは、今回限りにしてもいい」
「本物の兄には敵わないから、兄の座はあきらめるが。安曇のことを家族だと思っているのは嘘じゃないよ。まぁ、上層部も。安曇を手元に置いておきたいらしいから。上の意向を汲んで…今回限りという約束で、許可してやる」

 不破の了承を取りつけ、天誠は天幕を出た。さっそく戦場へと出向く。

     ★★★★★

 天誠が、戦場の最前線に到着したとき。すでに日没間近で。双方、引き際を見極める段階に入っていた。
 日没後に戦闘を行わないのが、暗黙の了解だ。
 戦闘終了の合図に、矢が射かけられるので。それまでに、戦線を離脱しなければならない。
 わかりやすいルール。

 戦争に、ルールを適用できるのか…天誠は疑問に思う。
 以前の世界では、勝てば良い、勝てばルールなど後からいくらでも曲げられる、という考えの権力者も多かったから。この世界は、実に紳士的だ。

 その気持ちを、少しは龍鬼マイノリティーにも向けてほしいところだが。
 しかし。天誠は紳士ではなく。ずるい思考を持ち合わせている。

 この戦場で、緑髪の龍鬼の目撃情報があった。
 彼をおびき出すために、ひとり、生け贄になってもらおう。
 戦線離脱のタイミングを逃した同胞がいたら、きっと助けに現れる。
 一番目立つ容姿をしていて、少しは手応えがある奴が良い。すぐに死なない程度の奴。

 そこに、うってつけの奴がいたのだ。
 髪色がメタリックの青。少し年が若そうだが、今日死んでもいいって感じで、がむしゃらに剣を振っている。

 天誠は、黒マントを脱ぎ。目を引く金の髪と碧眼を、思うさまさらした。
 紫輝が、遠目からでも気づいてくれるように。

「おまえ、手裏の龍鬼?」
 天誠に気づいた青髪は、思うとおりに斬りかかってくる。いいぞ。

「そうだ。俺は手裏軍の龍鬼、賢龍の安曇眞仲だ」
 自分で口にするのは、恥ずかしい称号だ。
 しかし、それで通っているから、仕方がない。
 名前をさらしたのは、目の前の若者へのご褒美だ。うまく、龍鬼を…紫輝を、ここへ連れてきてくれ。

 青髪の剣は、力強かった。
 だが、正面から当たりすぎ。力に頼りすぎ。
 天誠は刀で、青髪の剣をいなす。
 まぁ、素人の剣よりは、マシか。間違って殺しちゃう恐れがないくらいには、手練れかな。
 
 しかし…と、天誠は戦闘中にもかかわらず思案してしまう。

 こいつらは、何故、翼があるのに、それを有効活用しないのだろうか?
 龍鬼は空を飛べないんだから、上からとか横からとか、いろいろやりようがありそうなものだ。
 その疑問を、つい口にしてしまった。

「なんで、翼を使わないんだ?」
「は? な、なに?」
「その翼は飾りか? あぁ。飛べない鳥さんなんだな。すまない」
 麗しく、天誠は笑った。

「貴様っ、俺を侮辱したのか!」
 剣戟が激しくなる。怒らせてしまったようだ。
 青髪は翼を広げ、羽ばたいて風圧を天誠に当てた。

「俺は飛べる。馬鹿にするな」
 前への推進力がついて、剣の圧力が高まる。
「そうそう、もっと動けよ。前後左右、羽アリなら、上下も使って、臨機応変に攻めないと…殺しちゃうぞ」

 ようやく、遊べるようになってきたと思い。天誠はニヤリと笑う。
 紫輝とした、チャンバラの域に、やっと来たという感じだ。

 青髪の男は。夢中で剣を交えている。周囲に、もう味方がいないことにも、気づいていない。
 そこに、別の剣が割って入った。
 天誠が目で追えないくらいに、速い。

 龍鬼だ。

「余計なことすんじゃねぇ!」
 戦闘に水を差され、青髪が叫んだが。
 それ、おまえの軍の龍鬼だぞ?

 割って入った剣により、天誠と青髪との剣の均衡が崩れ、剣先が弾かれた。
 ふたりは互いに後ずさる。
 青髪はまだやりたそうだったが、天誠はそのまま引いた。矢の餌食になりたくないし。目標は達成した。

 緑髪の龍鬼は…紫輝じゃない。

 一七〇センチ弱の身長、細身の体躯などは、紫輝と酷似している。
 でも、紫輝は。天真爛漫な可愛い系。緑髪は、冷静沈着が前面に出た、美人系。
 頬に丸みがあり、幼く見えるが。
 紫輝より年下か? いや、あの目の鋭さは、それなりに経験を積んでいる。
 剣士としても、ベテランの域。とにかく、完璧に別人だ。

 退却しながら、黒いマントを身につける。
 表情には出さないが、天誠は落胆していた。

 あぁ、兄さんはどこにいるんだ?
 早く、兄さんに会いたい。
 このまま、会えなかったら…心のすべてが黒く染まってしまうよ。
 だから。黒き闇に沈み込んでしまう前に。兄さん、早く目の前に現れてくれ。

 握る刀に、血がついている。
 天誠は、刀を振って血を飛ばし、鞘に収めた。
 青髪は殺さなかったが。前線に上がるまでに、何人か斬ったから。

 天誠は、以前の世界では、戦争と無縁の国にいた。
 もちろん、殺人などしたことがなかったし。殺人が悪いことだという一般論の中で育った。
 でも…。不思議なくらい、人を斬ることに、躊躇いや嫌悪がなかった。

 きこりに監禁されていた間に、天誠は憎悪をたぎらせ。殺してやる、と。なにもかも殺してやる、と何度も思い。精神を闇に堕とした。
 そのせいもあるかもしれない。

 もしくは、翼が生えているから、同じ人間と思えないのか?
 いいや、自分は元から、こうなのだ。

 紫輝以外の人間には、興味がない。
 人間よりも、むしろ動物の方が、大事だと思える。
 ライラや、他の動物を慈しむ心は持っている。
 可愛いという感覚も、守りたい感覚も。

 だが、その気持ちは。人間相手に発動しない。

 動物は、無垢な魂を持ち。
 紫輝にも、それと同様の、清らかな精神が宿っている。

 でも、紫輝以外の、人間というものの魂は、汚れている。天誠にはそう見えた。
 そして、人間の魂が汚れていると思える場面に出くわすたびに、人間を気持ち悪いと思う。

 その気持ちは、己にも適用された。
 天誠は、自分の魂が、一番穢れていると思っている。
 だって、人を斬っても、心が動かない。罪悪感がない。
 きこりが死んだときなどは、爽快感すらあった。
 そんな己を、間違っているとも思えないのだから。

 そのような、危うい素地を持つ天誠を。真っ当な道へ歩ませていたのが、紫輝の存在だった。

 幼い頃に、紫輝が目の前に現れなかったら。小学校に上がる前に、腹黒で腐り切った、どうしようもないガキになっていただろう。
 そんな自覚が、天誠にはあった。

 紫輝に会う前から、笑顔ひとつで大人の心を掴めることを、知っていたのだ。
 誰も彼も、自分が笑いかければ魅了される。
 自分がそうしたいと思うことを、叶えてくれる。
 天誠はそれに味を占め、なにもかもを誰かにやってもらい、手柄は自分のものにし。
 与えられる物を、なんの感慨もなく受け取るような、空っぽな人間になっていたはずだった。

 だって、それってすごく楽なことだから。

 でも、天誠の前には。紫輝が現れたのだ。
 それは奇跡だった。

 紫輝は、天が天誠に与えてくれた、良心なのだ。そう、天誠は思った。
 紫輝と出会ったことにより、自分の容姿を賛辞する者たちを、くだらないと思うようになり。
 自分に媚びて、なにもかも与えようとする者たちを、嫌悪するようになったから。

 特に。己と比べて、紫輝の容姿を馬鹿にする者たちには、吐き気さえ覚えた。
 紫輝は、決して不細工ではない。
 でも、本人がそう思い込んでしまうほど、周囲は、己と並ぶ紫輝に対し、顔をしかめて見せた。

 確かに、天誠は。金髪碧眼で、笑えば天使の微笑みと言われるほど…芸能人である両親とともにいても、見劣りしない容姿であった。
 ある意味、けばけばしいほどに華やかだった、己と両親。
 そこに紫輝が並ぶと、誰もが、がっかりした表情を浮かべたのだ。
 三人で、完璧な宗教画のよう。

 紫輝さえいなければ、完璧だと。

 まぶしい光の横に、沿う闇。
 天使と並ぶ、悪魔。
 そのような目で、他者は紫輝を見た。

 天誠は、いくらでも、紫輝の可愛い見た目や優れた点を上げられるが。
 紫輝はそれを『天誠は優しいな』で片づけてしまう。

 そうじゃなくて、本当に、紫輝は容姿が劣っているわけではないのだ。
 学校では、友達もたくさんいた。
 容姿のことでからかわれたこともない。
 性格も温厚で。誰にでも優しく接して。明るい笑顔で、周囲に幸せをもたらす。

 自分よりも、よほど天使に近い、綺麗な綺麗な心根を持つ、兄。

 なのに、自分たちと並ぶと、卑下されるのだ。
 なんで、天誠の兄が、あの冴えない顔の紫輝なのか。
 天誠の隣にいないで、不釣り合いだ。
 弟はこんなに綺麗なのに、お兄さんは…。

 余計なお世話が、度を過ぎている。
 つか、そんなことを言うおまえたちは、何様だ?
 何度、キレて罵倒したくなったか。

 でもそのたびに、紫輝は言うのだ。
 大丈夫だから、と。俺は、天誠の笑った顔が好き。怒らないで。女の子は弱いんだから、手を上げたら駄目。みんな天誠を褒めているんだから、ありがとうと言うんだよ?

 嘘だろ。
 なんで、紫輝を貶めるやからに、礼を言わなければならないんだ?

 だけど、誰でもない紫輝が、そう言うから。礼など言わないが。手は上げなかった。かろうじて。
 でもそれは、弱い女の子を守る…なんて意味は欠片もなく。
 ただただ、女の子に手を上げて、紫輝に嫌われたくなかっただけのことだ。

 もちろん、紫輝を罵った奴らに、報復をした。
 女にしろ男にしろ、大人にしろ子供にしろ、己の視界から排除した。
 簡単に言うと、転校に追い込んだり、社会的抹殺とか、かな。

 手を下さなくても、天誠が不快だと示せば、周りが勝手に彼らを排除した。
 直接、天誠になにかされた、などという噂が出ることもない。
 そこら辺の手回しは、抜かりない。

 だが、学校で『間宮(兄)には近づくな』というジンクスができたので。
 察しの良い人間も、若干数いるようだ。
 まぁ結果、紫輝が守られるのならば良い。それでも、馬鹿な奴らは絶えないが。

 普通の家に養子に入っていたら、紫輝も、もう少し生きやすかったのかもしれない。
 でも、仕方がないのだ。
 紫輝は、天誠の前に現れてしまい。天誠は、紫輝を手放したくなかったのだから。

 なので、天誠は全力で紫輝を守る。
 顔の皮一枚で寄ってくる醜い人間どもから。
 己より、よほど天使の称号が相応しい。自分が攻撃されているにもかかわらず、その相手をかばってしまうような。高潔な魂を持つ、紫輝を。

 黒髪の紫輝と、金髪の天誠が並ぶと。見た目は陰と陽。闇と光。
 でも、中身は逆だ。
 天誠は心に闇を抱えているが。紫輝の心は、太陽のごとく明るく輝いて、温かい。

(清らかで、白い兄さんの魂が、そばになかったら。俺はすぐにも、悪魔に堕ちてしまいそうだ。初めて会ったあの日のように、また天から降臨してほしい。そして、俺を抱き締めてくれないか? そうすれば、たとえ黒く染まっていても、兄さんの白い心で、すぐにも上書きできるのに。でも…こんなにも人を斬ってしまったら、さすがの兄さんでも、俺を嫌うかもしれない。それだけが、怖い)

 紫輝のことを思い出す至福の時間は、唐突に咳き込んだことで終了した。
 発作のような激しい咳がおさまり、口元を抑えていた手のひらを見る。

 薄く血液がついていた。返り血? いや。自分の血だ。

「あぁ、やべぇ…」
 天誠は、タイムリミットが近づいてきているのを感じ取った。
「それにしても…この世界の空気はまずいな」
 早く紫輝をみつけなければ。さすがの天誠も焦り始めていた。

 死ぬ前に…もう一度だけでも、兄さんに会いたい。

     ★★★★★

 二二九五年、天誠はこの世界に来て、二度目の冬を迎えた。
 昨年四月に、初めて血を吐いたあとから、体調はどんどん悪くなっていった。
 白皙の容貌は、血の気を失い、青白くなり。関節に痛みを感じて、体が思うように動かない。

 軍師として重用され、戦場に出なくても良くなったことが、不幸中の幸いだった。
 ただ、息をすると、肺に針が刺さるかのように痛む。
 床に臥せるつもりはないが。遠出は出来ず。紫輝を探しに行けないことが、苦痛だった。

 この症状には、心当たりがあった。
 一年前、家庭教師に習った、この世界の始まりの話。
 三百年前、化学兵器により人類が滅亡し、鳥類遺伝子を取り込んだ者のみが生存できた。
 その化学兵器は、人類が生み出したものを、ことごとく駆逐した。
 人も、建物も、機械も、化学繊維も。

 天誠が着ていた制服は、二ヶ月くらいで、繊維が切れ切れになって、着られなくなった。
 バッグも同様だ。
 スマホは、この世界についた時点で使えなくなり。
 革靴も合成の革だったから、靴底がベロリと剥がれた。
 革細工を作製するのに使用した器具は、半年くらいは持ったが。
 以前の世界の持ち物は、すべてが失われた。

 唯一、紫輝の誕生日に作った腕輪だけは。残っているが。

 つまり、物質が劣化したように。己の体が劣化しているということだった。
 原因がわかっていても、それに対処できない。
 抗生物質くらいなら、天誠は作り出せる自信があったが。遺伝子レベルはさすがに無理。お手上げだ。

 突然、この世界に堕とされ。羽がない、龍鬼だと言われ拒絶され。
 鳥の遺伝子を持っていないと、体質的にも、この世界から拒絶されるとは…。

 天誠は、腹が立つより…笑ってしまった。
 天誠から最愛の紫輝を取り上げ、己をとことん拒絶する、この世界の理不尽さを憎悪する。
 それほどに、世界が己を拒絶するのなら。今度こそ、完膚なきまでに、この世界をぶち壊してやろう。

 胸の中で、天誠は闇のマグマを練り上げていた。

 冬、富士裾野の平野に雪が積もると、戦が停戦される。
 将堂は『ここから先は入らないで』というスタンス。
 攻めるのは手裏なので。手裏が戦しないなら、しないということ。

 天誠は冬休みの間、京都にいた。手裏軍の本拠地だ。
 京都と大阪は、いつの時代も商売が栄えているな、と。馬で街中を進みながら、思うのだった。

「安曇、顔色が悪いが。馬車を用意してもいいんだぞ?」
 黒いマントに身を包む不破が、天誠を心配して、聞いてくる。

「いや、馬で風に当たる方が、気持ち悪くならないから」
 そう言っても、心配そうに様子をうかがってくる不破を。天誠は、本当に人が好い奴だと思う。

 不破は、龍鬼として、とても優秀な男だ。
 火も出す、水も出す、瞬間移動も、空を飛ぶことも、龍鬼の能力でできる。

 彼こそ、この世界の最強の龍鬼。

 そんな男に頼りにされているのは、悪い気はしない。
 紫輝が、本当に関わっていないのなら、だが。

 この一年、不破についていたが。不破の周りに、紫輝の片鱗は全く見られなかった。
 不破は、あの件には無関係なのだろうか?
 そう思うことは、何度もあったが。
 それでも天誠は、不破の傷を見たときの、最初のひらめきを拭い去れなかった。
 こいつが、あの手の持ち主だ、という強い断定の感覚を。

「着いたぞ。やろう」
「…あぁ」
 天誠と不破が訪れたのは、手裏軍総帥、手裏基丈の屋敷だ。
 手裏軍の龍鬼ふたりは、なんの疑いもかけられず、屋敷の中へと案内される。

 これから惨劇が起こることも知らずに。

 ひと月ほど前。天誠は不破に相談された。
「手裏の屋敷の地下に、手裏家の長男が幽閉されている。手裏家は黒の大翼を持つ家系だが、彼は、翼も髪も赤茶色なんだ。黒い翼を持たない者に、家督は譲れない、ということなのだが。私は彼を助けたい。安曇、力を貸してくれないか?」

 不破は。龍鬼という理由で冷遇されたり。翼の色や大きさで優劣をつけられたり。そういう、この世界の仕組みを許せないと思う性質があった。
 天誠も、彼のその性質によって助け出されたようなものだ。だから。

「あぁ。ならば、手裏家を皆殺しにしよう」
 天誠の提案に、不破は一瞬息を呑んだ。

「手裏家総帥の基丈は、戦での古傷のせいで弱っている。なぜかはわからないが、まだ跡目の披露をしていないな。後継の最有力候補である基成、その弟の基晶は、表舞台に出ていないから。全員殺したあとに、長男を跡目に据えればいい。この冬が絶好の機会だ。逆にここを逃したら、長男が日の目を見ることはない」

 生きて、紫輝には会えない。
 そんな、絶望とあきらめの境地で、天誠は心を深く闇に堕としていた。
 紫輝のいない世界など、滅んでしまえばいい。
 手裏家のお家騒動で、手裏軍が壊滅しようと。手裏と将堂のパワーバランスが崩れ、戦乱の世に突入しても。それによって、人口が激減して人類が滅んでも。

 なにもかもが、どうでもよかった。

 むしろ、派手にぶっ壊してやりたい。
「不破は…私怨で将堂軍を壊滅したいと思っている。しかし、今の手裏総帥は、古傷のせいで弱腰だ。積極的に将堂と当たる気概が、感じられない。歯痒く思っているのだろう? ならば、手裏家を一掃して、長男を頭に据え、不破が軍の実権を握ればいい」

「はは、安曇に隠し事はできないな。確かにそれは、私の理想とする形だよ。我らで手裏を動かし。我らがこの国を支配するんだ」
 その我らの頭数に、自分は入れていないだろうな? と思いながら。
 天誠はニヤリと、不敵に笑う。

「不破には、瀕死の場面で救ってもらった恩がある。不破の野心に、加担してやろう」
 そして本日。その計画を実行に移すことになったのだ。

 天誠は軍師として、不破は最強の龍鬼として、手裏家に歓待されたことがあり。勝手はわかっている。
 緻密な計画などは、なかった。
 手負いの男と、その妻と子供を手にかけるだけ。

 基丈の看病をしていたのか、家族は一室に集まっていて、総帥暗殺は簡単に済んだ。
 しかし、基成と対峙したとき。
 急に、天誠に咳の発作が起こり。膝を床についた。

 十六歳の基成は、まだ初陣を迎えていなかった。
 大事に育てられたのだろう。でも、今、それが仇となっている。
 基成は、刀を腰に下げているにもかかわらず、咳き込んでいる天誠に向かっていくこともできない。
 柄に手をかけているのに、その手は小刻みに震えていた。

 天誠は、ギラリとした視線を、基成に向ける。

「両親も、弟も、倒されたというのに…刀も抜けないのか?」
 大量の血を吐きながら、天誠は基成に問うた。
 もしも、そこで倒れているのが紫輝だったら。自分は、誰彼かまわず斬り捨ててやるだろうにっ。

「とんだ腰抜けだな。おまえでは、後継お披露目など、到底できない」
 天誠の煽り文句にも、基成はなにも言わず…いや、言えずに。奥から響いた足音から逃げるように、その場を立ち去った。
 逃がすのは、得策じゃない。

 けれど、もう、体が動かなかった。

 天誠は、その場に倒れ込む。
 そこに、不破と、不破の黒マントをかぶった人物が現れる。
 おそらく彼が、手裏家の長男なのだろう。

「安曇、血が…。斬られたか?」
「いや。すまない。基成に逃げられた」

 なに、謝ってんだろう。この男は、俺の前から紫輝を連れ去った男なのに。

「不破、頼む…」
 紫輝に会わせてくれ。最後のお願いだから。

 でも、天誠から、その言葉は出せない。
 自分が、ここで死んだとしても…。紫輝に会えなくても…。紫輝を窮地に陥れたくないのだ。
 自分が紫輝の名前を出したら、不破はどう動く?
 わからない。
 もう、頭がうまく回らない。
 とにかく、紫輝を。危険な目にあわせたくない。

「背中を、切って。この翼を、傷口に捻じ込んでくれ」
 自分が倒れている、そのすぐ目の前に、大きな黒い翼があった。
 基成の弟の、基晶の羽だ。

 これは、賭けだった。
 いいや、ダメ元ってやつ。
 どうせ死ぬなら、最後にあがいてみたかった。
 生きてさえいれば、紫輝に会えるかも。
 死んでも、死後の世界で紫輝に、精いっぱい頑張ったよって、胸を張りたかった。

 紫輝を、この手で守りたかったなぁ。
 実現できなかった、その悔しさが。涙になって、白皙の頬に落ちていく。

 不破が、背中を切り裂いた。でも、痛みも感じない。
 不破は、もうひとりと力を合わせ、基晶から羽をもぎ取り、天誠の背中に、言われたとおりに捻じ込んだ。

 その瞬間。体の中に、なにかが流れ込んでくるのを感じた。
 血の巡りを、頭の先から足の先まで、知覚するような。
 天誠の遺伝子が、背中の翼から、なにかを奪っているような。
 細胞のひとつひとつが、生まれ変わっているような。

 不思議な体感だった。

「安曇、大丈夫か? 生きているか?」
 遠慮がちに肩を撫でながら、不破が聞いてくる。

「…生きている」
 驚いたことに、生きていた。
 天誠は、本当にびっくりしていた。まさに、漫画のような出来事だ。
 うずくまらせていた体を、少し起こして、顔を上げる。
 背中につけた羽が、落ちてしまわないか心配だったが。あの短時間で、翼が背中に定着していた。
 包帯を巻きつけなくても、肉も、骨も、くっついている。

 大量に喀血した、口元を手で拭い。息を吸いこむと。
 痛くなくて。また驚いた。
 どこも痛くない…なんて?

 だが、こうしている場合じゃない。基成を逃した。対策を今すぐに立てないと。
「基成が、謀反を起こしたことにしよう。長男、名前は?」
「…銀杏」
 その名と、その声を聞き。天誠は、いつになく顔を青くした。
 体調が悪いときでも、これほどの血は引かなかったはずだ。

 天誠は立ち上がると、銀杏が身につけている黒マントのフードを、剥いだ。
 細身。赤茶で、ゆるやかに波打つ、長い髪。
 きりっと表情を引き締めれば、男に見えなくもないが…。

「女? 不破、どういうことだ?」
 胸があったり、腰回りに丸みがあったり、いわゆる女性らしい体格ではなく。満足な食事が与えられていなかったような、発育の悪さ。身長だけがひょろりと伸びた、もやし的な体つき。
 成長過程の少年のように、見えなくもない、けれどっ。

 天誠にいきなり顔をのぞき込まれ、びっくりして目をおどおどと揺らす、その表情や。線の細さ。
 なにより、男に頼ろうとする、天誠が嫌いな、女性独特の媚びが匂う。

「長男じゃなくて、長女だった」
 悪びれもせずに言う不破を、天誠は睨む。
 こいつら、このあと、どうするつもりだったんだか。

「駆け落ちでも計画していたか?」
「私と銀杏は、そういう仲ではない」
 どうだか…と思いつつ。
 ついさっきまで、うまく働かなかった脳みそをフル回転させた。

「では、とりあえず。俺が、手裏基成として振舞う。逃げたのは、手裏家長男、銀杏。銀杏が乱心して一家惨殺。基成が返り討ちにしたが、逃げられた。黒の大翼を持つ銀杏を捕えよ、と討伐命令を出す。この展開で、どうだ?」

「なるほど、本物の基成を捕えて、銀杏として、謀反人として、処刑するってことか。良いと思う」
「俺が手裏基成になるのは、ほとぼりが冷めるまでだ。いずれ、銀杏が手裏基成として手裏軍総帥になる。それでいいな?」
「手裏軍を動かすのに、安曇の黒翼は使える。将堂を壊滅するまで、黒マントをかぶって、三人で入れ替わりながらやって行くのはどうだ? 今までみたいにな」

 確かに。銀杏は女性にしては、背が高く。身長、体型など大した差はない。
 遠目や単独の場合なら、黒マントをかぶっていれば、見分けがつかないだろう。

 了承してうなずくと、不破が天誠の肩を軽く叩き。珍しく、嬉しそうに笑った。
「良かった。安曇を失わないで済んだようだ。病は、もう治ったように見えるが?」
「そうだな。…髪を染めないと」

 黒の大翼だけでは、基成と言い張るのに無理がある。髪を染めて、目はあまり見せないようにしないと。
 兄のように、天誠の生存を喜んでいる不破に、照れくささを感じ。そのことはあまり深掘りせずに、次の段階を思案する。
 しかし、不破に。思いもよらないことを言われた。

「いや、髪も目も黒くなっている」
「は?」

 手裏家は、西日本を牛耳る名家だ。なので、鏡は貴重品だが、部屋に当たり前のように置いてあった。
 その姿見の鏡に、天誠は己の姿を映し出す。
 この世界に来てから、切っていない、肩にかかる長さの…黒髪。
 空の色だと、紫輝が好ましく、のぞき込んでくれた青い瞳が…黒目に。
 そして背中には、悪魔が持つような、大きな…黒い翼。
 母譲りの肌の色も、いわゆる日本人の色味になっている。姿見の中には、別人がいた。

 これほどに容姿が変化してしまったら…紫輝に、自分が天誠だと認めてもらえない。
『お日様に当たると、金色が輝いて、まぶしいくらいだな』
『俺の好きな、青い色の瞳。夏の空の色だな』
『天誠は色白でいいな。俺はすぐ日に焼けちゃうから…』
 頭の中で、紫輝が自分を褒める。
 けれど、紫輝が好きだったものを、もう持ち合わせていない。

 ブルリと身を震わせ、天誠はその場で吐いた。
 人を初めて斬ったときでさえ、嫌悪感がなかったのに。
 二年前とは、別人になってしまった。紫輝の知る自分が、もういないことが。

 心底、気持ちが悪い。

「兄さん…助けて。大丈夫だって、好きだよって…言ってくれよ」
 己の姿を恥じるように、手のひらで顔を覆い。声を震わせて、つぶやいた。

 兄さんは、よく天使のようだと、自分を褒めてくれたけど。
 心も体も、黒く染まった己は。完全に悪魔と化した。

 紫輝と同じ人間でもない。
 己の細胞が変化したのを、体感した天誠は。もはや、別の生き物になってしまったのだと認識し。慟哭した。

 この日、天誠は本当の意味で『安曇眞仲』になった。
 この世界の有翼人種と、同じモノに。
 紫輝とは、生物学的にも、別なモノに。

 天誠は…紫輝の弟は、死んだのだ。

     ★★★★★

 と、一時は思い。嘆き悲しんだこともあったが。

 紫輝が、元々、この世界の住人であることを知り。生物学的にも同じモノで。この黒き姿も、格好良いと言ってくれて。良かった。

 本当にっ、良かった。

 思考を現在に戻した天誠は、しみじみと安堵したのだった。
 六年前、手裏家乗っ取りに加担した三人は、今も手裏の全権を三人で掌握していた。

 強力な龍鬼でありながら、紫輝を追ったときの後遺症で力が半減している、天龍の不破。
 黒い翼を持たぬゆえに、後継の資格を剥奪されていた、手裏家の長女、手裏銀杏。
 そして、手裏家の黒い翼を有したことで、総帥、手裏基成として振舞う、安曇眞仲こと間宮天誠。

 将堂との戦に勝つまでは、手裏家の代名詞である、漆黒の大翼を持つ眞仲が、手裏家の顔となって行動し。
 実質、陰で手裏軍を采配しているのは、不破。
 しかしながら、いずれ銀杏が手裏軍を治めるという方向で動いている。

 彼らは、黒マントで己の姿を隠しつつ。時に基成となり、時に眞仲となり、時に不破となって、その場面で必要な役割を演じてきた。
 六年前、三人は、ほぼ同じ体型で不都合がなかったのだが。
 眞仲は翼を得てから、身長が伸び。体格も大きくなってしまった。
 現在、黒マントの三人には、身長のばらつきがある。しかし差が出た頃には、手裏の実権を握っていたので。不都合は力でねじ伏せた。

 黒マントの真実に近づけば、命はない…という暗黙の掟が、手裏軍内部に広まっているとかいないとか。

 眞仲の尽力で、不破の野望は半ば達成していた。
 我らで手裏を動かし、我らがこの国を支配する…というやつだ。
 手裏は掌握済み。そして将堂を壊滅させれば、国の支配も可能。

 もう少しのところまできている。

 しかし、ここへ来て。流されるままに、不破に従っていた眞仲は、その意味を失う。
 紫輝と再会したからだ。

 天誠は、長く眞仲として生きてきた。しかし紫輝が、この世界に現れたことで。
 眞仲は、天誠であったことの意義をよみがえらせる。
 天誠の世界の中心は、紫輝だった。

 今までの天誠は、心の主軸を失っていた状態で。
 それは天誠にとって、地球の地軸が傾くほどの、悪しき出来事である。
 だがようやく、絶対に揺るがぬ、心の主軸を取り戻せた。
 天誠の世界は。紫輝と再会したことで、正しく回り始める。

 なにより。誰より。紫輝が最優先。それが天誠の理想の在り方だ。

 部屋の中、ひとりきりになり。天誠は黒マントの懐から、ライラの爪を取り出す。
 白濁の鏡面に映り込む、紫輝の姿を。うっとりと眺めた。

「兄さん…兄さんのいないこの世界は、闇そのものだった。兄さんに、もう一度会いたい。ただそれだけの想いで、ここまで生き永らえてきたけれど。俺は、八年もの間、俺と紫輝を引き裂き続けた、この運命だけは。どうしても許すことができないんだ」

 憎々しげな光を、天誠は瞳に宿す。
 だが、それが見えているわけでもないのに、爪に映る紫輝が、どこか心細そうな顔をするから。
 天誠は、笑みを取り繕った。

「あぁ、兄さんが悪いわけじゃないよ。兄さんは、身を守るために時を飛んだ。それは龍鬼の本能だ。そうして当然だし。だからこそ、俺たちは出会えた。それは、とても幸せな奇跡だった。それに、この世界に来たことを怒っているわけでもない。兄さんがいなければ、この世界でも、三百年前の世界でも、俺にとっては闇だからね。そうじゃなくて…ひとりでこの地に堕ちた運命。長い年月を分け隔てられた理不尽。そして兄さんと再会しても、すぐに一緒に暮らせない、俺たちの幸せを邪魔立てする、この世界の道理を呪う」

 指先で、ライラの爪に映る紫輝を、つるりと撫で。
 天誠は不穏な笑みを浮かべる。

「俺が、兄さんを守る。兄さんを傷つける、すべてのものを許さない。だから…俺らの仲を引き裂き、兄さんを苦しめた、この世界に、復讐しよう。手裏軍は、ほぼ手中に収めたよ。次は、将堂だ。兄さんに、この世界にあるすべてのものを捧げるよ…」

 囁かれた天誠の言葉は、誰の耳にも届かなかった。

感想 70

あなたにおすすめの小説

繋ぎの婚約を契約通り解消しようとしたら、王宮に溺愛軟禁されました

こたま
BL
エレンは子爵家のオメガ令息として産まれた。年上のアルファの王子殿下と年齢が釣り合うオメガ令息が少なく、他国との縁組も纏まらないため家格は低いが繋ぎとして一応婚約をしている。王子のことは兄のように慕っており、初恋の人ではあるけれど、契約終了時期か王子に想い人が現れた時には解消されるものと考えていた。ところが婚約解消時期の直前に王子宮に軟禁された。結婚を承諾するまでここから出さないと王子から溢れるほどの愛を与えられる。ハッピーエンドオメガバースBLです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。抱かれたら身代わりがばれてしまうので初夜は断固拒否します!

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
隣国の国王キリアン(アルファ)に嫁がされたオメガの王子リュカ。 しかし実は、結婚から逃げ出した双子の弟セラの身代わりなのです… 本当の花嫁じゃないとばれたら大変! だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだんキリアンに惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

【完結】転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。