【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

文字の大きさ
35 / 159

番外 花龍、高槻廣伊 2   ★

     ◆花龍、高槻廣伊 2

 千夜たちが逗留する、奥多摩の村を出た一行は。馬を早駆けして、一路、本拠地へ向かう。
 前線基地まで、行きは三日をかけた。
 大人数の移動で。物資も大量に運び。ほとんどの者は、早歩きほどの速度なので、仕方がないのだが。馬を乗り潰すくらいの本気を出せば、本拠地から前線基地までは、一日で移動できるということだ。
 一行は、黙々と馬を走らせていた。
 場を和ませる天才である、紫輝がいなければ。大人の我らは、無駄口など叩かない。

 が。そこに、瀬来が指示してきた。
「高槻、本拠地に戻ったら、まず赤穂に顔を出して。今までの顛末を説明してほしい」
 顛末は、ほぼ瀬来も知っていることだから、瀬来がしてくれないかなぁ。
 それでなくても、やること山積みなのは、目に見えている。面倒くさいのだが。
 と、顔には出さずに思っていると。

「戦場でのことは、僕には、わからないから。当事者の君が行くべきだよね?」
 瀬来は可愛らしい笑顔ながら、目は笑っていなかった。
 わかりました。行きます。

「了解。そういえば、河口湖では、お世話になりました。バタバタして、お礼も言えず…」
「いいよぉ、いろいろな人から頭を下げられたからさ。それに、いいところはあいつに持っていかれたしね」
 語尾はつぶやくように言ったから、よく聞こえなかった。

「でも、部下のことですし」
「部下じゃないだろ? 恋人のこと、だ、ろ?」
 揶揄するように言い当てられて、息をのむ。
 龍鬼が恋人だなんて。そんなふうに思われたら、これから千夜が生きにくくなるのではないか?
 それでなくても、腕が不自由になった。
 人間関係が円滑にできなくなったら、困るだろう。

 そんなことを考えて。照れたのではなく。否認する。

「私は龍鬼なので。千夜は恋人などでは…」
 だがその途中で、幸直がかぶせてきた。

「ええぇっ、先生っ! 望月と付き合ってんですか? いつ? どうして?」
「幸直、君は本当に、色恋に鈍感な男だなぁ。あんな劇的展開で、どうして恋人じゃないなんて思えた?」
 幸直に答えたのは、なんでか、瀬来だった。
 本人を差し置いて。

「いやぁ、部下への愛が強いなぁ…とは思っていたけど。そうか。恋愛だったか。同性同士だから、考えつきもしなかったけど。なるほど、同性で恋愛もアリだよな。伴侶契約もあるんだし」
「私の前で、そういうことを言っちゃうところが、幸直の脳みそが少ないところだよね?」
 瀬来と幸直が言い合っているため、廣伊は否定できなくて。口をつぐむしかない。

 赤穂と瀬来が、同性ながら、伴侶契約を結んだのは。有名な話だ。
 今は、離縁しているようだが。
 赤穂とともに行動している場面を、よく見るので。復縁するのではないか? という噂も、ちらほらある。
 龍鬼である己の耳にも届くのだから、結構周知されている噂だろう。

「そうだ、側近は赤穂様と復縁するんですよね? だったら、俺と紫輝が伴侶契約を結ぶのもアリかな?」
「「ナシに決まってんだろう!」」
 幸直の能天気な発言に、瀬来と廣伊の声が揃った。

「冗談だよぉ。そんな目くじら立てなくたって…」
 旗色悪し、と受け取ったのか。
 幸直は、馬体を少し、私たちから離した。
 げんなりとした様子で、瀬来はつぶやく。

「もう、どんだけ人をたらすのやら、あの子…」
「…瀬来様は、紫輝のことを恋愛感情で見ているのですか?」
 紫輝と仲睦まじい雰囲気を出してくる瀬来に、たずねた。

 幸直は、軽い感じで紫輝に手を出しそうで、怖い。
 もう跡継ぎ生まれたから、龍鬼と恋愛してもいいじゃない? みたいな。
 でも紫輝は、まだ子供だから。彼には手を出させない。

 紫輝に対し、廣伊の中には庇護欲があった。
 同じ龍鬼だから、守りたい気持ちになるのか。可愛い部下だからなのか。千夜の友達だからか。
 たぶん全部だ。

 瀬来には、分別がありそうだから。幸直ほどの危機感はないが。
 赤穂と一緒になって、紫輝に悪戯する気なら、看過できない。

 しかし、瀬来は意外にも。キッと、一瞬怒りを見せ。それから考え直して、にっこり笑った。
「んー、友達に恋愛感情あるの? なんて言われて、ちょっとムッとしたけど。まぁ、高槻は知らないから仕方ないな、と思って。実は紫輝は、親戚の子によく似ていてね。友達、というより、弟とか、そういう家族的な親愛が強いかな? だから紫輝は、僕が全力で守る。そういう気持ちだよ」
「なら、いいです。紫輝はまだ幼くて、色恋には早いでしょう」
「…僕も、そう思うよ」
 瀬来は廣伊に同意を示したが。
 半目で、どうも投げやりな言い方だった。

 瀬来がなぜこんな言い方をしたのか、廣伊は、この時点では。まだわからないのだった。

 結局、道中、大人も無駄口は叩きまくり、という話だ。

     ★★★★★

 本拠地には、昼過ぎには到着した。
 一行は、門の前で解散し。
 井上は医療棟へ、瀬来と幸直は幹部宿舎へ、そして廣伊は組長の宿舎に、それぞれ向かう。
 二週間ほど寝食をともにしたが、別れ際は会釈だけのあっさりしたものだった。

 廣伊は、己にあてがわれた部屋に戻り。荷解きをして、旅の汚れを軽く清拭して身支度をし。再び馬に乗って指令本部へと向かう。

 指令本部は本拠地の中心部にある。
 関東の平野に、将堂は本拠地を築いた。
 広大な敷地を、木製の塀で囲ってある。
 外周は、足に自信のある兵が、一日かけても走り切れないほどの距離だ。
 敷地内は、外から中心へ向かって、一般兵、組長、大隊長、幹部の順で、宿舎が建てられている。
 宿舎と言っても、幹部にもなると、ひとりに対し屋敷がもらえるのだが。
 なので、中心部に近づくと、大きな屋敷がいくつも並ぶ、住宅街のような様相だった。

 ただ。本拠地内部でも、右と左に分かれていて。内陸側が左軍幹部、海側が右軍幹部という住み分けがされている。
 組の宿舎では、右と左の生活圏が、かなり離れていて。ほぼ邂逅はないのだが。
 中心部は、円が小さいわけで。指令本部などに行くと、左の者とかち合うことも多く。

 廣伊は苦手に思っていた。

 左の者が龍鬼を見る、不躾な視線を無視しつつ。廣伊は、准将が使用する右軍指令室に入った。
 中は会議室のように、机と椅子が並ぶが。
 中央の大きな机の前で、赤穂は立っていた。

「赤穂様、この度は、いろいろご配慮いただき。ありがとうございました」
 開口一番、廣伊は礼を言う。
 赤穂の口添えがなかったら、側近の屋敷で療養などという話にはならなかっただろう。

「ん、望月は、どうだ?」
「一命を取り留め、療養中です。ですが、戦闘は無理なので。除隊申請を預かってきました」
 口惜しかった。
 あれほどの兵士を。
 味方からの攻撃はないと、己が油断したばかりに、失った。

 改めて口にすると、にがい思いが込み上げる。
 たとえ恋仲でなくても、千夜という兵を失えば、悔恨に沈んだに違いない。

「そうか。おまえの子飼いも同然だったのだろう? 残念だな」
「子飼いじゃないよ。恋人だったんだよ」
 えんじ色の軍服を身につける赤穂の後ろには、もう、同じえんじの軍服を着こむ、瀬来がいた。
 そして余計なことを、告げ口する。

「違います。望月は…」
「高槻、早速だが報告してくれ」
 今度はすかさず否定したのに。赤穂は聞いてくれなかった。
 ええぇ? 瀬来がいるなら、己の報告は必要ないのでは? といぶかしみながら。話を蒸し返す空気でもなく…。小さく息を吸いこんで。廣伊は、今までの顛末を、赤穂に報告した。

 二十二組組長の山本が、手裏軍に、第五大隊長の情報を漏らし。
 山本が、第五大隊副長の富永他、数人を殺傷した。
 動機は、自分が第五大隊長になりたかったから。
 それにより、望月が負傷。療養のため瀬来の別荘にて今まで過ごしていた。そのような内容を。

 振り返ってみると。あの一日は、怒涛の展開だった。
 今、思い出しても。ため息が出る。

「まぁ、あらかた、堺の報告と違わないな。山本は、将堂の方で処罰したので。この話は以上だ」

 第五大隊長の件は、将堂の中でも極秘事項。
 それを手裏に漏らした兵を、野放しにはできない。
 生かしておけば、他の情報を持って、手裏に逃げ込むかもしれないので。ま、そういうことだろう。

「今後の人事だが。まず高槻には、本来の第五大隊長の任に就いてもらう。瓦解した二十二組と二十四組の立て直しと組長選出、兵の補充。さらに副長の任命、などを二月までに行ってくれ。副長は、誰か目当ての者はあるか?」

 赤穂に聞かれ。廣伊は、ひそりと眉を寄せる。
 帰りの道中でも考えていたのだが。正直困っていた。

 第五大隊に志願する上官は、ほぼいない。激戦部隊なのだ、いるだけで死が迫る。
 上官まで地位を上げた者が、好き好んでくるわけがない。
 だとすると、下から引き上げることになるが。
 今回の件を含め、大隊の組長は、いまいちパッとしない。
 山本は、とち狂って自滅し。
 他の者たちは、様子見感が強く、覇気がない。
 二十四組の者は、覇気はあるが、もう少し頭も欲しい。
 頭といえば、一班班長の上条は、腕よし統率力よし頭もよしで、候補としては一番なのだが。
 二十四組を立て直すために、まず、組長にしたかった。
 第五大隊の中でも、二十四組は要だ。ひとりの采配で組を統率する力を持つ者を、当てたい。

 あぁ、千夜がいてくれたら。
 廣伊はどうしても、そう思ってしまう。
 副長は大隊長の補佐的役割が強い。己の手足となり、背中を預けられ、己の意志を素早く汲む者。
 千夜は、うってつけだったのだ。
 しかし、千夜は。もう隣にいない。

 次に、脳裏に浮かぶのは、紫輝だ。
 しかし、紫輝は班長にしたばかり。
 でも。同じ龍鬼であり、気心が知れていて、背中も預けられる。
 思い切って、副長まで引き上げるか?
 それとも組長に抜擢し、経験を積ませてからにするか?

「目当てがいないなら、間宮紫輝を引き上げてくれ」
 今、考えていたことを、赤穂に言われ。廣伊は驚いた。
 表情は動かないが。

「副長に、紫輝を? しかし紫輝は、班長になったばかりで…」
 一度は考えたことながら、己も引っかかった部分の、赤穂の意見を聞きたかった。

「貴重な龍鬼を、戦場で食い潰したくないんだ。おまえもだぞ、高槻。俺はおまえには、普通に、第五大隊長をやってもらいたかった。だが、おまえがあの計画を立てて、実行していたんだ」
「大隊長が前線に出るなどと、誰も思わないでしょう。…つい最近までは」

「あぁ、そうだ。謀反がなければ、今も使える、いい計画だった。だが、最前線に高槻を常在させるのは、気が気でない。紫輝もだ。今回、紫輝は大技を二回撃ち、かなり消耗していたと堺から聞いている。俺は、早くあいつを手元に置きたい。異例でもいい。やれ」

 候補のひとつだったから、やぶさかではないが。
 とにかく紫輝は、経験と勤務期間が少ない。
 未熟だと、古参から不満が出るかもしれない。
 そのあたりを慎重に考えたい。
 己のように、刺客に狙わせたくないしな。

「…少々、考える時間をください。あと休みください」
 何食わぬ顔で、休みの話もぶち込んだ。
 早く戻りたいのだから、時間が惜しい。

「やることやったらな。紫輝は十一月まで休む気か? おまえと入れ替わりで、ここに戻してくれ」
「わかりました。私は十一月いっぱいまで休みます。十二月から一月いっぱいまでは紫輝が休暇を。望月は、まだ。目が離せないので。紫輝と交代で看ることになっているので」
「長いな。まぁ、いいだろう」

 戦闘のみならず、人事や、事務作業も、高槻は有能であると。赤穂は知っている。
 ゆえに、第五大隊の立て直しを、赤穂は高槻に丸投げできるのだ。
 その高槻が、本拠地にいない時期があるというのは、はっきり言って不安。
 しかし高槻は、休みなく将堂に長く仕えてきた。
 伴侶の看病では、ご褒美にはならないだろうが。
 せめて快く、休暇を出してやらなければならないと、と赤穂は思っていた。

「では、仕事にかかります」
 一礼して、廣伊は退室する。
 また、三十分ほどかけて組長の宿舎まで戻らなければならない。
 あ、大隊長に戻るから、部屋も移動しないと。
 面倒くさい。
 そうだ、新兵補充の申請を、本部にいるうちに出しておこう。
 とりあえず、二十四組の組長は、上条か紫輝。
 二十二組の組長はどうするかなぁ?
 などと、頭をフル回転させて、廣伊は機械的に動いた。

 そして組長の宿舎に戻ったときには日が暮れていた。

     ★★★★★

「高槻組長。組長が戻っていると聞いて、待っていたんですよ」
 宿舎の前で、野際が待っていた。
 一般の兵士は、今は、前線任務明けの休暇中で。家がある者は、帰宅しているはずだったのだが。

「野際、おまえは家族があるだろう? ずっと帰っていなかったのか?」
「いいえ、俺んちは関東にあるからよ。今日はちょっと寄ってみたんだ。千夜と紫輝が心配で、なんか情報ねぇかなぁって。そうしたら組長が戻ってるっていうんで、ついてると思って」

 野際は、廣伊より少し年上だが。父親の貫禄があって、度量の大きさを感じる。
 彼はおおらかに笑った。

「それで、千夜の容体は? 紫輝は?」
「あぁ、一命は取りとめたが。戦闘は、もう難しいので。除隊することになった」
「そうか。あれだけの傷だ。命があるだけ幸運なのだろうな」

 そうだろうか。
 廣伊は、千夜が死にたいと言ったとき、感情に任せて引き留めたことを、後悔していた。
 あれで、良かったんだろうか。
 千夜は確実に、死ぬよりもつらい人生を歩むことになる。
 己は『生きていて良かった』と、彼に思わせることができるだろうか?

「紫輝は、千夜についている。十一月には戻る予定だ」
「うちは農家だから、千夜を雇うこともできる。なにかできることがあったら、相談してくれ、組長」

 まだ、今の千夜の状態では、考えられないことだが。
 そうして気に掛けてくれる人がいるというのが、千夜の人徳だ。

「あぁ。千夜に伝えておくよ。ところで、野際。紫輝に出世の話があるんだが、どう思う? 班長になりたてだし。まだ時期尚早かな?」
 廣伊が意見を求めることが、かなり意外だったようで、野際は白い羽をワサッとさせた。

「出世というと、組長に? ってことは、組長は大隊長に?」
「いや、人事は、まだ決まっていない。内々の話だ。他言無用にな」
 大きな手で、野際は口を隠す。
 おっさんなのに、仕草が可愛いな。

「紫輝の出世は、良いと思いますよ。今回の件は、紫輝のお手柄だし。文句を言う者はいないんじゃないかな? あぁ、でも。紫輝は隊列を動かしたことがないから、しっかりした補佐をつけてあげてください。ま、そこら辺、組長は抜かりないでしょうけどぉ…」

 野際の意見に、廣伊はうなずく。
 そうか。確かに、今回の件は紫輝の手柄。
 紫輝が、手裏兵から作戦内容を聞き出さなければ。大きな死傷者を出した上、手裏の猛攻にあったという表側しか見えずに。真相は有耶無耶になっていた可能性もある。

「なるほど、参考になった。野際、くれぐれも内密にな」
「了解。では、俺は休暇の続きに戻ります」
 心なしか、羽がウキウキと跳ねている、野際の後ろ姿を見送った。
 野際は、紫輝を息子のように可愛がっているから。彼の出世が嬉しいのだろう。

 まだ保留ではあるが。どうしたらいいものか。

     ★★★★★

 取り急ぎ、しなければならない事項を消化し。仕事のほとんどは、休暇明けに持ち越すことにしたのだが。
 それでも三日では足らず。
 四季村に戻れたのは、五日後の夜のことだった。

 害獣や夜盗を避けるための村の門を通り、人通りのなくなった道を抜け。馬を引いて、高台にある屋敷に向かう。
 敷地内に入ると、物凄く大きい、堺よりも背の高い男が、廣伊に会釈した。
 これほど立派な体格の男が、軍に所属していないなんて…と。廣伊は勧誘したい欲求にかられたが。
 兵役は任意だし。
 剣技の才能や、体力や、臨機応変に対処できる頭脳などが必要だ。
 体格に恵まれていても、向き不向きはあるので、その欲求はのみ込んだ。

「屋敷の使用人の、橘と申します。馬を預かります。望月様は、部屋でお待ちです」
 廣伊が、紫輝とともに千夜の面倒を看ることは、使用人に周知されているらしい。
 世話になるのだからと、廣伊も挨拶を返す。

「高槻廣伊です。以後、よろしくお願いします」
 馬の手綱を渡し、廣伊は屋敷に入った。
 軍靴を脱いで、廊下を進むが。
 家の中は、灯りが落とされており、人の気配も感じられない。
 紫輝が、千夜とともにいるはずなのだが。
 夕食を済ませて、もう休んでいるのだろうか?
 そう思うぐらい、家の中がシンと静まり返っていた。

「千夜? どこにいる?」
 廣伊は屋敷を出る前、千夜が使用していた部屋を開ける。
 しかし、その部屋も明かりはついてない。誰もいない。
 千夜はたびたび、熱を出して寝込んでいたから。ここにいると思ったのに。

 中は、充分な広さのある、板張りの部屋だ。
 障子が開いていて、その外側にはガラス窓。
 ガラスは、かなりの高級品である。ここが裕福な屋敷なのだと証明していた。

 寝台の横に、井上から貰った薬や着替えなどが入った、小荷物がある。
 つまり、ひとりで出て行ったとか、そういうことではなさそうなのだが。

 そう思った矢先。
 廣伊は、本能的に剣の柄に手をやった。

 しかし、握った手を開く。

 背中から、抱き締められた。千夜の気配だ。
「どうした? 俺に後ろを取られるなんて…油断しすぎだぞ」

 消毒の匂いがしなかった。
 こうして、不意を突いて、廣伊を驚かせようと思うくらいには元気そうで。良かった。
 出かける前は、血の気を失った青い顔で。
 もう少し、彼を看ていたいと思ったくらいだった。
 大丈夫だと、彼が言うから。予定通り出立したが。

 でも、もしかしたら。もう耐えられなくて。
 廣伊おのれを殺して千夜じぶんも死のうとしているのかもしれないな、とも思う。
 気力を振り絞って、今、全力で殺しにかかっているのかも。
 そう思ったから。廣伊は柄に掛けた手を離したのだ。

「私は、おまえに生きることを強いた。でも。私はどんな状況だろうと、おまえの命を手放せない。だから、おまえが死にたいなら、私を殺すしかないんだ」
 背後から、廣伊の頭に頬擦りする感触。
 まだ、己を愛おしいと思ってくれるのか? 自分勝手で、愛する者に苦痛を与え続ける、己を。

「私を殺してでも死にたいと思うなら、私はおまえの刃を受ける。死よりも、つらいことを強いた自覚はあるからな」
「そんなの、つまらねぇよ。俺はあんたとやり合うの、好きだぜ」
「…しかし」
 眉間にしわを寄せる難しい顔つきで、苦しそうに話す廣伊を。
 千夜は小さく笑った。

「ふふ、鬼の組長が、らしくねぇな。つか…まだ気づかねぇの?」
 千夜は右手の指で、廣伊の顎をちょいちょいとくすぐり。
 左の手は、胸の辺りをまさぐっている。
 んん?

「え、おま…うで…?」

 体の前にある、ふたつの手を、廣伊は掴んで。
 その事実が脳みそに到達するのに、かなり時間がかかった。

 え? 千夜だと思っていたのに、千夜じゃないのか?

 そうして、廣伊はようやく、背後を見やる。
「かっ…かみっ、も?」
 後ろにいる男は、千夜で間違いない。間違いないのだが。
 あのライオンのたてがみのごとく、たっぷりとしていた瑠璃色の髪が、バッサリ切られていた。
 刈り上げに近い、指関節ほどの長さ。前髪は、眉の上あたりまではあるが。
 千夜の特徴だった横髪のピンは、かろうじて二本バツ印でつけている。

「ハハ、驚きすぎだろ。でも、目んめ真ん丸で、可愛い」
 千夜は廣伊と向き合うと、両手で頬を包み、キスした。

 くちづけを受け。
 これは、夢を見ているのではないか? と廣伊は思う。
 だって、欠損した腕は、おそらく戦場だ。
 なのに彼は、なんの支障もなく、腕を動かしている。
 頬を包む指先も、体温があたたかい。
 痛みにしかめていた、険しい顔も。今は、穏やかに微笑んで。廣伊とのくちづけを堪能しているようだった。

 夢なら、このまま没頭してしまいたいけれど…。

 己の頭の中にある冷静な部分が、そんなわけないだろうとツッコむ。
「せ、千夜? おまえは、本当に、あの千夜か?」
「…さぁな。どう思う? 俺は、廣伊が知っている俺とは、別人かもしれねぇ。腕があるのが、気持ち悪いか?」
「そんなわけないっ。嬉しいに決まっている。い、痛くはないか?」
「あぁ。もう痛くねぇ」

 その証とばかりに、千夜は廣伊を、正面から力いっぱい抱き締めて。濃厚なキスをする。
 廣伊も千夜に身を任せ、荒々しくうごめく彼の舌に舌を絡めた。

 本物だ。明るくて、豪胆で、ちょっと意地悪な。怪我をする前の千夜が、帰ってきた。
 己の腕の中に。

「あぁ、廣伊。あんたをこの手で抱きたいと、ずっと思っていた。あの日から、ずっと…」
「あの日?」
「決まってんだろ? 私を置いて死ぬなと、あんたが泣きながら俺に言った日だよ」

 背中を、爪を立てるかのようにかき抱く。その力強さが、頼もしく、喜ばしい。
「廣伊、抱かせろよ」

 直接的な言葉、だが、せつなげな声で言うから。
 廣伊の胸が、ドキンと高鳴る。

「あんたを、めいっぱい善がらせたい。なぁ、俺にあんたをくれよ。あんたの全部を、俺に」
「…私を愛してくれるのか?」
「それは、標準装備だ。もっと。もっと欲しがれ。もっと求めろ。そうしたら、俺も全部、あんたにやる。あんたの望みを叶える。あんたが死ぬまで、ずっとな」

 優しく目を細めて、千夜は言う。
 でも、そうして合わせた唇は、情熱的に廣伊の口腔をかき乱した。
 千夜は廣伊の顔の角度を変えながら、何度も何度もくちづける。
 そして、もつれるように、寝台に移動しながら廣伊の衣服を剥いでいく。
 龍鬼であることを隠すためのマントも、緑色の軍服も、柔らかい肌を守る防具も。
 すべて、千夜の手が、器用に取り払っていった。

 今日は、すべてを与えたい。
 そう廣伊は思った。
 千夜の望むままに。千夜が求めるままに。

 ふたりで、寝台の上に座り込むと。腕の感触を噛み締めているかのように、千夜は廣伊に触れた。
 緑の髪を、頭頂部から肩口まで指先で撫で。
 頬の柔らかさを、親指で確かめ。
 キスで濡れた唇を、中指で拭う。
 なにもかも、廣伊は気持ちが良かった。
 彼が触れる場所が、ジンと痺れて。頭の後ろが、ぞわぞわして。なにより、彼が苦痛を感じていないことが、嬉しくて。廣伊の体も、素直に快楽を受け入れられるのだ。

「夢みたいだな。こうして、また、あんたを抱けるなんて」
 それは、こちらの台詞だ。
 夢なら覚めないで。ベタな言葉だが。本気でそう思う。

 廣伊は、千夜の甚平に手をかけ、脱がしていった。
 もしや、痛々しい傷跡があるのではないかと、少し身構えるが。
 千夜の体は、今まで戦闘で受けた傷以外は、なにもなかった。
 見事な腹筋は、とても病後には見えない。
 あんまり、以前と同じなので。触れたら消えてしまいそうで、怖かった。

 それでも。下衣を脱がせば。隆々とみなぎる剛直が、目の前に現れ。
 今、千夜が、己に欲情しているのを感じて、嬉しくなる。

 ここに、千夜はいるのだ。

 自然、廣伊は剛直に口を寄せた。
「おい…ん」
 廣伊が先端を口に含んだとき、千夜が息をのんで。その声が色っぽくて。廣伊も燃えた。

「疾風迅雷だな、高槻組長。ふふ、この攻撃は、回避、できねぇ…」
 突端を唇ではさんで吸いつくと、千夜が艶めいた吐息交じりに言う。
 もっと、千夜を味わいたい。
 そして感じてほしい。
 廣伊は両の手で剛直を支え持ち、根元から先端に向かって舌を這わせる。

「んっ、無理はするなよ」
「私直々に、部下を可愛がってんだ。おとなしく感じてろ」

 鈴口に舌先を入れ、丹念に舐め上げて。湧き上がる先走りを吸い上げた。
 再び根元に戻って、浮き上がる筋に舌を這わせる。

 千夜は、廣伊の髪に指を差し入れた。
「くわえろよ、組長」
 彼に命令されると、反発したいような、従いたいような、複雑な気持ちになる。
 でも、おおよそ廣伊は、千夜には従順だ。
 唇を開き、先端を口の中に含む。

 千夜は廣伊の頭をゆっくり動かして、上顎に己の突端を擦りつけた。
「ふ、ん、ん…ん」
 鼻で息をしながら、廣伊は千夜の誘導するまま、剛直を愛撫した。
 気持ち良い? 感じているか?
 確認するように、上目で千夜の様子をうかがう。

 短髪の千夜は、悪い男の顔でニヤリと笑い。舌なめずりした。

 それを見て、廣伊は。屹立がギュンと跳ねるのを感じた。
 思わず、口から剛直を出して、そのモノにすがりついてしまう。

「ふ、ぁ…ほ、本当に、おまえ、千夜なのか? 色気ヤバすぎだろ」
「それは、あんたが確かめるんだ。ここに、俺のを入れて」
 千夜の股間に顔を埋めている廣伊は、膝立ちで。自然、臀部を持ち上げていた。
 その双丘に隠された蕾に、千夜は指を差し入れ、慎ましい蕾を開いていくが。
 とても、一度失われたものとは思えない、繊細な動きだ。
 それに、指の動きがなめらかで、違和感があまりない。

「なんか、ヌルヌルしていないか?」
「あんたが出したっていう、巨大アロエから抽出した液体だってよ。傷の手当用に、井上がくれた。でも、こういう用途にも使えるって…」

「い、井上が、そんなこと言ったのか?」
「いや。それは別の人」
 井上は医者だから、そういうことにも寛容かもしれないが。
 とりあえず、知っている者に、情事のことを連想されたくないので。ホッとした。

 でも、だったら。いったい誰が、そんなことを千夜に吹き込んだのか?
 というより。ヌメヌメのせいで、千夜の指が、存分に廣伊の蕾をほぐしてしまい。
 あえぎが口から漏れるほど、高められてしまった。

「あ、あ…せ、千夜。もう、そこは…」
「そうか。じゃあ、俺が、廣伊の知る俺か、試してみろよ」
 千夜は廣伊の脇に手を差し入れると、引き上げて己の足の上に座らせた。
 自ら、受け入れろということか。
 廣伊は千夜をまたいで、敷布の上で膝立ちになると、後ろ手に剛直を支え、蕾に先端をあてがう。
 ゆっくり腰を下ろしていった。
 千夜も臀部を手で掴んで、廣伊に協力する。
 少しずつ、千夜が中に入ってくる。ジンとする後孔が、物欲しそうに剛直を締めつけるのが、恥ずかしい。

「あぁ、いいぜ。廣伊。もっと、中に…」
 気持ち良さそうな千夜の声に、力づけられ。羞恥をこらえて剛直を挿入していく。
 最後の方は腰に力が入らなくなって、重力任せで、ズプンと彼をのみ込んでしまった。

「あ、あぁっ…はい、ちゃった」
「可愛い、廣伊」
 すべてをおさめたご褒美に、千夜が廣伊のこめかみにキスをする。
 労わるように、耳の際や、鼻の頭を、唇でついばむ。

「どう? 前の俺と、違うか?」
「いっしょ…奥まで、届いて…」
「本当に? よく味わって。太さとか長さとか、熱さとか。前より大きくないか?」
 意味深に問われるが。
 味わえと言われても、どうしたらいいのかわからず。廣伊は口を引き結ぶ。
 太さ、と考えると。後ろが無意識に締めつけてしまい。
 恥ずかしくて、顔が熱くなり。
 体も熱くなり。そうしたら千夜のモノが体の中にあると思うだけで、淫らな感覚が湧き上がってくる。

「わ、わかん、な…大きいから、わかんな…あっ、あ、あ…ん」
 廣伊が一生懸命言っている最中に、千夜が下から突き上げてきた。
 廣伊は千夜の首に腕を回して、彼の横暴に耐え忍ぶ。
 アロエのせいで濡れているからか、いつもよりぐちゅぐちゅとした、いやらしい音が、部屋に響いていた。

「中で俺のを感じて、感想言うとか…どんだけエロ可愛いんだ」
「だって、千夜が…あ、ん…んんっ」
 聞いたから、答えたのに。それで盛るとか、わけわかんない。
 だが廣伊の文句を、千夜は口で食べてしまった。
 彼の犬歯に舌を甘く噛まれると、体全体が痺れるみたいになる。
 息継ぎで口を開けると、吐息まで食べられて。
 苦しくて、気持ち良くて、のぼせた。

「ん、ん、んっ…ふ、ん、ぁ」
 たくましい腰つきでズンズン突き上げられ、振動の度に、淫らなあえぎが鼻から漏れる。
 とろりとした濃厚な悦楽に、身悶えた。
 だが千夜は、一方の手を頭に、一方の手を腰に、廣伊を支えているから。身をくねらせても、決して快楽からは逃れられない。
 快感は、淫猥な上下動で無尽蔵に生み出され。そうしてふたりで、高みへと昇っていく。

「ん、せ、千夜ぁ、いい? 気持ち良い? 痛くない?」
「あぁ、最高だ。いいに、決まってんだろ。廣伊が俺を愛してくれる。俺も廣伊を愛してる」
 うっとりと、廣伊は緑の瞳を潤ませた。

 なんて、幸せだろう。

 龍鬼の己を愛してくれる者なんか、この世に存在しないと思っていたのに。
 たった、ひとりでいい。誰かに愛されたい。
 決して叶うことはないと思っていた、願いだったのだ。

 自分は生まれ落ちたときから、蔑まれて生きてきたのだから。期待などしない。
 夢を見れば、傷つくだけだ。
 だから、目を塞いでいた。己の望みから。願いから。

 だけど。千夜が。
 好きな人が、こんな自分を愛してくれるなんて…。

 感極まって、廣伊は千夜にくちづけた。
 その瞬間、ふたりは同時に達した。身も心も愛に満たされた睦み合いに、笑みがこぼれる。

「好き。私も千夜を愛している」
 絶頂に、体を震わせながら、廣伊は告げる。
 すごく幸せなのに。なんでか涙が出た。悲しくないのに。なんで?

「ふふ、笑いながら、泣くなんて。廣伊の初めての表情、また貰っちゃったな」
「か、悲しくも、痛くもない。これは、間違いだから…」
 廣伊は慌ててしまった。
 不快だとか、そんなふうに思っていないのに。千夜にそう思われたくなくて。
 そうしたら千夜も。笑いながら、涙をこぼした。

「いいんだよ。間違いじゃないんだよ、廣伊。嬉しすぎても、幸せすぎても、涙が出るんだ。俺も…こんなの、初めてだけどな」
 間違いじゃない。そう言われて、廣伊は安堵した。
 感情で泣いたのは、これで二回目。

 泣くって、奥が深いな。

「なぁ、廣伊。すっごく良い雰囲気なのに、申し訳ないんだが…」
 千夜の手で、廣伊は寝台の上にあおむけに押し倒された。
 まだ千夜が入っている状態で。

「とても、一回じゃ…な? わかるよな?」
 廣伊の中の千夜は、存在感をさらに増しているようで。達したはずだが、全然萎えてなかった。
 でも、その気持ちはわかる。
 ずっと、苦しかった。
 闇が続いた、そんな中、明かりがさしたのだから。
 愛を取り戻したのだから。
 もっと、ずっと、抱き合っていたい。廣伊も、千夜をもっと愛したかった。

「うん。千夜の思うままに…」
「…マジで?」
 なんだか、千夜の目がギラリとした。これは…早まったかな?

 千夜は両の手で、廣伊の二の腕を掴んで寝台にはりつけにし、乳首を口に含んだ。
 廣伊はそこが弱い。
 というか、千夜のせいですごく弱くなった。でも千夜が力強くて逃れられない。

「そこは、や…千夜、しないで、や、ぁ」
 乳頭を起こすように千夜の舌先がつついて。芯が通ってツンと立ったところを、舐め濡らされる。
 胸からジンジンとした疼きが、体中に広がって。達したばかりの屹立までも、熱を持ち始める。

「や、やだ…ん、千夜、ぁ、や、なの…にぃ」
「嫌だけど、好きだろ? おっぱいだけでイかせてやろうか?」
 桃色の乳首に、執拗に舌を這わせながら、千夜がいやらしい言葉で辱める。

「や。そんなの…千夜のが、いい」
「思うままにしていいんだろ? 一回だけ、でイってみせろよ」
 ここ、と言ったとき、舌先で乳輪の上をくるくると舌先でたどられた。
 その場所が、視覚と触覚で強調されて。
 ここでイかされるのだと、意識づけさせられた。
 それだけで乳首が鋭敏になる。

「ひ…ん…千夜ぁ、あ、だ、めぇ」
 優しく円を描く舌先は、長く廣伊をせめ続け。
 唾液を突起にまとわせて弾いた。
 そんな些細な刺激でも、廣伊は背を反らすほどに感じてしまう。

 千夜は廣伊の様子を、満足そうに見やり、反対側の乳首に移動した。
 犬歯で軽く引っ掻かれて、痛痒い感覚が、廣伊を未知の快楽に導く。
 優しい刺激のあとに、鮮烈な悦楽が襲う。

「い、ぁ…んっ、やぁ…ん、んんっ」
「痛いの、ちょっと好き? こっちは?」
 さんざん舐め濡らした方の乳首も、軽く噛まれて。舌で舐めてあやして、また噛んで。
 何度も繰り返すうちに、噛まれたときに、先走りが屹立の先から漏れるようになってしまう。

「ん、んんっ、出る…また、あ、出る…いや、ぁ」
「すごい、中もびくびくしてる。マジで、乳首だけでイけそうだな」
 赤く、ぷっくり腫れ上がるほどに、乳首をいじられて。廣伊はタガが外れてしまった。

「せんや、して…もっと、強く擦って、イかせて。もう、イかせてぇ」
 千夜は廣伊の痴態に興奮し、乳首をくちゅくちゅと音を鳴らすほどに吸い上げながら、腰も激しく揺らした。
 廣伊の腕から手を離し。廣伊の腰を鷲掴みしてガツガツと貪る。

 廣伊は千夜の頭を抱え込んで、惑乱するほどの官能に身を委ねた。
「あぁ…んっ」
 極上の高揚感の中で、廣伊が二度目の精を解き放つ。
 と同時に、千夜の瑠璃の羽が開いた。バサッと羽音をさせて小刻みにわななく。

「くっ…やべぇ。最高すぎる」
 極めたあとの蠕動を、じっくり堪能した千夜は。慎重に廣伊の中から剛直を抜き出した。
 大きく息をついて、寝台にあおむけに寝転がり。右手で廣伊の身を引き寄せて、髪にチュッチュッとキスを落とした。

「すごく良かったよ。廣伊は? 気持ち良かった?」
「ん。…良かった」
 情交の余韻が色濃い廣伊は、なんだかまだ恥ずかしい。
 いつも、情交後は運動したあとのような爽快さを感じるのだが。今日は千夜の方が、そのように見えた。

「…いつからだよ?」
 整わない息をつきながら、千夜が聞いてくるが。
 なにがいつなのか、わからず。廣伊は彼をみつめる。

「いつから、俺のこと好きだって思ってくれたんだ?」
 千夜からすれば、己に都合良いように、廣伊を振り回していた。という印象だったのだ。
 使命のために、命を狙い。
 恋心を満たしたくて、抱き。
 組長の腹心であると、誇示し。
 愛する者を誰にも触れさせたくない独占欲のために、守る。

 そこには、自分の欲望しかなく。
 廣伊が己を好きになる要素などない、と思っていた。

 だから、死なせてくれと頼んだとき。廣伊があれほどまでに己を引き留めてくれるとは、思わず。
 内心では驚いていた。
 こんな身勝手な男のために、泣くことない。
 自分で、そう思うほど。己の廣伊に対する態度はひどかった。

 だから、純粋に疑問なのだ。
 廣伊がいつから、己に心を傾けてくれていたのか、が。

 ガラス玉のように、表情を見せない廣伊の緑の瞳が。じわりと揺れて。
 眉間が少し寄った。

「…余計なことすんじゃねぇ、って言われたとき?」
 千夜は開いた口がふさがらなかった。
 それって、一番初めのやつ!

「はぁ?」
 あんまり予想外の返答に、千夜はキレ気味で問い返す。
 千夜の腕を枕にして、廣伊は懸命に言い募った。

「あの頃はもう、私に怒るような命知らずな奴はいなかったんだ。さ、最初は、気に食わないって思ってたと、思うんだが。でも、戦場でちょっと会っただけの奴、気に食わないって理由だけで、名前調べたりしない…っていうか…」

 廣伊は廣伊で、己の気持ちにずっと向き合わずにきたのだ。
 だって、龍鬼なのだ。
 恋をしたって、受け入れてもらえるわけもない。
 相手が迷惑するような気持ちを、好きになった相手に押しつけられない。
 だから、己は恋などしない。恋をしない生き物なのだと、思い込むことで、己の心も守っていた。
 好きな相手に嫌われたら、傷ついてしまうから。
 そして、傷つくのはほぼ決定事項なのだから。

 だけど。千夜が死ぬと言ったとき。嫌だと思った。
 単純に、受け入れられなかった。

 いらないなら、千夜の命は私が貰う。私は千夜が欲しいのだ。

 どんなに痛くても苦しくても、涙など出なかったのに。泣くほどに。
 欲しいものを欲しいと、言ったこともなかったのに。無様にしがみついて、これが欲しいと叫ぶほどに。

 千夜を愛していた。愛してしまった。
 いつの間にか。いや。最初から。

「いやいや、待て待て。あんた、好きな相手に、あのしごきはねぇだろ?」
 千夜が初めて二十四組に入ったとき。廣伊は千夜を完膚なきまでに叩きのめした。
 しばらく立ち上がれないほどに。
 初日以外にも、何度も。思い出しただけで、吐き気を催すほどのしごきだ。

 だが廣伊的には、当然のことだ。だって。
「しごかないと、戦場で生き残れないだろ?」
 きょとんとした顔で。強くするのは当たり前だよね、という澄んだ瞳でみつめられ。
 千夜はため息をつく。

「はいはい、俺はよわよわのよわだからな」
 腕に自信はあったが、二十四組の中に入れば、中の上。
 廣伊から見れば、千夜はまだまだ未熟者だった。
 今でも勝てないんだから、仕方がない。と、千夜は苦虫を噛み締める。

「それにしごいている間は、おまえを見ていられるし」
 ギュンと、きた。
 いつも冷静沈着の鬼組長が、急に可愛いことを言うとか…温度差で燃えるわっ。

「おまえは? 千夜はいつからだ?」
 千夜も、自分は好かれないと思っていたが。
 廣伊も、千夜が自分を好きになることなどないと思っていたのだ。
 単純に、龍鬼だからという理由で。
 容姿も性格も強さも、いっさい好意に直結しない、龍鬼とはそういうものだった。今までは。

「…最初からだ」

 横を向いて、にょごにょご、口先で言うから。
 よく聞こえなくて。
 廣伊は千夜の胸に乗り上げた。

「だから。戦場で、緑の可愛い子が龍鬼の前に出てくるからっ。俺が、守らなきゃって…それに、わかるだろ? 好きでもない相手、しかも龍鬼を、抱けるわけないだろ?」
「しかし、あれは契約だった。契約なら、千夜は抱けるのかと…」
「契約だからって…勃つわけねぇ。好きだから、抱いた。決まってんだろ」

 見合わせた、ふたりの顔は。真っ赤で。
 どちらからともなく、ふたりはそっぽを向いた。

「ばっかみてぇ。俺ら、互いに一目惚れだったのに、七年も核心に触れられなかったなんて…臆病すぎだ」
 千夜は廣伊の鼻を、腕枕している手でコショとくすぐった。
 その仕草に、愛情を感じて。廣伊は指先にキスした。
 剣を握る指先は、皮膚が硬くなっていて。己の手のひらよりも、ひと回り大きくて。温かくて。
 千夜の腕だと思った。

「この腕、本物の千夜の腕だな」
「…わかるのか?」
 廣伊は千夜の手を握って、顔を赤くする。
 それから体を反転して、千夜を恨みがましい目で見た。

「どれだけ、この手に触られたと思ってんだ? 馬鹿」
 感触もそうだが、ふとしたときの力加減とか、体温とか、まるで変っていない。
 でも、そんなことがわかるほどに、彼と体を合わせてきたのかと思うと、恥ずかしくなる。

 柔らかい頬を色づかせ、瞳をおどおどと揺らす廣伊を見て。千夜は照れているのだなと思った。
 廣伊、可愛い。

「継ぎ目もないな。どうしてこうなったんだ?」
 廣伊はうつ伏せになって、千夜の肩口や二の腕をまじまじと見てみた。
「わからねぇ。ただ、治してもらったとしか、言えねぇ」
 千夜には見えないようだが、廣伊には見える。

 目を凝らせば、ほんのりと光る、紫色。

「これからだけど…俺は隠密になることになった。今、再訓練中だ」
「隠密? それで、この仕上がりか」
 彼の腹筋を、廣伊は手のひらでたどる。
 とても病み上がりには思えない、むしろ以前より引き締まった体になっているかもしれない。そう思わせる、立派でしなやかな筋肉だ。
 そういえば、この部屋に入った直後も。千夜の気配に気づくのが、いつもより遅れた。
 己がいない間に、相当鍛錬したのだろうと察せられる。

「だが。腕が治ったなら、将堂に戻ることも…」
「できないよ。俺が腕を失ったことは、多くの者が知っているんだろう? 腕をはやして戻ったら、化け物扱いだ」
 そうかもしれないが。千夜が戻ったら。己の隣に、また立ってくれたら。
 廣伊も安心できるし。心強い。
 でも、千夜の言い分ももっともだ。
 二の句が継げず、廣伊は唇を噛む。

「俺は、化け物になったのかもしれねぇ。だから、廣伊が、本当にあの千夜か? と聞いたとき。即答できなかった。俺はもう、あんたの知る俺じゃないのかもしれないと思って」

 そんなことない。千夜は千夜だと、わかってほしくて。廣伊は首を横に振る。
 千夜はフと笑い、枕の腕で廣伊の肩を抱いた。
 ギュッと体を引き寄せ、廣伊の頭に額を擦りつける。
「でも。この腕にあんたを抱ける、この幸せのためなら。俺は悪魔にだって忠誠を誓う。たとえ化け物になり果てても」
「おまえに、それほどの覚悟があるのなら。なにも言わない」
「聞かねぇの? いろいろ」
 それはいずれ本人に聞く。
 でも、今は。この腕に存分に抱かれていたいんだ。
 何度も、何度も。
 ただ微笑みを浮かべ、廣伊は千夜にくちづけた。

 野暮な話は、窓の外に見える月が隠れてからだ。

感想 70

あなたにおすすめの小説

繋ぎの婚約を契約通り解消しようとしたら、王宮に溺愛軟禁されました

こたま
BL
エレンは子爵家のオメガ令息として産まれた。年上のアルファの王子殿下と年齢が釣り合うオメガ令息が少なく、他国との縁組も纏まらないため家格は低いが繋ぎとして一応婚約をしている。王子のことは兄のように慕っており、初恋の人ではあるけれど、契約終了時期か王子に想い人が現れた時には解消されるものと考えていた。ところが婚約解消時期の直前に王子宮に軟禁された。結婚を承諾するまでここから出さないと王子から溢れるほどの愛を与えられる。ハッピーエンドオメガバースBLです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。抱かれたら身代わりがばれてしまうので初夜は断固拒否します!

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
隣国の国王キリアン(アルファ)に嫁がされたオメガの王子リュカ。 しかし実は、結婚から逃げ出した双子の弟セラの身代わりなのです… 本当の花嫁じゃないとばれたら大変! だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだんキリアンに惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

【完結】転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。