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番外 花龍、高槻廣伊 2 ★
◆花龍、高槻廣伊 2
千夜たちが逗留する、奥多摩の村を出た一行は。馬を早駆けして、一路、本拠地へ向かう。
前線基地まで、行きは三日をかけた。
大人数の移動で。物資も大量に運び。ほとんどの者は、早歩きほどの速度なので、仕方がないのだが。馬を乗り潰すくらいの本気を出せば、本拠地から前線基地までは、一日で移動できるということだ。
一行は、黙々と馬を走らせていた。
場を和ませる天才である、紫輝がいなければ。大人の我らは、無駄口など叩かない。
が。そこに、瀬来が指示してきた。
「高槻、本拠地に戻ったら、まず赤穂に顔を出して。今までの顛末を説明してほしい」
顛末は、ほぼ瀬来も知っていることだから、瀬来がしてくれないかなぁ。
それでなくても、やること山積みなのは、目に見えている。面倒くさいのだが。
と、顔には出さずに思っていると。
「戦場でのことは、僕には、わからないから。当事者の君が行くべきだよね?」
瀬来は可愛らしい笑顔ながら、目は笑っていなかった。
わかりました。行きます。
「了解。そういえば、河口湖では、お世話になりました。バタバタして、お礼も言えず…」
「いいよぉ、いろいろな人から頭を下げられたからさ。それに、いいところはあいつに持っていかれたしね」
語尾はつぶやくように言ったから、よく聞こえなかった。
「でも、部下のことですし」
「部下じゃないだろ? 恋人のこと、だ、ろ?」
揶揄するように言い当てられて、息をのむ。
龍鬼が恋人だなんて。そんなふうに思われたら、これから千夜が生きにくくなるのではないか?
それでなくても、腕が不自由になった。
人間関係が円滑にできなくなったら、困るだろう。
そんなことを考えて。照れたのではなく。否認する。
「私は龍鬼なので。千夜は恋人などでは…」
だがその途中で、幸直がかぶせてきた。
「ええぇっ、先生っ! 望月と付き合ってんですか? いつ? どうして?」
「幸直、君は本当に、色恋に鈍感な男だなぁ。あんな劇的展開で、どうして恋人じゃないなんて思えた?」
幸直に答えたのは、なんでか、瀬来だった。
本人を差し置いて。
「いやぁ、部下への愛が強いなぁ…とは思っていたけど。そうか。恋愛だったか。同性同士だから、考えつきもしなかったけど。なるほど、同性で恋愛もアリだよな。伴侶契約もあるんだし」
「私の前で、そういうことを言っちゃうところが、幸直の脳みそが少ないところだよね?」
瀬来と幸直が言い合っているため、廣伊は否定できなくて。口をつぐむしかない。
赤穂と瀬来が、同性ながら、伴侶契約を結んだのは。有名な話だ。
今は、離縁しているようだが。
赤穂とともに行動している場面を、よく見るので。復縁するのではないか? という噂も、ちらほらある。
龍鬼である己の耳にも届くのだから、結構周知されている噂だろう。
「そうだ、側近は赤穂様と復縁するんですよね? だったら、俺と紫輝が伴侶契約を結ぶのもアリかな?」
「「ナシに決まってんだろう!」」
幸直の能天気な発言に、瀬来と廣伊の声が揃った。
「冗談だよぉ。そんな目くじら立てなくたって…」
旗色悪し、と受け取ったのか。
幸直は、馬体を少し、私たちから離した。
げんなりとした様子で、瀬来はつぶやく。
「もう、どんだけ人をたらすのやら、あの子…」
「…瀬来様は、紫輝のことを恋愛感情で見ているのですか?」
紫輝と仲睦まじい雰囲気を出してくる瀬来に、たずねた。
幸直は、軽い感じで紫輝に手を出しそうで、怖い。
もう跡継ぎ生まれたから、龍鬼と恋愛してもいいじゃない? みたいな。
でも紫輝は、まだ子供だから。彼には手を出させない。
紫輝に対し、廣伊の中には庇護欲があった。
同じ龍鬼だから、守りたい気持ちになるのか。可愛い部下だからなのか。千夜の友達だからか。
たぶん全部だ。
瀬来には、分別がありそうだから。幸直ほどの危機感はないが。
赤穂と一緒になって、紫輝に悪戯する気なら、看過できない。
しかし、瀬来は意外にも。キッと、一瞬怒りを見せ。それから考え直して、にっこり笑った。
「んー、友達に恋愛感情あるの? なんて言われて、ちょっとムッとしたけど。まぁ、高槻は知らないから仕方ないな、と思って。実は紫輝は、親戚の子によく似ていてね。友達、というより、弟とか、そういう家族的な親愛が強いかな? だから紫輝は、僕が全力で守る。そういう気持ちだよ」
「なら、いいです。紫輝はまだ幼くて、色恋には早いでしょう」
「…僕も、そう思うよ」
瀬来は廣伊に同意を示したが。
半目で、どうも投げやりな言い方だった。
瀬来がなぜこんな言い方をしたのか、廣伊は、この時点では。まだわからないのだった。
結局、道中、大人も無駄口は叩きまくり、という話だ。
★★★★★
本拠地には、昼過ぎには到着した。
一行は、門の前で解散し。
井上は医療棟へ、瀬来と幸直は幹部宿舎へ、そして廣伊は組長の宿舎に、それぞれ向かう。
二週間ほど寝食をともにしたが、別れ際は会釈だけのあっさりしたものだった。
廣伊は、己にあてがわれた部屋に戻り。荷解きをして、旅の汚れを軽く清拭して身支度をし。再び馬に乗って指令本部へと向かう。
指令本部は本拠地の中心部にある。
関東の平野に、将堂は本拠地を築いた。
広大な敷地を、木製の塀で囲ってある。
外周は、足に自信のある兵が、一日かけても走り切れないほどの距離だ。
敷地内は、外から中心へ向かって、一般兵、組長、大隊長、幹部の順で、宿舎が建てられている。
宿舎と言っても、幹部にもなると、ひとりに対し屋敷がもらえるのだが。
なので、中心部に近づくと、大きな屋敷がいくつも並ぶ、住宅街のような様相だった。
ただ。本拠地内部でも、右と左に分かれていて。内陸側が左軍幹部、海側が右軍幹部という住み分けがされている。
組の宿舎では、右と左の生活圏が、かなり離れていて。ほぼ邂逅はないのだが。
中心部は、円が小さいわけで。指令本部などに行くと、左の者とかち合うことも多く。
廣伊は苦手に思っていた。
左の者が龍鬼を見る、不躾な視線を無視しつつ。廣伊は、准将が使用する右軍指令室に入った。
中は会議室のように、机と椅子が並ぶが。
中央の大きな机の前で、赤穂は立っていた。
「赤穂様、この度は、いろいろご配慮いただき。ありがとうございました」
開口一番、廣伊は礼を言う。
赤穂の口添えがなかったら、側近の屋敷で療養などという話にはならなかっただろう。
「ん、望月は、どうだ?」
「一命を取り留め、療養中です。ですが、戦闘は無理なので。除隊申請を預かってきました」
口惜しかった。
あれほどの兵士を。
味方からの攻撃はないと、己が油断したばかりに、失った。
改めて口にすると、にがい思いが込み上げる。
たとえ恋仲でなくても、千夜という兵を失えば、悔恨に沈んだに違いない。
「そうか。おまえの子飼いも同然だったのだろう? 残念だな」
「子飼いじゃないよ。恋人だったんだよ」
えんじ色の軍服を身につける赤穂の後ろには、もう、同じえんじの軍服を着こむ、瀬来がいた。
そして余計なことを、告げ口する。
「違います。望月は…」
「高槻、早速だが報告してくれ」
今度はすかさず否定したのに。赤穂は聞いてくれなかった。
ええぇ? 瀬来がいるなら、己の報告は必要ないのでは? といぶかしみながら。話を蒸し返す空気でもなく…。小さく息を吸いこんで。廣伊は、今までの顛末を、赤穂に報告した。
二十二組組長の山本が、手裏軍に、第五大隊長の情報を漏らし。
山本が、第五大隊副長の富永他、数人を殺傷した。
動機は、自分が第五大隊長になりたかったから。
それにより、望月が負傷。療養のため瀬来の別荘にて今まで過ごしていた。そのような内容を。
振り返ってみると。あの一日は、怒涛の展開だった。
今、思い出しても。ため息が出る。
「まぁ、あらかた、堺の報告と違わないな。山本は、将堂の方で処罰したので。この話は以上だ」
第五大隊長の件は、将堂の中でも極秘事項。
それを手裏に漏らした兵を、野放しにはできない。
生かしておけば、他の情報を持って、手裏に逃げ込むかもしれないので。ま、そういうことだろう。
「今後の人事だが。まず高槻には、本来の第五大隊長の任に就いてもらう。瓦解した二十二組と二十四組の立て直しと組長選出、兵の補充。さらに副長の任命、などを二月までに行ってくれ。副長は、誰か目当ての者はあるか?」
赤穂に聞かれ。廣伊は、ひそりと眉を寄せる。
帰りの道中でも考えていたのだが。正直困っていた。
第五大隊に志願する上官は、ほぼいない。激戦部隊なのだ、いるだけで死が迫る。
上官まで地位を上げた者が、好き好んでくるわけがない。
だとすると、下から引き上げることになるが。
今回の件を含め、大隊の組長は、いまいちパッとしない。
山本は、とち狂って自滅し。
他の者たちは、様子見感が強く、覇気がない。
二十四組の者は、覇気はあるが、もう少し頭も欲しい。
頭といえば、一班班長の上条は、腕よし統率力よし頭もよしで、候補としては一番なのだが。
二十四組を立て直すために、まず、組長にしたかった。
第五大隊の中でも、二十四組は要だ。ひとりの采配で組を統率する力を持つ者を、当てたい。
あぁ、千夜がいてくれたら。
廣伊はどうしても、そう思ってしまう。
副長は大隊長の補佐的役割が強い。己の手足となり、背中を預けられ、己の意志を素早く汲む者。
千夜は、うってつけだったのだ。
しかし、千夜は。もう隣にいない。
次に、脳裏に浮かぶのは、紫輝だ。
しかし、紫輝は班長にしたばかり。
でも。同じ龍鬼であり、気心が知れていて、背中も預けられる。
思い切って、副長まで引き上げるか?
それとも組長に抜擢し、経験を積ませてからにするか?
「目当てがいないなら、間宮紫輝を引き上げてくれ」
今、考えていたことを、赤穂に言われ。廣伊は驚いた。
表情は動かないが。
「副長に、紫輝を? しかし紫輝は、班長になったばかりで…」
一度は考えたことながら、己も引っかかった部分の、赤穂の意見を聞きたかった。
「貴重な龍鬼を、戦場で食い潰したくないんだ。おまえもだぞ、高槻。俺はおまえには、普通に、第五大隊長をやってもらいたかった。だが、おまえがあの計画を立てて、実行していたんだ」
「大隊長が前線に出るなどと、誰も思わないでしょう。…つい最近までは」
「あぁ、そうだ。謀反がなければ、今も使える、いい計画だった。だが、最前線に高槻を常在させるのは、気が気でない。紫輝もだ。今回、紫輝は大技を二回撃ち、かなり消耗していたと堺から聞いている。俺は、早くあいつを手元に置きたい。異例でもいい。やれ」
候補のひとつだったから、やぶさかではないが。
とにかく紫輝は、経験と勤務期間が少ない。
未熟だと、古参から不満が出るかもしれない。
そのあたりを慎重に考えたい。
己のように、刺客に狙わせたくないしな。
「…少々、考える時間をください。あと休みください」
何食わぬ顔で、休みの話もぶち込んだ。
早く戻りたいのだから、時間が惜しい。
「やることやったらな。紫輝は十一月まで休む気か? おまえと入れ替わりで、ここに戻してくれ」
「わかりました。私は十一月いっぱいまで休みます。十二月から一月いっぱいまでは紫輝が休暇を。望月は、まだ。目が離せないので。紫輝と交代で看ることになっているので」
「長いな。まぁ、いいだろう」
戦闘のみならず、人事や、事務作業も、高槻は有能であると。赤穂は知っている。
ゆえに、第五大隊の立て直しを、赤穂は高槻に丸投げできるのだ。
その高槻が、本拠地にいない時期があるというのは、はっきり言って不安。
しかし高槻は、休みなく将堂に長く仕えてきた。
伴侶の看病では、ご褒美にはならないだろうが。
せめて快く、休暇を出してやらなければならないと、と赤穂は思っていた。
「では、仕事にかかります」
一礼して、廣伊は退室する。
また、三十分ほどかけて組長の宿舎まで戻らなければならない。
あ、大隊長に戻るから、部屋も移動しないと。
面倒くさい。
そうだ、新兵補充の申請を、本部にいるうちに出しておこう。
とりあえず、二十四組の組長は、上条か紫輝。
二十二組の組長はどうするかなぁ?
などと、頭をフル回転させて、廣伊は機械的に動いた。
そして組長の宿舎に戻ったときには日が暮れていた。
★★★★★
「高槻組長。組長が戻っていると聞いて、待っていたんですよ」
宿舎の前で、野際が待っていた。
一般の兵士は、今は、前線任務明けの休暇中で。家がある者は、帰宅しているはずだったのだが。
「野際、おまえは家族があるだろう? ずっと帰っていなかったのか?」
「いいえ、俺んちは関東にあるからよ。今日はちょっと寄ってみたんだ。千夜と紫輝が心配で、なんか情報ねぇかなぁって。そうしたら組長が戻ってるっていうんで、ついてると思って」
野際は、廣伊より少し年上だが。父親の貫禄があって、度量の大きさを感じる。
彼はおおらかに笑った。
「それで、千夜の容体は? 紫輝は?」
「あぁ、一命は取りとめたが。戦闘は、もう難しいので。除隊することになった」
「そうか。あれだけの傷だ。命があるだけ幸運なのだろうな」
そうだろうか。
廣伊は、千夜が死にたいと言ったとき、感情に任せて引き留めたことを、後悔していた。
あれで、良かったんだろうか。
千夜は確実に、死ぬよりもつらい人生を歩むことになる。
己は『生きていて良かった』と、彼に思わせることができるだろうか?
「紫輝は、千夜についている。十一月には戻る予定だ」
「うちは農家だから、千夜を雇うこともできる。なにかできることがあったら、相談してくれ、組長」
まだ、今の千夜の状態では、考えられないことだが。
そうして気に掛けてくれる人がいるというのが、千夜の人徳だ。
「あぁ。千夜に伝えておくよ。ところで、野際。紫輝に出世の話があるんだが、どう思う? 班長になりたてだし。まだ時期尚早かな?」
廣伊が意見を求めることが、かなり意外だったようで、野際は白い羽をワサッとさせた。
「出世というと、組長に? ってことは、組長は大隊長に?」
「いや、人事は、まだ決まっていない。内々の話だ。他言無用にな」
大きな手で、野際は口を隠す。
おっさんなのに、仕草が可愛いな。
「紫輝の出世は、良いと思いますよ。今回の件は、紫輝のお手柄だし。文句を言う者はいないんじゃないかな? あぁ、でも。紫輝は隊列を動かしたことがないから、しっかりした補佐をつけてあげてください。ま、そこら辺、組長は抜かりないでしょうけどぉ…」
野際の意見に、廣伊はうなずく。
そうか。確かに、今回の件は紫輝の手柄。
紫輝が、手裏兵から作戦内容を聞き出さなければ。大きな死傷者を出した上、手裏の猛攻にあったという表側しか見えずに。真相は有耶無耶になっていた可能性もある。
「なるほど、参考になった。野際、くれぐれも内密にな」
「了解。では、俺は休暇の続きに戻ります」
心なしか、羽がウキウキと跳ねている、野際の後ろ姿を見送った。
野際は、紫輝を息子のように可愛がっているから。彼の出世が嬉しいのだろう。
まだ保留ではあるが。どうしたらいいものか。
★★★★★
取り急ぎ、しなければならない事項を消化し。仕事のほとんどは、休暇明けに持ち越すことにしたのだが。
それでも三日では足らず。
四季村に戻れたのは、五日後の夜のことだった。
害獣や夜盗を避けるための村の門を通り、人通りのなくなった道を抜け。馬を引いて、高台にある屋敷に向かう。
敷地内に入ると、物凄く大きい、堺よりも背の高い男が、廣伊に会釈した。
これほど立派な体格の男が、軍に所属していないなんて…と。廣伊は勧誘したい欲求にかられたが。
兵役は任意だし。
剣技の才能や、体力や、臨機応変に対処できる頭脳などが必要だ。
体格に恵まれていても、向き不向きはあるので、その欲求はのみ込んだ。
「屋敷の使用人の、橘と申します。馬を預かります。望月様は、部屋でお待ちです」
廣伊が、紫輝とともに千夜の面倒を看ることは、使用人に周知されているらしい。
世話になるのだからと、廣伊も挨拶を返す。
「高槻廣伊です。以後、よろしくお願いします」
馬の手綱を渡し、廣伊は屋敷に入った。
軍靴を脱いで、廊下を進むが。
家の中は、灯りが落とされており、人の気配も感じられない。
紫輝が、千夜とともにいるはずなのだが。
夕食を済ませて、もう休んでいるのだろうか?
そう思うぐらい、家の中がシンと静まり返っていた。
「千夜? どこにいる?」
廣伊は屋敷を出る前、千夜が使用していた部屋を開ける。
しかし、その部屋も明かりはついてない。誰もいない。
千夜はたびたび、熱を出して寝込んでいたから。ここにいると思ったのに。
中は、充分な広さのある、板張りの部屋だ。
障子が開いていて、その外側にはガラス窓。
ガラスは、かなりの高級品である。ここが裕福な屋敷なのだと証明していた。
寝台の横に、井上から貰った薬や着替えなどが入った、小荷物がある。
つまり、ひとりで出て行ったとか、そういうことではなさそうなのだが。
そう思った矢先。
廣伊は、本能的に剣の柄に手をやった。
しかし、握った手を開く。
背中から、抱き締められた。千夜の気配だ。
「どうした? 俺に後ろを取られるなんて…油断しすぎだぞ」
消毒の匂いがしなかった。
こうして、不意を突いて、廣伊を驚かせようと思うくらいには元気そうで。良かった。
出かける前は、血の気を失った青い顔で。
もう少し、彼を看ていたいと思ったくらいだった。
大丈夫だと、彼が言うから。予定通り出立したが。
でも、もしかしたら。もう耐えられなくて。
廣伊を殺して千夜も死のうとしているのかもしれないな、とも思う。
気力を振り絞って、今、全力で殺しにかかっているのかも。
そう思ったから。廣伊は柄に掛けた手を離したのだ。
「私は、おまえに生きることを強いた。でも。私はどんな状況だろうと、おまえの命を手放せない。だから、おまえが死にたいなら、私を殺すしかないんだ」
背後から、廣伊の頭に頬擦りする感触。
まだ、己を愛おしいと思ってくれるのか? 自分勝手で、愛する者に苦痛を与え続ける、己を。
「私を殺してでも死にたいと思うなら、私はおまえの刃を受ける。死よりも、つらいことを強いた自覚はあるからな」
「そんなの、つまらねぇよ。俺はあんたとやり合うの、好きだぜ」
「…しかし」
眉間にしわを寄せる難しい顔つきで、苦しそうに話す廣伊を。
千夜は小さく笑った。
「ふふ、鬼の組長が、らしくねぇな。つか…まだ気づかねぇの?」
千夜は右手の指で、廣伊の顎をちょいちょいとくすぐり。
左の手は、胸の辺りをまさぐっている。
んん?
「え、おま…うで…?」
体の前にある、ふたつの手を、廣伊は掴んで。
その事実が脳みそに到達するのに、かなり時間がかかった。
え? 千夜だと思っていたのに、千夜じゃないのか?
そうして、廣伊はようやく、背後を見やる。
「かっ…かみっ、も?」
後ろにいる男は、千夜で間違いない。間違いないのだが。
あのライオンのたてがみのごとく、たっぷりとしていた瑠璃色の髪が、バッサリ切られていた。
刈り上げに近い、指関節ほどの長さ。前髪は、眉の上あたりまではあるが。
千夜の特徴だった横髪のピンは、かろうじて二本バツ印でつけている。
「ハハ、驚きすぎだろ。でも、目んめ真ん丸で、可愛い」
千夜は廣伊と向き合うと、両手で頬を包み、キスした。
くちづけを受け。
これは、夢を見ているのではないか? と廣伊は思う。
だって、欠損した腕は、おそらく戦場だ。
なのに彼は、なんの支障もなく、腕を動かしている。
頬を包む指先も、体温があたたかい。
痛みにしかめていた、険しい顔も。今は、穏やかに微笑んで。廣伊とのくちづけを堪能しているようだった。
夢なら、このまま没頭してしまいたいけれど…。
己の頭の中にある冷静な部分が、そんなわけないだろうとツッコむ。
「せ、千夜? おまえは、本当に、あの千夜か?」
「…さぁな。どう思う? 俺は、廣伊が知っている俺とは、別人かもしれねぇ。腕があるのが、気持ち悪いか?」
「そんなわけないっ。嬉しいに決まっている。い、痛くはないか?」
「あぁ。もう痛くねぇ」
その証とばかりに、千夜は廣伊を、正面から力いっぱい抱き締めて。濃厚なキスをする。
廣伊も千夜に身を任せ、荒々しくうごめく彼の舌に舌を絡めた。
本物だ。明るくて、豪胆で、ちょっと意地悪な。怪我をする前の千夜が、帰ってきた。
己の腕の中に。
「あぁ、廣伊。あんたをこの手で抱きたいと、ずっと思っていた。あの日から、ずっと…」
「あの日?」
「決まってんだろ? 私を置いて死ぬなと、あんたが泣きながら俺に言った日だよ」
背中を、爪を立てるかのようにかき抱く。その力強さが、頼もしく、喜ばしい。
「廣伊、抱かせろよ」
直接的な言葉、だが、せつなげな声で言うから。
廣伊の胸が、ドキンと高鳴る。
「あんたを、めいっぱい善がらせたい。なぁ、俺にあんたをくれよ。あんたの全部を、俺に」
「…私を愛してくれるのか?」
「それは、標準装備だ。もっと。もっと欲しがれ。もっと求めろ。そうしたら、俺も全部、あんたにやる。あんたの望みを叶える。あんたが死ぬまで、ずっとな」
優しく目を細めて、千夜は言う。
でも、そうして合わせた唇は、情熱的に廣伊の口腔をかき乱した。
千夜は廣伊の顔の角度を変えながら、何度も何度もくちづける。
そして、もつれるように、寝台に移動しながら廣伊の衣服を剥いでいく。
龍鬼であることを隠すためのマントも、緑色の軍服も、柔らかい肌を守る防具も。
すべて、千夜の手が、器用に取り払っていった。
今日は、すべてを与えたい。
そう廣伊は思った。
千夜の望むままに。千夜が求めるままに。
ふたりで、寝台の上に座り込むと。腕の感触を噛み締めているかのように、千夜は廣伊に触れた。
緑の髪を、頭頂部から肩口まで指先で撫で。
頬の柔らかさを、親指で確かめ。
キスで濡れた唇を、中指で拭う。
なにもかも、廣伊は気持ちが良かった。
彼が触れる場所が、ジンと痺れて。頭の後ろが、ぞわぞわして。なにより、彼が苦痛を感じていないことが、嬉しくて。廣伊の体も、素直に快楽を受け入れられるのだ。
「夢みたいだな。こうして、また、あんたを抱けるなんて」
それは、こちらの台詞だ。
夢なら覚めないで。ベタな言葉だが。本気でそう思う。
廣伊は、千夜の甚平に手をかけ、脱がしていった。
もしや、痛々しい傷跡があるのではないかと、少し身構えるが。
千夜の体は、今まで戦闘で受けた傷以外は、なにもなかった。
見事な腹筋は、とても病後には見えない。
あんまり、以前と同じなので。触れたら消えてしまいそうで、怖かった。
それでも。下衣を脱がせば。隆々とみなぎる剛直が、目の前に現れ。
今、千夜が、己に欲情しているのを感じて、嬉しくなる。
ここに、千夜はいるのだ。
自然、廣伊は剛直に口を寄せた。
「おい…ん」
廣伊が先端を口に含んだとき、千夜が息をのんで。その声が色っぽくて。廣伊も燃えた。
「疾風迅雷だな、高槻組長。ふふ、この攻撃は、回避、できねぇ…」
突端を唇ではさんで吸いつくと、千夜が艶めいた吐息交じりに言う。
もっと、千夜を味わいたい。
そして感じてほしい。
廣伊は両の手で剛直を支え持ち、根元から先端に向かって舌を這わせる。
「んっ、無理はするなよ」
「私直々に、部下を可愛がってんだ。おとなしく感じてろ」
鈴口に舌先を入れ、丹念に舐め上げて。湧き上がる先走りを吸い上げた。
再び根元に戻って、浮き上がる筋に舌を這わせる。
千夜は、廣伊の髪に指を差し入れた。
「くわえろよ、組長」
彼に命令されると、反発したいような、従いたいような、複雑な気持ちになる。
でも、おおよそ廣伊は、千夜には従順だ。
唇を開き、先端を口の中に含む。
千夜は廣伊の頭をゆっくり動かして、上顎に己の突端を擦りつけた。
「ふ、ん、ん…ん」
鼻で息をしながら、廣伊は千夜の誘導するまま、剛直を愛撫した。
気持ち良い? 感じているか?
確認するように、上目で千夜の様子をうかがう。
短髪の千夜は、悪い男の顔でニヤリと笑い。舌なめずりした。
それを見て、廣伊は。屹立がギュンと跳ねるのを感じた。
思わず、口から剛直を出して、そのモノにすがりついてしまう。
「ふ、ぁ…ほ、本当に、おまえ、千夜なのか? 色気ヤバすぎだろ」
「それは、あんたが確かめるんだ。ここに、俺のを入れて」
千夜の股間に顔を埋めている廣伊は、膝立ちで。自然、臀部を持ち上げていた。
その双丘に隠された蕾に、千夜は指を差し入れ、慎ましい蕾を開いていくが。
とても、一度失われたものとは思えない、繊細な動きだ。
それに、指の動きがなめらかで、違和感があまりない。
「なんか、ヌルヌルしていないか?」
「あんたが出したっていう、巨大アロエから抽出した液体だってよ。傷の手当用に、井上がくれた。でも、こういう用途にも使えるって…」
「い、井上が、そんなこと言ったのか?」
「いや。それは別の人」
井上は医者だから、そういうことにも寛容かもしれないが。
とりあえず、知っている者に、情事のことを連想されたくないので。ホッとした。
でも、だったら。いったい誰が、そんなことを千夜に吹き込んだのか?
というより。ヌメヌメのせいで、千夜の指が、存分に廣伊の蕾をほぐしてしまい。
あえぎが口から漏れるほど、高められてしまった。
「あ、あ…せ、千夜。もう、そこは…」
「そうか。じゃあ、俺が、廣伊の知る俺か、試してみろよ」
千夜は廣伊の脇に手を差し入れると、引き上げて己の足の上に座らせた。
自ら、受け入れろということか。
廣伊は千夜をまたいで、敷布の上で膝立ちになると、後ろ手に剛直を支え、蕾に先端をあてがう。
ゆっくり腰を下ろしていった。
千夜も臀部を手で掴んで、廣伊に協力する。
少しずつ、千夜が中に入ってくる。ジンとする後孔が、物欲しそうに剛直を締めつけるのが、恥ずかしい。
「あぁ、いいぜ。廣伊。もっと、中に…」
気持ち良さそうな千夜の声に、力づけられ。羞恥をこらえて剛直を挿入していく。
最後の方は腰に力が入らなくなって、重力任せで、ズプンと彼をのみ込んでしまった。
「あ、あぁっ…はい、ちゃった」
「可愛い、廣伊」
すべてをおさめたご褒美に、千夜が廣伊のこめかみにキスをする。
労わるように、耳の際や、鼻の頭を、唇でついばむ。
「どう? 前の俺と、違うか?」
「いっしょ…奥まで、届いて…」
「本当に? よく味わって。太さとか長さとか、熱さとか。前より大きくないか?」
意味深に問われるが。
味わえと言われても、どうしたらいいのかわからず。廣伊は口を引き結ぶ。
太さ、と考えると。後ろが無意識に締めつけてしまい。
恥ずかしくて、顔が熱くなり。
体も熱くなり。そうしたら千夜のモノが体の中にあると思うだけで、淫らな感覚が湧き上がってくる。
「わ、わかん、な…大きいから、わかんな…あっ、あ、あ…ん」
廣伊が一生懸命言っている最中に、千夜が下から突き上げてきた。
廣伊は千夜の首に腕を回して、彼の横暴に耐え忍ぶ。
アロエのせいで濡れているからか、いつもよりぐちゅぐちゅとした、いやらしい音が、部屋に響いていた。
「中で俺のを感じて、感想言うとか…どんだけエロ可愛いんだ」
「だって、千夜が…あ、ん…んんっ」
聞いたから、答えたのに。それで盛るとか、わけわかんない。
だが廣伊の文句を、千夜は口で食べてしまった。
彼の犬歯に舌を甘く噛まれると、体全体が痺れるみたいになる。
息継ぎで口を開けると、吐息まで食べられて。
苦しくて、気持ち良くて、のぼせた。
「ん、ん、んっ…ふ、ん、ぁ」
たくましい腰つきでズンズン突き上げられ、振動の度に、淫らなあえぎが鼻から漏れる。
とろりとした濃厚な悦楽に、身悶えた。
だが千夜は、一方の手を頭に、一方の手を腰に、廣伊を支えているから。身をくねらせても、決して快楽からは逃れられない。
快感は、淫猥な上下動で無尽蔵に生み出され。そうしてふたりで、高みへと昇っていく。
「ん、せ、千夜ぁ、いい? 気持ち良い? 痛くない?」
「あぁ、最高だ。いいに、決まってんだろ。廣伊が俺を愛してくれる。俺も廣伊を愛してる」
うっとりと、廣伊は緑の瞳を潤ませた。
なんて、幸せだろう。
龍鬼の己を愛してくれる者なんか、この世に存在しないと思っていたのに。
たった、ひとりでいい。誰かに愛されたい。
決して叶うことはないと思っていた、願いだったのだ。
自分は生まれ落ちたときから、蔑まれて生きてきたのだから。期待などしない。
夢を見れば、傷つくだけだ。
だから、目を塞いでいた。己の望みから。願いから。
だけど。千夜が。
好きな人が、こんな自分を愛してくれるなんて…。
感極まって、廣伊は千夜にくちづけた。
その瞬間、ふたりは同時に達した。身も心も愛に満たされた睦み合いに、笑みがこぼれる。
「好き。私も千夜を愛している」
絶頂に、体を震わせながら、廣伊は告げる。
すごく幸せなのに。なんでか涙が出た。悲しくないのに。なんで?
「ふふ、笑いながら、泣くなんて。廣伊の初めての表情、また貰っちゃったな」
「か、悲しくも、痛くもない。これは、間違いだから…」
廣伊は慌ててしまった。
不快だとか、そんなふうに思っていないのに。千夜にそう思われたくなくて。
そうしたら千夜も。笑いながら、涙をこぼした。
「いいんだよ。間違いじゃないんだよ、廣伊。嬉しすぎても、幸せすぎても、涙が出るんだ。俺も…こんなの、初めてだけどな」
間違いじゃない。そう言われて、廣伊は安堵した。
感情で泣いたのは、これで二回目。
泣くって、奥が深いな。
「なぁ、廣伊。すっごく良い雰囲気なのに、申し訳ないんだが…」
千夜の手で、廣伊は寝台の上にあおむけに押し倒された。
まだ千夜が入っている状態で。
「とても、一回じゃ…な? わかるよな?」
廣伊の中の千夜は、存在感をさらに増しているようで。達したはずだが、全然萎えてなかった。
でも、その気持ちはわかる。
ずっと、苦しかった。
闇が続いた、そんな中、明かりがさしたのだから。
愛を取り戻したのだから。
もっと、ずっと、抱き合っていたい。廣伊も、千夜をもっと愛したかった。
「うん。千夜の思うままに…」
「…マジで?」
なんだか、千夜の目がギラリとした。これは…早まったかな?
千夜は両の手で、廣伊の二の腕を掴んで寝台にはりつけにし、乳首を口に含んだ。
廣伊はそこが弱い。
というか、千夜のせいですごく弱くなった。でも千夜が力強くて逃れられない。
「そこは、や…千夜、しないで、や、ぁ」
乳頭を起こすように千夜の舌先がつついて。芯が通ってツンと立ったところを、舐め濡らされる。
胸からジンジンとした疼きが、体中に広がって。達したばかりの屹立までも、熱を持ち始める。
「や、やだ…ん、千夜、ぁ、や、なの…にぃ」
「嫌だけど、好きだろ? おっぱいだけでイかせてやろうか?」
桃色の乳首に、執拗に舌を這わせながら、千夜がいやらしい言葉で辱める。
「や。そんなの…千夜のが、いい」
「思うままにしていいんだろ? 一回だけ、ここでイってみせろよ」
ここ、と言ったとき、舌先で乳輪の上をくるくると舌先でたどられた。
その場所が、視覚と触覚で強調されて。
ここでイかされるのだと、意識づけさせられた。
それだけで乳首が鋭敏になる。
「ひ…ん…千夜ぁ、あ、だ、めぇ」
優しく円を描く舌先は、長く廣伊をせめ続け。
唾液を突起にまとわせて弾いた。
そんな些細な刺激でも、廣伊は背を反らすほどに感じてしまう。
千夜は廣伊の様子を、満足そうに見やり、反対側の乳首に移動した。
犬歯で軽く引っ掻かれて、痛痒い感覚が、廣伊を未知の快楽に導く。
優しい刺激のあとに、鮮烈な悦楽が襲う。
「い、ぁ…んっ、やぁ…ん、んんっ」
「痛いの、ちょっと好き? こっちは?」
さんざん舐め濡らした方の乳首も、軽く噛まれて。舌で舐めてあやして、また噛んで。
何度も繰り返すうちに、噛まれたときに、先走りが屹立の先から漏れるようになってしまう。
「ん、んんっ、出る…また、あ、出る…いや、ぁ」
「すごい、中もびくびくしてる。マジで、乳首だけでイけそうだな」
赤く、ぷっくり腫れ上がるほどに、乳首をいじられて。廣伊はタガが外れてしまった。
「せんや、して…もっと、強く擦って、イかせて。もう、イかせてぇ」
千夜は廣伊の痴態に興奮し、乳首をくちゅくちゅと音を鳴らすほどに吸い上げながら、腰も激しく揺らした。
廣伊の腕から手を離し。廣伊の腰を鷲掴みしてガツガツと貪る。
廣伊は千夜の頭を抱え込んで、惑乱するほどの官能に身を委ねた。
「あぁ…んっ」
極上の高揚感の中で、廣伊が二度目の精を解き放つ。
と同時に、千夜の瑠璃の羽が開いた。バサッと羽音をさせて小刻みにわななく。
「くっ…やべぇ。最高すぎる」
極めたあとの蠕動を、じっくり堪能した千夜は。慎重に廣伊の中から剛直を抜き出した。
大きく息をついて、寝台にあおむけに寝転がり。右手で廣伊の身を引き寄せて、髪にチュッチュッとキスを落とした。
「すごく良かったよ。廣伊は? 気持ち良かった?」
「ん。…良かった」
情交の余韻が色濃い廣伊は、なんだかまだ恥ずかしい。
いつも、情交後は運動したあとのような爽快さを感じるのだが。今日は千夜の方が、そのように見えた。
「…いつからだよ?」
整わない息をつきながら、千夜が聞いてくるが。
なにがいつなのか、わからず。廣伊は彼をみつめる。
「いつから、俺のこと好きだって思ってくれたんだ?」
千夜からすれば、己に都合良いように、廣伊を振り回していた。という印象だったのだ。
使命のために、命を狙い。
恋心を満たしたくて、抱き。
組長の腹心であると、誇示し。
愛する者を誰にも触れさせたくない独占欲のために、守る。
そこには、自分の欲望しかなく。
廣伊が己を好きになる要素などない、と思っていた。
だから、死なせてくれと頼んだとき。廣伊があれほどまでに己を引き留めてくれるとは、思わず。
内心では驚いていた。
こんな身勝手な男のために、泣くことない。
自分で、そう思うほど。己の廣伊に対する態度はひどかった。
だから、純粋に疑問なのだ。
廣伊がいつから、己に心を傾けてくれていたのか、が。
ガラス玉のように、表情を見せない廣伊の緑の瞳が。じわりと揺れて。
眉間が少し寄った。
「…余計なことすんじゃねぇ、って言われたとき?」
千夜は開いた口がふさがらなかった。
それって、一番初めのやつ!
「はぁ?」
あんまり予想外の返答に、千夜はキレ気味で問い返す。
千夜の腕を枕にして、廣伊は懸命に言い募った。
「あの頃はもう、私に怒るような命知らずな奴はいなかったんだ。さ、最初は、気に食わないって思ってたと、思うんだが。でも、戦場でちょっと会っただけの奴、気に食わないって理由だけで、名前調べたりしない…っていうか…」
廣伊は廣伊で、己の気持ちにずっと向き合わずにきたのだ。
だって、龍鬼なのだ。
恋をしたって、受け入れてもらえるわけもない。
相手が迷惑するような気持ちを、好きになった相手に押しつけられない。
だから、己は恋などしない。恋をしない生き物なのだと、思い込むことで、己の心も守っていた。
好きな相手に嫌われたら、傷ついてしまうから。
そして、傷つくのはほぼ決定事項なのだから。
だけど。千夜が死ぬと言ったとき。嫌だと思った。
単純に、受け入れられなかった。
いらないなら、千夜の命は私が貰う。私は千夜が欲しいのだ。
どんなに痛くても苦しくても、涙など出なかったのに。泣くほどに。
欲しいものを欲しいと、言ったこともなかったのに。無様にしがみついて、これが欲しいと叫ぶほどに。
千夜を愛していた。愛してしまった。
いつの間にか。いや。最初から。
「いやいや、待て待て。あんた、好きな相手に、あのしごきはねぇだろ?」
千夜が初めて二十四組に入ったとき。廣伊は千夜を完膚なきまでに叩きのめした。
しばらく立ち上がれないほどに。
初日以外にも、何度も。思い出しただけで、吐き気を催すほどのしごきだ。
だが廣伊的には、当然のことだ。だって。
「しごかないと、戦場で生き残れないだろ?」
きょとんとした顔で。強くするのは当たり前だよね、という澄んだ瞳でみつめられ。
千夜はため息をつく。
「はいはい、俺はよわよわのよわだからな」
腕に自信はあったが、二十四組の中に入れば、中の上。
廣伊から見れば、千夜はまだまだ未熟者だった。
今でも勝てないんだから、仕方がない。と、千夜は苦虫を噛み締める。
「それにしごいている間は、おまえを見ていられるし」
ギュンと、きた。
いつも冷静沈着の鬼組長が、急に可愛いことを言うとか…温度差で燃えるわっ。
「おまえは? 千夜はいつからだ?」
千夜も、自分は好かれないと思っていたが。
廣伊も、千夜が自分を好きになることなどないと思っていたのだ。
単純に、龍鬼だからという理由で。
容姿も性格も強さも、いっさい好意に直結しない、龍鬼とはそういうものだった。今までは。
「…最初からだ」
横を向いて、にょごにょご、口先で言うから。
よく聞こえなくて。
廣伊は千夜の胸に乗り上げた。
「だから。戦場で、緑の可愛い子が龍鬼の前に出てくるからっ。俺が、守らなきゃって…それに、わかるだろ? 好きでもない相手、しかも龍鬼を、抱けるわけないだろ?」
「しかし、あれは契約だった。契約なら、千夜は抱けるのかと…」
「契約だからって…勃つわけねぇ。好きだから、抱いた。決まってんだろ」
見合わせた、ふたりの顔は。真っ赤で。
どちらからともなく、ふたりはそっぽを向いた。
「ばっかみてぇ。俺ら、互いに一目惚れだったのに、七年も核心に触れられなかったなんて…臆病すぎだ」
千夜は廣伊の鼻を、腕枕している手でコショとくすぐった。
その仕草に、愛情を感じて。廣伊は指先にキスした。
剣を握る指先は、皮膚が硬くなっていて。己の手のひらよりも、ひと回り大きくて。温かくて。
千夜の腕だと思った。
「この腕、本物の千夜の腕だな」
「…わかるのか?」
廣伊は千夜の手を握って、顔を赤くする。
それから体を反転して、千夜を恨みがましい目で見た。
「どれだけ、この手に触られたと思ってんだ? 馬鹿」
感触もそうだが、ふとしたときの力加減とか、体温とか、まるで変っていない。
でも、そんなことがわかるほどに、彼と体を合わせてきたのかと思うと、恥ずかしくなる。
柔らかい頬を色づかせ、瞳をおどおどと揺らす廣伊を見て。千夜は照れているのだなと思った。
廣伊、可愛い。
「継ぎ目もないな。どうしてこうなったんだ?」
廣伊はうつ伏せになって、千夜の肩口や二の腕をまじまじと見てみた。
「わからねぇ。ただ、治してもらったとしか、言えねぇ」
千夜には見えないようだが、廣伊には見える。
目を凝らせば、ほんのりと光る、紫色。
「これからだけど…俺は隠密になることになった。今、再訓練中だ」
「隠密? それで、この仕上がりか」
彼の腹筋を、廣伊は手のひらでたどる。
とても病み上がりには思えない、むしろ以前より引き締まった体になっているかもしれない。そう思わせる、立派でしなやかな筋肉だ。
そういえば、この部屋に入った直後も。千夜の気配に気づくのが、いつもより遅れた。
己がいない間に、相当鍛錬したのだろうと察せられる。
「だが。腕が治ったなら、将堂に戻ることも…」
「できないよ。俺が腕を失ったことは、多くの者が知っているんだろう? 腕をはやして戻ったら、化け物扱いだ」
そうかもしれないが。千夜が戻ったら。己の隣に、また立ってくれたら。
廣伊も安心できるし。心強い。
でも、千夜の言い分ももっともだ。
二の句が継げず、廣伊は唇を噛む。
「俺は、化け物になったのかもしれねぇ。だから、廣伊が、本当にあの千夜か? と聞いたとき。即答できなかった。俺はもう、あんたの知る俺じゃないのかもしれないと思って」
そんなことない。千夜は千夜だと、わかってほしくて。廣伊は首を横に振る。
千夜はフと笑い、枕の腕で廣伊の肩を抱いた。
ギュッと体を引き寄せ、廣伊の頭に額を擦りつける。
「でも。この腕にあんたを抱ける、この幸せのためなら。俺は悪魔にだって忠誠を誓う。たとえ化け物になり果てても」
「おまえに、それほどの覚悟があるのなら。なにも言わない」
「聞かねぇの? いろいろ」
それはいずれ本人に聞く。
でも、今は。この腕に存分に抱かれていたいんだ。
何度も、何度も。
ただ微笑みを浮かべ、廣伊は千夜にくちづけた。
野暮な話は、窓の外に見える月が隠れてからだ。
千夜たちが逗留する、奥多摩の村を出た一行は。馬を早駆けして、一路、本拠地へ向かう。
前線基地まで、行きは三日をかけた。
大人数の移動で。物資も大量に運び。ほとんどの者は、早歩きほどの速度なので、仕方がないのだが。馬を乗り潰すくらいの本気を出せば、本拠地から前線基地までは、一日で移動できるということだ。
一行は、黙々と馬を走らせていた。
場を和ませる天才である、紫輝がいなければ。大人の我らは、無駄口など叩かない。
が。そこに、瀬来が指示してきた。
「高槻、本拠地に戻ったら、まず赤穂に顔を出して。今までの顛末を説明してほしい」
顛末は、ほぼ瀬来も知っていることだから、瀬来がしてくれないかなぁ。
それでなくても、やること山積みなのは、目に見えている。面倒くさいのだが。
と、顔には出さずに思っていると。
「戦場でのことは、僕には、わからないから。当事者の君が行くべきだよね?」
瀬来は可愛らしい笑顔ながら、目は笑っていなかった。
わかりました。行きます。
「了解。そういえば、河口湖では、お世話になりました。バタバタして、お礼も言えず…」
「いいよぉ、いろいろな人から頭を下げられたからさ。それに、いいところはあいつに持っていかれたしね」
語尾はつぶやくように言ったから、よく聞こえなかった。
「でも、部下のことですし」
「部下じゃないだろ? 恋人のこと、だ、ろ?」
揶揄するように言い当てられて、息をのむ。
龍鬼が恋人だなんて。そんなふうに思われたら、これから千夜が生きにくくなるのではないか?
それでなくても、腕が不自由になった。
人間関係が円滑にできなくなったら、困るだろう。
そんなことを考えて。照れたのではなく。否認する。
「私は龍鬼なので。千夜は恋人などでは…」
だがその途中で、幸直がかぶせてきた。
「ええぇっ、先生っ! 望月と付き合ってんですか? いつ? どうして?」
「幸直、君は本当に、色恋に鈍感な男だなぁ。あんな劇的展開で、どうして恋人じゃないなんて思えた?」
幸直に答えたのは、なんでか、瀬来だった。
本人を差し置いて。
「いやぁ、部下への愛が強いなぁ…とは思っていたけど。そうか。恋愛だったか。同性同士だから、考えつきもしなかったけど。なるほど、同性で恋愛もアリだよな。伴侶契約もあるんだし」
「私の前で、そういうことを言っちゃうところが、幸直の脳みそが少ないところだよね?」
瀬来と幸直が言い合っているため、廣伊は否定できなくて。口をつぐむしかない。
赤穂と瀬来が、同性ながら、伴侶契約を結んだのは。有名な話だ。
今は、離縁しているようだが。
赤穂とともに行動している場面を、よく見るので。復縁するのではないか? という噂も、ちらほらある。
龍鬼である己の耳にも届くのだから、結構周知されている噂だろう。
「そうだ、側近は赤穂様と復縁するんですよね? だったら、俺と紫輝が伴侶契約を結ぶのもアリかな?」
「「ナシに決まってんだろう!」」
幸直の能天気な発言に、瀬来と廣伊の声が揃った。
「冗談だよぉ。そんな目くじら立てなくたって…」
旗色悪し、と受け取ったのか。
幸直は、馬体を少し、私たちから離した。
げんなりとした様子で、瀬来はつぶやく。
「もう、どんだけ人をたらすのやら、あの子…」
「…瀬来様は、紫輝のことを恋愛感情で見ているのですか?」
紫輝と仲睦まじい雰囲気を出してくる瀬来に、たずねた。
幸直は、軽い感じで紫輝に手を出しそうで、怖い。
もう跡継ぎ生まれたから、龍鬼と恋愛してもいいじゃない? みたいな。
でも紫輝は、まだ子供だから。彼には手を出させない。
紫輝に対し、廣伊の中には庇護欲があった。
同じ龍鬼だから、守りたい気持ちになるのか。可愛い部下だからなのか。千夜の友達だからか。
たぶん全部だ。
瀬来には、分別がありそうだから。幸直ほどの危機感はないが。
赤穂と一緒になって、紫輝に悪戯する気なら、看過できない。
しかし、瀬来は意外にも。キッと、一瞬怒りを見せ。それから考え直して、にっこり笑った。
「んー、友達に恋愛感情あるの? なんて言われて、ちょっとムッとしたけど。まぁ、高槻は知らないから仕方ないな、と思って。実は紫輝は、親戚の子によく似ていてね。友達、というより、弟とか、そういう家族的な親愛が強いかな? だから紫輝は、僕が全力で守る。そういう気持ちだよ」
「なら、いいです。紫輝はまだ幼くて、色恋には早いでしょう」
「…僕も、そう思うよ」
瀬来は廣伊に同意を示したが。
半目で、どうも投げやりな言い方だった。
瀬来がなぜこんな言い方をしたのか、廣伊は、この時点では。まだわからないのだった。
結局、道中、大人も無駄口は叩きまくり、という話だ。
★★★★★
本拠地には、昼過ぎには到着した。
一行は、門の前で解散し。
井上は医療棟へ、瀬来と幸直は幹部宿舎へ、そして廣伊は組長の宿舎に、それぞれ向かう。
二週間ほど寝食をともにしたが、別れ際は会釈だけのあっさりしたものだった。
廣伊は、己にあてがわれた部屋に戻り。荷解きをして、旅の汚れを軽く清拭して身支度をし。再び馬に乗って指令本部へと向かう。
指令本部は本拠地の中心部にある。
関東の平野に、将堂は本拠地を築いた。
広大な敷地を、木製の塀で囲ってある。
外周は、足に自信のある兵が、一日かけても走り切れないほどの距離だ。
敷地内は、外から中心へ向かって、一般兵、組長、大隊長、幹部の順で、宿舎が建てられている。
宿舎と言っても、幹部にもなると、ひとりに対し屋敷がもらえるのだが。
なので、中心部に近づくと、大きな屋敷がいくつも並ぶ、住宅街のような様相だった。
ただ。本拠地内部でも、右と左に分かれていて。内陸側が左軍幹部、海側が右軍幹部という住み分けがされている。
組の宿舎では、右と左の生活圏が、かなり離れていて。ほぼ邂逅はないのだが。
中心部は、円が小さいわけで。指令本部などに行くと、左の者とかち合うことも多く。
廣伊は苦手に思っていた。
左の者が龍鬼を見る、不躾な視線を無視しつつ。廣伊は、准将が使用する右軍指令室に入った。
中は会議室のように、机と椅子が並ぶが。
中央の大きな机の前で、赤穂は立っていた。
「赤穂様、この度は、いろいろご配慮いただき。ありがとうございました」
開口一番、廣伊は礼を言う。
赤穂の口添えがなかったら、側近の屋敷で療養などという話にはならなかっただろう。
「ん、望月は、どうだ?」
「一命を取り留め、療養中です。ですが、戦闘は無理なので。除隊申請を預かってきました」
口惜しかった。
あれほどの兵士を。
味方からの攻撃はないと、己が油断したばかりに、失った。
改めて口にすると、にがい思いが込み上げる。
たとえ恋仲でなくても、千夜という兵を失えば、悔恨に沈んだに違いない。
「そうか。おまえの子飼いも同然だったのだろう? 残念だな」
「子飼いじゃないよ。恋人だったんだよ」
えんじ色の軍服を身につける赤穂の後ろには、もう、同じえんじの軍服を着こむ、瀬来がいた。
そして余計なことを、告げ口する。
「違います。望月は…」
「高槻、早速だが報告してくれ」
今度はすかさず否定したのに。赤穂は聞いてくれなかった。
ええぇ? 瀬来がいるなら、己の報告は必要ないのでは? といぶかしみながら。話を蒸し返す空気でもなく…。小さく息を吸いこんで。廣伊は、今までの顛末を、赤穂に報告した。
二十二組組長の山本が、手裏軍に、第五大隊長の情報を漏らし。
山本が、第五大隊副長の富永他、数人を殺傷した。
動機は、自分が第五大隊長になりたかったから。
それにより、望月が負傷。療養のため瀬来の別荘にて今まで過ごしていた。そのような内容を。
振り返ってみると。あの一日は、怒涛の展開だった。
今、思い出しても。ため息が出る。
「まぁ、あらかた、堺の報告と違わないな。山本は、将堂の方で処罰したので。この話は以上だ」
第五大隊長の件は、将堂の中でも極秘事項。
それを手裏に漏らした兵を、野放しにはできない。
生かしておけば、他の情報を持って、手裏に逃げ込むかもしれないので。ま、そういうことだろう。
「今後の人事だが。まず高槻には、本来の第五大隊長の任に就いてもらう。瓦解した二十二組と二十四組の立て直しと組長選出、兵の補充。さらに副長の任命、などを二月までに行ってくれ。副長は、誰か目当ての者はあるか?」
赤穂に聞かれ。廣伊は、ひそりと眉を寄せる。
帰りの道中でも考えていたのだが。正直困っていた。
第五大隊に志願する上官は、ほぼいない。激戦部隊なのだ、いるだけで死が迫る。
上官まで地位を上げた者が、好き好んでくるわけがない。
だとすると、下から引き上げることになるが。
今回の件を含め、大隊の組長は、いまいちパッとしない。
山本は、とち狂って自滅し。
他の者たちは、様子見感が強く、覇気がない。
二十四組の者は、覇気はあるが、もう少し頭も欲しい。
頭といえば、一班班長の上条は、腕よし統率力よし頭もよしで、候補としては一番なのだが。
二十四組を立て直すために、まず、組長にしたかった。
第五大隊の中でも、二十四組は要だ。ひとりの采配で組を統率する力を持つ者を、当てたい。
あぁ、千夜がいてくれたら。
廣伊はどうしても、そう思ってしまう。
副長は大隊長の補佐的役割が強い。己の手足となり、背中を預けられ、己の意志を素早く汲む者。
千夜は、うってつけだったのだ。
しかし、千夜は。もう隣にいない。
次に、脳裏に浮かぶのは、紫輝だ。
しかし、紫輝は班長にしたばかり。
でも。同じ龍鬼であり、気心が知れていて、背中も預けられる。
思い切って、副長まで引き上げるか?
それとも組長に抜擢し、経験を積ませてからにするか?
「目当てがいないなら、間宮紫輝を引き上げてくれ」
今、考えていたことを、赤穂に言われ。廣伊は驚いた。
表情は動かないが。
「副長に、紫輝を? しかし紫輝は、班長になったばかりで…」
一度は考えたことながら、己も引っかかった部分の、赤穂の意見を聞きたかった。
「貴重な龍鬼を、戦場で食い潰したくないんだ。おまえもだぞ、高槻。俺はおまえには、普通に、第五大隊長をやってもらいたかった。だが、おまえがあの計画を立てて、実行していたんだ」
「大隊長が前線に出るなどと、誰も思わないでしょう。…つい最近までは」
「あぁ、そうだ。謀反がなければ、今も使える、いい計画だった。だが、最前線に高槻を常在させるのは、気が気でない。紫輝もだ。今回、紫輝は大技を二回撃ち、かなり消耗していたと堺から聞いている。俺は、早くあいつを手元に置きたい。異例でもいい。やれ」
候補のひとつだったから、やぶさかではないが。
とにかく紫輝は、経験と勤務期間が少ない。
未熟だと、古参から不満が出るかもしれない。
そのあたりを慎重に考えたい。
己のように、刺客に狙わせたくないしな。
「…少々、考える時間をください。あと休みください」
何食わぬ顔で、休みの話もぶち込んだ。
早く戻りたいのだから、時間が惜しい。
「やることやったらな。紫輝は十一月まで休む気か? おまえと入れ替わりで、ここに戻してくれ」
「わかりました。私は十一月いっぱいまで休みます。十二月から一月いっぱいまでは紫輝が休暇を。望月は、まだ。目が離せないので。紫輝と交代で看ることになっているので」
「長いな。まぁ、いいだろう」
戦闘のみならず、人事や、事務作業も、高槻は有能であると。赤穂は知っている。
ゆえに、第五大隊の立て直しを、赤穂は高槻に丸投げできるのだ。
その高槻が、本拠地にいない時期があるというのは、はっきり言って不安。
しかし高槻は、休みなく将堂に長く仕えてきた。
伴侶の看病では、ご褒美にはならないだろうが。
せめて快く、休暇を出してやらなければならないと、と赤穂は思っていた。
「では、仕事にかかります」
一礼して、廣伊は退室する。
また、三十分ほどかけて組長の宿舎まで戻らなければならない。
あ、大隊長に戻るから、部屋も移動しないと。
面倒くさい。
そうだ、新兵補充の申請を、本部にいるうちに出しておこう。
とりあえず、二十四組の組長は、上条か紫輝。
二十二組の組長はどうするかなぁ?
などと、頭をフル回転させて、廣伊は機械的に動いた。
そして組長の宿舎に戻ったときには日が暮れていた。
★★★★★
「高槻組長。組長が戻っていると聞いて、待っていたんですよ」
宿舎の前で、野際が待っていた。
一般の兵士は、今は、前線任務明けの休暇中で。家がある者は、帰宅しているはずだったのだが。
「野際、おまえは家族があるだろう? ずっと帰っていなかったのか?」
「いいえ、俺んちは関東にあるからよ。今日はちょっと寄ってみたんだ。千夜と紫輝が心配で、なんか情報ねぇかなぁって。そうしたら組長が戻ってるっていうんで、ついてると思って」
野際は、廣伊より少し年上だが。父親の貫禄があって、度量の大きさを感じる。
彼はおおらかに笑った。
「それで、千夜の容体は? 紫輝は?」
「あぁ、一命は取りとめたが。戦闘は、もう難しいので。除隊することになった」
「そうか。あれだけの傷だ。命があるだけ幸運なのだろうな」
そうだろうか。
廣伊は、千夜が死にたいと言ったとき、感情に任せて引き留めたことを、後悔していた。
あれで、良かったんだろうか。
千夜は確実に、死ぬよりもつらい人生を歩むことになる。
己は『生きていて良かった』と、彼に思わせることができるだろうか?
「紫輝は、千夜についている。十一月には戻る予定だ」
「うちは農家だから、千夜を雇うこともできる。なにかできることがあったら、相談してくれ、組長」
まだ、今の千夜の状態では、考えられないことだが。
そうして気に掛けてくれる人がいるというのが、千夜の人徳だ。
「あぁ。千夜に伝えておくよ。ところで、野際。紫輝に出世の話があるんだが、どう思う? 班長になりたてだし。まだ時期尚早かな?」
廣伊が意見を求めることが、かなり意外だったようで、野際は白い羽をワサッとさせた。
「出世というと、組長に? ってことは、組長は大隊長に?」
「いや、人事は、まだ決まっていない。内々の話だ。他言無用にな」
大きな手で、野際は口を隠す。
おっさんなのに、仕草が可愛いな。
「紫輝の出世は、良いと思いますよ。今回の件は、紫輝のお手柄だし。文句を言う者はいないんじゃないかな? あぁ、でも。紫輝は隊列を動かしたことがないから、しっかりした補佐をつけてあげてください。ま、そこら辺、組長は抜かりないでしょうけどぉ…」
野際の意見に、廣伊はうなずく。
そうか。確かに、今回の件は紫輝の手柄。
紫輝が、手裏兵から作戦内容を聞き出さなければ。大きな死傷者を出した上、手裏の猛攻にあったという表側しか見えずに。真相は有耶無耶になっていた可能性もある。
「なるほど、参考になった。野際、くれぐれも内密にな」
「了解。では、俺は休暇の続きに戻ります」
心なしか、羽がウキウキと跳ねている、野際の後ろ姿を見送った。
野際は、紫輝を息子のように可愛がっているから。彼の出世が嬉しいのだろう。
まだ保留ではあるが。どうしたらいいものか。
★★★★★
取り急ぎ、しなければならない事項を消化し。仕事のほとんどは、休暇明けに持ち越すことにしたのだが。
それでも三日では足らず。
四季村に戻れたのは、五日後の夜のことだった。
害獣や夜盗を避けるための村の門を通り、人通りのなくなった道を抜け。馬を引いて、高台にある屋敷に向かう。
敷地内に入ると、物凄く大きい、堺よりも背の高い男が、廣伊に会釈した。
これほど立派な体格の男が、軍に所属していないなんて…と。廣伊は勧誘したい欲求にかられたが。
兵役は任意だし。
剣技の才能や、体力や、臨機応変に対処できる頭脳などが必要だ。
体格に恵まれていても、向き不向きはあるので、その欲求はのみ込んだ。
「屋敷の使用人の、橘と申します。馬を預かります。望月様は、部屋でお待ちです」
廣伊が、紫輝とともに千夜の面倒を看ることは、使用人に周知されているらしい。
世話になるのだからと、廣伊も挨拶を返す。
「高槻廣伊です。以後、よろしくお願いします」
馬の手綱を渡し、廣伊は屋敷に入った。
軍靴を脱いで、廊下を進むが。
家の中は、灯りが落とされており、人の気配も感じられない。
紫輝が、千夜とともにいるはずなのだが。
夕食を済ませて、もう休んでいるのだろうか?
そう思うぐらい、家の中がシンと静まり返っていた。
「千夜? どこにいる?」
廣伊は屋敷を出る前、千夜が使用していた部屋を開ける。
しかし、その部屋も明かりはついてない。誰もいない。
千夜はたびたび、熱を出して寝込んでいたから。ここにいると思ったのに。
中は、充分な広さのある、板張りの部屋だ。
障子が開いていて、その外側にはガラス窓。
ガラスは、かなりの高級品である。ここが裕福な屋敷なのだと証明していた。
寝台の横に、井上から貰った薬や着替えなどが入った、小荷物がある。
つまり、ひとりで出て行ったとか、そういうことではなさそうなのだが。
そう思った矢先。
廣伊は、本能的に剣の柄に手をやった。
しかし、握った手を開く。
背中から、抱き締められた。千夜の気配だ。
「どうした? 俺に後ろを取られるなんて…油断しすぎだぞ」
消毒の匂いがしなかった。
こうして、不意を突いて、廣伊を驚かせようと思うくらいには元気そうで。良かった。
出かける前は、血の気を失った青い顔で。
もう少し、彼を看ていたいと思ったくらいだった。
大丈夫だと、彼が言うから。予定通り出立したが。
でも、もしかしたら。もう耐えられなくて。
廣伊を殺して千夜も死のうとしているのかもしれないな、とも思う。
気力を振り絞って、今、全力で殺しにかかっているのかも。
そう思ったから。廣伊は柄に掛けた手を離したのだ。
「私は、おまえに生きることを強いた。でも。私はどんな状況だろうと、おまえの命を手放せない。だから、おまえが死にたいなら、私を殺すしかないんだ」
背後から、廣伊の頭に頬擦りする感触。
まだ、己を愛おしいと思ってくれるのか? 自分勝手で、愛する者に苦痛を与え続ける、己を。
「私を殺してでも死にたいと思うなら、私はおまえの刃を受ける。死よりも、つらいことを強いた自覚はあるからな」
「そんなの、つまらねぇよ。俺はあんたとやり合うの、好きだぜ」
「…しかし」
眉間にしわを寄せる難しい顔つきで、苦しそうに話す廣伊を。
千夜は小さく笑った。
「ふふ、鬼の組長が、らしくねぇな。つか…まだ気づかねぇの?」
千夜は右手の指で、廣伊の顎をちょいちょいとくすぐり。
左の手は、胸の辺りをまさぐっている。
んん?
「え、おま…うで…?」
体の前にある、ふたつの手を、廣伊は掴んで。
その事実が脳みそに到達するのに、かなり時間がかかった。
え? 千夜だと思っていたのに、千夜じゃないのか?
そうして、廣伊はようやく、背後を見やる。
「かっ…かみっ、も?」
後ろにいる男は、千夜で間違いない。間違いないのだが。
あのライオンのたてがみのごとく、たっぷりとしていた瑠璃色の髪が、バッサリ切られていた。
刈り上げに近い、指関節ほどの長さ。前髪は、眉の上あたりまではあるが。
千夜の特徴だった横髪のピンは、かろうじて二本バツ印でつけている。
「ハハ、驚きすぎだろ。でも、目んめ真ん丸で、可愛い」
千夜は廣伊と向き合うと、両手で頬を包み、キスした。
くちづけを受け。
これは、夢を見ているのではないか? と廣伊は思う。
だって、欠損した腕は、おそらく戦場だ。
なのに彼は、なんの支障もなく、腕を動かしている。
頬を包む指先も、体温があたたかい。
痛みにしかめていた、険しい顔も。今は、穏やかに微笑んで。廣伊とのくちづけを堪能しているようだった。
夢なら、このまま没頭してしまいたいけれど…。
己の頭の中にある冷静な部分が、そんなわけないだろうとツッコむ。
「せ、千夜? おまえは、本当に、あの千夜か?」
「…さぁな。どう思う? 俺は、廣伊が知っている俺とは、別人かもしれねぇ。腕があるのが、気持ち悪いか?」
「そんなわけないっ。嬉しいに決まっている。い、痛くはないか?」
「あぁ。もう痛くねぇ」
その証とばかりに、千夜は廣伊を、正面から力いっぱい抱き締めて。濃厚なキスをする。
廣伊も千夜に身を任せ、荒々しくうごめく彼の舌に舌を絡めた。
本物だ。明るくて、豪胆で、ちょっと意地悪な。怪我をする前の千夜が、帰ってきた。
己の腕の中に。
「あぁ、廣伊。あんたをこの手で抱きたいと、ずっと思っていた。あの日から、ずっと…」
「あの日?」
「決まってんだろ? 私を置いて死ぬなと、あんたが泣きながら俺に言った日だよ」
背中を、爪を立てるかのようにかき抱く。その力強さが、頼もしく、喜ばしい。
「廣伊、抱かせろよ」
直接的な言葉、だが、せつなげな声で言うから。
廣伊の胸が、ドキンと高鳴る。
「あんたを、めいっぱい善がらせたい。なぁ、俺にあんたをくれよ。あんたの全部を、俺に」
「…私を愛してくれるのか?」
「それは、標準装備だ。もっと。もっと欲しがれ。もっと求めろ。そうしたら、俺も全部、あんたにやる。あんたの望みを叶える。あんたが死ぬまで、ずっとな」
優しく目を細めて、千夜は言う。
でも、そうして合わせた唇は、情熱的に廣伊の口腔をかき乱した。
千夜は廣伊の顔の角度を変えながら、何度も何度もくちづける。
そして、もつれるように、寝台に移動しながら廣伊の衣服を剥いでいく。
龍鬼であることを隠すためのマントも、緑色の軍服も、柔らかい肌を守る防具も。
すべて、千夜の手が、器用に取り払っていった。
今日は、すべてを与えたい。
そう廣伊は思った。
千夜の望むままに。千夜が求めるままに。
ふたりで、寝台の上に座り込むと。腕の感触を噛み締めているかのように、千夜は廣伊に触れた。
緑の髪を、頭頂部から肩口まで指先で撫で。
頬の柔らかさを、親指で確かめ。
キスで濡れた唇を、中指で拭う。
なにもかも、廣伊は気持ちが良かった。
彼が触れる場所が、ジンと痺れて。頭の後ろが、ぞわぞわして。なにより、彼が苦痛を感じていないことが、嬉しくて。廣伊の体も、素直に快楽を受け入れられるのだ。
「夢みたいだな。こうして、また、あんたを抱けるなんて」
それは、こちらの台詞だ。
夢なら覚めないで。ベタな言葉だが。本気でそう思う。
廣伊は、千夜の甚平に手をかけ、脱がしていった。
もしや、痛々しい傷跡があるのではないかと、少し身構えるが。
千夜の体は、今まで戦闘で受けた傷以外は、なにもなかった。
見事な腹筋は、とても病後には見えない。
あんまり、以前と同じなので。触れたら消えてしまいそうで、怖かった。
それでも。下衣を脱がせば。隆々とみなぎる剛直が、目の前に現れ。
今、千夜が、己に欲情しているのを感じて、嬉しくなる。
ここに、千夜はいるのだ。
自然、廣伊は剛直に口を寄せた。
「おい…ん」
廣伊が先端を口に含んだとき、千夜が息をのんで。その声が色っぽくて。廣伊も燃えた。
「疾風迅雷だな、高槻組長。ふふ、この攻撃は、回避、できねぇ…」
突端を唇ではさんで吸いつくと、千夜が艶めいた吐息交じりに言う。
もっと、千夜を味わいたい。
そして感じてほしい。
廣伊は両の手で剛直を支え持ち、根元から先端に向かって舌を這わせる。
「んっ、無理はするなよ」
「私直々に、部下を可愛がってんだ。おとなしく感じてろ」
鈴口に舌先を入れ、丹念に舐め上げて。湧き上がる先走りを吸い上げた。
再び根元に戻って、浮き上がる筋に舌を這わせる。
千夜は、廣伊の髪に指を差し入れた。
「くわえろよ、組長」
彼に命令されると、反発したいような、従いたいような、複雑な気持ちになる。
でも、おおよそ廣伊は、千夜には従順だ。
唇を開き、先端を口の中に含む。
千夜は廣伊の頭をゆっくり動かして、上顎に己の突端を擦りつけた。
「ふ、ん、ん…ん」
鼻で息をしながら、廣伊は千夜の誘導するまま、剛直を愛撫した。
気持ち良い? 感じているか?
確認するように、上目で千夜の様子をうかがう。
短髪の千夜は、悪い男の顔でニヤリと笑い。舌なめずりした。
それを見て、廣伊は。屹立がギュンと跳ねるのを感じた。
思わず、口から剛直を出して、そのモノにすがりついてしまう。
「ふ、ぁ…ほ、本当に、おまえ、千夜なのか? 色気ヤバすぎだろ」
「それは、あんたが確かめるんだ。ここに、俺のを入れて」
千夜の股間に顔を埋めている廣伊は、膝立ちで。自然、臀部を持ち上げていた。
その双丘に隠された蕾に、千夜は指を差し入れ、慎ましい蕾を開いていくが。
とても、一度失われたものとは思えない、繊細な動きだ。
それに、指の動きがなめらかで、違和感があまりない。
「なんか、ヌルヌルしていないか?」
「あんたが出したっていう、巨大アロエから抽出した液体だってよ。傷の手当用に、井上がくれた。でも、こういう用途にも使えるって…」
「い、井上が、そんなこと言ったのか?」
「いや。それは別の人」
井上は医者だから、そういうことにも寛容かもしれないが。
とりあえず、知っている者に、情事のことを連想されたくないので。ホッとした。
でも、だったら。いったい誰が、そんなことを千夜に吹き込んだのか?
というより。ヌメヌメのせいで、千夜の指が、存分に廣伊の蕾をほぐしてしまい。
あえぎが口から漏れるほど、高められてしまった。
「あ、あ…せ、千夜。もう、そこは…」
「そうか。じゃあ、俺が、廣伊の知る俺か、試してみろよ」
千夜は廣伊の脇に手を差し入れると、引き上げて己の足の上に座らせた。
自ら、受け入れろということか。
廣伊は千夜をまたいで、敷布の上で膝立ちになると、後ろ手に剛直を支え、蕾に先端をあてがう。
ゆっくり腰を下ろしていった。
千夜も臀部を手で掴んで、廣伊に協力する。
少しずつ、千夜が中に入ってくる。ジンとする後孔が、物欲しそうに剛直を締めつけるのが、恥ずかしい。
「あぁ、いいぜ。廣伊。もっと、中に…」
気持ち良さそうな千夜の声に、力づけられ。羞恥をこらえて剛直を挿入していく。
最後の方は腰に力が入らなくなって、重力任せで、ズプンと彼をのみ込んでしまった。
「あ、あぁっ…はい、ちゃった」
「可愛い、廣伊」
すべてをおさめたご褒美に、千夜が廣伊のこめかみにキスをする。
労わるように、耳の際や、鼻の頭を、唇でついばむ。
「どう? 前の俺と、違うか?」
「いっしょ…奥まで、届いて…」
「本当に? よく味わって。太さとか長さとか、熱さとか。前より大きくないか?」
意味深に問われるが。
味わえと言われても、どうしたらいいのかわからず。廣伊は口を引き結ぶ。
太さ、と考えると。後ろが無意識に締めつけてしまい。
恥ずかしくて、顔が熱くなり。
体も熱くなり。そうしたら千夜のモノが体の中にあると思うだけで、淫らな感覚が湧き上がってくる。
「わ、わかん、な…大きいから、わかんな…あっ、あ、あ…ん」
廣伊が一生懸命言っている最中に、千夜が下から突き上げてきた。
廣伊は千夜の首に腕を回して、彼の横暴に耐え忍ぶ。
アロエのせいで濡れているからか、いつもよりぐちゅぐちゅとした、いやらしい音が、部屋に響いていた。
「中で俺のを感じて、感想言うとか…どんだけエロ可愛いんだ」
「だって、千夜が…あ、ん…んんっ」
聞いたから、答えたのに。それで盛るとか、わけわかんない。
だが廣伊の文句を、千夜は口で食べてしまった。
彼の犬歯に舌を甘く噛まれると、体全体が痺れるみたいになる。
息継ぎで口を開けると、吐息まで食べられて。
苦しくて、気持ち良くて、のぼせた。
「ん、ん、んっ…ふ、ん、ぁ」
たくましい腰つきでズンズン突き上げられ、振動の度に、淫らなあえぎが鼻から漏れる。
とろりとした濃厚な悦楽に、身悶えた。
だが千夜は、一方の手を頭に、一方の手を腰に、廣伊を支えているから。身をくねらせても、決して快楽からは逃れられない。
快感は、淫猥な上下動で無尽蔵に生み出され。そうしてふたりで、高みへと昇っていく。
「ん、せ、千夜ぁ、いい? 気持ち良い? 痛くない?」
「あぁ、最高だ。いいに、決まってんだろ。廣伊が俺を愛してくれる。俺も廣伊を愛してる」
うっとりと、廣伊は緑の瞳を潤ませた。
なんて、幸せだろう。
龍鬼の己を愛してくれる者なんか、この世に存在しないと思っていたのに。
たった、ひとりでいい。誰かに愛されたい。
決して叶うことはないと思っていた、願いだったのだ。
自分は生まれ落ちたときから、蔑まれて生きてきたのだから。期待などしない。
夢を見れば、傷つくだけだ。
だから、目を塞いでいた。己の望みから。願いから。
だけど。千夜が。
好きな人が、こんな自分を愛してくれるなんて…。
感極まって、廣伊は千夜にくちづけた。
その瞬間、ふたりは同時に達した。身も心も愛に満たされた睦み合いに、笑みがこぼれる。
「好き。私も千夜を愛している」
絶頂に、体を震わせながら、廣伊は告げる。
すごく幸せなのに。なんでか涙が出た。悲しくないのに。なんで?
「ふふ、笑いながら、泣くなんて。廣伊の初めての表情、また貰っちゃったな」
「か、悲しくも、痛くもない。これは、間違いだから…」
廣伊は慌ててしまった。
不快だとか、そんなふうに思っていないのに。千夜にそう思われたくなくて。
そうしたら千夜も。笑いながら、涙をこぼした。
「いいんだよ。間違いじゃないんだよ、廣伊。嬉しすぎても、幸せすぎても、涙が出るんだ。俺も…こんなの、初めてだけどな」
間違いじゃない。そう言われて、廣伊は安堵した。
感情で泣いたのは、これで二回目。
泣くって、奥が深いな。
「なぁ、廣伊。すっごく良い雰囲気なのに、申し訳ないんだが…」
千夜の手で、廣伊は寝台の上にあおむけに押し倒された。
まだ千夜が入っている状態で。
「とても、一回じゃ…な? わかるよな?」
廣伊の中の千夜は、存在感をさらに増しているようで。達したはずだが、全然萎えてなかった。
でも、その気持ちはわかる。
ずっと、苦しかった。
闇が続いた、そんな中、明かりがさしたのだから。
愛を取り戻したのだから。
もっと、ずっと、抱き合っていたい。廣伊も、千夜をもっと愛したかった。
「うん。千夜の思うままに…」
「…マジで?」
なんだか、千夜の目がギラリとした。これは…早まったかな?
千夜は両の手で、廣伊の二の腕を掴んで寝台にはりつけにし、乳首を口に含んだ。
廣伊はそこが弱い。
というか、千夜のせいですごく弱くなった。でも千夜が力強くて逃れられない。
「そこは、や…千夜、しないで、や、ぁ」
乳頭を起こすように千夜の舌先がつついて。芯が通ってツンと立ったところを、舐め濡らされる。
胸からジンジンとした疼きが、体中に広がって。達したばかりの屹立までも、熱を持ち始める。
「や、やだ…ん、千夜、ぁ、や、なの…にぃ」
「嫌だけど、好きだろ? おっぱいだけでイかせてやろうか?」
桃色の乳首に、執拗に舌を這わせながら、千夜がいやらしい言葉で辱める。
「や。そんなの…千夜のが、いい」
「思うままにしていいんだろ? 一回だけ、ここでイってみせろよ」
ここ、と言ったとき、舌先で乳輪の上をくるくると舌先でたどられた。
その場所が、視覚と触覚で強調されて。
ここでイかされるのだと、意識づけさせられた。
それだけで乳首が鋭敏になる。
「ひ…ん…千夜ぁ、あ、だ、めぇ」
優しく円を描く舌先は、長く廣伊をせめ続け。
唾液を突起にまとわせて弾いた。
そんな些細な刺激でも、廣伊は背を反らすほどに感じてしまう。
千夜は廣伊の様子を、満足そうに見やり、反対側の乳首に移動した。
犬歯で軽く引っ掻かれて、痛痒い感覚が、廣伊を未知の快楽に導く。
優しい刺激のあとに、鮮烈な悦楽が襲う。
「い、ぁ…んっ、やぁ…ん、んんっ」
「痛いの、ちょっと好き? こっちは?」
さんざん舐め濡らした方の乳首も、軽く噛まれて。舌で舐めてあやして、また噛んで。
何度も繰り返すうちに、噛まれたときに、先走りが屹立の先から漏れるようになってしまう。
「ん、んんっ、出る…また、あ、出る…いや、ぁ」
「すごい、中もびくびくしてる。マジで、乳首だけでイけそうだな」
赤く、ぷっくり腫れ上がるほどに、乳首をいじられて。廣伊はタガが外れてしまった。
「せんや、して…もっと、強く擦って、イかせて。もう、イかせてぇ」
千夜は廣伊の痴態に興奮し、乳首をくちゅくちゅと音を鳴らすほどに吸い上げながら、腰も激しく揺らした。
廣伊の腕から手を離し。廣伊の腰を鷲掴みしてガツガツと貪る。
廣伊は千夜の頭を抱え込んで、惑乱するほどの官能に身を委ねた。
「あぁ…んっ」
極上の高揚感の中で、廣伊が二度目の精を解き放つ。
と同時に、千夜の瑠璃の羽が開いた。バサッと羽音をさせて小刻みにわななく。
「くっ…やべぇ。最高すぎる」
極めたあとの蠕動を、じっくり堪能した千夜は。慎重に廣伊の中から剛直を抜き出した。
大きく息をついて、寝台にあおむけに寝転がり。右手で廣伊の身を引き寄せて、髪にチュッチュッとキスを落とした。
「すごく良かったよ。廣伊は? 気持ち良かった?」
「ん。…良かった」
情交の余韻が色濃い廣伊は、なんだかまだ恥ずかしい。
いつも、情交後は運動したあとのような爽快さを感じるのだが。今日は千夜の方が、そのように見えた。
「…いつからだよ?」
整わない息をつきながら、千夜が聞いてくるが。
なにがいつなのか、わからず。廣伊は彼をみつめる。
「いつから、俺のこと好きだって思ってくれたんだ?」
千夜からすれば、己に都合良いように、廣伊を振り回していた。という印象だったのだ。
使命のために、命を狙い。
恋心を満たしたくて、抱き。
組長の腹心であると、誇示し。
愛する者を誰にも触れさせたくない独占欲のために、守る。
そこには、自分の欲望しかなく。
廣伊が己を好きになる要素などない、と思っていた。
だから、死なせてくれと頼んだとき。廣伊があれほどまでに己を引き留めてくれるとは、思わず。
内心では驚いていた。
こんな身勝手な男のために、泣くことない。
自分で、そう思うほど。己の廣伊に対する態度はひどかった。
だから、純粋に疑問なのだ。
廣伊がいつから、己に心を傾けてくれていたのか、が。
ガラス玉のように、表情を見せない廣伊の緑の瞳が。じわりと揺れて。
眉間が少し寄った。
「…余計なことすんじゃねぇ、って言われたとき?」
千夜は開いた口がふさがらなかった。
それって、一番初めのやつ!
「はぁ?」
あんまり予想外の返答に、千夜はキレ気味で問い返す。
千夜の腕を枕にして、廣伊は懸命に言い募った。
「あの頃はもう、私に怒るような命知らずな奴はいなかったんだ。さ、最初は、気に食わないって思ってたと、思うんだが。でも、戦場でちょっと会っただけの奴、気に食わないって理由だけで、名前調べたりしない…っていうか…」
廣伊は廣伊で、己の気持ちにずっと向き合わずにきたのだ。
だって、龍鬼なのだ。
恋をしたって、受け入れてもらえるわけもない。
相手が迷惑するような気持ちを、好きになった相手に押しつけられない。
だから、己は恋などしない。恋をしない生き物なのだと、思い込むことで、己の心も守っていた。
好きな相手に嫌われたら、傷ついてしまうから。
そして、傷つくのはほぼ決定事項なのだから。
だけど。千夜が死ぬと言ったとき。嫌だと思った。
単純に、受け入れられなかった。
いらないなら、千夜の命は私が貰う。私は千夜が欲しいのだ。
どんなに痛くても苦しくても、涙など出なかったのに。泣くほどに。
欲しいものを欲しいと、言ったこともなかったのに。無様にしがみついて、これが欲しいと叫ぶほどに。
千夜を愛していた。愛してしまった。
いつの間にか。いや。最初から。
「いやいや、待て待て。あんた、好きな相手に、あのしごきはねぇだろ?」
千夜が初めて二十四組に入ったとき。廣伊は千夜を完膚なきまでに叩きのめした。
しばらく立ち上がれないほどに。
初日以外にも、何度も。思い出しただけで、吐き気を催すほどのしごきだ。
だが廣伊的には、当然のことだ。だって。
「しごかないと、戦場で生き残れないだろ?」
きょとんとした顔で。強くするのは当たり前だよね、という澄んだ瞳でみつめられ。
千夜はため息をつく。
「はいはい、俺はよわよわのよわだからな」
腕に自信はあったが、二十四組の中に入れば、中の上。
廣伊から見れば、千夜はまだまだ未熟者だった。
今でも勝てないんだから、仕方がない。と、千夜は苦虫を噛み締める。
「それにしごいている間は、おまえを見ていられるし」
ギュンと、きた。
いつも冷静沈着の鬼組長が、急に可愛いことを言うとか…温度差で燃えるわっ。
「おまえは? 千夜はいつからだ?」
千夜も、自分は好かれないと思っていたが。
廣伊も、千夜が自分を好きになることなどないと思っていたのだ。
単純に、龍鬼だからという理由で。
容姿も性格も強さも、いっさい好意に直結しない、龍鬼とはそういうものだった。今までは。
「…最初からだ」
横を向いて、にょごにょご、口先で言うから。
よく聞こえなくて。
廣伊は千夜の胸に乗り上げた。
「だから。戦場で、緑の可愛い子が龍鬼の前に出てくるからっ。俺が、守らなきゃって…それに、わかるだろ? 好きでもない相手、しかも龍鬼を、抱けるわけないだろ?」
「しかし、あれは契約だった。契約なら、千夜は抱けるのかと…」
「契約だからって…勃つわけねぇ。好きだから、抱いた。決まってんだろ」
見合わせた、ふたりの顔は。真っ赤で。
どちらからともなく、ふたりはそっぽを向いた。
「ばっかみてぇ。俺ら、互いに一目惚れだったのに、七年も核心に触れられなかったなんて…臆病すぎだ」
千夜は廣伊の鼻を、腕枕している手でコショとくすぐった。
その仕草に、愛情を感じて。廣伊は指先にキスした。
剣を握る指先は、皮膚が硬くなっていて。己の手のひらよりも、ひと回り大きくて。温かくて。
千夜の腕だと思った。
「この腕、本物の千夜の腕だな」
「…わかるのか?」
廣伊は千夜の手を握って、顔を赤くする。
それから体を反転して、千夜を恨みがましい目で見た。
「どれだけ、この手に触られたと思ってんだ? 馬鹿」
感触もそうだが、ふとしたときの力加減とか、体温とか、まるで変っていない。
でも、そんなことがわかるほどに、彼と体を合わせてきたのかと思うと、恥ずかしくなる。
柔らかい頬を色づかせ、瞳をおどおどと揺らす廣伊を見て。千夜は照れているのだなと思った。
廣伊、可愛い。
「継ぎ目もないな。どうしてこうなったんだ?」
廣伊はうつ伏せになって、千夜の肩口や二の腕をまじまじと見てみた。
「わからねぇ。ただ、治してもらったとしか、言えねぇ」
千夜には見えないようだが、廣伊には見える。
目を凝らせば、ほんのりと光る、紫色。
「これからだけど…俺は隠密になることになった。今、再訓練中だ」
「隠密? それで、この仕上がりか」
彼の腹筋を、廣伊は手のひらでたどる。
とても病み上がりには思えない、むしろ以前より引き締まった体になっているかもしれない。そう思わせる、立派でしなやかな筋肉だ。
そういえば、この部屋に入った直後も。千夜の気配に気づくのが、いつもより遅れた。
己がいない間に、相当鍛錬したのだろうと察せられる。
「だが。腕が治ったなら、将堂に戻ることも…」
「できないよ。俺が腕を失ったことは、多くの者が知っているんだろう? 腕をはやして戻ったら、化け物扱いだ」
そうかもしれないが。千夜が戻ったら。己の隣に、また立ってくれたら。
廣伊も安心できるし。心強い。
でも、千夜の言い分ももっともだ。
二の句が継げず、廣伊は唇を噛む。
「俺は、化け物になったのかもしれねぇ。だから、廣伊が、本当にあの千夜か? と聞いたとき。即答できなかった。俺はもう、あんたの知る俺じゃないのかもしれないと思って」
そんなことない。千夜は千夜だと、わかってほしくて。廣伊は首を横に振る。
千夜はフと笑い、枕の腕で廣伊の肩を抱いた。
ギュッと体を引き寄せ、廣伊の頭に額を擦りつける。
「でも。この腕にあんたを抱ける、この幸せのためなら。俺は悪魔にだって忠誠を誓う。たとえ化け物になり果てても」
「おまえに、それほどの覚悟があるのなら。なにも言わない」
「聞かねぇの? いろいろ」
それはいずれ本人に聞く。
でも、今は。この腕に存分に抱かれていたいんだ。
何度も、何度も。
ただ微笑みを浮かべ、廣伊は千夜にくちづけた。
野暮な話は、窓の外に見える月が隠れてからだ。
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だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
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「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
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「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
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