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34 赤穂の心臓 ① ▲
◆赤穂の心臓
四季村は雪がしんしんと降り続き、とても静かだった。
天誠は、新年は手裏軍の方へ顔を見せなければならず、年越しはできないようだ。
でも、クリスマスはできるって。
十二月末までは四季村に滞在するというので、紫輝は、のんびり天誠との生活を楽しんでいる。
ツリーにする小さな木を、ふたりで山の中に探しに行った。雪の中を天誠と手をつないで、身を寄り添わせて。
木に積もった雪が落ちてきて、大騒ぎしたり、馬鹿みたいに笑ったり。
雪の上を歩いたライラの、ピンクの肉球が真っ赤になったから。交互に、手でこすって温めたり。
囲炉裏の前で腹を出して寝るライラを、ふたりでわしゃわしゃ撫で回したり。
囲炉裏で作る鍋を、みんなでつついたり。
ケーキの試作品を、すみれや橘たちと作ったけれど。パンケーキにしかならなくて。パンケーキパーティーでもいいんじゃねって、妥協したり。
ベッドで、一日激しく抱き合ったり。
ただ寄り添って、寝るだけだったり。
高校生のような、兄弟のような、恋人のような、充実した平和な日々。
そんな楽しい時間が、唐突に終わりを告げたのは。十二月十六日だった。
囲炉裏の前で、紫輝はみかんを食べている。
ライラは紫輝のそばで、お尻をくっつけて寝ていて。
天誠は胡坐をかく紫輝の、膝枕。というか、足を枕にして横になっている。
浴衣に丹前という、旅館でのんびり、リラックススタイルを満喫していた中。引き戸を叩く音が、部屋に響いた。
家族の時間を邪魔するなと、天誠に言いつけられているので。みんな、よっぽどのことがないと居間には入ってこないのだが。その、ガンガン鳴るせわしないノック音が、嫌な予感をかき立てた。
「安曇様、申し訳ありません。将堂軍側近の隠密から、紫輝様へ、火急の知らせが入りました」
天誠は身を起こし、大和の入室を許す。
居間の引き戸を開けた大和は、頭を下げたまま報告した。
「赤穂様が、手裏基成に矢を射掛けられ、重傷とのこと。河口湖の屋敷で療養しているので、至急、紫輝様にお出で願いたいと」
その言葉を。紫輝は、瞬時に受け入れられず。ただ、口を開けて驚くしかなかった。
その間に天誠は問う。
「本物か?」
「はい。望月が怪我をした折に、屋敷で、その隠密を見ました」
「紫輝…」
放心する紫輝を労わり、天誠は肩を撫でた。
そのとき無意識に、紫輝は天誠の手を払ってしまった。
「どうなってんの? 天誠。なんで手裏基成が赤穂を…俺の父親を…」
紫輝に手を払われ、目を丸くする天誠を、紫輝は見て。
弟を拒絶したことを、今更ながら気づき。
己のしでかした失態に、最大級のショックを受けた。
「ごめん、天誠」
払った彼の手を、慌てて握り込み。撫でながら、紫輝は額を擦りつけて謝る。
赤穂が重傷という知らせに、心臓が撃ち抜かれたような衝撃を受けたのだけれど。
そんなの、言い訳にならない。
紫輝は決して、弟を拒絶してはいけなかった。
ひとり、闇の中を生きてきた弟を。自分だけは…。
目の前が真っ暗になり、涙が出た。
「違う。天誠…違うんだ…」
「大丈夫、わかっている」
天誠は、ただ紫輝を抱き締めてくれた。
言い訳したい。
でも、涙がボロボロ出てくる。
泣きたいのは、天誠の方じゃん。こういうところ、駄目なんだ。と自分の情けなさを嫌悪した。
「びっくりしたよな? 手裏基成が…俺が、赤穂を討ったと思ったのか?」
「お、思って、ない。だって、天誠は、ずっと俺と、一緒だったじゃないか」
「そうだ。俺は赤穂を討てない。紫輝もちゃんとわかっている。冷静に、落ち着いて行動すれば、大丈夫だから」
紫輝の背中を、天誠は優しく撫でてくれる。
眞仲のときのように、たくましく分厚い胸に、紫輝をすっぽりと抱っこして慰めて。頭のてっぺんに、柔らかくキスして。
紫輝の駄目なところも、許して、包み込んでくれる。
許してくれた。浅はかな兄を。
安堵して、紫輝は天誠の、親鳥が卵を抱えるような、温かく安全な抱擁の中で。ホッと息をつく。
「俺にも、なんでこうなったのかわからない。とりあえず、紫輝は赤穂の元へ向かえ。大和は屋敷の道のりを知っているな? 紫輝の…ミロも連れて、馬で移動しろ。紫輝には望月をつける」
「はい。行きます」
大和はさっそく行動し、入れ替わりで、千夜が部屋に現れた。
「望月は、紫輝とともにライラで移動だ。大和が到着するまで、紫輝を確実に守れ。…ライラ、お仕事だ」
紫輝が振り返ると、囲炉裏の前で溶けていた猫が、しゃっきりして、お座りしている。
ぐずぐずしているのは、紫輝だけだった。
ダメダメである。
天誠は、紫輝の手を引っ張って寝室に向かうと。紫輝を軍服に着替えさせ、さらに毛皮やコートや手袋をいろいろ着つけていった。
「俺も前線に戻って、情報を仕入れる。なにかわかったら、ライラを通して教えるから。紫輝、大丈夫か?」
まだ、脳みそが回転していない。
でも、紫輝は首を縦に振った。
「駄目だ。天誠はここにいてくれ。きっと、たいしたことないよ。俺、すぐに戻ってくる。そしてクリスマスを、天誠とするんだ。一度帰ったら、冬の間、もう会えなくなるかもしれないじゃん?」
天誠は、紫輝の頭にフードをかぶせて、ひもできゅっと結ぶ。
寒さから守るように、ライラの風圧に飛ばされないように。
「紫輝。間違えだ。俺が帰る場所は、ここだ。紫輝のところだよ」
きゅっと、胸の真ん中を、天誠が指で押す。
なにかのスイッチみたいに、紫輝の中のなにかが、きゅんと音を立てた。
「それに、もう会えないも、間違い。何度だって、紫輝に会いに来る。俺が会いたいんだ」
こくこくうなずいて、紫輝は天誠としばしのお別れをする。
「紫輝。赤穂の具合がどうなのかわからないが。なるべく、あの技は使うな。あれは、紫輝の命を縮める。俺のいないところで使ってほしくない」
「わかった」
天誠は軽く、紫輝の頬と目元にキスし。紫輝を送り出した。
玄関から外に出ると、薄曇りだが、雪は降っていない。
黒マントを着る千夜と、白い雪に同化するライラが、紫輝を待っていた。
「すぐ、帰ってくるね。待ってて、天誠」
手を振る天誠に言って、紫輝はライラに乗り込む。
今回、千夜は。後ろに乗って、紫輝を護る体勢になった。
そしてすぐさま、ライラは飛ぶように走っていった。あっという間に、天誠も、村も遠くなって見えなくなる。
先行していた馬を引き連れた大和も、間もなく追い抜いてしまう。
「相変わらず、はえぇな、お嬢」
「がんばれ、せんにゃ、がんばれ、せんにゃ…」
「お、これが例の応援歌か? もう応援しなくてもいいんだが…」
ライラと千夜のやり取りも、本来なら微笑ましいものなのだが。
紫輝は赤穂のことが心配で、うなずくくらいしかできなかった。
そうして一時間後。
あの、河口湖の月光の屋敷に到着した。
千夜が苦しんだ場所だから、つらい記憶が多いが。
まだひと月前の出来事だというのに、なにやら懐かしく感じてしまう。
冬の河口湖は、雪化粧をした富士山が美しく。奥多摩の村よりも、少しだけ日が差しているから、山の緑と雪の白と湖の青のコントラストが輝いている。
屋敷に入る前に、紫輝はマントを脱いで、ライラを剣に戻し。鞘におさめる。
千夜は陰に隠れようとしていた。
「紫輝様」
そこで、紫輝は。月光の隠密に名を呼ばれる。
月光の隠密は、紫輝が主の息子だと知っているので、やはり様づけで呼ばれてしまうのだ。
「今、金蓮様と医者の井上が訪問中です。紫輝様と金蓮様を会わせないよう、瀬来様から言いつかっております」
「赤穂…様は、どんな様子ですか?」
「こちらへ。隠し部屋があります」
会わせないよう言われている隠密だが、屋敷に紫輝を案内する。
瀬来家は、隠密を使って情報を集め。緻密な計画、作戦を立てることで、軍に貢献している。
そのような家だから、屋敷の中に、隠し部屋がいくつもあるらしい。
千夜の療養中、紫輝は全く気づかなかったが。
裏口からそっと入っていったら、千夜が、紫輝の手に持っていたマントを奪い。自分のマントも脱いだ。
それを部屋の隅に放った千夜に、いきなりお姫様抱っこされてしまう。
紫輝は驚いて、声を出しそうになったが。千夜に睨まれ、慌てて口を手でおさえた。
「驚いても、絶対に声を出すなよ」
耳元で囁かれ、紫輝は口をおさえたまま、こくこくうなずく。
廊下を進む千夜は、紫輝を抱いているのに、足音が全くしない。
これが隠密の技なのだな、と思っていたら。案内の隠密さんが消えた。
あれ、と紫輝が首を傾げたとき、千夜が壁の中へ入った。
えっ。
部屋と部屋の間に、数十センチの隙間がある。そこを通るのだ。
わっ、マジ忍者屋敷。
何度か角を折れ曲がり、今、どこにいるのか、紫輝は全くわからないのだが。先を行く隠密さんが止まり。声が聞こえてきた。
「赤穂が死んだら、亡骸は、おまえが人知れず処分しろ」
金蓮の声だ。なんて冷たい言葉。
紫輝は信じられなくて、耳を疑う。
弟に、そんな言葉をかけるなんて、考えられない。
「決して、誰にも、赤穂が死んだことを気づかれてはならない。これは赤穂のためでもある。名もなき手裏兵の矢に当たって死んだなど、公表されたくはなかろう? 離縁したとはいえ、曲がりなりにも元夫だ。赤穂の名誉を守るために動くくらいの情は、持ち合わせているだろうな?」
中の様子は見えないので、金蓮が誰に向かって言っているのか、どんな表情をしているのか、紫輝にはわからない。
離縁したと言うのだから、相手は月光だと思うが。
曲がりなりにもって、なに?
名誉を守るための情? 赤穂と月光の愛の形をまるで知らない物言いに、胃がカッと燃えるように熱くなった。
怒りだ。
「名もなき兵ではない、赤穂は手裏基成の放った矢で…。それに、赤穂は。将堂家の次男ですよ。それを、人知れず処分などと…このような扱い…」
「手裏基成に会ったことも、誰にも言えぬ事態だということだ。それにもう、赤穂は将堂家の次男ではない。すでに身代わりを立てている。将堂家の次男は、別の者になった」
は? どういう意味?
身代わりって、なに?
っていうか、むかつきがピークで、息苦しい。
鼻息が荒くなる紫輝を、千夜がギュッと抱き締めてくれる。大丈夫。我慢する。我慢、するから。
「父も夫も子も失って、瀬来、おまえは可哀想なやつだ。心から同情するよ。だから、夫の亡骸くらいは、くれてやると言っているのだ。手厚く葬ってやるがよい」
金蓮が立ち上がり、部屋を出て行く気配がした。
紫輝は唸り声をおさえるために、身を屈めて丸くなる。
そんな紫輝を、千夜は包むように抱き込んだ。
「よく、こらえてくれた。すまない、紫輝。俺だけが聞いて、あとで報告すればよかった」
申し訳なさそうに千夜に言われるが、紫輝は首を横に振る。
聞いて、良かったのだ。金蓮があのように情のない男だと知れただけでも。
聞かずに、許してしまう愚行を、起こさないためにも。
金蓮が屋敷から去ったのを確認したあと、隠密さんは部屋への入室を許した。
部屋の中央に、布団に寝る赤穂が。
横に、月光と井上がいる。
部屋には、紫輝だけが入った。腕が治った千夜を、ふたりに見せるわけにはいかないから、そのまま陰から守ってもらうのだ。
紫輝を目に止めた月光は、いつものはつらつさがなく。ピンクの羽も、どことなく悲しげにしょげている。
「すまなかった、紫輝。本当はすぐにも、紫輝を赤穂に会わせたかったけれど。金蓮様より先に通すと、赤穂に近しい者だと怪しまれてしまうから。赤穂は…きっと。紫輝が窮地に立つことを望まない。たとえ、死に目に会えなくても、ね」
「なに、言ってんの? なんで、あんなふうに言われて、黙ってんの?」
怒りを、月光にぶつけるのは間違っているけれど。
なんで、月光が怒らないのか、わからない。
紫輝はこんなにも、怒りで、臓腑が焼け落ちそうなほどなのに。なんで?
すると月光は。両手で顔を覆って、項垂れてしまった。
「事情がある…すまない、紫輝」
泣かせたいわけじゃない。
紫輝は、月光があまりも心を痛め、悲しげで、消沈しているから。冷水を浴びせられたような気になった。
そうだ。冷静に、落ち着いてと、天誠が言っていた。
怒りに我を忘れて、大事な人を傷つけてはいけない。
天誠も、月光も、傷つけてはいけない。
「ごめん、月光さんを責めたんじゃないよ。でも…いったい、なにがあったのですか? 赤穂の具合は?」
「良くないね。赤穂様は金蓮様をかばって、矢を胸の真ん中に受けた。幸い、防具と胸骨に当たり、矢尻の勢いは弱まったが、その衝撃で、心臓は一度停止した。心臓を圧迫して蘇生はしたのだが、胸骨の破片が心臓を傷つけていて…もう手を尽くせない」
「もう、手は尽くせないって? 先生はなにもできないのか? このまま死ぬってこと? 嘘でしょ?」
井上は、ただ首を横に振った。
あれほどひどい状況の千夜を、回復させた名医なのに。
紫輝は下唇を噛んで、月光に目を向けた。
「はは、このまま死ぬとか、死に目に会えねぇとか、当人の前で不吉な話しやがって…」
思いもかけず、声がして。紫輝は、月光から赤穂へ視線を移す。
彼はいつの間にか、目を開けていた。
「赤穂様、話してはなりません。些細な動きで、骨の破片が血管に触れ、大出血するかもしれないのですよ?」
「馬鹿だな、井上。すぐにも死ぬなら、遺言残さねぇとならねぇだろうが」
医者の忠告を無視して、赤穂は言う。
咎めてほしいのに、井上は押し黙ってしまった。それほどに悪いということだ。
紫輝は本当に信じられなかった。だって、赤穂は。まだ二十一歳なのだ。
赤穂は若くて、強くて、踏み潰しても死なないような、ふてぶてしさもあったのに。いきなり、死ぬとか言われても。全く、紫輝は受け入れられなかった。
「ふざけんな、赤穂。遺言なんか、聞くもんか」
「駄目だ、聞け、紫輝。おまえが俺の子供だと、認証した書類を、月光に預けてある。それは、おまえの命に関わるものだ。俺の子供と知れることで、生きられることも、逆に命を脅かされることもあるだろう。慎重に、場の流れを見極めて、ここぞというときの切り札にしろ。いいな?」
ごく少ない口の動きで、赤穂は紫輝に伝える。体を動かすことも危険なのだ。
なんてことだ。
あの、極悪で、猛烈な気を放ち、生き生きと剣を振るっていた男が。こんなことになるなんて。
「聞かないって、言ってんだ。おい、赤穂、てめぇ…俺の親父のくせに、父親らしいことひとつもしないで、死ぬなんて。許さねぇからっ」
「父親らしいこと? 今、結構、親っぽい遺言残したつもりなのに。足らねぇとか…はは」
笑うんじゃねぇって、悪態をつきたいのに。涙が喉に詰まって、うまく言えない。
「そうだな。おまえを幸せにしてやれなくて、すまない」
いつも、俺様な赤穂が。らしくなく、謝ったり、涙をこぼしたりするから。
紫輝は、泣きながら首を横に振った。
「違うよ。そうじゃないよ。幸せに、なんて。俺のことを幸せにしてくれる人は、別にいるんだから。そんなのいらねぇんだよ。そうじゃなくて。あんた、俺のこと、父親として、一回も抱き締めたことないだろ? 剣の手合わせばっかりで。肩抱いたくらいはあったけど、そんなの友達の延長じゃん。俺を息子だと言うのなら、子供のときのように、ギュって、抱き締めろよっ」
「あぁ、俺の、息子…」
ゆるりと手を上げるけれど。赤穂は抱き締める余力はなく。紫輝の頭を撫でるので精いっぱいだった。
弱々しい赤穂なんて、見たくない。
「赤穂…死ぬ覚悟してくれ。できるか?」
「あぁ。おまえの手にかかって死ぬなら、本望だぞ」
紫輝は覚悟を決めた。
しかし、赤穂に触れようとした手を止められる。
背後の千夜に、腕を掴まれたのだ。
「駄目だ、紫輝。あれは使うなと…」
「俺の親父だっ!」
振り返りざま、紫輝は千夜を怒鳴った。
紫輝がこれほどに感情を荒立てるのは、珍しく。千夜は息をのむ。
「大丈夫。うまくやる。冷静に。冷静に。でも、俺がどこにも行かないように、千夜、捕まえてて」
己に言い聞かせるように、つぶやいて。深呼吸し。千夜に、軽く笑んで。
それから紫輝は。もう一度、赤穂に手を伸ばす。
「俺の手で死ぬのは本望? 残念だけど。赤穂、俺は、殺さずの雷龍なんだ」
赤穂の胸に触れ、紫輝は目をつぶる。
★★★★★
目を開けると、夜の静寂が広がっていた。
この前、千夜の腕を治したときに来た場所と、同じだけど。気温が少し涼しい。
途端、髪を鷲掴まれた。
目の前に、赤穂の顔が迫っている。
無意識のうちに、紫輝は手のひらで口を覆い。奴からのキスを回避した。
「駄目、駄目だ、俺たち、親子っ。つか、ここかよっ」
紫輝はここが、赤穂に嫁になれと迫られた、あの一連の流れだと気づいた。
印象深いところに降りるのではないか、という天誠の推測を。紫輝は思い出す。
でも。ここじゃなくてもぉ。
確かに、インパクトは強力だったけれどね。
紫輝の手のひらごしにキスしたままの距離で、赤穂は紫輝をみつめた。
「親子だからダメだって言われたから、あのときキスしなかったが。いや。しても良かったんじゃね? 赤子のおまえに、散々チューしたんだからよ?」
なんか、赤穂の白黒の翼が、楽しげにワキワキ動いている。
つか、過去のものと、もう台詞が変わっているんですけどぉ。
これは、自分の潜在意識じゃないと思うんだよな。
こんなこと思っていないし。微妙に、今の赤穂の思念も、混ざっているのではないかと思う紫輝だった。
「馬鹿じゃね? 大きくなったら、親は子供にチューしちゃいけないんですぅ」
さっさと紫輝は後ずさりして、赤穂から距離を取る。
つか、近いっつうの。
「おまえは、クソむかつく弟に、操立ててるだけだろうが。クソむかつく」
「クソむかつく、二度言うな」
ケッと、赤穂は舌打ちし。紫輝も舌打ちした。
「で? なにしにここに来たんだよ」
腰に手を当てて、尊大に聞いてくる赤穂に。紫輝は言った。
「…あんたが、死にそうなんだよ」
ようやく、本来の目的を思い出した。
そうだった。赤穂の命を助けるために、ここへ来たのだ。むかついている場合ではない。
そういえば前のときも、途中まで過去の意識にのまれて、目的を見失っていたな。
「あぁ? 俺がそんなヘマするわけねぇ」
どこかで聞いたことのある台詞に、紫輝は半目になる。
剣豪ってやつは、どいつもこいつも自信満々だな、おい。
「大将をかばったんだよ」
本当に、腹立たしい。
自分の身を守ってもらいながら、金蓮のあの仕打ち。呆れてしまう。
なぜ、あんな奴を、赤穂は命懸けで守るのだろう?
自分も、天誠と血のつながりがないが。兄弟の意識だけだとしても、自分たちは、互いを愛していて。彼になにかあったら守りたい、と思う。おそらく向こうも、そう思っているだろう。
自分たちは好意の気持ちで向き合っているので、参考にならない。
でも赤穂は、兄弟的、片想いのような…。
「そうか。どこ、やられた?」
大将なら、かばって当たり前。という顔で、赤穂はうなずき。千夜のときのように、相手の安否をたずねることもなく、紫輝に聞いてきた。
この赤穂に、なんで? と聞くのは違うのだろう。
いいさ。治ったら、存分に問いただしてやる。
「…胸。矢が当たって、心臓に骨の欠片が当たっているらしい」
「チッ、心臓かよ」
おもむろにスラリと剣を抜いた赤穂は、躊躇することなく、胸に剣を突き立てた。
その衝撃的な場面に、紫輝の方がうろたえてしまう。
「…赤穂」
傷口を両手で開いて、赤穂は胸の中を見せつけた。
まだ、矢で傷つけられていない、胸骨、あばら骨、骨の奥に守られ、生き生きと動いている心臓…。
そうだ。クリアに想像しなければならない。
赤穂の心臓を。
でも、輝くほどに赤々として、動く心臓は。リアルすぎて、卒倒しそう。
「俺を助けたいと、思ってくれたのか? 紫輝」
問いかける赤穂に、紫輝はゆるりとうなずく。
そうだ、助けたい。
赤穂を…己の父親を助けるために、ここに来たのだ。脅えていちゃ、駄目じゃん。
「恐れるな。おまえに預ける」
赤穂は胸に手を入れ、心臓を取り出して紫輝に差し出す。
心臓を取ってなお、赤穂は不遜な笑みを浮かべている。
意を決して、紫輝は手を差し伸べ。心臓を、赤穂から受け取った。
その温かさは、生きている証。
この鮮やかな血の赤は、赤穂の命のきらめき。
心臓の形状が、紫輝の瞳に、反射して映り込む。
大丈夫。絶対に、救ってみせる。待ってろよ、赤穂。
ひとつうなずいたとき、光に包まれてなにも見えなくなった。
★★★★★
我に返ると、そこは元の、月光の屋敷で。
紫輝は、赤穂の胸に手を当てていた。手のひらの下が、光り輝いている。
千夜のときは、腕が形作られるところが、つぶさに見られたが。赤穂は内臓なので、なにも見えない。
けれどほんのり、紫の光が襟元から漏れている。
「なに? なにをしたんだ? 紫輝」
目を丸くしている月光に、たずねられるが。今日も尋常じゃない眠気に襲われて…。
紫輝は千夜に頼んだ。
「千夜。説明、お願い」
そうしてまた、寝てしまった。
四季村は雪がしんしんと降り続き、とても静かだった。
天誠は、新年は手裏軍の方へ顔を見せなければならず、年越しはできないようだ。
でも、クリスマスはできるって。
十二月末までは四季村に滞在するというので、紫輝は、のんびり天誠との生活を楽しんでいる。
ツリーにする小さな木を、ふたりで山の中に探しに行った。雪の中を天誠と手をつないで、身を寄り添わせて。
木に積もった雪が落ちてきて、大騒ぎしたり、馬鹿みたいに笑ったり。
雪の上を歩いたライラの、ピンクの肉球が真っ赤になったから。交互に、手でこすって温めたり。
囲炉裏の前で腹を出して寝るライラを、ふたりでわしゃわしゃ撫で回したり。
囲炉裏で作る鍋を、みんなでつついたり。
ケーキの試作品を、すみれや橘たちと作ったけれど。パンケーキにしかならなくて。パンケーキパーティーでもいいんじゃねって、妥協したり。
ベッドで、一日激しく抱き合ったり。
ただ寄り添って、寝るだけだったり。
高校生のような、兄弟のような、恋人のような、充実した平和な日々。
そんな楽しい時間が、唐突に終わりを告げたのは。十二月十六日だった。
囲炉裏の前で、紫輝はみかんを食べている。
ライラは紫輝のそばで、お尻をくっつけて寝ていて。
天誠は胡坐をかく紫輝の、膝枕。というか、足を枕にして横になっている。
浴衣に丹前という、旅館でのんびり、リラックススタイルを満喫していた中。引き戸を叩く音が、部屋に響いた。
家族の時間を邪魔するなと、天誠に言いつけられているので。みんな、よっぽどのことがないと居間には入ってこないのだが。その、ガンガン鳴るせわしないノック音が、嫌な予感をかき立てた。
「安曇様、申し訳ありません。将堂軍側近の隠密から、紫輝様へ、火急の知らせが入りました」
天誠は身を起こし、大和の入室を許す。
居間の引き戸を開けた大和は、頭を下げたまま報告した。
「赤穂様が、手裏基成に矢を射掛けられ、重傷とのこと。河口湖の屋敷で療養しているので、至急、紫輝様にお出で願いたいと」
その言葉を。紫輝は、瞬時に受け入れられず。ただ、口を開けて驚くしかなかった。
その間に天誠は問う。
「本物か?」
「はい。望月が怪我をした折に、屋敷で、その隠密を見ました」
「紫輝…」
放心する紫輝を労わり、天誠は肩を撫でた。
そのとき無意識に、紫輝は天誠の手を払ってしまった。
「どうなってんの? 天誠。なんで手裏基成が赤穂を…俺の父親を…」
紫輝に手を払われ、目を丸くする天誠を、紫輝は見て。
弟を拒絶したことを、今更ながら気づき。
己のしでかした失態に、最大級のショックを受けた。
「ごめん、天誠」
払った彼の手を、慌てて握り込み。撫でながら、紫輝は額を擦りつけて謝る。
赤穂が重傷という知らせに、心臓が撃ち抜かれたような衝撃を受けたのだけれど。
そんなの、言い訳にならない。
紫輝は決して、弟を拒絶してはいけなかった。
ひとり、闇の中を生きてきた弟を。自分だけは…。
目の前が真っ暗になり、涙が出た。
「違う。天誠…違うんだ…」
「大丈夫、わかっている」
天誠は、ただ紫輝を抱き締めてくれた。
言い訳したい。
でも、涙がボロボロ出てくる。
泣きたいのは、天誠の方じゃん。こういうところ、駄目なんだ。と自分の情けなさを嫌悪した。
「びっくりしたよな? 手裏基成が…俺が、赤穂を討ったと思ったのか?」
「お、思って、ない。だって、天誠は、ずっと俺と、一緒だったじゃないか」
「そうだ。俺は赤穂を討てない。紫輝もちゃんとわかっている。冷静に、落ち着いて行動すれば、大丈夫だから」
紫輝の背中を、天誠は優しく撫でてくれる。
眞仲のときのように、たくましく分厚い胸に、紫輝をすっぽりと抱っこして慰めて。頭のてっぺんに、柔らかくキスして。
紫輝の駄目なところも、許して、包み込んでくれる。
許してくれた。浅はかな兄を。
安堵して、紫輝は天誠の、親鳥が卵を抱えるような、温かく安全な抱擁の中で。ホッと息をつく。
「俺にも、なんでこうなったのかわからない。とりあえず、紫輝は赤穂の元へ向かえ。大和は屋敷の道のりを知っているな? 紫輝の…ミロも連れて、馬で移動しろ。紫輝には望月をつける」
「はい。行きます」
大和はさっそく行動し、入れ替わりで、千夜が部屋に現れた。
「望月は、紫輝とともにライラで移動だ。大和が到着するまで、紫輝を確実に守れ。…ライラ、お仕事だ」
紫輝が振り返ると、囲炉裏の前で溶けていた猫が、しゃっきりして、お座りしている。
ぐずぐずしているのは、紫輝だけだった。
ダメダメである。
天誠は、紫輝の手を引っ張って寝室に向かうと。紫輝を軍服に着替えさせ、さらに毛皮やコートや手袋をいろいろ着つけていった。
「俺も前線に戻って、情報を仕入れる。なにかわかったら、ライラを通して教えるから。紫輝、大丈夫か?」
まだ、脳みそが回転していない。
でも、紫輝は首を縦に振った。
「駄目だ。天誠はここにいてくれ。きっと、たいしたことないよ。俺、すぐに戻ってくる。そしてクリスマスを、天誠とするんだ。一度帰ったら、冬の間、もう会えなくなるかもしれないじゃん?」
天誠は、紫輝の頭にフードをかぶせて、ひもできゅっと結ぶ。
寒さから守るように、ライラの風圧に飛ばされないように。
「紫輝。間違えだ。俺が帰る場所は、ここだ。紫輝のところだよ」
きゅっと、胸の真ん中を、天誠が指で押す。
なにかのスイッチみたいに、紫輝の中のなにかが、きゅんと音を立てた。
「それに、もう会えないも、間違い。何度だって、紫輝に会いに来る。俺が会いたいんだ」
こくこくうなずいて、紫輝は天誠としばしのお別れをする。
「紫輝。赤穂の具合がどうなのかわからないが。なるべく、あの技は使うな。あれは、紫輝の命を縮める。俺のいないところで使ってほしくない」
「わかった」
天誠は軽く、紫輝の頬と目元にキスし。紫輝を送り出した。
玄関から外に出ると、薄曇りだが、雪は降っていない。
黒マントを着る千夜と、白い雪に同化するライラが、紫輝を待っていた。
「すぐ、帰ってくるね。待ってて、天誠」
手を振る天誠に言って、紫輝はライラに乗り込む。
今回、千夜は。後ろに乗って、紫輝を護る体勢になった。
そしてすぐさま、ライラは飛ぶように走っていった。あっという間に、天誠も、村も遠くなって見えなくなる。
先行していた馬を引き連れた大和も、間もなく追い抜いてしまう。
「相変わらず、はえぇな、お嬢」
「がんばれ、せんにゃ、がんばれ、せんにゃ…」
「お、これが例の応援歌か? もう応援しなくてもいいんだが…」
ライラと千夜のやり取りも、本来なら微笑ましいものなのだが。
紫輝は赤穂のことが心配で、うなずくくらいしかできなかった。
そうして一時間後。
あの、河口湖の月光の屋敷に到着した。
千夜が苦しんだ場所だから、つらい記憶が多いが。
まだひと月前の出来事だというのに、なにやら懐かしく感じてしまう。
冬の河口湖は、雪化粧をした富士山が美しく。奥多摩の村よりも、少しだけ日が差しているから、山の緑と雪の白と湖の青のコントラストが輝いている。
屋敷に入る前に、紫輝はマントを脱いで、ライラを剣に戻し。鞘におさめる。
千夜は陰に隠れようとしていた。
「紫輝様」
そこで、紫輝は。月光の隠密に名を呼ばれる。
月光の隠密は、紫輝が主の息子だと知っているので、やはり様づけで呼ばれてしまうのだ。
「今、金蓮様と医者の井上が訪問中です。紫輝様と金蓮様を会わせないよう、瀬来様から言いつかっております」
「赤穂…様は、どんな様子ですか?」
「こちらへ。隠し部屋があります」
会わせないよう言われている隠密だが、屋敷に紫輝を案内する。
瀬来家は、隠密を使って情報を集め。緻密な計画、作戦を立てることで、軍に貢献している。
そのような家だから、屋敷の中に、隠し部屋がいくつもあるらしい。
千夜の療養中、紫輝は全く気づかなかったが。
裏口からそっと入っていったら、千夜が、紫輝の手に持っていたマントを奪い。自分のマントも脱いだ。
それを部屋の隅に放った千夜に、いきなりお姫様抱っこされてしまう。
紫輝は驚いて、声を出しそうになったが。千夜に睨まれ、慌てて口を手でおさえた。
「驚いても、絶対に声を出すなよ」
耳元で囁かれ、紫輝は口をおさえたまま、こくこくうなずく。
廊下を進む千夜は、紫輝を抱いているのに、足音が全くしない。
これが隠密の技なのだな、と思っていたら。案内の隠密さんが消えた。
あれ、と紫輝が首を傾げたとき、千夜が壁の中へ入った。
えっ。
部屋と部屋の間に、数十センチの隙間がある。そこを通るのだ。
わっ、マジ忍者屋敷。
何度か角を折れ曲がり、今、どこにいるのか、紫輝は全くわからないのだが。先を行く隠密さんが止まり。声が聞こえてきた。
「赤穂が死んだら、亡骸は、おまえが人知れず処分しろ」
金蓮の声だ。なんて冷たい言葉。
紫輝は信じられなくて、耳を疑う。
弟に、そんな言葉をかけるなんて、考えられない。
「決して、誰にも、赤穂が死んだことを気づかれてはならない。これは赤穂のためでもある。名もなき手裏兵の矢に当たって死んだなど、公表されたくはなかろう? 離縁したとはいえ、曲がりなりにも元夫だ。赤穂の名誉を守るために動くくらいの情は、持ち合わせているだろうな?」
中の様子は見えないので、金蓮が誰に向かって言っているのか、どんな表情をしているのか、紫輝にはわからない。
離縁したと言うのだから、相手は月光だと思うが。
曲がりなりにもって、なに?
名誉を守るための情? 赤穂と月光の愛の形をまるで知らない物言いに、胃がカッと燃えるように熱くなった。
怒りだ。
「名もなき兵ではない、赤穂は手裏基成の放った矢で…。それに、赤穂は。将堂家の次男ですよ。それを、人知れず処分などと…このような扱い…」
「手裏基成に会ったことも、誰にも言えぬ事態だということだ。それにもう、赤穂は将堂家の次男ではない。すでに身代わりを立てている。将堂家の次男は、別の者になった」
は? どういう意味?
身代わりって、なに?
っていうか、むかつきがピークで、息苦しい。
鼻息が荒くなる紫輝を、千夜がギュッと抱き締めてくれる。大丈夫。我慢する。我慢、するから。
「父も夫も子も失って、瀬来、おまえは可哀想なやつだ。心から同情するよ。だから、夫の亡骸くらいは、くれてやると言っているのだ。手厚く葬ってやるがよい」
金蓮が立ち上がり、部屋を出て行く気配がした。
紫輝は唸り声をおさえるために、身を屈めて丸くなる。
そんな紫輝を、千夜は包むように抱き込んだ。
「よく、こらえてくれた。すまない、紫輝。俺だけが聞いて、あとで報告すればよかった」
申し訳なさそうに千夜に言われるが、紫輝は首を横に振る。
聞いて、良かったのだ。金蓮があのように情のない男だと知れただけでも。
聞かずに、許してしまう愚行を、起こさないためにも。
金蓮が屋敷から去ったのを確認したあと、隠密さんは部屋への入室を許した。
部屋の中央に、布団に寝る赤穂が。
横に、月光と井上がいる。
部屋には、紫輝だけが入った。腕が治った千夜を、ふたりに見せるわけにはいかないから、そのまま陰から守ってもらうのだ。
紫輝を目に止めた月光は、いつものはつらつさがなく。ピンクの羽も、どことなく悲しげにしょげている。
「すまなかった、紫輝。本当はすぐにも、紫輝を赤穂に会わせたかったけれど。金蓮様より先に通すと、赤穂に近しい者だと怪しまれてしまうから。赤穂は…きっと。紫輝が窮地に立つことを望まない。たとえ、死に目に会えなくても、ね」
「なに、言ってんの? なんで、あんなふうに言われて、黙ってんの?」
怒りを、月光にぶつけるのは間違っているけれど。
なんで、月光が怒らないのか、わからない。
紫輝はこんなにも、怒りで、臓腑が焼け落ちそうなほどなのに。なんで?
すると月光は。両手で顔を覆って、項垂れてしまった。
「事情がある…すまない、紫輝」
泣かせたいわけじゃない。
紫輝は、月光があまりも心を痛め、悲しげで、消沈しているから。冷水を浴びせられたような気になった。
そうだ。冷静に、落ち着いてと、天誠が言っていた。
怒りに我を忘れて、大事な人を傷つけてはいけない。
天誠も、月光も、傷つけてはいけない。
「ごめん、月光さんを責めたんじゃないよ。でも…いったい、なにがあったのですか? 赤穂の具合は?」
「良くないね。赤穂様は金蓮様をかばって、矢を胸の真ん中に受けた。幸い、防具と胸骨に当たり、矢尻の勢いは弱まったが、その衝撃で、心臓は一度停止した。心臓を圧迫して蘇生はしたのだが、胸骨の破片が心臓を傷つけていて…もう手を尽くせない」
「もう、手は尽くせないって? 先生はなにもできないのか? このまま死ぬってこと? 嘘でしょ?」
井上は、ただ首を横に振った。
あれほどひどい状況の千夜を、回復させた名医なのに。
紫輝は下唇を噛んで、月光に目を向けた。
「はは、このまま死ぬとか、死に目に会えねぇとか、当人の前で不吉な話しやがって…」
思いもかけず、声がして。紫輝は、月光から赤穂へ視線を移す。
彼はいつの間にか、目を開けていた。
「赤穂様、話してはなりません。些細な動きで、骨の破片が血管に触れ、大出血するかもしれないのですよ?」
「馬鹿だな、井上。すぐにも死ぬなら、遺言残さねぇとならねぇだろうが」
医者の忠告を無視して、赤穂は言う。
咎めてほしいのに、井上は押し黙ってしまった。それほどに悪いということだ。
紫輝は本当に信じられなかった。だって、赤穂は。まだ二十一歳なのだ。
赤穂は若くて、強くて、踏み潰しても死なないような、ふてぶてしさもあったのに。いきなり、死ぬとか言われても。全く、紫輝は受け入れられなかった。
「ふざけんな、赤穂。遺言なんか、聞くもんか」
「駄目だ、聞け、紫輝。おまえが俺の子供だと、認証した書類を、月光に預けてある。それは、おまえの命に関わるものだ。俺の子供と知れることで、生きられることも、逆に命を脅かされることもあるだろう。慎重に、場の流れを見極めて、ここぞというときの切り札にしろ。いいな?」
ごく少ない口の動きで、赤穂は紫輝に伝える。体を動かすことも危険なのだ。
なんてことだ。
あの、極悪で、猛烈な気を放ち、生き生きと剣を振るっていた男が。こんなことになるなんて。
「聞かないって、言ってんだ。おい、赤穂、てめぇ…俺の親父のくせに、父親らしいことひとつもしないで、死ぬなんて。許さねぇからっ」
「父親らしいこと? 今、結構、親っぽい遺言残したつもりなのに。足らねぇとか…はは」
笑うんじゃねぇって、悪態をつきたいのに。涙が喉に詰まって、うまく言えない。
「そうだな。おまえを幸せにしてやれなくて、すまない」
いつも、俺様な赤穂が。らしくなく、謝ったり、涙をこぼしたりするから。
紫輝は、泣きながら首を横に振った。
「違うよ。そうじゃないよ。幸せに、なんて。俺のことを幸せにしてくれる人は、別にいるんだから。そんなのいらねぇんだよ。そうじゃなくて。あんた、俺のこと、父親として、一回も抱き締めたことないだろ? 剣の手合わせばっかりで。肩抱いたくらいはあったけど、そんなの友達の延長じゃん。俺を息子だと言うのなら、子供のときのように、ギュって、抱き締めろよっ」
「あぁ、俺の、息子…」
ゆるりと手を上げるけれど。赤穂は抱き締める余力はなく。紫輝の頭を撫でるので精いっぱいだった。
弱々しい赤穂なんて、見たくない。
「赤穂…死ぬ覚悟してくれ。できるか?」
「あぁ。おまえの手にかかって死ぬなら、本望だぞ」
紫輝は覚悟を決めた。
しかし、赤穂に触れようとした手を止められる。
背後の千夜に、腕を掴まれたのだ。
「駄目だ、紫輝。あれは使うなと…」
「俺の親父だっ!」
振り返りざま、紫輝は千夜を怒鳴った。
紫輝がこれほどに感情を荒立てるのは、珍しく。千夜は息をのむ。
「大丈夫。うまくやる。冷静に。冷静に。でも、俺がどこにも行かないように、千夜、捕まえてて」
己に言い聞かせるように、つぶやいて。深呼吸し。千夜に、軽く笑んで。
それから紫輝は。もう一度、赤穂に手を伸ばす。
「俺の手で死ぬのは本望? 残念だけど。赤穂、俺は、殺さずの雷龍なんだ」
赤穂の胸に触れ、紫輝は目をつぶる。
★★★★★
目を開けると、夜の静寂が広がっていた。
この前、千夜の腕を治したときに来た場所と、同じだけど。気温が少し涼しい。
途端、髪を鷲掴まれた。
目の前に、赤穂の顔が迫っている。
無意識のうちに、紫輝は手のひらで口を覆い。奴からのキスを回避した。
「駄目、駄目だ、俺たち、親子っ。つか、ここかよっ」
紫輝はここが、赤穂に嫁になれと迫られた、あの一連の流れだと気づいた。
印象深いところに降りるのではないか、という天誠の推測を。紫輝は思い出す。
でも。ここじゃなくてもぉ。
確かに、インパクトは強力だったけれどね。
紫輝の手のひらごしにキスしたままの距離で、赤穂は紫輝をみつめた。
「親子だからダメだって言われたから、あのときキスしなかったが。いや。しても良かったんじゃね? 赤子のおまえに、散々チューしたんだからよ?」
なんか、赤穂の白黒の翼が、楽しげにワキワキ動いている。
つか、過去のものと、もう台詞が変わっているんですけどぉ。
これは、自分の潜在意識じゃないと思うんだよな。
こんなこと思っていないし。微妙に、今の赤穂の思念も、混ざっているのではないかと思う紫輝だった。
「馬鹿じゃね? 大きくなったら、親は子供にチューしちゃいけないんですぅ」
さっさと紫輝は後ずさりして、赤穂から距離を取る。
つか、近いっつうの。
「おまえは、クソむかつく弟に、操立ててるだけだろうが。クソむかつく」
「クソむかつく、二度言うな」
ケッと、赤穂は舌打ちし。紫輝も舌打ちした。
「で? なにしにここに来たんだよ」
腰に手を当てて、尊大に聞いてくる赤穂に。紫輝は言った。
「…あんたが、死にそうなんだよ」
ようやく、本来の目的を思い出した。
そうだった。赤穂の命を助けるために、ここへ来たのだ。むかついている場合ではない。
そういえば前のときも、途中まで過去の意識にのまれて、目的を見失っていたな。
「あぁ? 俺がそんなヘマするわけねぇ」
どこかで聞いたことのある台詞に、紫輝は半目になる。
剣豪ってやつは、どいつもこいつも自信満々だな、おい。
「大将をかばったんだよ」
本当に、腹立たしい。
自分の身を守ってもらいながら、金蓮のあの仕打ち。呆れてしまう。
なぜ、あんな奴を、赤穂は命懸けで守るのだろう?
自分も、天誠と血のつながりがないが。兄弟の意識だけだとしても、自分たちは、互いを愛していて。彼になにかあったら守りたい、と思う。おそらく向こうも、そう思っているだろう。
自分たちは好意の気持ちで向き合っているので、参考にならない。
でも赤穂は、兄弟的、片想いのような…。
「そうか。どこ、やられた?」
大将なら、かばって当たり前。という顔で、赤穂はうなずき。千夜のときのように、相手の安否をたずねることもなく、紫輝に聞いてきた。
この赤穂に、なんで? と聞くのは違うのだろう。
いいさ。治ったら、存分に問いただしてやる。
「…胸。矢が当たって、心臓に骨の欠片が当たっているらしい」
「チッ、心臓かよ」
おもむろにスラリと剣を抜いた赤穂は、躊躇することなく、胸に剣を突き立てた。
その衝撃的な場面に、紫輝の方がうろたえてしまう。
「…赤穂」
傷口を両手で開いて、赤穂は胸の中を見せつけた。
まだ、矢で傷つけられていない、胸骨、あばら骨、骨の奥に守られ、生き生きと動いている心臓…。
そうだ。クリアに想像しなければならない。
赤穂の心臓を。
でも、輝くほどに赤々として、動く心臓は。リアルすぎて、卒倒しそう。
「俺を助けたいと、思ってくれたのか? 紫輝」
問いかける赤穂に、紫輝はゆるりとうなずく。
そうだ、助けたい。
赤穂を…己の父親を助けるために、ここに来たのだ。脅えていちゃ、駄目じゃん。
「恐れるな。おまえに預ける」
赤穂は胸に手を入れ、心臓を取り出して紫輝に差し出す。
心臓を取ってなお、赤穂は不遜な笑みを浮かべている。
意を決して、紫輝は手を差し伸べ。心臓を、赤穂から受け取った。
その温かさは、生きている証。
この鮮やかな血の赤は、赤穂の命のきらめき。
心臓の形状が、紫輝の瞳に、反射して映り込む。
大丈夫。絶対に、救ってみせる。待ってろよ、赤穂。
ひとつうなずいたとき、光に包まれてなにも見えなくなった。
★★★★★
我に返ると、そこは元の、月光の屋敷で。
紫輝は、赤穂の胸に手を当てていた。手のひらの下が、光り輝いている。
千夜のときは、腕が形作られるところが、つぶさに見られたが。赤穂は内臓なので、なにも見えない。
けれどほんのり、紫の光が襟元から漏れている。
「なに? なにをしたんだ? 紫輝」
目を丸くしている月光に、たずねられるが。今日も尋常じゃない眠気に襲われて…。
紫輝は千夜に頼んだ。
「千夜。説明、お願い」
そうしてまた、寝てしまった。
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