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57 年越し小話 ④
◆キスしたはずなのに、三歩進んで二歩さがる青桐の元日。
元日。次の日には将堂軍の本拠地へ移動するため、慌ただしい雰囲気の幸直の別荘屋敷であるが。忙しいのは荷物をまとめたり運び出したりする使用人ばかりで。
青桐と幹部連中は、居間で正月の御馳走を満喫していた。
海の幸がふんだんに並んでいる。山の中で暮らしていた青桐は、初めて食べるものばかりだ。
しかし、体作りのために節制できる人なので、いくら美味しくても珍しい食材でも、がっついたりはしない。
雑煮の餅は、ひとつだ。
「あの、軍服の色なのだが。俺も堺と同じ薄青にしたいと思っている…」
青桐は、内心ドキドキしながら幹部に告げた。
幹部たちの軍服は、堺以外は茶色のありふれた色だ。
それはみんなの翼の色が、木の葉色だからで。巴は黒い翼だが、あまり目立つことはしたくない主義らしい。
つまり、やはり紫輝が言ったように。軍服の色は好きに選べるようなのだ。
元々赤穂の軍服は、暗い赤色だったという。改名したんだから青でもいいんじゃね? なんて。紫輝はおざなりな感じで言っていたが。
なんで赤じゃないのか、とか。ツッコまれないかなぁ…と、少し心配している。
そうしたら幸直が、にっこり笑って説明してくれた。
「よろしいんじゃないですか? 名前にも青が入っているし。どちらにしろ、今青桐様に渡してある軍服は、俺の採寸なので。もちろん新品ではあるのですが、急なことだったので、身長が近い俺の予備を貸与したのです。ですから本拠地に行ったら、まず採寸し。それから青桐様の軍服を新調いたしましょう」
「そうか。ではそのときに、薄青で頼むことが出来るのだな?」
「ですが青桐様、龍鬼の私と同じ色というのは…」
難色を示したのは、やはり堺だった。
それについては、青桐には策があったのだ。
「紫輝の部下も、紫輝と同じ紫の軍服を着用していた。信頼を見て取れて、いいなと思ったんだ。堺は、俺の氷龍なのだから。同じ色のものを着て、俺と堺は信頼を築いているのだと知らしめたい」
「それは名案ですね。堺、そのように取り計らってやれ」
瀬間にも同意され。堺はぎこちなくうなずく。
作ってしまえばこっちのものなので、あとはどうにでもなる。
ほくほく顔で、青桐は上品な仕草で雑煮を食べた。
ところで、青桐は。三十日に金蓮と会った。
燎源も、年末に会えるよう調整するというようなことを言っていたので。宣言通りになったということだ。
金蓮は屋敷には上がらず、庭で対面するという先触れがあった。
寒いのに、なんでか? と、そばにいた幸直に聞くと。
彼は苦笑して、驚愕の言葉を吐いた。
「龍鬼のいる屋敷に上がるつもりはない…ということかと」
は? 嘘だろ?
いくらなんでも…穿ちすぎではないか、と。青桐は思ったのだが。
いざ対面のとき、金蓮の後ろには燎源が付き従い。青桐の後ろには、堺…ではなく瀬間がついた。
紫輝が、金蓮は堺を毛嫌いしているなんて言っていたが。
それは幹部も承知の、いや誰もが知っている事実であるらしい。
まじか?
「記憶喪失らしいが、その後体調はどうだ?」
白々しくも金蓮に聞かれ、青桐も白々しく流麗に答えを返す。
「問題ありません。幹部の者が良くしてくれるので、何不自由なく過ごしております」
「…家族に会いたいと、言っていると聞いたが。なにか質問でも?」
うーん、質問か。考えていなかったな。
「ただ会えば、なにか思い出せるかと思ったのです。お忙しいのに、すみません」
「よい。記憶を無くして心細いのだろう。気になることがあれば、幹部に相談しなさい」
あれ? これ遠回しに、私を呼び出すなって言ってる?
まぁ、いい。
「わかりました。ありがとうございます」
とりあえず礼を言っておけば角は立たないだろうと思った、青桐だった。
「間宮とは会ったか? 彼はなにか言っていたか?」
目の前の己より、紫輝の方が気になるのか。金蓮は聞いてきた。
あの黒猫耳、金蓮にも噛みついたのかもしれない。
そう思うと、ちょっと愉快だ。
紫輝からはヤベェくらい、膨大な情報量をもらい受けた。
でも、それを言う気はない。
「いえ、名乗りを受けただけで、特には。あぁ、友達だったというので、また友達になりました」
「彼には年明けに幹部入りの辞令を出すが、龍鬼と友達というのは将堂家の者として体裁が悪い。龍鬼とは距離を置いて接するのが良いだろう」
嫌です、堺を嫁にするつもりなので。
そう思いながらも、返事はせずに。ただ、にこやかでいた。
兄上という人は、やはり胸糞悪かった。
だって堺が、言われなくても気を利かせて姿を見せないほどに龍鬼を嫌っているのだと、ビンビン伝わったから。
紫輝や幸直からの情報を耳に入れなくても、いずれ差別的だとわかっただろうと思うくらいには。あからさまだ。
己とは相入れない。
それと、おそらく。己を操り人形にしたいのはこの人なのだろう。
自分が扱いやすい男を、この人はお望みなのだ。
でもあまり興味がなさそうにも、見えるかな? このまま放っておいてくれた方が、ありがたい。
こっちも興味ないんで。
考察。兄上という人は、龍鬼が嫌い。
将堂家を重んじて、体裁を気にする。
ゆえに己にも、龍鬼から距離を取れと助言する。
そして、赤穂の替え玉である己には、興味なし。
はいはい、なるほど。
金蓮が帰ったあと、瀬間と入れ替わりで堺が後ろについた。
「金蓮様とお会いになって、いかがでしたか? ご家族が目の前に現れれば、より実感するでしょう? 決してひとりではないのだと」
堺はとても嬉しそうに、青桐に聞いてきた。
あぁ、癒されるぅ。
金蓮、燎源、という。気の抜けない相手と会ったあとの、お花畑。
なんの邪気もない、ただただ己に優しい気を向けてくれる、一服の清涼剤。
でも堺としては、記憶を失った己の心細さを、家族が晴らしてくれるのではないかと期待したようなのだ。
「ごめんな、堺。もしも肉親に会ったら、なにかしら感じるところがあるかもしれないと思ったんだが。なにも感じなかったな」
「…そうでしたか」
がっかりしたように、堺は眉を少し下げた。
金蓮と己が肉親ではないと、堺は知っている。本当の血縁ではないから、青桐がなにも感じなかったのだと思っているようだ。
まぁ、それでいいよ、堺。
己が欲しいのは、貴方だけなのだから。
「兄上に会ってもピンとは来なかったが、でも大丈夫。堺がそばにいてくれるから、俺は心細くなどないよ」
そっと堺の背に触れると。彼はビクリとして、少し距離を離した。
金蓮が来たから、龍鬼である己をまた戒めてしまったのかもしれない。
将堂家の方のそばに龍鬼がいてはならないと、先ほど金蓮が言ったように。
忌々しい。
せっかく、ゆっくりゆっくり堺との距離を縮めてきたというのに。
金蓮の出現で水の泡になった。
いやいや、大丈夫。堺が下がったのなら、己が一歩踏み込めばいいのだ。
大晦日は、堺と海辺まで遠乗りした。
誰もいない砂浜で、しばらくふたりきりで過ごし、手をつなぐ。
初めて手を握ったのは、彼が己の記憶を消すためだった。
その次、己から手を握ったとき。堺は脅えていて、戸惑いを見せていた。
己が怖いわけではなく。人に接すること自体に、慣れていない様子だったのだ。
ほんの、半月前の話。
でも、さすがにもう、手をつなぐぐらいで堺は脅えない。
己との触れ合いに慣れてくれた、のかな?
君が好きだと、そんな想いを込めてみつめれば。
堺も、戸惑いながらもみつめてくる。
その瞳は、もうなにも知らない色ではない。
キスをして。己を意識し始めている。水色の瞳。
大丈夫。ちゃんと進んでいる。
ちょっとずつでも。堺と己と、歩調を合わせて進んで行けばいいんだ。
おせちを食べながら、そんなことを考えていた。元日の朝だった。
★★★★★
日が落ちて、明日は早い出発だというので。幹部はみんな自室に戻っていった。
青桐は堺の部屋で普段通りくつろいでいる。でも囲炉裏は早々に閉じられていて。
なんとなく、巣立ちを意識してしまうな。
この部屋で、堺と寝床を並べて寝るのも最後だ。
そう思うと、一線超えておきたいような気もするが。
いや、まだまだ早い。
堺の気持ちが己と同じところではないうちは、紫輝の言う同意にはなりえないだろう。
「堺は氷龍だが。紫輝はなんなんだ? つか、龍鬼は何人いるんだ?」
青桐には、まだまだ知らないことがいっぱいある。特に、軍あるあるについて。
軍服の件もそうだが。龍鬼のことも。
みんな承知しているのに、自分は知らないというものが多そうだ。
「将堂の龍鬼は、私を含め三人です。紫輝は雷龍と言われていて、雷を落とすのですよ」
「うわっ、小さいのにえげつな。じゃあもしかして、あいつが最強?」
「ええ、そうですね。でも紫輝はひとりも殺していないのです。だから、殺さずの雷龍と呼ばれています」
なんとなく、尊敬ぃという眼差しで、堺は紫輝のことを語った。
青桐は、雷で、敵も味方もぶっ飛ばす紫輝の姿を脳裏に浮かべていたので。首を傾げる。
「雷で、誰も死なないのか?」
「紫輝が放つ雷は、人の生気を吸うのです。彼と剣を合わせた者も、生気を吸われます。敵はその場で昏倒するのですが。気を失っているだけなのです」
「でもそれでは、敵の数が減らないじゃないか」
「将堂軍は、それでいいのです。以前お話ししたように、将堂は話し合いで物事を解決するのが基本理念なので、無駄な殺生を禁じています。なので、紫輝はとても将堂の理念に則した龍鬼なのですよ」
「あとひとりは?」
「高槻廣伊は、花龍です。植物の成長を促進する龍鬼ですが、戦場ではあまり能力を出せず。私と同じように剣術に特化した龍鬼です。右第五大隊長。紫輝の上官にあたります」
「堺、いちいち教えてもらって、ごめんな? 以前のことが思い出せたら堺を煩わせなくて済むのだが…」
ちょいちょい、己は記憶喪失ですとほのめかせておく。
一番、堺に気づかれてはならないのだ。
絶対、記憶を消されたくないから。
だって、氷の精霊のごとく美しい堺も、己に触れられ照れる可愛らしい堺も、乗馬や剣術指南のときに見せる凛とした瞳の厳しい堺も、忘れたくないのだ。
人との関わりは、こうした小さな時間の積み重ねだ。
堺と過ごした時間は、どれもかけがえがなく、失いたくない宝物。
二度と奪われたくない、大事な宝物だから。
「謝ることなどありません。煩わしくなどないですし。わからないことをそのままにするより聞いていただいた方がこちらもありがたいのです。それよりも、無理に思い出そうとして体を痛めつけることがないか、それが心配です」
「ふふ、堺は優しいな」
そう言って髪に触れると。堺は頬を色づかせる。
白皙の、氷の彫像、そう思っていたときもあったが。
この頃は、はにかんで目蓋をわずかに伏せたり。遠慮がちに微笑んだり、柔らかい表情が増えてきたように見える。
つまり、可愛い。
「優しいし、綺麗だ。堺の髪は透き通っていて、キラキラしている」
褒めたのに、堺はなぜか悲しげに眉を下げる。
「私の白髪は、雪女のようで薄気味悪いと言われているのです。綺麗などではありません」
こういう心無い言葉ひとつひとつに、堺は傷ついてきたのだな。
そう思うと、可哀想にと思う気持ちと同時に。腹立たしさも湧いてくる。
青桐は、堺の頭をよしよしと撫でた。
なんてことを言うのだろう。
言葉の刃を振りかざすやつが、堺のそばにいたのだ。怒りがこみ上げる。
己がそばにいたら、そんな言葉は絶対に堺の耳には入れない。
堺の耳が汚れてしまう。
「堺の美しさがわからないやつの言うことで、傷つくんじゃない」
ひと房堺の髪を手に取り、青桐はくちづける。
白く光り輝くその髪は、いい匂いがして、ツルリとして。青桐は唇で、その感触を楽しむ。
「俺の好きな、髪の色だ。俺が綺麗だと言った、そのことだけを覚えていればいい」
「…紫輝も。私の髪を綺麗だと言ってくれました」
くそっ、あの黒猫耳めっ。
紫輝に一歩先を越され、心の中で地団太を踏む。
「でも、青桐様の言葉を覚えておきます」
だが、堺のたったの一言で。青桐は。
ブワッときた。グアッと羽を広げそうになった。
たまらず、膝立ちで二歩近寄り。髪ごと堺の頬に手をあてがうと。くちづけた。
堺の長い髪が、頬の辺りでたわんで、青桐の指に絡む。
グッと唇を押しつけると。堺は押しのけたいのか、手を青桐の胸元でさ迷わせる。
でも拒絶もできなくて、青桐の襟元を手で握った。
その一連の仕草が、青桐をたぎらせる。
しかし舌で唇に触れたら、さすがに身を離された。
「いけません、青桐様。これ以上は…勘違い、してしまいます」
「どんな勘違い?」
青桐は忍耐強く、堺に問いかける。堺を傷つけないように。追い込まないように。
なにが怖いんだ? と、目でも問いかける。
堺は顔を真っ赤にして、うつむく。
己が髪を鷲掴んだから、ちょっと乱れてしまった。でも、アホ毛でも。なぜか美しい。
「そのようなことは、言えません」
あまりにも恥ずかしそうにしているので。
もしかして体目当てだと思われているのかと、ヒヤッとした。
「堺、無理に進める気はないんだ。だから堺が嫌なときは、嫌と言ってくれ。ふたりのときは、上官と部下じゃないから、断っても俺は怒らないからな?」
己は紫輝が言うような、強姦する乱暴男ではない。
そう直截な言葉では言わないが、優しい言葉で堺の意思を尊重すると示した。
でも堺は、今にも泣きそうな瞳で小さく首を振る。
「なにも、嫌なことなどありません」
「うーん、じゃあ、堺はなにを…戸惑っているんだ?」
大丈夫、心配ない、というように。青桐は、乱れた堺の髪をやんわり指で梳いて、直す。
質問に、堺はしばし考えて。
ハッとしたみたいな目で見た。
「…不躾な質問をしてもよいですか?」
「うん。どうぞ?」
青桐は堺としっかり向き合うため、その場に座り。心も体も腰を据えた。
「たとえ話、ですが。私と青桐…は恋人同士です。貴方は、今私とキスできなければ、一生私とキスできなくなります。でも私は人前でキスなどできないと、泣いて拒みます。青桐は、どうしますか?」
「キスするな。そしてあとで、謝り倒す」
即答だった。つか、それしか答えなくね?
「堺はどうする? 俺と一生キスできなくても、いい?」
この質問は、堺には早いような気がした。
拒んでいる相手に無理矢理キスするような、野蛮な性質でもなさそうだし。
まだまだ龍鬼として、人に触れることに抵抗がある。
だから、断られると思った。
「嫌です」
やっぱり、と思って。青桐は苦笑したが。
堺は苦笑を刻む唇に、かするキスをした。
「すみません。貴方に一生触れてもらえなくなると思ったら…ん」
言葉の途中だが、青桐は堺に唇を合わせた。
いやいや、これは無理。
そんなの。我慢なんか、できっこない。
堺がどういう意図で、この質問をしてきたのかわからないが。
堺は今、己に触れられたいと言ったのだ。それを知って触れないなんて、あり得ない。
膝立ちになった青桐は、正座する堺をまたいで、両手で頬を包んで。くちづけた。
するとなにかが吹っ切れたのか、堺から抵抗を感じなくなった。
青桐に身を委ね、すべてを預けているような感覚。
手に伝わる、頭の重み。
可愛い。吐息も。薄くて柔らかい唇も。なにもかも、食べてしまいたい。
「愛してる、堺。口を開いて。俺をもっと、受け入れてくれないか?」
堺は驚いたように、目を丸くした。そして、ゆっくり口を開く。
桃色の舌を見せる堺は、とても扇情的だった。
「舌を、くすぐるから。驚かないで」
断りを入れてから、深くくちづけた。そんなつもりはなかったと言って、舌を噛まれては困るから。
同意、大切。
堺の口腔に舌を差し入れると、彼の舌の真ん中を舌先でくすぐり、ゆっくりと絡めていく。
「ん、ふ、んん…」
初めてで、要領がわからないのか。舌のうごめきに合わせて堺が鼻声を漏らす。
これは、腰にくる。
「大丈夫? 気持ち悪くない?」
唇を離して、堺に問いかける。
深いくちづけは、初めてだろうから。しつこくしない。
自分も、初めてだけど。
とにかく我慢。
薄っすら濡れた唇が、己を誘うが。我慢我慢。
「舌の上をくすぐられると、ぞくぞくします」
膝立ちをしているから、今は己の方が頭が上の位置だ。だから、堺が見上げている。
薄青の瞳がウルウルで、薄く開いた唇から、まだ舌が見えている。
あの舌に、触れたのだ。
うぅ、堺は初心ながら、いやらしい。
「愛しているから、青桐はキスをするのですか? さっき…愛していると…」
自信がなさそうに、上目遣いで聞いてくる。
んんっ、綺麗なお兄さんの上目の破壊力、ヤバいんですけど。
「うん。愛していると、言ったよ。堺、愛している。好きだから、キスする。キス、したいんだ。俺が好きだと言ったこと、忘れていた?」
「いえ…でも、青桐は優しいから」
うん、なるほど。
なんとなく、本気にされていなかったような気はしていた。
慰めの延長、みたいな?
「同情だと、思っていたんだな? でも同情でキスするほど、俺は軽い男じゃない。そんなふうに思われていたのなら、悲しいな」
「そんな。青桐が誠実な方なのは、わかっています。すみません。私が未熟だったので」
それで、堺は種明かしをした。
先ほどの質問が紫輝の受け売りで。
一生キスできなくなるのに行動に移せないのは、恋ではないということだと。
「私は、自分の気持ちがわからなかったし。青桐も、優しいから傷ついた私を気遣ってくださるのだと。そう、思って。でも…」
「自分が恋をしていると、気づいてくれた?」
「今、ここでキスしなきゃって。思いました」
小花が開いたような、はにかんだ笑みで見上げられ。
青桐は堺の頬を、卵を抱くかのようにそっと手で包み込んで、くちづけた。
そして、頬にも、鼻の上にも、目蓋にも、ついばむキスを贈る。
両想い、とは思ったが。
己の嬉しさよりも、幼気な堺が愛らしくて。
もう、大事に。なにもかもから守るように。大切に大切に、愛してあげたい。
そんな想いが、体の奥からふつふつと湧き上がってきたのだ。
鼻と鼻をこすりつけるようにして、愛情を示す。
ゆっくり、どれだけ己が堺を好きか、愛しているか。表していこうと思った。
「これは、なんですか? 私は、どうしたらいいですか?」
愛しい気持ちの表れを察するというのは、堺にはまだ高等技術のようだ。
「なにもしなくていいよ。ただ、俺をそばに感じてくれたら」
唇に、チュッとついばむキスをする。
唇のキスの方が、堺にはわかりやすいみたいだ。でも。
「愛情の示し方は、キスだけじゃないし。キスもいろいろ種類があるよ」
「種類が、あるのですか?」
「うん。おいおい教えていくよ。いい?」
「はい。よろしくお願いします」
なにやら、授業を受ける生徒のような意気込みで、堺は言うが。
本当に、なにもかも知らないような堺が。可愛くて、愛しくて、無垢で、いじらしい。
なにを教えてくれるのか? という期待の目がキラキラしていて。
邪な己には、まぶしすぎる。
でも、そんなふうにみつめられたら…もっと、したくなってしまうよ。
青桐は。もう一回だけ舌をくすぐるキスをして。二回ついばんで、離れた。…つらい。
「今日は、ここまで。堺のこと、大事にしたいし。怖がらせたくないから。ゆっくり愛させて。いいか?」
「はい。青桐は、優しい方ですね?」
そんなに盲目的に信頼されてしまうと、することがアレなので、後ろめたくなるけれど。
とりあえず、三歩進んで二歩さがったが。五歩進むことができたようだ。
元日。次の日には将堂軍の本拠地へ移動するため、慌ただしい雰囲気の幸直の別荘屋敷であるが。忙しいのは荷物をまとめたり運び出したりする使用人ばかりで。
青桐と幹部連中は、居間で正月の御馳走を満喫していた。
海の幸がふんだんに並んでいる。山の中で暮らしていた青桐は、初めて食べるものばかりだ。
しかし、体作りのために節制できる人なので、いくら美味しくても珍しい食材でも、がっついたりはしない。
雑煮の餅は、ひとつだ。
「あの、軍服の色なのだが。俺も堺と同じ薄青にしたいと思っている…」
青桐は、内心ドキドキしながら幹部に告げた。
幹部たちの軍服は、堺以外は茶色のありふれた色だ。
それはみんなの翼の色が、木の葉色だからで。巴は黒い翼だが、あまり目立つことはしたくない主義らしい。
つまり、やはり紫輝が言ったように。軍服の色は好きに選べるようなのだ。
元々赤穂の軍服は、暗い赤色だったという。改名したんだから青でもいいんじゃね? なんて。紫輝はおざなりな感じで言っていたが。
なんで赤じゃないのか、とか。ツッコまれないかなぁ…と、少し心配している。
そうしたら幸直が、にっこり笑って説明してくれた。
「よろしいんじゃないですか? 名前にも青が入っているし。どちらにしろ、今青桐様に渡してある軍服は、俺の採寸なので。もちろん新品ではあるのですが、急なことだったので、身長が近い俺の予備を貸与したのです。ですから本拠地に行ったら、まず採寸し。それから青桐様の軍服を新調いたしましょう」
「そうか。ではそのときに、薄青で頼むことが出来るのだな?」
「ですが青桐様、龍鬼の私と同じ色というのは…」
難色を示したのは、やはり堺だった。
それについては、青桐には策があったのだ。
「紫輝の部下も、紫輝と同じ紫の軍服を着用していた。信頼を見て取れて、いいなと思ったんだ。堺は、俺の氷龍なのだから。同じ色のものを着て、俺と堺は信頼を築いているのだと知らしめたい」
「それは名案ですね。堺、そのように取り計らってやれ」
瀬間にも同意され。堺はぎこちなくうなずく。
作ってしまえばこっちのものなので、あとはどうにでもなる。
ほくほく顔で、青桐は上品な仕草で雑煮を食べた。
ところで、青桐は。三十日に金蓮と会った。
燎源も、年末に会えるよう調整するというようなことを言っていたので。宣言通りになったということだ。
金蓮は屋敷には上がらず、庭で対面するという先触れがあった。
寒いのに、なんでか? と、そばにいた幸直に聞くと。
彼は苦笑して、驚愕の言葉を吐いた。
「龍鬼のいる屋敷に上がるつもりはない…ということかと」
は? 嘘だろ?
いくらなんでも…穿ちすぎではないか、と。青桐は思ったのだが。
いざ対面のとき、金蓮の後ろには燎源が付き従い。青桐の後ろには、堺…ではなく瀬間がついた。
紫輝が、金蓮は堺を毛嫌いしているなんて言っていたが。
それは幹部も承知の、いや誰もが知っている事実であるらしい。
まじか?
「記憶喪失らしいが、その後体調はどうだ?」
白々しくも金蓮に聞かれ、青桐も白々しく流麗に答えを返す。
「問題ありません。幹部の者が良くしてくれるので、何不自由なく過ごしております」
「…家族に会いたいと、言っていると聞いたが。なにか質問でも?」
うーん、質問か。考えていなかったな。
「ただ会えば、なにか思い出せるかと思ったのです。お忙しいのに、すみません」
「よい。記憶を無くして心細いのだろう。気になることがあれば、幹部に相談しなさい」
あれ? これ遠回しに、私を呼び出すなって言ってる?
まぁ、いい。
「わかりました。ありがとうございます」
とりあえず礼を言っておけば角は立たないだろうと思った、青桐だった。
「間宮とは会ったか? 彼はなにか言っていたか?」
目の前の己より、紫輝の方が気になるのか。金蓮は聞いてきた。
あの黒猫耳、金蓮にも噛みついたのかもしれない。
そう思うと、ちょっと愉快だ。
紫輝からはヤベェくらい、膨大な情報量をもらい受けた。
でも、それを言う気はない。
「いえ、名乗りを受けただけで、特には。あぁ、友達だったというので、また友達になりました」
「彼には年明けに幹部入りの辞令を出すが、龍鬼と友達というのは将堂家の者として体裁が悪い。龍鬼とは距離を置いて接するのが良いだろう」
嫌です、堺を嫁にするつもりなので。
そう思いながらも、返事はせずに。ただ、にこやかでいた。
兄上という人は、やはり胸糞悪かった。
だって堺が、言われなくても気を利かせて姿を見せないほどに龍鬼を嫌っているのだと、ビンビン伝わったから。
紫輝や幸直からの情報を耳に入れなくても、いずれ差別的だとわかっただろうと思うくらいには。あからさまだ。
己とは相入れない。
それと、おそらく。己を操り人形にしたいのはこの人なのだろう。
自分が扱いやすい男を、この人はお望みなのだ。
でもあまり興味がなさそうにも、見えるかな? このまま放っておいてくれた方が、ありがたい。
こっちも興味ないんで。
考察。兄上という人は、龍鬼が嫌い。
将堂家を重んじて、体裁を気にする。
ゆえに己にも、龍鬼から距離を取れと助言する。
そして、赤穂の替え玉である己には、興味なし。
はいはい、なるほど。
金蓮が帰ったあと、瀬間と入れ替わりで堺が後ろについた。
「金蓮様とお会いになって、いかがでしたか? ご家族が目の前に現れれば、より実感するでしょう? 決してひとりではないのだと」
堺はとても嬉しそうに、青桐に聞いてきた。
あぁ、癒されるぅ。
金蓮、燎源、という。気の抜けない相手と会ったあとの、お花畑。
なんの邪気もない、ただただ己に優しい気を向けてくれる、一服の清涼剤。
でも堺としては、記憶を失った己の心細さを、家族が晴らしてくれるのではないかと期待したようなのだ。
「ごめんな、堺。もしも肉親に会ったら、なにかしら感じるところがあるかもしれないと思ったんだが。なにも感じなかったな」
「…そうでしたか」
がっかりしたように、堺は眉を少し下げた。
金蓮と己が肉親ではないと、堺は知っている。本当の血縁ではないから、青桐がなにも感じなかったのだと思っているようだ。
まぁ、それでいいよ、堺。
己が欲しいのは、貴方だけなのだから。
「兄上に会ってもピンとは来なかったが、でも大丈夫。堺がそばにいてくれるから、俺は心細くなどないよ」
そっと堺の背に触れると。彼はビクリとして、少し距離を離した。
金蓮が来たから、龍鬼である己をまた戒めてしまったのかもしれない。
将堂家の方のそばに龍鬼がいてはならないと、先ほど金蓮が言ったように。
忌々しい。
せっかく、ゆっくりゆっくり堺との距離を縮めてきたというのに。
金蓮の出現で水の泡になった。
いやいや、大丈夫。堺が下がったのなら、己が一歩踏み込めばいいのだ。
大晦日は、堺と海辺まで遠乗りした。
誰もいない砂浜で、しばらくふたりきりで過ごし、手をつなぐ。
初めて手を握ったのは、彼が己の記憶を消すためだった。
その次、己から手を握ったとき。堺は脅えていて、戸惑いを見せていた。
己が怖いわけではなく。人に接すること自体に、慣れていない様子だったのだ。
ほんの、半月前の話。
でも、さすがにもう、手をつなぐぐらいで堺は脅えない。
己との触れ合いに慣れてくれた、のかな?
君が好きだと、そんな想いを込めてみつめれば。
堺も、戸惑いながらもみつめてくる。
その瞳は、もうなにも知らない色ではない。
キスをして。己を意識し始めている。水色の瞳。
大丈夫。ちゃんと進んでいる。
ちょっとずつでも。堺と己と、歩調を合わせて進んで行けばいいんだ。
おせちを食べながら、そんなことを考えていた。元日の朝だった。
★★★★★
日が落ちて、明日は早い出発だというので。幹部はみんな自室に戻っていった。
青桐は堺の部屋で普段通りくつろいでいる。でも囲炉裏は早々に閉じられていて。
なんとなく、巣立ちを意識してしまうな。
この部屋で、堺と寝床を並べて寝るのも最後だ。
そう思うと、一線超えておきたいような気もするが。
いや、まだまだ早い。
堺の気持ちが己と同じところではないうちは、紫輝の言う同意にはなりえないだろう。
「堺は氷龍だが。紫輝はなんなんだ? つか、龍鬼は何人いるんだ?」
青桐には、まだまだ知らないことがいっぱいある。特に、軍あるあるについて。
軍服の件もそうだが。龍鬼のことも。
みんな承知しているのに、自分は知らないというものが多そうだ。
「将堂の龍鬼は、私を含め三人です。紫輝は雷龍と言われていて、雷を落とすのですよ」
「うわっ、小さいのにえげつな。じゃあもしかして、あいつが最強?」
「ええ、そうですね。でも紫輝はひとりも殺していないのです。だから、殺さずの雷龍と呼ばれています」
なんとなく、尊敬ぃという眼差しで、堺は紫輝のことを語った。
青桐は、雷で、敵も味方もぶっ飛ばす紫輝の姿を脳裏に浮かべていたので。首を傾げる。
「雷で、誰も死なないのか?」
「紫輝が放つ雷は、人の生気を吸うのです。彼と剣を合わせた者も、生気を吸われます。敵はその場で昏倒するのですが。気を失っているだけなのです」
「でもそれでは、敵の数が減らないじゃないか」
「将堂軍は、それでいいのです。以前お話ししたように、将堂は話し合いで物事を解決するのが基本理念なので、無駄な殺生を禁じています。なので、紫輝はとても将堂の理念に則した龍鬼なのですよ」
「あとひとりは?」
「高槻廣伊は、花龍です。植物の成長を促進する龍鬼ですが、戦場ではあまり能力を出せず。私と同じように剣術に特化した龍鬼です。右第五大隊長。紫輝の上官にあたります」
「堺、いちいち教えてもらって、ごめんな? 以前のことが思い出せたら堺を煩わせなくて済むのだが…」
ちょいちょい、己は記憶喪失ですとほのめかせておく。
一番、堺に気づかれてはならないのだ。
絶対、記憶を消されたくないから。
だって、氷の精霊のごとく美しい堺も、己に触れられ照れる可愛らしい堺も、乗馬や剣術指南のときに見せる凛とした瞳の厳しい堺も、忘れたくないのだ。
人との関わりは、こうした小さな時間の積み重ねだ。
堺と過ごした時間は、どれもかけがえがなく、失いたくない宝物。
二度と奪われたくない、大事な宝物だから。
「謝ることなどありません。煩わしくなどないですし。わからないことをそのままにするより聞いていただいた方がこちらもありがたいのです。それよりも、無理に思い出そうとして体を痛めつけることがないか、それが心配です」
「ふふ、堺は優しいな」
そう言って髪に触れると。堺は頬を色づかせる。
白皙の、氷の彫像、そう思っていたときもあったが。
この頃は、はにかんで目蓋をわずかに伏せたり。遠慮がちに微笑んだり、柔らかい表情が増えてきたように見える。
つまり、可愛い。
「優しいし、綺麗だ。堺の髪は透き通っていて、キラキラしている」
褒めたのに、堺はなぜか悲しげに眉を下げる。
「私の白髪は、雪女のようで薄気味悪いと言われているのです。綺麗などではありません」
こういう心無い言葉ひとつひとつに、堺は傷ついてきたのだな。
そう思うと、可哀想にと思う気持ちと同時に。腹立たしさも湧いてくる。
青桐は、堺の頭をよしよしと撫でた。
なんてことを言うのだろう。
言葉の刃を振りかざすやつが、堺のそばにいたのだ。怒りがこみ上げる。
己がそばにいたら、そんな言葉は絶対に堺の耳には入れない。
堺の耳が汚れてしまう。
「堺の美しさがわからないやつの言うことで、傷つくんじゃない」
ひと房堺の髪を手に取り、青桐はくちづける。
白く光り輝くその髪は、いい匂いがして、ツルリとして。青桐は唇で、その感触を楽しむ。
「俺の好きな、髪の色だ。俺が綺麗だと言った、そのことだけを覚えていればいい」
「…紫輝も。私の髪を綺麗だと言ってくれました」
くそっ、あの黒猫耳めっ。
紫輝に一歩先を越され、心の中で地団太を踏む。
「でも、青桐様の言葉を覚えておきます」
だが、堺のたったの一言で。青桐は。
ブワッときた。グアッと羽を広げそうになった。
たまらず、膝立ちで二歩近寄り。髪ごと堺の頬に手をあてがうと。くちづけた。
堺の長い髪が、頬の辺りでたわんで、青桐の指に絡む。
グッと唇を押しつけると。堺は押しのけたいのか、手を青桐の胸元でさ迷わせる。
でも拒絶もできなくて、青桐の襟元を手で握った。
その一連の仕草が、青桐をたぎらせる。
しかし舌で唇に触れたら、さすがに身を離された。
「いけません、青桐様。これ以上は…勘違い、してしまいます」
「どんな勘違い?」
青桐は忍耐強く、堺に問いかける。堺を傷つけないように。追い込まないように。
なにが怖いんだ? と、目でも問いかける。
堺は顔を真っ赤にして、うつむく。
己が髪を鷲掴んだから、ちょっと乱れてしまった。でも、アホ毛でも。なぜか美しい。
「そのようなことは、言えません」
あまりにも恥ずかしそうにしているので。
もしかして体目当てだと思われているのかと、ヒヤッとした。
「堺、無理に進める気はないんだ。だから堺が嫌なときは、嫌と言ってくれ。ふたりのときは、上官と部下じゃないから、断っても俺は怒らないからな?」
己は紫輝が言うような、強姦する乱暴男ではない。
そう直截な言葉では言わないが、優しい言葉で堺の意思を尊重すると示した。
でも堺は、今にも泣きそうな瞳で小さく首を振る。
「なにも、嫌なことなどありません」
「うーん、じゃあ、堺はなにを…戸惑っているんだ?」
大丈夫、心配ない、というように。青桐は、乱れた堺の髪をやんわり指で梳いて、直す。
質問に、堺はしばし考えて。
ハッとしたみたいな目で見た。
「…不躾な質問をしてもよいですか?」
「うん。どうぞ?」
青桐は堺としっかり向き合うため、その場に座り。心も体も腰を据えた。
「たとえ話、ですが。私と青桐…は恋人同士です。貴方は、今私とキスできなければ、一生私とキスできなくなります。でも私は人前でキスなどできないと、泣いて拒みます。青桐は、どうしますか?」
「キスするな。そしてあとで、謝り倒す」
即答だった。つか、それしか答えなくね?
「堺はどうする? 俺と一生キスできなくても、いい?」
この質問は、堺には早いような気がした。
拒んでいる相手に無理矢理キスするような、野蛮な性質でもなさそうだし。
まだまだ龍鬼として、人に触れることに抵抗がある。
だから、断られると思った。
「嫌です」
やっぱり、と思って。青桐は苦笑したが。
堺は苦笑を刻む唇に、かするキスをした。
「すみません。貴方に一生触れてもらえなくなると思ったら…ん」
言葉の途中だが、青桐は堺に唇を合わせた。
いやいや、これは無理。
そんなの。我慢なんか、できっこない。
堺がどういう意図で、この質問をしてきたのかわからないが。
堺は今、己に触れられたいと言ったのだ。それを知って触れないなんて、あり得ない。
膝立ちになった青桐は、正座する堺をまたいで、両手で頬を包んで。くちづけた。
するとなにかが吹っ切れたのか、堺から抵抗を感じなくなった。
青桐に身を委ね、すべてを預けているような感覚。
手に伝わる、頭の重み。
可愛い。吐息も。薄くて柔らかい唇も。なにもかも、食べてしまいたい。
「愛してる、堺。口を開いて。俺をもっと、受け入れてくれないか?」
堺は驚いたように、目を丸くした。そして、ゆっくり口を開く。
桃色の舌を見せる堺は、とても扇情的だった。
「舌を、くすぐるから。驚かないで」
断りを入れてから、深くくちづけた。そんなつもりはなかったと言って、舌を噛まれては困るから。
同意、大切。
堺の口腔に舌を差し入れると、彼の舌の真ん中を舌先でくすぐり、ゆっくりと絡めていく。
「ん、ふ、んん…」
初めてで、要領がわからないのか。舌のうごめきに合わせて堺が鼻声を漏らす。
これは、腰にくる。
「大丈夫? 気持ち悪くない?」
唇を離して、堺に問いかける。
深いくちづけは、初めてだろうから。しつこくしない。
自分も、初めてだけど。
とにかく我慢。
薄っすら濡れた唇が、己を誘うが。我慢我慢。
「舌の上をくすぐられると、ぞくぞくします」
膝立ちをしているから、今は己の方が頭が上の位置だ。だから、堺が見上げている。
薄青の瞳がウルウルで、薄く開いた唇から、まだ舌が見えている。
あの舌に、触れたのだ。
うぅ、堺は初心ながら、いやらしい。
「愛しているから、青桐はキスをするのですか? さっき…愛していると…」
自信がなさそうに、上目遣いで聞いてくる。
んんっ、綺麗なお兄さんの上目の破壊力、ヤバいんですけど。
「うん。愛していると、言ったよ。堺、愛している。好きだから、キスする。キス、したいんだ。俺が好きだと言ったこと、忘れていた?」
「いえ…でも、青桐は優しいから」
うん、なるほど。
なんとなく、本気にされていなかったような気はしていた。
慰めの延長、みたいな?
「同情だと、思っていたんだな? でも同情でキスするほど、俺は軽い男じゃない。そんなふうに思われていたのなら、悲しいな」
「そんな。青桐が誠実な方なのは、わかっています。すみません。私が未熟だったので」
それで、堺は種明かしをした。
先ほどの質問が紫輝の受け売りで。
一生キスできなくなるのに行動に移せないのは、恋ではないということだと。
「私は、自分の気持ちがわからなかったし。青桐も、優しいから傷ついた私を気遣ってくださるのだと。そう、思って。でも…」
「自分が恋をしていると、気づいてくれた?」
「今、ここでキスしなきゃって。思いました」
小花が開いたような、はにかんだ笑みで見上げられ。
青桐は堺の頬を、卵を抱くかのようにそっと手で包み込んで、くちづけた。
そして、頬にも、鼻の上にも、目蓋にも、ついばむキスを贈る。
両想い、とは思ったが。
己の嬉しさよりも、幼気な堺が愛らしくて。
もう、大事に。なにもかもから守るように。大切に大切に、愛してあげたい。
そんな想いが、体の奥からふつふつと湧き上がってきたのだ。
鼻と鼻をこすりつけるようにして、愛情を示す。
ゆっくり、どれだけ己が堺を好きか、愛しているか。表していこうと思った。
「これは、なんですか? 私は、どうしたらいいですか?」
愛しい気持ちの表れを察するというのは、堺にはまだ高等技術のようだ。
「なにもしなくていいよ。ただ、俺をそばに感じてくれたら」
唇に、チュッとついばむキスをする。
唇のキスの方が、堺にはわかりやすいみたいだ。でも。
「愛情の示し方は、キスだけじゃないし。キスもいろいろ種類があるよ」
「種類が、あるのですか?」
「うん。おいおい教えていくよ。いい?」
「はい。よろしくお願いします」
なにやら、授業を受ける生徒のような意気込みで、堺は言うが。
本当に、なにもかも知らないような堺が。可愛くて、愛しくて、無垢で、いじらしい。
なにを教えてくれるのか? という期待の目がキラキラしていて。
邪な己には、まぶしすぎる。
でも、そんなふうにみつめられたら…もっと、したくなってしまうよ。
青桐は。もう一回だけ舌をくすぐるキスをして。二回ついばんで、離れた。…つらい。
「今日は、ここまで。堺のこと、大事にしたいし。怖がらせたくないから。ゆっくり愛させて。いいか?」
「はい。青桐は、優しい方ですね?」
そんなに盲目的に信頼されてしまうと、することがアレなので、後ろめたくなるけれど。
とりあえず、三歩進んで二歩さがったが。五歩進むことができたようだ。
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