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番外 筆頭参謀、里中巴 4
巴が幹部入りして、二年ほどが過ぎたが。特に大きな動きはなかった。
いや、周りでは、いろいろあったのだ。
新しい龍鬼が入軍してきたり、裏切りがあって大隊が壊滅しそうになったり。
しかし巴に、直接なにかがあったわけではないので、なにもなかったということなのだ。
巴はただ粛々と、毎日を過ごし、たまに絵を描いているだけ。
ある意味、幸せな日々であった。
変わりがあった、というと。幸直には変わりがあった。
赤穂の指示で、特殊任務につき、十月中頃に本拠地に戻ってきたのだが。
そのとき、少し様子が変わっていた。
いつものように、巴の屋敷の道場に顔を出した幸直は、ふたりで試合形式の鍛錬をして、一汗流したあと。切り出した。
「俺はさ、この世の中で、恋だの愛だのは、まやかしだと思っていたよ。結婚相手にも、そういう気持ちは、いっさい湧いてこなかったからな。他に、付き合ってみたら? なんて、紫輝に言われたけど。手を上げる輩は、美濃の家に入る優越感や、金が目当ての者ばかり。その気になんねぇよ」
巴はうなずく。名家の当主ならではの悩みだな、心中お察しいたします。
ま、ここまでは。今まで通りの、幸直なのだが。
ちなみに、さらりと話題に出た紫輝というのは、新しい龍鬼の名前だが。
彼と友達になったのか、よく話題にのぼるようになった。
かなり、お気に入りの様子だ。
かといって、嫉妬なんかはしない。
美濃と龍鬼が恋仲になる、というのは。やはり風当たり厳しそうだが。
手裏基成よりはマシだろう。
己と比べれば、誰でもマシなのだ。
「でもさ、巴とだったら、恋ができるんじゃないかな? 巴は、俺の金なんか目当てにしなくても、もうそれなりの稼ぎがありそうだし。美濃の家にも興味ないだろ?」
いかにも、どちらにも興味はない。
興味があるのは幸直、それ自身だけだ。
「その、紫輝とやらと付き合ってみたら、どうなんだ?」
「うん、それもアリなんだけど。紫輝は赤穂様のお気に入りで、手を出したら殺されそうなんだよ。それに、紫輝と付き合いたいなんてほのめかしたら、なんでか、側近も先生も、烈火のごとく怒った。紫輝は人気者なんだ」
側近はともかく、幸直の言う先生こと高槻が、烈火のごとく怒る場面は、想像がつかない。
つか、准将のお気に入りって、紫輝って何者?
っていうか、アリなんだ…。
「幸直は、恋がしたいのか?」
聞いてみたら、首を傾げる。なんなんだ?
「恋が、どんな風な気持ちになるのか、わからねぇんだ。ただ、この前の任務で。すっごくつらそうだったけど、すっごく幸せそうな恋人を見ちゃって。それが男同士だったから、あぁ、巴ともアリなんだって、思っただけ」
自分とも、アリなんだ…ふーん。
「アリじゃないよ。僕たちは愛し合っていない」
いやいや、嬉しがったら駄目です。
幸直と己は、最高の絵の題材と、それを描く者。
将堂の名家と、腐った手裏基成。
決して相容れない、相容れては駄目な間柄。ここは訂正しておかないと。
「ええぇぇ? つれないなぁ、巴はっ」
残念そうに言いながら、道場に寝転がった。
汗で床が濡れるから、やめろ。
「愛はわからねぇけど。俺たちキスはしてるじゃん?」
「おまえが一方的にしてくるやつな」
「拒まないところに、俺は巴の愛を感じるけど? 俺も、キスは巴としかしないぜ?」
幸直は巴の手を掴んで、同じように床に寝転ばせると。身を寄せて、くちづけてきた。
駄目だと思っても、魅了されているから、求められたら拒めない。
情欲に支配されて、熱い目でみつめてくる幸直も、絶品なので。目に焼きつけたいし。
あとで絵に起こして、悶えたいし…。
横になって、向かい合って。唇と唇を合わせて。二度ついばんだら、口腔に舌を差し入れる。ぬるりとした舌を舐め合って。
そのとき、顔にあてられた手の指先が、頬をくすぐる感触に、笑ってしまう。
「ほら、巴も俺のこと、好きだろ?」
「気持ち良いキスは、好きだな」
「くっそ。じゃあ、もっと良いキスして、虜にさせてやる」
幸直が上に覆いかぶさってきて、顔のあちこち、ついばんだり齧ったり舐めたり、滅茶苦茶なキスをしてくるので、巴は笑いながら逃げる。
「わっ、やめろ、この駄犬がっ。ご主人様を押し倒すんじゃない」
その日はわちゃわちゃして、なんとか誤魔化したけれど。
上から見下ろしてくる幸直の、壮絶な男の色気に、危なく流されそうになって、困った。
からかってるように見せて、目がマジなんだもん。
紫輝とやら、いったい幸直になにを吹き込んでくれたんだい?
★★★★★
その紫輝に、巴は早々に会うことができた。
それは赤穂が亡くなり、青桐を身代りに立てろという金蓮からの指示を受け。側近も戦線離脱するという、巴にとっても大きな事件が起きた、そのあとのことだった。
愛鷹山にある、幸直の別宅において。青桐を赤穂に仕立てるべく教育していた、暮れも押し迫った頃。
紫輝が屋敷をたずねてきたのだ。
絵を描いていることは、幸直にも内緒にしているので。この屋敷にいる間は、絵を描けず。青桐に兵法指導をする以外は、暇な巴は。もっぱら道場で鍛錬をするか。馬で遠乗りに出るか。しかない。
でも、街中でも。巴はハグレ扱いなので、マントは脱げないし。
手裏にみつかれば厄介だしで。
外に出て行くのは、気が引ける。つまり、道場で鍛錬するのが、一番、波風が立たないのだ。
道場をのぞけば巴がいる、と幸直も瀬間も、己のことを剣術大好き人間だと思っているようだった。
誤解です。
あぁ、暇すぎるから。やっぱり紙を買ってきて、こっそり絵を描こうかな…。
「巴、やっぱりここにいたか」
道場をのぞいた幸直が、巴をみつけて声をあげる。
やっぱりってなんだよ。
そうだよ。絵を描く以外に趣味なんかないんだよ。
暇を持て余しているんだよ。
生きていくために鍛えるしかないんだよ。
幹部にまで上り詰めても、自分の剣技に自信のない巴は、すぐにも降格させられそうな気がして。鍛錬の手を抜けないでいた。
だが周りは。そんな巴を、己の実力に慢心しない、実直な男だと評価している。
そんな風に思われていると知らない巴は、消極思考で幸直を半目で睨むのだった。
「紫輝が来ているんだけど、巴はまだ会っていないだろ? 紹介してやるから、来いよ」
四月に入軍した新しい龍鬼を、巴はまだ目にしていなかった。
自分から見に行くような、好奇心満々な性質ではないし。
幹部にまでなって、なに言ってんだと思われたくはないが、できれば目立たずひっそり暮らしたいのだ。
誰が自分を手裏基成だと見咎めるかわからないから。
しかし、手裏軍には、なんでか手裏基成がいるようなので。それほど気をつかわなくても大丈夫なような気もするのだが。
油断大敵、なので。
己を知る人物は、少ない方がいいのだ。
でも、向こうから来たのなら、挨拶するしかない。
「来ているって…部外者をこの屋敷に入れて、大丈夫なのか?」
今、この屋敷では、赤穂と青桐を入れ替える大計画が進行中だ。
金蓮がすごい剣幕で、堺をなじって、強要させていたのを目の当たりにし。巴はビビった。
以前、龍鬼と己を引き合いに出して、幸直に怒られたことがあったが。
マジで、理不尽すぎて。龍鬼可哀想って、思ってしまったよ。
つまり、この計画がとん挫したら、あの剣幕がこちらにも向かってきそうだった。
怖ぇ。
「あぁ、紫輝は金蓮様から許可をもらってきたらしいから、大丈夫だ。今回の一件を知るひとりで…赤穂様はやっぱり亡くなったらしい。紫輝が看取ったって言ってた」
身を寄せてきて、幸直はこっそり囁いた。
涙ぐんでいる。
巴は黙って、手で幸直の頭をポンポン叩いて慰めた。
幸直は、右軍を剛腕で率いてきた赤穂に、心酔していた。
一番近い、身内でもあるので。亡くなったことが決定的となって、悲しみと怒りで心がぐちゃぐちゃ、というところか。
それでも、仮の赤穂である青桐の前で、赤穂の死を悲しむわけにもいかず。
持ち前の明るさで、なんとか気を紛らわせていたようなところがあるが。
親友である巴の前では、虚勢を張ることもない。
しばらく、巴の肩に頭を預けて、甘えていた。
そうしたら、道場の扉がガラリと開いて、青桐が顔を出した。
「…邪魔したか?」
「いえ、鍛錬ですか? どうぞ、青桐様。俺らは用があって、もう出るので」
サッと気持ちを切り替えて、頭をあげた幸直は、もう笑顔だった。
彼とともに、巴は道場を出る。
「それで、紫輝は協力者として合流したんだって。側近が位を正式に返上したので、幹部の地位も改変があるみたいだ。それに伴って、紫輝も幹部入りする」
「間宮は十八歳じゃなかったか? 僕も異例の、なんて言葉がよくついたが。叩き上げで、十八歳で、幹部入りは尋常じゃない出世だな」
「大隊長を経験していない者が幹部入りするのは、叩き上げでは初めてだろうな。どうなるかわからないが、今の彼は第五大隊副長という地位だから、兼務するんじゃないか?」
紫輝の話をするとき、幸直はわくわくして、目をキラキラさせる。
すっごい好きなんじゃね?
「じゃあ、彼が幹部入りしたら、幸直の恋の花が咲くのは間近だな」
言ったら、幸直は瞳を潤ませ、眉尻を情けなく下げ下げにした。
クマタカの威厳はどこへ?
「紫輝は、どっかの誰かと結婚したんだってぇ。龍鬼だから、結婚なんかできないって言ってたのにぃ…巴、今夜、慰めてくれ」
「馬鹿じゃないか。ひとりで泣いてろ」
また懐いてこようとする幸直を、今度はデコピンして撃退した。
そんな雑な口説き文句でほだされるやつはいないぞ。
「またまたぁ、そう言って、いつも俺を慰めてくれるだろ? 巴は優しいもんな」
いつもは一回撃退すると、引き下がるのに。今回はしつこく抱きついてこようとする。
巴は、そんな幸直をデコピン攻撃で跳ね除けていた。
「お、紫輝。探してたんだよ」
そうしたら、幸直が背後を見やって、言った。
巴も後ろに目を向けると。
堺の隣に、黒髪の少年が立っていた。
自分より背の低い、小柄な少年だ。
堺と並ぶと、頭ひとつ分以上低い。
この子が、噂の雷龍? ちっさ。
幸直が己を紹介している間、巴はジッと紫輝をみつめた。
目が力強くて印象的だが、他はそれほど特徴がないかな。
髪が跳ねてて、猫耳みたい。
一見は、やんちゃなお子様、といった感じか。
それにしても。今まで巴が見てきた龍鬼という者は、みんな見目麗しかった。
安曇も不破も、堺も高槻も、びっくりするほど整った顔貌で、巴などは凝視しまくってしまうのだが。
紫輝はそれほどでもない。
龍鬼だから美形、というわけではないらしい。
だけど、幸直も堺も、側近も准将まで、紫輝を知る者は、やたら彼に魅了されている。
溺愛、ぞっこん、大好きぃ…と、彼らの話口に表れている。
あれか? 性格がいいのか? 噛めば噛むほど味が出るスルメ系か?
「里中巴です。今回の件の協力者だと聞きました。これからよろしくお願いします」
幸直の長い紹介が終わり、巴は自分でも名乗って挨拶する。
紫輝は、名乗ろうとするが、声が震えていた。
ん? なんで? と思ったら。涙がポロリとこぼれて。
ええ? どうしたんですかぁ? と。巴は、重めの目蓋はピクリとも動かないながらも、内心では驚愕していた。
「ごめん。貴方の翼を見てしまって。俺が泣いたら、駄目なのに。つらいのは、貴方なのに。その羽に、貴方の苦しみが表れているから…」
巴が呆気に取られている間に、紫輝は堺を引っ張って、行ってしまった。なにが起きたのやら。
「な、僕の翼は、泣くほどみすぼらしいかい?」
隣にいる幸直に、巴は聞いた。
彼はただ、苦笑する。
「みすぼらしくなんかない。ただ、痛々しいんだ」
幸直は、巴の黒い翼を手でそっと撫でた。
折れた翼は、もう痛くはない。痺れていて、感覚もないのだ。
己には、必要ない翼。
絵を描くために、むしろ邪魔な翼。
空なんか飛べなくても、絵さえ描ければそれでいい。
その後、紫輝は不躾で申し訳なかったと言って謝ってくれた。
別に、己は翼に関して、なんの憂いもないので。謝罪を受け入れて仲直りしたわけだが。
気になると言えば、紫輝がすっっっごく同情的な目で見てくるのだけど。
まだ折れた翼が気になるのかな、くらいにしか、そのときは思わなかった。
年が明け。幹部の役職が一新された。
准将、将堂青桐。側近、麟義瀬間。将軍、時雨堺。次将軍、美濃幸直。そして筆頭参謀に里中巴。参謀、間宮紫輝。
巴は筆頭参謀になった。目立ちたくないから、これ以上の出世は結構です。
いや、周りでは、いろいろあったのだ。
新しい龍鬼が入軍してきたり、裏切りがあって大隊が壊滅しそうになったり。
しかし巴に、直接なにかがあったわけではないので、なにもなかったということなのだ。
巴はただ粛々と、毎日を過ごし、たまに絵を描いているだけ。
ある意味、幸せな日々であった。
変わりがあった、というと。幸直には変わりがあった。
赤穂の指示で、特殊任務につき、十月中頃に本拠地に戻ってきたのだが。
そのとき、少し様子が変わっていた。
いつものように、巴の屋敷の道場に顔を出した幸直は、ふたりで試合形式の鍛錬をして、一汗流したあと。切り出した。
「俺はさ、この世の中で、恋だの愛だのは、まやかしだと思っていたよ。結婚相手にも、そういう気持ちは、いっさい湧いてこなかったからな。他に、付き合ってみたら? なんて、紫輝に言われたけど。手を上げる輩は、美濃の家に入る優越感や、金が目当ての者ばかり。その気になんねぇよ」
巴はうなずく。名家の当主ならではの悩みだな、心中お察しいたします。
ま、ここまでは。今まで通りの、幸直なのだが。
ちなみに、さらりと話題に出た紫輝というのは、新しい龍鬼の名前だが。
彼と友達になったのか、よく話題にのぼるようになった。
かなり、お気に入りの様子だ。
かといって、嫉妬なんかはしない。
美濃と龍鬼が恋仲になる、というのは。やはり風当たり厳しそうだが。
手裏基成よりはマシだろう。
己と比べれば、誰でもマシなのだ。
「でもさ、巴とだったら、恋ができるんじゃないかな? 巴は、俺の金なんか目当てにしなくても、もうそれなりの稼ぎがありそうだし。美濃の家にも興味ないだろ?」
いかにも、どちらにも興味はない。
興味があるのは幸直、それ自身だけだ。
「その、紫輝とやらと付き合ってみたら、どうなんだ?」
「うん、それもアリなんだけど。紫輝は赤穂様のお気に入りで、手を出したら殺されそうなんだよ。それに、紫輝と付き合いたいなんてほのめかしたら、なんでか、側近も先生も、烈火のごとく怒った。紫輝は人気者なんだ」
側近はともかく、幸直の言う先生こと高槻が、烈火のごとく怒る場面は、想像がつかない。
つか、准将のお気に入りって、紫輝って何者?
っていうか、アリなんだ…。
「幸直は、恋がしたいのか?」
聞いてみたら、首を傾げる。なんなんだ?
「恋が、どんな風な気持ちになるのか、わからねぇんだ。ただ、この前の任務で。すっごくつらそうだったけど、すっごく幸せそうな恋人を見ちゃって。それが男同士だったから、あぁ、巴ともアリなんだって、思っただけ」
自分とも、アリなんだ…ふーん。
「アリじゃないよ。僕たちは愛し合っていない」
いやいや、嬉しがったら駄目です。
幸直と己は、最高の絵の題材と、それを描く者。
将堂の名家と、腐った手裏基成。
決して相容れない、相容れては駄目な間柄。ここは訂正しておかないと。
「ええぇぇ? つれないなぁ、巴はっ」
残念そうに言いながら、道場に寝転がった。
汗で床が濡れるから、やめろ。
「愛はわからねぇけど。俺たちキスはしてるじゃん?」
「おまえが一方的にしてくるやつな」
「拒まないところに、俺は巴の愛を感じるけど? 俺も、キスは巴としかしないぜ?」
幸直は巴の手を掴んで、同じように床に寝転ばせると。身を寄せて、くちづけてきた。
駄目だと思っても、魅了されているから、求められたら拒めない。
情欲に支配されて、熱い目でみつめてくる幸直も、絶品なので。目に焼きつけたいし。
あとで絵に起こして、悶えたいし…。
横になって、向かい合って。唇と唇を合わせて。二度ついばんだら、口腔に舌を差し入れる。ぬるりとした舌を舐め合って。
そのとき、顔にあてられた手の指先が、頬をくすぐる感触に、笑ってしまう。
「ほら、巴も俺のこと、好きだろ?」
「気持ち良いキスは、好きだな」
「くっそ。じゃあ、もっと良いキスして、虜にさせてやる」
幸直が上に覆いかぶさってきて、顔のあちこち、ついばんだり齧ったり舐めたり、滅茶苦茶なキスをしてくるので、巴は笑いながら逃げる。
「わっ、やめろ、この駄犬がっ。ご主人様を押し倒すんじゃない」
その日はわちゃわちゃして、なんとか誤魔化したけれど。
上から見下ろしてくる幸直の、壮絶な男の色気に、危なく流されそうになって、困った。
からかってるように見せて、目がマジなんだもん。
紫輝とやら、いったい幸直になにを吹き込んでくれたんだい?
★★★★★
その紫輝に、巴は早々に会うことができた。
それは赤穂が亡くなり、青桐を身代りに立てろという金蓮からの指示を受け。側近も戦線離脱するという、巴にとっても大きな事件が起きた、そのあとのことだった。
愛鷹山にある、幸直の別宅において。青桐を赤穂に仕立てるべく教育していた、暮れも押し迫った頃。
紫輝が屋敷をたずねてきたのだ。
絵を描いていることは、幸直にも内緒にしているので。この屋敷にいる間は、絵を描けず。青桐に兵法指導をする以外は、暇な巴は。もっぱら道場で鍛錬をするか。馬で遠乗りに出るか。しかない。
でも、街中でも。巴はハグレ扱いなので、マントは脱げないし。
手裏にみつかれば厄介だしで。
外に出て行くのは、気が引ける。つまり、道場で鍛錬するのが、一番、波風が立たないのだ。
道場をのぞけば巴がいる、と幸直も瀬間も、己のことを剣術大好き人間だと思っているようだった。
誤解です。
あぁ、暇すぎるから。やっぱり紙を買ってきて、こっそり絵を描こうかな…。
「巴、やっぱりここにいたか」
道場をのぞいた幸直が、巴をみつけて声をあげる。
やっぱりってなんだよ。
そうだよ。絵を描く以外に趣味なんかないんだよ。
暇を持て余しているんだよ。
生きていくために鍛えるしかないんだよ。
幹部にまで上り詰めても、自分の剣技に自信のない巴は、すぐにも降格させられそうな気がして。鍛錬の手を抜けないでいた。
だが周りは。そんな巴を、己の実力に慢心しない、実直な男だと評価している。
そんな風に思われていると知らない巴は、消極思考で幸直を半目で睨むのだった。
「紫輝が来ているんだけど、巴はまだ会っていないだろ? 紹介してやるから、来いよ」
四月に入軍した新しい龍鬼を、巴はまだ目にしていなかった。
自分から見に行くような、好奇心満々な性質ではないし。
幹部にまでなって、なに言ってんだと思われたくはないが、できれば目立たずひっそり暮らしたいのだ。
誰が自分を手裏基成だと見咎めるかわからないから。
しかし、手裏軍には、なんでか手裏基成がいるようなので。それほど気をつかわなくても大丈夫なような気もするのだが。
油断大敵、なので。
己を知る人物は、少ない方がいいのだ。
でも、向こうから来たのなら、挨拶するしかない。
「来ているって…部外者をこの屋敷に入れて、大丈夫なのか?」
今、この屋敷では、赤穂と青桐を入れ替える大計画が進行中だ。
金蓮がすごい剣幕で、堺をなじって、強要させていたのを目の当たりにし。巴はビビった。
以前、龍鬼と己を引き合いに出して、幸直に怒られたことがあったが。
マジで、理不尽すぎて。龍鬼可哀想って、思ってしまったよ。
つまり、この計画がとん挫したら、あの剣幕がこちらにも向かってきそうだった。
怖ぇ。
「あぁ、紫輝は金蓮様から許可をもらってきたらしいから、大丈夫だ。今回の一件を知るひとりで…赤穂様はやっぱり亡くなったらしい。紫輝が看取ったって言ってた」
身を寄せてきて、幸直はこっそり囁いた。
涙ぐんでいる。
巴は黙って、手で幸直の頭をポンポン叩いて慰めた。
幸直は、右軍を剛腕で率いてきた赤穂に、心酔していた。
一番近い、身内でもあるので。亡くなったことが決定的となって、悲しみと怒りで心がぐちゃぐちゃ、というところか。
それでも、仮の赤穂である青桐の前で、赤穂の死を悲しむわけにもいかず。
持ち前の明るさで、なんとか気を紛らわせていたようなところがあるが。
親友である巴の前では、虚勢を張ることもない。
しばらく、巴の肩に頭を預けて、甘えていた。
そうしたら、道場の扉がガラリと開いて、青桐が顔を出した。
「…邪魔したか?」
「いえ、鍛錬ですか? どうぞ、青桐様。俺らは用があって、もう出るので」
サッと気持ちを切り替えて、頭をあげた幸直は、もう笑顔だった。
彼とともに、巴は道場を出る。
「それで、紫輝は協力者として合流したんだって。側近が位を正式に返上したので、幹部の地位も改変があるみたいだ。それに伴って、紫輝も幹部入りする」
「間宮は十八歳じゃなかったか? 僕も異例の、なんて言葉がよくついたが。叩き上げで、十八歳で、幹部入りは尋常じゃない出世だな」
「大隊長を経験していない者が幹部入りするのは、叩き上げでは初めてだろうな。どうなるかわからないが、今の彼は第五大隊副長という地位だから、兼務するんじゃないか?」
紫輝の話をするとき、幸直はわくわくして、目をキラキラさせる。
すっごい好きなんじゃね?
「じゃあ、彼が幹部入りしたら、幸直の恋の花が咲くのは間近だな」
言ったら、幸直は瞳を潤ませ、眉尻を情けなく下げ下げにした。
クマタカの威厳はどこへ?
「紫輝は、どっかの誰かと結婚したんだってぇ。龍鬼だから、結婚なんかできないって言ってたのにぃ…巴、今夜、慰めてくれ」
「馬鹿じゃないか。ひとりで泣いてろ」
また懐いてこようとする幸直を、今度はデコピンして撃退した。
そんな雑な口説き文句でほだされるやつはいないぞ。
「またまたぁ、そう言って、いつも俺を慰めてくれるだろ? 巴は優しいもんな」
いつもは一回撃退すると、引き下がるのに。今回はしつこく抱きついてこようとする。
巴は、そんな幸直をデコピン攻撃で跳ね除けていた。
「お、紫輝。探してたんだよ」
そうしたら、幸直が背後を見やって、言った。
巴も後ろに目を向けると。
堺の隣に、黒髪の少年が立っていた。
自分より背の低い、小柄な少年だ。
堺と並ぶと、頭ひとつ分以上低い。
この子が、噂の雷龍? ちっさ。
幸直が己を紹介している間、巴はジッと紫輝をみつめた。
目が力強くて印象的だが、他はそれほど特徴がないかな。
髪が跳ねてて、猫耳みたい。
一見は、やんちゃなお子様、といった感じか。
それにしても。今まで巴が見てきた龍鬼という者は、みんな見目麗しかった。
安曇も不破も、堺も高槻も、びっくりするほど整った顔貌で、巴などは凝視しまくってしまうのだが。
紫輝はそれほどでもない。
龍鬼だから美形、というわけではないらしい。
だけど、幸直も堺も、側近も准将まで、紫輝を知る者は、やたら彼に魅了されている。
溺愛、ぞっこん、大好きぃ…と、彼らの話口に表れている。
あれか? 性格がいいのか? 噛めば噛むほど味が出るスルメ系か?
「里中巴です。今回の件の協力者だと聞きました。これからよろしくお願いします」
幸直の長い紹介が終わり、巴は自分でも名乗って挨拶する。
紫輝は、名乗ろうとするが、声が震えていた。
ん? なんで? と思ったら。涙がポロリとこぼれて。
ええ? どうしたんですかぁ? と。巴は、重めの目蓋はピクリとも動かないながらも、内心では驚愕していた。
「ごめん。貴方の翼を見てしまって。俺が泣いたら、駄目なのに。つらいのは、貴方なのに。その羽に、貴方の苦しみが表れているから…」
巴が呆気に取られている間に、紫輝は堺を引っ張って、行ってしまった。なにが起きたのやら。
「な、僕の翼は、泣くほどみすぼらしいかい?」
隣にいる幸直に、巴は聞いた。
彼はただ、苦笑する。
「みすぼらしくなんかない。ただ、痛々しいんだ」
幸直は、巴の黒い翼を手でそっと撫でた。
折れた翼は、もう痛くはない。痺れていて、感覚もないのだ。
己には、必要ない翼。
絵を描くために、むしろ邪魔な翼。
空なんか飛べなくても、絵さえ描ければそれでいい。
その後、紫輝は不躾で申し訳なかったと言って謝ってくれた。
別に、己は翼に関して、なんの憂いもないので。謝罪を受け入れて仲直りしたわけだが。
気になると言えば、紫輝がすっっっごく同情的な目で見てくるのだけど。
まだ折れた翼が気になるのかな、くらいにしか、そのときは思わなかった。
年が明け。幹部の役職が一新された。
准将、将堂青桐。側近、麟義瀬間。将軍、時雨堺。次将軍、美濃幸直。そして筆頭参謀に里中巴。参謀、間宮紫輝。
巴は筆頭参謀になった。目立ちたくないから、これ以上の出世は結構です。
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溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
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「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
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「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
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パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
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今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
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支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。