【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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     ◆言うとおりにする

 奥多摩渓谷の、小さな滝のある場所で、巴は小皿に墨を出して、紙に指や筆を使って絵を描いていく。
「景色を隅々まで記憶して、あとでゆっくり描くのもいいのだが。その場で写生すると、そのときの気持ちが紙に乗ることがある。その瞬間しか描けないものが、描けたりするんだ」
 そう言って、真剣な表情で景色をみつめる巴は、とても機嫌が良さそうだった。

 作品に集中し出した巴を見て、幸直はそっと、その場を離れる。
 巴が見える位置だけど、少し離れた場所に、馬をつないでいて。幸直はそこに戻った。
 旅館で、お昼用におにぎりを包んでもらっていた。まだ昼には早いけど、ちょっと小腹が空いたから、ひとつおにぎりを食べようと思ったのだ。

 そうしたら、どこからか、うぅとうなる声がして。
 一瞬、野生動物かと思い、身構えて剣を抜いた。
 しかし、それにしては、高めの声だったので。幸直は様子を見に行く。
 すると、ほど近い場所で、女性がうずくまっていたのだ。川に出るまで、幸直たちも、それなりの林を抜けてきたので。

 こんな山奥に、女性がひとりでなにをしているのかとは、思ったのだ。

 でも、もしかしたら野生動物を捕獲する罠にでもはまったのかと考え。幸直は剣をおさめて、とりあえず女性の元に向かった。
「大丈夫ですか? どうしました? こんなところに、ひとりで…」
「えぇ、山菜を採りに来たのですが、足を怪我して」
 女性は、町娘風ながら、地味な色めの、歩きやすい短めの着物に。ズボンと、裾を絞って入れ込んだ長靴の。旅装であった。

「足?」
 こんな真冬の、雪深い山に、ひとりで山菜取り? と思いつつ。幸直は女性のかたわらに膝をついて、様子を見る。
 そのとき、その女性が素早い動作で、幸直の左腿に短剣を突き刺した。
「ぐぁっ…」

 すかさず、痛みにうめく幸直に縄をかけ、両手首を後ろ手に縛ってしまった。
 幸直は、なにが起こったのか、理解できなかったが。顔を上げた女を見て、息をのむ。

「そう、山菜を採りに来たんだけど、もっと良い獲物をみつけちゃったのよ」
 なにやら楽しげな笑みを浮かべるのは、自分の軍の大将…。

「金蓮様? なにを…? どうしてこんなところに」
「はぁ? 金蓮じゃないわよ。あんなやつと間違えないでっ」

 濃茶の長い髪に、赤茶の大翼、顔も金蓮そっくりだというのに。目の前の人物は、確かに女性で。幸直の知る、厳しい顔つきの従兄弟とは、別人だった。
 幸直は。金蓮が女性であることを、このときはまだ知らなかった。
 短剣を腿に刺したまま、幸直は、この女の目的がなにかを考えた。
 すると木の陰から、マントを羽織る抜刀した男がふたり、現れた。

 刀…黒髪などから見て、手裏だ。

「姫様、この男はいったい…」
 男たちはどうやら、この女の思惑を知らないようだ。

「これはエサよ。あんたたち、こいつ持って、ついてきて」
 幸直はなんとか抵抗したかったが、後ろ手に縛られ、翼も開けないし。短剣の刺さったままの腿も、じくじくと痛んで。どうにもならなかった。
 幸直は男に引っ張られて、金蓮にそっくりの女について行った。
 女はなにやらブツブツ言っている。

「やったわ、私にも運が向いてきた。これで、あの男に一矢報いれる。私の目の前で、泣いて謝るがいいわ」
 その女の様子は、なんとなく、堺を執拗に貶める金蓮と似通っていた。
 顔がそっくりだから、どうしても彼を連想してしまうが。
 堺を人間扱いしない狂気を、幸直は、この女にも感じたのだ。

 雪を踏みしめ、林を抜け。女は、雪を払った大岩の上に座り込み、一心に絵を描く巴に声をかけた。
「みつけたわぁ、手裏基成。まさか、将堂軍に入っていたなんてね?」

 振り返った巴は、女ひとりと男ふたりの集団に、幸直が捕まっているのを見て。驚愕に目を見開いた。
 大岩から降りて、幸直に駆け寄ろうとする。

「それ以上、近づかないで」
 だが小石の敷かれた川の縁を小走りする巴に、女は、幸直の首元に短剣を突きつけて見せた。
 それで、巴は動けなくなる。

「姫様、この男が手裏基成、とは?」
 女を手助けしている男も、巴が基成だということは知らないようで。女を怪訝そうに見やっている。
 どうやら、計画的犯行ではなさそうだ。

「そうよ、今、基成を名乗って、でかい顔をしているのは、安曇眞仲なの。龍鬼の力で、成り代わっているのよ。そして、この男が本物の基成なのよ。あんた、マントを脱いで、翼を見せなさい」
 女は幸直の顔の近くに刃先を向ける。それに、巴は強く反応した。

「幸直の顔に傷をつけたら、許さないっ。言うことも聞かないっ」
 普段、のほほんとしているくせに。己の顔には、並々ならぬ執着を感じる。
 巴、己の顔、好きだよな。

「わかったから、早く脱いでっ」
 この女は、短気なようだ。
 短剣を持つ手に、ためらいを感じないので。刃を持ち慣れてはいるのだろう。
 縄で縛る手際も、鮮やかだった。
 それなりに、場数を踏んでいそうだ。
 でも、精神的に幼い。感情で動く感じ。

 巴は仕方なく、女の要求通りにマントを脱いだ。そこには、折れて、羽が抜かれた、痛々しい黒い翼がある。
 今では、幸直も。巴が基成とばれないように、大きな羽を抜かなければならないことを知っている。
 男に襲われそうになった、精神的な心の傷のせいで、羽を抜いているのだと思っていたのだが。そうではなくて、良かった。
 できれば、早く終戦して。巴が羽を抜かなくても良い世の中になってほしいと思っている。

「やだっ、なに、その羽。みすぼらしい。手裏の大翼も、そうなったら権威もなにもないわね?」
 しかし、女は巴の翼を見て、嘲笑った。
 高らかに、愉快げに。

 巴の姿を、この女に笑われる筋合いはない。
 幸直は憤りに胸を焼く。
 巴が、どれほど苦汁を舐めて、それでも健気に生きてきたのか、この女は知らないのだ。

「僕は基成ではない。ただの、翼の折れたカラスだ。あんたたちは、何者だ? なにが目的だ?」
 だが、巴は怒りも見せずに、淡々と女に問いただす。急な展開にも冷静に対処できるところ、素敵です。
 幸直は、ただただ怒りに心を高ぶらせる己を、反省した。

「何者、ですってぇ? あんた、私の顔を忘れたの? 私は手裏銀杏。座敷牢で育てられた、あんたの義理の姉よっ」
 巴は、への字に結んだ唇を、少し開けた。
 あの顔は…全く覚えていないやつ。
 幸直は、顔を手で覆う思いがした。縛られてできないけど。

 巴は、興味のないことは、いつまでも覚えていないからな。

「私は、忘れていないわよ。あんたの顔。薄暗い部屋の小さな窓から、日の当たる庭で、あんたと弟が剣の鍛錬をしていたのを、見ていた。あんたは、日の元を堂々と歩けるっていうのに、いつもつまらなそうな顔をしていたわよね。いずれ家督を継ぐあんたと弟が、戦の駒である私を、座敷牢に見に来たときも。あんたはなんの感情も見せずにそこにいた。あそこにいた誰も、私を人として見ていなかったわ」

「すみません、僕は、当時、人間にいささかの興味も持っていなかったもので」
 正直かよっ、と幸直は胸のうちでツッコんだ。

 いや、巴はそういう男だ。欠落があるのだと、自分で言っていた。
 でも、幸直にとってそれは、欠落ではなく、長所なのだ。
 巴は、己以外の人間に目を向けなくてもいい。

「…あんたを町中でみつけたとき、好機到来と思ったわ。それで、あんたを手に入れるため、ここまでつけてきたのよ。運良く、このエサも手に入ったわっ」
 グサッと、今度は右肩の辺りを短剣で刺された。刺したあと、少しひねるから。痛みを引き出す術を知っている。
 御供の者は、姫様なんて言っているが、ただの女ではない。
 手裏銀杏と言ったか。
 手裏の姫?
 なんで手裏の女が、金蓮と瓜二つなんだ?
 幸直は痛みにうめきながら、次から次へと脳裏に疑問が湧いて出た。

「よせっ、これ以上、彼を傷つけるな」
「いいじゃない? 将堂の兵なんて、いくら死んだって。どうせ、あんたと同じ、ただの一兵士なんでしょ? それに、あんたが手裏に戻れば、彼は敵になるの」
「あんた…姉さんの目的は、僕なんだろう? なら、言うとおりにする。だから、これ以上彼を傷つけないでくれ。もし、彼を傷つけたら、僕は舌を噛んで死ぬ。姉さんの好機もつぶれるぞ」
 巴は、銀杏が口にした、少ない情報を逆手に取って、幸直をなんとか守った。
 女は舌打ちし、吐き捨てる。

「わかったわよ、面倒くさ…。じゃ、おとなしく着いてきてよね。あ、こいつらの乗ってきた馬も拝借しましょう? 持ってきてちょうだい」
 息をするように、銀杏は御供の兵士に指示を出す。
 顎で人を使う感じが、堂に入っていた。
 供の者は黙って、巴を縛り、ふたりの剣を奪い。
 二頭の馬も引き連れて、銀杏の進む先へと向かった。

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