【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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101 それで安曇はおしまいよ

     ◆それで安曇はおしまいよ

 一方。幸直を無事に逃がした巴は、深い闇の中、ひとり立ち尽くす。
 幸直がそばにいるだけで、熱くなっていた体が。
 彼がいなくなったことで、急速に冷たくなっていく。

 体の温度を変えるほどに、好き。なんだな?

 己は、もうそこまで、幸直のことを愛しているのだ。
 誰かのことを、こんなに強い気持ちで、好きだと思う心が。己の中にあることが、巴は不思議だった。
 だから。

 どうか、無事に本拠地にたどり着いてほしい。お願いだ。お願い…。

 そう、真摯に祈ったあと。巴は振り返る。
 銀杏のお供のふたりを、なんとか足止めしなければならない。

 騒ぎを聞きつけて天幕から出てきた、大柄な方の男は、巴を前にして刀を抜く。
 丸腰の巴は、なんとか体術で乗り切るしかないのだが。
 ま、無理かな。
 とりあえず、幸直のあとを、こいつらが追いかけなければいい。

 巴は、彼を助けるという美談に、酔うことはない。
 感情にのみ込まれることもない。
 ゆえに、無理もしなかった。
 怪我がなければ、いずれまた、彼らに隙が生まれる。そのときを待つのが合理的。
 でも、幸直を逃がす時間は、なんとか稼ぎたいけれど。
 それだけでいいのだ。

 大柄な男が、小柄な方に指示する。
「おい、馬を追え。あいつをなんとか連れ戻せ。こいつに言うことをきかせるためのエサらしいからよ」
 小柄な方は、小さくうなずき。駆け出そうとするが。
 巴は彼の腕を掴んで、引き留める。
 そのとき、一瞬だが。彼の目がなごんだ。

 ん? なんだ。と巴が思うそばから。小柄な男は目を吊り上げ、触んじゃねぇよっ、と怒鳴って、巴の手を引きはがす。
 そして闇夜に消えていった。

 気のせいか、と感じるが。
 すぐに大柄な男に刀を突きつけられて。降参の合図に手を上げた。
 ちっ、もう少し粘りたかったな。

 キンと冷える空気の中で。ホーと、フクロウが鳴いた。
 すると、ホーと別のフクロウが応える。
 話をしているのだろうかと、なにやら微笑ましく思ったのは最初だけ。そのうち、あちらこちらで、ホーホーとフクロウが鳴き始め、森中を揺さぶるほどに響き渡った。
 それは異様な感覚で。大柄な男も、なんだなんだと動揺するほどだ。

「もう、なぁに? これ。うるさいんだけどぉ」
 天幕から、銀杏が、まだ眠そうに目をこすりながら出てきた。
 そうしたら、フクロウの鳴き声がピタリと止まる。
 森は再び、静寂に包まれた。耳に物が詰まったような不快な静けさだ。

 なんなんだ? これは。

 巴も、こんな現象は初めてで。目を丸くする。
 どうやらフクロウも。銀杏のことは、お気に召さないらしい。

 しかし、もしもフクロウが、この森にいっぱいいるのなら…日の光の下で目にしてみたいものだ。
 でも、フクロウは夜行性だったかな?

「姫、こいつが、あの男を馬で逃がしたんです。今、島田が追いかけて…」
 巴が思考の逃避行をしている最中、大柄な男が銀杏に報告している。
 そこに、その小柄な島田とやらが戻ってきた。

「すみません、逃げられました」
 男の言葉に、巴はひとつ息をつく。
 やった。とりあえず幸直は、第一関門は突破した。
 あとは、命のあるうちに本拠地に、それか軍の誰かに保護してもらえたら、それでいい。

 怒り心頭の銀杏が、ずかずかと歩いてきて、巴の頬を平手で叩いたが。
 幸直を逃がせたという達成感の方が強くて。全然、痛くなかった。

「あんた、馬鹿ね。自分が逃げれば良かったのに。あんな足手まといの、怪我人を逃がすなんて。どうせ、途中で死ぬわよ。もしかして、あの兵士が助けを呼んでくれるとか、馬鹿なこと思ってないわよね? みんな、自分の命が大切よ。恋人だかなんだか知らないけど、あんたなんか、誰も助けに来ないんだからねっ」

 それはそれで、いいのだが。
 そう思い、巴は小さく口を開いて、白い息を吐く。

 幸直が自分を見捨てて、新たな幸せを探せるのなら、邪魔はしないよ。
 ただ、生きていてくれるだけでいいよ。
 巴は、幸直が死ななければ、それだけで良かった。

「足手まといはいらないと、言っていたじゃないか。手負いの男がひとり逃げても、どうでもいいだろ?」
「…それもそうね」
 ふん、と鼻で笑って、天幕に戻ろうとする銀杏に、巴はたずねた。

「あんたは…姉さんは、なんでこんなことをするんだ? 今更、本物の基成が出てきたところで、なにも変わらないと思うんだけど」
 手裏家というのは、徹底した秘密主義の家だった。
 姉がいるというのも、巴は十六になるまで知らなかったくらいで。
 だから。巴は。全然、彼女の顔を覚えていなかった。
 それこそ、幸直や安曇ほどの強烈な印象がなければ、巴は人の顔など基本覚えないので。なおさらだ。

 だから、初対面の人を姉さんと呼ぶ違和感が、半端ない。
 しかし、姉だというのなら、姉さんと呼ぶしかないのだろう。
 座敷牢で姉さんに対面したのは、薄っすら記憶があるので。まぁ、事実なのだろう。

 それで、秘密主義の話だが。
 巴は十六歳のときに、次期当主としてお披露目される予定ではあったが。不甲斐なかったもので。次期当主は弟の基晶に決定していて。
 後継のお披露目をしなければ、軍の幹部や親戚筋などに顔見せすることもないのだ。
 ゆえに、己の顔など、誰も知らないと思うんだけど。

「そんなこと、ないわ。みんな、安曇に騙されているのよ。安曇が基成に成り代わっていたと万民に知れれば、それで安曇はおしまいよ」
 自信満々に、銀杏は言うのだが。
 だから、この折れた翼で、己が基成だと、どうやって証明するのか。
 証明したとして、今の安曇よりも有能でなければ、己など誰も見向きもしないのではないか。
 巴はそういうことを聞きたかったのだが。
 微妙に芯がずれている。

「安曇が騙したとして、それのなにがいけないんだ?」
 とつとつと、巴は銀杏に質問を重ねていった。
 最終的に、寝不足で、足が重くなればいいと思っている。
 そうすれば、将堂領内にいる時間が増え、脱出する機会も増えるから。
 手裏の領地に入る前に、誰かが来てくれたら、ありがたい。
 もし来ないのなら、それでも良いけど。
 手裏基成の傀儡かいらいと成り果て、幸直と対峙する前に、自害するだけ。

 目の前に幸直がいなくて、絵も描けないのなら。
 己の人生は終了ということだ。

「なにって、馬鹿なの? 騙されたら、腹が立つでしょ? みんなが安曇に冷たい目を向けるわ」
 お供の者に手を縛られながら、巴は首を傾げる。
 銀杏は、先ほどから安曇の話しかしていない。

「あんたは、僕を手裏に戻して、なにがしたい? なんで手裏を掌握したいんだ?」
「私は、あの男から奪いたいだけよ。すべて奪って、泣きながら私の前にひざまずけばいいの」

 立って話すのが疲れたのか、銀杏は焚火の前に座り込む。
 自分も少し距離を置いたところに腰かけた。

 あの男というのは、やはり安曇なのだろう。
 銀杏が安曇に執着しているのが、見え見えの、頭の悪い会話に。巴は焦れ焦れしつつも。
 話をなんとか引き延ばす。

「奪ったあとは? 安曇から手裏家の当主の座を奪い、なにかやりたいことがあるのか?」
「ないわ」
 あっけらかんと言い放つ銀杏に、巴は頭痛を覚えた。

「…ないのか? 手裏家の当主になるのだろう? 手裏をこれからどうしていきたいんだ?」
「それは、現状維持でいいじゃない?」
 その、賢龍と言われる安曇が構築した組織図を、維持するのが、どれだけ大変か。この女、ちっともわかっていないな。と巴は思う。
 少なくとも、剣術に明け暮れた己が、それを出来るとも到底思えないが。

「現状維持なら、あんたが当主になる旨味がない。今の基成は、実直に領地経営をしているのだろう? 姉さんに、部下は誰もついてこないぞ」
「うるさいわねぇ、あんたが安曇を殺せばいいのよ。そうすれば、位を継ぐのは、あんたしかいなくなるんだから、それでいいじゃない?」

 ええぇ? 己が殺すの?
 つか、普通に戦って殺せる相手とは思えない。
 勇猛果敢、疾風怒濤の名君だろ? 無理無理。
 もう、これはとっとと尻尾を巻いて逃げ出すしかない。…安曇と顔を合わせる前に。

 そう、心の内では決めたものの、もう少し説得してみることにした。
「そんな短絡的なことで、何万もの手裏の領民を不安にさせるのか? 今まで話を聞いてきて、姉さんの経営戦略が全く見えてこない。今後の計画は? 展望は? あんたはマジで、当主になって、なにがしたいんだ?」
「だから言っているでしょ? 私は安曇が這いつくばって私に命乞いするところが見たいだけよ」

「何万の領民は…」
「うるさいっ、そんなの知らないわよ。経営も戦略も財源も全部、不破がやってくれるもの。大丈夫よ。あんたは黙って、私の言うことを聞いていればいいのよっ。もう、なにもしゃべらないで」
 銀杏はキレて、天幕に戻ろうとする。
 結局、手裏の展望など、領地のことについてはなにも触れない。いや、考えていないのだろうな。
 そんなのが当主になったら、たちまち西は没落する。

 銀杏は不破に、難しいことは丸投げする気のようだが。不破が、安曇を殺されたあとも、粛々と働いてくれるとは限らない。
 いや、ない。断言できる。

 あぁ、困った。もう、背を向けたものではあるが。なんの罪もない領民が、頭の悪い女のせいで、苦境に立たされるのを、さすがに黙って見てはいられない。
 ま、自分が基成に戻る気がない時点で、銀杏の望みは叶わないことは決定している。
 領民が飢えることはないだろうけど。

「なぁ、安曇って、どんな男なんだ?」
 天幕の入り口に手をかけた銀杏に、巴はたずねる。
 銀杏は安曇を憎からず思っているのだ。好きだから、これほどに執着するのだ。たぶん、そう。
 銀杏の、怒りでも好意でも、安曇の名を出したら引っかかると思ったのだ。
 案の定、銀杏は不機嫌そうに、巴を振り返った。

「はぁ? なんであんたが、安曇のことを知りたがるのよ?」
「消耗していない僕が、なんでわざわざ、手負いの男を逃がして、ここに残ったと思っているんだ? 僕が手裏基成に戻ると決意したからに、決まっているじゃないか。だから、今基成をやっている安曇眞仲が、どんな男か知っておきたいんだよ。成り代わりに成り代わるためにな」

 全く熱量のない平坦な声で、巴は銀杏に告げる。
 そんな気は毛頭ないが。ま、辻褄は合っているだろ。

 銀杏はまんざらでもない顔つきで、焚火の前に戻ってきた。
 そうそう、まだ寝させないよ。せいぜい寝坊して、出発を遅らせないとな。

「手裏基成はね、私と安曇と不破の三人体制でやってきたのよ。あんたが手裏から追い出された日、私はあのふたりに、座敷牢から救出されたの。不破も、とても美しい容姿をしているけれど。安曇はもっと、目にまぶしい美形でね。私、あんな美しい人物を、今でも彼以外に見たことはないわ。たくましくて。鼻が高くて。とにかくすっごい綺麗なのよ」
 安曇が綺麗なのは、知っている。
 巴も、あの美しさには、胸が震えた。
 つか、銀杏の語彙ごい少なくね?

「男ふたりに女がひとり。私は安曇と不破に、手裏家の長子として、とても丁重に扱われたの」
 夢見る顔つきで、銀杏は、安曇の賛辞を並べていく。
 巴は笑みを顔に貼りつけて、うんうんと相槌を打つが。

 なんだ、やっぱり安曇に惚れてんじゃん、と思っていた。

 可愛さ余って憎さ百倍の、わっかりやすいやつ。
 あぁ、超迷惑。
 こんなことに、己らを巻き込まないでほしい。
 絵を描いて…できれば幸直のそばで、静かに過ごしたいだけなのに。

 巴はそう思い、胸の内でため息をついた。

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