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基礎の基礎

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あの適性試験から一週間後。先生がいない間にも走り込みをしながら待っていたが、ようやく授業の日々がやってきた。家にある部屋に集まりながらメルクが前に立って説明を始める。

「今日の議題はそもそも魔法とは何かについてです。ティア、貴方はどういうものだと思いますか?」

「え……自分の身体を強化や、炎を出す……とか?」

曖昧な答えを返していた。それもそのはずで、なんせ魔法っぽいものを見たのはあの襲撃の時のみである。後は例の異世界知識から引っ張ってきたもの。
そんな答えにうんうんと頷きながら、サラのほうへ振っていく。

「それだけでは不十分ですね。では先ほどため息をついたサラ」

「はい、体外にある魔法の源を体内へ吸い込み、それを素に起こす現象です」

ティアと異なり、比較的具体性の高い解答をしたがその回答もメルクはうんうんと、したり顔で頷いていた。

「サラはよく高等教育向けの教科書を読んで勉強しましたね。ですが、せっかくなので正しい意味について説明したのちに、どういうことができるかを話します。もっと深いところまで説明しますね」

と笑顔のままで話し始めるメルク。その表情を見たとたんに嫌がるような顔をするサラであったが、彼女は気にせずに話し始める。

「まず、サラの言うとおり空気に魔法の素となる物質があります。これを魔素と言います。私たちが魔法を使うときは、この魔素が必要です。この魔素を補給する方法は主に呼吸です。口呼吸、および皮膚呼吸などですね」

いきなり専門用語のオンパレードであったが、要は現代世界で例えると酸素と似たようなものである。体内に酸素が不足するため呼吸を行うことと同様、体内に魔素がないから補給をしないといけないということだ。

そんな感じに換言しながらティアが説明をメモしていく。本来五歳児に呼吸の種類やら話しても通じないのだが、異世界知識が初めて役に立っていた。

「体内に取り入れられた魔素は魔臓という場所に集められます。しかし魔法に利用するためにはそれに適した形に変換する必要があります。この適した形にするのには当然仕事をしなければなりません。

この仕事はどこからやってくるかというと、食事などで確保できるエネルギー、総称生命エネルギーです」

エネルギーというのは仕事をする能力と定義される。そして、魔素を体内でも使えるような形にするにはエネルギーが必要である。もし魔素そのものが魔法として使えたら、今頃空気中に魔法が発動している。そういう理由あってのこと。
まだまだ説明は続いていく。

「適した形というのがポイントです。実は人それぞれによって適した形は異なります。例えば三角形が適した形の人もいれば、球状が適した形という人もいるとイメージしてください。

そのため、同じ魔法だったとしても性能や燃費が大きく変わるわけです。この魔法を使うための形になった魔素のことを魔子と言います」

その魔子というのは体内で合成するため、個々人によって形状や性質が大きく異なる。これも具体例を挙げるならDNAと似ている。人を構成する物質は似たようなもので、それを生成するものの一部はDNAだがティアやサラの顔は全く異なる。それと同じようなものだ。

ここまでの話が長い、というよりいきなり未知の単語が大量に出てきたため、混乱しているティアへ補足説明を加えた。

「要は空気に魔素、それを取り込んで魔子になると覚えてください。その魔子の集合体を魔力と言います。」

「あれ? それだと魔法は物質的なものですか?」

「ティア、良い質問です。例えば炎の魔法を使ってみます」

そして掌から小さな炎を出す。小指程度の大きさでユラユラと揺れているが、手を大きく横や縦に動かす、あるいは回転させてもその炎は掌の上に残り続けていた。

「今私の掌から魔子を放出しました。もしこれが物質でないとすれば、今の動きの途中で炎は消えるか別の場所に移るはずです。しかし、実際は物質特有の動きをした。これは魔法によって作ったものが物質であることの証明の一つです」

ティアはへーなんて思っているが、実は異世界知識とここが大きく異なる部分であったりする。異世界知識によると炎というのは現象だ。具体的には酸素と燃えるものと温度の三つが必要となる。

だが、この世界にとって炎は物質。実際に魔法によって生み出されたものが力学的条件を満たすということも実験済みである。とはいえ知識はあってもそもそも理解できていない彼からすると、それぐらいしか反応ができないわけである。

感心しているティアの姿を見ながら、次の話へと移っていく。次は魔力でできることについての説明である。

「魔力によってできることは大きく分けて二つあります。一つ目はモノを作ることができます。もう少し詳しく言うと、私たちがイメージしたものを魔法で作れます。例えば、先ほどの火も私がイメージしたから作ることができたわけです。

そして二つ目は私たちの身体能力を上昇させることです。この魔力が女性のほうが多いといわれているから、今では社会の中枢を女性が握っているわけです。
これも試してみましょう。少し外に出ますよ」

三人は修行場へと向かう。向かった先には、おあつらえ向きなメルクと同じくらいの岩があった。彼女がその岩に触るよう指示を出されたため、実際に近づき触ってみるティア。その感想はごつごつしており硬い。本物の岩であることに間違いないことを確かめる。

そんな大きな岩を前に先生が再び立つ。少し溜めた後、実際に岩を右拳で殴りかかった。いきなり何をすると思って目をつぶるティアだが、その直後にバンと大きな音が鳴り響いた。
恐る恐る目を開けると……目の前には粉々となった岩を背後にしている先生の姿。

「これが魔力の恩恵です。実はこれぐらいのことなら、サラでもできてしまいます。力だけでなく、反射や脳の活性など身体にかかわるあらゆる能力を魔力によって向上することができてしまうわけです。

だからこそ、魔力が少ない男性と多い女性では差ができてしまったわけです。それはさておき、教室に戻りましょうか」

そんな粉々の岩を見て、あんな細い体なのにすごいという感想とともに、自分もこれぐらいできるようになりたいとむしろ燃え上がっていた。言外に男には厳しいといわれているにもかかわらず。単純な男である。

なお、これは余談だがメルクは魔力でできることを二つに分けたが、厳密には一つである。それは身体能力上昇も結果的には魔力という物質による作用によるからだ。

そもそも筋肉は物質によるエネルギー補充がなくては動かない。それと同様である。実際は潜筋という表には出てこない筋肉を魔力で活性化させている。だから華奢な体格なのにあれだけの力を出せるわけだ。

ちなみに他の脳や反射も理屈は異なるが、やはりエネルギー物質なくして動かない。言うなれば、魔力で元からできることをさらにブーストをかけているという現象に等しい。
つまり、魔法が使えなくては素の能力に大きな差が出てしまうわけだ。


そんなことはともかく、教室に戻った三人。
今までの話を統括しつつ、何か質問がないかを聞くとティアから手が上がった。

「結局、魔力と体力の違いってなんですか? 後、どうして走りこむと魔力が増えるのですか?」

先ほど魔力という新しい概念を提示されたが、結局体力との違いが良くわからなかった。しいて言うなら体力の上位互換的存在が魔力なのか、という違いだがそれならば走りこむ必要はない。

ついでに言えば、先生が体力と魔力を意識的に分けている所も気になっている。短い付き合いだが、この先生はきちんと言葉の意味を分けるタイプだと思っていた。だからこそ、何か意味があるのではないかという質問だった。

「生命エネルギーの話は覚えていますか? 生命エネルギーもそのままの形では使えません。なので、エネルギーをそれぞれ適した形にする必要があります。その形が体力と魔力です。同じエネルギーでも扱いやすさに差があります。

実は千年ぐらい前に、魔力に関して非常に扱いがうまい人がいました。その人が魔力の扱い方を体系化したため技術が発達したとされています」

魔力にも体力にも規格というものがある。例えば魔力を生成する魔臓は基本的に体力で動くが、急に多量ほしくなった時は魔力で動かすといった感じである。その二つを両立して生き物は生活している。

本来ならその二つに優劣はなかった。だが魔法の使い方について体系化したため、魔力の扱い方が発展してしまった。その一方体力については研究が進んでいない。だからこそ、魔力を多く持つ女性のほうが有利なのだ。

「そして二つ目の質問である体力と魔力の関係ですが、この二つの素となるものは同じです。そのため、どちらか片方を鍛えればもう片方も向上するわけです」

「でも先生。その理屈だったら男性でも多くの魔力を扱えませんか? むしろ、男性のほうが体力を鍛える素地がある以上、有利になりませんか?」

どうしてこんな質問をしたのかというと、今までの話と知識から男性のほうが体力は多いと予想した。すると男性は初期能力が多いため鍛えやすいという理屈から、女性よりも魔力が鍛えられるはず。その質問にメルクは驚きながら答える。

「いい着眼点ですね。筋が通った意見ですが、実際は異なります。実は男性よりも女性のほうが生まれ持っている魔力も、保有できる魔力も、ついでに言えば上昇量も多いといわれています。だから女性のほうが台頭しています」

この話を聞いてティアを大きく顔を歪める。
ずるい。要するに、女性に生まれた時点で大幅に能力に差が出てしまうのだ。
その後の特訓でも差が改善されるばかりか、むしろ広まってしまう。理不尽極まりない。

「その魔力をより多く保有するためにはどうしたらいいでしょうか?」

「いい質問ですね! では魔力についてもう一度おさらいを……」

ティアが魔力について質問したとたんメルクの目が輝き始め、先ほどまで十分早口だったにもかかわらずより早口になる。そんな様子にげんなりしたサラがティアへ耳打ちする。

(馬鹿! 先生にそんなこと言ったらどんどん語っちゃうでしょ! こうなったら止まらないわよ……)

何を馬鹿な、と思ったティアだがサラの言うことは本当だった。一応必死にメモを取ろうとしたティアだが、話の内容が難解なことに加え専門用語のオンパレードという地獄。それを一時間も行ったため、終わった時は二人とも机に倒れていた。

「本当はもっと授業をしたいですが、二人ともまだ五歳なのでこれぐらいにしておきましょう。ティア、あなたは追加授業があるので残りなさい」

この言葉を聞いた時、二人ともようやく顔に生気が戻った。何度か夢の世界に誘われたものの、必死で文字を書いて耐えていた。
そのノートをメルクがのぞき各々コメントする。

「サラ、またメモを取っていないのですね。貴方の頭が良いことは知っていますが、今回話した内容は現役の高等生、大学生でも苦戦する内容です。ちゃんとメモしないと理解できませんよ」

「ちゃんと復習するわ! さーて、今日習ったことを実践しましょー!」

ノートを急いで片付け、外に出ていくサラ。まさに脱兎のごとくという言葉が似あう態度であった。それを見ているティアにもノートチェックの時間が迫っていた。

「どれどれ……ノートの内容が序盤に話した内容が多いですね。魔子の動力学部分や魔力の保持といったところは割かしメモを取っていますが……」

「ご、ごめんなさい。今の自分には理解できない内容が多くて……」

ティアは慢心していた。曲がりなりにも、知識だけはある。だから、難しい話をしてもちゃんと聞き取れるはずだと。そんな自信は二十分くらいで崩壊した。

確かに最初のほうはきちんと聞き取れたが、話が進むにつれ知識が全く役に立たなかった。異世界の知識なんてそんなものである。
怒られないかとびくびくしているティアに頭をなでながらフォローする。

「まあ貴方は初学者ですから仕方ありません。むしろよく頑張った方です。さて、それでは呼吸の授業に移りましょうか」

そういうと、修行場へ二人とも向かうのであった。
歩きながらこれからやることについて説明するメルク。

「さて、まずはおさらいです。あなたの呼吸における問題点は、変な呼吸体勢による体力の無駄遣いです。そのせいで余計に魔力合成にコストがかかってしまっています。

特にあなたの場合は保有できる魔力が非常に少ない。そのため、余分な魔素や魔力は合成できずすべて体外へ放出してしまいます。つまり呼吸しただけ損です。
さて、到着したのでやりますか。普通に呼吸してみて下さい」

そういわれたためティアは普通の呼吸……すなわち、口から空気を吸う。そして、再び口から吐き出す。
その様子を見たメルクは次の指示を出す。

「ふむ……ではおなかをさらけ出してください」

「は?」

ティアが困惑した声を挙げた。
いきなりおなかを出せというのはどういうことか、意図がつかめなかったからだ。それについて説明を求めると

「呼吸というのは肺で行われます。その心肺機能を鍛えるにあたり、おなかの近くにある筋肉が必要となるわけですが、今からその筋肉を私の手で刺激します。ただ、そのうえで服があっては筋肉の場所がわからないためおなか部分まで捲し上げてください」

異世界の言葉で換言すると、呼吸には肺がかかわっているというのは周知だが、実はその肺だけで呼吸ができるものではない。横隔膜という筋肉が肺の中の気圧を調整することで呼吸が行われる。

彼女の言い分として、その横隔膜という筋肉はおなか付近にあるため、その筋肉の位置がわかりやすいようにおなかを出せということだ。そこらは異世界でも同様の身体性能ということだろう。理解したがおなかを出すことに躊躇せざるを得なかった。

『女はみな男性を求めている。だから、むやみやたらに肌を露出するんじゃないぞ』という、今は亡きソロンに言われた言葉、あとは純粋に年上の人におなかを出すのが恥ずかしい。

そして現在目の前の女性におなかを出すことに躊躇しているあたり、しっかり価値観を養うことに成功していた。そんな葛藤というべきか羞恥心に気づいたメルク。あきれ顔でティアを説得する。

「そんなに恥ずかしがらなくても……すこし痛いことはしますが、必ずあなたの役に立つことをします。私を信用してください」

一応、先生は忙しいということを彼は理解している。そして、忙しい中時間を割いて修行をつけてくれる。そんな風に考えたティアは観念して自分のおなかを出す。そこにメルクの白い手があたり、異物感と冷たさでビクッとするも何とかこらえていた。

「ではまず吐き出してください。ただし、私が良いというまでやめてはいけません」

指示通りに口から吐き出し始める。いつものように吐き出した後、途端におなかが強く押される感覚を覚えた。

最初はおなかが凹みそうだと思う程度だったが、次第に手がめり込むほどに強くなっていき最終的には痛みさえ感じてくる。顔を歪めながら、メルクのほうへ顔を向ける。

「先生……痛い……」

「我慢です。もっと強く吐き出して!」

そういわれ、痛みに悶えそうになる気持ちを抑え必死に吐き出す。
いつになったら終わるのか。
内臓さえ吐き出しそうな気分に襲われたその時、ようやくその手が離れた。

「はい、息を鼻で吸ってください」

そういわれ、四つん這いになりながらも鼻で呼吸する。肺が圧迫されていたこともあってか、いつもより多くの空気を吸い込めたような気がした。

「これが正しい呼吸方法です。肺をより小さくすることで大量の空気を吐き出し、息を吸うときにより多くの空気を吸い込むことができる。要するにいつもの呼吸をより深めたものと思ってください。

今の感覚を覚えてください。とりあえず最初は補助ありで行いますが、いずれ自分一人でも行えるようになっていただきます」

「でも……先生。この呼吸のほうがいつもより体力を使うのでは……」

「いいえ、まだあなたの筋肉が成長していないからです。あとは単純にこの呼吸のほうがあなたのやり方よりも効率的だからです。この呼吸を継続的にすることで、筋肉が慣れて体力の消耗が徐々に少なくなってきます。現に立ってみてください」

そういわれ立ち上がるティア。未だにおなかの部分が痛いものの、腕や足は先ほどよりも軽い。魔法を使ったときの状況に似ていると感じられた。だが、あの時に比べると咳がでることもなく、胸中が痛むこともない。

「あの呼吸方法は肺や口内を傷める方法です。ほかの筋肉を使った方がより深く呼吸できるというわけです。他にも鍛えるべき筋肉はあるので、私がいないときにでもやっておいてください」

と言われ、呼吸を意識しながら体操やらヨガのやり方まで教わった。そんな中、一時間程度で終わりを迎えた。そして、その呼吸を意識して走り込みを行うようにという指示を受けた。

その後、準備をしてから例の走り込みのスタート場所へ向かうとサラがその場にいた。彼女は汗を流しながらも、すでにその場で走る準備をしている。

「……先生から、あんたを見てあげろと言われているのよ。だから、準備ができたら言いなさい」

そうぶっきらぼうに言い放ちながら、その場で待っていた。
正直気まずいことこの上ない。
サラについていこうとしたら足手まといになりあれだけ迷惑をかけたで気まずい。

だが先生から彼女の指導を受けろと言われていること、それに加えまだ彼女にお礼やらなんやら言っていないため、勇気を振り絞って頭を下げながら伝える。

「サラさん……その、ごめんなさい! 以前はついていけずに足を引っ張った挙句、獣に襲われたときに助けてもらって……」

「……その、私の方こそごめんなさい」

ボソッとつぶやくように謝り方。
しかし彼の耳にはしっかり届いたようで、驚いた表情で頭を挙げる。

「あの後こっぴどく叱られた後、この走り込みでは使えなくなったわ。あと、困っている人は助けるようにしなさいって。だから、ゆっくり走るわ……とりあえず、完走することを目標にするわよ」

目線を合わせず早口で説明したサラ。彼女もこの前の事件についてはそれなりに罪悪感を覚えていた。あまりティアのことを快く思ってはいないが、だからと言ってあのような意地悪をしてよいわけではないと気付いた。

年齢にそぐわず大人びていたサラだが、この時に限ってシュンとしていた。とはいえ、謝る態度ではないサラを気にするよりも走ることが優先のティアはそんなこと気にせず走るポーズを決めていた。
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