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⑤二人の秘密
しおりを挟む「エディ、ひとつ聞いてもいいか」
「何──?」
「あの時、君が手首を切ったのは──」
言い終わらぬ内に、エディの顔が強張った。
カウンターからは離れた席である。周りには音楽も流れている。誰にも聞こえる筈はなかったが、田代は声を落とした。
「あれは狂言だったんだろう」
エディは目を伏せて、田代の視線を外らした。すぐに答えようとはしない。
「今更こんな事を聞いて、ひどいと思う。だけど言わせてくれ」
あえて田代は続けた。
エディの胸の奥を抉じ開けるような真似だとは、わかっていた。
だが、塚本の死というどうしようもない現実を前に、田代を何もかも知りたいという気持ちにさせていた。
「俺は塚本君のマネージャーから、極秘に聞いたんだ。君の──自殺未遂の事を──もちろん口止めされてな。
俺以外にもあと何人かは、嗅ぎつけたヤツがいただろうけど、結局表沙汰にはならなかった。
君の事務所が、裏から手を回して全部のマスコミをシャットアウトしちまったからだ。
天下の榊原プロだ。その位はできたさ。逆らえば、俺たちは他の仕事をさせてもらえない。そうだろう」
そう言われてエディは顔をあげた。
唇が何か言いたげに動く。
「いいから聞いてくれよ。榊原プロは、君の失踪理由に関しては、最後までノーコメントだった。
マスコミは勝手に、ギャラが不満だったの、メンバーと不仲だったのと書きまくった。
片や塚本君のアクティブ・プロでは、君の失踪に、塚本君との恋愛問題が関係してると詮索されるのを恐れた。
男同士のスキャンダルは、タブーだったからな。すぐに塚本君はマスコミを避けて、ハワイへ飛んだ。
とにかく君は謎の失踪を遂げて、そのままペガサスを脱退したことになってる。
なぁ、エディ──塚本君も死んじまった。君はすでに芸能界の人間じゃない。何を聞いたって、もう時効だ。
これは雑誌記者 田代としてじゃなく、ただの友人として言ってるんだ。
一度君の口から、失踪の訳を聞けたらと、ずっと思ってた。
君が色々塚本君との事を、悩んでいたのはわかるが、あんな真似するまで思い詰めてたなんて──」
「違うんだ」
一気にしゃべり続けた田代の言葉を、エディが遮った。
「そうじゃないんだ。あれは……僕を刺そうとして、澄生がやったんだ」
手に持っていたグラスを、田代はもう少しで床に落とすところだった。
「もみ合った拍子に、澄生の持ってたナイフが、たまたま僕の左手首に当たって、切れたんだ……それで……」
言い終えたエディは、落ち着いていたが、顔は真っ青だった。
田代は衝撃を隠せなかった。
まさか、そんな──と言いかけて言葉を呑み込む。
あの塚本が、エディにナイフを向けたというのか。では、あの時エディは、塚本をかばって自分で付けた傷だと言ったのか………
カウンターから、酔客が陽気に笑う声が響いてきた。
12年前のあの日の事が、昨日の事のように田代の脳裏に浮かんだ。
※ ※ ※
エディがいなくなった、と聞いて田代が駆け付けたのは、塚本のマンションだった。ドアを開けたのは、顔見知りの塚本のマネージャー、笠島だった。
「エディ、本当にいなくなったんですか?」
「ああ──君か」
笠島は辺りを気にしながらも、田代を部屋に入れた。
「早く入って──誰にも見られなかったか?」
エディと塚本の仲を知る、数少ないひとりだ。
「澄生と親しい君だから、正直に言うよ。ちょっとトラブルがあって──エディが急にいなくなったんだ。
澄生は相当ショックを受けてる。部屋から出てこないんだ。そっとしておいてくれないか」
部屋の中は静まり返って、物音ひとつしない。
その日、田代が笠島から聞き出せたのは、前日エディがここで手首を切って自殺を図り、未遂に終わったこと。
しかしどうやらそれは、狂言だったこと。
そして当のエディは、部屋を抜け出して行方不明で、どこにいるか全くわからないという──
ほんのニ、三日前に話をしたエディが、突然目の前から消えてしまった。
田代は驚きというより、呆然とした。
自分が関わっている雑誌に、「エディ萩原失踪」の記事が載っているのを、まるで他人事のように眺めた、あの時。
その時の真実を、十年以上経った今、目の前で本人のエディが語ろうとしている……
※ ※ ※
「もしかして塚本君は、君を刺して──自分も死ぬ気だったのか」
「かもしれない」
「しかし、一体何があったんだ?彼が君にそんな事するなんて、考えられない。ただのケンカじゃなさそうじゃないか」
エディはまた黙った。
うつむいて唇を噛みしめる。
「訳がありそうだな」
ひと呼吸おいて田代が続ける。
「君に、誰か他の相手ができたからか──エディ、そうなのか?」
「鋭いね、さすがに」
エディは大きくため息をついた。
塚本澄生がエディに向かって、刃物を振りかざすような真似ができるとしたら──それはたったひとつ、他の男にエディを取られた時しかない、と田代は思ったのだった。
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