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その2
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◆◆◆
ニコニコ金融で揉めた親父は、その後もゴネてるらしい。
今日は弟分の田西と一緒に、舎弟頭の所に行った。
その帰りがけにちょいと寄り道して腹ごしらえだ。
行きつけのラーメン屋でラーメンと餃子を平らげ、ダラダラ時間を潰している。
「いや~、しかしニコニコ金融の件、今は脅すっつーわけにもいきませんし、兄貴、どうなさるんで? あの店は兄貴が任されてますよね」
田西はあの件について心配そうに言う。
「ああ、ま、取れる物があるのはいいんだが、うかうかしてたら他の債権者に取られちまう、できれば先にうちが押さえたい」
「ですね、まあ~ただ、あの親父、売る気はねぇらしいんで、下手したら差し押さえっすかね」
「だな、うちみてぇな闇金じゃなく、まともなとこからも借りてる、だとすりゃ……そっちは合法的な手順を踏んでやるだろう」
「そっすか……イライラしますね、だけど、オラついたとこでこっちが不利になるだけだし……、いっそ闇でやっちまいますか、なーに、ちょいと監禁して締め上げりゃカタギなんぞちょろいっすよ、売買契約書にサイン捺印させりゃこっちのもんだ」
「ひと昔前なら通用したが、ま、難しいな、下手を打ちゃ親父に迷惑がかかる」
「はあ~……そうっすね」
田西が落胆してため息をついた時に、ガラガラっと扉が開いて客が入ってきた。
席はがら空きだが、ぼちぼち出ようと思った。
「おい、行くぞ」
「はい」
田西に声をかけて立ち上がったら、たった今入ってきた客が近づいてきた。
「ん……」
小柄な男だが、知り合いか? と思ってじっと見ていたら、見覚えのある顔だった。
「ヤクザ屋さん!」
あの時の仲本のガキだが、ガキは俺に向かって声を張り上げた。
「え、え、あ……、誰だ?」
田西はびっくりしてガキと俺を交互に見る。
「またお前か……」
なんでここに現れるのか知らないが、デカい声でヤクザ呼ばわりされちゃ迷惑だ。
「俺、調べました、あなたはここによく来る、だから来ました」
「調べたって……」
ストーカーかよ……。
「あのな、日本じゃガキの売買は禁止されてる、六法全書を読め」
「読みました」
「読んだのかよ……」
「ヤクザ屋さん、ヤクザならできるでしょ? 買ってください」
「あのな……」
俺らを恐れもせずに堂々と話しかけてくるんだから、このマセガキには参ってしまう。
「兄貴、このガキは一体……」
田西は困惑気味に聞いてきたが、とりあえずこっちが先だ。
「なあお前、裕之っていったよな、裕之、ヤクザって呼ぶのはやめろ、すげー迷惑だ、俺の名前は葛西学だ」
裕之という名前は覚えていたが、兎に角俺は名を名乗った。
「はい、わかりました、じゃあ……葛西さん、お願いします」
裕之は深々と頭を下げると、改めて頼み込んできた。
「裕之、お前が手助けしてぇって思う、その気持ちは偉いと思ってやる、だがな、俺はお前にウリをさせて儲けようなんざ、そんなせこい男にゃなりたかねぇ、親父は親父、お前はお前だ、六法全書を読んだのならわかるだろ、親の負債を子が返す義務はねぇんだよ」
中学生じゃ連帯保証人になってるわけがないし、子供側が気を揉む事じゃねぇ。
「わかってる、そうじゃなくて、俺は家を守りたい……だからです、どうか」
裕之は思い詰めたような顔をして言ったが、これ以上話しても無駄なようだ。
「わりぃな、田西行くぜ」
「はい」
田西を引き連れてラーメン屋を出た。
「兄貴、あのガキは例の負債者の息子ですか?」
店の前にとめた車に乗ったら、田西は直ぐに車を出したが、俺をチラ見して早速聞いてきた。
「ああ、そうだ」
「ウリをやると言ってるんすね?」
「ああ」
「しかし、俺らを相手によく言えますね」
「だな」
「気のつえーガキだ、ヤクザなら将来有望っすね」
「確かに度胸は褒めてやる、けどな、我が強けりゃいいってもんじゃねぇ、これからは腕力よりも頭脳の時代だ、交渉や商談の際に相手を上手く丸め込み、懐柔させるような柔軟さが必要になる」
オラついて力で解決できりゃ、ある意味そっちの方が楽だが、今の時代はそう簡単にはいかねぇ。
暴対法が施行されて以来、シノギをとるのが難しくなった。
俺らの主な稼ぎ、風俗関連もそうだ。
特に店舗ありきなソープは、下手に改装できねぇ。
内部の小さな改装はいいが、店舗ごと建て直したらそこで終わりだ。
営業許可が降りねぇ。
だから、無店舗派遣型の風俗をやる奴が増えた。
稼ぎがなきゃ、下の者を食わせる事すらままならない。
昔のような自警団的役割も禁止され、的屋もアウト、みかじめ料も駄目。
今どきヤクザになってもなんのメリットもないが、その上、この世界は上下関係が厳しく、付き合いだなんだとやたらうるさい。
仁義やらそういった昔ながらのやり方をする奴も風前の灯だ。
ヤクザ稼業が嫌になって見切りをつけたとしても、足を洗って5年間はヤクザと同じ扱いを受ける。
口座は開けねぇ、アパートも借りられねぇ、まともな仕事にゃつけねぇ。
やり直しをするのは……それこそ修羅の道だ。
何事も金。
金さえありゃ全てが上手くいく。
それは俺らの稼業に限らず、世の中全体がそうだ。
それがいいか悪いかわからねぇが、少なくとも俺は、金よりも大事なもんがあると思う。
思うが、借金は返して貰わなきゃならねぇ。
俺はマンションを借りて住んでいるが、今日はまだ他にも寄る所がある。
正直めんどくせぇが、幹部会に出席する事になっている。
当然田西はわかっているので、まっすぐ居酒屋に向かった。
帰りは田西が迎えに来る。
車をおりて店に入ったら、厳つい連中が勢揃いしていた。
ちょうど日が暮れかけた辺りだが、酒好きな連中ばかりなので、ワイワイ騒いで盛り上がっている。
「おう、葛西、こっちに来いよ」
俺らの上部に立つ組は鳴門組という組だ。
俺の組は菲組で、声をかけてきたのは同じ傘下の則組の稲森だが、ここに集まったのは皆鳴門組の傘下の組の幹部連中である。
「おお」
手招きされて奴の隣に座った。
「おい、酒だ、焼酎持ってきてくれ」
稲森は俺に注文を聞かずに注文をしてくれる。
「だはははっ! おい、久しぶりだな」
酔って気分がいいらしく、バカ笑いして背中をバシバシ叩いてきた。
「ああ、久しぶりだな」
先日、親父のお供で二日酔いになったし、俺はあんまり飲みたくねぇ。
「あんな、俺よ、嫁を貰うんだ」
稲森は赤らんだ顔で誇らしげに言う。
「そうか、そいつはよかったな」
周りの結婚を祝う機会はちょくちょくあるが、御祝儀だなんだと出費が嵩むだけだ。
「30過ぎたからな、そろそろ嫁を貰わねぇとカッコがつかねぇ、お前はどうなんだよ、年は俺とそんなに変わらねぇだろ、いい女がいるんじゃねぇのか? な、正直に言え」
で、毎度同じような事を聞かれる。
「いねーよ、ま、いい相手がいりゃ、そのうちな」
こんな稼業で嫁やガキを養うのはキツいが、俺らの仲間はやたらと見栄を張りたがる。
元ヤンの下っ端なんか10代でデキ婚の奴もいるが、俺はそこまで本能に忠実にはなれねぇし、こんな裏街道を歩いていても、世の中の流れに同調を覚える。
「おい、うかうかしてたらジジイになっちまうぜ、40過ぎたら白髪が出るからな」
「いやまあ~、そんな焦ってねぇし、ひとりが気楽だ」
稲森はまだ言ってくるが、こういう事を言うのは……なにもこいつに限った事じゃねぇ。
運ばれてきたグラスを傾けながら、適当に受け流していた。
稲森は飲め飲めと煩いが、飲んでるふりをして誤魔化していると、スーッと誰かが近づいてくる。
小柄なので店員の姉ちゃんかと思っていたが、真ん前に立たれて目が点になった。
「お前……、裕之じゃねぇか」
何故ガキが居酒屋に居るんだ?
「葛西さん、これは幹部会ですよね? 一応調べてきたんですが、確信がなくて……」
やっぱりストーカーじゃねぇの。
「誰に聞いてきた」
「韮組の下働きしてる人です、友達の兄貴なんで」
どうも変だと思ったら、部屋住みに知り合いがいるようだ。
「そうだったのか、いや、あのな、ここは酒場だぞ、ガキが来る所じゃねぇ」
どのみち、中学生がくる場所じゃねぇ。
「わかってます、でも俺はうんと言って貰えるまで、帰りません!」
こんなとこまで来てごねられちゃ困る。
「ちょっと待て、今その話をするな」
多分、周りにはそっちのけがある奴が混ざってる。
酒が入ってる席で迂闊な発言をするのはマズい。
「承諾してくれなきゃ無理です、葛西さん、頼みます、俺を買ってください!」
言っちまった。
しかもでけぇ声で……。
周りは一斉に裕之に注目した。
「おいボウズ、今おもしれぇ事を言ったよな?」
四七築組の坊主頭、刈谷が食いついてきた。
「はい」
「買ってくれって、金がいるのか?」
「はい」
なんだか怪しい気配がしてきた。
「ちょい待ちな、このガキは俺に会いに来た、今、家に帰るように言ってたとこだ」
俺に執拗に頼むって事は、ひょっとしたら他の奴が買うと言ったら、乗っちまうかもしれねぇ。
それは駄目だ。
いくら債務者のガキだからと言って、俺が関わったわけだし、冗談じゃねぇ。
「ほお、葛西、あんたはそっちは無理だと思っていたが、いける口だったのか、へへっ、だったら買ってやれよ、可愛いガキじゃねぇか」
刈谷は勝手な事を言っている。
「それは俺が決める事だ、あんたは黙っててくれ」
早いとここっから連れ出した方がいい。
「ふーん、なあ僕よ、年はいくつだ?」
なのに、刈谷は裕之に興味を持ったらしい。
「13」
「へえ、13か、ガチでガキじゃねぇの、そいつはまた……、へへっ、こっちに来な」
「ちょっ……」
刈谷は手招きして呼び寄せ、裕之は止める間もなく行っちまった。
「俺に付き合や、たんまり小遣いやるぜ、な、本気で俺と付き合うか?」
裕之はビビりもせずに刈谷の真ん前に立ち、刈谷は真面目に話を持ちかける。
こりゃ、ほっとけねぇ。
「ちょっと待ちな!」
慌てて2人のそばに行った。
「なんだよ~、俺はこの僕ちゃんと話をしてるんだ、邪魔するな」
刈谷は不満げに言ったが、そうはさせるか。
「勝手な事をして貰っちゃ困る、このガキは俺の客のガキで俺に会いに来た、ウリは無しだ」
俺は刈谷がそっち側だとは知らなかったが、そんな事はどうでもいい。
キッパリ言わなきゃ、マジで買う気でいる。
「ったく~、だったらお前が買え、じゃねぇと俺のメンツが立たねぇ」
メンツだなんだとごちゃごちゃ言いやがって、鬱陶しい奴だ。
「ああ、買う、これで満足か」
この際仕方がない。
「ようし、言ったな、じゃ、早速連れて帰れ」
だが、刈谷は無茶を言う。
「今すぐにか?」
「嫁がいるわけじゃねぇんだ、お持ち帰りしろ」
奴は本当は自分が連れて帰りてぇんだ。
俺に駄目だって言われて、意地になってやがる。
「いや、急には無理だ、俺にも都合ってやつがある」
そんな事を強制される筋合いはねぇ。
「連れて帰らねぇなら、俺が貰うぞ、な、裕之って言ったか、俺なら即OKだ」
と、下心丸出しで裕之に話しかけた。
「連れて帰りゃいいんだろ……、ったく、わかったよ」
とりあえず連れて帰るふりをしなきゃ、うるさくってしょうがねぇ。
「裕之、こっちに来い」
「はい!」
裕之はバカに威勢よく返事を返し、俺んとこに駆け寄ってきた。
「あ、おい、今来たばっかしだろ」
稲森はブツクサ言ったが、この状況じゃ店から出るしかねぇ。
「ああ、わりぃな、また連絡するわ」
どうせ早く帰りたかったし、そこは怪我の功名とでも言っておこう。
裕之を連れて店から出た。
通りの酒場はかきいれ時で、どの店も賑わっている。
目立たない所に裕之を連れて行き、財布から金を出して差し出した。
「ほら、これでタクシー呼んで帰れ、スマホくらい持ってるだろ」
なんで債務者のガキに金をやらなきゃいけねぇのか、自分でも情けなくなってきたが、こんな夜になってバスや電車じゃ物騒だ。
「葛西さん、俺を買ったんじゃ」
裕之はガッカリしたような顔で言った。
「あのな~、なに期待してんだよ、大体よ、買われるって簡単に言うが、どうせ意味なんかわかっちゃねぇんだろ」
たかが中学生だ。
きっと遊び感覚でかるーく考えてるに違いねぇ。
「俺、ちゃんと調べました! アナルSEXの事!」
すると、裕之はデカい声で堂々ととんでもない事を言った。
「ば、馬鹿……声がデカい」
周りを通り過ぎる奴らがチラチラ見てやがる。
俺のこの風貌でガキを連れてりゃ……怪しすぎるだろう。
「だから知ってます、今夜は葛西さんについて行きます」
「はあ? なに言ってる、勝手につきまとって、挙句の果てについてくるだと?」
このガキは何を考えてるのか、さっぱりわからねぇ。
「俺、父さんにも話しました、母さんはいません、先日、離婚して出て行きました」
あー、よくあるパターンだな。
負債を抱えた亭主を見限って捨てた。
「だから……父さんだけだ、父さんには話しました、俺が話をつけてくるって、父さんは承諾してくれた、俺、買って貰わなきゃ帰れない」
息子が体を売るのを認める親父って、どんな親父だよ。
つか、息子を借金のカタにして逃れようなんざ、最低の親父じゃねぇか。
「裕之、お前の親父はおかしい、どこの世界に息子を売る親がいる、俺が叱ってやる」
こうなりゃ親父を説教してやる。
「違います、俺が言ったんです、あの家は死んだ爺ちゃんが建てた家だ、爺ちゃんは俺を可愛がってくれた、俺は爺ちゃんとの思い出が詰まったあの家を手放したくない、それで父さんを説得したんです」
「説得って言ってもな」
そりゃ爺ちゃん云々って聞いたら、なんとなく察するところがあるが、それでも異常な事だ。
「葛西さん、お金は受け取れません、もうあんまり時間がない、意地でもあなたについて行きます」
時間がないって事は、銀行がなにか言ってきたのかもしれない。
「な、銀行からも借りてるだろ、そっちはなにか言ってきたか?」
「はい、このままじゃいずれ差し押さえになるって」
やっぱりそうだ。
しかし、うちに売れと言っても無駄だろうし、どうしたもんか。
「その家、うちに売ってくれりゃ助かるんだがな」
「それができないからあなたに……」
「けどな、どのみち取られて競売にかけられちまうぜ、俺らが申し立てしても通るかどうか、こっちは丸々損だ」
「じゃあ、ニコニコ金融に売る事にして、売らないでくれたら……、俺が金を返しますから」
裕之はあくまでも自分が返すというが、そこまでして売りたくねぇって言うなら……いい考えが浮かんできた。
「ちょい待て、リースバックなら……いけるか」
「リースバックってなんですか?」
「売却した家に住める、但し、うちと賃貸契約を結ぶ事になるがな、競売よりはマシだと思うぜ」
売る側にはデメリットもあるが、この場合、致し方ないだろう。
「賃貸契約って、家賃を払うんですか?」
「そうだ、うちは闇金だが不動産も扱ってる、確かに納得できねー部分もあるかもしれねぇが、銀行にぶんどられて、どこかに売り飛ばされるよりはマシだ、賃貸契約は3年、3年のうちに買い戻しゃ、家や土地はお前らの元に戻ってくる」
「3年ですか……、それまでに金を貯めたらいいんですね?」
「そういうこったな」
ま、実際には不可能だとは思うが、こうでも言わなきゃこっちが迷惑する。
「わかりました、俺、父さんに話をしてみます」
どうやら上手くいったようだ。
「そうか、家に帰って親父にちゃんと話せ、じゃ、タクシー代を受け取れ」
「すみません」
裕之はようやく金を受け取った。
「なら、もう行け、大人しく帰宅しろ」
タクシーが止まれる表通りに行くように促した。
「はい、あの、葛西さん……、ありがとうございます!」
裕之は思いっきり頭を下げて礼を言うと、背中を向けて歩き出した。
「はあ~、疲れた」
マジで疲れるガキだ。
ニコニコ金融で揉めた親父は、その後もゴネてるらしい。
今日は弟分の田西と一緒に、舎弟頭の所に行った。
その帰りがけにちょいと寄り道して腹ごしらえだ。
行きつけのラーメン屋でラーメンと餃子を平らげ、ダラダラ時間を潰している。
「いや~、しかしニコニコ金融の件、今は脅すっつーわけにもいきませんし、兄貴、どうなさるんで? あの店は兄貴が任されてますよね」
田西はあの件について心配そうに言う。
「ああ、ま、取れる物があるのはいいんだが、うかうかしてたら他の債権者に取られちまう、できれば先にうちが押さえたい」
「ですね、まあ~ただ、あの親父、売る気はねぇらしいんで、下手したら差し押さえっすかね」
「だな、うちみてぇな闇金じゃなく、まともなとこからも借りてる、だとすりゃ……そっちは合法的な手順を踏んでやるだろう」
「そっすか……イライラしますね、だけど、オラついたとこでこっちが不利になるだけだし……、いっそ闇でやっちまいますか、なーに、ちょいと監禁して締め上げりゃカタギなんぞちょろいっすよ、売買契約書にサイン捺印させりゃこっちのもんだ」
「ひと昔前なら通用したが、ま、難しいな、下手を打ちゃ親父に迷惑がかかる」
「はあ~……そうっすね」
田西が落胆してため息をついた時に、ガラガラっと扉が開いて客が入ってきた。
席はがら空きだが、ぼちぼち出ようと思った。
「おい、行くぞ」
「はい」
田西に声をかけて立ち上がったら、たった今入ってきた客が近づいてきた。
「ん……」
小柄な男だが、知り合いか? と思ってじっと見ていたら、見覚えのある顔だった。
「ヤクザ屋さん!」
あの時の仲本のガキだが、ガキは俺に向かって声を張り上げた。
「え、え、あ……、誰だ?」
田西はびっくりしてガキと俺を交互に見る。
「またお前か……」
なんでここに現れるのか知らないが、デカい声でヤクザ呼ばわりされちゃ迷惑だ。
「俺、調べました、あなたはここによく来る、だから来ました」
「調べたって……」
ストーカーかよ……。
「あのな、日本じゃガキの売買は禁止されてる、六法全書を読め」
「読みました」
「読んだのかよ……」
「ヤクザ屋さん、ヤクザならできるでしょ? 買ってください」
「あのな……」
俺らを恐れもせずに堂々と話しかけてくるんだから、このマセガキには参ってしまう。
「兄貴、このガキは一体……」
田西は困惑気味に聞いてきたが、とりあえずこっちが先だ。
「なあお前、裕之っていったよな、裕之、ヤクザって呼ぶのはやめろ、すげー迷惑だ、俺の名前は葛西学だ」
裕之という名前は覚えていたが、兎に角俺は名を名乗った。
「はい、わかりました、じゃあ……葛西さん、お願いします」
裕之は深々と頭を下げると、改めて頼み込んできた。
「裕之、お前が手助けしてぇって思う、その気持ちは偉いと思ってやる、だがな、俺はお前にウリをさせて儲けようなんざ、そんなせこい男にゃなりたかねぇ、親父は親父、お前はお前だ、六法全書を読んだのならわかるだろ、親の負債を子が返す義務はねぇんだよ」
中学生じゃ連帯保証人になってるわけがないし、子供側が気を揉む事じゃねぇ。
「わかってる、そうじゃなくて、俺は家を守りたい……だからです、どうか」
裕之は思い詰めたような顔をして言ったが、これ以上話しても無駄なようだ。
「わりぃな、田西行くぜ」
「はい」
田西を引き連れてラーメン屋を出た。
「兄貴、あのガキは例の負債者の息子ですか?」
店の前にとめた車に乗ったら、田西は直ぐに車を出したが、俺をチラ見して早速聞いてきた。
「ああ、そうだ」
「ウリをやると言ってるんすね?」
「ああ」
「しかし、俺らを相手によく言えますね」
「だな」
「気のつえーガキだ、ヤクザなら将来有望っすね」
「確かに度胸は褒めてやる、けどな、我が強けりゃいいってもんじゃねぇ、これからは腕力よりも頭脳の時代だ、交渉や商談の際に相手を上手く丸め込み、懐柔させるような柔軟さが必要になる」
オラついて力で解決できりゃ、ある意味そっちの方が楽だが、今の時代はそう簡単にはいかねぇ。
暴対法が施行されて以来、シノギをとるのが難しくなった。
俺らの主な稼ぎ、風俗関連もそうだ。
特に店舗ありきなソープは、下手に改装できねぇ。
内部の小さな改装はいいが、店舗ごと建て直したらそこで終わりだ。
営業許可が降りねぇ。
だから、無店舗派遣型の風俗をやる奴が増えた。
稼ぎがなきゃ、下の者を食わせる事すらままならない。
昔のような自警団的役割も禁止され、的屋もアウト、みかじめ料も駄目。
今どきヤクザになってもなんのメリットもないが、その上、この世界は上下関係が厳しく、付き合いだなんだとやたらうるさい。
仁義やらそういった昔ながらのやり方をする奴も風前の灯だ。
ヤクザ稼業が嫌になって見切りをつけたとしても、足を洗って5年間はヤクザと同じ扱いを受ける。
口座は開けねぇ、アパートも借りられねぇ、まともな仕事にゃつけねぇ。
やり直しをするのは……それこそ修羅の道だ。
何事も金。
金さえありゃ全てが上手くいく。
それは俺らの稼業に限らず、世の中全体がそうだ。
それがいいか悪いかわからねぇが、少なくとも俺は、金よりも大事なもんがあると思う。
思うが、借金は返して貰わなきゃならねぇ。
俺はマンションを借りて住んでいるが、今日はまだ他にも寄る所がある。
正直めんどくせぇが、幹部会に出席する事になっている。
当然田西はわかっているので、まっすぐ居酒屋に向かった。
帰りは田西が迎えに来る。
車をおりて店に入ったら、厳つい連中が勢揃いしていた。
ちょうど日が暮れかけた辺りだが、酒好きな連中ばかりなので、ワイワイ騒いで盛り上がっている。
「おう、葛西、こっちに来いよ」
俺らの上部に立つ組は鳴門組という組だ。
俺の組は菲組で、声をかけてきたのは同じ傘下の則組の稲森だが、ここに集まったのは皆鳴門組の傘下の組の幹部連中である。
「おお」
手招きされて奴の隣に座った。
「おい、酒だ、焼酎持ってきてくれ」
稲森は俺に注文を聞かずに注文をしてくれる。
「だはははっ! おい、久しぶりだな」
酔って気分がいいらしく、バカ笑いして背中をバシバシ叩いてきた。
「ああ、久しぶりだな」
先日、親父のお供で二日酔いになったし、俺はあんまり飲みたくねぇ。
「あんな、俺よ、嫁を貰うんだ」
稲森は赤らんだ顔で誇らしげに言う。
「そうか、そいつはよかったな」
周りの結婚を祝う機会はちょくちょくあるが、御祝儀だなんだと出費が嵩むだけだ。
「30過ぎたからな、そろそろ嫁を貰わねぇとカッコがつかねぇ、お前はどうなんだよ、年は俺とそんなに変わらねぇだろ、いい女がいるんじゃねぇのか? な、正直に言え」
で、毎度同じような事を聞かれる。
「いねーよ、ま、いい相手がいりゃ、そのうちな」
こんな稼業で嫁やガキを養うのはキツいが、俺らの仲間はやたらと見栄を張りたがる。
元ヤンの下っ端なんか10代でデキ婚の奴もいるが、俺はそこまで本能に忠実にはなれねぇし、こんな裏街道を歩いていても、世の中の流れに同調を覚える。
「おい、うかうかしてたらジジイになっちまうぜ、40過ぎたら白髪が出るからな」
「いやまあ~、そんな焦ってねぇし、ひとりが気楽だ」
稲森はまだ言ってくるが、こういう事を言うのは……なにもこいつに限った事じゃねぇ。
運ばれてきたグラスを傾けながら、適当に受け流していた。
稲森は飲め飲めと煩いが、飲んでるふりをして誤魔化していると、スーッと誰かが近づいてくる。
小柄なので店員の姉ちゃんかと思っていたが、真ん前に立たれて目が点になった。
「お前……、裕之じゃねぇか」
何故ガキが居酒屋に居るんだ?
「葛西さん、これは幹部会ですよね? 一応調べてきたんですが、確信がなくて……」
やっぱりストーカーじゃねぇの。
「誰に聞いてきた」
「韮組の下働きしてる人です、友達の兄貴なんで」
どうも変だと思ったら、部屋住みに知り合いがいるようだ。
「そうだったのか、いや、あのな、ここは酒場だぞ、ガキが来る所じゃねぇ」
どのみち、中学生がくる場所じゃねぇ。
「わかってます、でも俺はうんと言って貰えるまで、帰りません!」
こんなとこまで来てごねられちゃ困る。
「ちょっと待て、今その話をするな」
多分、周りにはそっちのけがある奴が混ざってる。
酒が入ってる席で迂闊な発言をするのはマズい。
「承諾してくれなきゃ無理です、葛西さん、頼みます、俺を買ってください!」
言っちまった。
しかもでけぇ声で……。
周りは一斉に裕之に注目した。
「おいボウズ、今おもしれぇ事を言ったよな?」
四七築組の坊主頭、刈谷が食いついてきた。
「はい」
「買ってくれって、金がいるのか?」
「はい」
なんだか怪しい気配がしてきた。
「ちょい待ちな、このガキは俺に会いに来た、今、家に帰るように言ってたとこだ」
俺に執拗に頼むって事は、ひょっとしたら他の奴が買うと言ったら、乗っちまうかもしれねぇ。
それは駄目だ。
いくら債務者のガキだからと言って、俺が関わったわけだし、冗談じゃねぇ。
「ほお、葛西、あんたはそっちは無理だと思っていたが、いける口だったのか、へへっ、だったら買ってやれよ、可愛いガキじゃねぇか」
刈谷は勝手な事を言っている。
「それは俺が決める事だ、あんたは黙っててくれ」
早いとここっから連れ出した方がいい。
「ふーん、なあ僕よ、年はいくつだ?」
なのに、刈谷は裕之に興味を持ったらしい。
「13」
「へえ、13か、ガチでガキじゃねぇの、そいつはまた……、へへっ、こっちに来な」
「ちょっ……」
刈谷は手招きして呼び寄せ、裕之は止める間もなく行っちまった。
「俺に付き合や、たんまり小遣いやるぜ、な、本気で俺と付き合うか?」
裕之はビビりもせずに刈谷の真ん前に立ち、刈谷は真面目に話を持ちかける。
こりゃ、ほっとけねぇ。
「ちょっと待ちな!」
慌てて2人のそばに行った。
「なんだよ~、俺はこの僕ちゃんと話をしてるんだ、邪魔するな」
刈谷は不満げに言ったが、そうはさせるか。
「勝手な事をして貰っちゃ困る、このガキは俺の客のガキで俺に会いに来た、ウリは無しだ」
俺は刈谷がそっち側だとは知らなかったが、そんな事はどうでもいい。
キッパリ言わなきゃ、マジで買う気でいる。
「ったく~、だったらお前が買え、じゃねぇと俺のメンツが立たねぇ」
メンツだなんだとごちゃごちゃ言いやがって、鬱陶しい奴だ。
「ああ、買う、これで満足か」
この際仕方がない。
「ようし、言ったな、じゃ、早速連れて帰れ」
だが、刈谷は無茶を言う。
「今すぐにか?」
「嫁がいるわけじゃねぇんだ、お持ち帰りしろ」
奴は本当は自分が連れて帰りてぇんだ。
俺に駄目だって言われて、意地になってやがる。
「いや、急には無理だ、俺にも都合ってやつがある」
そんな事を強制される筋合いはねぇ。
「連れて帰らねぇなら、俺が貰うぞ、な、裕之って言ったか、俺なら即OKだ」
と、下心丸出しで裕之に話しかけた。
「連れて帰りゃいいんだろ……、ったく、わかったよ」
とりあえず連れて帰るふりをしなきゃ、うるさくってしょうがねぇ。
「裕之、こっちに来い」
「はい!」
裕之はバカに威勢よく返事を返し、俺んとこに駆け寄ってきた。
「あ、おい、今来たばっかしだろ」
稲森はブツクサ言ったが、この状況じゃ店から出るしかねぇ。
「ああ、わりぃな、また連絡するわ」
どうせ早く帰りたかったし、そこは怪我の功名とでも言っておこう。
裕之を連れて店から出た。
通りの酒場はかきいれ時で、どの店も賑わっている。
目立たない所に裕之を連れて行き、財布から金を出して差し出した。
「ほら、これでタクシー呼んで帰れ、スマホくらい持ってるだろ」
なんで債務者のガキに金をやらなきゃいけねぇのか、自分でも情けなくなってきたが、こんな夜になってバスや電車じゃ物騒だ。
「葛西さん、俺を買ったんじゃ」
裕之はガッカリしたような顔で言った。
「あのな~、なに期待してんだよ、大体よ、買われるって簡単に言うが、どうせ意味なんかわかっちゃねぇんだろ」
たかが中学生だ。
きっと遊び感覚でかるーく考えてるに違いねぇ。
「俺、ちゃんと調べました! アナルSEXの事!」
すると、裕之はデカい声で堂々ととんでもない事を言った。
「ば、馬鹿……声がデカい」
周りを通り過ぎる奴らがチラチラ見てやがる。
俺のこの風貌でガキを連れてりゃ……怪しすぎるだろう。
「だから知ってます、今夜は葛西さんについて行きます」
「はあ? なに言ってる、勝手につきまとって、挙句の果てについてくるだと?」
このガキは何を考えてるのか、さっぱりわからねぇ。
「俺、父さんにも話しました、母さんはいません、先日、離婚して出て行きました」
あー、よくあるパターンだな。
負債を抱えた亭主を見限って捨てた。
「だから……父さんだけだ、父さんには話しました、俺が話をつけてくるって、父さんは承諾してくれた、俺、買って貰わなきゃ帰れない」
息子が体を売るのを認める親父って、どんな親父だよ。
つか、息子を借金のカタにして逃れようなんざ、最低の親父じゃねぇか。
「裕之、お前の親父はおかしい、どこの世界に息子を売る親がいる、俺が叱ってやる」
こうなりゃ親父を説教してやる。
「違います、俺が言ったんです、あの家は死んだ爺ちゃんが建てた家だ、爺ちゃんは俺を可愛がってくれた、俺は爺ちゃんとの思い出が詰まったあの家を手放したくない、それで父さんを説得したんです」
「説得って言ってもな」
そりゃ爺ちゃん云々って聞いたら、なんとなく察するところがあるが、それでも異常な事だ。
「葛西さん、お金は受け取れません、もうあんまり時間がない、意地でもあなたについて行きます」
時間がないって事は、銀行がなにか言ってきたのかもしれない。
「な、銀行からも借りてるだろ、そっちはなにか言ってきたか?」
「はい、このままじゃいずれ差し押さえになるって」
やっぱりそうだ。
しかし、うちに売れと言っても無駄だろうし、どうしたもんか。
「その家、うちに売ってくれりゃ助かるんだがな」
「それができないからあなたに……」
「けどな、どのみち取られて競売にかけられちまうぜ、俺らが申し立てしても通るかどうか、こっちは丸々損だ」
「じゃあ、ニコニコ金融に売る事にして、売らないでくれたら……、俺が金を返しますから」
裕之はあくまでも自分が返すというが、そこまでして売りたくねぇって言うなら……いい考えが浮かんできた。
「ちょい待て、リースバックなら……いけるか」
「リースバックってなんですか?」
「売却した家に住める、但し、うちと賃貸契約を結ぶ事になるがな、競売よりはマシだと思うぜ」
売る側にはデメリットもあるが、この場合、致し方ないだろう。
「賃貸契約って、家賃を払うんですか?」
「そうだ、うちは闇金だが不動産も扱ってる、確かに納得できねー部分もあるかもしれねぇが、銀行にぶんどられて、どこかに売り飛ばされるよりはマシだ、賃貸契約は3年、3年のうちに買い戻しゃ、家や土地はお前らの元に戻ってくる」
「3年ですか……、それまでに金を貯めたらいいんですね?」
「そういうこったな」
ま、実際には不可能だとは思うが、こうでも言わなきゃこっちが迷惑する。
「わかりました、俺、父さんに話をしてみます」
どうやら上手くいったようだ。
「そうか、家に帰って親父にちゃんと話せ、じゃ、タクシー代を受け取れ」
「すみません」
裕之はようやく金を受け取った。
「なら、もう行け、大人しく帰宅しろ」
タクシーが止まれる表通りに行くように促した。
「はい、あの、葛西さん……、ありがとうございます!」
裕之は思いっきり頭を下げて礼を言うと、背中を向けて歩き出した。
「はあ~、疲れた」
マジで疲れるガキだ。
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