brat中編

根無し草

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その11

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◆◆◆

「うーん……、頭痛てぇ」

カシラに裕之を会わせた数日後のゆうべ、また飲み会があり、不運な事にまたしても刈谷と一緒だった。

奴はやたら絡んできて、ペラペラと喋りまくった。
売り専に行ったと話し、俺は聞き流していたのだが、事細かく何をしたか話す。

奴の聞きたくもねー変態プレイを散々聞かされ、気を紛らわそうとしたら……飲みすぎた。

お陰で久しぶりに二日酔いだ。

「兄貴、これをどうぞ」

事務所の机に突っ伏していると、田西がすっと液キャベを出してきた。

「おお、ありがてぇ……」

いつも気の利く奴だ。
会合に儀礼的な付き合い、それがなけりゃ飲み会……。
飲み会は友好を深める意味もあるんだろうが、このままじゃ肝臓がイカレそうだ。
さっそく液キャベを飲んだ。

「あの、裕之から電話があって、事務所に来ていいかって聞いてきたんすけど」

そういや、さっき田西は誰かと電話で話をしていた。

「おー、そうか……、お前、相手をしてやれ、俺は奥で寝てるわ」

裕之だったらしいが、俺はグロッキーだ。
事務所には座敷がある。
裕之は田西に任せて少し寝る事にした。

「あ"ー、駄目だこりゃ……」

奥へ向かって歩いていくと、事務所番がそばにやってきた。

「兄貴、ひょっとして寝るんすか?」

「ああ……」

「じゃあ、布団敷きます」

「おお……」

事務所番が慌てて先に歩いて行ったが、俺はゆっくりと歩き、ドアを開けて中に入った。

「兄貴、ジャージ出しましょうか?  スーツ、シワになったらあれなんで」

座敷に行ったら、既に布団が敷いてある。

「いや、ちょっと寝るだけだ、パンイチでいい」

「そっすか、あとで水を持ってきます」

「おお、わりぃな」

今日いる事務所番は下っ端の奴だが、若いわりにはよく気が利く。
こういう奴は貴重だ。
最近はなにかして貰える事に慣れてて、自分からなにかしようという意思がねー。
そういうのは、うちみたいな稼業じゃなくても同じ事だが、こういう稼業で気が回らねぇ、空気読めねー奴はまずやっていけねぇ。
その点、裕之はしっかりしてる。
少々口がたちすぎるが礼儀はきっちりしてるし、俺らを相手に、自分の意見をハッキリと言えるのは立派だ。

にしても、カシラは一体どういうつもりなのか。
興味本位でただ会うだけだとしても、毎度ラブホテルじゃ、よくねーに決まってる。

「あー、参った……」

服を脱いで布団に入り、額に手の甲を乗っけて天井を拝んだ。
裕之は16で組に入るつもりらしいが、今時中卒じゃ悲しすぎる。
インテリヤクザを目指すなら、勉強しなきゃ駄目だ。
って……俺はなに考えてるのか、そもそも反対しなきゃ……。

カーテンの隙間から陽の光がさしてるが、瞼が重くなって目を閉じた。



夢を見る暇もなく、ぐっすりと眠っていたら、額に何かが触れてきた。

「ん……う……」

目を開けると、ぼやけた視界の中にまん丸い面がある。

「葛西さん、大丈夫ですか?」

裕之だ。
心配そうに顔を覗き込んでいるが、額に手が乗っかっている。

「おお……、ただの二日酔いだ、なんだ、熱でもあると思ったのか?」

「はい、二日酔いは聞きましたが、一応気になって」

裕之はすっと手を引いた。

「大丈夫だ、ははっ……、サボってんだよ」

「あ、そうなんだ、へへっ」

「こんなとこにいてもつまらねぇぞ、田西に遊んで貰え」

「俺、小さな子供じゃないんで、遊ぶ必要ないです、あの……服を脱いでるんですね?」

「ああ、シワになるからな」

「そっか……、やっぱり凄いな、いつもネクタイしてるし、全然見えないから」

「墨か?」

「はい」

「俺は上だけだからな、中にゃ足首までびっしり入れてる奴もいる」

「そうなんだ、俺、今こうして葛西さんと話をしてるのが不思議に思うんです」

「何故だ?」

「そういう刺青を入れてる人は、もっと怖いと思ってた、とても近づけないだろうなって」

「そりゃまぁー、イメージがあるからな、それによ、実際、イキがる為に入れる奴もいる、そういうのはやたら偉そうにするが、ま、とは言っても……昔みてぇに墨を晒す事はできねー、墨を見せただけでも通報レベルだ、組だって昔は仰々しい1枚板の看板を出してたんだが、今はそんなもんを掲げたらマズいからな、看板なしで普通の表札だ」

「そっかー、大変なんですね」

「はははっ、ああ、大変だ、だからよ、組に入りてぇだとか、やめろ」

話の流れでその話になったが、大事な事だ。
この際、ちゃんと言っておいた方がいい。
起き上がって座った。

「どうしてですか?  俺、葛西さんと田西さん、2人と一緒にいたい、どうせ家はなくなるんです、父さんと2人でアパートを借りる事になるし、だったら……俺、部屋住みします」

「ああ、だけどよ、お前、インテリヤクザ目指すなら、学をつけなきゃマズいぞ」

「はい、通信制で勉強します」

「おお、通信制か……」

その手があったか……。

「通信制なら学費も安いし、毎日通う必要もない、勉強はします」

「しかしよ、部屋住みってのは、運がよけりゃ小遣いくらいは貰えるって位で、基本無給だぞ」

「あの、学校の費用は父さんが出すから、大丈夫です」

「はあー、なあ裕之、わりぃ事は言わねー、ヤクザはやめとけ、諍いが起きなきゃいいが、もし抗争になったら、下手すりゃ服役する事になる、刑務所だぞ、前科もんだ、それがなくてもカタギのような生活はできねー、世間から白い目で見られ、付き合いだなんだと浴びるように酒を飲む、ムショに入らなくても、体を壊す確率は高い、大抵肝臓をやられるが、糖尿なんかになったら悲惨だ、ありゃ最初は太るんだが、病気が悪化したら痩せ始める、ガタイのいい奴がそうなったら目もあてられねー、萎びてヨボヨボのミイラみてぇなるんだぜ」

「じゃあ、俺は健康的なヤクザを目指します」

「はあ?  いや、あのなー、だからよ、付き合いがうるせぇんだ、誘われて飲みに行って、飲まねーわけにはいかねぇ」

「アレルギー体質って事にします、酒を飲んだら、アナフィラキシーショックで死ぬって」

「お前なー、いや、まぁー、実際アレルギー体質の奴もいるけどよ」

ごく稀だが、飲めねぇ奴がいたりもする。

「じゃ、問題ないですね、俺、決めたんで」

「はあーあ……、頑固な奴だな」

こりゃ、今すぐに説得するのは難しい。
但し、カシラの事はどうにか上手い事躱して貰いてぇ。

「わかった、じゃあよ、それはひとまずいい、カシラの事だ」

「はい」

「あのな、カシラは……お前の事をかなり気に入ってる、だからな、あんましくっついちゃ駄目だ」

「あの、俺何となく思ったんですが、東堂さんはあれですか?  俺みたいな中学生が好きなのかな?  だって……他所の組の刈谷さんって人はそういう趣味だし」

裕之は自分から聞いてきたが、以前そういう事を調べたと話していた。
だとすりゃ、ここは遠慮せずに話した方がよさそうだ。

「ああ、とは言っても、カシラが興味を持ったのは、つい最近だ」

「そうですか、あの……じゃあ俺を買いたいと思ってるのかな?  また会う約束をしたし」

「いや、そこまではねーと思うが、なにせ内緒で会ってる、ラブホなら誰にも見られねーし、そういう点じゃ安心だが……、今はなにもなくても、そういう事を言い出す可能性はある、だから俺は困ってるんだ、俺はお前をそんな目に合わせたくねー」

「俺……、ほんと言うと、ちょっと興味ある、でも、もし買われるなら、やっぱり葛西さんがいい」

興味ありって……。
思春期に突入したばっかしだし、好奇心から馬鹿な事を言ってるに違いねー。

「ちょっと待て、俺はそういう目に合うのを心配してるんだ」

「あ、そっか……、兄さんだからですか?」

「おお」

「じゃ、兄さんは取り消してもいいです、俺を買ってください」

またそんな我儘を言い出した。

「こら裕之……、マセた事を考えるな、ケツなんか掘ったら、ビリッと切れて血がどばーっと出て、痔になっちまう、それはそれは痛ってぇぞー、もうな……椅子にも座れなくなるんだ」

こうなりゃ、敢えて際どい言い方をして脅してやる。

「それは大袈裟なんじゃ?  ちゃんと慣らせば大丈夫だと書いてありました」

「かー、こいつぅー」

一体何を調べ倒してるのか、無駄に知識を得やがって……参る。

「失礼します」

事務所番が水を持ってやってきた。

「水と、ジュースと菓子もついでに」

「おお、気が利くな」

「いえ……、じゃ、ゆっくり休んでください」

事務所番は水と裕之の分も持ってきていたが、それを置いて立ち去った。

「ああやって働くんですね?」

「ああ、そうだが、あれは盃を交わしてる、正式にうちのもんだが、部屋住みはすぐに盃を交わしちゃ貰えねー、しばらく親父の家に住み込んで修行するんだ」

「礼儀作法とかですか?」

「そうだ」

「組長はなんて名前なんですか?」

「橋詰留五郎だ」

「へえ、渋い名前だなー」

「だろ?  俺は親父を尊敬してる」

「そうなんですか?」

「ああ、親父も年だ、じきに70がくる、姐さんは先に逝っちまった」

「姐さんって、奥さんの事ですか?」

「ああ、もうあの年じゃ、後妻はねーだろうよ、引退したら次はカシラって事になるが、これは内緒だが……カシラは親父を超えるこたぁできねー」

「なにかあったとか?」

「ああ、度量が違う、昔な、他所と争っててよ、うちにガサ入れが入ったんだ」

「それってマル暴ってやつですか?」

「そうだ、あいつらはヤクザよりヤクザらしい、敵対する奴らがガセネタ吹き込んでうちに嫌がらせをしたんだ、そん時、俺らはおやっさんを庇おうとしたんだが、マル暴は家に上がり込もうとする、頭にきた兄貴分が殴りかかろうとした」

「それで……どうなったんですか?」

「そしたら逆にマル暴の奴らが兄貴の胸ぐらを掴んで殴ったんだ、『俺らに歯向かおうったって、そうはいかねー、俺が今ここでお前を痛めつけたとしても、なんとでも言えるんだぞ、このクズが』ってそう言った、兄貴は悔しげにマル暴を睨みつけたが、マル暴は兄貴を足で蹴りあげた、そこでおやっさんがやってきて『やめねぇか!』と一喝した、マル暴はおやっさんに嫌味ったらしい事を言ったが、おやっさんは落ち着き払った様子でマル暴を睨み返し、『あんたらにとっちゃクズでも、俺にとっては可愛い子分なんだ、俺は逃げも隠れもせん、それでもこいつらに手ぇ出すって言うなら、俺が許さねー、俺はこいつらの親だ、子供が警察に不当な暴行を受けて、黙ってる親がどこにいる、文句があるなら俺に言え、この卑怯者が!』って、ドスの効いた声でマル暴を怒鳴りつけた」

「へえー、すげー子分を大事にする人なんだ」

「ああ、だから俺は親父について行くと誓った」

「そっか、やっぱりカッコイイ」

「けど、俺は反対だからな、お前だってわかる筈だ、この稼業がいかに食えねーか、やるだけ損だ、人生を台無しにしちまう、1度きりの人生だ、普通に暮らすのが一番幸せなんだよ」

「葛西さんは台無しでいいんですか?」

「俺は端から台無しだ、親父は女癖が悪くてな、女遊びばっかしする、お袋はお袋で俺らの事なんか眼中にない、パチンコに狂って、しまいにゃ帰ってこなくなった、姉貴は非行に走り……男を作ってどっかに行った、バラバラだ、だからこんな事になったんだ、組に入った事を後悔しちゃいねぇ、ただ、それしか生きる術がなかった」

「葛西さん……、そんな苦労をしたんですね」

裕之は同情するように言ったが、ガキに同情されるなんざ、笑えてくる。

「ははっ……、あのな、つい喋っちまったが、そんなこたぁいいんだよ、要はお前だ、お前は父ちゃんが事業に失敗しただけで、ありゃ仕方がねー」

「母さんは出て行きました、俺を置いて」

「でもよ、それまでは可愛がってくれたんだろ?」

「虐待とかそういうのはないです、ただ、母さんはどこかよそよそしい感じだった」

「気のせいだろ」

「俺もそう思ってました、だけど……あっさり俺を捨てた、俺は実の親子なのか疑った事もあったんで、だって、用がある時以外話をしないし、俺が話しかけても、理由をつけていなくなる、虐めるわけじゃなくても、変だなって思います、で、離婚後に父さんが言った『お前は俺に似てる、それに男だからな』って、母さんは女の子が欲しかったみたいで……だからなんです」

「はあ?  なんだよそりゃ、男だからって自分が産んだガキだろ、普通は可愛いよな」

「それは母さんじゃないと、俺にはわかりません、ただ、母さんは男の俺は要らなかった、多分そうなんです」

「マジかよ……、確かに虐待じゃねーし、世話は焼いてたんだろうが、我が子が可愛くねぇって……、裕之、地味にお前も苦労してるんじゃねーか」

裕之のようなケースは初めて聞いた。
ありがちな酒、女、ギャンブル、借金、暴力……そういうのは目に見えるだけにわかりやすいが、裕之みたいなやつはわかりにくい。
けど、だからって……それも虐待に入るんじゃねーのか?

まぁーとにかく、パンイチじゃあれだ、服を着る事にした。

「わー、やった、また見られた」

背中を向けたら、裕之が鯉を見てはしゃいでいる。
だったら、サービスだ。

「じゃあよ、じっくり見せてやる、ほら」

ズボンだけ穿いてシャツを手に持ち、裕之に背中を向けて座った。

「うわー、ありがとう、えへへ」

裕之はめちゃくちゃ喜んでいるが、こりゃ利用できる。

「あのな、買う買わねーは無しにして、カシラはお前に手ぇ出すかもしれねー、だからよ、あんまし近づくな、それが守れたら、また墨を見せてやる」

「ほんとに?」

「ああ」

「わかりました!  俺、気をつけます!」

裕之は嬉々として返事をする。
ま、絶対大丈夫って保証はねーが、できるだけ距離をとるようにすれば、なにもしねぇよりはマシだろう。





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