天敵Darling!?

芽生 青

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第4話 黄色のバラ

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 入籍も済んだ。
 後日、美月が新居に越してきた。
 一応結婚式前日恒例のアレもやった。
 普通ならば感動のシーンとなるのだろうけれど、何せ事情が事情だ。
「ごめんなあ、美月」
「ほら、一馬くん、凄くいい子だし」
「そうだよ、一馬くんはお前を大事にしてくれるよ」
 何度も何度も一馬のいいところばかり聞かされた。
 いい加減うんざりした。
 あれは明日嫁ぎますって雰囲気ではなかった。
 美香など途中で部屋に引っ込んでいた。
 今朝ここに来るときも万歳三唱で見送られた。全くどんな家族だと言うのだ。

 新居に越した日は美月の休日ではあるが平日だ。だから一人だ。とは言っても家具も何もかも揃っているし、大方のものは運び込んでいたこともあり細々としたものと美月自身がこの家に来るだけでよかったので一人でも十分に事足りる。
 この辺りでは高級マンションと呼ばれる物件だ。
(広いな……)
 3LDK。新築ではないけれど内装はまだ新しい。一馬に呼ばれたり私物の運び込みやらで何度か足を運んではいるがまだ慣れない。
(実家はボロい一軒家だもんなあ……こんなマンション初めてだし)
 ずっと実家住まいだからマンションなんてものにも縁がなかった。隣近所だって生まれてからずっと美月の成長過程を見てきたような人たちだから、閉鎖的なようで壁の向こうがすぐ隣というマンションの人間関係にだって不安はある。
 この物件も一馬が勝手に決めた。内装だって家具だって気が付けば決まっていた。一馬の行動の早さには少し驚いたくらいだ。
 それよりも驚いたのは内装や家具の趣味だ。恐ろしいくらい美月の趣味と合致していた。
 木目調の優しい色合い。一馬はモノトーン基調にしそうだと思っていたのに少し驚いた。
 自分好みに仕上げられていて気に入らないわけがない。
「アイツはもうここに住んでんだよなあ……」
 思わず声に出していた。
 洗面所を見ると歯ブラシが二本並んでいた。青い方はもう使った形跡があり、もう一本のピンクの方はまだ使われていない。
「……これ……私の……よね?」
 何だか変な気分だ。嬉しいわけではないのにドキドキする。こうして並んでいる歯ブラシを見てしまうと何だか妙な気分になる。というか、一馬が美月の分まで用意したということか。そう思うと何だか気恥ずかしいものを感じる。
 早々に洗面所から立ち去ると寝室のドアを開けた。
 そこには真新しいドレッサーにチェスト、それにダブルベッド。
 私物を持ち込むのに何度もこの部屋に入っているのに、今日に限って何だか見てはいけないものを見てしまった気がした。
 ずっと考えないようにしていたというか、避けて通ってきたことだったが、改めてこのベッドを見たときに生々しい想像をしてしまった。
「結婚したってことは……そういうこと……だよね?」
 今更何を言うか。といったところではあるが、自分たちはそういう関係ではない。というのは結婚していておかしな話ではあるが。
(どうしたらいい?)
 正直な話、家のための結婚でどちらかと言えば使命感のようなもので。
「とりあえず、今日のところは生理って言って逃げようか。そうだ、そうしよう」
 と、これから一週間は逃げれたとしても……あとのことはあとで考えればいい。とにかく今日だけでも逃げたかった。
 見なかった(考えなかった)ことにし、寝室のドアを閉める。そしてクローゼットを挟んだ隣の部屋のドアを開けた。
 そこは一馬の書斎だった。
 今までは何だか気後れをしていたというか、まだ夫婦でもないのに勝手に入るのは遠慮していたのだが、結婚したわけだし思い切ってドアを開けた。
 そこには机、本棚、チェストがある。机の上にはパソコンやら書類が散乱している。片付けてもいいのだが、勝手に触ると切れられそうだ(勝手に入ったことも含めて)。
 見れば色の基調は全てモノトーンだ。テレビもオーディオもあるが、この部屋だけ何だか雰囲気が違う。
「やっぱりモノトーンが好きなんじゃん」
 もしかして美月の趣味に合わせてくれたのだろうか。
「いやいや、まさか」
 そんな殊勝な人間ではないはずだ。
 ふとセミダブルのベッドに目がいった。
「あれ?ここにもベッド?」
 寝室にはダブルベッド。この書斎にはセミダブル。
「まあ、一人で寝たいって人いるって言うしねえ。私もだけど」
 というか、ずっと一人で寝たいけど。と胸中で付け足した。
 パタンと書斎のドアを閉め、時計を見るとそろそろ夕飯の準備にとりかかる時間だった。
「アイツ、帰ってきて夕食出来てなかったら怒るだろうなあ」
 越してきて早々にいじめられたくない。美月は早速夕食の準備を始めた。
 一馬自身、もっと会社に近い場所のマンションで一人暮らしをしていたようだが、結婚を機にこのマンションに移った。
 一馬の弟、賢二郎に聞いた話によると、そのマンションでも十分二人で暮らせるだけの広さはあったらしい。
 別にそこでもよかったのだが、そこを新居にしたくない理由でもあったのだろうか。
(もしかして同棲してた彼女の思い出があるからとか?)
 もしそうなら政略結婚の仮面夫婦であっても他の女は入れたくないだろう。
 などと考えて、まあどうでもいいことか、と頭を振ったが、どういうわけか胸が少し痛んだ。
(そう言えば、彼女とかいなかったのかな?)
 美月との結婚を承諾したくらいだ。もしいたらいくら政略結婚とは言え相手に何だか悪いことをしたような気分になる。
 一度ちゃんと聞いておいた方がいいのかも知れない。
 などと物思いに耽っていたら結構な時間が経っていた。
「ヤバッ!!」
 慌てて調理する。
「こりゃアイツが帰って来るまでに間に合わないかも」
 するとチャイムが聞こえた。
「あー、タイムオーバー」
 早速いじめられる。覚悟をして玄関に向かう。玄関を開けるとやはり一馬が立っていた。
「おかえり」
「ただいま」
 気のせいか息が荒い。その上少し顔が赤い。しかも汗だく。
 夏だから暑いけど……走ってきたのだろうか。
「どしたの?」
「別に……っておい。お前今鍵開けなかったろ?」
「ああ、そういやかけてなかったわ」
 美月は笑いながら頭を掻いた。そんな美月に一馬は目を瞠り、
「おまっ、いくらオートロックとは言え無用心すぎるぞっ!! 鍵くらいちゃんと閉めろっ!!」
 と、少し焦っているようにも見える。
「ゴメンゴメン、これから気を付けます」
(……って、下のオートロック解除したならわざわざチャイム鳴らすなよ)
 自分で開ければ早いのに。美月は胸中で毒づいた。
「ほら」
 一馬は手に提げていた大きな紙袋を美月に差し出した。
「なに?」
「会社の子が結婚祝いにってくれた」
 紙袋の中には黄色のバラの花束が入っていた。
「うわあ、キレイ」
 美月は早速実家から持ってきた花瓶を用意する。
「あ、ゴメン、夕食まだ出来てない」
 美月は花瓶に水を入れながら恐る恐る言った。
 切れられるかも、と横目で様子を窺うと、
「別にまだ腹減ってないからいいよ」
 一馬は何でもないようにスーツを脱ぎ、ネクタイを緩めている。
(あれ?切れられると思ったのに)
 いじめられると思って身構えていただけに少し呆気にとられた。
 紙袋から花束を取り出す。二十本近くある。かなり高かったのではないだろうか。
「花束って嬉しいよねえ」
 思わず声に出していた。
「へえ、お前でも花束貰ったら嬉しいんだ?」
「そりゃ女ですからね」
「そーいやそうだったな」
 ハハハと笑っている。
(どーせそうでしょうよ)
 何とも思っていない男(旦那ではあるが)でも、そう言われると少し傷つく。
 一馬はそんな美月の心の痛みなどお構いなしといった風に何故かご機嫌だった。
 
(つっ!?……なに……これ……?)
 左手に走る激痛。美月はとっさに左手を押さえる。
「……あの、一馬さん、すみませんけど……」
 美月は一馬に背中を向けたまま口を開いた。
「何だよ?一馬さんなんて照れるじゃねえか」
 ソファーでニタニタしながら美月の方に振り向くが、美月はまだ背中を向けたままだった。
「……あなたは一体どういう恋愛をなさってきたのですか?」
 妙に抑揚のない声で美月は言った。
「何だ?お前俺の恋愛が気になるってか……っておいっ、どうした!?」
 美月の手元にある黄色のバラが一部が赤く染まっている。
 一馬が慌てて美月の元に駆け寄ると、美月の左手が真っ赤に染まっていた。
「大丈夫かっ!?」
 美月の赤く染まった手を見ると掌がざっくりと切れていた。
「大丈夫……」
「何があったっ!?」
「多分、これ……」
 美月が怪我をしていない右手で花束を指差すと、そこには剃刀が仕込まれていた。
「ベタだなあ……ベタすぎて笑えちゃうよ」
 美月は真っ青になりながらもおどけて見せた。
「笑えねえよっ!!」
 一馬の怒鳴ったような声に美月の身体はビクンと震えた。
「わ、わりい……」
 それに気が付いた一馬は素直に謝罪した。美月が一馬の顔を見ると一馬の方が真っ青になっていた。
「痛いか?痛いだろ?病院に行こう」
「いや別に……病院にいくほどじゃ……」
「傷が残ったらどうすんだよっ!?」
「別に……気にしないけど……今更……」
 美月の膝には手術の跡があった。陸上でハイジャンプをしていたのだが高校生の頃、手術をするほどの大怪我を負ったのだ。
 中学の頃から続けていたハイジャンだった。だけど思いのほか怪我の治りが悪く、途中で断念をせざるを得なかった。悔しかったけれど仕方がないと諦めた。
 だから美月にしてみれば膝の傷に比べればこの程度の傷は何ともないのだが。どうしてそんなに真っ青になるほど気にするのだろう。
「……俺が……嫌なんだよ……」
 ああ、そうか。
 美月は急に合点がいった。
(仮にも自分の妻に傷があるのが嫌なんだ。許せないんだ)
 でも美月には膝であろうと大きな傷がある。
 そう思うと掌の傷よりも胸の奥が小さく痛んだ。



 美月は救急外来のベンチに腰掛けていた。
 手には包帯が巻かれている。
 思いのほか傷が深く出血が酷かったのだが、一馬の応急処置が良かったの早く止血出来た。しかし傷が残る可能性はあるらしい。それを言われたとき、一馬の顔が悔しそうに歪んだ。
 その一馬は今、会計で精算をしている。
 やはりこれは一馬の元カノの仕業ではないだろうか。
 美月はそんな風に考え、精算をしている一馬をボンヤリと眺めている。
 確かに見た目はかなりいい男だと思う。イケメンだし長身でスタイルもいい。今まで独身だったことが信じられないが、独身貴族を気取っていろんな女と遊んでいたのかも知れない。会社の女の子にも手を付けて、結婚するからと言って捨てたのかも知れない。それで恨みを買ったのではないだろうか。
 手を切ったとき、瞬時にそう思った。
 女の恨みのようなものを……感じた。
 
 一馬が精算を済ませ戻ってきた。
「……何か……食って帰るか?」
「……ううん。帰りたい」
 少し疲れた。美月は早く帰って休みたかった。
 平静を装ってはいたが、花束に仕込まれた剃刀、それによって切れた掌、痛み、いろんなことで実はいっぱいいっぱいだった。
 しかもそれは一馬の元カノ(元ではないかも知れないが)の仕業だとすれば尚更。
「そう……だよな。じゃあ、何か買って帰ろう」
「……うん」
 一馬は怪我をしていない方の手を取って歩き出した。
(手、繋いでるっ!?)
 一瞬振り解こうかと思ったが、一馬の手のぬくもりが妙に心地よくて、美月は成すがままでいた。

 行きはタクシーを使ったが帰りはそれほど遠くないこともあり徒歩で帰ることにした。
 実は一馬は車を持っている。なのにタクシーを使うとは?
 会計待ちまでの間にそれを問うと、
『……事故らねえ自信……なかったし……』
 などと、若干顔を赤らめて言った。
(どういうこと?)
 美月は何故だか触れてはいけないような気がして、それ以上何も聞かなかった。
 それにしても手を繋いで歩くのはやはり何だか気恥ずかしい。離してくれるように頼んだが一馬は決して手を離さなかった。
 無言で歩く。
 時折繋いだ手に力が入るのを感じた。そして半歩前を歩く一馬の顔は酷い後悔と悔しさが滲んでいるように見える。
(別にそこまで気にすることないのになあ……仮の妻みたいなもんなんだし)
 美月はそんなことを考えてしまい、少し自分の胸に痛みがあることに驚いた。
(ショック?何で?有り得ない有り得ない!!)
 そんな考えを払拭するように頭を振ると、一馬が心配そうに見てきた。
「大丈夫か?痛むか?」
「大丈夫大丈夫。そんなに深い傷じゃないからさ」
「そうか……」
 どこかホッとしたような優しげな顔の一馬に美月の胸が跳ねた。
(何ドキドキしてんだ、私っ!?)
 顔が熱い。
 気のせいだ気のせい。
 美月は赤くなっているかも知れない顔を隠すように少し俯いて歩いた。

 途中でお弁当を買ったが美月はほとんど手を付けなかった。
 食欲がない。
 やはりショックだったらしい。
「……もう休め」
 ボーっとしていたところに一馬の声が振ってきた。
「うん。そうする」
 美月は素直に頷いた。
「シャワー浴びるなら濡れないようにしろよ」
「うん」
 今日は優しいなあ。そりゃそうか。
 などと思い、バスルームに向かった。
 服を脱ぎ、鏡に映った自分を見つめる。
「結構顔色悪いなあ……」
 これは早く寝るに限る。と早々にシャワーを浴びる。
 そこでふと気が付いた。
(初夜ってヤツ?どーすりゃいいの?)
 一馬が帰ってくる前にも考えていたことだ。あのときはまだ現実味があるようでなかったような気がする。でも今はもうそこまで迫っている案件だ。
 しかしあのようなことが起こったのだ。
(さすがに今日はないな)
 と勝手に結論付けた。
 シャワーを浴び、リビングに向かうと一馬の姿はなかった。
「あれ?いないや……書斎か?」
 黙って寝室に戻るのは気が引ける。
 一応声をかけようと書斎のドアをノックした。
「はい」
 美月はドアを開けると一馬は机のパソコンに向かっていた。
「ごめんね。先に休むね」
「ああ、おやすみ」
 一馬は少しだけ振り返って言った。
「おやすみ……」
 美月はそっとドアを閉め、隣の寝室へと向かった。
 
 スキンケアを終え、ベッドにもぐり込んだ。あまりに広いベッドで逆に落ち着かない。
(てか、どっちに寝たらいいんだろう?)
 ゴロゴロと転がり位置を変えてみる。やはりどうにも落ち着かない。
 確かに枕が変わると眠れない性質だ。いろいろ試すがまだ慣れない。
 何度も位置を変え、ふと枕元の時計を見た。ベッドに入って一時間近く経っている。
 すると書斎から一馬が出てくる気配がした。バスルームに向かったらしい。
(そういや何してたんだろ?仕事かな?)
 持ち帰ってまで仕事をしているのか。
 そう言えば今日は帰って来るのが早かったような気がするが。
(残業とかって……してたはず……よね?)
 結婚前、一馬に用事があって21時過ぎに電話したことがあった。そのときはまだ会社だと言っていた。
 一馬から電話があるときでも会社からかけていると言っていたような気がする。
 今日は19時前には帰ってきた。何故か息を切らせて。
 そんなことを考えていると更に眠れなくなった。
 するとバスルームから一馬が出てきたようだ。そしてこの部屋のドアを開ける気配がした。
(ヤバイッ、寝たフリ!!)
 美月は慌てて布団を被った。
 布団の中で心臓の音がうるさい。
 寝室のドアは開けられたが一馬が入ってくる気配はない。
(あれ?)
 それくらい時間が経っただろう。長いようで短いし、短いようで長く感じた。
 ふと、一馬が動く気配がした。
(来たっ!!)
 とにかく寝たフリだと布団の中で目を瞑る。
 しかし一馬はベッドには入らず、布団からはみ出た包帯が巻かれた美月の左手に触れてきた。
(え?)
 傷のあるところには触れないようにだろう。指にだけ触れてきた。
 その触れ方が酷く優しくて。
 そして美月の髪を撫でると、そのまま寝室を出て行った。
 書斎のドアが閉まるのを感じ、美月は身体を起こした。そして胸のあたりのパジャマをギュッと掴んだ。
 酷く胸が跳ねている。そして酷く切ない。
 美月はこの感情が何かわからず、ただ呆然としていた。
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