天敵Darling!?

芽生 青

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第8話 関係ない

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 美月が倒れた日、カウンターに現れたイケメン。
 それが美月の結婚相手であると知った図書館の人々の驚きたるや凄まじいのもだった。
 熱も下がり、週明け出勤すると、
「旦那さんイケメンすぎでしょっ!!」
「どこであんなイケメンに出会えるの!?」
「羨ましすぎるーっ!!」
 といった声がそこらじゅうから飛んできた。
『かっこいいかも知れないけど、性格はそれほど良くないぞ』とは言えず、ただ曖昧に笑って誤魔化した。
 休憩時間、同僚に根掘り葉掘り聞かれることを危惧した美月は中庭に逃げ出した。
 そろそろ風が冷たくなってきた。
 春、桜の季節に一馬と再会して夏には結婚した。そしてもうすぐ秋。
(てか再会して一年も経ってないのに結婚て……早すぎだなあ……)
 今更のように思う。
「笹森。どうした?まだ調子悪い?」
 ぼんやりしていると頭上から声がした。
「清水さん」
「やっぱまだ休んだ方がよかったんじゃないの?」
 ベンチの隣に座った清水は美月の顔を覗き込んだ。
「いえ、大丈夫です。その節はありがとうございます」
 美月は頭を下げた。
「いいのいいの。それにしても旦那さん、えらくイケメンじゃない?」
「そうですか?」
 いやらしい顔でそう言う清水の言葉に美月はうんざりとした顔をしている。
「その上ラブラブでさあ。うちのもあれだけ優しかったらなあ」
「え?ラブラブってありえないですよっ!!」
「なんで?新婚でしょ?」
 清水はキョトンとして首を傾げている。
「……実は……」
 美月は清水に全てを話した。清水は信頼に値する人間だ。
 きっと職場の誰にも言わないだろう。
「えーっ!? 政略結婚だったのっ!? しかも中学時代にいじめられてたって!?」
「……はい。お恥ずかしいことに……」
 美月は少し顔を赤らめて肩を竦めた。
 そんな美月の態度に清水は違和感を覚えた。
「……いや……待って。旦那さん、アンタのこと大好きでしょ?」
「どこがっ!?」
 美月の驚愕振りに清水は目を丸くした。
「傍から見てるとすっごくアンタのこと大事にしてるように見えるけど?」
「いやいやいやいや。それはないでしょ?」
 美月が倒れたときのあの様子。本当に心配していたように見えた。気のせいだというのか?
「……つかさ、何もしてこないのはアンタの気持ちが固まるの待ってんじゃない?」
「はい?」
 清水の言葉に美月は呆気に取られた。
「無理に結婚したようなもんだし、ここで無理矢理……なんて、一生アンタ許さないでしょ?」
「まあ……そう……ですね……」
 確かに。無理矢理なんて、きっと一生許さない。
「中学の頃にいじめだってさ、あれじゃない?好きな子ほどいじめるってアレ」
「まっさかー」
 有り得ない有り得ない。あのいじめは度を越してるでしょ?
 美月は当時を思い出し、それは絶対にないと確信している。
「かも知れないよ。一度聞いてみたら?」
 どこか清水は楽しそうだった。しかし美月の顔は翳った。
「それは……無理です……それに剃刀の件だって……」
「あー……それは面倒だわ……」
 その話を聞いたとき、ゾッとした。目の当たりにしたわけではないけれど、美月の女の勘は間違っていないと清水も思った。
「それくらいの凶行に走ってしまうような人でしょ?どういう付き合いかはわからないですけど、きっとそんなに浅い仲じゃないかと……」
 美月の懸念はわかる。自分の立場だったら……そう考えると恐ろしくなる。
「その可能性はあるよね。でももう切れてたら関係なくない?」
 しかし、あの旦那の様子だと過去に何かあったとしても彼の方には気持ちは一切ないと思う。おそらくではあるが女の勘で。と清水は胸中で呟く。
「……切れてるのかなあ……」
「えらく疑心暗鬼だね」
 清水は苦笑した。彼女は頑なだ。
「……もしすごく愛し合ってたとしたら、私って邪魔者じゃないですか?知らなかったとはいえ凄い酷いことしちゃったわけだし……罪悪感もあるけど、怖いって気持ちも大きいです」
 もし、あれ以上の強行に走ってしまったら?考えるだけども背筋が凍る。
「……まあ……そうだよねえ……」
「……とにかく、私はまだ一馬が信用できないです」
(こりゃ、頑なだねえ……)
 正面を見据える美月の横顔に、清水は自業自得とは言え本気で一馬に同情した。




「笹森……じゃなくて高遠っ!!」
 仕事の帰りに寄ったスーパーを出たところで突然声をかけられた。
 声のする方を向くと、そこには軽トラが止まっており、運転席から田坂が手を振っていた。
「げっ」
 思わず声に出していた。
「そんなに嫌そうな顔すんなよ」
 田坂は苦笑し、軽トラから降りてきた。
「まあ、中学の頃のこと考えたら当然だな」
「……自覚あるんだ?」
「悪かったって思ってるよ。あの頃は俺も一馬も子供だったから」
 そう言って苦々しげに笑い頭を掻いた。
「送ってくよ。乗ってきな」
「いいよ別に。悪いもん」
「いいからいいから。俺、お前には感謝してんだから」
「はい?」
「アイツ、一時期女遊び激しくてさ……っていけね」
 田坂は余計なことを言ったとばかりに顔をしかめた。
「あ、大丈夫、わかってるから」
(あまりわかっていないけど……)
 かまをかけるつもりはないが、田坂に口から何か聞けるかも知れない。
 すると田坂は安心したような顔になった。じゃあ言ってもいいだろうと言わんばかりに。美月の思う壺だった。
「いや、もうとっかえひっかえだったからさ。親友としては心配だったわけよ。アイツそのうち刺されちまうんじゃないかって」
(刺されはしませんでしたが、剃刀は仕掛けられましたけどね。私がっ!!)
 胸中で言う。
(でもとっかえひっかえって……。そりゃ剃刀も仕掛けられるな……自業自得だ)
 田坂は助手席のドアを開けて、「どうぞ」と促した。
 そこまでされては……と大人しく田坂に従って助手席に乗り込んだ。
 田坂はシートベルトを着けるとエンジンをかけ車を発進させた。暫く行ったところで先程の続きを話し出した。
「でもさ、結婚するってなってからそれもパッタリ。嘘みたいに落ち着いてさ。その相手がお前だって知って本当にびっくりしたけど」
 田坂のあの驚き方はまだ覚えている。驚愕と言ってよかった。
 一馬と田坂は中学の頃からの親友。だとしたら知っているはずだ。
「……結婚した経緯、聞いた?」
「え?あ、ああ……」
 田坂は言いよどんでいるようだった。やはり気を使うのだろう。
「……まあ、そういうわけだからね」
 愛のない結婚。そのことを田坂はもう知っている。
「でもさっ、お前たち似合ってると思うぞ」
 田坂は何故か焦ったように言った。
「いや、フォロー望んでないし」
 真顔で言う。そんな美月に田坂は苦笑した。
「……お前……相変わらずだなあ……」
「そう?」
 キョトンと首を傾げる。
「でもそういうところがいいのかなぁ……実はMなのかな?」
「何が?」
「い、いや、何でもないっ!!」
「変なの」
 何故か焦っている田坂に美月はまたも首を傾げた。
 
 近かったこともあり、車はすぐに美月のマンションに着いた。
 マンション前に停車し、美月は車を降りたところでお礼を言った。
「ありがとう」
「いえいえ……あ、そうだ」
「ん?」
「アイツが女遊びが酷かったって、俺が言ってたって黙ってて」
 田坂は困ったように笑った。さすがに政略結婚とは言え(それ以前に昔いじめていた相手であるが)、親友の妻に親友の女遊びを暴露したことは気が引ける。
「うん。いいけど……」
 美月は頷いた。
「……それと」
 困った顔をしていた田坂だったが、急に真面目な顔になった。
「……もうさ、昔のことは水に流してやってくれないか?」
「え?」
「アイツも反省してるからさ。子供だったって。だからさ、好きになってやれとは言わないけど、許してやって欲しいんだ」
「……」
「俺のことは許さなくてもいいよ。だけどアイツのことは許してやってくれ」
 そう言って頭を下げた。
「……考えとく」
 すると田坂は目を瞠り、嬉しそうに笑った。
『考えとく』って言っただけなのに、どうして嬉しそうなのだろうか。
 それに許すも許さないも、もうほとんど水に流している。ただちょっとわだかまっているだけで。
 だけどあっさり『許す』と言うのは何だか少し悔しい気がした。
 

「ただいま」
「おかえり」
 玄関を開けると一馬がリビングから出てきた。
 今日は祝日だ。美月は出勤日だったが一馬は休日だった。
 一馬は自分が家にいるときはこうして出迎えに来てくれる。しかも買い物袋も持ってくれる。
「電話しろって言っただろ?」
 荷物を受け取りながら一馬は眉根を寄せた。
「荷物あるんだからさ、俺を呼べよ」
「大丈夫だよ。それに今日は田坂に送って貰ったし」
「田坂に?」
 美月の口から出る名前にしては意外だったのだろう。一馬は目を瞠った。
「うん。スーパーのところで会って」
「……ふーん……」
 一馬は何か考え込んでいる。
「つかさ、アイツ何か言ってた?」
「何かって何?」
「え、いや、その……」
 少し焦っている。ちょっと面白い。
「何か田坂に言われたら困ることでもあるの?」
「べ、別に……」
(女遊びが激しかったことかな?)
 田坂には黙っててくれって言われたので、とりあえず言わずにおく。
 もう暴露されていることなんて知らない一馬の目は少し泳いでいる。
(別に……それを私が知ってるからって困ることはないと思うけど……)
 どうせ愛のない結婚なのだから。一馬がどこで何をしていようが関係ない。
(関係ない……好きにすればいいよ……)
 だけど何だか胸が痛い。
「……美月?」
 急に黙った美月を怪訝に思った一馬が顔を覗き込んでくる。
「な、なに?」
 至近距離に一馬の顔があり、美月の声は思わず上擦った。
「顔、赤いけど、まだ具合悪いんじゃないか?」
「全然っ、元気元気っ!! あ、今からご飯作るから待ってて」
 美月はそう言って着替えるために寝室へ飛び込んだ。
 部屋のドアを閉めるなり顔を覆う。
「……近いって……」
 顔が熱い。鏡を見ると確かに赤くなっている。
「一馬如きに何赤くなってんだ、私」
 顔の熱が引くまで、暫く部屋から出れそうにない、と思った。
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