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決戦1

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 日本小説グランプリ当日、栄太郎は控え室の机で小説を読んでいた。その表紙には“黑山羊文學”と書いてある。
 裏表紙には2023年発刊と記載されていた。
「また随分レアな小説を読んでるな…」
 会場の売店から、カフェオレを二つ抱えた木下が控え室に戻って来た。
「僕…この短編集、好きなんです」
「…クロさん、湯呑さん、四季人さん…ぺトリコールさん…今は絶版になってますが、人間が書いた小説なんですよ」
 それを聞いた木下は、もう今では存在しないハードカバーの表紙を珍しそうに見ていた。

「へぇ…特にこのみゃあって子が書いた小説なんかは、お前にはまだまだ刺激が強すぎるんじゃないか?」
「はははは…」
「あ、このP.N恋スル兎って人の小説も面白いですよ…」
「この、あうさんも綺麗な構文で、素敵ですね」
「病葉って作者の伏線も中々だな」
「欅って女の子の小説も可愛いでしょ?」
 
 二人は小説を読みながら、感想を言い合い、それぞれを賞賛し、笑いあった。
「やっぱりこれだよ。小説ってのは完璧じゃないから面白いんだ」
「ど…どういう事ですか?」
「人間が書く物にはみんなそれぞれ感想や評価が出る、それは筆者には性格や感性があるからだ」
「AIが書いた小説はみんなが揃って面白いって言うだろ?計算しつくされているから故、完璧すぎるのさ」
「なるほど…完璧じゃないから面白い…」
「頑張れよ!栄太郎君、君はこの会場ではもはや異質だが、必ず特異点になる」

「ガチャ…」
「菊池さん、準備が整いましたので…そろそろステージに」
「よし!行くか、栄太郎君」
「はい!」

※※※※※※※※

 薄暗い階段を登ると、バックヤードに到着した。ステージのカーテンの向こうからはザワザワと観客の話し声が聞こえ、その雰囲気と熱気だけでも数万人の観客がいる事が想像できた。
 
 出場時間になり、栄太郎はパンパンと頬を叩くと、袖をめくって懐から父親が愛用していたガラスペンを出した。
 
「さぁ今宵!日本一の小説が決まります!」
 軽快な音楽と共に、司会者のアナウンスが始まった。
「今日は何と!人間の小説家も特別参加します。あのベストセラー作家、菊池先生の息子、菊池 栄太郎君!ステージにどうぞ」
 栄太郎は小上がりの階段を上り、眩い光に照らされたステージに登壇した。

 目の前には特別審査員として、各出版社の社長が肩を並べ、その向こう側には数え切れない程の観客が栄太郎を見ていた。
「さぁ!いよいよ小説バトルトーナメントの始まりですが、栄太郎君の意気込みは?」
「意気込み?えと…がんばります!」

 会場は一瞬静まり返ったが、その後すぐにドッと笑い声の波が起こった。
「おいおい、あんなのがAI文豪に勝てるのか?」
「帰りな!ここは場違いだぞー!」
 飛び交う罵声の中、栄太郎は何も言わず、ただガラスペンをギュっと握っていた。

「ええ…っと、ルール説明です!」
「それぞれランダムに出るお題でオリジナル短編小説を書いて頂きます」
「制限時間は60分、文字制限は3000文字以内です」
 司会者が液晶モニターを指さすと、トーナメント表が現れた。栄太郎の初回の相手は最強電脳文豪と言われている芥川龍之介モデルのAI文豪だった。
「おいおい…運営は初戦からエラいものぶつけて来やがったな」
 ステージ袖で様子を見ていた木下は、渋い顔をした。

「それでは!早速始めましょう」
「第一ステージのお題は、恋人!」

 お題を確認した栄太郎はフゥっと大きく息を吐き、机に座って眼鏡を外した。目の前に広がる真っ白な原稿を見ると、栄太郎は髪をクシャクシャとかき、鬼気迫る表情でガラスペンを走らせる。

 先程とは違う栄太郎のその異様とも見える光景に、会場の罵声もピタリと止み、初めて見る人間の生の執筆に観客は息を飲んだ。
「あれがさっきの子?なんか雰囲気違うぞ…」
「何故だろう…なんか美しい」

「はは、あれが栄太郎君だ。驚いたか」
 栄太郎の隣にはデモンストレーション用のAI自動書記機があり、アームの先にはペンが取り付けられていて、機械音を鳴らしながら素早く原稿に文字が載せられて行く。

 制限時間が残り20分の所で、栄太郎はペンを置いた。
「おおーっと栄太郎君も原稿を完成させました!」
 芥川AI文豪は既に短編を書き終えており、その性能の差を見せつけていた。
「では、今からこの小説を人気声優さんによる朗読によって皆様に披露します」
「会場の皆様は良かった方を挙手にて判定してください」
 司会者がそう言って目配せを行うと、椅子に座った女性声優が、AI文豪の原稿を読み上げる。

 流石プロの声優と言った所か、場面に合わせて感情を込め、その後も安定した朗読によって、会場は咳払い一つ起きない…まるで物語に吸い込まれてしまったかの様に、静かになった。

 続いて栄太郎の番になった。机に頬杖をつきながら司会者に原稿を渡すと、面倒くさそうに頭をクシャクシャ触った。

 異常事態が起きたのはその原稿を読み始めて三十秒後、女性声優の読み上げはピタリと止まった。
 不思議に思い、司会者が覗き込むと信じられない事に女性声優は大粒の涙を流していた。
「ごめんなさい…すみません…物語が悲しすぎて、先が読めなくて…」
 確かに栄太郎の小説は素晴らしかった。人間味のあるリアルな言葉回しや、温かさを持つ文脈は、栄太郎にしか書けない内容だった。
 女性声優は少しの間、泣き止む事ができず、その様子を見た会場の観客からは次々とシクシク泣く声が聞こえ、その声は幾重にも重なり、まるで会場内に悲しみの雨が降っている様だった。
 
 …実は栄太郎はこの声優の過去の恋愛遍歴を把握しており、その思い出に重ねる様に物語を創り、女性が泣くこの“挿絵”までも小説の演出の一環として計算していたのだ。
 
「さぁ!判定の挙手をお願いします!」
「芥川AI文豪だと思う方」 
 司会者の呼びかけに対し、三分の一程の観客が挙手を行った。
「と…言う事は…栄太郎君の勝利です!」
 数万人の割れんばかりの拍手が起き。会場が揺れた。栄太郎は眼鏡を掛け、その様子を輝く瞳で眺めた。
「ほら…やっぱり人が人の心を動かすんだ…」
 
 その時、栄太郎のガラスペンを持つ指が激しく震えていた…

 この対決は観客の心を掴んだ栄太郎の勝利により、丸川出版社製の芥川モデルAI文豪は敗退した。

 バックヤードに戻った栄太郎を木下は突然抱擁し、涙を流した。
「やったな!栄太郎君!凄いよ君は」
「初戦から最強AIを倒しちゃうんだから」
「いやぁ…はは…ありがとうございます」
「見たか?あの丸川出版社の社長の悔しそうな顔」
 その後、二人は控え室に戻りながら先程の対戦について話していた。
「AI文豪に人間が勝てる日がくるなんてなぁ!栄太郎君」
「観客も君の凄さを認めて…」

「……栄太郎君?」

 木下が振り返り栄太郎を見ると、栄太郎は酷く震えながら床に倒れていた。
「おい!栄太郎君!大丈夫か!?」
「スタッフ!おい誰か!救急車呼んでくれ!」


ラスト・オブ・文豪(決戦!前半)終
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