5 / 24
奇鐘展決編
第五話 秘匿、それは羞恥
しおりを挟む10.
―――本日八時半頃、総武線内にて大規模な火災が発生し、両國~新宿間での運転を見合わせています。尚、復旧の目処は立っておらず………。
驛のコンコースに、無機質で残酷なアナウンスが繰り返し響いていた。
改札前には行き場を失った乗客たちが溢れかえり、驛員に詰め寄る怒号や、携帯端末で連絡を取ろうとする人々の焦燥が、熱気となって渦巻いている。
ホームを眼前にして、スマホに映る「運転見合わせ」の赤い文字を一瞥した髙島は、人混みの外れで足を止め、少し顔をしかめてつぶやく。
「………弱ったな。営団で行くしかないかなぁ」
だが、ここから最寄りの営団地下鉄の駅までは、優に一キロ以上はある。
普段なら散歩程度の距離だが、この殺人的な猛暑の中では話が別だ。
ふと見上げれば、帝都の空は抜けるように青く、それゆえに太陽は容赦がない。同時に、この帝都の鐵道網の異常な整備具合にも改めて気づかされる。
―――地上がダメなら地下がある。
多少の時間ロスと、この炎天下を歩く労力さえ惜しまなければ、蜘蛛の巣のように張り巡らされた数多の路線が、目的地へ辿り着くことをほぼ確実に保証してくれるのだ。
その重層的なインフラへの安心感と、迷路のような複雑さには、毎回驚かされる。
「おーい、地下鉄驛まで歩くことになるけど、いいか?」
髙島は振り返り、人波を避けるように券売機の陰に立っていたエレナに声をかけた。
「ここからだと、十五分……いや、信号待ちも含めれば二十分は歩くかもしれない」
すると彼女は、左手に食べかけの黒糖饅頭を大事そうに抱えたまま、花が咲くようににっこりと微笑んだ。
「はい♪ 大丈夫です、お散歩みたいで楽しいですし。………彼等も迂闊に手は出せませんでしょう」
口の端に少しだけ黒糖の欠片をつけて笑うその表情には、電車の遅延も、肌を焦がすような日差しもどこ吹く風といった余裕がある。
髙島たちはきびすを返し、遥か先の地下鉄入り口を目指して、驛前の大通りへと足を踏み出した。
暑さを再び意識した瞬間、熱の壁が体にぶつかってきた。
夏の光がビルのガラスに反射し、強烈な白さとなって降り注ぐ。アスファルトの熱気が靴底を通して足元に伝わり、遠くの景色は陽炎でゆらゆらと歪んでいた。頭上では蝉の声が飽和し、途切れることなく降り注いでいる。肌にまとわりつくような湿気が、一歩進むごとに体力を奪っていくようだ。
信号待ちの間、髙島は首筋の汗を拭いながら、隣のエレナを見た。彼女は涼しい顔で、まだ饅頭をちびちびとかじっている。
(……元気だな、ほんと)
そんなことを考えていると、二人の少し前を軽やかに歩いていたマリヤが、不意に足を止めてくるりと振り返った。
白いキトン? の裾と白髪を揺らし、小首をかしげて尋ねる。その問いかけは、蝉時雨を切り裂くように唐突で、あまりにも無邪気だった。
「ねえねえ、お姉さんは純血? それとも混血?」
時が、止まったようだった。
エレナの動きが凍りつく。饅頭を口に運ぼうとしていた手が空中で停止し、みるみるうちに頬は熟したトマトのように赤く染まった。彼女は持っていた黒糖饅頭で必死に口元を隠すが、泳ぐ視線と落ち着きのない手つきは、何も隠せていなかった。
「そ、そんなこと……き、聞かないでくだしゃい…!」
裏返った声が漏れる。何か致命的な秘密を指摘された動揺が、痛いほど伝わってくる。
「……二人は何の話をしているんだ? 脈絡がなさすぎるだろう」
髙島が呆れを含んだ声で割って入る。
しかしマリヤは悪びれる様子もなく、ただ不思議そうに瞬きをして、あどけない声で答えた。
「え? だから、お姉さんは混血か純血か、どっちの吸血鬼なの?って話」
――吸血鬼。その非現実的な単語が耳に届いた瞬間、髙島の中で何かが弾けた。
いつもなら、冗談だと笑い飛ばすべき言葉だ。
しかし、脳内では先程の戦闘の映像が鮮烈に蘇り、否定の言葉を封じ込めた。
男の攻撃を紙一重で躱す、人間離れした鋭敏な反応速度。重力を無視して壁を蹴り、天井近くまで舞い上がった跳躍。魔術を使った不可解な攻撃、そして、常人なら竦むような場面で見せた人外じみた咄嗟の判断力。
――すべてが、目の前の少女が「普通の人間」ではないことを示していた。
「ああ、なるほど――」
髙島は、すとんと腑に落ちた。パズルのピースが音を立てて嵌っていくような感覚だった。
記憶の蓋が開く。
小学校の掃除の時間、ふざけてぶつかったわけでもないのに、華奢な彼女が手に持った花瓶を「あっ」と言って素手で粉々に握りつぶしてしまったこと。
高校の体力測定。握力計を握った彼女が、何かを恐れるように震えながら測定し、結果が片手七〇キロだったこともあれば、次は加減をしすぎて一五キロになっていたこと。
あの時の、困ったような、泣き出しそうな笑顔。機会は多かった。
その度に「器具の故障かな」「火事場の馬鹿力ってやつか」と無理やり自分を納得させてきたが。
―――そういうことだったのだろう。
だからこそ、いまマリヤが口にした「エレナが吸血鬼である」という事実は、彼女の存在に違和感を抱かせるどころか、長年の疑問に対する唯一の解となり、すべてを腑に落ち着かせる要素になっていた。
(……そういうことか。なら、全部辻褄が合うな)
髙島は心の中で静かにつぶやき、エレナに合わせて歩調を緩める。
マリヤはいたって無邪気だ。髙島の反応を見ても肩をすくめて笑うだけで、そこに悪意はまったくない。
ただ、道端で珍しい蝶を見つけた子供のような、純粋で残酷な好奇心があるだけだ。
「うぅ……」
エレナはまだ赤い顔をして、饅頭越しに上目遣いでこちらの様子を窺っている。
その必死さが、吸血鬼という畏怖すべき存在であるはずの彼女を、むしろ守ってあげたいほど愛らしく見せていた。
二人の間に、沈黙が落ちる。周囲の蝉の声や車の走行音だけが大きく聞こえる。
だがその沈黙は重苦しいものではなく、互いの秘密を共有し、境界線をまた一つ越えたあとの、微妙だが温かい距離感を感じさせる静けさだった。
「……髙島さん?」
「ん?」
「その……なんでも、ないです」
驛までの道のりはまだ半分以上残っている。うだるような暑さの中、巨大なビルの影が歩道に落ちていた。
髙島は無理に追求しなかった。
今はまだ、この曖昧な共有だけで十分だと思ったからだ。
「……ほら、あそこの交差点を曲がれば、驛の入り口が見えてくるはずだ。あと十分くらいかな」
そう言って、足元の濃い影や、熱風に揺れる街路樹に目を向けながら、ゆっくりと流れる時間を受け止めていた。
エレナはほっとしたように息を吐き、また一口、黒糖饅頭をかじる。
じりじりと焼けるような帝都の巳の刻。三人の影は長く伸び、溶け出しそうなアスファルトの上で、一つに重なるように並んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる