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奇鐘展決編
第七話 安寧享受不可
しおりを挟む12.
マリヤが抹茶ソフトを舐めている。
「―――そういえば、マリヤは吸血鬼なんだよな?」
「うん! ………おにーさんの血、飲んじゃうよぉ~」
「その冗談は割と洒落にならんぞ!」
マリヤは小首をかしげ、ちょっと恥ずかしそうに小さな声でつぶやく。
「でも……おにーさんの血、美味しくなさそうなのぉ……なんでかわかんないけど……」
――え、いや……いや!?
――いやなのか!?
――いやなのか!?
胸に小さな痛み……いや、衝撃? いや、心がズキッとした!
理由はわからない。いや、ほんとになんでか全然わからない!
ただ、歩きながら心の中で「オレの血、何かしたか!?」と叫んでいた。
マリヤは無邪気に笑い、ソフトクリームを舐めている。
その無邪気さが、髙島の「ちょっと傷ついたぞ!」感を、倍増させるのだった。
「吸血鬼は、血液由来のモノであれば基本的に代替が効くんです。例えば……」
そう言って、エレナがバッグから取り出したのは―――あの時、買ってきてくれた牛乳だった。
髙島の視線が一瞬止まる。
「……まさか、さっき買ってたのか?」
「はい♪ 偶然じゃなく、ちゃんと覚えてたんです」
「マリヤちゃん。これ、血の代わりにどうぞ♪」
エレナはにっこり笑いながら、紙パックを両手で持ってマリヤの方に差し出した。その白さが、太陽の下で少しだけ光を反射している。
マリヤは歩きながら、嬉しそうに目を輝かせる。マリヤは片手にソフトクリームを持ったまま、もう一方の手で紙パックを受け取ろうとする。しかし、ソフトクリームの冷たさと紙パックの固さが微妙にぶつかり、バランスを崩しそうになる。
「わっ……!」
「あっ、気をつけろ!」
髙島が慌てて手を出すも、マリヤはなんとか両手でしっかり受け止める。
「わぁ、ありがとう……でも、なんでこれでいいのかよくわかんないのぉ~?」
紙パックをそっと両手で抱え、ちょっと首をかしげながら、ちらちらとエレナを見上げる。
エレナは微笑み、少し前に出てマリヤの手元を軽く支えるようにする。
「大丈夫ですよ。日本の牛さんの御乳は『白い血液』という別名があります。だから、ちゃんと栄養になってくれるのです♪」
エレナはにっこり微笑む。
「これがあれば、血がなくても生きていけますから♪」
マリヤはちょっと安心した顔で、そっと紙パックの口を開けて一口だけ舐めた。
「魯西亞のよりあまい……なんだか、すっごく変な感じ……でも、これなら平気かも!」
嬉しそうに顔をほころばせ、歩く足取りも少し軽くなる。
三人は歩き続ける。白い紙パックが太陽の下で光を反射し、マリヤのソフトクリームも小さく揺れる。
小さな日常と非日常が、真夏の街角にひっそりと混ざり合った瞬間だった。
―――しかし、その和やかさも、驛前の光景を見た瞬間に途切れることとなる。
13.
信号が変わり、三人は大通りを渡りきった。アスファルトの熱が容赦なく靴底に伝わる。
「……ほら、あれが驛だよ」
髙島が歩道の影に目をやりつつつぶやく。
「はい。ここからは地下へ潜りますので……少しは涼しくなるはずです」
「地下だぁ!涼しいのぉ!」
マリヤがスキップしながら前を歩く。
髙島は少し遅れて歩き、エレナに声をかける。
「―――なぁ」
「なんでしょう?」
「……頭の整理が若干できた。だから、吸血鬼のこと、もう少し聞きたいんだが――」
エレナの足がわずかに止まる。
「……聞きたいのであれば、學校に戻ってから、誰もいない場所で。すべてでは無いですが、お答えできる範囲でお話しします」
髙島はその言葉を聞いて、はたと気づいた。
――今日、学校があったじゃないか!
歩きながら、胸の奥が小さくヒリつく。すっかり忘れていた。
「エレナ。………お前、欠席連絡入れたか?」
「はい。――髙島さんも含めて」
「助かる~! 持つべき者はエレナだな!」
「えへへっ♪ 照れるのですよ~」
だが、安堵は長く続かなかった。
先頭を歩くマリヤが、不意にスキップを止める。麦わら帽子の鍔を握り、首を曲げて交差点角の小さな花屋を凝視した。
「……ねえ、おにーさん。あのお花屋の前にいる、黒い服の男の人……」
髙島とエレナが指さす方角を見ると、黒スーツを完璧に着こなした男が立っていた。地下鉄の入口だけをじっと見つめ、周囲の喧騒とは隔絶している。ポケットからは銀色の何かがわずかに覗いていた。
「――こんなところにも」
何かに感づいたエレナは、咄嗟に、右手を髙島の左腕に食い込ませる。
地下鐵に入れば追跡は難しい。男はそこを狙って待ち構えているのだろう。
「―――行きましょう。普通の通行人として」
髙島は驛を直視し、エレナの手の力を感じながら頷く。
エレナの瞳には、冷たくも決然とした戦士のような決意が宿っていた。
14.
エレナは髙島の腕を掴む力を緩めなかった。
その指先から伝わるのは、冷たい汗と、確かな決意の硬さだった。
「いいですか。御二人共、絶対に私の背中から離さないでください」
「「わかった」」
三人は歩き出した。花屋の前に立つ黒スーツの男まで、あと三十メートル。
エレナはマリヤの手を強く握った。マリヤも、状況の異変を察したのか、普段の無邪気さを潜め、口を真一文字に結んでいる。
あと五メートル。彼らの横を通り過ぎようとした、その瞬間―――
「やあ」
黒スーツの男が、突如として低い声を発した。
その一瞬の隙。エレナが弾かれたようにマリヤを連れて、花屋の店先と男の僅かな隙間を縫うように突進した。
男のポケットから拳銃のようなモノが引き抜かれた。
「主は、汝ら偽りの娘を許さない」
そこから発射された、レモン汁の細い飛沫が、エレナ目掛けて一直線に飛来する。
エレナはそれを視認した瞬間、「しまった!」と全身を硬直させた。彼女が吸血鬼であるからこそ、檸檬の浄化作用という弱点を突かれた。
それによる明確な怯みだった。
そして、その飛沫は、エレナの頬と肩に、わずかに被弾した。
「ヒッ……!」
エレナの口から、小さな、しかし痛みに満ちた悲鳴が漏れた。被弾した箇所は、組織が焼かれるような激しい痛みと、酸と皮膚の反応で熱が発生したことで紅く染まる。その動揺で、彼女の足が一瞬、止まった。
髙島は、無意識に、右手を突き出した。エレナと男の間に割って入る。
その一瞬の遮蔽。
エレナは体制を立て直すと、ポケットに隠していた左手の指先を、男に向けて一瞬だけ鋭く振った。
―――その指先から、真夏の太陽の光を瞬間的に凝縮したかのような、強い一閃が放たれた。
それは、物理的な熱を持たないが、人の視覚に直接働きかける「光」の魔術だ。スラヴの炎の呪力を応用した、一瞬の 焔耀の残光。
「ごめんなさい、髙島さん!」
エレナは髙島の腕を強く引き寄せ、マリヤを抱きかかえるようにして、一気に駅の階段へと駆け下りた。
その直後、黒スーツの男は、十字架を構えたまま一歩踏み出そうとしたが、その動きをピタリと止めた。
男の周囲にいた何人かの通行人が、急に
「まぶしい」「なに今の光?」という表情で 目を細め、視線をさ迷わせた。彼らの網膜には、エレナの術が焼き付けた、強烈な光の残像フレアが残っていた。
男は静かに水鉄砲を下ろした。
「…… 焔耀の残光ざんこうか。相変わらず、非殺生術に力を入れる。――あの小娘は何時まで逃げられるか。見物だな」
男は低くつぶやいた。この術は数秒も持たない。しかし、この数秒の間、彼が公然と追撃すれば、通行人の混乱がさらに増幅し、自らの正体を晒すことになる。
男は水鉄砲をポケットに収め、ただ静かに、地下へと続く階段を見下ろした。獲物が自ら暗闇の檻へと飛び込んでくれたかのように。
三人は、地下鐵の階段を滑り降り、街の喧騒から切り離された、薄暗い地下へと突入していった。
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