祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~

白亜凛

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≪ 祓い姫 ≫

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 唯泉はこれまでの経緯を語った。
 彼が呼ばれたのは三月ほど前の水無月。長雨の頃だったという。

 弘徽殿と麗景殿。それぞれの皇子がおふたりとも病に倒れた。
 宮中には中務省の陰陽師がいる。他にも医師、陰陽師、僧侶が直ちに呼ばれてそれぞれの仕事をした。そこまでは通常通りだが、結局原因もわからず病も治らない。
 ある夜、看病する麗景殿の女房が二の皇子を覗きこむ物の怪を見たという。

 だがその物の怪を祓える者はいなく、唯泉が呼ばれたのである。
 唯泉が呼ばれたときも物の怪は確かにいて追い払った。
 持ってきた衣はそのとき皇子が身につけていたものだということだった。

「間もなくどちらの皇子もお元気になられたが、そもそも私が来たときには既にほぼ快復されていたのだ。治癒の術を使うでもなく皇子は元気になった」

「治癒の術?」
 白の陰陽師はそのような術まで使えるのかと翠子は驚いた。
「原因が物の怪であれば術は効く。病や毒であれば効かぬ」
 それでもすごい力である。
 唯泉の言葉は明瞭だ。
 翠子が祓えぬと言い切るのと同じだ。彼の言葉に嘘はないと思う。

「唯泉さまは、皇子の病は物の怪に関係なかったと思われるのですか?」
 唯泉は「恐らくな」とうなずいた。

「それから三月の間はなにもなかったが、また皇子が倒れた。今回は麗景殿の二の皇子だけで、物の怪は出てこない。まだ宮中のどこかに隠れているであろうし、次に現れれば祓うが……」

 唯泉には迷いがあるようだ。
「物の怪の仕業ではないかもしれない、ということですか」

「うむ。物の怪が原因なら、術だけで快復するはずだがうまくゆかぬ。術が効かぬ物の怪がいても不思議はないが、そう感じさせる物の怪はいないのだ」



 朱依が飲み物を持ってきて、早速朱依と翠子のふたりは唐菓子に手を伸ばした。

「うー、甘いですね!」
 朱依は顔をくちゃくちゃにして喜んだ。翠子の瞳もきらきらと輝く。
 甘い菓子はそれだけで幸せを運んでくる。

「ほんと、甘くておいしい」

 唯泉がくすっと笑う。
「また持ってこよう。宮中にいる間はうまい菓子を存分に食べて楽しんだらいい。酒もうまいしな、まあそれだから俺はここにいるんだが」

 翠子もつられて笑顔になる、唯泉がいる限り宮中での生活も楽しいかもしれないと思った。
 ずっといるわけじゃない。短い間なのだと自分に言い聞かせていたが、楽しんでいいと言われれば気持ちが楽になる。

「ところでそなたは祓い姫と呼ばれているようだが、物の怪を祓えるのか?」
「いいえ、まったく。祓えませんし何もできません。皆さん誤解をされているのです。ここに連れて来られても困るのです」

 正直な思いではあったが、ふてくされた物言いになってしまったと気づき、翠子は恥ずかしそうにうつむいた。
 これでは八つ当たりだ。彼は関係ないのに。
「すみません……」

 唯泉は気にする様子もなく、ゆったりと微笑む。
「でも聞こえるのだろう? 〝物の声〟が」

「はい、まあ……。でも私が感じ取れるのは強い感情だけなのです。すべての物から聞き取れるわけではありません」
 またしても不満がこぼれそうになり、翠子は唇を結ぶ。

「それでもすごい力ではないか」

 すごいといえばすごいのだろうが、そんな力などほしくはなかった。
 とはいえ、この力のお陰でこれまで生きてこられたのだ。不思議な力がなければ路頭に迷って生きていくことすらままならなかっただろう。
 複雑な思いが苦い笑みとなって、翠子の睫毛は揺れる。

「私が初めて怨霊の声を聞いたのは七つになったばかりだった。恐ろしくてその日の夜は眠れなかった」

 翠子はハッとしたように唯泉を見た。
「唯泉さまでも?」

 絵に描いたように美しい横顔は神がかっていて、怖いものなどないように見える。
(悠々としているこの人にも、恐怖で眠れない夜があったというの?)
 俄に信じられなかった。

「それはそうだ。私も人だからな。がたがた震えて母にしがみついた」

 彼も人の子なのだ。神ではなく、ましてや鬼でもない。
 青く澄み渡る空を見上げながら唯泉は彼自身の話をしているようだが、翠子には自分の話を聞いているような気がした。
 翠子が経験してきた恐怖や悲しみを、彼は体験としてわかっていると教えてくれているのだ。

「今では鬼だろうが魔物だろうが驚きはせんが、ただ姫よ」
 唯泉は翠子を振り返る。

「私と違っておぬしは彼奴らに嫌われる理由がない、伝えられない声を届けているのだから、愛されているに違いないぞ」

 彼奴らとは、物の怪? 翠子の場合は物か?

「――物に、ですか?」
「ああ、だから安心するといい。おぬしは決して聞いた声に襲われたりはしない。愛されているのだよ」

 唯泉は笑みを浮かべた優しい眼差しで翠子を見つめる。
 まるで物の気持ちを代弁するように。
 それは本当なのか。ただの慰めではないのか?
 怖ろしい怨念に触れても自分を恨んでいるわけじゃないと言い聞かせていたけれど、怨念が澱みとなって自分の中に蓄積されていくような気がしていた。

 いつか闇に飲み込まれてしまうのではないか。器が受け止めきれずいずれいっぱいになったら、自分はどうなってしまうのだろうと、不安で仕方がなかった。
 でも、そうじゃないのなら――。

「本当に、私の中に、怨念が入り込んだりしないのですか?」
「ああ。その証拠にそのように元気ではないか。血色もよい。体が弱いわけではなかろう?」

「はい……。気持ちが辛くて寝込むときはありますが、体は多分丈夫だと思います」

 言われてみればそうだ。
 怖い思いは何度もしたけれど、手を離せばそれきりで自分の身に何か起きたことは一度もない。

「怨念が体に入ろうものなら、芯から壊れてゆくわ」
 唯泉は笑う。

「……芯から」
「ああ。私は物の怪に憑りつかれて苦しむ人を多く見ている。そなたには怨念の影が一切ない。長年聞き続けたそなたが変わらず元気であるのが、愛されているという、なによりの証明だ」

「そう、なのですね」

 みるみる肩の力が抜けていくようだった。
 今まで会った陰陽師も僧侶も翠子の力を忌まわしい力だと顔をしかめた。ある陰陽師は突然押しかけ、翠子に向かって呪文を唱え始めたりしたが、あれはなんだったのか。

「祓い姫などではなく愛姫とでも名乗ればよいのだ。愛されているのだから」

「愛姫!」
 身を乗り出した朱依の目は、うれしそうに輝いている。

「姫さまそうしましょう。今日から愛姫さまに変更ですね」

 名前などどうでもいいと思いながら、翠子はうれしさのあまり泣きそうだった。
「唯泉さま、ありがとうございます」

 嗚咽を堪え深く頭を垂れて、その隙に翠子は涙を拭う。
 辛くなるとつい忘れてしまうが、亡くなった母も、朱依や使用人の皆も溢れんばかりの愛情を注いでくれた。忌み嫌われて育ったわけじゃない。
 唯泉ほどでにはなれなくても、皆に心配かけないだけ強くなろうと思う。愛を忘れずに。
(白の陰陽師さま、本当にありがとうございます)

 それからしばらくは他愛ない話をし、「不安があれば些細なことでも宮中にいる間に、聞いてくれ」と唯泉は言った。
 すぐにはなにも浮かばない。
 代わりに、そういえばとふと思い出したのは――。

「あの……。煌仁さまというあの方は、どのようなお立場の方なのですか?」
 うっかり聞くのを忘れていたのだ。

「知らぬのか? 彼は東宮だよ」

「え? とうぐう?」
 翠子と朱依が目を丸くする。

「帝がまだ東宮でいらっしゃったころの皇子なので、弟皇子たちとは歳が離れている。母君は彼が幼い頃に亡くなられてしまってな」

 権力争いに巻き込まれないようにと、幼き頃よりいったんは臣下に降りたのだという。

「帝がのたっての願いで、宮中に戻ってきたのだ」

 煌仁は東宮だったのだ。
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