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第一節 開戦の調べ8

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 眼下に渦を巻く濃紺の海原。
 帆の畳まれた武装船の広い甲板に、悲鳴を上げる海風が吹き荒んでいる。
 緩やかに揺れる船の船首に立たされた、五人のうら若き乙女達は、がたがたとその身を震わせながら、運命の時を待っていた。

 細い手首を後ろ手に捕縛された姿のまま、死を覚悟した眼差しで、皆、クスティリン族の神ヤーオへの祈りを捧げ始める。

「クスティリンの守護者ヤーオよ・・・・私たちにご加護を・・・・」

 今にも泣き出しそうな声で、一人の少女がそう呟いた。

 先程、周囲を覆っていた強固な結界は何者かによって崩された・・・・
 そうなれば、もう、自分達には、命を長らえる術などない・・・・

 各々に堅く目を閉じて、ゆっくりと背後に迫ってくる、異国の兵士達の足音を此処で聞くのみである。
少女が、再び、クスティリン族の神の名を口にした。

「守護者ヤ―オよ・・・・・」

 すると、まるで弾かれたように、他の少女たちも一斉に悲鳴のような声を上げ始めたのである。

「守護者ヤ―オ!私たちにご加護を――――――っ!!」

「ヤーオの神よ!!私たちに力をお与え下さい!!」

「ヤーオよ!」

「ヤーオの神よ―――――っ!!」

 にやにやと笑いながら無粋な兵士たちが、彼女たちの背後に迫り来る。
 乙女らの華奢な背中に、無骨な手が伸ばされた。

 今、正に、その可憐な少女たちを海の中へと突き落とそうとした・・・・・その時だった。

 びゅぅうん・・・・っ!

 鋭い音を立てて、一筋の冷たい風が、海風の最中を駆け抜けて行ったのである。

 次の瞬間。

『ぎゃぁぁぁ―――――っ!!』

 けたたましい悲鳴が、死を覚悟した乙女達の背後から響き渡り、その無骨な腕が、まるで、鋭利な刃物で切り落とされたかのように、肘の辺りから真っ二つに両断されたのである。

 虚空に腕が撥ね上がり、深紅の鮮血が帯を引くように虚空を舞った。
 もんどり打って甲板に転がる兵士たち。
 その後ろに控えていた船員たちが、にわかにどよめき立った。

『何だ!?何が起こった!?』

 クスティリン族の乙女達が、驚愕した顔つきをして咄嗟に背後を振り返る。
 その視界に映りこんでくる、閃光を伴う蒼き疾風。
 驚いたように両眼を見開いた彼女たちの目の前に、ゆるやかに現れてくる人影があった。

 蒼き光の隙間に揺れる、輝くような蒼銀の髪と、たゆたうように揺れる紺色のマント。
 美しいとも言える雅で秀麗な容姿を持つ青年が、渦を巻く旋風の中からその姿を現してくる。

『我が国を侵す無粋な者たちよ・・・・無垢な乙女すらその手にかけようなどと・・・・そなたら、どれほど厚顔無恥な者どもか・・・・・』

 紡がれた言葉は、人にあらざる古の言語であった。
 魔法を習う乙女達には、すぐにその言葉が理解できたようだった。
 しかし、サングダ―ルの無知な者どもは、まったくもってその言語が理解できない・・・・
 だが、紡がれた言葉の節々ににじみ出る激しい怒気は、どんなに無粋な者どもでも、まざまざと感じ取れたようだった。

『何者!?』

 深紅に輝く鮮やかな両眼の先で、にわかに、無数の白刃が振りかざされた。
 ゆらゆらと揺らめく蒼きオーラと、閃光を伴う疾風を纏ったその秀麗な青年は、鋭く厳しい表情をして、意図して低めた声で答えたのである。

『我が名は、スターレット・ノア・イクス・ロータス・・・・古より、このリタ・メタリカを守りし一族の者・・・・』

 その言葉の全てを理解できる兵士など、此処には一人もいない、それでも、明らかに聞こえた一つの言葉があった・・・
 それは、蒼き狼(ロータス)という、余りにも有名なその姓・・・・

『大魔法使いだ!!リタ・メタリカの大魔法使いが現れたぞ!!』

『殺せ!!殺せ―――――っ!!』

 どよめき立つ甲板に、閃光の如き刃の帯が唸り上げた。
 このシァル・ユリジアン大陸全土にその名を知らしめる、リタ・メタリカのロータス家。
 そのうら若き大魔法使いに向かって振り下ろされてくる、殺気立つ無数の斬撃。

 吹き荒ぶ海風が、鋭利な唸り声を上げながら天空を渡る。
 煌々と輝く深紅の瞳が、揺れる蒼銀の前髪の下で、今、大きく鋭く見開かれた。

『この私の体に傷をつけることなど・・・・そなたらには出来ぬ・・・・・
リタ・メタリカを侵略する者への報いが、どんなものであるか、しかとその目に刻むがいい・・・・』

 びゅぅんと甲高い音を上げて、蒼き疾風がスターレットの肢体を包み込む。
 千切れんばかりに棚引く蒼銀の髪と、紺色のマント。

 揺れながら伸び上がる蒼きオーラが、眩いばかりの閃光を放った。
 その薄く知的な唇が、呪文と呼ばれる言葉を紡ぎ出す。

『行け 其は気高き刃なり 烈風斬(ル・デルファード)』

 彼の足元から、激しい烈風が巻き起こり始めた。
 それはやがて、蒼き閃光を纏う旋風となり、轟くような低い轟音を、揺らめく甲板の上に響かせた。
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