神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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第二節 嘆きの雨に鐘は鳴る4

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 『息吹』を持って逃げたあの人妖は、恐らく、双頭狼(トゥース・ワルヴ)と呼ばれる魔物の完全体だ・・・・だとしたら、あれを操っているのは・・・・

 凛々しく精悍な頬に、大粒の雨が打ち付けることも気にせずに、白銀の守護騎士たるシルバは、あの二つ首の奇怪な魔物を追って、クレラモンド家の裏手にある森を疾走していた。

 夜の闇と豪雨に霞んで全く望むことは出来ないが、この森の向こう側は、ランダムル山脈の尾根のはずだ。
 暗黒の闇夜と折からの豪雨で、視界はかなり悪い。

 時折、天空で閃く紫色の雷光が、闇に閉ざされた森の木々を照らし出しては、瞬く間に消えていく。
 漆黒の長い髪からは冷たい雨の雫が滴り落ち、しなやかで柔軟なその身に纏う薄紫の衣も、既に雨を吸って重くなっていた。

 だが、そんなことなど構っている時間はない。

 先程から、その鋭敏な六感に触れてくる邪な気配を追って、シルバは、森の奥へと俊足を飛ばす。

 この気配は、あの奇怪な黒き魔物の気配などでは決してない、もう一つの強力な魔力を持つ妖の気配・・・・

 それは間違いなく、エトワーム・オリアの『封印の塔』で遭遇した、魔王ゼラキエルの精鋭、幽幻六部衆が一人である女妖アルアミナの気配だ。

 白銀の森の守り手に、異様なまでの憎しみを持つあの魔物が、『息吹』を狙っていると、そう言うことなのだろうか・・・・・
 その俊足に絡み付くように、大粒の雨が地面から跳ね上がる。

 幾分、先程よりも少し小降りにはなってきたようだが、雨足は相変わらず行く手の視界を遮ったままである。
邪な気配が、徐々に近づいてきている。

 爪先が地面を蹴る度に、濡れそぼった長い黒髪が広い肩で跳ね、足元に冷たい雨飛沫が沸き立った。
 紫の雷光だけが照らし出す闇夜の森を俊足で駆け抜けて、突然、その視界から暴風に揺れる木々が消え失せた時、紫の刃の如く鋭利に輝くシルバの隻眼に、切り立つ黒い岩肌が飛び込んで来たのだった。

 いつもなら、どこか穏やかな印象を与える精悍で端正なその顔が、戦人の装いで殊更厳しく歪む。
 濡れそぼった長い黒髪を揺らし、白銀の剣を利き手に構えたまま、彼は、不意にそこで足を止めた。
 雨と共に吹き付けてくる強い風が、薄紫の衣の長い裾を翻している。

 豪雨に曇る暗黒の闇の最中、深い霧にざされたランダムルの尾根が、無骨な岩肌を剥き出しにして悠然とそこに聳え立っていた。

 降りしきる激しい雨が、抉るように地面を叩き、遠く聞こえる微かな鐘の音が、轟く雷鳴と共に辺りに響き渡った。

 その時、見上げるの黒い岩肌の中腹辺りに、ぱぁっと青く清らかな輝きが瞬いたのである。
 雨の雫を滴らせた前髪の下で、シルバは、まるで、研ぎ澄まされた刃の如く爛とその紫水晶の右目を煌かせると、真っ直ぐに、虚空で点滅する青き光を見つめすえたのだった。
 聖剣ジェン・ドラグナをぐっと強く握り直し、彼は、その艶のある低い声で、頭上に向かって鋭く叫んだのである。

『アルアミナ・・・・!おまえの仕業か!?』

 うふふふ・・・・と、どこか無邪気に、しかし、あざけるような声で、何者かが雨に曇る闇の中で笑った。

 その次の瞬間だった。

 闇の虚空に浮き出るように、燃え立つ黒き爆炎が伸び上がると、暗い天空から降り落ちる雨と共に、四散した地獄の業火が轟音を上げてシルバの頭上に落下してきたのである。

 とたん、彼の利き手に握られた、聖剣ジェン・ドラグナの美しき刀身が、果てしなく眩い白銀の輝きを放ち、濡れた長い黒髪を舞い上げると、その足元から金属音を伴う銀色の結界が吹き上がったのである。
 同時に、彼の広い胸元に、『ジェン・ドラグナ』を持つ者だけが纏うことの出来る、二匹の竜の見事な彫刻が彫りこまれた、輝くばかりの白銀の鎧が出現する。

 山野を駈ける野獣のように柔軟な肢体を覆う銀色の結界が、降り落ちて来た黒炎を一瞬にして千々に打ち砕くと、雨と闇に曇る視界の隅を、彼の背後に向けて青き閃光が豪速で横切って行った。

 雨水を含んだ薄紫の衣が翻り、シルバは、白銀の剣を構えたまま素早く背後を振り返る。
 紫炎の如く煌く鋭利な眼光の先で、艶やかに微笑んでいたのは、漆黒の闇をそのまま映したような黒髪と、まるで少女のように繊細な容姿を持つ女妖であった。

 それは、他でもない、エトワーム・オリアの『封印の塔』に封じられていた古の魔物、魔王ゼラキエルの精鋭、女魔法使いたるアルアミナであったのだ。

 黒く長い爪が彩るしなやかの右の掌には、カッと黄色い両眼を見開き、いまだその口に青珠の森の秘宝『息吹』をくわえた、あの不気味な魔物の生首がある。

 手中に首を抱えたアルアミナの邪に淀んだ緋色の眼差しが、白銀の剣の鋭利な切っ先をこちらに向け、睨むように見つめるシルバの右目を、まるで舐めるように顧みた。

 一切雨に当たらないその白い頬が性悪に歪み、血のように赤い唇が、嘲笑うかのように緩やかに開かれる。

『青珠の守り手でもあるまいに・・・・白銀の守り手が『』を取り返しに来るとは・・・実に滑稽だこと』

『俺がどう動こうと、闇の魔物であるおまえには関係あるまい?』

 シルバは、水滴を滴らせる漆黒の前髪の下で、澄み渡る紫水晶の右目が鋭く細めると、冷静さを失わないその声で低く鋭く答えて言った。

 その言葉に、何ゆえか、魔獣を操る女妖の顔が、憤慨したように険しく歪む。

 ぶわりと沸き立つ暗黒の炎が、アルアミナの長い髪を、まるで生き物であるかのように虚空に棚引かせた。
 憎しみに満ち溢れた緋色の瞳が、諸刃のような鋭さを持って真っ直ぐに、シルバの端正な顔を睨み据える。

『生意気な!!貴様など、消え失せてしまえ!!』

 彼女の肢体を取り囲んだ凄まじい黒炎が、轟音を轟かせて巨大な火の玉を作り上げると、雨に濡れた地面を一瞬激しく振動させ、それは深紅に輝きながら虚空で千々に弾け飛んだのだった。

 燃え盛る爆炎を纏う紅い刃が、暗黒の闇に残光を引きながら、シルバに向かって豪速で飛来する。
 激しい破裂音を伴い、白銀の結界を砕かんとする爆炎の刃の群れを、真っ向から睨み据え、シルバは、端正な顔を殊更厳しく歪めると、濡れた長い黒髪を虚空に棚引かせ、俊足で地面を蹴ったのだった。

 その体を取り囲む結界を、何ゆえか自ら解き、アルアミナに向けて疾走するしなやかな四肢を、結界とはまた別の白銀の輝きが包み込む。

 白銀の森の守り手が、その任に就く際に森の女王に与えられる、『加護の名(アプロテクサード)』と呼ばれるもう一つの彼の名が、ありとあらゆる攻撃呪文から彼を守るべく発動したのだ。

 闇の虚空から無数に落ちてくる紅き炎の刃が、行く手の地面を抉るように次々と突き刺さり、轟音と共に灼熱の業火を吹き上げた。

 打ち付ける雨と、煌々と立ち昇る紅蓮の炎。
 だが、朱色の火の粉を舞い上げる焔の群れを恐れるでもなく、シルバは、軽く両膝に重心をかけ、強靭な足のばねでしなやかにそれを飛び越えていく。

 柔軟な体を空中で軽く捻り、素早く地面に着地した時、彼の利き手に握られた優美な白銀の刃から、触手のような光の帯が伸び上がった。

 それは、まるで生き物であるかのように、ゆらゆらと雨と闇の虚空に伸び上がると、疾走するシルバの体に音も無く絡み付いたのである。

 刹那、煌く雷光のような白銀のオーラをその身に纏い、アルアミナの眼前に踊り出たシルバのしなやかな手首が、閃光の迅速さで翻った。

『息吹は返してもらう!アルアミナ!』

『なっ!?』
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