神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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第二節 嘆きの雨に鐘は鳴る9

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 その精悍な頬に付けられた爪痕から、未だに紅の鮮血が零れ落ちている。
 吹き付ける強い風に薄紅色のローブを翻しながら、青珠の美しき守り手レダは、紅玉をはめ込んだような鮮やかな紅の瞳で、どこか悲痛な面持ちを宿す彼の精悍で端正な顔を、真っ直ぐに仰いだのだった

 繊細な指先をゆるやかに伸ばし、彼女は、彼の頬に零れた鮮血を静かに拭う。
 そして、やけに落ち着いた声色で言うのである。

「貴方のしたことは、間違いじゃないわ・・・・・・・
もう、この子を救うことはできなかった・・・・
命を絶ってあげることが、この子を楽にして上げられる、唯一の方法だった・・・・」

 地面に横たわる少女へとその視線を向けながら、レダは、藍に輝く黒髪の下で、どこか切なそうに蛾美な眉を潜めた。

 そんな彼女に何をも答えずに、シルバは、広い肩で大きく息を吐くと、僅かばかり離れたところに立っているリュ―インダイルに、その紫水晶の隻眼を向けたのである。

 緩やかに波打つ青い髪と、その色によく似たマントを強い風の中で揺らしながら、リュ―インダイルは、強く輝く金色の瞳を僅かに細め、ゆっくりと頷いて見せたのだった。

 レダの言う事は確かな事だと・・・彼は、無言でそう答えたようだった。

 間違いではなかった・・・・

 そう言われたとしても、やはり、どこか後味が悪い。
 シルバは、再び大きく息を吐くと、傍らに立っているレダにその澄んだ紫水晶の右目を向けたのである。

 そんな彼の視線に気が付いた彼女が、ふと、静かにこちらに振り返り、甘い色香の漂う桜色の唇で小さく微笑した。
 濡れた長い巻き毛が、その秀麗な頬に張り付いている。
 真っ直ぐに、彼の瞳を仰ぐ彼女の美しい紅玉の瞳に、朧な三日月の影が輝くような光を映し出した。

 いつもは高く結っているはずの藍に輝く艶やかな黒髪が、薄紅のローブを纏う肩で優美に広がっている。

 何故だろう・・・・今宵の彼女はいつも以上に美しく、そして、極めて女性らしく、その目に映る・・・・

 僅かばかり戸惑いながら、シルバが、その澄んだ紫水晶の右目を細めた時だった・・・・眼前にある彼女の秀麗な顔が、不意に、歪むように霞んだのである。

「!?」

 シルバには、この感覚に覚えがあった・・・
 体の奥から、焼け付くような激痛がじりじりと全身に伝わってくる、実に不気味なこの感覚。

「くっ・・・・」

 次の瞬間、手足の先が、急速にその体温を失っていった。
 彼の手に握られていたの白銀の剣が、カランと軽い音を立てて地面の上に零れ落ちる。

「シルバ・・・・?どうしたの?」

 レダは、ふと、怪訝そうに蛾美な眉を寄せ、紫水晶の右目を大きく見開いたシルバの顔をまじまじと見やった。
 端正で精悍な彼の顔から、ふぅっと血の気が引いていく。
 レダの眼の前で、長い黒髪が朧な細い三日月の下に棚引き、シルバの長身が、まるで崩れる落ちるかのように湿った地面に片膝を付いたのである。

「シルバ・・・・!?」

 一体、彼の身に何が起こったか全く把握できないまま、レダは、秀麗なその顔を驚愕の表情で満たし、ひざまづいた彼の広い肩に、しなやかな両手を置いたのだった。

 まるで業火の蛇が絡み付くが如き激しい痛みが、シルバの全身をじりじりと締め上げていく。
 体中を走る凄まじい激痛。
 苦痛に歪められた精悍な頬に、長く黒い髪束が零れ落ちる。

 広い額に冷たい汗が噴き出して、そこから流れる汗の雫が、凛々しい顎までをのたうつように伝うと、地面に上に音も無く滴った。

 何をも答えることが出来ぬまま、柔軟に引き締まった彼の体が、まるで地に引き寄せられるように前傾していく。
 そんな彼の体を、咄嗟にレダの両腕が受け止める。

「どうしたの!?しっかりして!?シルバ!!」

 叫ぶようにそう言った彼女の声が、淀んだ聴覚で不自然に共鳴する。
 否応なしに息が上がる。

 焼け付くような喉の渇きと共に、その体内から溢れ出たどす黒い血の塊が、血色を失った精悍な唇から後から後から流れ落ちていった。

 本当に始末が悪い・・・・

 そんな事を思いつつ、その激痛に端正な顔を歪めていた彼の視界が、一瞬にして暗転する。

 急速に意識が遠のいていく・・・・

 深き地中に眠る紫水晶のような澄んだ瞳が、レダの腕の中で、苦悶のうちに閉じられてしまった。

「シルバ!!しっかりして!!シルバ!!」

 ことの他焦りの様相を呈して、レダは、彼の名を呼びながら必死でその肩を揺すったのである。
 何が起こったのか全く把握できない。
 それが殊更、胸の内の不安を掻き立てている。
 レダのしなやかな背中に触れているシルバの指先が、異様なほどに冷たい。
 意識を失ったその精悍な頬を、レダの長い巻き毛が揺れながら撫でた。

「シルバ!!」

 紅玉をはめ込んだような鮮やかな紅の瞳に、不意に宝石のような涙が溢れ出す。
 その涙の理由が、自分でさえも判らない。
 だが、彼女が感じていた、漠然とした嫌な予感が的中したことは、変えがたい事実であった。

 このまま、この人は、もうずっと目を覚まさないのではないか・・・・?

 そんな思いが、何故か、レダの心を激しく苛んでいる。
 その時、シルバの体を抱きしめたままでいるレダの眼前に、青いマントを翻し、足音もなくリュ―インダイルが立った。
 長身を折りながら、薄紅色のローブを羽織る彼女の肩に大きな掌を置くと、彼は、落ち着き払った声色で言うのである。

『大丈夫だ、レダ・・・・・この男が、そう簡単に死ぬ筈がない』

 ハッと顔を上げたレダの紅の瞳に、朧な月影を背景にして、その金色の瞳を僅かに細めた、リュ―インダイルの端正な顔が飛び込んでくる。
 そんな彼を仰ぐ彼女の秀麗な頬に、きらきらと輝く、宝石のような涙が零れ落ちていた。

『本当に、まだまだ未熟者だ、そなたは・・・・』

 そう言った彼の精悍な唇が、何ゆえか小さく笑った。
 無骨な腕が静かに差し伸ばされ、レダの腕から、長身のシルバの体を軽く抱き取ると、リュ―インダイルは、ゆっくりとその場に立ち上がった。
 人の姿をとる彼は、長身であるシルバより更に背が高く、そして屈強である。
 本来は魔であるリュ―インダイルにしてみれば、人間の青年一人を抱き上げることなど、いともたやすい事なのだろう。

 レダは、片手で頬の涙を拭うと、地面の上に倒れたままの聖剣を拾い上げ、リュ―インダイルに準じて、静かにその場に立ち上がるのだった。
 藍に輝く艶やかな黒髪が、朧な三日月の下でたゆたうように揺れている。

 どこか不安気な眼差しのまま、シルバの体を抱えるリュ―インダイルの顔を仰ぎ見ると、彼女は、僅かにかすれた声で聞くのだった。

『リュ―イ・・・・シルバは、一体、どうしたと言うの?何故、突然・・・・・』

 緩やかに波打つ青い髪の下で、リュ―インダイルは、その金色の瞳をレダに向けると、いつものように、落ち着き払った声色で答えて言うのだった。

『私から話すような事ではない・・・・・目覚めた時に、直接この者から聞くがいい』

 その髪の色とよく似た色のマントを翻すと、彼は、ゆっくりと踵を返し、渡る夜風にざわめく森の方へと歩き出したのだった。
 そんな彼の大きな背中を、慌ててレダが追いかけていく。
 どこか腑に落ちない様子で、傍らを歩くリュ―インダイルの横顔を仰ぐと、彼女は、その視線を僅かにずらして、屈強な腕に抱えられた、シルバの端正な顔を心配そうに見つめたのである。

 いつもなら、実直で穏やかな眼差しが、真っ直ぐに彼女を見るはずなのに・・・その紫水晶の瞳は未だに閉じられたまま・・・・

 血色を失った精悍な頬に、長い黒髪がかかっている。
 リュ―イの言う通り、きっと、この人はすぐに目を覚ます筈・・・・
 そんなことを思いながら、秀麗な顔を切なさで満たしたレダを、リュ―インダイルの金色の瞳が横目で穏やかに顧みた。
 そして、彼は再び小さく笑う。

『随分と、良い表情(かお)になったな?レダ?・・・・全てを認めてしまえば、その心根の憎しみも、やがては消えてなくなるだろう・・・』

『・・・・え?』

 ぴくりと肩を揺らして、そう言ったリュ―インダイルを仰ぐ彼女の前髪を、強く吹き付けた風が細く朧な三日月の下に跳ね上げる。

 リュ―インダイルは、その金色の瞳をいつになく穏やかな面持ちで細めると、三度、小さく微笑したのだった。

 宵闇のタールファに、嵐の後の強い吹き返しの風が吹き抜けていく。

 ジャハバル神殿の鐘の音が、清らかに荘厳に、朧な三日月の下で鳴り響いていた・・・




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