溺愛展開を信じるには拾い主が怪しすぎる

蟹江カルマ

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41 女王とプロポーズ

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 遅刻がこわいので、手早くシャワーを済ませ、恭弥は暗い廊下に出た。
 何気なく歩きだそうとして、床板の真ん中に、何か巨大な白い塊が落ちているのに気づいた。
 恭弥はぎょっとして立ち止まった。
 もちろんそれは怪異などではなかった。さちこさんの横腹だ。
 ルディやボンが廊下に転がっているのはよく見かけるが、さちこさんがこうして無防備に寝そべっているのは見たことがない。

(踏むところだった)

 恭弥は畏敬の念を抱いてさちこさんを眺めた。
 堂々とした寝姿だった。恭弥が見つめているのが不快なのか、太いしっぽでときおり、ばさ、ばさ、と床を叩いている。
 しばらくぼうっと見惚れたあとで、恭弥は時間がないことを思い出した。だが、進行方向にはさちこさんがいる。
 
「通ります」

 仕方なく、恭弥はおそるおそるさちこさんのそばに足を下ろした。
 さちこさんは頭を上げた。威圧感のある吊り目が恭弥を見つめる。
 引っ掻かれるかと、恭弥は思わず固まった。
 だがさちこさんは何もすることなく、頭を床にふたたび下ろした。
 恭弥は胸をなでおろした。
 
(これは、もしかして)

 恭弥はそうっとさちこさんの顔に指先を近づけた。
 
「ごあいさつ……」

 さちこさんはふんふんと恭弥の匂いを確かめた。
 さちこさんは逃げない。
 勇気を出して、恭弥はさちこさんの首筋をそっと撫でてみた。
 繊細でなめらかな毛並みを、恭弥の指先はたしかに感じ取った。
 
(やった)
 
 惰眠を妨害され、さちこさんは大あくびした。鋭い牙だ。
 恭弥が思わず指をひっこめると、さちこさんは立ち上がった。伸びをして、のそのそと階段をあがっていく。
 実に迷惑そうな雰囲気だ。
 それでも、さちこさんを撫でたという事実は揺るがない。
 
(ついに)

 恭弥はぬくもりの残る手のひらを見つめて、勝利の喜びをかみしめた。小躍りしたいぐらいだ。
 
「ん、何やってんの」

 アランが洗面所からひょっこりと顔を出した。小躍りしなくてよかった。

「さちこさんが、撫でさせてくれた……」

 アランはしたり顔で笑った。
 
「ほらぁ。やっぱりさちこさんも恭弥くんを待ってた。ぼくの奥さんとして君を認めたんだよきっと」
「奥さんって……」

 恭弥はぽかんとした。
 
「ああ、ごめん、令和だね今。連れ合い? パートナー?」
「そういうことではなく……またからかってますよね?」
「本気、本気。前からいろいろ考えてたんだ。法律的にはまだ無理だけど、恭弥くんあてに遺言書いたり、資産共有したり? あ、苗字は君の好きにしていい」
 
 アランは実に楽しそうに語る。

「そうそう、こんど指輪買わなくちゃ」
「話が急すぎる」

 アランはちゅっと恭弥の鼻の頭にキスした。
 
「じゃあ、またプロポーズするからさ。返事、考えておいてよ」
「え、ちょっと、亜蘭さん」
「話してると、遅れるぞ」

 時計をあわてて見ると、たしかに遅れそうだった。言いたいことは山ほどあったが、恭弥は家を飛び出すしかなかった。
 
 店につくと、サボの妻が済まなさそうな顔で恭弥を迎えた。
 
「おはよう榛名くん、大丈夫だった? ごめん、ほんと余計なこと言って」
「おはようございます、ちゃんと話し合ったんで、大丈夫です」

 出がけにプロポーズまがいのことを言われたぐらいには、大丈夫だ。
 
「ご心配おかけしました」
「……榛名くん、風邪ひいた?」

 恭弥のかさかさした声を聞いて、サボの妻は心配そうな顔をした。

「元気です」

 恭弥はあいまいに笑うしかなかった。
 サボの妻はだんだん状況を理解した顔になっていく。

「エプロンつけてきます……」

 いたたまれなくなった恭弥は一礼して、スタッフルームに逃げ込んだ。アランめ。

 その午後、アランはまた店に客としてやってきた。恭弥が水を出すと、アランはにこにことしてテーブルに肘をつき、両手に顎を乗せた。
 
「プロポーズの返事、聞きに来たよ」
「早えよ」

 ランチタイムの戦場をやっと乗り越えたところだ。そんなことを考えている暇なんてなかったというのに。
 サボ夫妻はやりとりを聞き、顔を見合わせている。
 
「だからあんたは軽いんですって。そもそも俺たち出会って半月も経ってねぇ」
「じゃあ、いつだったらオーケーくれるの」
「あー、じゃあ、あんたが仕事についたら、ですかね。俺じゃ専業主夫を養うの、無理なんで」

 恭弥は面倒になって、冗談で答えた。もちろん、アランが働かなくてもふたりで十分食べていけるのは知っている。
 そう、冗談のつもりだった。

「わかった。働けばいいんだね」

 アランは真面目くさった顔で答えた。

「……うそ」 

 サボ、サボの妻、そして恭弥は異口同音に言った。
 
「え、お前ほんとうに霜山か? 変なもん食ったか?」

 疑うサボに、アランは笑った。

「それで恭弥くんと一生いっしょにいられるなら、ぼくは働くよ。
 そうだ、サボ、手伝ってよ。友だちでしょ。ぼくねぇ、保護猫カフェ、やってみたい。かわいそうな猫ちゃんを保健所から引き取って、里親探しを兼ねて。そしたらいつか、恭弥くんといっしょに働けるし」

 寝耳に水の話が多すぎて、恭弥は目を白黒させている。

「協力はするけどさ……あれ、許認可がけっこう大変だぞ。資格とか実務経験、いるんじゃなかったっけ。飲食の方はともかく、俺は動物の方は助けになれないから」

 ふだんはいい加減な店長が真面目に取り合ったので、恭弥はさらに驚いた。

「がんばる。実はずっとぼんやり、やってみたいとは思ってたんだ。ボランティア団体に寄付するだけじゃなくてさ、自分で。夢、みたいな? でもひとりだと決心がつかなくて」
「わかる。俺も奥さん貰って初めて開業しようって思ったもん」

 似た者同士が共感しあっている。
 恭弥は困ってサボの妻を振り返った。

「なんか、俺が一言余計なこと言ったせいで、大変な事態になってしまった気が」

 サボの妻は苦笑している。

「いいんじゃない? うちの人だってできたんだもん、霜山さんだって大丈夫だよ」
「恭弥くん、どう思う? 恭弥くんが嫌なら、やめるけど」 

 アランに訊かれて、恭弥は意を決した。誰かに必要とされていたいこの人にとっては、きっといちばん幸せな未来だ。

「俺も、応援します」

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