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ショコラ編-鍛冶屋というのは、家事をしながらなるものだ
第五話 ショコラ
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私はまだ覚えている。忘れてあげたりなんかしない。
あれはそう、根無草だったお父さんと、浮浪者なんて珍しい王都をあっちへこっちへとしていた頃だ。肌寒い風のふく秋の夕暮れ。弱まった日の光には、王都を囲む元素魔球の五色が混じり、落ち葉の地面はステンドグラスみたいに彩られる時分。
「無理よもう、魔法なんて……」
庶民階級の人々が事象魔法の助けを借りて必死にならし、貴族様が土の元素魔法でふかふかの地面を敷いて。魔法が使えれば、こんな一日中走り回っていられそうな森林公園だって作れてしまう。
でも、それは私ではなかった。
私にできたのは、せっかくお父さんが買ってくれた真っ白なワンピースを汚したことだけ。びとりと濡れて張り付くそれを、引き剥がすようにピンと張る。まるで泥水を引っ掛けたようなその茶色い染みは、事実泥水を引っ掛けたのだ。
目の辺りがぼやぁっと熱くなって、私は手の甲でそれを拭う。
「なんで、わたしの魔法は『泥水』なの……?」
滅多にいない、複合属性の元素魔法だからって。使いこなせなきゃ、使えないのと一緒じゃない。
「あー……ショコラ?」
わたしがそうやって、じわあっと広がるシミを見ていると、頭の上からいつもの困った声がした。
お父さんが顔に出やすい人なのは、お友達のヌガーもよく言ってる。顔を上げなくても、お父さんがあの四角くて厳つい顔で、眉を下げているのがわかった。
だから余計に顔を上げたくなくて、嗚咽が漏れる。
「あぁ、ショコラ。泣くな泣くな。ほら、服ならまた買ってやるから、な?」
「ちがう、そうじゃないの!」
「えぇ……。じゃあ、えぇっと、チョコでも食べるか?」
「いらない。お父さんのチョコ、苦いもん」
「うぅん、こんな時に限って、ヌガーもいないしなぁ……」
ちらりとお父さんの方を伺うと、ぼりぼりとうなじをかいていた。メイワクをかけてるんだと思うけど、自分でも自分のジクジクした気持ちがわからない。
少しでもお父さんから離れたくて、わたしはその場に座り込んで、腕に顔を埋めた。ずびっと鼻をすすると、うぅ~んというお父さんの悩み声が大きくなる。
「そうだ」
突然、お父さんが言う。
「ショコラ、犬好きだったろ」
「…….……好きだけど」
「よし。ほら、見てろよ」
屈んで目線を合わせてくれたお父さんを、腕の隙間から見上げる。お父さんは一歩後ろに下がって、わたしとの間にちょうど子犬一匹分の間を空けると。
「いよっ」
間の空間に手をかざす。
それが地面に落とす影から、ぬるりと漆黒が伸び出てきた。制御しやすいよう、泥の粒径をキレイに揃えたその泥水は、影そのものが命を得たような滑らかさで動く。
太い一本はお父さんの指の細かな動きに合わせ、細く裂け、はたまた絡み合って形を作っていく。
初めてみる魔法。お父さんは真剣な眼差しで、次第にわたしにも何を作っているのかが分かってくる。
「ほら、できたぞ! 我ながら、可愛いだろ?」
最後にお父さんがぐっと手を握り込むと、じゅっという音ともに泥水から水分から飛んだ。高密度の泥水は、そうすることで形として残る。
「わんちゃん」
「ほら、可愛いだろ? ショコラもいつか作れるようになるから、えっと、元気出せ? な?」
わたしはアタフタとして言うお父さんをぼーっと見上げた。
今にして思うと、魔法がうまく使えなくて落ち込んでいたわたしに、そんな魔法を使いこなす様を見せて。むしろ嫌味だったかもしれない。けれど、わたしはきっと、そんなにも一生懸命なお父さんが嬉しかった。
「ふふっ……」
「おっ! ショコラ、元気出たか?」
クスリと笑って、わたしは目の前にできた真っ暗な子犬を撫でる。
「こんな耳じゃ、犬じゃなくて猫だよ、お父さん」
「えっ、そうなのか?」
「そんなことも知らないの?」
「あぁ、お父さんバカだからなぁ」
三角に尖った、子犬の耳をなぞる。つるつると手触りのいいそれを、わたしはずっと撫でていたかった。
◇◆◇
パティスリーの窓の外、ここが王都フランツであることの証として、元素魔球が空に浮かぶ。ちょうど今、三時を示す時針塔の上に火の元素魔球が差し掛かり。王都の民は、空を見るだけで時刻を知ることができた。
その、緩慢とした動きを眺めていたショコラ。二人がけのテーブル席に座る彼女に、見習いの少年が声をかける。
「ショコラさん、お待たせしました」
「スフレ! そうやって『さん』付けで呼ぶのやめてって言ってるじゃない」
「ごめんなさい。でも、ショコラさんはお義母さんのお客さんですから」
「もう!」
ショコラはツーサイドアップにまとめた銀髪を揺らしてぷんぷんと怒るが、スフレと呼ばれた少年は澄まし顔。運んできたカートの蓋を開く。
「それより今日は、新しいシフォンケーキがあるんですよ? ホワイトカラントのジャムと合わせてお召し上がりください」
「またそうやって誤魔化す!」
「あはは、そんな失礼なことしませんよ」
と言いつつも、スフレはにこやかに配膳していった。
ショコラの目の前で切られたパウンドケーキはふんわりとナイフを受け入れて、卵とバターの香りが彼女に届く。並べられたジャムはホワイトカラントを使っているからか色味が薄く、透き通って煌めいていた。
その他、ヌガーにも供されたフリュイや、色とりどりのマカロンが、ケーキスタンドに載せて並べられる。かつて貴族の間で流行ったという、農婦の頭巾の形を模したパン菓子、クグロフもあった。
彼に意図があったかは除いておいても。あっという間に出来上がる貴族もかくやという豪華なテーブル模様に、ショコラの頬が緩んだのは事実だ。
ショコラはそんな自分の表情にはっと気づいて、頬をむにむにとしながら、恨めしそうにスフレの銀髪を見つめる。
「ねぇ、いいじゃない。わたしたちせっかく髪色も似てるんだし、お友達になりましょ」
「そんな、恐れ多いですよ。僕はお義母さんに拾われただけで、本当は王都にすら住めない貧乏人なんです」
「いいじゃない別に、そんなの」
お盆を胸に抱いて謙遜するスフレに、ショコラはぴょんと椅子から飛び降りた。そのままスフレの肩を掴んで、ぐいぐいと彼女の向かいの席に押していく。
「ほら、一緒に食べるわよ」
「えぇっ?! そんな、僕仕事中ですから」
「い、い、じゃ、な、い。お客さんが来たら考えればいいの!」
スフレは、ショコラに抵抗しようにも触るに触れずといった様子で、頬を赤くしておたおたとする。結局、すとんと椅子に座らされてしまった。
観念したように「わかりました、ご一緒します」と呟くスフレに、ショコラは満足げ。エスプレッソ色のドレスを揺らして、席に戻る。
彼女はそのまま小皿にパウンドケーキを一切れ乗せ。山盛りのテーブルの上、よっこいしょと腕を伸ばして、スフレにそのお皿を差し出す。
「さ、召し上がれ」
「……それ、僕が言わなきゃいけないのに」
「お返事は?」
「うぅ、ありがとうございます」
やっとのことで受け取ったスフレに、ショコラは満足げ。腕を引く途中でケーキセットからマカロンを取り、一口頬張る。落ちそうな頬をたまらず抑えた。
それを見て、スフレも手渡されたパウンドケーキを取り上げて、片手で受け皿を作りながら口に運ぶ。すると、バターと小麦の素朴な香りが、しっとりとした食感とともに口の中に広がる。
「……おいしい」
「ほんと、あなたを見てると、わたしがちゃんと女の子を出来てるのか自信がなくなってくるわ」
「えっ? あぁ……! そんなことないですよ……多分」
マカロンなんてとっくに食べ終えて次のお菓子を探していたショコラが、肩を落として言う。思わず口に手を添えて言葉を漏らしていたスフレは、顔を赤くして誤魔化すように小さく手を振った。
それがまた、ショコラには乙女の恥じらいらしく見えたりする。
「わたし、いつかあなたが彼氏を見つけてきても驚かないわ」
「ショコラさん?!」
「なぁんて、ウソよ、ウソ。驚くんじゃなくて、わたしより先に男の子と付き合うなんて許せない! って怒るわ」
「そっちなんですね、ウソなの」
項垂れるスフレを見て、流石にショコラも揶揄うのをやめる。そこに、ビスキュイの前で見せた図太さはなかった。
普段、ヌガーはそんな彼の様子を微笑ましく観察するし、ビスキュイは自分との落差に腹を立てたりしているが。
「でもそうね……もしわたしに好きな男の子が出来たら、スフレに相談することにしたわ」
「……………………好きな男の子?」
「えぇ、まだいないけれど」
「あっ、まだいないんですね」
「ちょっと。嬉しそうに言わないで」
ショコラだけは、気付いていなかったりする。
そうしてなんだかんだとしていれば、スフレも立ち上がるタイミングなど見つけられない。いつも通り、高い価格設定で通った『パティスリー』には客足も少なく、二人のお茶会はつつがなく続いた。
日も落ち始め。もともと食べる方ではないスフレは紅茶で口の中をリフレッシュしつつ、ショコラとの会話を楽しんでいた。
「ショコラさん、本当に、ビスキュイさんのお菓子好きですよね」
「えぇ、だって美味しいでしょう?」
「それはその通りなんですが」
「だから、遠慮せずにスフレももっと食べたらいいのに」
「あはは……、僕はまぁ、いつでも食べられますし」
対するショコラは、ついにテーブルを埋め尽くすお菓子の山を攻略せんとしていた。最後の関門とばかりに立ち塞がるクグロフを、ケーキナイフでサクサクと崩していく。
「はぁ、わたしも家で真似できたらいいのに」
口の周りについたクグロフのかすを親指で拭いながら、ショコラは言う。スフレはその所作をぼーっと眺めていたのだが、伺うようなショコラの視線にはっとして。
「僕も真似したいんですけどね。お義母さんは、元素魔法を使ってケーキを焼きますから」
「元素魔法はねぇ、真似できないもの」
元素魔法は、血統が全てを決定する。
火、風、水、土、雷。その五属性のうち、およそ一属性を、血と共に受け継ぐのだ。
ときたま、ひょんなことで元素魔法を使えるようになる人間もいるのだが、それも遠い祖先にあった元素の血が、数世代を経て発現したが、使い方を教える親がいなかったから、本人にすら気付かれなかったという事情のもとでしかあり得ない。
ビスキュイは、そんな元素魔法を扱って窯でケーキを焼く。火の元素魔法が起こす純粋な炎に、風の元素魔法で新鮮な空気を送り続けるその唯一無二は、熱の伝わり方がまるで違うという。
だから、パティスリーのお菓子は、特に焼き菓子は高いのだ。
「……僕にも、使えたらなぁ」
「そうね」
空をのんびりとゆく元素魔球を、物憂げに眺めるスフレ。「まぁ、事象魔法でも焼けるでしょ」なんていう気休めを、まさかショコラは口に出せない。
事象魔法は誰にでも使えるが、元素魔法とは決定的に違う。無から有を生み出す元素魔法と異なり、有に働きかけることしかできないのが事象魔法だ。
例えば、火を起こすことは事象魔法でもできるだろう。四大事象と呼ばれる『熱』『動』『重』『光』のうち、『熱』がこれに当たる。
ただそれは、『火を生んだ』というより、『熱を持ったから火が上がった』というだけにすぎない。火打ち石を打つ作業を、魔法で行っただけ。
事象魔法は、所詮『人にできることを補助』するにすぎない。
スフレがあれだけビスキュイについて回っても、それでも見習いでしかないのは、何も年齢のみの問題ではないのだ。
だから、ショコラには何も言えないし、なんだか後ろめたい心地すらする。火の元素魔法でなくとも、彼女には生まれた時から元素魔法が使えていたから。
何も言えず、ショコラがクグロフをフォークで突っつき回していると。
突然、目の前のスフレがぱんと頬を張る。
「ダメですね! 常に前向きでいないと、なんとかなるものもなりません!」
「――そ、そうよ! スフレだって頑張ってるもの」
「えぇ、頑張りますよ! いつか、お義母さんに追いつくんです!」
意気込むスフレ。虚をつかれたショコラも、すぐさま彼を盛り上げて、ついでにクグロフをその口に突っ込んでやった。スフレはえずいた。
その背を慌ててさすってやりながら、ショコラは思う。
わたしだって、お父さんに追いつかなきゃいけない。
あの日見た子犬は、どれだけ練習しても作れるようになっていない。どうしても、細かな造形を作れず、肌触りはざらざらとする。
わたしを産んですぐにいなくなったというお母さんは、普通の人だった。その分、わたしの元素魔法使いとしての血は薄い。
元素魔法は、血統が全てを決定する。
だとしても。
「ショコラ、待たせてすまなかったな……って、どういう状況だ? いや、言わなくてもわかる。ショコラはじゃじゃ馬だからな、言わなくていい」
「うるさいわね?! ヌガー、ちょっとはスフレを心配したら?」
「いや、心配してるとも。ただこうも思うわけだ。そうしてお前に背をさすってもらえたことが、あとでその子の思い出になるかもしれない」
「あぁ、もうっ!」
そんな時、店の奥から出てきたのはヌガーだ。相も変わらず、遠回りしがちなその口をショコラがきっと睨み付けると、観念したようにスフレの脇に立つ。
そうして介抱しながら、ショコラの耳元でささやいた。
「次の仕事が決まった。準備を始めよう」
「えぇ、もちろんよ」
またきっと、わたしは人を殺さなきゃいけない。悪人だって、人は人。
でもそうやって、お父さんはわたしを守ってきたのだ。だったらわたしにも、躊躇いはなかった。
あれはそう、根無草だったお父さんと、浮浪者なんて珍しい王都をあっちへこっちへとしていた頃だ。肌寒い風のふく秋の夕暮れ。弱まった日の光には、王都を囲む元素魔球の五色が混じり、落ち葉の地面はステンドグラスみたいに彩られる時分。
「無理よもう、魔法なんて……」
庶民階級の人々が事象魔法の助けを借りて必死にならし、貴族様が土の元素魔法でふかふかの地面を敷いて。魔法が使えれば、こんな一日中走り回っていられそうな森林公園だって作れてしまう。
でも、それは私ではなかった。
私にできたのは、せっかくお父さんが買ってくれた真っ白なワンピースを汚したことだけ。びとりと濡れて張り付くそれを、引き剥がすようにピンと張る。まるで泥水を引っ掛けたようなその茶色い染みは、事実泥水を引っ掛けたのだ。
目の辺りがぼやぁっと熱くなって、私は手の甲でそれを拭う。
「なんで、わたしの魔法は『泥水』なの……?」
滅多にいない、複合属性の元素魔法だからって。使いこなせなきゃ、使えないのと一緒じゃない。
「あー……ショコラ?」
わたしがそうやって、じわあっと広がるシミを見ていると、頭の上からいつもの困った声がした。
お父さんが顔に出やすい人なのは、お友達のヌガーもよく言ってる。顔を上げなくても、お父さんがあの四角くて厳つい顔で、眉を下げているのがわかった。
だから余計に顔を上げたくなくて、嗚咽が漏れる。
「あぁ、ショコラ。泣くな泣くな。ほら、服ならまた買ってやるから、な?」
「ちがう、そうじゃないの!」
「えぇ……。じゃあ、えぇっと、チョコでも食べるか?」
「いらない。お父さんのチョコ、苦いもん」
「うぅん、こんな時に限って、ヌガーもいないしなぁ……」
ちらりとお父さんの方を伺うと、ぼりぼりとうなじをかいていた。メイワクをかけてるんだと思うけど、自分でも自分のジクジクした気持ちがわからない。
少しでもお父さんから離れたくて、わたしはその場に座り込んで、腕に顔を埋めた。ずびっと鼻をすすると、うぅ~んというお父さんの悩み声が大きくなる。
「そうだ」
突然、お父さんが言う。
「ショコラ、犬好きだったろ」
「…….……好きだけど」
「よし。ほら、見てろよ」
屈んで目線を合わせてくれたお父さんを、腕の隙間から見上げる。お父さんは一歩後ろに下がって、わたしとの間にちょうど子犬一匹分の間を空けると。
「いよっ」
間の空間に手をかざす。
それが地面に落とす影から、ぬるりと漆黒が伸び出てきた。制御しやすいよう、泥の粒径をキレイに揃えたその泥水は、影そのものが命を得たような滑らかさで動く。
太い一本はお父さんの指の細かな動きに合わせ、細く裂け、はたまた絡み合って形を作っていく。
初めてみる魔法。お父さんは真剣な眼差しで、次第にわたしにも何を作っているのかが分かってくる。
「ほら、できたぞ! 我ながら、可愛いだろ?」
最後にお父さんがぐっと手を握り込むと、じゅっという音ともに泥水から水分から飛んだ。高密度の泥水は、そうすることで形として残る。
「わんちゃん」
「ほら、可愛いだろ? ショコラもいつか作れるようになるから、えっと、元気出せ? な?」
わたしはアタフタとして言うお父さんをぼーっと見上げた。
今にして思うと、魔法がうまく使えなくて落ち込んでいたわたしに、そんな魔法を使いこなす様を見せて。むしろ嫌味だったかもしれない。けれど、わたしはきっと、そんなにも一生懸命なお父さんが嬉しかった。
「ふふっ……」
「おっ! ショコラ、元気出たか?」
クスリと笑って、わたしは目の前にできた真っ暗な子犬を撫でる。
「こんな耳じゃ、犬じゃなくて猫だよ、お父さん」
「えっ、そうなのか?」
「そんなことも知らないの?」
「あぁ、お父さんバカだからなぁ」
三角に尖った、子犬の耳をなぞる。つるつると手触りのいいそれを、わたしはずっと撫でていたかった。
◇◆◇
パティスリーの窓の外、ここが王都フランツであることの証として、元素魔球が空に浮かぶ。ちょうど今、三時を示す時針塔の上に火の元素魔球が差し掛かり。王都の民は、空を見るだけで時刻を知ることができた。
その、緩慢とした動きを眺めていたショコラ。二人がけのテーブル席に座る彼女に、見習いの少年が声をかける。
「ショコラさん、お待たせしました」
「スフレ! そうやって『さん』付けで呼ぶのやめてって言ってるじゃない」
「ごめんなさい。でも、ショコラさんはお義母さんのお客さんですから」
「もう!」
ショコラはツーサイドアップにまとめた銀髪を揺らしてぷんぷんと怒るが、スフレと呼ばれた少年は澄まし顔。運んできたカートの蓋を開く。
「それより今日は、新しいシフォンケーキがあるんですよ? ホワイトカラントのジャムと合わせてお召し上がりください」
「またそうやって誤魔化す!」
「あはは、そんな失礼なことしませんよ」
と言いつつも、スフレはにこやかに配膳していった。
ショコラの目の前で切られたパウンドケーキはふんわりとナイフを受け入れて、卵とバターの香りが彼女に届く。並べられたジャムはホワイトカラントを使っているからか色味が薄く、透き通って煌めいていた。
その他、ヌガーにも供されたフリュイや、色とりどりのマカロンが、ケーキスタンドに載せて並べられる。かつて貴族の間で流行ったという、農婦の頭巾の形を模したパン菓子、クグロフもあった。
彼に意図があったかは除いておいても。あっという間に出来上がる貴族もかくやという豪華なテーブル模様に、ショコラの頬が緩んだのは事実だ。
ショコラはそんな自分の表情にはっと気づいて、頬をむにむにとしながら、恨めしそうにスフレの銀髪を見つめる。
「ねぇ、いいじゃない。わたしたちせっかく髪色も似てるんだし、お友達になりましょ」
「そんな、恐れ多いですよ。僕はお義母さんに拾われただけで、本当は王都にすら住めない貧乏人なんです」
「いいじゃない別に、そんなの」
お盆を胸に抱いて謙遜するスフレに、ショコラはぴょんと椅子から飛び降りた。そのままスフレの肩を掴んで、ぐいぐいと彼女の向かいの席に押していく。
「ほら、一緒に食べるわよ」
「えぇっ?! そんな、僕仕事中ですから」
「い、い、じゃ、な、い。お客さんが来たら考えればいいの!」
スフレは、ショコラに抵抗しようにも触るに触れずといった様子で、頬を赤くしておたおたとする。結局、すとんと椅子に座らされてしまった。
観念したように「わかりました、ご一緒します」と呟くスフレに、ショコラは満足げ。エスプレッソ色のドレスを揺らして、席に戻る。
彼女はそのまま小皿にパウンドケーキを一切れ乗せ。山盛りのテーブルの上、よっこいしょと腕を伸ばして、スフレにそのお皿を差し出す。
「さ、召し上がれ」
「……それ、僕が言わなきゃいけないのに」
「お返事は?」
「うぅ、ありがとうございます」
やっとのことで受け取ったスフレに、ショコラは満足げ。腕を引く途中でケーキセットからマカロンを取り、一口頬張る。落ちそうな頬をたまらず抑えた。
それを見て、スフレも手渡されたパウンドケーキを取り上げて、片手で受け皿を作りながら口に運ぶ。すると、バターと小麦の素朴な香りが、しっとりとした食感とともに口の中に広がる。
「……おいしい」
「ほんと、あなたを見てると、わたしがちゃんと女の子を出来てるのか自信がなくなってくるわ」
「えっ? あぁ……! そんなことないですよ……多分」
マカロンなんてとっくに食べ終えて次のお菓子を探していたショコラが、肩を落として言う。思わず口に手を添えて言葉を漏らしていたスフレは、顔を赤くして誤魔化すように小さく手を振った。
それがまた、ショコラには乙女の恥じらいらしく見えたりする。
「わたし、いつかあなたが彼氏を見つけてきても驚かないわ」
「ショコラさん?!」
「なぁんて、ウソよ、ウソ。驚くんじゃなくて、わたしより先に男の子と付き合うなんて許せない! って怒るわ」
「そっちなんですね、ウソなの」
項垂れるスフレを見て、流石にショコラも揶揄うのをやめる。そこに、ビスキュイの前で見せた図太さはなかった。
普段、ヌガーはそんな彼の様子を微笑ましく観察するし、ビスキュイは自分との落差に腹を立てたりしているが。
「でもそうね……もしわたしに好きな男の子が出来たら、スフレに相談することにしたわ」
「……………………好きな男の子?」
「えぇ、まだいないけれど」
「あっ、まだいないんですね」
「ちょっと。嬉しそうに言わないで」
ショコラだけは、気付いていなかったりする。
そうしてなんだかんだとしていれば、スフレも立ち上がるタイミングなど見つけられない。いつも通り、高い価格設定で通った『パティスリー』には客足も少なく、二人のお茶会はつつがなく続いた。
日も落ち始め。もともと食べる方ではないスフレは紅茶で口の中をリフレッシュしつつ、ショコラとの会話を楽しんでいた。
「ショコラさん、本当に、ビスキュイさんのお菓子好きですよね」
「えぇ、だって美味しいでしょう?」
「それはその通りなんですが」
「だから、遠慮せずにスフレももっと食べたらいいのに」
「あはは……、僕はまぁ、いつでも食べられますし」
対するショコラは、ついにテーブルを埋め尽くすお菓子の山を攻略せんとしていた。最後の関門とばかりに立ち塞がるクグロフを、ケーキナイフでサクサクと崩していく。
「はぁ、わたしも家で真似できたらいいのに」
口の周りについたクグロフのかすを親指で拭いながら、ショコラは言う。スフレはその所作をぼーっと眺めていたのだが、伺うようなショコラの視線にはっとして。
「僕も真似したいんですけどね。お義母さんは、元素魔法を使ってケーキを焼きますから」
「元素魔法はねぇ、真似できないもの」
元素魔法は、血統が全てを決定する。
火、風、水、土、雷。その五属性のうち、およそ一属性を、血と共に受け継ぐのだ。
ときたま、ひょんなことで元素魔法を使えるようになる人間もいるのだが、それも遠い祖先にあった元素の血が、数世代を経て発現したが、使い方を教える親がいなかったから、本人にすら気付かれなかったという事情のもとでしかあり得ない。
ビスキュイは、そんな元素魔法を扱って窯でケーキを焼く。火の元素魔法が起こす純粋な炎に、風の元素魔法で新鮮な空気を送り続けるその唯一無二は、熱の伝わり方がまるで違うという。
だから、パティスリーのお菓子は、特に焼き菓子は高いのだ。
「……僕にも、使えたらなぁ」
「そうね」
空をのんびりとゆく元素魔球を、物憂げに眺めるスフレ。「まぁ、事象魔法でも焼けるでしょ」なんていう気休めを、まさかショコラは口に出せない。
事象魔法は誰にでも使えるが、元素魔法とは決定的に違う。無から有を生み出す元素魔法と異なり、有に働きかけることしかできないのが事象魔法だ。
例えば、火を起こすことは事象魔法でもできるだろう。四大事象と呼ばれる『熱』『動』『重』『光』のうち、『熱』がこれに当たる。
ただそれは、『火を生んだ』というより、『熱を持ったから火が上がった』というだけにすぎない。火打ち石を打つ作業を、魔法で行っただけ。
事象魔法は、所詮『人にできることを補助』するにすぎない。
スフレがあれだけビスキュイについて回っても、それでも見習いでしかないのは、何も年齢のみの問題ではないのだ。
だから、ショコラには何も言えないし、なんだか後ろめたい心地すらする。火の元素魔法でなくとも、彼女には生まれた時から元素魔法が使えていたから。
何も言えず、ショコラがクグロフをフォークで突っつき回していると。
突然、目の前のスフレがぱんと頬を張る。
「ダメですね! 常に前向きでいないと、なんとかなるものもなりません!」
「――そ、そうよ! スフレだって頑張ってるもの」
「えぇ、頑張りますよ! いつか、お義母さんに追いつくんです!」
意気込むスフレ。虚をつかれたショコラも、すぐさま彼を盛り上げて、ついでにクグロフをその口に突っ込んでやった。スフレはえずいた。
その背を慌ててさすってやりながら、ショコラは思う。
わたしだって、お父さんに追いつかなきゃいけない。
あの日見た子犬は、どれだけ練習しても作れるようになっていない。どうしても、細かな造形を作れず、肌触りはざらざらとする。
わたしを産んですぐにいなくなったというお母さんは、普通の人だった。その分、わたしの元素魔法使いとしての血は薄い。
元素魔法は、血統が全てを決定する。
だとしても。
「ショコラ、待たせてすまなかったな……って、どういう状況だ? いや、言わなくてもわかる。ショコラはじゃじゃ馬だからな、言わなくていい」
「うるさいわね?! ヌガー、ちょっとはスフレを心配したら?」
「いや、心配してるとも。ただこうも思うわけだ。そうしてお前に背をさすってもらえたことが、あとでその子の思い出になるかもしれない」
「あぁ、もうっ!」
そんな時、店の奥から出てきたのはヌガーだ。相も変わらず、遠回りしがちなその口をショコラがきっと睨み付けると、観念したようにスフレの脇に立つ。
そうして介抱しながら、ショコラの耳元でささやいた。
「次の仕事が決まった。準備を始めよう」
「えぇ、もちろんよ」
またきっと、わたしは人を殺さなきゃいけない。悪人だって、人は人。
でもそうやって、お父さんはわたしを守ってきたのだ。だったらわたしにも、躊躇いはなかった。
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