ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜

浜能来

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チョコレィト編-修道服を着ているから、修道士なのではない

第二十六話 秋の、ある朝

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 王都フランツに季節の変化は小さい。
 五大元素魔球の周回する城壁は外の草原を隠し、壁の内には貴族の建てた自然公園を除いて緑が少ないからだ。変わりばえのしない建築物の群れの中、人々は花屋の店先や八百屋の品揃えの変化を見て初めて、そういえばもうそんな頃かと思い至る。
 旬をとらえたパティスリーのショーケースなどはまさに、王都の人々にとってのカレンダーだ。ふんわりとクリームを巻いたモンブランに、イチジクの紅色に染まったパウンドケーキ。スフレが担当するヨーグルトムースに添えられるのも、梨のコンポートへ変わった。
 一ヶ月前と比べ、幾分落ち着いた色合いを透かすガラス板を乾布巾で拭う。彼は習慣として、銀髪をかきあげ額を拭うが、汗は浮いていなかった。
 肌寒さ伴う、秋の朝。

「ふぅ。そろそろ、起こしに行かないとですね」

 スフレは磨いたショーケースに映る、時針塔を過ぎ行く火の元素魔球を見て、立ち上がった。自分の仕事の出来を端から端まで確認して、満足げに布巾をたたむ。あとは開店時間を待つばかり。
 彼はそそくさと厨房へ戻った。かちゃかちゃと音がする。

「お義母さん。僕、二階へ行きますね」
「お義母さんじゃないって言ってんだろ!」

 どうせしばらくは客も来ないからと、使った調理器具をひとところにまとめ厨房を整理するビスキュイの背中に声をかけると、いつもの怒鳴り声が返ってくる。行ってもいいということだ。
 とっ、とっ。軽い足取りで厨房奥の階段を登るスフレ。二階にあるのは彼らの生活スペースだ。階段と地続きの広い居間は店の裏側に位置するため、朝でも薄暗かった。
 家具の類は少ない居間だ。簡単な台所と水瓶、買い置きの芋が桶の中にごろごろとしている。ビスキュイの私物はおよそ厨房に置かれるようなものだし、スフレはそもそも私物が少ないことを考えれば、当たり前の簡素さだろう。
 スフレは裏路地へと開け放たれた窓に張った紐に布巾をかける。部屋の中央に置かれた四人掛けの机を避けて、店の表側へ。柱を挟んで二つの扉がある。片方はスフレの私室にあてがわれており、もう片方はビスキュイの私室になっているのだが。
 最近、ビスキュイの部屋に一人、住人が増えた。

「……よし」

 さわさわと髪を整え、ぱたぱたとエプロンを叩き、ぐにぐにと頬をほぐしたスフレ。とくとくとなる心臓を誤魔化すための彼の儀式だった。
 期待を込め、木戸をノックした。

「ショコラさん、起きてますかー?」

 扉越しなのに首を傾げて問いかける。返事がないのでもう一度ノックするのだが、やはり返事はない。
 ――まぁ、そうですよね。
 肩を落としたスフレはさらにもう一度ノックしようとしてやめた。

「入りますよ」

 いつも通りに上擦った声のスフレが扉を開ける。通りに面しているこの部屋は、本来朝日が差し込んでいるはずなのだが、居間の薄暗さがそのままつながっている。肝心の窓が、厚手のカーテンに遮られ、光をその縁に滲ませるのみだからだ。
 ベッドの上、ちんまりとした両足がある。頭まですっぽり被るものだからはみ出てしまった、ショコラの両足だ。
 スフレはその様子に一度、不憫そうに眉を寄せてしまって、気を取り直すように首を振った。

「ほら、ショコラさん? 起きてるんですよね」

 わざと厳しい声を出してみると――とはいえ、変声期前の少年の、かわいいものだが――布団の山がぴくりと動く。

「……おはよう、スフレ」
「はい、おはようございます。ほら、もう朝ご飯にしますから。いつまで寝てるんですか?」
「嫌味ね。最近いっつもいっつも、いじわるじゃない?」
「そうですか?」
「えぇそうよ。わたし、あなたを待ってたのに」
「………………それは、その」

 ありがとうございますと言い切る前に、顔を真っ赤にしたスフレの言葉はしぼみきってしまった。くすくすと笑う声がする。ショコラが布団の下から、ちょこんと頭の先を覗かせていた。
 そのわずかな隙間からでも、ショコラの身体に残った火傷はよく見える。赤黒く変色した肌は、まるでわざと汚い絵具だけを水の上に浮かべて、棒でぐちゃぐちゃにかき回したようにまだらだ。そんな、女の子の顔にあってはならないものが、ショコラの顔の右側を覆っている。
 初めてそれを見て、思わず目を背けた自分。ショコラに陰の差した笑顔をさせた自分が脳裏に浮かんで、緩んでいたスフレの顔が引き締まった。

「じゃあ、僕も来たことですし。そろそろおきましょうか」
「……わたし、曇りの日だけ起きるって決めたの」
「そんなカタツムリみたいなこと言ってると、お義母さんにオーブンで焼かれちゃいますよ」

 口を尖らせるショコラの傍をずんずんと通り越して、スフレはカーテンに手をかけた。一度だけ振り返って、彼女の様子を確認する。裏路地で、物陰から人を睨みつける子猫のようだった。

「開けて、いいですよね?」
「えぇ。えぇ、朝には開けるものだもの」

 布団の裾を握りしめるショコラ。スフレは目を逸らして、カーテンを引き開けた。
 青空に輝く太陽の光が、さっと暗い室内を切り裂いて、スフレの目も眩む。

「きゃっ!」

 同時、小さく悲鳴が上がった。スフレが振り返ると、頭を引っ込めてしまったショコラがいる。彼はそれを、濃藍色の感情で見つめた。

 ショコラは、光を恐れるようになってしまっていた。

 ◇◆◇

 光を恐れると言っても、全くの暗闇でなければ生きていけないというわけではなかった。
 彼女曰く、「急にぴかっとするとダメ」なようで。
 例えば朝、スフレが窓から光を入れた後も、少しずつ布団の裾を持ち上げていって、少しずつ目を慣らして、それからならば布団から這い出すことができた。
 ショコラにとって、一番胸のすっきりする時だ。布団の中で膨らまし続けた重苦しいものが、やっとすとんと落ちてくれる。空の碗に元祖魔法で水を注ぎ顔を洗ってしまえば、それはもうさっぱりとした。

 彼女は碗の脇に置いてあった布巾で手を拭い、顔を拭い。指先に触れた銀髪を整えた。毛先をクーリに焼かれてしまって、それでショートに切り揃えた髪も、やっと伸びてきた。もうすぐ肩口に届きそうなそれを、彼女は楽しげに指先で弄ぶ。

 そうして、布団の中でくしゃくしゃになった髪を整えてしまえば、あとは着替えるだけ。
 今の彼女にドレスは必要ないから、着るのは簡単なチュニックだ。メレンゲのように質素な白のその上に、さらにもう一着、今度は袖のない、爽やかな空色に染め抜かれたチュニックを重ねて、腰紐できゅっと結ぶ。
 あんまり身体にぴったりとしていても嫌だからと、ショコラは腰紐より上に布地を引っ張り上げたり、引っ張り上げすぎて戻したりして、やっと満足がいったらしい。

「ごめんなさい。待ったかしら」
「大丈夫ですよ。むしろ、まだ準備ができてませんから」
「もう準備を始めちゃってるんじゃない!」

 ショコラが居間に出ると、スフレはすでに朝食の配膳を始めていた。切り分けた白パンが三人分、机に並べられていて、あとは彼が火にかけているスープを盛り付ければ終わり。
 にこやかに出迎えるスフレに、ショコラはたったかと歩み寄って、腰に手を当て怒ってみせる。

「居候してるのはわたしなんだから、もっとこき使ってくれなきゃ申し訳ないじゃない!」
「あはは。でももう、慣れてますから」
「でもも何もないのよ!」

 ぶっきらぼうにショコラが手を突き出す。スフレが鍋をかき回しているおたまを寄越せということだった。スフレは笑顔でやり過ごそうとするのだが、そうするとショコラが「ん!」ともう一度催促してくる。
 ショコラのルビーの瞳に見つめられ続け、スフレはついと目を逸らす。陥落も時間の問題だったのだが。

「いいじゃないか、ショコラ。その子は、大好きな女の子にいいとこ見せたいんだよ」

 二人とも、予想外の横槍にどきりとする。
 厨房から上がってきていたビスキュイが、横から茶々を入れてきていた。まるっきりからかう口調だ。

「ち、違いますよ。僕はただ、ショコラさんがいない時からずっとそうしてましたから」
「そぉんなに耳を赤くして言うことかい?」

 普段から、スフレにお義母さんお義母さんと不本意に呼ばれ続けているから、仕返しのつもりなんだろうとは、ヌガーの弁。スフレはすっかりビスキュイの方に注意をとられていて、手を放されたおたまは鍋にこてんと寄りかかっている。
 ビスキュイの登場にすっかり毒気を抜かれたショコラは、そのおたまとスフレの後頭部を見比べた。自分と同じ銀髪の隙間に覗く耳を見つけて、「あぁ、本当に赤くなってるのね」と気付いて。
 すると、まるで熱が移ったように自分の頰が熱くなるのを感じた。それはスフレとビスキュイの言い争いを聞いていると、なお熱くなってしまう。

「おばさま、スフレをいじめてるの?」
「なんか言ったかい?」
「ビスキュイ

 たまらず、ショコラは会話を遮ってビスキュイに声をかけた。『おばさま』と呼ばれたくないビスキュイは、ショコラの狙い通りに話し相手を変えてくれる。

「スフレをあんまりいじめちゃダメよ」
「ふん。普段いじめられてるのはアタシの方さ」
「あら。そんなこと言うと、ヌガーに告げ口しちゃうわよ。ビスキュイおねえさまは、スフレみたいな可愛い男の子にいじめられちゃうくらい弱いのよって」
「……嫌な子になったね。育て親の顔が、嫌だね、二度と見たくなくなったよ」

 生意気な子がまた一人増えちまったみたいだとぼやいて、ビスキュイはやっと食卓についた。スフレとショコラは二人して安心したのか、同時にため息をついた。それに驚き、目を見合わせて、くすりと笑いを漏らす。

「助かりました。お義母さん、こういう時はしつこくて」
「だったら呼び方を変えればいいじゃない。それよりほら、これ」
「え? いいんですか?」

 礼を言うスフレに、ショコラはつっけんどんにおたまを突き出した。汁が跳ねて、戸惑うスフレのエプロンにかかるほど。

「いいって言ってるじゃない。ほら。早く」
「えっ、うわっ」

 一向に受け取らないスフレに痺れを切らして、ショコラは強引に彼の手を取って握らせた。同い年の彼の手は自分と同じに見えていたのに、触ってみると意外に筋肉の硬さがあって、ショコラはこっそり驚きつつ。

「ほら、もう煮たってるわよ。早くしないと」
「あぁ、本当だ……」

 そこに沈んだ野菜が焦げ付かないよう、急いでおたまを鍋に突っ込みかき回すスフレ。ショコラは台所の下の棚を開けて、三人分のお椀を取り出すと、一つずつ渡して、受け取って、配膳した。
 最後の一つを受け取るときにショコラがぼそりと言う。

「ヌガーも、実は料理がうまいのよ」
「え? あ、そうなんですか?」

 急な話題転換に置き去りにされたスフレに、碗を机に運ぶショコラは背を向けた。

「ヌガーはもちろん好きになれないけど、そのね」

 ことり。自分の席に優しく碗を置く。程よく脂の浮いたシンプルなスープに反射する自分の顔に、しっかりしなさいと睨みをくれて。

「料理のできる人って、素敵だと思うわ」

 早口にだが言い切った。そして椅子をがたんと引いて、スカートの裾には気を配りつつ食卓につくと、早く来なさいよとスフレを呼ぶ。
 呆けていたスフレは、はっとしてショコラの隣の席についた。二人は、特に何も話さずパンをスープへ浸し始めるのだが、そわそわとした気配がずっと漂っている。
 気にはなっても、どう声をかけようかが自分の中で定まらないから声をかけず、しかしちらりと盗み見ると目があって、きっとこんな心のうちもバレているのだとは思うのだが、それでも外に出すのは恥ずかしい。

 二人の正面に座るビスキュイはもそもそとパンを頬張る。正面から向き合うのもバカらしいのか、椅子に斜めに座った彼女が一言。

「いったいいつから、アタシの店は二階もお菓子屋になっちまったのかねぇ」
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