ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜

浜能来

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チョコレィト編-修道服を着ているから、修道士なのではない

第四十一話 開戦

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 日は高く、空は青く。五大元素魔球に切り取られる空を行く、白々しい雲の群れ。人通りも、それと同じに流れ去る。
 街のぐるりを囲む外壁へ近づく程、住民の収入は小さくなり、当然街並みもみすぼらしくなるものだが、四方の門に通ずる大通りと、時針塔へと至るこの道は違う。なにせ、貴族が通る道なのだ。
 実際に、数刻前にヴァンホーテン卿がここを通っていて。彼と彼の身辺を囲む衛兵の行進に呼び寄せられた野次馬が、仕事盛りの昼下がりに、この何もない通りに人が集まっている理由だ。
 とはいえ、すでに余韻もなく、三々五々に散らばっていく。

「すごかったな」
「あぁ、すごかった」
「しかし、今日はやけに大勢だったな」
「本当だよ。俺は時針塔までついてこうかと思ったんだが、なんというか、殺気立っててな……」
「時針塔の外にも、衛兵がずらりといるらしい。なんだって、元素魔球の調整程度でそんなに厳重なんだか」

 誰も彼も、日常のちょっとした異常に興奮している。

「そんなの、わたしたちが行くからよ」

 だから、誰もショコラのちょっとした呟きにも気づかない。
 彼女は人の流れの中を堂々と歩いていく。エスプレッソのドレスのスカートを揺らし、ジェラートを従えて歩く。彼女のルビーの瞳が見据えるのは、行手にそびえている時針塔だ。
 石組の、風雨にさらされ黒ずんだ、時を示す塔。三時を示すその塔の壁面には、古代魔導文字で『三』と、遠方からでも見えるように大きく刻印されている。ちょうどその上に燃えるように輝く火の元素魔球が差し掛かり、その熱波が、時針塔を仄赤く彩っていた。

 まもなく、時針塔の頂上に火の元素魔球が差し掛かる。そしてその時、ヴァンホーテンがそこにいる。

「ショコラちゃん」
「えぇ」

 ジェラートに呼ばれて、ショコラは視線を戻した。
 すでに時針塔前の広場にたどり着いていて、ショコラは額の汗を拭った。いい加減火の元素魔球に近すぎて、二階建ての建物に縁取られた広場は、さながらオーブンのような様相だ。
 その奥、時針塔の前に人垣を作る、衛兵の列。その数、数十はくだらない。暑さを感じないのか、完全武装の彼らは、立てて持つ槍の穂先すら揺らさない。

「開けるところまでは、私が道を開きます。あとは、自分で何とかしてください」
「あら、最後まで道を開くとは言ってくれないの?」

 ショコラを追い抜き、ジェラートが前に出る。腰に下げていた仕込み剣を抜き、その分厚い刀身の重みを確かめるように、手の中で揺する。

「だってほら、仇を譲るわけですし? せめてそのくらいの意地悪はさせてもらわないと」
「なんだ、そういうこと。別に構わないわよ」

 ショコラの言葉を背中で受けつつ、ジェラートは段々と歩みを早めていく。その一歩一歩から熱風が吹き出す。
 衛兵の戦列が、一斉に槍の穂先をジェラートへ向ける。
 栗色のポニーテールが一際強く揺れ。

「わたし、あなたより強いもの」
「……どうだか!」

 ジェラートが石畳を蹴った。

 半瞬だけ宙に浮く体を、次の足が大地を踏む前に突風が運ぶ。急加速。十数歩の先にいたはずのジェラートが目の前に現れたことに、衛兵たちは反応すらできない。

 そのまま、振り抜かれる一太刀。

「ラファール!」

 拡大された風の刃が戦列を横凪にする。それでも、やっと十人。
 すぐさま残りの兵が、戦列の中央に現れた敵を包囲しようと展開する。

 だが、そう易々と包囲されるジェラートでもなかった。

燃え盛れピエスモンテ我が夢の化身よレオン・デ・フラーメ!」

 音なき咆哮が世界を焼く。
 ジェラートの身体から吹き上がった炎が雑兵を踏みつけに君臨する。獅子の威容。膨大な熱エネルギーの塊だ。
 踏みつけられた兵士はもちろん、その出現に足を止めた兵士たちの身体からも炎が上がる。布を重ねた鎧下が発火点に達し、着火したのだ。
 距離の離れていたショコラも、泥水の魔法で自分を守っていなければ燃え上がっていただろう。

「相変わらず、とんでもないわね」

 頬を伝う冷や汗すら蒸発。ショコラの火傷がかつての痛みをもって疼いた。
 目の前で、衛兵の戦列はすべて等しく焼き滅ぼされ、数十の命が悲鳴すらなく消えたのだ。
 しかし。いくらジェラートが強いとはいえ。

「ショコラちゃん、終わりましたよー」

 遠巻きに見ていたショコラには、不思議な違和感があった。
 獅子の足元で手招きをするジェラートに、素直に応じることができない。

 だからこそ、ショコラはジェラートより先に気づけたのだ。

「ジェラート、後ろ!」

 焼かれ、倒れたはずの衛兵が起き上がり、ジェラートの背後から槍を振りかざす!
 ショコラは咄嗟に泥水の魔法を展開し、援護しようとするが。ジェラートのピエスモンテの放つ熱気が、ショコラの魔法を妨害してしまう。

「何を慌ててるんですか、ショコラちゃん」

 舌打ちをするショコラの耳に声が届く。

「私だって、二度も同じ手を食らうほど馬鹿じゃないです」

 ショコラの視界の中、ジェラートの身体を槍の一突きが貫く。
 貫き、衛兵の身体すらジェラートの身体を貫き、もとい、すり抜ける。
 蜃気楼だ。蜃気楼の魔術的再現だ。
 主人を穢そうとされ、怒りに吠える獅子が、その衛兵に食らいついた。赤を超え白熱する火炎の牙が、その肉体をガラス様にして溶かしていく。

「さて、森の時とは違いますよ。クリオロさん。あなたの魔法なんて、私の信じた魔法の前には無力だって、証明してあげます」

 その獅子の陰から現れたジェラートの言葉でショコラは気づく。
 ジェラートの周囲で亡者のごとく立ち上がる衛兵のすべてが、同じ顔をしていることに。
 あれは、あの男は。わたしの前で、スフレを傷つけた男だ。

「ジェラート!」
「なんですか、ショコラちゃん」
「わたしも戦うわ。こいつには、わたしも借りがあるもの」

 ショコラは、ジェラートの側に駆け寄って言う。
 本来は、ヌガーが対処するはずだった相手だが、間に合わなかったのならばしょうがない。イレギュラーは可能な限り速やかに処理すべきだと考えるショコラ。
 けれど、彼女に対してジェラートが突き付けたのは、仕込み剣の切っ先だ。

「ふざけないでください」
「え?」

 ショコラはジェラートのピエスモンテの熱気に目を細めながら、ジェラートの表情を伺う。
 背後に背負った獅子がまぶしすぎて、結局表情はショコラにはわからなかったが。何か声が震えていることだけはわかる。

「ふざけないでください。ショコラちゃんは、私の分まで背負って、ヴァンホーテンと戦うんでしょう。そんなあなたに余力があるんですか?」
「そんなの、わからないけど。実際に予定と違うことが起きちゃったなら、しょうがないじゃない!」
「しょうがなくなんてありません」

 二人が話している間にも衛兵は、クリオロの土人形たちは隊列を整えて、包囲を狭めてきていた。
 ジェラートが無造作に仕込み剣を振ると、炎の獅子の胴から無数の、これまた炎の蜂が飛び出す。それらは寸分たがわず土人形の足に突撃を仕掛け、足の甲を溶かし穿ち、地面と溶接してしまう。

「御覧のとおりです。クリオロさんは、私一人でも相手できます」。
 土人形たちが自分の足がどうなっているかも理解できず、つんのめって倒れるさまを背景に、ジェラートはまくしたてる。

「だから、ショコラさんは先に進むべきです。クリオロはヴァンホーテンの懐刀。彼を使う時点で、ヴァンホーテンは彼以上の使い手を用意していないでしょう。あなたの消耗は、ここで戦うより、中の雑兵を片付ける方がはるかに小さい」
「……」
「さぁ、ショコラちゃん。どうするんですか。教えてください。この状況で、あなたがどうするのか」

 ショコラの耳には、炎の獅子の唸りが聞こえていた。
 この問いは、自分の不用意をとがめるものだと。この問いは、自分の覚悟を再度確かめるものだと。
 ショコラの父の魔法の模造品が、ショコラを試すように見下ろしている。

 かつて自分に負けたものが、代わって復讐を果たすというおかしさを。
 その理不尽を飲み込んで、業腹ながらも封じ込めて。この獅子の灼熱はジェラートの腹の底を表すのかもしれないし、それはショコラの気負い過ぎなのかもわからない。

 それでも、ショコラはその業火を背負って戦うべきだから。
 ショコラは自分の火傷に包まれた右手を見る。その傷をつけた、自分の怨敵を前にして。その手は震えていなかった。握りこむ。

 ショコラはジェラートに背を向けた。

「そうね、ごめんなさい。先に行くわ」
「えぇ、どうぞ。むしろそう言わなければ、あなたをあの人と戦わせてあげるつもりはありませんでしたよ」

 冗談のようで、おそらく冗談ではない言葉にどう返そうか。少し迷ってから。

「そ。ありがと」

 大した言葉もいらないかと思い直して、ショコラは歩き始めた。
 時針塔の門へ向かえば当然、溶接された足の再構成を終えたクリオロが立ちはだかり、最初に体を両断されたクリオロたちはその体で門自体を塞ごうとしている。けれども、それらは障害足りえない。
 なぜなら、後ろにジェラートがいるからだ。

「レオン・デ・フラーメ」

 彼女の声を聞きながら、ショコラはただ歩みを進め。

「撃て《フゥ》」

 背後から飛んできた光が、目の前の門をクリオロごと吹き飛ばしてしまった。
 元素魔球に最も近づくからと、最も耐魔性に優れた石材で作られたはずの、時針塔。その外壁ごと蒸発させる埒外の一撃。丸くくりぬかれた入り口から塔に入り、ショコラは振り返る。役目を終えた獅子が、その体を霧散させていくところだった。

「ほんと、敵わないわね」

 自分の魔法では防げなかったかもしれない一撃。
 自分との戦いでは使われなかった一撃。
 ショコラはその一撃に背中を押されるようにして、走り出した。

 ◇◆◇

 ショコラは時針塔の外壁に沿った螺旋階段を駆け上る。
 時針塔は天高くを周遊する、元素魔球を調整するための足場であるからして、それこそ大の大人が百人縦に並んだくらいの高さがあり。十階までは階段を上り、そこからは垂直な石柱の中を、魔法を使って登るのだという。
 十階しかないと考えるか、十階もあると考えるか。ほとんどの建物が二階建てに収まるよう設定されているフランツでは、十階もあると考える方が正しく、だからこそショコラはあっけなさを感じている。

 それだけの空間があるというのに、今のところ、人の一人も見ていない。
 もちろん、普段は当直の兵がいるのだろう当直室や、その寝室、簡易な厨房を見かけたりはしたし、人の気配も残っていたのだが、肝心の人はいない。ヴァンホーテンが意図的に人払いをしているか、あるいは襲撃を察知されて、警備の兵まで全員連れて逃げられてしまったか。どちらも馬鹿らしくて信じられない。
 そして、わからないからこそ、ショコラはより焦ってしまう。

 六階、七階、八階と進むころには息が切れ、九階で息を整え、十階にたどり着く。
 中央に巨大な石柱が立つだけのだだっ広い空間。上を見上げると、はるか先に小さく天井が見え、外壁を支えるための支柱がいくつも中央の石柱に接続されている。まるで、石の大木を下から見上げているような感覚をショコラは覚える。

 この上に、ヴァンホーテンがいる。

 ショコラの脳裏に、今までの復讐の道のりが浮かぶ。
 どれも、人を傷つけた記憶だ。

 手掛かりを探すためと、違法貴族を始末した。
 その資金繰りにと、指名手配された山賊や盗賊を殺した。
 そして、他ならぬわたし自身を傷つけ、スフレを傷つけ、母も、ビスキュイもジェラートも巻き込んで、今わたしはここにいる。
 なら、身勝手なわたしはせめて、正しく復讐を果たさねばいけない。

 中央の石柱に開いた、木のうろのような穴にショコラは入る。足元は、真ん中に小さな穴の開いた石の円盤になっていて。入り口を土の元素魔法で閉じてから、足音の円盤の穴に手を当て、水の元素魔法を用いることで、水圧で自分を上に持ち上げるのだ。
 ヌガーに聞いた通りの手順を再現し、ショコラは水の元素魔法を解き放つ。ずぅっと動き出した体はやがて加速度を得て、体が地面へ押し付けられる感覚。同時、壁が閉ざされ光のなかった空間が、だんだんと光を取り戻していく。その光は、火の元素魔球の赤色をしている。
 塔の頂上が近づいてきたのだ。

 ショコラは少しずつ水の魔力の放出を弱め、そして、ついに頂上にたどり着いた。
 足元の円盤についていた手を放し、立ち上がり、一歩前に出て時針塔の頂上を踏む。日の元素魔球があまりに近く、空はほとんど見えない、赤色の世界だった。垂れてくる汗をぐいとぬぐって、ショコラは目の前の男の名を呼ぶ。
 貴族服の上着を脱ぎ棄て、シャツの袖もまくり上げ、それでも優雅さを失わない金髪の男。元素魔球を見上げるでもなく、ショコラを待ち構えていた、ショコラの探し求めた父の仇。

「ヴァンホーテン」
「あぁ、待っていましたよ。お嬢さん《マドモアゼル》」
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