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第五章 刀工と騎士の戦争

騎士の務め

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 ルーキュルク工房の自室でギレイは自分の手を、ちらりと見た。
 数日前に感じていたミシュアの手の感触が一瞬、甦る。
 彼女の硬くなった細長い指、手の内。剣を振ることで、長い時間をかけて鍛え上げられたものだった。手に残る感触が、そう訴えてくる。
 自分の手も、きっと似ていた。
 玄翁を振るい、鉄を打ち続けた手の平はやっぱり硬くなっている。
「……だっていうのに、」
 ため息をこぼして、天井を見上げる。どうしても、長い間、鉄を打っていた己の手が動いてくれない。鉄床に並べた、玄翁、火ばさみから、今や目までも逸らしてしまっている。
「僕は、何で動けない……?」
 再びのため息。自分で言ったことの答えは既に、自分の中にあった。

 数日前の、記憶。
 彼女に連れ出され、歩いた街並み。ハサンの銅像に二人で笑って、名も知れない人々に囲まれそうになって、彼女が白銀の指輪を見つめていて、それが別の誰かに買われてしまって。
「……ははっ」
 あの時のミシュアは、彼女には悪いけど、面白かった。笑ってしまったというだけではなく、騎士らしくない、彼女の姿を目の当たりに出来て嬉しかった。ああいう時間をもっと、今もなお求めてしまうほどに。
 あの日の全てがそれほどまでに、色褪せない思い出になっている。
(……ああ、でも、ちょっと……)
 大切な思い出の、その終わり。彼女の声を思い出す。
【多くの敵を斬り裂く、みんなを守るための剣をお願い】
【うん、分かってる】
 自分の声と、心のうちでの声をも思い出す。
(ミシュアさんの求める剣は分かってる……でも、本当は分かりたくないんだ)
 多くの敵を斬ることで、その背後に続いてくれる仲間を守る。いや、もっと後ろ……騎士ではない、この都市の人々さえも守るつもりなのだ、彼女は。そんな、誰よりも魔族と戦うという彼女の決意は、彼女自身の身を誰よりも危険にさらすということだった。
(ミシュア……さん)
 彼女の手を、思い出す。戦うのために、鍛え上げた彼女の手。
(ミシュアさん……ごめん)
 思い出すのは、彼女が見ていた白銀の指輪。
 思ってしまうのは、
(僕が今、作りたいのは)
 彼女の細長い、鍛え上げられたからこそ美しい指を飾る指輪だった。
 どうしても、思ってしまう……そもそも彼女が似合うのは剣なんかじゃないんだとさえ――彼女がそれを望んでいないと知っているくせに。
「……だめだ、全然、集中できない」
 ため息をつく、もう何度目か分からない。
(もう……だめだ僕……ため息製造機みたいになってる)
 訳の分からないことを思う。何もしていないのに、妙に疲れる。身体も頭も、多分、心も重い。その場に崩れ落ちてしまおうか、そう思い始めて。

 コンコン、と扉が叩かれる。

(ミ……)
 扉の向こうに居る、彼女を想像して嬉しく思ってしまう自分と、
(今の僕を……見られたくない)
 などと想像さえしていなかったことを、思った。
 結果、引き続き、何も出来ずに身を固くしていると。

「すまん、失礼する」
 重く低い声と共に、一人の軍服姿の男が入ってきた。彼女ではなかった落胆を感じつつも、そんな感情がかき消されるほど、意外な人物だった。
「アベル……さん?」
 扉を開けて入ってきたのは、武芸大会でミシュアを殺そうとした騎士団長だった。意外なことはまだあって、彼の頭が綺麗な丸坊主になっていた。
 思わず見入ってしまっていると、アベルが苦笑混じりに言った。
「……ああ、コレか? カツラを使うのが嫌になってな、剃ったんだ」
「……あ、何か、すいません」
 言って、アベルが騎士団を束ねる地位のある者だと思い出して、言い直す。
「……いえ、申し訳ない、アベル騎士団長、か、かっ……閣下?」
「いや、やめてくれ……そういうのは。もう偉ぶるのは懲りた。言葉も普通で良いさ」
「え、……あ、そうですか」
「話したいことがあってな……座って良いか?」
「ええ……もちろん、椅子はそこに」
 アベルは火炉の傍にあった椅子を持ち、ギレイと向かい合って座った。
「まず、詫びさせてくれ――すまなかったな、ギレイ」
 目を伏せ、アベルがぽつりと言った。
「え? なんで?」
「オレが武芸大会でやらかしたコトで、アンタも巻き込まれたろ? 聞いてるよ。刀工の位を取られて鍛冶道具まで、取られちまったんだろ? オレが元凶だ――すまなかった」
「あ、いや、それは取り戻しましたし……むしろミシュアさん……」
「もちろん、詫びに行ったさ」
「なら、僕は……それで充分、」
 言いかけてたギレイを遮るように、アベルが話を進めた。
「言葉だけじゃ足りないと思ってな」
 けれど、ギレイは不快な気持ちを抱かなかった。アベルの雰囲気がそうさせてくれるのかもしれなかった。と、そのアベルが腰につけていた革袋を差し出してきた。
「賠償金だ……コレで許してくれ」
「な、受け取れないよ」
「何故だ?」
「や、お金には……あぁ、困ってたんだ、僕っ! ハサンに借りたヤツそのままだっ!」
「あーはははっ、アンタ、面白いな……ちょうどいいじゃないか、受け取ってくれ」
「ん、んーでも」
「なんだ?」
「僕が欲しいのは、」
「おう、そういうコトか。領地か? 家畜か? 女か? とりあえず、言ってみてくれ。俺の権限で出来ることはするぜ?」
「あ、いえ……理由を」
「あ?」
「ミシュアさんを殺そうとした理由を、聞かせて下さい」
 言うと、アベルは顔を歪め、革袋を膝に置き、腕を組んだ。
「アンタ、意外にガメついな……俺が一番やりたくねぇもんを欲しがりやがるか」
「あ、いや……その」
「いや、すまん……話す。ただな、」眉間に皺を寄せ、アベルは言った。「俺にも上手く説明出来ないかもしれん。アンタが納得出来るか分からんぜ?」
「それでも、いいです」
「ついでにいや、長いぜ?」
 それでも、とギレイが頷くと、アベルが口を開いた。

「オレは貴族連中の中では腕の立つ方でな、それを誇りにもしてたんだ。良い騎士団長になれるって信じてた。そこそこ努力もしてたし、貴族の生まれで、評議会の受けが良かったしな」
「腕は立つ……でしょうね、アベルさん。おそらく生まれつきの体格……骨格が良いんです、特に肩回り」
「……というと?」
「常人じゃ振れない重量……ランス、トゥーハンドソード、バトルアックスを扱えるはず」
「ほぅ~アンタ、本当に面白いな、そういうの分かるのか」
 言って、アベルは苦笑しながら続けた。
「アンタの言う通りさ、オレは重い戦斧を振り回して、まぁ、粋がってたんだ。で、四年前の武芸大会でミシュアに負かされた――オレが負かしてた連中の前でな。で、そいつらから、ひでぇ侮辱を受けまくった」
 舌打ちをするアベルは、今でも当時のことを苦々しく思っているようだった。
「……全部、ミシュアの所為だ、倒さねぇと、ってなっちまった。完全な逆恨みだが……分かっていながら、それでも、逆恨みをやめられなかった……何でだろうな? アンタ、分かるか?」
「え? ん~ん?」
「あははっ、すまんな。変なコトを聞いた。アンタには、自分のためにしかならないような、つまらねぇ誇りがないんだろうさ……オレと違ってな」
「や、そんな……ええ? っていうか、最初からずっと思ってましたけど、アベルさん、人格変わりすぎでしょう!?」
「逆だ、逆。元々のオレはこんなンさ、牢獄に繋がれてる間に元の自分に戻ったのさ……そしたら何故か、団長に返り咲いた。揉めてたはずの副長が推してくれてな」
 もの凄い豪快に笑ってから、アベルは呟くように言った。
「……もしかしたら、貴族の肩書きとか評議会の位とか、そういうのに振り回されてたンかもしれねぇーな……つーか、今までの昔話で納得いったか?」
「え、まぁ……なんとなくは分かりました、ミシュアさんを狙った理由」
「そうか……なんとなく、か。じゃ、足りねぇーな、詫びにはよぉ~」
 偉く不機嫌に舌を打ち、アベルは何故か、工房内を見渡して。

「なぁ、話は変わるが……アレ、見せてくれるか?」
 唐突に、アベルは工房の壁にかけられた短剣を指さした。その短剣はギレイが習作であった。不出来ではないが、騎士に見せるほどのものでもない……しかも。
「アベルさんには合わない……とは思いますよ? 軽すぎますって」
「いや、だからこそ、さ。予備の予備には丁度良さそうだ」
「あっ、そうか。さすが、騎士ですね。あの軽さなら、持っていても邪魔にならない……かな?」
「だろ? 貰っていくぜ」
 言って、アベルは立ち上がり、短剣を手に取って、何故か、扉の方へと歩いていった。話はこれで終わりなのかと惑うギレイに、背中を向けたまま。

「じゃぁな、アンタは平和に暮らせよ」

 捨て台詞のように言って、アベルは出て行った。
「……、」
 一方的にやって来て、一方的に去っていったアベルに唖然としつつも、ギレイは見つけた。やはり一方的に椅子に置かれた金貨の革袋を。きっと、短剣の代金……を装った賠償金だった。
 ……出て行ったアベルの背中は、武芸大会での印象とは異なっていた。

 戦えない人々を守る、騎士のそれだった。

「――、」
 閉ざされた扉を、ギレイは見ていた。
 何故か、ミシュアともこうして別れるのだと、心のどこかで思っていた。



 アベルはこの後に自らの騎士団を率い、魔族領へと赴いた。
 降雪に紛れ、他の騎士団へ先んじて陣地を確保するための先遣隊として、極秘裏に。

 けれど――アベル騎士団はそのまま消息を絶った。
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