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第三章 ブロンテとルノワール

第二十二話

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「ところでさ、南」

 物思いに耽っていた俺に、木渕が遠慮がちに声をかけた。顔を赤らめて、ストローの抜け殻を指でいじっていたので、ほんの少しだけ気持ち悪いなこいつと思った。

「ん? なに」
「お前、本当に花崎さんのこと何とも思ってねえの?」

 木渕は、次はストローでドリンクを無駄にかき混ぜ始めた。入れすぎた氷のせいでストローが回りにくそうだ。
 チラチラと俺を見てはドリンクに視線を逸らす木渕。挙動不審な木渕をしばらく真顔で観察する俺。

「良い子だとは思うよ」
「……それだけか?」
「うーん。確かにお前らが言ってるように、花崎さんは可愛いと思う。性格も良いし」
「それで?」

 こいつが何を聞きたいのかなんて、始めから分かっている。

「それでって?」

 だが俺は無性に意地悪をしたくなって、察しの悪いラノベの主人公を演じた。

「……」

 黙り込み、もぞもぞもと体を揺らす木渕。聞きたいけれど、聞くのが怖い。そう思っているのが丸分かりだ。
 目の前にいるメガネは、深呼吸してから早口で尋ねる。

「花崎さんのこと好きなの?」
「好きだよ」
「っ……」

 こいつがうなだれるところを初めて見た。両手で顔を覆った木渕が、「終わった……」と漏らしたのが微かに耳に届く。
 ここまで絶望の淵に追い込んでしまうとは思っていなかった。さすがにからかいすぎたようなので、そろそろ安心させてやろう。

「友だちとして、な」
「……」
「恋愛感情はないよ」
「……」

 指と指の隙間から、木渕の恨めしげな瞳が覗いた。顔がニヤけるのを隠しきれていない俺を見て、歯が欠けそうなほど歯ぎしりをしている。

「お前なぁー!」
「だはは!! 悪い!」
「あぁぁぁー……。びっくりしたぁー……」

 花崎さんは良い人だと思う。彼女との会話は楽しいし、何事にも一生懸命に取り組む姿勢に憧れすら抱いている。
 だが、俺は花崎さんにそれ以上の感情を抱いていなかった。抱けないと言った方が正しいかもしれない。時折感じる彼女の好意にも、あまりに人を避けて生きてきすぎた俺は、どう応えていいのか分からなかった。

 だから、聞いてみたくなった。

「なあ木渕。お前、本気で花崎さんのことを好きっぽいな?」
「……おう」
「なんでそんな好きなんだ? お前、花崎さんとそんなに喋ったことないだろ?」
「……」

 木渕が顔から手を離す。彼の顔は、今にも湯気が立ちそうなほど真っ赤だった。

「ひ、一目惚れだよ」
「一目惚れぇ?」
「俺はな、ここに入学してすぐ花崎さんに一目惚れしたんだ。ああ、そうだよ。俺、花崎さんとあんまり喋ったことねえよ。ガッツリ喋ったのなんて、中間考査で一緒に勉強した時くらいだ。でも、好きになっちまったんだからしょうがないだろ……」
「つまり、顔が好みだったと?」

 俺の質問に、木渕は何度か頷いた。

「花崎さん、可愛いだろ」
「ああ、まあ」
「すっげー優しそうでさ。ちょくちょくプリント配るときにチラ見するんだけど、取り繕ってない顔でも可愛いんだよ。考え事してる時なんかちょっとエロイ。清楚系エロ」
「お前がプリント配りながら、花崎さんでエロいこと考えてるのは分かった」
「あと、黒髪ロング。しかもサラサラ。やばい」
「お前が黒髪ロングが性癖なのは分かった」
「あとスタイル。細すぎず、程よい肉付き」

 それにだけは、同意できなかった。
 一般的には、花崎さんが程よい肉付きと言われるのか。俺にとってはマッチ棒のように細く感じる。もちろんそれが悪いわけではない。ただ、自分と一般的な人との感じ方の違いを目の当たりにして、衝撃を受けただけだ。

 固まった俺を誤解して、木渕が顔をしかめる。

「お前、まさか花崎さんのことを太いと思ってたか? そりゃ、葵ちゃんとかあそこらへんの女子に比べたらふっくらしてるけど、花崎さんは決して太いわけじゃない。あれはしっかり筋トレして作り上げたスタイルだ。今どきはあのくらいが良いとされているんだよ」
「あ、ああ。そうだな」

 動揺して上手に返答ができなかった。
 花崎さんが太い? とんでもない。ありえない。

「とにかく! 俺、花崎さんのことあまり知らないけど。好きなんだから、しょうがないだろ」

 もっと花崎さんのことを知りたいな、という木渕の呟きは、呆然としている俺の耳に届き、何も吸収しないまま抜けていった。

 俺が花崎さんに気がないことを知った木渕は、それからは上機嫌で喋っていた。内容はほとんど覚えていないが、木渕が楽しそうだったので何よりだ。

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