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変化していく日常
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次に翠が教室へ足を踏み入れた時、確かに一瞬空気が変わるのを感じた。翠の姿を捕えるなりこそこそ話を始める者、露骨ににやにやと笑いだす者。主に男子生徒がそういった行動を取っていたが翠はそもそも男子生徒とほとんど交流がない。
翠に心当たりはない。いじめや無視というのは必ずきっかけがあり始まり徐々にゆっくりと広がっていくものだ。途端に始まりはしない。しかし翠に心当たりはない。もし何かがあったとすれば、昨日学校へ登校した紅の仕業だろう。そして紅が何をしたのか、翠は心当たりがあった。
「おはよう、翠」
そんな空気をものともせずに葉月が翠の席へと足を運びいつものように挨拶をした。その瞬間に翠の緊張はゆるみいつものように葉月へ挨拶を返した。
友人がいつものように接してくれた事で翠の疑心暗鬼は和らいだ。
「おはよう」
しかし翠の視界の外では淀んだ空気が未だ停滞しているように思う。こうして話しかけてくれる葉月はそんな空気をものともしていない。そして女子生徒の多くも翠のことなど何も気にかけていないようだった。
「葉月、ちょっとトイレ行くの付き合ってくれない?」
トイレに行きたいわけでは無かった。この現象が、教室で何が起きているのかを知りたかった。
「いいよ、行こっか」
気持ち的にやや駆け足で教室を出て一つ下の階にあるトイレへ向かう。階段の踊り場へ降りた所で翠は話を切り出した。
「ごめんね、本当はトイレに行きたいんじゃなくて……」
「ん?」
「ぼく、昨日ちょっと変な事言っちゃったかなぁと……一組の男子に」
原因はそれだろうと翠は予想していた。紅が思わず言い返してしまったあの件。柚希の友人であるならば野次を飛ばしていた男子生徒クラスの中心核のグループ。そういったグループが一言「三組の浦上って奴にこう言われた」と面白がって吹聴して回ればあっという間に噂は広まるだろう。
「そう? 翠は悪い事してないしからかってきた一組の男子が悪いんじゃない?」
葉月の意見はさっぱりとした、それでいて最もな意見だった。
「ていうか自分たちが失礼なことしたのにそれに反論されたからって集団で面白がって恥ずかしいのを隠すのがいかにもお子様だよね」
相手に非がある。翠はそんな風に考えた事もなかった。
人間関係は余計なことをせず何を言われても黙って受け入れることで乗り越えてきた。全ては自分に原因があるからだと、そう思い込んできたのだ。
あの男子たちは柚希と女子、この場合は翠だが柚希と翠が、男女で話していることに敏感になりすぎていた。それは思春期ゆえだが、ただ野次を投げかけて満足するつもりが翠に反論され、恥を指摘される。そうして指摘された恥を誤魔化す為に内輪で面白おかしく吹聴してまわる。
翠には、紅には全く非が無かった。翠はたった今葉月にそれを指摘されるまでその視点に気が付けなかったのだ。
「そっか、その考えはなかった……葉月すごいね」
「あはは、うち歳の離れた兄ちゃんが三人いるからそういうの慣れてるんだ」
紅に謝らなくてはと思った。紅を責めてしまった。紅は正しいことをした。黙ってやり過ごさずに立ち向かった。それは正しい行動だった。
「今はみんなざわついてるけど来週にでもなればきっとみんな忘れてるよ」
「そっか、そうだよね。ありがとう」
翠は、紅は間違っていない。だからこうして葉月も変わらずに接してくれるのだと翠は葉月に感謝すると共にこれまでの何の行動も起こしてこなかった自分を変えていこうと密かに決意した。ただ受け身に毎日が過ぎ去るのを待つのではなく行動を起こそうと。自分の為に紅の為に何ができるかを考えなくてはと。それは決意表明に等しかった。
帰宅後。葛といつものように会話を交わし、葛を見送った後で翠はさっそくクローゼットの扉を開いた。
「おかえり翠」
「ただいま。紅、昨日はごめん。ぼくが間違ってた」
「……どうしたの? 急に」
「葉月に言われて気づいたんだ。紅が男子たちに反論したのは正しいことだったって。間違いを間違いってきちんと指摘した紅が正しかった。だから、ごめん」
「そんな、いいのに」
紅はそんなことを翠から言われると思っていなかったのか狼狽える様子を見せた。そして翠は自分が決意した事をさらに続けた。
「紅と出会ってから、ぼくはただ紅が僕のフリをして外に出る事が出来ればそれでいいって思ってた。ずっとそうやっていくんだと思ったんだ。でも昨日も言ったように紅だってひとりの人間だから、ぼくたちが、本当の意味で共存できる道を探そうって、そう思った」
ただ流されるがまま、今までのように紅が翠のフリをするだけの生活を、翠はずっと続けていくものだと無意識下で思っていた。それは現時点での紅との約束でもある。翠ができる精一杯。最低、週に一度の入れ替わりと毎日の会話。しかしそうではなかった。
紅が紅として生きる道を探す手伝いをすべきであると、そう思ったのだ。
「紅がひとりの人間として生きる道を探そうよ」
「翠……」
希望、戸惑い、嬉々とした瞳。勝手に吊り上がる口角と爛々と光を孕む瞳を『紅は』抑えられていない。
「ありがとう、とても嬉しい」
「うん。一緒にがんばろう」
翠は紅が純粋に喜んでいるものだと、純真無垢にも微笑み返した。
翠の中ではこれからやらなくてはならない事が山積みだった。希望に満ち溢れていた。大切な存在の紅がこれから生きていく為の手助けをする。否、手助けどころか自らが先導する。紅の為に自分が行動を起こすのだ。
それは翠にとっての革命だった。
そしてある意味では、紅にとっても。
翠に心当たりはない。いじめや無視というのは必ずきっかけがあり始まり徐々にゆっくりと広がっていくものだ。途端に始まりはしない。しかし翠に心当たりはない。もし何かがあったとすれば、昨日学校へ登校した紅の仕業だろう。そして紅が何をしたのか、翠は心当たりがあった。
「おはよう、翠」
そんな空気をものともせずに葉月が翠の席へと足を運びいつものように挨拶をした。その瞬間に翠の緊張はゆるみいつものように葉月へ挨拶を返した。
友人がいつものように接してくれた事で翠の疑心暗鬼は和らいだ。
「おはよう」
しかし翠の視界の外では淀んだ空気が未だ停滞しているように思う。こうして話しかけてくれる葉月はそんな空気をものともしていない。そして女子生徒の多くも翠のことなど何も気にかけていないようだった。
「葉月、ちょっとトイレ行くの付き合ってくれない?」
トイレに行きたいわけでは無かった。この現象が、教室で何が起きているのかを知りたかった。
「いいよ、行こっか」
気持ち的にやや駆け足で教室を出て一つ下の階にあるトイレへ向かう。階段の踊り場へ降りた所で翠は話を切り出した。
「ごめんね、本当はトイレに行きたいんじゃなくて……」
「ん?」
「ぼく、昨日ちょっと変な事言っちゃったかなぁと……一組の男子に」
原因はそれだろうと翠は予想していた。紅が思わず言い返してしまったあの件。柚希の友人であるならば野次を飛ばしていた男子生徒クラスの中心核のグループ。そういったグループが一言「三組の浦上って奴にこう言われた」と面白がって吹聴して回ればあっという間に噂は広まるだろう。
「そう? 翠は悪い事してないしからかってきた一組の男子が悪いんじゃない?」
葉月の意見はさっぱりとした、それでいて最もな意見だった。
「ていうか自分たちが失礼なことしたのにそれに反論されたからって集団で面白がって恥ずかしいのを隠すのがいかにもお子様だよね」
相手に非がある。翠はそんな風に考えた事もなかった。
人間関係は余計なことをせず何を言われても黙って受け入れることで乗り越えてきた。全ては自分に原因があるからだと、そう思い込んできたのだ。
あの男子たちは柚希と女子、この場合は翠だが柚希と翠が、男女で話していることに敏感になりすぎていた。それは思春期ゆえだが、ただ野次を投げかけて満足するつもりが翠に反論され、恥を指摘される。そうして指摘された恥を誤魔化す為に内輪で面白おかしく吹聴してまわる。
翠には、紅には全く非が無かった。翠はたった今葉月にそれを指摘されるまでその視点に気が付けなかったのだ。
「そっか、その考えはなかった……葉月すごいね」
「あはは、うち歳の離れた兄ちゃんが三人いるからそういうの慣れてるんだ」
紅に謝らなくてはと思った。紅を責めてしまった。紅は正しいことをした。黙ってやり過ごさずに立ち向かった。それは正しい行動だった。
「今はみんなざわついてるけど来週にでもなればきっとみんな忘れてるよ」
「そっか、そうだよね。ありがとう」
翠は、紅は間違っていない。だからこうして葉月も変わらずに接してくれるのだと翠は葉月に感謝すると共にこれまでの何の行動も起こしてこなかった自分を変えていこうと密かに決意した。ただ受け身に毎日が過ぎ去るのを待つのではなく行動を起こそうと。自分の為に紅の為に何ができるかを考えなくてはと。それは決意表明に等しかった。
帰宅後。葛といつものように会話を交わし、葛を見送った後で翠はさっそくクローゼットの扉を開いた。
「おかえり翠」
「ただいま。紅、昨日はごめん。ぼくが間違ってた」
「……どうしたの? 急に」
「葉月に言われて気づいたんだ。紅が男子たちに反論したのは正しいことだったって。間違いを間違いってきちんと指摘した紅が正しかった。だから、ごめん」
「そんな、いいのに」
紅はそんなことを翠から言われると思っていなかったのか狼狽える様子を見せた。そして翠は自分が決意した事をさらに続けた。
「紅と出会ってから、ぼくはただ紅が僕のフリをして外に出る事が出来ればそれでいいって思ってた。ずっとそうやっていくんだと思ったんだ。でも昨日も言ったように紅だってひとりの人間だから、ぼくたちが、本当の意味で共存できる道を探そうって、そう思った」
ただ流されるがまま、今までのように紅が翠のフリをするだけの生活を、翠はずっと続けていくものだと無意識下で思っていた。それは現時点での紅との約束でもある。翠ができる精一杯。最低、週に一度の入れ替わりと毎日の会話。しかしそうではなかった。
紅が紅として生きる道を探す手伝いをすべきであると、そう思ったのだ。
「紅がひとりの人間として生きる道を探そうよ」
「翠……」
希望、戸惑い、嬉々とした瞳。勝手に吊り上がる口角と爛々と光を孕む瞳を『紅は』抑えられていない。
「ありがとう、とても嬉しい」
「うん。一緒にがんばろう」
翠は紅が純粋に喜んでいるものだと、純真無垢にも微笑み返した。
翠の中ではこれからやらなくてはならない事が山積みだった。希望に満ち溢れていた。大切な存在の紅がこれから生きていく為の手助けをする。否、手助けどころか自らが先導する。紅の為に自分が行動を起こすのだ。
それは翠にとっての革命だった。
そしてある意味では、紅にとっても。
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