パパには言わない

田中潮太

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ふたりでひとつ

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 甘い香り。ママのお気に入りのきれいな香水瓶。手を伸ばしたら危ないからダメと取り上げられてしまう。でもその香水瓶はきらきらしていてぴんく色でいい匂いがして大好きだった。

 うたた寝から目を覚ました。甘い香りが鼻孔をくすぐる。けれどそこにママはいない。ママはもうとうの昔に亡くなっている。

「に、紅!」

 自分で名付けた名前を呼ぶ声がした。本当の名前ではない、仮初の名前。そしてその名前を呼ぶのはひとりしかいない。

「翠?」

 本当はそう呼びたくなかった。翠というのは本来紅の名前だ。ただこの場で他に呼び名がない為に仕方がなくそう呼んでいる。

「そう、ぼくだよ、ねぇ、良かった……もう会えないかと思った」

 翠が何を言っているのかあまり理解できなかった。紅は自らの体も人生も取り戻したつもりだった。翠は内側に存在しているだけ。あぁ、内側で自我を持ったのだろうか?
 未だ紅の頭はぼんやりとし続けている。眠っていたのだろうか? それも、かなりの時間。

「どうしたの?」

 視界も朧気で、普段ならくっきりと見える自分によく似た翠の姿がよく見えない。

「ぼく、大変な事を知ったんだ。ぼくたちの真実」
「真実?」
「そう。あのね」
「ちょっと待って」

 翠が早口でまくし立てるのを紅は遮った。段々と意識が浮上する。

「わたし、眠ってた?」
「う、うん……半月ぐらいだけど……でもその前は一か月間ずっと紅が外へ出てた」

 想定外の事だった。
 何もかもを取り戻したと謳いながら紅は半月も眠っていた。頭が冴えてきて自分が何を考えていたのかを思い出す。
 翠の事など、もう忘れた存在だった。自分として生きていく道をずっと考えていたのだから。

「そ、それでね。ぼくママの日記を読んで思い出したんだ」
「思い出した?」

 ママの日記というのも紅は気になったが今の話の論点はそこではないと先を促す。

「ぼく、ずっと自分が主人格で紅と一緒に生きる方法を探してた。でも違ったんだ。紅が主人格だったんだよ!」

世紀の大発見をしたと言わんばかりの翠の気迫に紅は眉間に皺を寄せた。そんな事は紅がいちばんよく知っている事だ。その事を知らない翠を陰で嗤い利用していた。
 今更翠が真実に気が付いても、紅は驚かなかった。遅かれ早かれ翠もこの真実を知る事になると思っていた。

「うん……そう、なの」

 驚いた演技もできなかった。今の紅はそれよりも自身が半月も眠っていた事がショックだった。

「そうなんだよ! だから紅は絶対消えることは無いし、もう大丈夫なんだよ!」

 翠の言っている意味がわからない。何をそんなにはしゃいでいるのかと揺らぐ視界の中で紅は考える。しかし頭の中はもやがかかったようにすっきりしない。

「えぇと、翠」
「うん?」
「あなたが消えることがあるのよ? わかってる?」

 翠は興奮気味に紅へ訴えかけてくるが姿が見えない故にどういった状態なのかわからない。嬉しさから興奮しているのか、それとも恐怖から興奮せざるを得ないのか。

「うん、そう、そうだよ」
「怖くないの?」
「少しだけ。でもぼくは紅を守るために生まれたんでしょ?」
「そう、だとは思うけれど……ねぇ、わたしはずっとそれを隠していたのよ」

 もう翠思いで優しい友達でお姉さんな紅を演じる必要はなかった。
 翠の姿が見えない。意思疎通が取れなくなっているのはどういうことか、紅はぼんやりと理解し始める。現に内側から意識を逸らせばそこは見た事のない部屋。ママの香水の香りがする。憧れの香水瓶もすぐそこに飾られていた。

「うん……ぼくを悲しませないようにでしょ?」

 そんなつもりは無かった。紅はただ翠を下に見て、全てを知っていながら自分の為に翠を操っていたに過ぎない。けれどこの期に及んでも翠は紅を信じていた。
 真実を知ったと言うのに恨みのひとつも持たずにただ真っすぐ紅を信じている。
 翠のその姿勢に紅はどうして良いのか初めてわからなかった。

「翠……」

 ここで現実を突きつけるのは簡単だろう。紅はずっと悪意を持って翠を騙していたと。それを伝えれば紅の望んでいたように最高の復讐になるだろう。最後の最後で相手を叩きのめして終わらせる。どうせ消えてなくなってしまうのだから、何をしても良いとそう思っていた筈だ。
 しかし一方で、翠は自分の代わりとなる為に父親に利用されていた存在である意味では彼女も被害者であると思い出す。
 そして何より、翠は紅の事を真っすぐに信じ慕っている。その気持ちは無垢そのものだ。
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