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第一章 異世界からの来訪者編
第9話 光と闇の精霊術は疲れるらしいですよ。
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月夜を飛翔する黒い影。
風の精霊であるシルフの力を全力で使って飛翔する拓海である。
「お兄さん飛ばし過ぎだよ! もう少し抑えて!」
「仕方ないだろ! シャンテがとらわれている次元では何が起こってるのか分からない。今は一刻も早く到着しないと」
精霊術師が術を行使するときに必要なのは、オーブと呼ばれる球体であり、三個以上のオーブが無いと術が使えない。
風のオーブをただただ飛翔することのみに消費している今、周りからオーブが無くなってしまうのではないか、という心配もあるが、実際にオーブが無くなるという事は無い。
もちろんオーブが見つかりにくいという事はあるが、基本的にはその場にすべての属性がそろっていると考えても良い。
もしオーブが見つからないとしたら、それはごく限られた場所だけである。
「大丈夫だよ! まだお姉さんには危害が加わってないから!」
「何でそんなの分かるんだよ?」
全速力で飛翔する拓海に、シルフがシャンテは無事だと話しかけ、そのことを疑問に思って拓海が聞き返す。
「お姉さんの周りには巨大な魔力が二つあるけど、別次元に行く能力は無いみたい。ってことはお姉さんは身動きは取れなけど、手出しもされないってことだと思うよ」
シルフの言葉も一理ある。シャンテが幽閉されているのは別次元である。その近くに巨大な魔力が二つあるというのは気になるが、それでも一先ず安心しても良いかも知れない。
「その巨大な魔力っていうのは?」
「分からない。もしかしたらお兄さんだけじゃ無理かもしれない」
「(いや、勝てないかもって言うか、そんなの勝てないに決まってるじゃないか。俺はまだ戦闘経験がほとんどないんだぞ)」
拓海の考えも当然だろう。
この異世界に召喚されてから、まともな戦闘と言えば今日の昼間に行った巨大ハエとの一戦のみだ。
今シャンテの周りにいる二人は、確実に昼間の奴よりも強いはずである。それを拓海が撃破することなど、普通に考えれば不可能である。
「お兄さん今、勝てるわけない、とか思ってたでしょ?」
シルフが拓海の考えをズバリ言い当て、その事に一瞬心臓がはじけそうになるが、考えてみればファンタジーの世界の精霊なのだ。そのぐらい分かっても何も不思議ではない。
「当たり前だろ。戦闘経験なんてほとんどないに等しいんだ。エリーヌさんはあぁ言ってたけど、正直なところ自覚がない」
「そうだよねぇ。でも大丈夫! 今お兄さんより強い人って、そんなにいないよ! 僕が保証する! お兄さんは強いよ!」
拓海に自信を付けさせるためなのか、シルフがそんな言葉を掛ける。
「――とりあえず、あまり戦闘はしたくないな。だからこっそりと忍び込んでシャンテを助ける。俺は光の精霊の力も使えるんだよな?」
「オーブがあれば使えるよ。でもどうして?」
「ベルクバーク山に向かいながら話す。とりあえず今は急ぐぞ!」
そう言うと拓海は再び飛翔速度を上げ、シャンテのとらわれているベルクバーク山へと急ぐのである。
「ここか?」
飛翔を開始してから僅か三十分程、拓海はベルクバーク山を見下ろす形で宙に浮いている。拓海が当たり前に行っている空中停止は、一流の魔術師であっても難しいはずだが、風の精霊であるシルフの力を、ほぼ完璧に使いこなしている拓海にとっては簡単なことである。
「そうだよ。この山の中からお姉さんの魔力を感じるよ」
シルフの言葉を聞いてから「よし」と一言呟き、山の入り口まで降り立つ。
入口付近に、絶対にここだろ! と言っている洞窟が存在していた。
「さすがにわかりやすすぎないか? まぁ良いか、サンキューなシルフ。ここからは光の精霊の出番だ」
そう言うと意識を集中し、光のオーブを探し始める。
現在時刻は深夜の一時半を過ぎている。光などあるわけもないのだが、拓海は運が良い。夜中と言えども自分がいる場所が室内でない限り、光源は存在するのだ。
「結構簡単に見つかったな。まぁ、これだけ月明かりで照らされてれば当然か」
夜でも存在する光源の正体は、夜空に浮かぶ月である。昼間に比べれば確かに光のオーブの量は少なく感じる。
だが今はそれでも十分だ。拓海が光の精霊の力を使う理由は攻撃ではなく別にある。
「どうも初めまして。俺は雨宮拓海」
「私はウィスプ。シルフから話は聞いています」
拓海の前に現れた光の精霊ウィスプは、全身を淡く輝かせた天使のような少女だった。シルフもかなりの美少女(?)だったが、ウィスプも負けず劣らずといったところだろう。
シルフが元気いっぱいと表現するなら、ウィスプは高貴なお嬢様のような雰囲気だ。
ウィスプは既にシルフから拓海の話を聞いているらしく、微笑みながら拓海の目を覗き込む。
「それなら話は早い。早速お願い!」
手を合わせて目の前の少女にお願いする仕草は、お金を貸してと言っているヒモのようなイメージがあるが、決してそのようなことではない。
「名前を付けてください」
「あ、そっか! えっとそしたら――」
精霊術を使うには名前が必要だったことを改めて思い出し、腕を組んで十秒程考える仕草をしてから顔を上げてウィスプに話しかける。
「えっとそしたら――光学迷彩で!」
「かしこまりました」
英語が正しいかどうかはこの際どうでもいいのだろう。重要なのはイメージすること、そうシルフは言っていた。
そして今、拓海の頭にこの単語が浮かんだという事は、それが一番イメージしやすいものなのだろう。
光の精霊術「光学迷彩」を発動させた瞬間、拓海の足元から、周囲の景色に溶け込むように姿が消えてゆく。まるでカメレオンの様に。
「へぇ、ここまで完璧になるんだ」
ウィスプの力で行った精霊術は自分の身体を見えなくさせる術。光の屈折率を操り、拓海の姿が他から見えなくさせているのだ。
「今までいろいろな術を作ってきましたが、私の力をこのように使うのは初めてです。良く思いつきましたね」
「俺の元々いた世界での知識ってやつだ! さて、急ごう!」
「あ、待ってください」
シャンテを助けるべく山の洞窟に入ろうとした拓海に、ウィスプがストップをかける。しかも止め方がかなり強引で、拓海の足に自分の足を引っかけるという方法であった。
ウィスプの足払いを食らい、その場で盛大に大の字を作って転ぶと
「なに?」
起き上がらずそのままウィスプに話しかける。
「姿は消せても音までは消せませんのでそれだけ注意してください」
転んだ拓海のいるだろう場所を見下ろしながらウィスプが注意を促す。
「――――分かった」
そう言うと立ち上がり、山の洞窟に歩を進めるのだった。
※ ※ ※ ※
「(ちっ、モンスターがウジャウジャいやがる。こりゃ姿を消してきて正解だな)」
洞窟の中に入ると、拓海が異世界で初めて倒したモンスター、巨大ハエに遭遇する。しかも一体だけではなく両手の数では収まらない程の数だ。
「(どうする? インセクトキラーでまとめて倒すか?)」
以前に巨大ハエを倒した際に使用した精霊術、「殺虫」を発動するかどうか迷うが、すぐに無駄な戦闘は避けるべきだと考えてぶつからないよう慎重に歩を進める。
洞窟の中は複数の横穴があり、さながら巨大な迷路のようである。
その迷路を迷わずに進めたのは、風の精霊であるシルフが道案内してくれたからなのだから、このダンジョンを考えたゲームマスター泣かせな事この上ない。
「グ? 何かうまそうな匂いが近づいて来るグ」
洞窟のかなり奥の方まで到着した時、低くて纏わりつくような声が拓海の耳朶を打つ。
「キ! 確かにうまそうな匂いだキ」
続けて甲高い不快な声が聞こえる。二つの声に進んでいた足が止まり
拓海の心臓が高鳴り、背中を気持ち悪い汗が伝う。物音を立てない様、慎重に岩陰に隠れて先を覗く。
「キ! バテン! 人間の匂いがするキ!」
「グ! デネブ、おいしそうな匂いだグ! でも何で姿が見えないグ?」
拓海の目線の先には人間と同じくらいの体格を持つ鬼――多分ゴブリンだろう――が二匹おり、色と角の数が違うだけで瓜二つであった。
一匹は赤い肌に一本の角を持ち、もう一匹は青い肌に二本の角がある。
どちらの鬼も四肢は細く、先端には鋭い爪を持っている。四肢が細いのに対して腹がかなり出ているのが不格好に見えるが、それが食欲旺盛であることに拍車をかけている。
二匹とも先ほどから、鼻をあちこちに向けて匂いを嗅いでいることから、かなりにおいに敏感なのだろう。
「(これは場所を変えて別次元に移動したほうが良いかな)」
心の中で拓海がそう呟き、誰もいない場所までシルフに案内させる。二匹のゴブリンのいる部屋を避けて通り抜けた先に、シャンテの部屋と同じくらいの開けた場所に辿り着くと、
「すいません。ちょっと光のオーブが切れてしまったようです」
ウィスプの声が聞こえたと同時に拓海の姿があらわになる。
突然の事に慌てて周囲を確認するが、幸い拓海の周りにはモンスターの存在は無かった。思い返してみれば、誰もいない場所までシルフに案内してもらったのだから、当然と言えば当然である。
「ありがとうウィスプ。ここからは俺次第ってことだな」
既に姿が見えなくなったウィスプにお礼を言い、それと同時に体を倦怠感が襲う。風邪をひいて熱が出ているような、体を動かすのが何となく辛いといった感覚だ。不自由な身体を立て直すため、手を壁に付けようとした時に、偶然風のオーブに触れ、意識が別次元に飛ばされる。。
今日で既に何回も経験しているという事もあり、もう慣れたものだ。シルフが拓海の目の前に現れ、いつもの軽い口調で話しかけてくる。
「ねぇねぇお兄さん! ウィスプどうだった? 結構美人だったでしょ?」
確かに美人――精霊だからこの表現が正しいかは不明だが――なのは間違いない。
そんなことを考えながら視線を左斜め上に向けていると
「あ! お兄さん今、顔がだらしなくなってたよ! ふーんだ。どうせ僕は清楚じゃないですよーだ」
完全に不貞腐れたようにシルフが口を尖らせ、腕を組み横を向いてしまう。
「いや、そう言うわけじゃないけど――と言うよりも、シルフも十分な美少女だと思うぞ」
拓海の発言は別にご機嫌取りというわけではない。確かにウィスプも美人だったが、目の前にいるシルフも十分な美少女だ。
拓海からの思わぬ反撃を食らい、シルフは頬を紅潮させて横に向けていた顔を今度は下に向け、何やらブツブツ言っているのが聞こえる。
「あのさ、恥ずかしがるのは後にしてくれない? とりあえず今はシャンテを助けることが先決だ。俺たちがこうしてる間、シャンテは途方もない時間を過ごしてるはずだし」
この別次元では時間の流れ方が違う。それは拓海自身が経験したことであり、事実だ。
「う~~ん――でも、あのお姉さんは精霊術師じゃないんだよね? そしたら時間感覚については大丈夫だと思うけど――」
しかし拓海の心配する発言は、シルフによって否定されてしまう。
シルフの言葉に拓海が首を傾げていると、
「精霊術師の場合、別次元では時間の感覚が止まったようになるけど、普通の人はこの次元に入ることが出来ても、時間の流れる感覚は同じはずだよ!」
目の前のシルフからすぐに答えが返ってくる。
どうやら拓海の心配は杞憂に終わったようだが、それでも今現在シャンテがとらわれていることには変わらない。
「ちょっと安心。それなら早く助けに行こう」
拓海の言葉にシルフが無言で頷き
「お兄さんさっきの感覚をもう自分のものにしてるんだね! こっちだよ!」
そう言うと拓海を誘導するようにズレた次元を歩き出し、その後に拓海も続く。
次元がズレているとは言え、瞬間移動的なことは出来ないらしく、シャンテが幽閉されている場所まで移動していく事になった。
「なぁシルフ」
突然拓海がシルフの名前を呼ぶ。
シルフが怪訝な顔を浮かべて振り向くと、拓海は腕を組みながら何かを考えているようであった。
「ん? どうしたのお兄さん」
「あのさ、今気づいたんだけど、この別次元にいる俺は意識だけのはずだよな? そしたらシャンテを見つけても、助けるのは出来ないんじゃないか?」
なぜ今まで気づかなかったのか、と拓海は自己嫌悪にも似た感情を抱く。
このズレた次元を初めて訪れた時、目の前のシルフは「ここは精神世界だ」とそう言っていた。
ならばその次元に肉体を幽閉されているシャンテを、見つけることは出来ても助けることは出来ないはずではないか、と考えたからだ。しかし、
「あ! お兄さん気付いてないんだね! あの時のお兄さんは確かに精神体だったけど、今は違うんだよ! 今こうしてお兄さんが自分の身体を動かせているのは、肉体ごと次元を移動したからなんだよ!」
「(そういう事か。なら俺が今何を考えていても、シルフには分からないってことか)」
別によからぬことを考えているわけではないが、今まで自分の考えがほとんど筒抜けだったことを思うと、あまり良い気がしなかったのは否めない。
少しだけ胸の内が軽くなった気がした拓海であるが、
「でも残念! お兄さんの心の声は聞こえてるからねー!」
どうやらそれは無理だったようだ。やはりこの次元でシルフと一緒に行動している限り、多少のストレスは覚悟しなくてはいけないらしい。
「着いたよ! でも困ったなぁ」
そうこうしている内に目的地、シャンテのいるであろう場所までたどり着いたようだが、なぜかシャンテの姿が見当たらない。
シルフの発言も恐らくそれが原因だろう。
「シャンテがいないからか?」
「うん――なんかここに壁みたいなものがあって、通れない様になってるんだ。こんな事初めてだよ」
そう言ってシルフが指差す先には特に何も見えない。しかし、確かに壁のようなものがあるらしく、シルフがそこを叩くと硬質な音がする。
「つまり、そこを破ればいいってことか?」
「簡単に言うとね。でも元素精霊の力じゃ無理っぽい。かといって今のお兄さんじゃもう一度ウィスプの力を使うのは難しいでしょ?」
「――まぁ、確かにちょっと辛いかな」
シルフのいう元素精霊とは、地・水・火・風の属性である。この四大元素精霊の力を借りる場合と、先ほどのウィスプの力を借りた時では、体にかかる負担が違う。
先ほどは体中を倦怠感が襲い、出来ることならその場で横になりたかった。しかし、手を突こうとした時に、偶然とはいえ風のオーブに触れてしまい、そんなことをする暇もなくシルフの相手をすることになった。
端的に言えば、目の前の美少女に平気であることをアピールする為、強がっていたのだ。これが悲しいかな男の性である。
「その壁は力ずくで何とかなるもんなのか?」
拓海が視線をシルフに向けて質問する。
「う~ん、そうなんだけど――いずれにしても僕たちじゃ無理だよ」
「やっぱりもう一度ウィスプに頼むしかないってことか――って、光のオーブが見当たらないんだけど、どうして?」
「えっとね、簡単に言うと今ウィスプは休憩中って感じ。お兄さんが自分のレベルに合わない術を行使したからね」
どうやら先ほどの「光学迷彩」は拓海のレベルではまだ使うには早かったようである。その不足分を補うため、ウィスプの力を必要以上に使ってしまったのだろう。
しかしそうなると別のオーブで精霊術を行う必要がある。四大元素精霊と光以外の精霊というと、あと残るは一つしかない。
「じゃあ、やっぱり今目の前に見えてる『闇』属性しかないってことか――」
「まぁそうなるよね。でもね、シェイドにはその――気を付けてね!」
どうやら闇の精霊は「シェイド」という名前らしい。だが一体何に気を付けろと言うのだろうか。怪訝な表情をしながら目の前に浮かぶ紫色のオーブに触れる。
「あら、どうも初めまして。私は闇を司る精霊、シェイドです」
「あ、はい。初めまして。雨宮拓海です」
シェイドと名乗った闇の精霊は、ウィスプとよく似た美人であった。
違うのはウィスプが天使のような少女で高貴なお嬢様であるならば、シェイドは妖艶さと不思議さを併せ持った、小悪魔のような魅力を持っているということだ。
「えっと確かタクミさんでしたわよね? 私の力でどのようにしたいのですか?」
しばし見とれていた拓海にシェイドが艶かしく語りかける。
その仕草に一瞬どきりと旨が高鳴るが、直ぐに今はそれどころではないと思い直して口を開く。
「えっと、この見えない壁をなんとかしたいんだ。出来るかな?」
拓海が視線の先にある、見えない壁を指さしながらシェイドに話しかけると、シェイドはまた怪しく微笑んで拓海に話しかける。
「そうねぇ。かなり強力な術を使っている見たいだけどぉ、可能かなぁ。出来るかできないかはぁ、タクミさんのイメージしだいだけどねぇ」
「(まぁそのへんは問題ないだろ。ただ――)あのさ、シェイドはどうしてそんな口調なの?」
口元に指を当てながら、ゆっくりと話す仕草は、艶めかしくどこか巧みを誘惑しているようである。
この世界に来てからというもの、顔面偏差値がかなり高い存在と出会うことが多い。そのため大分慣れてきてはいるのだが、その中でも目の前のシェイドの偏差値は1、2を争うほどだ。
慣れていなければこの仕草だけでかなり危うい状態である。いや、今でもかなり危ういのだが、なんとか踏みとどまっているといったところだ。
「あらぁ。タクミさんはかなり女性に対して免疫があるんですねぇ? もしかして結構遊ばれてきましたかぁ?」
両腕を前に組み、その豊満な胸を寄せて強調しながら拓海に話しかけてくる。
誘惑してくる様にではなく、完全に誘惑しているようだ。
「あの、シェイドはどうしてそんな感じなの?」
そんな感じとは、つまり何故誘惑してくるのか、という事である。
確かに目の前のシェイドは美人であるが、拓海は人間でありシェイドは精霊である。そこには種族の壁というものがあるため、誘惑しても何も生まれないはずだからだ。しかし
「あらぁ? タクミさんはご存じないんですねぇ。私たち精霊は、元々は魔族なんですよ。魔族の好物と言ったら、魂ですよね。私と契約した精霊術師の魂を虜にすれば、私の力が一段と増すんですよぉ」
シェイドの発言に一瞬驚きの表情を拓海が見せる。
今まで味方なのだと思っていた精霊が、実は魔族だというのだから当然だろう。しかもその精霊が魂を奪うと言っているのだ。何も感じないはずはない。
「大丈夫ですよぉ。命まで取ろうとは思いませんからぁ。ただ、タクミさんの心を私に委ねてくだされば、それで良いんですよぉ」
「(シルフが言っていた「気を付けろ」とはこういう事か)それはおいおい考えるとして、今はこの壁だ」
確かにシェイドの力を使う時には注意が必要だ、と心に刻み込んでどのような精霊術を使うかをイメージする。
「(闇の精霊術――どんなのが良いだろう? )」
少しの間考えてから拓海の脳裏に浮かんだイメージ。
「あら、タクミさん! 結構恐いことをイメージするわね」
拓海のイメージをシェイドがいち早く読み取り、イメージした内容の恐ろしさを口に出して言う。
「出来るか?」
シェイドの表情からイメージした精霊術が、相当に恐ろしいものであることを察知したのか、拓海がシェイドに確認を取る。
「出来るわよ。 もっともタクミさんのイメージ力次第ですけど」
結局重要なのはイメージが出来るかどうかなのである。
「それなら行くぜ! 狭域暗黒星!」
裂帛の気合と共に叫び、闇属性のオーブを同時に六個使用して脳裏に浮かんだイメージを精霊術として具現化させる。
発動させた精霊術の効果は文字通りブラックホール。ありとあらゆるものを吸い込み、時空すら歪める重力を持つ驚異的な天体。そのブラックホールを掌だけに限定して発生させ、目の前にある壁の持つ力を根こそぎ奪い取る。
精霊術を発生させた瞬間、拓海の身体を異常な脱力感が包む。先ほどウィスプの力を使った時よりも、更にもう一段階強力な、いやむしろ痛ささえ感じる。
「――――っ!」
体を抑え込む強力な力に抗いきれず、拓海がその場に膝を付く。
「今のタクミさんではやはり難しいみたいですわね? どうかしら? 私にその心を委ねてくだされば、この壁を私が突破いたしましょう」
シェイドの甘く声が拓海の心を打つ。今の実力では無理だから全てを私に委ねなさい、とシェイドの声はそう告げていた。
「黙ってろ! 俺はまだ、諦めちゃいねぇ!」
もし、今まで出会ったのがこのシェイドだけなら、いやシルフの助言を聞いていなければ間違いなくその心をシェイドにゆだねていただろう。
自分の唇を歯で噛み切り、痛さで脱力感を無理矢理に引きはがし
「(痛みは邪魔だ! 黙ってろ!)おらぁ!」
裂帛の気合と共に不可視の壁から力を引きはがすことに集中し、闇のオーブをさらに六個使用して不可視の壁を轟音と共に破壊し、
「遅くなってすまない。助けに来たぞ!」
破壊した壁をさらに足で蹴破り、この世界に自分を召喚した少女、シャンテの名前を呼んで無事を確かめる。
「タク――ミ?」
「他の誰に見えるんだよ? 助けに来たぞ。動けるか?」
そう言うと拓海はシャンテに手を差し出し、ここから脱出する為立ち上がらせようとする。
「うん!」
拓海の手を取って立ち上がり、瞳に涙を浮かべながら小さく「ありがとう」とシャンテが呟く。
「シェイド、この次元から元に戻してくれ」
元の次元に戻すよう命令する。
拓海の言葉を聞いたシェイドが、短く息を吐いて拓海の目を覗き込み
「今回は見逃して差し上げるわ」
そう言って不敵な笑みを浮かべるのである。
シェイドが片手を持ち上げて指を鳴らすと、拓海とシャンテの視界が歪み、その一瞬後には拓海がこの次元に侵入した時に利用した場所に到着していた。
「ふぅ。とりあえず救出成功――かな?」
「タクミ――ありがとう」
シャンテを元の次元に連れてくることに安堵し、拓海がその場に座り込む。
消耗の激しい光と闇の精霊術を二回行使したのだ。この反応も無理はないだろう。しかし拓海もシャンテも忘れていた。
「グ! 見つけたグ!」
「美味そうな匂いだキ!」
ここがまだ敵地のど真ん中であるという事を。
風の精霊であるシルフの力を全力で使って飛翔する拓海である。
「お兄さん飛ばし過ぎだよ! もう少し抑えて!」
「仕方ないだろ! シャンテがとらわれている次元では何が起こってるのか分からない。今は一刻も早く到着しないと」
精霊術師が術を行使するときに必要なのは、オーブと呼ばれる球体であり、三個以上のオーブが無いと術が使えない。
風のオーブをただただ飛翔することのみに消費している今、周りからオーブが無くなってしまうのではないか、という心配もあるが、実際にオーブが無くなるという事は無い。
もちろんオーブが見つかりにくいという事はあるが、基本的にはその場にすべての属性がそろっていると考えても良い。
もしオーブが見つからないとしたら、それはごく限られた場所だけである。
「大丈夫だよ! まだお姉さんには危害が加わってないから!」
「何でそんなの分かるんだよ?」
全速力で飛翔する拓海に、シルフがシャンテは無事だと話しかけ、そのことを疑問に思って拓海が聞き返す。
「お姉さんの周りには巨大な魔力が二つあるけど、別次元に行く能力は無いみたい。ってことはお姉さんは身動きは取れなけど、手出しもされないってことだと思うよ」
シルフの言葉も一理ある。シャンテが幽閉されているのは別次元である。その近くに巨大な魔力が二つあるというのは気になるが、それでも一先ず安心しても良いかも知れない。
「その巨大な魔力っていうのは?」
「分からない。もしかしたらお兄さんだけじゃ無理かもしれない」
「(いや、勝てないかもって言うか、そんなの勝てないに決まってるじゃないか。俺はまだ戦闘経験がほとんどないんだぞ)」
拓海の考えも当然だろう。
この異世界に召喚されてから、まともな戦闘と言えば今日の昼間に行った巨大ハエとの一戦のみだ。
今シャンテの周りにいる二人は、確実に昼間の奴よりも強いはずである。それを拓海が撃破することなど、普通に考えれば不可能である。
「お兄さん今、勝てるわけない、とか思ってたでしょ?」
シルフが拓海の考えをズバリ言い当て、その事に一瞬心臓がはじけそうになるが、考えてみればファンタジーの世界の精霊なのだ。そのぐらい分かっても何も不思議ではない。
「当たり前だろ。戦闘経験なんてほとんどないに等しいんだ。エリーヌさんはあぁ言ってたけど、正直なところ自覚がない」
「そうだよねぇ。でも大丈夫! 今お兄さんより強い人って、そんなにいないよ! 僕が保証する! お兄さんは強いよ!」
拓海に自信を付けさせるためなのか、シルフがそんな言葉を掛ける。
「――とりあえず、あまり戦闘はしたくないな。だからこっそりと忍び込んでシャンテを助ける。俺は光の精霊の力も使えるんだよな?」
「オーブがあれば使えるよ。でもどうして?」
「ベルクバーク山に向かいながら話す。とりあえず今は急ぐぞ!」
そう言うと拓海は再び飛翔速度を上げ、シャンテのとらわれているベルクバーク山へと急ぐのである。
「ここか?」
飛翔を開始してから僅か三十分程、拓海はベルクバーク山を見下ろす形で宙に浮いている。拓海が当たり前に行っている空中停止は、一流の魔術師であっても難しいはずだが、風の精霊であるシルフの力を、ほぼ完璧に使いこなしている拓海にとっては簡単なことである。
「そうだよ。この山の中からお姉さんの魔力を感じるよ」
シルフの言葉を聞いてから「よし」と一言呟き、山の入り口まで降り立つ。
入口付近に、絶対にここだろ! と言っている洞窟が存在していた。
「さすがにわかりやすすぎないか? まぁ良いか、サンキューなシルフ。ここからは光の精霊の出番だ」
そう言うと意識を集中し、光のオーブを探し始める。
現在時刻は深夜の一時半を過ぎている。光などあるわけもないのだが、拓海は運が良い。夜中と言えども自分がいる場所が室内でない限り、光源は存在するのだ。
「結構簡単に見つかったな。まぁ、これだけ月明かりで照らされてれば当然か」
夜でも存在する光源の正体は、夜空に浮かぶ月である。昼間に比べれば確かに光のオーブの量は少なく感じる。
だが今はそれでも十分だ。拓海が光の精霊の力を使う理由は攻撃ではなく別にある。
「どうも初めまして。俺は雨宮拓海」
「私はウィスプ。シルフから話は聞いています」
拓海の前に現れた光の精霊ウィスプは、全身を淡く輝かせた天使のような少女だった。シルフもかなりの美少女(?)だったが、ウィスプも負けず劣らずといったところだろう。
シルフが元気いっぱいと表現するなら、ウィスプは高貴なお嬢様のような雰囲気だ。
ウィスプは既にシルフから拓海の話を聞いているらしく、微笑みながら拓海の目を覗き込む。
「それなら話は早い。早速お願い!」
手を合わせて目の前の少女にお願いする仕草は、お金を貸してと言っているヒモのようなイメージがあるが、決してそのようなことではない。
「名前を付けてください」
「あ、そっか! えっとそしたら――」
精霊術を使うには名前が必要だったことを改めて思い出し、腕を組んで十秒程考える仕草をしてから顔を上げてウィスプに話しかける。
「えっとそしたら――光学迷彩で!」
「かしこまりました」
英語が正しいかどうかはこの際どうでもいいのだろう。重要なのはイメージすること、そうシルフは言っていた。
そして今、拓海の頭にこの単語が浮かんだという事は、それが一番イメージしやすいものなのだろう。
光の精霊術「光学迷彩」を発動させた瞬間、拓海の足元から、周囲の景色に溶け込むように姿が消えてゆく。まるでカメレオンの様に。
「へぇ、ここまで完璧になるんだ」
ウィスプの力で行った精霊術は自分の身体を見えなくさせる術。光の屈折率を操り、拓海の姿が他から見えなくさせているのだ。
「今までいろいろな術を作ってきましたが、私の力をこのように使うのは初めてです。良く思いつきましたね」
「俺の元々いた世界での知識ってやつだ! さて、急ごう!」
「あ、待ってください」
シャンテを助けるべく山の洞窟に入ろうとした拓海に、ウィスプがストップをかける。しかも止め方がかなり強引で、拓海の足に自分の足を引っかけるという方法であった。
ウィスプの足払いを食らい、その場で盛大に大の字を作って転ぶと
「なに?」
起き上がらずそのままウィスプに話しかける。
「姿は消せても音までは消せませんのでそれだけ注意してください」
転んだ拓海のいるだろう場所を見下ろしながらウィスプが注意を促す。
「――――分かった」
そう言うと立ち上がり、山の洞窟に歩を進めるのだった。
※ ※ ※ ※
「(ちっ、モンスターがウジャウジャいやがる。こりゃ姿を消してきて正解だな)」
洞窟の中に入ると、拓海が異世界で初めて倒したモンスター、巨大ハエに遭遇する。しかも一体だけではなく両手の数では収まらない程の数だ。
「(どうする? インセクトキラーでまとめて倒すか?)」
以前に巨大ハエを倒した際に使用した精霊術、「殺虫」を発動するかどうか迷うが、すぐに無駄な戦闘は避けるべきだと考えてぶつからないよう慎重に歩を進める。
洞窟の中は複数の横穴があり、さながら巨大な迷路のようである。
その迷路を迷わずに進めたのは、風の精霊であるシルフが道案内してくれたからなのだから、このダンジョンを考えたゲームマスター泣かせな事この上ない。
「グ? 何かうまそうな匂いが近づいて来るグ」
洞窟のかなり奥の方まで到着した時、低くて纏わりつくような声が拓海の耳朶を打つ。
「キ! 確かにうまそうな匂いだキ」
続けて甲高い不快な声が聞こえる。二つの声に進んでいた足が止まり
拓海の心臓が高鳴り、背中を気持ち悪い汗が伝う。物音を立てない様、慎重に岩陰に隠れて先を覗く。
「キ! バテン! 人間の匂いがするキ!」
「グ! デネブ、おいしそうな匂いだグ! でも何で姿が見えないグ?」
拓海の目線の先には人間と同じくらいの体格を持つ鬼――多分ゴブリンだろう――が二匹おり、色と角の数が違うだけで瓜二つであった。
一匹は赤い肌に一本の角を持ち、もう一匹は青い肌に二本の角がある。
どちらの鬼も四肢は細く、先端には鋭い爪を持っている。四肢が細いのに対して腹がかなり出ているのが不格好に見えるが、それが食欲旺盛であることに拍車をかけている。
二匹とも先ほどから、鼻をあちこちに向けて匂いを嗅いでいることから、かなりにおいに敏感なのだろう。
「(これは場所を変えて別次元に移動したほうが良いかな)」
心の中で拓海がそう呟き、誰もいない場所までシルフに案内させる。二匹のゴブリンのいる部屋を避けて通り抜けた先に、シャンテの部屋と同じくらいの開けた場所に辿り着くと、
「すいません。ちょっと光のオーブが切れてしまったようです」
ウィスプの声が聞こえたと同時に拓海の姿があらわになる。
突然の事に慌てて周囲を確認するが、幸い拓海の周りにはモンスターの存在は無かった。思い返してみれば、誰もいない場所までシルフに案内してもらったのだから、当然と言えば当然である。
「ありがとうウィスプ。ここからは俺次第ってことだな」
既に姿が見えなくなったウィスプにお礼を言い、それと同時に体を倦怠感が襲う。風邪をひいて熱が出ているような、体を動かすのが何となく辛いといった感覚だ。不自由な身体を立て直すため、手を壁に付けようとした時に、偶然風のオーブに触れ、意識が別次元に飛ばされる。。
今日で既に何回も経験しているという事もあり、もう慣れたものだ。シルフが拓海の目の前に現れ、いつもの軽い口調で話しかけてくる。
「ねぇねぇお兄さん! ウィスプどうだった? 結構美人だったでしょ?」
確かに美人――精霊だからこの表現が正しいかは不明だが――なのは間違いない。
そんなことを考えながら視線を左斜め上に向けていると
「あ! お兄さん今、顔がだらしなくなってたよ! ふーんだ。どうせ僕は清楚じゃないですよーだ」
完全に不貞腐れたようにシルフが口を尖らせ、腕を組み横を向いてしまう。
「いや、そう言うわけじゃないけど――と言うよりも、シルフも十分な美少女だと思うぞ」
拓海の発言は別にご機嫌取りというわけではない。確かにウィスプも美人だったが、目の前にいるシルフも十分な美少女だ。
拓海からの思わぬ反撃を食らい、シルフは頬を紅潮させて横に向けていた顔を今度は下に向け、何やらブツブツ言っているのが聞こえる。
「あのさ、恥ずかしがるのは後にしてくれない? とりあえず今はシャンテを助けることが先決だ。俺たちがこうしてる間、シャンテは途方もない時間を過ごしてるはずだし」
この別次元では時間の流れ方が違う。それは拓海自身が経験したことであり、事実だ。
「う~~ん――でも、あのお姉さんは精霊術師じゃないんだよね? そしたら時間感覚については大丈夫だと思うけど――」
しかし拓海の心配する発言は、シルフによって否定されてしまう。
シルフの言葉に拓海が首を傾げていると、
「精霊術師の場合、別次元では時間の感覚が止まったようになるけど、普通の人はこの次元に入ることが出来ても、時間の流れる感覚は同じはずだよ!」
目の前のシルフからすぐに答えが返ってくる。
どうやら拓海の心配は杞憂に終わったようだが、それでも今現在シャンテがとらわれていることには変わらない。
「ちょっと安心。それなら早く助けに行こう」
拓海の言葉にシルフが無言で頷き
「お兄さんさっきの感覚をもう自分のものにしてるんだね! こっちだよ!」
そう言うと拓海を誘導するようにズレた次元を歩き出し、その後に拓海も続く。
次元がズレているとは言え、瞬間移動的なことは出来ないらしく、シャンテが幽閉されている場所まで移動していく事になった。
「なぁシルフ」
突然拓海がシルフの名前を呼ぶ。
シルフが怪訝な顔を浮かべて振り向くと、拓海は腕を組みながら何かを考えているようであった。
「ん? どうしたのお兄さん」
「あのさ、今気づいたんだけど、この別次元にいる俺は意識だけのはずだよな? そしたらシャンテを見つけても、助けるのは出来ないんじゃないか?」
なぜ今まで気づかなかったのか、と拓海は自己嫌悪にも似た感情を抱く。
このズレた次元を初めて訪れた時、目の前のシルフは「ここは精神世界だ」とそう言っていた。
ならばその次元に肉体を幽閉されているシャンテを、見つけることは出来ても助けることは出来ないはずではないか、と考えたからだ。しかし、
「あ! お兄さん気付いてないんだね! あの時のお兄さんは確かに精神体だったけど、今は違うんだよ! 今こうしてお兄さんが自分の身体を動かせているのは、肉体ごと次元を移動したからなんだよ!」
「(そういう事か。なら俺が今何を考えていても、シルフには分からないってことか)」
別によからぬことを考えているわけではないが、今まで自分の考えがほとんど筒抜けだったことを思うと、あまり良い気がしなかったのは否めない。
少しだけ胸の内が軽くなった気がした拓海であるが、
「でも残念! お兄さんの心の声は聞こえてるからねー!」
どうやらそれは無理だったようだ。やはりこの次元でシルフと一緒に行動している限り、多少のストレスは覚悟しなくてはいけないらしい。
「着いたよ! でも困ったなぁ」
そうこうしている内に目的地、シャンテのいるであろう場所までたどり着いたようだが、なぜかシャンテの姿が見当たらない。
シルフの発言も恐らくそれが原因だろう。
「シャンテがいないからか?」
「うん――なんかここに壁みたいなものがあって、通れない様になってるんだ。こんな事初めてだよ」
そう言ってシルフが指差す先には特に何も見えない。しかし、確かに壁のようなものがあるらしく、シルフがそこを叩くと硬質な音がする。
「つまり、そこを破ればいいってことか?」
「簡単に言うとね。でも元素精霊の力じゃ無理っぽい。かといって今のお兄さんじゃもう一度ウィスプの力を使うのは難しいでしょ?」
「――まぁ、確かにちょっと辛いかな」
シルフのいう元素精霊とは、地・水・火・風の属性である。この四大元素精霊の力を借りる場合と、先ほどのウィスプの力を借りた時では、体にかかる負担が違う。
先ほどは体中を倦怠感が襲い、出来ることならその場で横になりたかった。しかし、手を突こうとした時に、偶然とはいえ風のオーブに触れてしまい、そんなことをする暇もなくシルフの相手をすることになった。
端的に言えば、目の前の美少女に平気であることをアピールする為、強がっていたのだ。これが悲しいかな男の性である。
「その壁は力ずくで何とかなるもんなのか?」
拓海が視線をシルフに向けて質問する。
「う~ん、そうなんだけど――いずれにしても僕たちじゃ無理だよ」
「やっぱりもう一度ウィスプに頼むしかないってことか――って、光のオーブが見当たらないんだけど、どうして?」
「えっとね、簡単に言うと今ウィスプは休憩中って感じ。お兄さんが自分のレベルに合わない術を行使したからね」
どうやら先ほどの「光学迷彩」は拓海のレベルではまだ使うには早かったようである。その不足分を補うため、ウィスプの力を必要以上に使ってしまったのだろう。
しかしそうなると別のオーブで精霊術を行う必要がある。四大元素精霊と光以外の精霊というと、あと残るは一つしかない。
「じゃあ、やっぱり今目の前に見えてる『闇』属性しかないってことか――」
「まぁそうなるよね。でもね、シェイドにはその――気を付けてね!」
どうやら闇の精霊は「シェイド」という名前らしい。だが一体何に気を付けろと言うのだろうか。怪訝な表情をしながら目の前に浮かぶ紫色のオーブに触れる。
「あら、どうも初めまして。私は闇を司る精霊、シェイドです」
「あ、はい。初めまして。雨宮拓海です」
シェイドと名乗った闇の精霊は、ウィスプとよく似た美人であった。
違うのはウィスプが天使のような少女で高貴なお嬢様であるならば、シェイドは妖艶さと不思議さを併せ持った、小悪魔のような魅力を持っているということだ。
「えっと確かタクミさんでしたわよね? 私の力でどのようにしたいのですか?」
しばし見とれていた拓海にシェイドが艶かしく語りかける。
その仕草に一瞬どきりと旨が高鳴るが、直ぐに今はそれどころではないと思い直して口を開く。
「えっと、この見えない壁をなんとかしたいんだ。出来るかな?」
拓海が視線の先にある、見えない壁を指さしながらシェイドに話しかけると、シェイドはまた怪しく微笑んで拓海に話しかける。
「そうねぇ。かなり強力な術を使っている見たいだけどぉ、可能かなぁ。出来るかできないかはぁ、タクミさんのイメージしだいだけどねぇ」
「(まぁそのへんは問題ないだろ。ただ――)あのさ、シェイドはどうしてそんな口調なの?」
口元に指を当てながら、ゆっくりと話す仕草は、艶めかしくどこか巧みを誘惑しているようである。
この世界に来てからというもの、顔面偏差値がかなり高い存在と出会うことが多い。そのため大分慣れてきてはいるのだが、その中でも目の前のシェイドの偏差値は1、2を争うほどだ。
慣れていなければこの仕草だけでかなり危うい状態である。いや、今でもかなり危ういのだが、なんとか踏みとどまっているといったところだ。
「あらぁ。タクミさんはかなり女性に対して免疫があるんですねぇ? もしかして結構遊ばれてきましたかぁ?」
両腕を前に組み、その豊満な胸を寄せて強調しながら拓海に話しかけてくる。
誘惑してくる様にではなく、完全に誘惑しているようだ。
「あの、シェイドはどうしてそんな感じなの?」
そんな感じとは、つまり何故誘惑してくるのか、という事である。
確かに目の前のシェイドは美人であるが、拓海は人間でありシェイドは精霊である。そこには種族の壁というものがあるため、誘惑しても何も生まれないはずだからだ。しかし
「あらぁ? タクミさんはご存じないんですねぇ。私たち精霊は、元々は魔族なんですよ。魔族の好物と言ったら、魂ですよね。私と契約した精霊術師の魂を虜にすれば、私の力が一段と増すんですよぉ」
シェイドの発言に一瞬驚きの表情を拓海が見せる。
今まで味方なのだと思っていた精霊が、実は魔族だというのだから当然だろう。しかもその精霊が魂を奪うと言っているのだ。何も感じないはずはない。
「大丈夫ですよぉ。命まで取ろうとは思いませんからぁ。ただ、タクミさんの心を私に委ねてくだされば、それで良いんですよぉ」
「(シルフが言っていた「気を付けろ」とはこういう事か)それはおいおい考えるとして、今はこの壁だ」
確かにシェイドの力を使う時には注意が必要だ、と心に刻み込んでどのような精霊術を使うかをイメージする。
「(闇の精霊術――どんなのが良いだろう? )」
少しの間考えてから拓海の脳裏に浮かんだイメージ。
「あら、タクミさん! 結構恐いことをイメージするわね」
拓海のイメージをシェイドがいち早く読み取り、イメージした内容の恐ろしさを口に出して言う。
「出来るか?」
シェイドの表情からイメージした精霊術が、相当に恐ろしいものであることを察知したのか、拓海がシェイドに確認を取る。
「出来るわよ。 もっともタクミさんのイメージ力次第ですけど」
結局重要なのはイメージが出来るかどうかなのである。
「それなら行くぜ! 狭域暗黒星!」
裂帛の気合と共に叫び、闇属性のオーブを同時に六個使用して脳裏に浮かんだイメージを精霊術として具現化させる。
発動させた精霊術の効果は文字通りブラックホール。ありとあらゆるものを吸い込み、時空すら歪める重力を持つ驚異的な天体。そのブラックホールを掌だけに限定して発生させ、目の前にある壁の持つ力を根こそぎ奪い取る。
精霊術を発生させた瞬間、拓海の身体を異常な脱力感が包む。先ほどウィスプの力を使った時よりも、更にもう一段階強力な、いやむしろ痛ささえ感じる。
「――――っ!」
体を抑え込む強力な力に抗いきれず、拓海がその場に膝を付く。
「今のタクミさんではやはり難しいみたいですわね? どうかしら? 私にその心を委ねてくだされば、この壁を私が突破いたしましょう」
シェイドの甘く声が拓海の心を打つ。今の実力では無理だから全てを私に委ねなさい、とシェイドの声はそう告げていた。
「黙ってろ! 俺はまだ、諦めちゃいねぇ!」
もし、今まで出会ったのがこのシェイドだけなら、いやシルフの助言を聞いていなければ間違いなくその心をシェイドにゆだねていただろう。
自分の唇を歯で噛み切り、痛さで脱力感を無理矢理に引きはがし
「(痛みは邪魔だ! 黙ってろ!)おらぁ!」
裂帛の気合と共に不可視の壁から力を引きはがすことに集中し、闇のオーブをさらに六個使用して不可視の壁を轟音と共に破壊し、
「遅くなってすまない。助けに来たぞ!」
破壊した壁をさらに足で蹴破り、この世界に自分を召喚した少女、シャンテの名前を呼んで無事を確かめる。
「タク――ミ?」
「他の誰に見えるんだよ? 助けに来たぞ。動けるか?」
そう言うと拓海はシャンテに手を差し出し、ここから脱出する為立ち上がらせようとする。
「うん!」
拓海の手を取って立ち上がり、瞳に涙を浮かべながら小さく「ありがとう」とシャンテが呟く。
「シェイド、この次元から元に戻してくれ」
元の次元に戻すよう命令する。
拓海の言葉を聞いたシェイドが、短く息を吐いて拓海の目を覗き込み
「今回は見逃して差し上げるわ」
そう言って不敵な笑みを浮かべるのである。
シェイドが片手を持ち上げて指を鳴らすと、拓海とシャンテの視界が歪み、その一瞬後には拓海がこの次元に侵入した時に利用した場所に到着していた。
「ふぅ。とりあえず救出成功――かな?」
「タクミ――ありがとう」
シャンテを元の次元に連れてくることに安堵し、拓海がその場に座り込む。
消耗の激しい光と闇の精霊術を二回行使したのだ。この反応も無理はないだろう。しかし拓海もシャンテも忘れていた。
「グ! 見つけたグ!」
「美味そうな匂いだキ!」
ここがまだ敵地のど真ん中であるという事を。
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(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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