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本編

第二十二話

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 五月十三日(土)19:00

『はぁ、美味しかった~! お姉ちゃん料理上手だね!』
『でしょでしょ! 隼人はどうだった?』

 今俺の目の前には、夕食を食べ終わった食器が三人分ある。
 この食事を食べた(?)のは俺、明日葉、美優の三人だ。つまり今ここにいるのは、俺以外は幽霊という事だ。
 それなのになぜ幽霊が食事を出来るのか。仮に出来たとして、味は分かるのか。
 そして一番疑問なのが、なぜ幽霊の明日葉にこれほどおいしい料理が作れるのか、だ。

「……細かいことは考えない、考えない」
『ん? 隼人~?』

 頭を抱えていた俺に明日葉が肩を突いて名前を呼んでくる。

「ん? 何?」
『私の料理どうだった?』

 明日葉が何かを期待しているような目をして話しかけてきた。

「あ、あぁ美味しかったよ」
『それだけ? ほかに感想は?』

 どうやら俺の回答では不満だったようだ。
 多分別の事を期待していたんだろうな。例えば「作ってる姿が可愛い」とか「家庭的な女の子ってステキだよね」とかだろうな。
 そんな簡単に俺がご褒美を与えると思ってるのか? そこそこ長い付き合い(一ヶ月くらいだけど)なんだから分かるだろうに。

「俺の目の前で幽霊が、飯を作ったり食べたりって言う不思議な現象を目撃したよ」
『だから細かいことは気にしないの! 長生きできないよ!』
『そうだよお兄ちゃん!』
「だから、お前らに言われたくねぇ!」

 まさか既に死んでる幽霊二人(二体?)に『長生き出来ない』なんてセリフを言われるとは……。
 そう言えばこうやって会話するのもちょっと変だよな。そもそもこれって会話なのか?
 考えれば考えるだけ疑問が出てくるな。
 最後に明日葉の入れてくれた水を飲みながらそんなことを考えていた。
 五月も中旬になって気温が徐々に上がり始め、食事をした後の体温上昇で若干暑く感じるようになった。
 もうあと半月もすれば梅雨入りするだろう。ジメジメと鬱陶しい季節の到来だ。その季節に期末テストが控えてるから、気は抜けない。
 勉強は常に欠かさないようにしないとな。

『さて、と……片付けものしちゃうから、お風呂にお湯入れておいてくれない?』
「宿題やってからで良いか?」

 俺の言葉は『スイッチ入れてから宿題すれば良いじゃない』という明日葉の言葉で受け入れられなかった。

 五月十三日(土)21:00

「そろそろ風呂に入るか」

 夕食を食べ終えた後、風呂のスイッチを押してから宿題に取り掛かり、少しの予習と復習をしていたらいつの間にかもうかなり遅い時間になっていた。
 別に土曜日だし、誰も家にいるわけではないのだから俺の好きにすればいいのだが、この家には今、俺以外の人間ではない住人……というか居候、じゃなくて俺に憑りついているのが二人いる。
 一人の性格はこの一ヶ月でだんだん把握出来てきたが、もう一人の方は今日会ったばかりだ。どんな性格をしているのか把握していない以上、由香綱事はするべきではない。はずだが、多分もう一人と同じような性格だろうな。凄く馬が合っていたような感じだし。
 それを加味すると、俺が風呂に入っている時に断りもなく侵入してくる可能性も高い。
 ならばさっさと風呂に入ってしまった方が安全というものだ。
 二階からゆっくりと音を立てずに階段を降り、浴室の方に向かう。
 今の俺は戦国時代の忍者もびっくりの忍び足だ。

「ん? 何でシャワーの音が聞こえるんだ?」

 この家で風呂に入るのは俺だけのはず。
 それなのに何で風呂場からシャワーの音が聞こえるんだ?
 その謎を解こうとゆっくり浴室に近づいていくと、中女の子二人の声が聞こえてきた。

「ってまさか!」

 いや、そんなはずがない。だってあいつらは幽霊だぞ。
 そんな自分の考えを否定したかった。

「おい! 何でお前ら風呂入ってるんだよ?」

 頭の中に浮かんだ想像を否定するため、浴室の扉を勢いよく開ける。
 それと同時に頭に浮かんだ言葉を口にする。
 次の瞬間。

『きゃあ! 何覗いてるのよ! しかも堂々と』

 俺の視界に飛び込んできたのは丸いプラスチック製の物体だった。
 良く見慣れた模様のそれが徐々に大きくなり、黒い影が俺の視界を覆って暗闇と化した。
 そして、

「ぐは!」

 激しい痛みを伴う衝撃が俺の顔面を襲った。
 間違いなく、風呂場にあった洗面器だ。それを俺にぶつけてきたんだ。
 質量はそんなに重くはないが、それでも速度がそれなりに出ていたからだろうか。
 もの凄く痛い。目の前にいくつもの星が浮かんで消えた。
 よく漫画では激しい衝撃を受けたら頭の上に星が回っているが、あれは本当だったんだ。
 洗面器を顔の上からどけ、それが飛んできた方向に視線をやる。

『痴漢痴漢痴漢痴漢!』

 激しい罵倒の言葉と共に、今度は体温よりも若干熱い液体が身体全体を襲った。
 美優が俺にお湯をぶっかけてきたんだ。
 二度三度お湯を掛けられ、すっかり濡れ鼠になった俺の視界の端に明日葉の足が見えた。

『……あのね隼人』
「何だ?」

 そして諭すように、それでいて冷たい声で話し出した。

『いくらお姉ちゃんと美優ちゃんが可愛いからって、覗きは良くないと思うのね』
『そうだよお兄ちゃん! 親しき中にも礼儀ありって言うでしょ!』

 美優も明日葉に便乗する。

『私たちは幽霊だけど、それでも乙女なんだよ!』
『そうだよお兄ちゃん! お姉ちゃんがいくら魅力的で、あたしがどんなに可愛くてもダメだよ』
『そう言うのはもうちょっと、ちゃんと段階を踏んでからじゃないとダメだと思うんだ』
『そんなにガツガツしてると女の子にモテないよ』

 捲し立てるように非難の声を浴びせる。
 親しき中にも礼儀あり? 今日知り合ったのに親しくも何もないだろう。
 魅力的? 可愛い? 一度国語辞典を調べてみろ。
 段階を踏む? 何の段階を踏むって言うんだ?
 ガツガツしてる? 俺は自分の事を冷静に分析出来る奴だ。冷静に分析出来るが故に自分の事を過大評価はしない。
 過大評価をしないどころか全てを勘違いだと考え、女子からの好意にはワザと鈍感にしているぐらいだ。
 何かあった時、自分を守るためだ。

「……はぁ」
『ん? どうしたの?』
「もう突っ込む気も失せた……風呂入る」

 疲れた。
 今日一日で十年は年を取ったかもしれん。

『『……』』

 さすがに俺のこの言葉は効いたみたいだ。
 二人を浴室から追い出し、脱衣所で服を脱いで風呂に浸かる。

「ふい~」

 風呂ってこんなに気持ちよかったんだ。マジで疲れが癒される。
 今の今まで、風呂が好きな女性の気持ちが理解出来なかったが、こうしてみるとその気持ちがよく分かる。
 今度からもう少し風呂にはゆっくり浸かることにしよう。
 そんなことを思いながら風呂場に備えてある天窓を見ると、漆黒の空に浮かぶ月と目が合った。
 今夜は満月のようだ。その所為もあってか、照らされた家の壁がいつもより明るく見える。その明かりに照らし出された自分の腕を見る。
 やはり、まだ少し肌寒いな。
 冬はとっくに過ぎ去ったはずなのに、この寒さは何なんだ。幽霊が二人も家にいるからなのか? そんなはずは無いか。
 そういえば、最近気温の変化が激しくなってきた気がする。

『隼人~』
『お兄ちゃ~ん』

 そんなことを考えていると、風呂場の扉の向こう側から声が聞こえてきた。
 多分明日葉と美優だろう。
 二人は扉をすり抜けられるはずだが、わざわざ外から声を掛けて来たという事は少しは反省しているのかもしれない。
 風呂場なので反響していて聞き取りにくいが、その言葉はしっかりと聞き取ることが出来た。

『隼人、ごめんなさい』
『お兄ちゃんごめんなさい』
『覗かれそうになったのは初めてだったの』
『だからつい、カッとなって洗面器を投げつけてしまったの』
『本当にゴメンね』
『でも、隼人の事嫌いになったわけじゃないよ』

 明日葉は俺に嫌われたくないのか。
 それなら最初からやらなければいいのに……。
 しかし、こいつら意外と可愛いところがあるじゃないか。

「あぁ……まぁもういいよ。気にしてないから」

 風呂を覗いたのは俺の方だから謝るのは違う気がする。
 いや、幽霊だから覗くも何もないんだけどね。ちゃんと服も着てたし。
 それに、正直に言えば俺も二人が風呂に入っていたと分かってたらあんな真似しなかったと思う。
 うん。やっぱり謝るのは俺の方だ。
 だが、ここで俺が謝罪の言葉を口にしたら、また二人の機嫌を損ねる可能性がある。
 ここは素直に許す事にしよう。

『本当に? 本当に怒ってない?』
『隼人に嫌われたら私たち生きていけなくなっちゃう。だから本当にごめんね』

 あぁ、それが気になってたのか。
 そんなこと気にしなくても良いと思うけどな。俺が二人の事を本気で嫌うはずがないんだから。

「本当に気にしてないから。二人とももう謝らなくて良いよ」
『うん!』
『分かった!』

 声を明るくして二人がそう答えた。これで少しは悪ふざけもなくなるだろう。

『ね? だから言ったでしょ?』
『うんうん! やっぱりお姉ちゃんには敵わないなぁ』

 しかし話はそれでは終わらなかった。二人がひそひそと話しているのが扉越しに聞こえてきたのだ。

『隼人はしおらしい女の子に弱いんだから』
『そしたら今度何かをお願いする時の練習もしておかないとだね!』

 何やら不穏なことを二人が話し始めた。
 しっかりと聞こえてるからな。ん? ワザと聞こえるように言ってる可能性もあるな。
 この場合どっちだ?
 考えるよりもまずは行動してみるとしよう。

「二人とも、聞こえてるぞ」

 自分でも驚くほどドスの効いた低い声を出して二人に言う。

『あ!』
『ヤバ!』

 途端に二人の声に焦りが滲む。
 どうやら本当に聞こえないと思っていたようだ。

「いつか本気で怒るぞ。俺はそこまで心が広くはないんでな」
『えーっと……これは、その……』
『ごめんなさい! もうしないから!』

 美優の懇願する声が風呂場に響いた。

「まぁとりあえず、もう少ししたら出るから。二人とも脱衣所から出てってくれないか」

 あともう少し、せめて五分ほど浸かってから風呂を上がろう。
 そうしないと新たに負った疲れが取れない。

『えっと……あのね、隼人。お風呂上がったらちょっと話があるんだけど』
「あからさまに話を変えようとするなよ」

 明日葉が猫なで声で話しかけてきた。わかりやすいにも程がある。
 まぁ声は可愛い。それは間違いない。

『ダメかな?』

 また甘えた声をしてきやがる。ガラス越しだからはっきりとは見えないが、いつものあざといポーズをしてるのが目に見える。

「聞いてからだな」
『分かった。部屋で待ってるね』

 そう言うと二人の気配が一瞬にして消えた。
 こういうのを体験すると、やっぱり幽霊なんだなと実感する。
 そんなことを考えながら浴槽から上がり、軽く水滴を落としてから浴室を出る。
 脱衣所の室温が温まった身体に心地良く絡みつき、同時に部屋の湿度が若干高まって鏡を曇らせる。
 バスタオルで身体を拭き、Tシャツとジャージに着替えてから髪の毛をドライヤーで乾かす。
 乾きが悪く五分以上もドライヤーの温風を浴びながら思う。
 そろそろ髪を切った方が良いだろうか? 美容院の予約をしないとな。
 などとくだらないことを考えながら階段を上り、自分の部屋の扉を開ける。
 部屋の中からは二人分の気配がした。幽霊なのに気配ってあるって不思議だよな。
 気にしても仕方ないか。
 部屋に入ってから扉を閉めると、さっそく明日葉と目が合った。

『あ! 隼人!』

 返ってきた俺を呼ぶ声は、いつも通りの明日葉の声だった。
 その声を聞いて何故か少しホッとする。

「んで、どうした?」
『明日遊びに行かない?』
「どこに?」

 遊びに行くのは全然かまわない。むしろ推奨だ。
 日頃の努力は遊ぶためと言っても過言ではない。
 問題は“どこ”で“何を”して遊ぶか、だ。

『特に決めてないんだけど、美優ちゃんはどこ行きたい?』

 決めてなかったのかよ。まぁ思いつきだろうとは思ってたけど。大方さっき発生した事件で急降下した自分の印象を良くしたいのだろう。
 しかしまさか、今日のさっき会った女の子に助けを求めるとは、思い付きで行動を起こす明日葉らしいと言えばらしいのだが。

『えっとね……あ! お買い物した~い! 新しい下着が欲しくって』

 だがそんな俺の気持ちとは裏腹に、美優は買い物を提案してきた。女の子が大好きなショッピングというやつだ。
 ん? いや待てよ。今なんて言った?

「おい……」

 俺の耳が誤作動を起こしていなければ、美優は今非常にまずいことを口にした。
 曰く、新しい下着が欲しい。確かそう言ったはずだ。

『そうなの? ちなみに美優ちゃんのサイズは?』
『最近大きくなってきて、Dカップになったよ!』

 しかし、俺の気持ちとは正反対に、女子二人で話が盛り上がっている。
 このまま話が進むと、非常にまずいことになってしまう。
 主に俺の自尊心とか、周囲からの評価とか……。
 何としても話が進むのを食い止めなければならない。

「ちょっと待て!」
『おぉ! それはかなりだね!』
『でしょでしょ?』

 いつもの声よりやや低く、少しばかり凄みを増して二人に声を掛けるが、どうやら二人の耳には届いていないようだ。

「お前らまさか……」

 それどころか恐らくもう話の大筋は決定しているようだ。

『それじゃ明日は美優ちゃんの下着を買いに行こう!』
『おー!』

 ついに俺が恐れていたことが明日葉の口から発せられた。
 そしてそれを全力で応援する美優の掛け声。俺の入り込む隙は無い。
 いや、ここは強引にでも割り込まないと、俺の人生が終了する。

「ちょっと待て! なんで俺が女性ものの下着買わなくちゃいけないんだ?」
『え? 違うよお兄ちゃん! 買うのはあたし!』

 やはり美優は明日葉と同じ思考回路をしているようだ。俺の言いたいことを正確に理解していない。
 っていうか、『買うのはあたし』とは言っているが、お金持ってるのか?
 そういうところが抜けてるんだよ。こんな妹を持って、お兄ちゃん恥ずかしい。
 いや、お兄ちゃんじゃないけどね。少し感化されてしまったのか?

「だから、お前ら幽霊だろ! 幽霊に下着が必要かどうかはこの際もう良いとして、それを買うのは俺だろ! さすがにそれは無理! 男として無理! 世間から白い眼を向けられてしまう」

 俺の怒鳴り声が部屋に鳴り響き、周囲の家具や壁を震わせ、しばらく残響として残った。
 いくら何でもここまで言えばさすがに引き下がるだろう。いや、引き下がってもらわないと困る。
 ちらりと視線を二人にやると、目を丸くしている。俺が怒鳴ったのがそんなに珍しいのか?
 しばらくそのまま沈黙の時が流れた後、不意に美優が口を開いた。

『ま、それもそっかぁ!』
『さすがに隼人にこれを頼むわけにもいかないしねぇ』

 俺の抗議が今度は通じたらしい。本当に通じたかどうかは分からないが、明るい声だがトーンが少しだけ反省の色を示している。
 たまには怒鳴るぐらいがちょうどいいのかもしれないな。

『そしたら明日からノーブラかなぁ?』

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、美優の口から紡がれた言葉は若干、いやかなり斜め下の方向を向いていた。
 上目づかいで俺を見ているが、その可愛さに騙されるわけにはいかない。

『そしたら私もノーブラになろっかな?』

 俺の心の内を読んだのか、明日葉も挑発するように言ってきた。

「聞こえない聞こえない。こいつらは幽霊。他の人間には見えない」

 上目づかいで挑発する美少女二人の誘惑に乗らないよう、必死で自分に言い聞かせる。
 ん? 今、俺美少女って思った?
 気のせいだよね?

『……そうだ! 明日使う力は久しぶりに、他の人に見えるようにしてみようかな!』

 俺のそんな態度に業を煮やしたのか、明日葉がさらに誘惑してくる。

『わお! お姉ちゃん大胆! まさかそれも?』
『もちろんノーブラで! それで若くてイケメンの男の子を魅了するのだ!』

 二人の言葉がどんどん熱を上げて加速していく。
 俺には何も聞こえない。元を正せばこいつらと俺は赤の他人なのだ。
 ノーブラでイケメン男子を魅了? 結構じゃないか。そうすれば俺の元から離れてくれる。
 こんなに嬉しいことはない。はずだ。

『あたしも付き合っても良い?』
『良いよ良いよ! 一緒に逆ナンしよ!』

 さらに二人の会話が熱を帯びていく。
 多分俺に何とかさせようとしているのだ。そんな見え見えの罠に引っかかるものか。
 いや待てよ。こいつらなら本当にやりかねん。
 もし、本当に明日使う幽霊の力が、姿が見えるようにする、だった場合、明日葉と美優はどうなる?
 ひいき目なしにしてもこの二人は世間一般ではかなり可愛い方だ。
 顔面偏差値というものがあれば、軽く75は超えてくる。偏差値75って、東大レベルだぞ。
 そんな二人がガチで逆ナンでもしたらどうなる? どうなっちゃうの?
 それってかなり危険なのでは? それこそ『もうお嫁にいけない』なんてことにも……。

「だぁ! 分かったよ! 買ってやるよ!」

 折れた……。
 今日出来たばかりとは言え、俺を兄のように慕ってくれる娘にさすがにそんなことさせたくない。

『ありがとーお兄ちゃん! だからお兄ちゃん大好き!』

 そう言って美優が抱き着いてくる。可愛い。
 じゃなくて! やっぱりワザとだったか……。分かってたけど。
 しかし、買う、と言った手前、何とかしなくては。
 そんな事を思っていた俺の目に飛び込んできたのは一冊の雑誌だ。
 その瞬間、俺の脳裏に今のこの危機的状況を打破する画期的なアイディアが稲妻となって流れる。
 思考回路を司る細胞の一つ一つに至るまで、電流が一瞬で駆け巡った。
 これしかない!

「でも買いには行かないぞ」
『え?』

 俺の言葉に美優が間抜けな声を上げ、首に回していた腕の力を緩めて顔を覗き込んできた。

『それでどうやって買うの?』

 明日葉も同じような疑問を思い浮かべたようだ。
 きょとんとした表情で尋ねてくる。
 二人の疑問に答えるべく、まだ首に引っかかっていた両手を解き、俺をこの窮地から救ってくれたアイテムの元に向かい、拾い上げる。
 そしてそれを二人に見せながら不敵な笑みを浮かべる。
 教えてやろう。ショッピングに行かずに女性下着を手に入れ、尚且つ俺の尊厳を守ってくれる奇跡の方法を。

「ふっふっふっ。世の中にはな、通販って言う素晴らしい購入手段があるんだよ」
『あぁ! なるほど!』

 さすがにこの方法は思いつかなかったようだな?
 勝った! 俺はこの窮地を脱したぞ!

『それなら大丈夫だね! お兄ちゃんに格好悪い事させなくて済むし』
「格好悪いことさせるって言う自覚はあったのか?」
『まぁそりゃね』

 二人が同時にペロリと舌を出して頭を掻く。
 分かってるなら何でやらせようとした? 何故煽った?
 いやもうどうでも良いや。
 風呂を上がってから怒鳴ったり考えたりして疲れた。脳が睡眠を要求している。

「……さてと、それじゃもう寝るわ。お休み」

 二人の間を通り抜け、自分のベッドに向かう。

『あ……あのさ、隼人』

 その俺を明日葉が呼び止めた。
 何だ? まだ何かあるのか?

「ん? どうしたんだ?」

 今度はさっきと違い、本当に困っているように見える。
 その表情を見て話しの続きを促す。

『寝る部屋……どうしようか?』

 言われてハッとして顎に手をやり考える。
 確かに寝る部屋はどうしよう? 部屋はたくさんあるのだから自由に使っていいが……。

「……そう言えば昨日は普通に寝ちゃったから全然意識してなかったけど、お前らも睡眠って必要なの?」

 そもそも幽霊に睡眠とか必要あるのか?
 生きている人はどんなに頑張っても睡眠無しでは死んでしまう。
 だが二人はもう死んでいるのだから睡眠の必要性を感じない。
 そう思って出た疑問だったのだが。

『あ! お兄ちゃん睡眠を馬鹿にしてるね? 睡眠不足はお肌の荒れにつながるんだよ! って言うかお姉ちゃん! 昨日、お兄ちゃんと一緒に寝たの?』
『睡眠は大切なんだよ! 化粧とかうまく出来なくなっちゃうじゃん! そうだよ昨日は隼人と一緒のお布団で寝たんだよ!』
『どうだった?』
『それがね、隼人の寝顔って超可愛い! もうその場でギュッってしたくなっちゃうんだよ!』
『そうなの! あたしも一緒に寝たい~』

 さっき遠のきかけた話題の延長戦を始めた。
 これは早期決戦あるのみだ。

「だからお前ら幽霊だろ! そんなの必要ないんじゃないの?」

 脱線しかけた話をもとに戻そうと再び同じ質問をする。
 しかし、美優が人差し指を立てて左右に振り、ワザとらしく口で『チッチッチッ』と言ってから口を開いた。

『お兄ちゃんは乙女心が分かってないなぁ……』
『こんな弟を持って、お姉ちゃん悲しい』

 オトメゴコロ? ナニソレオイシイノ?
 もう面倒くさい。

「はぁ、もういい。じゃ、俺のベッド二人で使いなよ。俺はソファで寝るから」

 二人にベッドを譲ってソファに向かおうとした時、俺の腕を明日葉がグイっと引っ張り、続けて言った。

『だ・か・ら!』
『お兄ちゃんは乙女心が分かってないって言うの!』

 明日葉の言葉の続きを美優が言った。
 本当にこいつら今日会ったばかりなのか? 相性良すぎだろ。

「じゃどうすればいいんだよ?」

 二人が言うところの『乙女心』が分かっていないのだ。
 もう考える力も残っていない俺は、二人に答えを聞いた。
 そんな俺を見た後、二人が顔を見合わせてから『うん』と同時に頷いた。
 何か嫌な予感がする。

『それはもちろん!』
『一緒に寝よ!』

 そして紡がれた言葉はかなりの破壊力を孕んでいた。
 女の子と一緒に寝る? それはつまり……いやいやそう言うのはよくない!

 ヨクナイヨ 俺の理性が 飛んじゃうよ
 
 理性をギリギリのところで保ちながら、心の中で俳句を詠む。
 よし、まだ冷静だ。理性がある。

「いや、さすがにそれはマズイだろ! 何か間違いが起きちゃったら困るだろ!」
『……いや起きないでしょ』
『私たち幽霊だし』
『お兄ちゃん幽霊に欲情しちゃうの?』
『さすがにそれは弁護できないかなぁ』
「……お前らこういう時だけそう言うの、ズルくね?」

 こうして夜は更けていった。
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